「暴力革命」宣伝のスジの悪さ

 “日本共産党は現在も暴力革命を方針とする政党である”という宣伝は、現代では珍しいほどかけらも真実がない純然たるデマである。なんの根も葉もない。大昔は共産党はどうだったとか、何があったとか、そういうことを百歩譲って認めるとしても今現在共産党がそんななんのメリットもない意味不明の方針を1グラムもとっていないことはあまりにも明瞭だからである。

 もし本当に暴力革命をやるつもりでいるなら「最近どこかで武装訓練をしているのをみた」とか「あそこに大量の武器が隠してある」とか、そんな情報が、全国で100や200あっても良さそうなものだが、まるで聞こえてこない。当たり前である。そんな方針も活動も何もないからである。

 だから公安調査庁が60年もかかって日本共産党を「調べて」いるのに、いまだに破防法を適用できない。何も出てこないからである。3年成果が出なければ情け容赦なく事業が終了する世知辛いこの公務渡世で、60年も無成果の事業がよくも続くものである。公安調査庁毎年出している「内外情勢の回顧と展望」の「共産党」の項なんか、ひどいものだ。「しんぶん赤旗」の要約ですらない。公式ホームページを2、3ページ見てコピペするだけの簡単なお仕事です。共産党が暴力革命を企んでいるという「罪状」の証拠が逆さにしても鼻血も出ないので、こんな不良大学生のレポートもどきをつくって遊んでいるのである。そんな公安職員の人件費に多額の税金を長年投じていることの方が公安上の脅威だわ。

 だいたい、共産党員とか共産党議員とかいった存在はいかなる国民の身近にも一人か二人くらいいるものである。その人たちをボワワワワンと頭に思い浮かべた時、あるいはその人と向き合って話した時に、「ああ、こいつらはいかにも格闘技が強そうで、熊を倒しそうだ」とか思うことは微塵もない。どちらかといえば絵手紙教室にでもいそうな感じであるし、ともすればデイサービスやゲートボールが似合う人すら少なくない。

 共産党支部会議の様子を見てみるがいい。どれほど「恐るべき」ものか。

www.jcp-osaka.jp

「○○さんが公園でこけはった」「私らも気ぃつけんと」と、身近で切実な話題も。医療生協の活動をしているAさん(81)は、「捨てるうんこで拾ういのち」と大腸がん検診をみんなに勧めました。

 この人たちが…? 暴力で…? 革命する…? と想像するのは至難であり、無理やり想像すると笑いさえこみあげてくる。デマの中身が目の前の現実や日常の実感とかけ離れすぎているので、デマを流す側に立ってみても、まことにスジのよろしくない、二流、三流、四流、五流のデマである。

 あろうことか、佐藤優までが、なんの因果かこんな粗悪なデマに取り憑かれて、ベラベラとしゃべり散らかして、雑誌対談相手の公安にまでドン引きされる始末である。これのどこが「知の巨人」であろうかと惨状目を覆わしむる事態であった。観察力がゼロである。共産党員が「それを言われると痛い」と思うような攻撃なんかいくらでもあるのに、よりによってこれほどの隙だらけのポンコツデマに飛びついてそれを恥ずかしげもなく口にしてしまうのは、お金とか、脅迫とか、何かそういう「オトナの事情」がある以外には考えにくく、そうでないのに真剣にこのデマを口にしている人がいたら、それはただの「おばかさん」であろう。あまり人のことをそう決めつけたくはないが、事この問題に限ってだけは、そう呼ばせてもらいたい。

 

 繰り返すが、上記のことは現在の日本共産党についてである。

 「数十年前にはいろいろあったじゃないか」というのは、さっきも述べたとおり、共産党側が反論しているし、批判者は再反論もしている。そこはいろいろ議論したらいい。そこを争っているんじゃない。さっきも言った通り、百歩譲って仮に認めたとしようじゃないか。

 だけど、現在そういう方針はどこにもないことは本当に疑いようもないし、動かすことはできない。綱領にもなければ、決定にもないし、活動の実態にもないのだ。

 それなのに、「今でも暴力革命の方針をとっている」という無理筋の横車を押す人がいて、驚くべきことに政権党や政府までがそんなしょうもない理屈立てにどうして必死でしがみついているのかといえば、「立憲民主党はそんな恐ろしい政党と組むんですか!?」というクサビを打ち込みたいがためなのだが、もうちょっとマシなクサビを打ち込めよ、としか言いようがない。もっと合理的で開明的でスマートでリアルなクサビがあると思うんですよぉ。

 

「敵の出方」論

 だから、それでもうすっかりおしまいなのだが、それではあんまりなので、インターネッツにお住いの皆さんのための特別なプレミアムとして「敵の出方」論について書いておく。

 「敵の出方」論がどうだとかなんだとかわざわざそんな面倒くさい、クソ小難しいことなんか知らなくても、上述のとおり「どう考えてもこの人たちは暴力革命なんかしそうにないよね」程度で十分の話なのだが、ヒマなので書いておくだけだ。以下は、たぶん「ゼットンの火球の温度は1兆度」という知識の重要度と同じくらい、日常生活や政治生活にとってはどうでもいい話なのである。クソプレミアム。

 

 2021年9月16日現在のウィキペディアなどでは、「敵の出方論」という項目に、

革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない。

という共産党第8回大会の政治報告の一文が引用されたり、

わが党は革命への移行が最後的には敵の出方にかかるという立場をとっている。

という不破哲三の『人民的議会主義』の一文が引用されたりしている。

 今の感覚から考えると、「政権を獲得してそれをきちんと動かすためにはどうしたらいいか?」という問いが出たとしたら、その答えは「選挙で国会の多数をとれば政権が取れますし、ちゃんと作動させられます」で話は終わりなのだが、共産党が1950年代の混乱をようやく終えて新綱領を採択した1961年当時、これは「平和革命唯一論」などと呼ばれて、問題にする左翼が少なくなかった。議会だけしか見ていないような社会変革は、甘すぎるというのだ。

 「じゃあ、軍隊や官僚が反乱起こして、せっかくできた新しい政権の閣僚を拘束したり、殺したり、新政権の業務をサボタージュしたりし始めたらどうすんの?」「そういうことをなんも想定せずに、備えもせず、議会で多数とれば世の中変わるというのは能天気すぎない?」という批判が左翼陣営内から、カジュアルに出てきていた。

 それはいちゃもんじゃなくて、実際に東南アジア最大の党勢を誇り政権入りをしたインドネシア共産党が軍の大量虐殺によって一瞬で消滅したり、チリで政権を握った社会党共産党の連合政権がアメリカの後ろ盾を受けた軍のクーデターで政権を崩壊させられ、首相のアジェンデは殺害されるという事件などがフツーに起きていたからである。

 共産党は「あくまで平和的移行を貫きます」とするのだが、「でも軍隊がクーデターを起こすかもしれない危険性は見過ごすわけ?」としつこく言ってくる人がいたのである。

 そこで初めて共産党としては、「いや、そこまでいうなら確かに絶対にないわけじゃない。それは反乱を起こそうとする相手側の出方次第ではそうなることもあるよ」と認めるわけだ。これが「革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない」とか「革命への移行が最後的には敵の出方にかかる」とかの表現となる。

 ではそういう際に、軍隊のクーデターなどに備えて、「選挙で政権を取るオモテの顔」と「非合法の秘密の暴力部隊を育成するウラの顔」を使い分け、軍隊の反乱には自前の武装組織で戦う…というそんな方針を日本共産党が立てたのかといえば、そうしなかったのである。

 「そんときは、新政権として国民に団結を訴えるし、警察を使って取り締まったりしますよ」という答えを共産党はしたのである。

 

 だから、不破哲三は、ウィキペディアで引用されている部分に続いて、実はこう述べている。ウィキペディアの引用はわざとそこを落としているのだ。紹介する。

 

わが党が、革命への移行が最後的には「敵の出方」にかかるという立場をとっているウィキペディアの引用はここまで。そして原文にはない句点が打ってある〕のは、党と革命勢力が国会の多数を基礎に、人民の政府をつくり、革命への平和的、合法的な前進をめざして活動しても、その過程で、反動勢力が不法な暴力を行使する場合、そのかぎりで情勢の「非平和的な局面」がうまれる可能性をまったく否定してしまうわけにはゆかないからである。〔…中略…〕国民の多数の意思に挑戦するこの種の暴力に直面して、政府が国民とともに秩序維持のための必要な措置をとることは、国民主権と議会制民主主義をまもる当然の態度であって、だれも、民主主義の名においてこれを非難することは、できないであろう。(不破『人民的議会主義』新日本出版社、1970年、p.244、強調等は引用者による)

 

 これは政権を取った後の反乱への対処であるが、政権を取るの対処も付け加わえて、志位和夫は最近の講演でその二つをまとめてこう紹介している。

日本共産党は、社会変革の道すじにかかわって、過去の一時期に、「敵の出方」論という説明をしてきましたが、その内容は、(1)選挙で多数の支持を得て誕生した民主的政権に対して、反動勢力があれこれの不法な暴挙に出たさいには、国民とともに秩序維持のために必要な合法的措置をとる。(2)民主的政権ができる以前に反動勢力が民主主義を暴力的に破壊しようとした場合には、広範な国民世論を結集してこれを許さないというものです。それは、どんな場合でも、平和的・合法的に、社会変革の事業を進めるという日本共産党の一貫した立場を説明したものにほかなりません。

 ぼくが学生の頃「広範な国民世論を結集してこれを許さない」って何? って質問したことがあって、その時「デモとかストみたいなので世論に訴えかけるんだよ」と説明している共産党員の人がいた。世論が固まればそんな反乱はそうそうできない、という立場を言いたかったわけである。

 それが効果的かどうか、そんなの役に立つのかよ、はこれを読んだ皆さんが勝手に判断してもらえばいいんだけど、ここで大事なことは、要するにどこまでいっても日本共産党は、少なくとも1961年綱領の確定以後は、「秘密軍事組織を作って対抗する」なんていう「武力闘争」路線をやろうとしていなかったし、今もしていないということである。

 

 そして、今や「軍隊がクーデターを起こすかもしれない危険性は見過ごすわけ?」「ミャンマーみたいなことが日本でも起きると思うよ!?」と詰問してくるような左翼は(そして右翼も)いなくなった。だから、まあもう「敵の出方」論なんていう誤解受けかねない表現はもうやめますわ、と共産党は宣言したのである。そういう誤解の誤爆を引き起こすような、あまり現代では現実性のない仮定をくどくどいうのではなくストレートに「選挙で議会の多数を占めるという革命をやります」と素直に表現することにしたのである。

 

加藤聖文「日本にとって満洲支配とは何だったのか」

 「前衛」2021年10月号に載った加藤聖文へのインタビュー「日本にとって満洲*1支配とは何だったのか」が実に分かりやすかった。

 

 

 ぼくは、満洲に日本から次々移民が送り出されたことは知っていたが、その理由は、「国内の農民が貧しく、それを反動的に打開するために満洲へ送り出し、開拓はもとより現地人の土地を奪った」ほどの理解であった。そして、「満洲日本帝国主義による朝鮮支配の後の、中国侵略のための第一歩である」というくらいの解像度の認識であった。

 

満洲支配が持っていた矛盾

 加藤は、満洲支配がもともと持っていた矛盾を、おおむね次のように説明している。

――そもそも日本人が昔からいた土地でもなく、縁も薄いのに、日露戦争でさまざまな利権をロシアから奪い取ってしまい、経済活動が始まった。

日本にとって、必然性のないところを取ってしまったわけですから、そもそも日本にとって満洲は本当に必要だったのか。歴史的にどうしても必要なところだという議論はありません。(加藤聖文「日本にとって満洲支配とは何だったのか」/「前衛」2021年10月号p.165)

 

――しかし、もともとそこは中国なのだから、「返せ」と言われる。日本は「大変な犠牲を払ってロシアから手に入れたのに、なんで中国がクレームを入れるのか」となり、噛み合わない。初めは無視していた。しかし声が大きくなってくる。モヤモヤした状態。

――このモヤモヤした状態をスッキリさせる解決策が、満洲全土を占領して日本のものにしてしまうということだった。政党政治に不信が募る中で、こういうズバッと明快な解決策を関東軍が出して実行したのが「満洲事変」で、国民は「すごい」と支持をした。

 

 この「満洲全体を切り離す」という発想の「革命性」は、日本人の当時の意識は南満洲にしかなく、権益も満鉄をはじめ、南に集中していたことを考えればわかる。石橋湛山の「満洲放棄論」も“満鉄経営やってもあんまりもうからないから、満洲の企業に投資する方向に切り替えれば?”的な合理論であったが、これも満鉄=南満洲に意識が集中していたことを示している。そこに満洲全体の占領。このプランの立役者が関東軍の参謀だった石原莞爾だ。石原は日米決戦をみこして資源のある満洲の必要性を説く。

 

――しかし、満洲は日本領とならずに、いろんな経過で傀儡国家となった。

 

 それが次の矛盾となる。

 

――3000万人がいる満洲で日本人は1%しかない。もっと日本人を増やさないと支配できない。日本から経済活動にやってくるサラリーマンや技術者、あるいは役人のような人ではなく(すぐ帰ってしまうので)、何世代にもわたって土着する人が必要。それは農民。

――そこで20年後の満洲が5000万人として1割の500万人(100万世帯)を移住させる計画を立てる。

――日本政府は、満洲は中国の中でもフロンティアで土地はたくさん空いているからいくらでも入り込む余地がある、とふんで入植を進める。

 

 この時点では、日本政府はおおざっぱに問題を捉えていたが、現地人から無理やり土地を大量に奪うということは考えていなかった。しかし、それは「机上のプラン」にすぎなかった。

 

もともとの政策自体が、現地の実情をきちんと把握しないまま進められていたのです。そのため、実際にすすめていくと想定外のトラブルが起きます。(p.169)

 

――南部のいい土地はすでに誰かが耕している。北部も作物が作れそうなところは、すでに誰かが耕している。開墾さえできないような、つかいものにならない土地だけが持ち主がいない。

 

 これは当たり前の話だろう。「人口密度が低くて莫大な土地が余っている」というのは、「現地の人間がボサーッとして気づかない、怠けている」ということではなくて、どうやっても農作物なんかできっこない土地なので、そこにはいかないだけで、したがってまかなえる人口もそれにふさわしい規模でしか増えないから、土地の広さに比して人口が少なくなるのである。

 

――しかし入植はさせないといけない。そこで土地を買収をするが、満洲の土地制度が複雑で、権利関係が非常に入り組んでいる。地主と思った人の上にまた地主がいる、その地主は全然別の都会にいる、という構造が何層にも重なっていたりする。話がまとまらない。

――手続きをとって土地を買っても、そうなると現地で土地を耕していた人は突然職を失ってしまう。説明もない。セーフティネットもない。

 

日本側から見れば正当な手続きで契約を交わして、お金を払って買ったのだから、行政的には瑕疵がない。しかし、実際の現地の人たちの生活や心の問題は切り離されて考えられていて、日本に対する反発が生まれてしまったのです。(p.170)

 

――100万戸移住計画はほとんど修正されなかった。そのために、入植地が実際にはかなり限られているのに、無理やり計画通りに入植をするので、誰かが住んでいるところに結局強権を発動して計画を目標通り実行してしまう。

――無理に数字を合わせる。改ざんする。書類をいいかげんなものにする。不正が横行する。

 

そこから植民地というものの本質が出てくるのです。権力を持っている側が強権を発動してい、そこに住んでいる人たちを「いないこと」にしてしまう。強制立ち退きで、無理に入植地を広げていくことが頻発するようになってくる。(p.171)

 

日本的組織論としての「誰も止められない」問題

 現地や現場をよく調べもしないままの計画をつくり、始まってみると無理があるが、計画は無理にすすめられていく。しかしもしこれが国内であれば、反発が生じて政治はそれに対応しようとする。それが計画の修正やセーフティネットの用意などの形で、現れる。あるいは無理なやり方は取らないかもしれない。

 しかし植民地であるがゆえに、強権を発動して、無理が通ってしまう。

 民主的プロセスがなく、強引に押し切ってしまえるということは恐ろしいことである。

 そして、誰も止められなくなる。

こうして国の政策は一回歯車が動き出してしまったら、あとは誰も止められなくなっていきました。いくら政策を最初に立案した人であっても、それがスタートしてしまったら、機械が動き始めるのと同じで、誰もストップをかけられなくなってしまったのです。(p.172)

 ここは、植民地の問題というより、「日本の政治構造の問題点」(p.172)だと言えよう。

「私がやっているのはこの部分しかやっていませんから」「これはあの人の担当だ」と責任のなすりつけ合いになり、誰が責任者なのかわからないことになっていき、最後は誰もストップボタンを押す人が出てこなくなる。日本の場合、政策の柔軟性がもともとないので、一つの目標を目指す時は、ある部分強みを発揮するのですが、それが「ちょっとおかしいぞ」といったときに、軌道修正ができなくなる。(p.172)

 加藤はここで日本的組織論を問題にしている。

 そしてその問題の仕方は、「部分と全体の責任」という切り口である。これは組織論としてよくある話ではあるが、満洲問題の分析をここに持ってきているところに、加藤の議論のユニークさがある。

大きな話になっていくほどますます誰も部分的にしか関与しなくなり、挙げ句の果てに破綻するまでいってしまったのです。破綻してしまったあとも最初の人たちは「あなたが言ったからだ」と批判されても、「いや、私は最初はこういう意図だった。自分の意図とは違う方向に行ったのだ」「途中からこれはまずいと思ったのだが、言うことを聞いてもらえなかった」と責任のなすりつけ合いになる傾向が強い。日本の戦争そのものが、誰が何の目的で始めたのか曖昧になって、誰もが当事者意識がない、むしろ被害者意識を抱いています。みんな不本意な被害者意識で、責任の所在が曖昧になってしまっています。(p.172)

 

 この記述はまことに身にしみた。

 もちろんこれは今の日本の政治でもあれもそうだ、これもそうだと思い当たることばかりなのだが、それだけでなく、ぼく自身が関与しているものについても本当にこういう事態になっていると身震いしたのである。

 ちょっと脱線したふしがあるが、まあこれは「組織論」としてのぼくの感想。

 

 話を戻そう。

 満洲という問題にどのような矛盾が積み重なっていったのか、ということを概略的な論理の流れで見る、という本稿はぼくにとって新鮮だった。満洲という歴史問題について、個々の細々した歴史記述をした本はそれこそ山のようにある。しかし、そこにどんな太い歴史=論理の筋が通っていて、その論理=歴史の矛盾がどのように爆発したのかを加藤インタビューでは示している。

 日本人として満洲とはどういう場所であり、またどういう歴史問題であったかを、大きな枠で捉え、人に説明する上では、この加藤のような説明はとても貴重なものである。

 

被害者意識が中心という問題

 加藤は最後に「満洲引揚が問いかけていること」として、満洲問題は、満洲引揚問題として語られ、どうしても被害者としての意識・側面が中心になる点を批判的に指摘する。

 

そこで欠落している〔の?]が、よくよく考えてみるとなぜ彼らはそこにいたのか、どういう経緯でそこに渡っていたのかという問いです。(p.174)

戦後の社会でも、満洲からの引揚のインパクトが強すぎてしまい、どうしても被害者としての側面でしか語られてきませんでした。……たとえば、引揚者は、いろいろな回想録や手記を出していますが、そのほとんどは、ソ連が攻めてきてからの話です。それ以前に何をやっていたかはあまり書かれていなくて、いかに自分は大変な目に遭ったかが一人歩きしてしまっています。(p.175)

 かなり踏み込んだもののいいようである。

 「引揚が悲惨だった」「引揚で残された日本人はかわいそうだった」という事実を学ぶことはとても大切なことだが、これだけが切り離された体験というのはある意味で恐ろしいのではないかとぼくは思う。

 この意識は「だから戦争は二度と起こさないようにしよう」になることもあれば、「だから武装しよう」「だから〇〇人はひどいことをする奴らだと言える」というふうに転がることも十分にあるからだ。

 「なぜ彼らはそこにいたのか」という日本の侵略と膨張史という歴史文脈を学ぶ中で、初めて全体を理解した、批判的な歴史体験の継承が可能になる。

 

 今福岡市で、平和資料館を公設する運動が広がり、先日3万筆に近い署名が市議会に提出された。福岡市は実は日本最大の引揚港=博多がある都市で、引揚は立場の違いを超えた広い市民にとって重要な歴史問題である。

 ぼくらが引揚を学ぶ際には、加藤が提起しているような広い歴史文脈で引揚を捉えるようにしたい。

 

 

*1:加藤の文章では表記は全て「満州」でなく「満洲」になっており、ぼくも合わせる

かあいそうだたほれたってことよ

 英語の勉強のつもりで読んでいた一文

I believe that if Japan indeed had a few more infections in April to May, we could have seen widespread deaths, akin to what happened to our European friends.

というものがあった。

 前後の文章でだいたい「ヨーロッパの仲間たちに起きたように、死者の急拡大を見ることになるだろう」的な感じで読んだが、恥ずかしながらakin toがわからない。

 調べると「〔…と〕同種で,類似して 〔to〕」とあった。まあだいたいそれでよかったわけである。その時辞書には「Pity is akin to love.」という諺が書いてあったが、特に興味も引かれずにそのまま閉じた。

 

 

 ところで土日に、杉本亜未ファンタジウム』を読み返していて、「『可哀想だたぁ、惚れたって事よ』は夏目漱石先生だったろうか」という意味のセリフが出てきて、はてなんであったろうかと調べた。それはすぐわかった。『三四郎』である。

「その脚本のなかに有名な句がある。Pity's  akin  to  love という句だが……」それだけでまた哲学の煙をさかんに吹き出した。
「日本にもありそうな句ですな」と今度は三四郎が言った。ほかの者も、みんなありそうだと言いだした。けれどもだれにも思い出せない。ではひとつ訳してみたらよかろうということになって、四人がいろいろに試みたがいっこうにまとまらない。しまいに与次郎が、
「これは、どうしても俗謡でいかなくっちゃだめですよ。句の趣が俗謡だもの」と与次郎らしい意見を提出した。
 そこで三人がぜんぜん翻訳権を与次郎に委任することにした。与次郎はしばらく考えていたが、
「少しむりですがね、こういうなどうでしょう。かあいそうだたほれたってことよ
「いかん、いかん、下劣の極だ」と先生がたちまち苦い顔をした。その言い方がいかにも下劣らしいので、三四郎と美禰子は一度に笑い出した。

 あっ、これではないか! と驚いた。

 全然関係のないことがひょんなことで近くにあって、たまたま記憶のフックがあったせいで「これって、あれじゃん!」とコーフンし、結びついて覚えてしまう…というようなことがある。これである。

 

 

(下記は2008年の『ファンタジウム』1・2巻当時のぼくの感想。物語が完結した現時点ではこの感想からはかなり距離がありますが、参考までに。)

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

藤のよう『せんせいのお人形』についての続き

 昨日書いたことのうちの、二番目のこと。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 二つ目は、恋愛対象として。もっと言えば性的な対象として。

 ぼくが昭明の視点でスミカを性的に見るという視点について書いたわけだけど、この作品の4巻には、スミカの先輩で「天羽先輩」が、次のようにスミカを挑発するくだりがある。

 天羽先輩は、昭明と「恋人」になりたいのかとスミカに問われ「セックスができればそれでいいから」と思わせぶりに言った後、

あんなに魅力的な男性めったにいないでしょ

…いい身体してそーよね

私 前腕ががっちりしている人が好きなの

抱かれたくない? 

そうそう 手が大きいのに動きは繊細で

近づくといい香りするわよね

あの目つきも好きだな

冷たくて逆らえない感じ

あのひと

ぜったいエロいよ

 と舌なめずりせんばかりに告げる。

 スミカは動揺せずに切り返すが、家に帰ってから天羽先輩の言ったことが効いてきて、昭明を性的に見ることに悩まされてしまうのである。

 官能小説とかにそういう言い回しがあるのかどうか管見にして知らないのだが、

手が大きいのに動きは繊細で

に、ぼく自身は、どうにもやられてしまった。

 え……「手」?

 手が大きい?

 大きいのに繊細?

 それがエロい?

 意表に出られたわけである。

 そんなエロさがあるんだ、としみじみ噛み締めてしまい、手が大きいのに繊細、それだとどんなエロさがあるというんだ、と、スミカじゃねーけど、ずっとモヤモヤ想像してしまったのである。

 

 

 

藤のよう『せんせいのお人形』

 この作品をどんな気持ちで読むべきなのか。

 

 

 本当に正直なところを言えば、とても欲望的な気持ちで読んでいる。

 まともな保護者がおらず、あちこちの家を転々とさせられ、ネグレクトに近い状態の少女(高校生)・スミカを、遠縁の一人であり、名門女子高の教師をしている吉成昭明(しょうめい)が引き取る物語である。

 「欲望的」とはどんな?

 一つ目は、暗く、無知蒙昧な精神の牢獄に閉じ込められてきた少女に一つ一つ教育を施して、まるで砂に水が染み透るように少女がそれを受け入れて、人間になっていくプロセスがぼくにはクラクラするほど欲望的なのである。

 2巻で哲学と数学のことを調べていたスミカが、それらは神話を不要にするために同じものとして出発したことにたどり着くシーンがある。

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藤のよう『せんせいのお人形』2巻、comico、Kindle74/216

 コマはその解放感、爽快感に満ちている。

 学問をすることや知識を得ることの大きな喜びの一つは、バラバラだったものがつながり、世界が一つの図面として立ち現れる瞬間に出会えることで、自分が教えていた少女が、しかし自分でそこに到達するのを見るのは、教師冥利につきるというものではないか。

 これはぼくにとってとても欲望的なことである。

 ぼくは、誰かに「教えたい」という気持ちが強いのだ。特別に女性に対して、というわけではないが、たぶん「マンスプレイニング」的な要素も混ざりこんでいるのだと思う。

 

 

 

 二つ目は、恋愛対象として。もっと言えば性的な対象として。

 昭明とスミカは密かに、しかし互いに惹かれあってしまう。昭明は強い気持ちでそれを抑圧し続けることになる。

 ぼくは、そういう抑制のタガが外れた昭明バージョン、という気持ちでスミカを見ている。昭明にぼくは気持ちを投影する。昭明はぼくの「自画像」なのである。知的で、自己抑制心が強いという……おい、ここは笑うところじゃないぞ。まあ「自画像」だったらいいな、という単なる願望だ。微塵も似てはいない。

 自分の力添えで蒙を拓かれた少女に欲望するっていうのは、相当にいびつな感情だと思うのだが、そういう危うさに満ちているのである。

 だいたい、タイトルからして「せんせいのお人形」であり、1巻の頃の昭明の立ち位置、振る舞い方(上から被せるようにスミカに「俺は教育するよ きみを」と言ったりすること)は、そういう欲望を読者に「誤導」させる気満々だよね?

 それがたまらなく好きなのである。

 

 

 すでに本作は完結しているが、結末を描いた最終巻はまだぼくの手元にはない(2021年8月末時点)。

 本作がいかなる結末を迎えているのかは知る由もないが、少なくとも結末に至るここまでの間、ぼくは欲望的な気持ちで本作を読み続けてきた。

「千島列島」はどこまでを指すのか

 中学生である娘の夏休みの宿題を見ていて、社会(地理)では、やはり領土問題が出てくるんだなと改めて読む。

 しかしそこでは「千島列島」は択捉よりも北の部分を指していた。

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帝国書院『中学生の地理』p.126

 百科事典(『日本大百科全書』)では千島列島はこう規定されている。

大きく分けて北千島、中千島、南千島に三分される。

…以下の13島である(〔 〕内はロシア語読み)。
 占守(しむしゅ)〔シュムシュ〕島、阿頼度(あらいと)〔アライド〕島、幌筵(ほろもしり)〔パラムシル〕島(以上北千島)。
 温禰古丹(おねこたん)〔オネコタン〕島、春牟古丹(はるむこたん)〔ハリムコタン〕島、捨子古丹(しゃすこたん)〔シャシュコタン〕島、松輪(まつわ)〔マツア〕島、羅処和(らしょわ)〔ラシュア〕島、計吐夷(けとい)〔ケトイ〕島、新知(しんしる)〔シムシル〕島、得撫(うるっぷ)〔ウルップ〕島(以上中千島)。
 択捉(えとろふ)〔イトルプ〕島、国後(くなしり)〔クナシル〕島(以上南千島)。

 それが常識的な解釈であろう。

 しかし、政府はそうは考えていない。だから、中千島・北千島だけを「千島列島」だとしているのである。そうしないとサンフランシスコ条約第2条で

日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

と定めつつ、(本当は南千島であるはずの)国後・択捉の返還をロシアに求めていることと整合性が取れないからである。

 政府は千島列島の範囲について閣議決定をし、鈴木宗男議員の質問に対して、その根拠を次のように述べている

これらの両島が、樺太・千島交換条約に基づく交換の対象たる千島として取り扱われなかったこと

 しかし、これは無理がある。この条約では

露西亜国皇帝陛下ハ第一款ニ記セル樺太島(即薩哈嗹島)ノ権理ヲ受シ代トシテ其後胤ニ至ル迄現今所領「クリル」群島即チ… 

とあり、これは「今ロシアが所有している千島列島の」と読めて、「所有していない千島列島(の部分)がある」という読み方を排しないからである。「千島として取り扱われなかった」と断定することはできない。

 また、この条約についてはフランス語が正文であり、フランス語正文ではまさにこのような解釈が成り立つ、という議論はすでにある。

 したがって、日本政府の言い分はなかなか苦しいと言わざるを得ない。

 

 と言っても、娘に「だからサンフランシスコ条約で千島を放棄したこと自体が誤りであり、『日本国ハ又暴力及貪慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ』というカイロ宣言の原則を徹底して、暴力で取得しなかった千島列島全体の返還を求めるべきなんだよ!」とは教えなかったが…。

 

 

意味が正反対のように思えてしまう単語

この記事にある、

の冒頭の

The #Taliban have captured Maraz-e-Sharif and are chilling at the {luxurious} house of a top commander of Afghan National Army Abdul Rashid Dostum.

 って一文。その「chill」ってわからないんだけど、辞書で調べたら、あれか、 「チルド食品」の「チル」か。chilled。

 だから「凍りつく」みたいな意味なのかと思っていたんだが、なんでタリバンがマザリシャリフを陥落させた後、アフガン国軍の最高司令官の家で「凍りついて」いるんだ? と思った。

 しかし辞書*1を見ると、後の方に、

〈主に米俗〉落ち着く、くつろぐ◆【同】chill out
・"What's cracking?" "Nothing much. Just chillin'." : 「何してんの?」「別に何も。ゆっくりしてるだけ」

って意味があるんだな…。

 chillには「恐怖、おののき」とか「重苦しさ、陰気さ」とかもあって、「落ち着く、くつろぐ」と全く正反対じゃんと思った。

 

 日本語の「ヤバい」みたいな感じなのだろうか。

 

 virtualももともとは「事実上の、実質上の、実際の」という意味だけど、それはぼくらが日本で使う「バーチャル」とは真逆だよね、と思ってしまう。

 しかしこの「事実上の、実質上の、実際の」には「(表面または名目上はそうでないが)」というニュアンスがついているので、なるほどそこからなら「虚像の」「仮想的な」みたいな意味になるよね、と得心した。*2

*1:「英治郎on the web」。

*2:参考:研究社『新英和中辞典』。