李昆武、フィリップ・オティエ『チャイニーズ・ライフ』


チャイニーズ・ライフ――激動の中国を生きたある中国人画家の物語【上巻】「父の時代」から「党の時代」へ
 漫棚通信ブログ版で紹介されていたので、興味をもった。
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-85e4.html
 「ごくふつう」の中国人の個人史、それを通して見える中国の戦後史である。
 いまぼくが書いた「ごくふつうの」にミソがある。
 このコミックのラストを引用しよう。


 まだ不完全とはいえ、これまでの中国の歩みに私は誇りを感じています。
 それらは、決して武力による征服でもなく、豊富な石油資源のお陰でもなく、受け継いだ資産を巧みに運用したものでもなく、まさに中国人の汗の結晶なのです。私たちの次の世代も、貧困から抜け出していくための長い道のりを歩んでいかなければなりません。
私が最も好きな鄧小平の言葉があります。シンプルだが、深い味わいのある言葉。
 それは「発展才是硬道理(発展が最優先だ)」です。
歳を重ねるごとに、私はこの言葉の深い意味が理解できるようになりました。私の人生の意義もこの一言で語り尽くすことができます。
平凡な一人の中国人として。


 「まだ不完全とはいえ、これまでの中国の歩みに私は誇りを感じています」にみられるように、ここには、まず、現代の中国を基本的に肯定的にとらえようとする価値観が働いていることがわかる。
 「まさに中国人の汗の結晶」としてその成果をとらえている。まるで戦後の高度成長をとげた日本人が日本をふりかえるときのようである。
 そして、その核心を鄧小平の言葉によって表し、自分の歴史と中国人の歴史を重ねて、その言葉で「語り尽くすことができる」とまで言っている。そこにみられるように、この作者(李昆武)にとって、誇りある中国は経済発展に象徴されているのである。
 他国から独立したとか、帝国主義と戦ったということは、むろんその前史としてはあるのだろうが、「ごくふつうの」中国人にとっては、混乱と飢餓をもたらした「政治の季節」が終わり、貧困から抜け出す道をつくりだした70年代後半以降、すなわち「改革開放」路線以後こそ、「誇り」の核心をなしているということだ。


 そうみてくると、本書には「大躍進」による飢餓や、「文化大革命」による社会の混乱は詳細に描かれているものの、それらは、やがてくる「改革開放」路線の前史にすぎなかったという位置づけを与えられている。つまり、その前の時代の貧しさや混乱が身にこたえているからこそ、「ごくふつうの」中国人たちは、その時代をふりかえることをあまり快く思わないし、「天安門事件」のような政治事件さえも通り過ぎようとする……そんなふうに読めるのである。


 そして、本書を読んでみて、ぼくも、中国人がいかに「改革開放」を「抱きしめた」(ジョン・ダワーにならえば)かが一番印象に残ったことだった。
 すでに『ワイルド・スワン』や『大地の子』によって、国共内戦期から「大躍進」の失敗、そして「文革」にいたるまでの中国の激動というか混乱については知っていたことが多かった。もちろんこの『チャイニーズ・ライフ』で知ったこともたくさんあったし、作者の李がどうそれを体験し、受け止めたのかは興味深かったが、何よりも、そうした混乱が終わって80年代に開花する「改革開放」路線が人々の心にどうしみこんでいったのか、そして社会全体が猥雑な活気に包まれていったのか、という、その描写こそが、ぼくの中で新しい認識となったことだった。


 内戦終結から毛沢東の死、四人組裁判までが描かれる上巻。
 ぼくが印象に残ったのは2つ。
 一つは、毛沢東の死である。「大躍進」といい、「文革」といい、あれだけひどい目にあわされたにもかかわらず、作者の李は毛の死に深い衝撃を受けている。


 毛主席、あなたの言葉を私は何千回、何万回と読んだことでしょう。あなたのお顔を何千回と誇らしく拝見したことでしょう。どうしていなくなってしまわれたのですか?
 私たちのあなたへの思いは複雑で矛盾に満ち、子供の頃からあらゆる面で大きな影響を受けてきました。
 あなたは私の成長と共にあり、私の青春の歳月が終わると、遠くに去っていきました。


 深い喪失感、どちらかといえば親しみをこめた毛のカット。この「私たちのあなたへの思いは複雑で矛盾に満ち、子供の頃からあらゆる面で大きな影響を受けてきました」という一文は、毛には「功罪」があるとしながらも、やはり大きな尊敬の部分があることを示している。単に「毛が死んだときそう思った」というのではなく。
 このあたりが、『ワイルド・スワン』を描き、また『マオ』で毛沢東への厳しい批判をおこなったユン・チアンとは決定的に異なるところだ。
 これが中国人の平均なのかどうかはわからない。ただ、「大躍進」や「文革」を経験した世代のなかでは一つの有力な捉え方なのではないかと思わせるリアリティはあった。


 二つ目は、まだ「文革」の最中に、軍の批判大会で林彪批判をするさいに、主人公の知り合いがへまをやってしまうシーンである。
 林彪に対する厳しい批判をのべなければならないとき、模範的な発言はこうである。

  1. 革命は今まさに世界の人民が団結を強め、巨大な流れになろうとしている…
  2. 東から風が吹き、戦争の太鼓が打たれています。私の心の中では革命の赤旗がはためいています。

 ところが、その知人林彪の「悪口」は言うものの、「銃弾と3機の飛行機を手に入れました」「大勢の妻を連れて飛行機に乗ってソ連に向かったのです。しかし、燃料不足でモンゴルに墜落し、きれいさっぱり消えてなくなりました」などの発言をする。
 こうした発言に、上官は激怒する。「お前の発言は革命兵士の知識と一致していない! お前には厳しい再教育が必要だな」。
 唖然とする発言者。
 その夜、ラジオで聞いたことを素直にしゃべっただけなのに…と主人公につぶやく。
 この知人は、数日後、「南の方」へ去っていった。国境付近に埋まっている地雷の撤去にむかわされたのである。
 このくだりを読むと、自分がしたい任務についてあれこれ「わがまま」をいった水木しげるが、死亡率の高い南方戦線に送られていったエピソードを思い出す。
 くわえて、空気を読んで「正しい」発言をするという政治文化について思いをはせる。ある集団のなかでの政治的正確性というものが、その集団の外ではおよそ考えられないような、意味不明のバランスで成り立っている、そういう集団がある。模範的発言のほうは、ぼくが今読んでも本当に意味不明だ。他方で、この知人がしゃべった発言のほうは、数十年たった今、日本に住むぼくが読んでもよくわかる発言である。そういう発言が問題視される政治文化。ひとごとではないな、と思う。



 下巻は、「改革開放」の前、そして鄧小平路線、現代にいたるまでが描かれている。
 ここでは印象に残ったことが3つ。
 一つは、主人公が「党に入る」シーンである。
 これは上巻から引き続くエピソードなのだが、党に入ろうとしてなかなか入れず、下巻になってようやく入れる。そのつきあげるような喜びを描いているのである。
 主人公は、だれもいない山に登り、大きな声で入党したことを父母に報告する。大いなる達成感とともに。「文革」「大躍進」を味わい、それ以外にも数多くの理不尽を体験しながらも、主人公は「党」に対してこんな誇りをもった感情を抱いているんだと驚いたのである。同時に、これが中国共産党体制を支えている保守的な心情の表れだろうかと感じたのである。


 二つ目は、「文革」以前を思い出したくないとする中国人たちの姿である。
 下巻では、「文革」の話題がでると不機嫌にそのことにはもう触れたくない、という描写がいくつもある。振り返りたくない過去、というか、いまは目の前の経済発展に集中したい、前向きに生きたい、という心情なのだろう。


チャイニーズ・ライフ――激動の中国を生きたある中国人画家の物語【下巻】「党の時代」から「金の時代」へ
 そして三つ目は、まさにこの本の核心だとぼくが思ったことであるが、経済発展のなかで豊かさをつかみとろうと必死な人々の姿だ。
 『ナニワ金融道』の終わりには、肉欲棒太郎が激安チケットを地道なチラシ配布で売ったりするシーンがある。ああいうニッチをねらった金儲けというものは、だれも気付いていないその瞬間はものすごい利益をあげる。やがて他の人間がむらがったり、産業構造が変わってあっという間にすたれてしまう。そういう小さいが大きな金儲けの口をねらって、人々が目をぎらつかせている、そういう高度成長期の暑苦しい感じがとてもよく描けている(「スヌーカー」を売る商人など)。
 ぼくの父が一時期中国にひんぱんに出かけていたが、それはすでに日本では失われてしまった、ぎらぎらした欲望が人々の目に宿っているからだった。そういう空気を面白いと思って、くり返し出かけていっていたのである。


 1980年ごろまでは、まだ日本の戦後のような水準だった国が、そのあとの20年、30年で猛烈な発展をとげているわけで、その落差にめまいがする。知り合いの中国人(同世代)は80年ごろには、まだ村でテレビは1つしかなく、みんながそこに集まってみていた、と言っていた。ちょうど日本の1950年代に似ている。
下巻の最初まではたしかに政治の混乱と貧しさに埋もれていたはずなのに、下巻の中ごろにはソファーに寝そべって新聞やテレビをみている生活にかわっているのである。


 
漫棚通信ブログ版で書かれているように、こうした中国史の描き方に批判はあるかもしれない。しかし、「ごくふつうの」中国人が経済発展路線を軸に、いまの中国のあり方に誇りをもっているその心情を描いたものとしては、とてもよくできていると思う。
 冒頭や、絵柄に抵抗がある人がいるかもしれないが、すぐにひきこまれるだろう。