「神社のお祭りはいつまで町内会に運営を押し付けられるか」

 「季刊 宗教問題」の2023年秋季号に、拙文「神社のお祭りはいつまで町内会に運営を押し付けられるか」を掲載していただいた。

 同号には山下祐介、木下斉、古川琢也、平沢勝栄などがインタビューもしくは執筆をしている。

 ぼくは以前以下のような記事をブログで書いた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

その質問・意見は、町内にある神社の行事を、季節の折々に、町内会として子どもたちなどを集めてやっているのだが、それはもう負担が限界に来ている、地域の大事な行事であり地域文化だが、それもリストラすべきだと思うのか、というものでした。

 上記のブログ記事の場合は、“宗教団体=神社側が担い手である信者(氏子)を増やす努力をするのが本道”との主張を展開した。

 今回「季刊 宗教問題」の原稿ではこのアプローチを取らずに、あくまで町内会としてこの問題にどう向き合うべきかを考えた。

 その際、「お祭り」といっても、いろんなものがごっちゃになって語られているので、まずそれを分別することが大事だと思った。

 なので、最初に

  1. 日本三大祭りのような非常に有名なお祭り
  2. そこそこ有名だが地域以外ではあまり知られていないお祭り
  3. 地域の人しか知らない小さな祭り

という3つの区分けをして、1.は除外し、2.と3.について論じるという整理を行った。町内会問題として論じる場合は、この整理は非常に有効だったと感じている。

 というのは、他の論者が、「祭の維持」について、例えば祭における動物愛護/虐待問題として論じていたり、全国的に有名なお祭りの高額観覧席問題として論じていたり、あるいは地域衰退/「地域再生」問題として論じていたりしていたので、2.や3.の問題として切り分けて町内会問題としてフォーカスしたことは、ぼく自身の独自論点を押し出す形になったからである。

 

 また、この問題を論じる上で、最近復刊が話題になっている中川剛『町内会』(中公新書)の分析がかなり役立った。

 どの部分かといえば「現代の祭祀」として、神社行事がコミュニティの精神紐帯のとしての本来的意義が極めて衰微している現在、何がその代替になるかを考察している部分である。これはぼくの町内会長経験の実感とも合っていたし、新書を執筆する際に取材した体験からも合致していた。

togetter.com

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 新しい祭祀を定義し、そのイメージが共有できるようになれば、自ずと解法は見えてくる。そこを明らかにした一文になったという自負がある。

 「お祭りの継承・担い手不足」でお悩みのかたは、ぜひご一読を。

 

 雑誌の中の論文間の突き合わせとしては、山下祐介「『地方消滅』は本当に存在する危機なのか」と、木下斉「寺社だからできる地域再生の取り組み」などを比較して読むと面白いのではないかと思った。両者とも「寺でカフェ」のようなアプローチを批判しながらも、「稼ぐ寺社」というモデルを批判するか、発展させるかで対立しているからである。ぼくの一文と、山本哲也「どんどん消えているお祭りを令和以後にどう残すか」も比較して読んでもらうと楽しいだろう。

 

てんてこ祭と乱婚オルギー祭

 この文を書く中で、自分の郷里の「奇祭」である「てんてこ祭」を紹介できたのも、個人的にはよかったなと思っている。男根を模した大根をつけて町内を練り歩くのだから「奇祭」という名にふさわしい。

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 学生時代に、エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』を「現代的に補強する」ものとして読んだことのある、セミョーノフ『人類社会の形成』に「乱婚オルギー祭」*1という規定が出てきて、次のような一節があり「これ、てんてこ祭のことじゃん!」と心踊った記憶が蘇った。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

民族学データが示しているように、大半の諸族のもとでオルギー祭の最中に行なわれた無規律な性交渉は、動物の繁殖と植物の繁殖の繁茂を呪術的に促し、隠して獲物もしくは収穫の豊かさを保障すると言うのがその本質とされていた。〔…中略…〕そこで祭の最中の無規律な性交渉の制限、さらについではその完全な禁止はこれら性交渉を代行し、自然に対して同じく呪術的影響を及ぼすことをめざす各種の儀礼行為の出現を招来せざるを得なかった。無規律な性関係は一定の時期に、〔…中略…〕性交渉に取って代わりうるものとしては、ときには露骨かつ乱暴に、また時には穏やかな形で模倣される性行為、あるいは同行為を暗示する行動(半裸もしくは全裸、体の一部を露出することなど)、エロチックな色彩を帯びた各種のみだらな所作や身振り、遊戯や踊り、祭りの行列に際して性器をかたどったものを持ち運ぶ風習、猥談などがあげられる〔…中略…〕。これらの行動はその大半が、かつて乱婚的性格を帯びていた祭の最中にも、または個々の呪術儀礼として、とりわけ農耕呪術儀礼として、祭以外のときにも行なわれていた。

〔…中略…〕

 この種の行動や儀礼の存在は、オルギー乱婚祭がかつて存在していたことを示している。またこの種の行動や儀礼は、膨大な数の諸族のもとで祭にさいしても、また祭以外のときにも行われており、それは殊に古代エジプト古代ギリシア古代ローマエトルリア、ドイツ、ロシア、ウクライナセルビア、チェック、グルジヤ、スヴァン、アディゲイ、カバルト、モルドヴァ、エヴィンク、チット、ナナイ、満州日本カリマンタンのカイヤノ、ジャワとモルッカ諸島マオリエヴァブッシュマン、バフアナ、エスキモー、ピピリ、マンダン、アラパホ、ズニ、その他多数で顕著である(セミョーノフ前掲書、下巻p.67-68)

 「てんてこ祭」は五穀豊穣を祈念すると言われているけど、さらにさかのぼって、「国家発生以前における、乱婚オルギー祭の一種」だということになれば、乱婚オルギー祭を「地域の伝統」として再現するってことになっちゃうわけだ…。

 

 

*1:乱婚オルギー祭:生産に支障をきたさない時期に、性的な関係が完全に解放され、ヒャッハーなセックス、すなわち誰とでも自由な性交が許された、徹底した無制限で濃密・凶暴なセックス祭。

アンナ・ラーリナ『夫ブハーリンの想い出』

 長い休みの間、不破哲三スターリン秘史』を読み直し、スターリンの大テロルについて関連の本をあれこれ読んでいる。

 不破の本の中で紹介されているのが、本書である。

 ぼくは身近にいる、ある左翼活動家の女性に「ブハーリンって知ってますか?」と聞いたのだが「いえ、知りません」と言われた。ぼくと同じくらいの年代で、ぼくと同じくらいの活動歴がある、のに。そっかー。

 ニコライ・イヴァノヴィチ・ブハーリンは、ロシア革命の指導者の一人で、理論家肌のボルシェヴィークである。スターリンの大テロルの犠牲となり、無実の罪を着せられて1937年に銃殺される。フルシチョフスターリン批判の際にも名誉回復がなされず、ゴルバチョフペレストロイカのもとで1989年にようやく名誉回復がなされた。もっともその2年後にソ連共産党は解体してしまうのだが。

 

 本書を書いたアンナ・ミハイロヴナ・ラーリナは、タイトルからもわかるようにブハーリンの妻であった。ブハーリン45歳のときにアンナ・ラーリナは20歳でまだ大学生だった(以下「ラーリナ」と記す)。有名な活動家の娘で、そこに出入りしていたブハーリンは幼い頃からラーリナを知っていた。

 ブハーリンは、レーニンが遺言の中で名前をあげて評するほどの高い理論水準をもった指導者の一人で、トロツキースターリンが対立したときにはスターリン側に立って、トロツキーを批判した。しかし、その後の農業集団化の問題では今度はスターリンのやり方を批判し、政治的な要職から次々解任される。ラーリナはブハーリンがいったん失脚していた1934年に結婚している。

 そして、結婚したその年にまさにブハーリンソ連政府の機関紙「イズヴェスチヤ」の編集長となり、政治的に復活を遂げる。

 ところがその年の終わりに党幹部だったキーロフの暗殺事件が起こり、1938年まで続くスターリンによる大量弾圧=大テロルが始まっていく。ブハーリンは、突如全く身に覚えのない「反ソ活動」の告発を受け、不当な裁判にかけられて、銃殺刑にされる(1937年)。

 

 スターリンの大テロルをジャーナリスティックに、あるいは研究解析ふうに読みたいなら別の本の方が適当だろう。本書は、大テロルで犠牲になった指導者の身近にいた家族の証言として、冤罪であった指導者がどういう表情・振る舞いだったのか、とか、市民や多くの党員、他の幹部はどう反応していたのか、とか、そういう概説書ではわからない空気感を知るために読んだ。そしてそれは想定以上だった。

 

銃殺の瞬間に「スターリン万歳!」と叫ぶ幹部たち

 まず意外と思われるのは、スターリンの弾圧になった犠牲者たちの多くが、スターリンを呪詛するのではなく、むしろ銃殺の瞬間に「スターリン万歳!」と言ったり、最後の言葉としてスターリン指導・統治を讃えたりすることだった。

ブハーリンと同じ裁判で裁かれたア・ぺ・ローゼンゴリツは、奇怪な犯罪を認めるとともに、最終陳述をこう結んでいる。「私は言いたい。一つの勝利から次の勝利に進んでいく偉大な、強力な、すばらしいソヴエト社会主義共和国連邦は健在であり、花開き、強化されると。……スターリンの指導の下で平和であるかぎり、熱狂、英雄的行為、自己犠牲の最高の伝統をもつボリシェヴィキ党は健在であると」(上p.228)

ブハーリンにしても人びとへの最後の声明で同じことを言った。「スターリンによって保障されている国の賢明なる指導は万人に明らかである。そうした意識をもって私は判決を待っている。問題は悔悟した敵の個人的体験にあるのではなく、ソ連邦の繁栄、その国際的意義にある」と。

 エヌ・イ〔ブハーリンのこと——引用者注〕は私〔ラーリナのこと——引用者注〕に別れを告げた時にも、つまり私から永久に去っていった時にも同じことを言った。「腹を立てないで見るんだ、アニュートカ〔ラーリナのこと——引用者注〕、歴史にはいまいましい誤植がよくあるんだからね」と。

 さらに、光栄ある司令官イ・エ・ヤキールは銃殺の瞬間に(二十回大会の結語でエヌ・エス・フルシチョーフが述べたことから判断すれば)、「党万歳、スターリン万歳」と叫んだ。(上p.229)

 

古参幹部はスターリンへの根本批判がなぜできないのか

 なぜだろうか。

 伝記『スターリン』を書いたアイザック・ドイッチャーは、古参の党幹部たちがなぜスターリンに屈服したのかという心情について次のように書いている

彼らのなまぬるい態度は、スターリンのなし遂げた変革はその手段についての判断はともかくとして革命を傷つけることなしには逆転不可能であるという認識とともに生まれてきたのである。スターリンのとった手段は彼らを恐怖で充したにもかかわらず、彼らはスターリン主義者、反スターリン主義者をとわず、すべて同じボートに身を託しているものと感じた。自己卑下はこのボートの指導者に彼らが支払った身代金であった。従って、彼らの自説撤回は全面的な誠実でもなければ、全面的な虚偽でもなかった。(ドイッチャー『スターリン』下p.44)

 ぼくは以前このことについて次のように説明した。

――スターリンにラディカルに反対する、すなわちスターリンを「除く」ことは、スターリン体制であるところのソ連体制、つまり革命によって生まれた体制を傷つけてしまいかねないという気持ちがあったってことですか。
 そういうことだね。ドイッチャーによれば、決してスターリンに屈しなかったトロツキーでさえ、「反革命の危険に対してスターリンと協力する用意があると提案した」(下p.45)らしいよ。
 〔…中略…〕

ソ連という体制は間違いはたくさんあったけど、それを根底から否定することは、自分が人生をかけてきたものを否定するような感情があった。

 実際、本書『夫ブハーリンの想い出』の中で、ブハーリンは、外国で亡命メンシェヴィキの一人に会った際に、次のように語っていたことが紹介されている。

 「いまのロシアは見違えるようです」とニコライ・イワーノヴィチ〔ブハーリンのこと——引用者注〕は結論して言った。〔…中略…〕

 「だが、集団化はどうですか、集団化は、ニコライ・イワーノヴィチ」と彼〔亡命メンシェヴィキであるニコラエフスキー——引用者注〕は質問した。

 「集団化はすでに通り過ぎました。大変な段階でしたが、しかし通り過ぎたのです。意見の不一致は時が除去してくれました。テーブルがすでに作られたのに、どんな材料でテーブルの脚を作ったらいいのか、論争するのは無意味でしょう。わが国では、私は集団化に反対していると書かれています。しかし、これは安っぽい宣伝屋だけが使っている手だ。私が提案したのは、別の道、もっと複雑で、あまり急激ではないが、究極的にはやはり生産協同組合に達する道で、あんなに犠牲を伴わずに、集団化の自発性を保障する道なのです。しかし、迫りつつあるファシズムに直面しているいまとなっては、『スターリンは勝利した』と私は言いますねソ連邦に来てください、ボリース・イワーノヴィチ〔ニコラエフスキー——引用者注〕、あなた自身、自分の目で見てください。ロシアがどんなになったか。私がスターリンを通じてこうした旅行を組織するお力添えをしましょうか」

「結構、結構」とニコラエフスキーは手を振った。(下p.109)

 あるいは、ブハーリンスターリンを「プロレタリアの総帥」と呼んだ感覚についての次のような記述。

十七回党大会は当時、全体としてひどく重苦しい印象を与えた。大会代議員たち、つまり勝利者たち——未来のスターリンの犠牲者たち——はスターリンを熱狂的に礼賛した。まさに彼ら、大会代議員たちは、労働者階級、あるいは当時の言い方でいえばプロレタリアートも農民も、工業化と集団化の重みを自分の肩に担いだのである。窮乏は過去のものとなり、先には輝かしい未来があるかのように思われた。それは自由な、平等な、豊かな未来であり、その社会は新しい生産力と別の生産関係を持つ社会主義的人間の社会であった。夢の中で考えられ、ツァーリの監獄や徒刑地、亡命地で、革命前の崩壊の中で、内戦の銃弾の下で夢想されたものが実現するのだと思われた。パトスは心底からほんものであり、これを理解しない者は歴史感覚を喪失した者であった。ブハーリンもまったく同じ理由から、スターリンを「プロレタリアの総帥」と呼んだ。(上p.156-157)

 “スターリン体制の転覆はもはや不可能であり、そんなことをやれば抑圧しかもたらさない。それよりは党の結束を大事にして、ソ連が達成した成果を育てることの方が現実的だ”という思いがブハーリンにあった。それはおそらく古参幹部共通の思いだったのではないか。

 リューチンという幹部が反スターリンの政綱を作って体制転覆を企てようとした事件にもブハーリンが関与していたとされた件について、ラーリナはそれがいかに馬鹿げたでっち上げかを書いている中で上記の趣旨のことを述べている。

ニコライ・イワーノヴィチの観点からすれば、一九三二年のスターリンに対する陰謀行動は、悲しいことに、もはや抑圧以外には何も国にもたらさなかったのである。最も影響力のある三人の政治局員——ブハーリン、ルイコフそれにトムスキー——が一九二八—一九二九年に行なったスターリンの政策に反対する公然たる行動も、リューチンよりははるかに権威があり、人気があった人物たちであったのに、成功しなかった。スターリンの圧力の下で党は、ブハーリンの経済的コンセプトを拒否して、別の道を進んでいたのである。出来上がった状況の中で、ブハーリン党の隊列の結束以上に有益なことは何もないと見ていた。集団化の時期の暗い姿だけを見、それと並んで建設における人民の偉大な熱狂を認めないことは、彼の観点からすれば、歴史において何も見ず、何も理解しないことを意味した。(下p.119-120)

 こうした立場——問題はあってもスターリンの指導を認め、ソ連体制を擁護する立場からすると、例えばブハーリントロツキーは同じ「スターリン弾圧の犠牲者」というふうに考えられなくなってしまう。トロツキーとの闘争が終わり、トロツキーが国外に追放され、彼が国外からソ連スターリン体制を厳しく批判していることは、「党外から党を攻撃し、国外から反ソ活動をしている破壊・撹乱分子」のようにしか見えなかったということである。それがトロツキー追放後のソ連党幹部・党員たちの多くの心情だった。

 例えばラデックという、やはりスターリンの大テロルの犠牲になった古参党幹部も、かつてはトロツキーと組んだが、後になってトロツキーとは絶縁していることを繰り返し強調する。 

ラデックはブハーリンに、トロツキーとはずっと前に手を切っており、トロツキストの秘密組織(まさにこう彼は表現した)の摘発とは関係がないと断言した(まるでその時トロツキーの見解に同調している秘密の陰謀組織が存在していたかのような口ぶりであった)。(下p.195)

 トロツキーは、スターリンの犠牲になったブハーリンにとってさえ、「党外から党を攻撃し、国外から反ソ活動をしている破壊・撹乱分子」という忌むべき存在として扱われ、その名前と結びつけられるだけで、震え上がるような絶望感を味わされる相手だったことがわかる。

 現代から歴史を眺めているぼくにとっては、こうしたブハーリンたちの態度のなんともどかしいことか。

 トロツキーは「敵」あるいは「外から党を破壊し撹乱する分子」ではなく、むしろソ連体制の病根をえぐり出しているまっとうな論者の一人であり、本来対話し共闘すべき相手ではなかったのか、どうして見抜けなかったのか、とつい言いたくなる。

 

「『良きもの』の中での性被害」を思い出す

 ソ連の体制そのものを批判することは、革命=ソ連の成果を台無しにしてしまうから、いうべきではない。結束をまずは大事にすべきだ、というメンタリティは、「『良きもの』の中での性被害」を思い出す。

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 良きもの=進歩的組織の中で性被害の声をあげてももみ消されてしまう。あまり大きな声にならない。どうしてそうなるのだろうかと書いてる中に次のような一節がある。

たぶん多くの「良識ある仲間たち」は、「良きもの」が無くなって欲しくない、汚れてほしくないと思うんでしょうね。「正義の味方」は当然正義でなくちゃいけない、と。そんな意識が、不正の告発を思いとどまらせているんじゃないでしょうか。

あるいは

そもそも被害者は個人としての尊厳を傷つけられたんだから、「もっと人の尊厳を大切にする世の中になってほしい」と切実に感じているわけです。でも「良きもの」のなかの被害者は、自分の個の尊厳を取り戻す行為が、逆に、尊厳を大切にしていこうとする社会の流れを断ち切ってしまうんじゃないかという心配をしてしまう。そう心配せざるを得ない状況に置かれてしまう、ということだと思います。

というあたり。

 「自分の告発が、あるいは告発の強調が、進歩的な組織の大義を傷つけるようなことになってはいけない」という心の中のブレーキが作動してしまうということだ。

 

スターリン体制へ向かない批判

 そうした視点としての限界、あるいは弱点は、裁判でスターリン体制を根本から批判し、自分への不当な扱い・でっち上げを正面から反撃することをしないという、常識では考えられないような形で現れたのである。

 ラーリナはブハーリンが屈服的な陳述を行なっている新聞記事を収容所で読み、信じられない思いだった。

ニコライ・イワーノヴィチは、ずっとあとになって彼の裁判記録と最終陳述を読んだ時よりは、はるかに屈服的だと私の目には映った。トムスクの収容所で私は、あれはほんとうにブハーリンだったのだろうか、ブハーリンに似た顔の替え玉ではなかったかという疑いさえ持った。彼の自供は、もし二人きりのところで彼がそう私に言ったとしたら、気が狂ったと判断したにちがいないほど荒唐無稽なものに私には思われた。(上p.49-50)

 和田春樹は、本書の解説でこう書いている。

ハンストで憔悴しきったブハーリンは、罵倒を浴びながら、中央委員会も内務人民委員部も傷つけるつもりはないという弁解を繰り返している。彼はついに党に対して自分の正しさを対置することはしなかった。(下p.301)

 不破は、これらの人々の精神構造をごく簡単に

犠牲になった人々のなかには、NKVD〔内務人民委員部。ソ連政府の治安・公安組織——引用者注〕がスターリンと党中央委員会をだましているのだと、最後まで信じていた人が多くいました。(不破『スターリン秘史1』p.228)

と説明している。これはブハーリンにも言えて、ブハーリンが妻ラーリナに暗記させた『党の指導者の未来の世代へ』という遺言的文書は、この立場で書かれている。

 無実のブハーリンを銃殺に追い込んだのは、スターリンその人である。

 そのことをなかなか見抜けなかったブハーリンは、自分の死刑執行人であるスターリンに救いを求めてしまったほどである。

エヌ・イが救いを求めたのは、自分の死刑執行人だったのだ! おそらく、その当時、つまり悲劇の瞬間ではなく、いまだからこのことは明白なのだと思われる。エヌ・イはそのことを理解していなかったばかりか、むしろ最初の頃には、信じがたいことであるが、恥ずべきカーメネフ=ジノーヴィエフ裁判も、スターリンが望まなければ、行われなかったとは考えもしなかったのである。この時までジノーヴィエフ、カーメネフ、その他のボリシェヴィキを十字架にかけたばかりか、彼らの口から自己告発と自分たちの同志たちを陥れる中傷を言わせたのは、他ならぬスターリンであったことが彼にはわからないはずはなかったのに、自己保存の本能がこの考えを追い払ったのである。「中傷者」、カーメネフとジノーヴィエフに対する理解しがたい怒りがブハーリンを引き裂いたにもかかわらず、それは決してスターリンには向けられたものではなかった。これら二人の政治家、とくにカーメネフに対する反感は深い根をもっていた。(下p.170-171)

 目の前で拷問や恐怖のために偽証をさせられている人たち(カーメネフジノヴィエフ)あるいはラスボスの手先(エジョフ)にどうしてもブハーリンは目を奪われてしまった。本当の自分の死刑執行人はその後ろにいたのに。

 

「党を撹乱・破壊する者との同調・結託者」というでっち上げ

 “党を外部から撹乱・破壊する分子と結びついてる内部のスパイ・同調者”という無理にもほどがあるシナリオを書き、意に沿わない人間の抹殺を最初から意図したのは、目の前の知り合いの幹部たちでもなく、党機構における小役人たちでもなく、狂気の道を歩みつつあった党の最高指導者そのものだったということ——ブハーリンはそこに対して、正確に反撃をすべきであった。

 “党を外部から撹乱・破壊する分子と結びついてる内部のスパイ・同調者”という無理にもほどがあるシナリオがブハーリンに結び付けられた。ラーリナは次のように皮肉を込めて書いている。

 〔…中略…〕ところが、裁判の告発の無恥さと荒唐無稽さは私〔ラーリナ——引用者注〕の予想を完全に凌駕していた。この裁判の創造者(残りの者たちは実行者であった)の犯罪的幻想は極致に達していた。いかなる犯人といえども、このような量の犯罪は生涯のうちになしうるはずがなかった。というのは、命が足りなかったばかりではなく、かならず最初のいくつかで失敗するに決まっていたからである。

 スパイ活動と破壊活動。ソヴエト連邦の分割と富農反乱の組織。ドイツ・ファシストのグループ、ドイツ諜報部、日本諜報部との結びつき。未遂に終わったスターリン殺害のテロルの企て。キーロフの暗殺。右派エスエル女性党員カプランによって行われたどころか、カプランの手はブハーリンの手であったという一九一八年のレーニンに対するテロ行為。病気で以前から仕事をすることもできなくなっていたメンジーンスキー、クーイブイシェフ、ゴーリキーの殺害。さらにはエジョーフ毒殺の試み(上p.47-48)

 誰が読んでもおかしいと思うかもしれないが、次々と「証言」が上がってきてしまうのである。もちろんある人は弾圧の恐怖から、また別の人は激しい拷問による自白からだ。あるいは、押収した家宅から全くのでっち上げの「文書」が見つかることもある。

 あるいは「自己批判しろ。自分が間違いだったと認めろ。そうすれば死罪だけは免れるぞ」「罪は軽減してやるぞ」という取調官の取引に応じてしまうこともある。

 被疑者は短い審理の場では一度には否定できないほどの無数の「証言」「証拠」に固められてしまう。

 あらかじめ周囲への工作を徹底して行い、固められ出来上がった「罪状」は、「党破壊・撹乱分子」との「同調・結託」という荒唐無稽と思われるようなシナリオ。

 そして、「自己批判すれば、罪を軽くしてやるぞ」という甘い誘い。*1

 

被疑者を罠にハメようとするスターリンの術策

 中央委員会総会でスターリン自身が、“除名なんかさせないさ”という甘いささやきに乗せてブハーリンに「自分の誤りを認めろ」とささやくように話す描写も紹介されている。ブハーリンは自分の生命を賭して抗議のハンストを始める。しかし、自分の「反ソ活動」だけでなく、ハンストまでが党への反抗として問題視され、中央委員会総会の新たな議題とされてしまう。

 会場に入ると、エヌ・イは立っていられず、目がくらんで倒れ、議長団席に通ずる通路の床に座り込んだ。スターリンが彼のところにやって来て、言った。

 「君は誰に対してハンストを宣言したんだ、ニコライ〔ブハーリンのこと——引用者注〕、党中央委員会に対してかい? 見てみろよ、君は誰かに似てきたぞ、まったく痩せてしまって。総会でハンストのことを詫びたまえ」

 「どうしてその必要があるんだ」とブハーリンスターリンに訊いた。「もし君が私を党から除名しようとしているんだったらね」

 生きながらえるだけのために、「遠僻の地」へ行く覚悟が生まれる時もあったが、エヌ・イは党からの除名を最悪の罰だとみなしていた。

 「誰も君を党から除名する者はいないだろう」とスターリンは答えた。付近に座っていた中央委員には気兼ねせずに、このように彼は相変わらず嘘をついたスターリンの言葉は確実に彼らまで聞こえた。きっと彼らはスターリンの言うことを真に受けたことだろう。「歩くんだ、歩くんだ、ニコライ、総会に許しを請うんだ、まずい振る舞いをした、と」

 偽善者というものは、誰もが自分の意思に服従することをどんなに愛することか! これらの言葉はブハーリンが逮捕される四日前に言われたものである。その時には、疑いなく「主人」は、彼の逮捕どころか、彼の銃殺までも、あらかじめ決めていたのに。

 ところが、ニコライはふたたびコーバ〔スターリン——引用者注〕を信じてしまった。そんなにやすやすと嘘がつけるとは考えられなかったのである。(下p.258-259)

 そして、ブハーリンは、自身のハンストを「謝ってしまう」のである。

 他にもある。

 ブハーリン(とルイコフ)を死刑にする、という古参党員がなかなか賛成できないような提案(エジョフの提案)を飲ませるために、スターリン自身がこの問題を話し合う小委員会に出て、「飲ませやすい修正案」を提案し、通してしまうエピソードが、和田春樹によって解説されている。

三十五人の委員のうち二十人が発言している。まずエジョーフが二人を中央委員候補から解任し、党から除名して、軍法会議にかけ、銃殺刑も適用すると提案した。するとポーストゥイシェフが解任除名し、裁判にかけるが、銃殺刑は適用しないと提案した。これは二人の死刑に反対するという勇気のある提案である。スターリンはこのポーストゥイシェフ提案に賛成が集まるのを恐れた。そこで、ブジョンヌイがエジョーフに賛成したあと、発言を求めて、解任除名するが、裁判にかけず、追放すると提案した。人々は混乱した。マヌイリスキーが銃殺賛成論を述べたあと、シキリャートフ、アンチーポフ、フルシチョーフ、ニコラーエワが銃殺反対のポーストゥイシェフに同調した。だがレーニンの妹で、『プラウダ』編集時代のブハーリンの代理であったマリヤ・ウリヤーノワはスターリン案に賛成した。これはスターリンの罠に落ちたのである。シヴェールニクが銃殺賛成論を述べたあと、コシオール、ペトロフスキー、リトヴィーノフがポーストゥイシェフ案に賛成した。そこでふたたびレーニン未亡人クルプスカヤがスターリン案に賛成する。コーサレフが銃殺案に賛成した後、ヤキールも「同上」だと書かれている。これがブハーリン未亡人が強く疑問を呈しているところである。最後はワレイキス、モロトフ、ヴォロシーロフがスターリン案に賛成した。

 こうしてエジョーフ案は六人、ポーストゥイシェフ案は八人、スターリン案は六人と分かれたのである。だが結論は、スターリン案を修正したもの、つまり、解任除名するが、裁判にはかけず、二人の事件を内務人民委員部に送ることになったのである。これは全員一致で決まったとある。こうしてスターリンブハーリン、ルイコフの死刑反対の気分を巧妙に抑え込んだのである原案の追放案の印象にかぶせて修正案をみなに呑ませたのである。修正スターリン案がエジョーフ一任案であり、実質的にはエジョーフ案であるのは明らかである。(下p.302)

 最も厳しい処分案では通りにくいので、みんなが「まあそれなら…」と思える処分案にしてしまい、「飲みやすくする」。そう油断させて、衆目が去った後で、こっそりと一番やりたかった措置をやってしまう。このようなスターリニストの奸計は、おそらくソ連だけでなく、現代でもいかにもありそうなことである。

 もちろん、スターリンブハーリンを陥れるために周到に仕組んだ罠としては、本書で紹介されている「マルクス・エンゲルスのアルヒーフ購入交渉事件」だろう。不破の本でも簡単に紹介されているが、本書では、ラーリナがこの交渉に直接同行したこともあって、そのでっち上げを暴くくだりがまことに見事である。

 

「道理なんかいらんのだよ、撃滅あるのみだ!」

 さて、本書でそれ以外にぼくが注目した部分についていくつか挙げておく。

乗客たちは猛烈な勢いで「裏切り者」に対する憎しみをぶちまけていた。

「なにも裁判なんかしなくていいんだ!」

「道理なんかいらんのだよ、撃滅あるのみだ!」

道理なんか唾を引っかけて、つまみ出すだけでいいのだというわけである。(上p.36)

 「犯罪者」の家族として移送されるラーリナが、他の「犯罪者」家族とともに、その列車の中で聞く声である。

 少なくない人にとっては裁判の細かい立証・弁論などは聴く機会がない。一方的に流される情報だけで鵜呑みにしてしまう。自分がどんなに弁論を用意し、どう考えても自分にしか道理がないと思われていても、それを聞いてくれない、「当局」の言っていることを信じてそれに身を委ねておけば間違いない、という世界があるのだとすれば、それはぼくにとってまことに戦慄すべき世界である。

 

弾圧者3人の人物評

 スターリンの大テロルを直接指揮した幹部(内務人民委員=内務大臣)は3人いる。

 ヤゴダ、エジョフ、ベリヤである。

 最終的には3人とも「粛清」、つまり銃殺されてしまう(うちベリヤだけはスターリン存命中には処刑されず、政争に敗れる形で殺される)。

 まさに「狡兎死して走狗烹らる」である。不破はこれをスターリンの「秘密主義」の現れとして紹介し、大テロルの全貌が明らかになるのを半世紀も遅らせた第一の原因として数え上げている。

 本書では、この弾圧執行責任者3人の評が載っていて興味深い。

 オーゲーベーウー=内務人民委員部の先頭に立った三人の人民委員(ヤーゴダ、エジョーフ、ベリヤ)のうち、エジョーフは労働組合官僚、際限のない熱狂者で、盲目的にスターリンを信じ、絶対的に服従した。彼は、レーニン世代のボリシェヴィキ有機的に結びつきを持たなかった。私が聞いたところでは、エジョーフは活動の最後の頃には、〈エジョフチシーナ〔一九三六—三八年のエジョーフの下での大量テロルをさす〕〉を堅持していなかったということであるが、すべてはすでにレールの上に行くように転がって行った。

 ベリヤは暗い経歴に持ち主であり、背信的真理の点でスターリンの仲間であった。

 ヤーゴダは彼らとは違って、職業革命家であり、一九〇七年以来のボリシェヴィキ党員であった。したがって、出世主義的魂胆で党に入ったのではなかった。それなのに、まさにめぐり合わせで党の同志たちを撲滅する基礎を置く役まわりになってしまった。彼にとってこの役目は、それほどたやすいものではなかった。ところが、強力なスターリン官僚主義的機構は不可抗力の龍巻となって彼を呑み込んでしまったのである。このためにヤーゴダは、とくに明瞭に人格の堕落、精神的変質の例となっている。

 それでも私は、ヤーゴダは悲劇的な精神的ドラマを体験した人物だという壁の向こうの隣人の考えに同感だった。彼は内部で抵抗しながら、徐々に堕落して行った。スターリンにとって彼は余計な人物となったが、それは自分の犯罪の証人であり、加担者であったからばかりでなく(ヤーゴダの抹殺はもっと遅らせることも出来ただろう)、彼がさらなるスターリンの巨大な犯罪計画にとって不適当になったからでもあった。スターリンはヤーゴダを通して、どのような犯罪を行ったのか、彼には内緒でどのような犯罪を行ったのか、いま区分けをすることは難しい。疑いのないことは、エジョーフとベリヤとの方がスターリンには組みやすかったということである。(上p.109-110)

 それぞれ、ヤゴダのようなやつ、エジョフのようなやつ、ベリヤのようなやつ、というのは現代のぼくにも思い浮かべることができる。

 有名なヤスパースの命題——「三つの性質がある。知的・誠実・ナチス的だ。これらのうち、合わさるのは常に二つであって、決して三つ全部が合わさることはない。人は、知的で誠実であってナチス的でないか、あるいは、知的でナチス的であって誠実でないか、あるいは、誠実でナチス的であって知的でないなのかのいずれかなのだ」*2がある。「ナチス的」は「スターリニスト的」と言い換えてもいいだろう。狂信的イデオロギーの虜というほどの意味だ。「知的でナチス的」なのはベリヤ、「誠実でナチス的」なのはヤゴダだろう。エジョフは「知的でナチス的」っぽく振る舞おうとしたが、「誠実でナチス的」だったということだろうか。

 

「僕と君はヒマラヤだ」

スターリンは、この時点ではまだ完全に自分の勝利を確信出来なかった。そこでブハーリンの機嫌をとろうとして、彼を自分のところに呼んで、こう言った。「ニコライ、僕と君はヒマラヤだ。残りの者(政治局員のこと——ラーリナ)はかすだ」と。政治局の定例会議で論争が続いた際に、スターリンに腹を立てたエヌ・イは、彼の偽善ぶりを明らかにしようと決心して、この言葉を暴露してしまった。激昂したスターリンは、ブハーリンに向かって叫びはじめた。「嘘だ、嘘だ、嘘だ!」と彼は怒鳴った。「政治局員を私に逆らわせようと仕向けているんだ」(上p.144)

 あー、俺、こういうこと言われたことあるなー。「僕と君はヒマヤラだよね! 他の奴らはクズだよね!」的な。何も返事しなかったけど。そいつは今コーバ……いや…もっと小物感ある…そう、ニコライ・イワーノヴィチ(←本書でいうとブハーリンじゃない、もう一人の方)みたいなことやっている。

 

有罪が確定していないのに、有罪確定扱いにするやつ

「ところがですね、あなたが流刑を忌避したいということであれば、『背水の陣を敷か』なくてはなりません」とフリノフスキー〔エジョーフの代理人——引用者注〕がつけ足した。

「何を言いたいんですか」と私〔ラーリナ——引用者注〕は警戒した。

「人民の敵としてのブハーリンとは絶縁すると新聞に発表するんですね」

「私に卑劣な提案をしてるんですね、私を侮辱するんですか」と私は叫んだ。

〔…中略…〕

「でも、取調べ中なら、取調べと裁判が終わるまでは、彼を人民の敵だと言う権利はないじゃありませんか」と私は言い返した。

 二人〔フリノフスキーと内務人民委員部の課長・マトゥーソフ——引用者注〕は黙り込んだ。(上p.249)

 有罪が確定していないのに有罪確定扱いして、ベラベラ言いふらす。

 そういう奴、いるなあ…としんみりお茶を飲みながら思ったものです。

 

いつまでも結論を出さない

一九三六年九月十日、新聞紙上にソ連邦検察庁の声明が現れた。ところが、それはエヌ・イが望んでいたものとは若干違った内容のものであった。そこでは、犯罪構成要件がなかったからではなく、刑事上の責任をとらせるための法律的証拠がないので、ブハーリンとルイコフ事件の取調べは中止されたと述べられており、このことはブハーリンの理解では、捕まらなければ、泥棒でない! ということを意味した。しかし、ともかくも立件中止と発表されたので、気が楽になった。ソコーリニコフとの対審のこのような結末がスターリンの判断であったことはもちろんである。事件のその後の展開は、それが「客観的な」取調べを誇示するための「主人」の戦略的ステップであったことを示している。(下p.192)

 いったん「ぬか喜び」のような「中止」の知らせ。

 しかしその後にブハーリンには逮捕・銃殺という地獄が待っていたのである。

 なんのためなのかわからないが、スターリンはこのような「ぬか喜び」のプロセスを踏ませているとしか思えないやり方をする。

 不破はディミトロフの日記から『スターリン秘史』を描いているが、スターリンブハーリン裁判で小委員会を設けてやる手口を「結論の慎重な出し方」の演出として解説し、それがディミトロフに「大きな感銘」を与え「スターリンが進めている『反革命陰謀』との闘争への信頼を深めたことは間違いありません」としている。

 ディミトロフは2月23日の日記に

ブハーリンの発言(むかつくような、哀れな光景!)

と書きつけ、中央委員会総会の締めくくりの日(3月4日)には

——討議。

——スターリンの結語(計り知れないほど貴重な助言)。

——総会の終結

 (本当に歴史的な総会だった!)

(不破『スターリン秘史1』p.275)

と「感動」を赤裸々に綴っている。いや、本当に「感動」したんだろうな。

 ディミトロフという大物も、すっかりスターリンの詐術にハマり、ブハーリンを犯罪者とみなし、スターリンの「細やかで丁寧な配慮」を賞賛しているのである。「計り知れないほど貴重な助言」? 「本当に歴史的な総会だった!」? はっはっはっ! そういうセリフ、どこかでよく聞くよ。かわいそうなディミトロフ!

 

 「結論に時間をかけている」というのは、何か政治的打撃があって遅れているのでなければ、より悲惨な結末に向かって、「丁寧さ」を演出するためのものでしかない。

 そして、何も知らされずに待たされる被疑者の精神的苦痛。

 それをこのラーリナの本書から痛いほど読み取る。

十月革命記念日のあと一カ月ほどは比較的静かに過ぎていった。彼〔ブハーリン——引用者注〕はふたたび編集局で「落ち着いて仕事をする」こともありうると考えていた。ところが、編集局からも中央委員会からも仕事のことは何に一つ連絡がなかった。エヌ・イは仕事をしようと試みた。パリへ行く途中にベルリンで買い求めたドイツ語の本を読み、抜き書きを作った。それらはファシズムの理論家たちの著書であった。彼はファシズムのイデオローグたちに反対する大作を描きたいと考えていたのである。それらのに、注目すべき十一月七日から日が経てば経つほど、ますます大きな動揺が彼を襲った。十一月末には彼の神経の緊張は、仕事がまったく手につかないほど大きくなった。(下p.200-201)

 この最後の一カ月は最もつらかった。しかしながら、エヌ・イが生きる希望を持っていた、相対的に心の晴れる瞬間があった。彼ら(ブハーリンとルイコフ)の「事件」はあまりにも延ばされ、逮捕はやはりのびのびになっていた。

 「どうかね、もし僕が遠僻の地に追放されたら、君は僕と一緒に行くかい、アニュートカ」と子供のような無邪気さで彼は訊いた。「ほんとうにコーバは全世界を前にして第三の〔「合同」本部裁判、「平行」本部裁判につづいて〕中世裁判をやるだろうか。僕には党除名だけは耐えがたい、生きながらえることは難しくなるものな。だが、仕事ならどこにだって見つかるさ、自然科学をやってもいいし、詩だっていい、経験したことを小説に書いたっていい、隣には愛する妻もいるし、息子は大きくなっていくだろう……。この状況下で僕はいったい何をまだ夢想してるんだ!」

 「遠僻の地だって私はあなたと行くわ、でもそれは虹みたいな夢想にすぎないんじゃないかしら」私はエヌ・イを落ち着かせられなかった。

 オプティミズムの閃光は長くは続かなかった。見通しはきわめてはっきりとしていたのである。

 エヌ・イは罠にかかったように自分の部屋で座っていた。最後の頃には風呂に入るのさえやっとの思いだった。(下p.230-231)

 でっち上げ裁判とはいえ、いつまでも結論が出ない。

 その間に待つ身は地獄である。精神をすり減らしていく。それ自体が拷問である。

 十分な審理をしているなら話はわかる。「ああ十分な審理や調査をしているな」というプロセスが目に見えて分かれば、逆に安心の材料になる。でっち上げの不当性が今に解明されるであろうという希望が可視化されるからだ。

 しかし、何も伝えられない。何を聞いても返答しない。

 そういう暗黒の中で隔絶されて、ただただ結論を待つ身というのは、本当に精神に悪い。一日として心から日々を楽しめる時はない。精神の拷問である。

*1:その誘いに乗って証言だけ取られて死刑になった人は少なくない。

*2:Spiegelの1965年11月号に掲載。加藤和哉によった。

カール・ローズ『WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』

 本書のメインタイトルであるWoke Capitalismは、簡単に言えば環境保護、人権、ジェンダー平等、人種差別反対などといった社会問題を解決したり、対処したりする「Woke」(目覚めた)な資本主義・企業活動を指す。サブタイトルではそれを「『意識高い系』資本主義」だと訳している(いい訳だと思う。ぼくはこの訳がなければ本書を手に取り、読もうという気にはならなかっただろう)。

 日本で言えば、岸田政権の掲げる「新しい資本主義」はその一つだろう。

www.cas.go.jp

 個々の企業で言えば、日本ではどんなものがあるか。

 まあ、例に挙げて申し訳ないが、例えばこういうものだ。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 この本をどう読むべきなのか。

 社会問題・社会課題に対処しようとする企業活動のあり方に対して、3つの評価の仕方があるのだと筆者(カール・ローズ)は考えている。

  1. 企業の進歩的な方向での変化
  2. 利潤追求という企業本来の目的を歪める左派への譲歩 
  3. 企業が経済領域を超え政治的民主主義を乗っ取ろうとする危険な兆候

 この3つである。

本質的には、2つの対立する立場がある。ひとつは、エリザベス・ウォーレンのような左派リベラルの立場から、企業は株主のことだけを考えるのではなく、社会の幅広い利益を純粋に、誠実に支援すべきだという意見に同意する立場である。もうひとつは、伝統的な右派の立場から、企業は純粋に経済的実体であるべきで、社会的・政治的問題に直接干渉すべきではないと考える立場だ。本書は第三の立場をとっている。すなわち、表面上はどうであれ、企業の進歩的政治への関与は民主主義を害し、実際には進歩を妨げているという見方だ。つまり、ウォーク資本主義に批判的であるということは、進歩的な政治を否定する必要があるということだ。

(カール・ローズ『WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』東洋経済新報社、p.337、強調は引用者)

 この3つに当てはまらないと思えるものがあるかもしれない。

 例えば「企業が社会の評判を上げるためにみせるポーズ・ごまかしだが、実際には社会問題の解決には役立たず、儲けを増やすだけのもの」というものである。

 3.に入る、もしくは3.の前触れとも言えるが、本書では1.の見解のなかに入っているといえよう(先ほどぼくが例に挙げたファミマの実践をめぐる評価は、どういう方向であっても1.に収まっている)。

 1.と3.は根本的に違う。そして根本的に違うことを警告しようとしているのが本書なのだと言ってもよい。

 企業のウォークな活動を、「ごまかしだ」とか笑い飛ばしたりとか、そういう所作自身が逆効果なのだとまでいう。社会や環境にやさしい企業活動のありようは「民主主義を害する」とはっきり警告しろよ、と本書はいう。

 企業が経済領域という企業本来のテリトリーを超えて、本来解決のできないはずの政治的民主主義の分野に入り込もうとするとき、民主主義が害されているのだ。

ウォーク資本主義は民主的な根拠に基づいて反対され、抵抗される必要がある。それは、公共の政治的利益がグローバル資本の私的利益によって、ますます支配されるようになってしまうからだ。この場合、企業資源の相当な部分が公共道徳を利用するために充当されるなかで、民主主義に問題が生じることになる。わたしたちの道徳性が企業資源として捕らえられ、搾取されるようになるため、企業の私利私欲を間近で見ることになる。(本書p.33)

 だけど…。

 あのー、ちょっと根本的な疑問を言うようだし、お前が読み取れていないんだろ、と言われるかもしれないのだが、これほど多くの文字やページを費やしながら、本書にはそのこと——企業のウォークな活動が民主主義を害してしまう、という例とロジックがあまり見当たらないのである。驚くべきことに。

 例えば、このようなケースでぼくがすぐ頭に思い浮かべるのは、「水道の民営化」の話である。

www.jcp.or.jp

 ところがそういう例はあんまり出てこない。

 むしろさっきあげた中途半端な例——「企業が社会の評判を上げるためにみせるポーズ・ごまかしだが、実際には社会問題の解決には役立たず、儲けを増やすだけのもの」みたいな話がたくさん出てくるのである。

 ロジックや論証についても、ウォークな企業活動が、「ごまかし」にとどまらず、どうして政治的な公共圏を乗っ取って、民主主義を害するほどまでになるのかという「論理」は、あまり本書では展開されていない。

 

 ぼくはむしろ、自分の身近なところで思い当たることが多い。

 例えば、福岡市では採算の取れないような地域でのバス路線の減便・撤退が相次いでいるのだが、それを埋めると称して、「オンデマンド交通」に民間事業を参入させている。

https://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/95133/1/chiikimukechirasi.pdf?20220329100526

 「えー? いいことなんじゃない?」と思う向きもあるだろう。

 ただ、住民の生存権=生活の足を確保するという国や自治体としての公的責任、あるいは、その付託を受けている公共交通事業者としての公的な責任は、それまで政治的公共圏の問題であり政治的な民主主義の領域の問題であった。だから、議会で審議されるし、法律でコントロールできるし、採算を度外視して公益のためにそれを改良することができた。

 ところが民間主体の「オンデマンド交通」になることで、採算性が重視され、住民=利用者の私的負担が大きくなり、公的な責任が大幅に後退する。採算が取れなければ住民負担が上がるか、最終的に撤退してしまうのだ。今の福岡市の「オンデマンド交通」にはそれでもまだ住民の意見を反映する仕組みが一定残っているが、個々の住民の生存権を保障するための政治的裁量は小さく、もし、さらにライドシェアのような「ウォークな企業活動」になってしまえば、もはや公的なコントロールの余地は極小になってしまうだろう。

jidounten-lab.com

 あるいは、福岡市にある九州大学の跡地を、企業活動の実験地にしてしまおうという構想(スマートイースト構想)などは、政府のスーパーシティー構想と揆を一にしていて、まちづくりの公共性を売り渡して、企業活動の食い物にしてしまうものだ。

globe.asahi.com

 

 …とかいう話を本書ですればいいじゃないかと思うんだが、本書にはその種の話は登場してこない。

 ナイキが人種差別反対を看板にしているけど実際には格差是正に何にもしてないんだぜ、とか、アマゾンは気候変動対策にカネ出しているとか言っているけど労働者の人権はメタメタだぜ、とか、「企業が社会の評判を上げるためにみせるポーズ・ごまかしだが、実際には社会問題の解決には役立たず、儲けを増やすだけのもの」タイプの話に終始している。

 いや…。「企業が社会の評判を上げるためにみせるポーズ・ごまかしだが、実際には社会問題の解決には役立たず、儲けを増やすだけのもの」的なエピソードを集めた本として読めば、たくさんのエピソードを知ることができる本だという評価もできるだろう。でもそれは本書の趣旨じゃないんじゃないかな。

 

 筆者のローズは、「ウォークな資本主義」が「企業が経済領域を超え政治的民主主義を乗っ取ろうとする危険な兆候」だと主張するために、1980年代のサッチャーレーガンの時代の新自由主義のころに広がった「企業の社会的責任」の欺瞞性を指摘する。

 企業の社会的責任やステークホルダー資本主義はそれ以前からあるが、新自由主義台頭下では全く変質してしまうのだと言う。それまでのコーポレートガバナンス論は、経営の民主化を視野に入れたものだったが、サッチャーの頃に株主価値を最重視する「株主第一主義」が席巻して変わったのだとする。

 ここには重要な分岐がある。

 「企業の社会的責任」、あるいは「ステークホルダー資本主義」、あるいは「コーポレートガバナンス」論などは、マルクス主義的に言えば、資本主義の中で育ってくる企業への労働者の参加、住民の関与、社会のコントロールの第一歩なのである。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 そういう意味では、例えばSDGsをめぐるブームを斎藤幸平は「現代版『大衆のアヘン』」などとメチャクチャ臭していたが、それさえ、進歩の一契機だとぼくは考えている。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 確かに、企業が「ウォーク」なフリをして政治の中に入り込み、政治的公共圏・民主主義を乗っ取ってしまうことがある。

 その意味で本書の、

ウォーク資本主義の現実に気づくということは、資本主義的企業が追求することを望む、あるいは追求することができる主要な利益に対して、ウォーク資本主義が根本的な真の変化を示していると信じ込まないことである。(前傾pp.337-338)

という警告は全く正しい

 しかし他方で、ウォーク資本主義が示す、社会の進歩的方向への萌芽については決して軽視すべきではなく、その中に新しい社会(社会主義)の萌芽があると見る視点も必要なのではないかと思う。

 

 

堀和恵『評伝 伊藤野枝 〜あらしのように生きて〜』

 今年は伊藤野枝が官憲に虐殺されて100年である。そのメモリアルのイベントも福岡市で行われる。

 

 伊藤野枝に関する本というものは、山のようにある。

 本書(堀和恵『評伝 伊藤野枝 〜あらしのように生きて〜』)は出版社(郁朋社)の賞である「第23回歴史浪漫文学賞(創作部門特別賞)」を受賞した。同賞のサイトのトップには「郁朋社は、より本格的に、新しい視点で歴史を解釈した作品を選考しています」とあるが、正直なところ本書が山のようにある類書の中でどのように「より本格的に、新しい視点で歴史を解釈した」のかは、シロウトのぼくにはよくわからない。

 だが、わからないシロウトであるがゆえに、本書の「どこが新しいか」についてはあまり考えることなく、伊藤野枝をほとんど知らない人間が読む伊藤野枝の評伝としての感想を少しだけ綴ってみたい。

 

 本書の末尾には、女性史研究者の鈴木裕子の一文が載っていて、本書の意義を次のように説明している。

本書は、実際にお会いした方がた、あるいは書籍・資料類で馴染みのある女性たちを著者の堀和恵さんが丹念にその足跡を追ってこられた点に特徴があると思う。「第五章 野枝の遺したもの」に収録された遺児たちの行方と人生についての記述は特筆されるべきである。(p.226

とある。実際に、辻まこと辻潤との間の息子)、伊藤ルイ(大杉栄との間の四女)やそのほかの子どもたちの足跡は興味深かった。子どもたちだけでなく、甘粕正彦(伊藤の虐殺者)の足跡も綴られている。

 辻まことに出会ったのは高校生の時で、「ユーモラスな現代」という詩であった(下図参照)。つけてある辻の絵の奇妙さもさることながら、韻文の形式で現代を風刺するというスタイルは遭遇しそうで遭遇してこなかったので、新鮮だったのである。

『高校生のための批評入門』筑摩書房、p,64

 二行目の「街道をはずれると化け物に食われる」以外は何を指しているかはわかるが、この二行目だけは具体的なものが想定されていない。解説にも「多様な解釈の可能性を残している。この一行は読者にまかされていると言ってもいい」とある。

 高校生のときはそれを読んで必死に「当てはまるもの」を考えたものだが、50を超えた今の自分になら本当に砂に水が染みこむように自分の中に入ってくる。

 今まさにぼくは「街道をはずれると化け物に食われる」状況にあるのだ。

 

 本書(『評伝 伊藤野枝』)では辻まことについて、こう書いている。

まことにとって大切なのは、「画家」になることではなかった。彼にとって大切なのは、〈自由に生きること〉〈自由に物を見ること〉であった。画家はそのための手段であったのだ。これは野枝も目指したものであった。野枝とまことは同じ方向を向いていたのだ。/まことは、彼独自の表現方法で〈自由〉を目指したのだ。(p.197)

 縊死によって自裁する辻まことの最期について、母親・野枝が官憲に絞め殺されて最期を迎えたことや、このような自由を求めた生き方に重ねて、「お母さん」と思ったに違いないと堀は想像している。

 その真偽はともかくとしても、伊藤野枝の生涯のテーマが〈自由〉だったのではないか、というのが堀の伊藤観である。女性解放——フェミニズムの先駆者としての伊藤は、自分という女性が自由に生きるためにはどうしたらいいかという模索だったのだと捉える。子どもたちにもその影響が少なからず残った、という意味でこの部分を書いているのだ。

 

 本書を通じて、伊藤の生き方や辻の生き方をみて「自由」についていろいろ考えた。

 高校で校則問題を考え、運動をしてきた頃から、ぼくの生涯の政治的テーマとして「自由」がある。日の丸・君が代の強制を拒否して成人式代表を下ろされたり、町内会の連合体の無理強いを拒否したためにいじめられたり、PTAに入らなかったり…はたから見ればとんだトラブルメーカーのように見えるかもしれない。

 このような「強制や抑圧からの自由」だけでなく、社会に対する無力さ=不自由さを克服し、自分の運命に自分から積極的に関与できるように、つまり自由をより拡大するために、自分としては組織に入り、組織を使い、社会というものに働きかけてきた。しかし、そうした組織が誤作動し、操作していた人間を傷つけたり、時には死に追いやってしまうこともあるのだと知る。

 他方で、人間関係、例えば家族や恋愛のようなものの自由についても考えることが多い。「性風俗やアダルトビデオに関与する労働者は、必ず性暴力・性的強制の犠牲者か?」とか「セックスレスになったときに一夫一婦制はどう機能させ続けるのが正解か?」とかね。

 

 そのような「自由」を求めた同志として、伊藤の生き方を、本書で読む。

 伊藤は自分の子どもにもその名前をつけたことからもわかるように、アナキストであるエマ・ゴールドマンの強い影響を受けている。堀はゴールドマンは伊藤にとって「人生の一大転機をもたらす人物」(p.62)だと評している。伊藤はゴールドマンの「結婚と恋愛」に基づいて、結婚による家庭にとらわれない男女関係について構想した。その核心的な概念が「フレンドシップ」である。

『フレンドシップ』には、当然ながら主従関係はない。契約だって必要ない。野枝はここから広がって、人間の集団に対する理想も考える。(p.149)

 そして野枝は、「友情とは中心のない機械」であるという。互いの個性を尊重しあえる友情こそが大事なのだ。夫、妻という役割を持つのではなく、互いの力を高めあっていくことこそが大切だという。

 ここまできてわかるのは、これが野枝の恋愛論であり、友情論であり、運動論でもある。労働組合の全国組織を作るとしても、そこに支配関係を作らせない。(p.150)

 「母性」についても、野枝は固定した伝統的な観念を超えて、より自由なかたちを模索している。そしてエマ・ゴールドマンの「自由母権」という言葉から自身の考えを深めていく。

 野枝は母となることは女の自由選択によるものであって、恋愛のよろこびの結果でなければならないとしている。もしその自由な母を貶めるものであれば、結婚は悪であり、女自身を売ることになる。妻という光栄よりも、母という光栄を私はとる、ということを野枝は主張している。(p.151)

 伊藤はフレンドシップ=友情を一つの人間関係の自由なモデルと考えたのだろう。昨今の若い人たちが「友だち」の間の人間関係に悩んでいるのを見ると、現代の人たちがこのモデルをすんなりと受け入れるだろうかとは思わなくはない。

 しかし、現代でも、例えばフェミニズムの立場から、創作物を見たり読んだりする際に、作品に描かれた「シスターフッド」(女性同士の同じ志を持つ形での連帯)を高く評価するのに出会うことがある。これはおそらく伊藤が理想としたモデルに近い関係に思える。

 家父長的な夫・妻の役割分担、組織体が持つ上級者・下級者の関係はもとより、男女の恋人同士——ヘテロ恋愛で前提となる男性の性的な欲望やそれに伴う偏見・確執・支配といったものからも自由であるような関係が「フレンドシップ」であり、現代なら「シスターフッド」という概念を採用したかもしれない。

 

 最近高松美咲『スキップとローファー』9を読んでいて、「人間・恋人」論争があったのを思い出した。

 

 

 主人公のみつみと聡介は付き合っていたが、別れてしまう。別れる時に「恋人」ではなく「人」としてどんな時でもつながっていられる関係になりたいといって別れた。その話を打ち明けられた迎井に、聡介は次のように言う。

なんでそこ恋愛に結び付けなきゃなんないのかな

オレはさぁ みつみちゃんのこと 人としてすごい好きなわけ

みつみちゃんがそうしたいなら「恋人」もできるかなと思ったけど

 迎井は聡介との間に「前提」が共有されていないようだと感じて解説を行う。

 聡介の考えている「好き」の「スゴイ」は 人>友達>恋人 の順である。

 迎井の考えている「好き」の「スゴイ」は 恋人>友達>人 の順である。

 迎井にとっては人として尊敬できることはまずベースにあり、その中でも特別性が「友だち」→「恋人」と上がっていく。

 聡介は、「恋人って性的な魅力があればジャッジが甘くなるでしょ」という。性欲が混じる段階でその関係を不純というか、動物的というか、価値のより低いものとしてみなすのである。

 現実の歴史の中では、性的な感情は欲望・打算・支配・抑圧・偏見などをしばしばセットにしてきた。だから、聡介が現実の恋人に一種の不潔さを感じるのはわからなくもない。「人」という抽象化を果たすことで、その不潔さから解消されるように思える。

 「あなたのことをオンナとして好きなんじゃない。人として好きなんだよ」という方が、確かに無数のジェンダーに縛られたこの現実社会では、貴重な告白のように見えないだろうか?

 伊藤が現実の夫婦・家族・恋愛に辟易した結果、「フレンドシップ」に真の自由を求めたことは、故なきことではない。

 ただ、「そんなふうに仕分けができるものかな」という思いも残っている。ぼくの中では性の匂いを消してしまった解決のような気がして釈然としない思いが残っている。

 

 このように伊藤を読むことは、伊藤の生き方を現代的な問題の先駆としてとらえることでもある。

 このような問題は他にもある。

 本書には紹介されていないが、伊藤の「無政府の事実」は相互扶助の町内会の良さを活写したものだ。

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 本書の中でも他に様々あるが、例えば廃娼論争はその一つであろう。

 現代でも「性売買は性暴力だ」「セックスワーカーの労働条件改善運動をすべきか」などの問題として取り上げられる。

 この問題で伊藤が青山菊栄と激しい論争をしたのである。

 論争そのものは感情的な文章になってしまった伊藤の負けだと世間的には認識される。それに対して、堀は伊藤を次のように擁護する。

この「廃娼論争」は一方的に率的な菊栄の勝ちとされているが、はたしてそうであろうか。野枝の発言は、売春をしなければ生きられない貧困層の人びとに、あまりに共感しすぎて論理的には破綻してしまった、ともいえるのではないだろうか。また、どう見ても惨敗としか見えない「論争」をあえて誌上にさらけだしたところに、野枝の率直さがあるのでは、と思える。(p.79)

 いずれにせよ、伊藤野枝についてはその書いたものや言ったことがそのまま現代でも通用するという角度ではなく、著作やその生き方も含めて、今の時代の先駆としてとらえて、現代の問題を考えるヒントにするという立場で接する。

 

 有名な日蔭茶屋事件もそうである。

 伊藤野枝大杉栄と関係を持つにいたるが、大杉は長年連れ添った堀保子と、やはり深間となった神近市子との多重関係に陥って、「自由恋愛三か条」なるものと打ち立てる。

一 お互いに経済上独立すること

二 同棲しないで別居の生活を送ること

三 お互いの自由(性的にも)を尊重すること(堀p.97)

 しかし評伝の筆者(堀和恵)からは

この三条件は、大杉の驚くほど無知な、男性中心主義のエゴイズムが丸出しである、といえる。また、多角関係に陥った大杉の、苦しまぎれの空論ともいえよう。(同)

と酷評されている。実際、この多角関係はいわゆる「日蔭茶屋事件」として神近による大杉への刃傷沙汰となって劇的に破綻する。

 この大杉の想定は大体近代においては強く批判されてきた。男の身勝手を体良く彩っているだけだからだということで。

 しかし、このような自由恋愛は、現代では構想し得ないものなのだろうか? あるいは条件付けをすることで成り立つのか(ポリアモリーやオープンマリッジのように)? などの問題として考えるきっかけにすることはできずはずだ。

 夫婦が合意の上で性的な自由を行使する「オープンマリッジ」って、大杉の構想に近くないだろうか。下図は多田基生『SとX  〜セラピスト霜鳥壱人の告白〜』3巻(講談社)からの抜粋だが、オープンマリッジを語る登場人物の口調・表情が穏やかで、作者がこの方式に高い肯定感を持っていることがわかる。

多田前掲書、kindle61/189

 

 伊藤野枝の中には完成された答えはない。

 自由を求める中で、現代の課題を先駆的に取り上げた人間として接し、本書をそのガイドとして使うのがいいのではなかろうか。つまり、上記のような論争を、現代でも行ってみる討議資料・テキストにするのである。

板倉梓『瓜を破る』

 ぼくのツイッターのタイムラインにはマンガの広告があふれていて、けっこうクリックしてしまう。

 『瓜を破る』はその一つである。Amazonの「おすすめ」にも上がってくるのだが、そのときは手に取る気にならなかった。やはりコマを強制的に読ませるというのが、マンガ好きにはたまらないのだ。

 『瓜を破る』を誰が描いているのかわからなかったが、読み始めて板倉梓であることに気づいた。板倉の作品は、『ガール メイ キル』と『間くんは選べない』くらいしか読んだことがない。好きな絵柄・作風なのに、出会う機会が少ないのだろう。

 

 『瓜を破る』は、32歳の女性・香坂(こうさか)が主人公だ。「人目を惹く美人てほどじゃないけど 部類としてはきれいめだよな」(登場人物による評価)とされる容姿だが、セックス体験がない。そのことはコンプレックスになっているのである。「破瓜」はもともとは女性の16歳を指す言葉らしいが、処女喪失を意味する言葉として使われることが多い(ぼくがこの言葉を最初に知ったのは筒井康隆七瀬シリーズだった)。

 

 

 香坂だけでなくそれをめぐる男女の物語のオムニバスになっているが、中心は香坂の恋愛である。

 処女であることのコンプレックスが真ん中にあるのかと思いきや、コピー機の保守に来ている陰鬱そうな青年・鍵谷(かぎや)との恋愛そのものが描かれていく。もちろんその中で処女であることは重要なテーマになるのだが、コンプレックスというよりむしろ恋愛経験のなさがそのまま不器用さとして現れ、「初々しい恋愛物語」として素直に読んでいる。

 

 何が面白いと思ってぼくは読んでいるのかなと思うのだけど、キスやセックスの過程を細かく描いて、それを登場人物の心理でレポートさせるのがまず何よりもいい。

 こういうのは、焦らせば焦らすだけいいとして、お決まりのようにキスやセックスに至らない・果たせないという描き方をする作品もあるが、『瓜を破る』は失敗はあるけど、ちゃんと物語・プロセスが進んでいくのがいい。すごくいい。

 最近「焦らす」マンガをいろいろ読むのだが、「どうせ今回もなんも進展せんのだろ」と冷めた気持ちで見てしまう。さらに、二人の間に恋愛・キス・セックスに至ろうという熱意・欲望がうまく描かれていないので(片方だけだったり、おざなりな描写だったり)、そういう作品にはもう「作者がカタにハメに来てんな〜」という気持ちしか起きない。

 

 この点で、『瓜を破る』の、香坂・鍵谷の恋愛は本当に素晴らしい。二人の欲望が告白、キス、セックスに必然性を帯びて向かっていく。特に「スキンシップしたい」という角度で欲望を高めているのが、ありそうでなかなか見られない描写だ。

 二人で映画を見ていても本当はキスしたい。食事している・デートしているだけだけど、本当はお互い去りがたい。このまま家やホテルに行って触れ合いたい。そういう感情がとてもうまく描けている。

 ぼくが好きなのは4巻。なりゆきでキスをしてしまう描写。

 キスをしながら鍵谷が

(そうか唇に力入れないほうがいいんだ)

(…すごくやわらかくて 触れちゃいけないとこな感じがするのに こんな)

ってするレポート、むちゃくちゃいいな。キスがどういう場合に気持ちがいいかを詳細に伝えてくれる。キスが快楽であることを鮮明に思い出させる。

…どうしよう きもちいい もっとしたい

という感情の「きもちいい」「もっとしたい」を説得的に示している。そのあと、キスがいやらしく、長く続く描写が強い快楽としてぼくに迫ってくる。

 セックスの初体験を描く6巻でも、初体験で起きる「痛み」をきちんと描く。

 痛みはどうにも美化しようがないように思えるが、「好きだから痛くてもあなたとしたい」という古典的・古風な恋愛感情でそれを乗り切ることが通例である。本作も香坂はそのように述べるのだが、失敗しながらお互いの欲望や感情をきっちりとていねいに描いてきてそこに至るために、この種のセリフがおざなりでなく、心からのものであることを読者は受け取るだろう。

 続きを楽しみにしている。

「ごん狐」におけるごんの行動や気持ちがなぜ地域に伝わっているのか

 新美南吉はぼくの生まれた愛知県の出身である。「ごん狐」があまりにも有名だ。 

 

 さて、そんな「ごん狐」について、昨日(2023年8月21日)付の「しんぶん赤旗」で、教育実践の報告記事があった(全日本教職員組合などでつくる実行委員会主催の教育研究集会における国語教育の分科会)。

小学4年生で「ごんぎつね」を読み合った授業を紹介したのは奈良県の入沢佳菜さん。物語の冒頭にある「これは、わたしが茂平というおじいさんから聞いたお話です」という文章を長い間「読み飛ばしていた」と話しました。この文章から、キツネの「ごん」の話が「村に伝わる意味」を考えたいと授業を組み立て直しました。

 なお、新美の原文では次のとおりである。

これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。

 なるほど確かに、ごんの気持ちは、兵十にはわからないはずだ。想像するしかない。

なのに、ごんの行動や気持ちがなぜ地域に伝わっているのかを考え合いました。

 これが問題設定である。

 子どもたちがどう述べたのかは詳細はわからないが、一部分は次のように報じられている。

「ごんを撃ち殺したあと兵十はごんのことをわかりたかったんじゃないだろうか」「わからないところをみんなで考えて、話をつくっていって、それが茂平さんに伝わり、茂平さんが『わたし』に話し、『わたし』が自分たちに話している」と子どもたち。

 

 「ごん狐」が正確にどういう話だったのかを思い出せない人もいるだろう。

 無料で原文が読めるので、参考のためにおいておく。

www.aozora.gr.jp

www.youtube.com

 

兵十が遭遇した客観的事実

 問題設定に付き合うとすれば、確かにごんの気持ちは兵十にはわからない。

 人間側にわかる客観的事実をつないで、その間を想像で埋めたに違いない。

 想像をさしはさまない、客観的事実は次のとおりである。

  • 兵十が母親のためのウナギを捕捉中に、キツネAにウナギを盗まれたのを兵十自身が目撃した。
  • 兵十の家の前にイワシが数匹捨ててあり、兵十は商品を窃盗したと思われてイワシの行商人から制裁の暴行を受けた。
  • 兵十の家の前に連日クリ・マツタケが置かれるようになった。
  • 「連日クリ・マツタケが置かれるようになった」事実を、兵十の友人・加助は「神様の仕業だ」と解釈を施し、兵十に話した。
  • 兵十の家に侵入したキツネBを兵十が射殺し、射殺されたキツネはクリを咥えていた。土間にはクリの山があった。連日クリ・マツタケを置いていったのはこのキツネBではないかと兵十は判断した。

 

 例えば「キツネA=キツネB」の根拠について、作中ではまともに書かれていない。

 そもそも兵十がキツネAを認識したのは

兵十が、向うから、
「うわアぬすと狐め」と、どなりたてました

というところだけである。「向こう」つまり一定の距離をもってキツネAを視認していることがわかる。遠いのだ。そのように遠くから見たキツネAを、最終的にキツネBと同一だと、なぜ判断したのだろう。「尾が短い」とか「黒い斑点がある」などの描写はないのだ。

  • 検察「あなたはキツネAをどこから視認しましたか」
  • 兵十「川上の向こうから…50mくらい遠くからです」
  • 検察「50m。50m先から視認できますか」
  • 兵十「…できると思います」
  • 検察「射殺したキツネBとウナギを盗んだキツネAがなぜ同一だと思ったのですか。尾が短いとか、黒い斑点があるとか、そういう識別のための何かがありますか」
  • 兵十「うーん…カンのようなものですかね…。家に火縄銃があったことからもお分かりだと思いますが、私は猟師も生業としておりまして、動物の個体識別にはかなり自信があります」
  • 検察「あくまで『なんとなく』ということですね」
  • 弁護人「異議あり。被告は『カン』だと言っているのに誘導しています」

というような感じか。

 また、射殺をされたキツネBがクリを持っていたので、土間に固めてあったクリはキツネBが運搬してきたのであろうことは一応根拠となる。ただキツネは肉食中心であり、「遊び」としてクリを山のように積んでいた可能性はないのか。クリやマツタケの前に兵十の家の前に散らばっていたイワシについても、キツネの仕業であることを立証するものは何も発見されていない。

 

 この全体をつなげて、一つのストーリーの原型を作り出せるのは誰か。

 「神様の仕業だ」というストーリーを作った加助の可能性もあるが、加助はウナギの盗難を見ていない。ウナギ盗難とクリ運搬を結びつけることができない。

 したがって、このストーリーを組み立てられる唯一の人は、兵十しかいない。

 だが兵十が話した素材を、加助がストーリー化した可能性はある。

 兵十がストーリーを作ったか、それとも兵十+加助か。

 

兵十は現場で「ごん、お前だったのか」と言っていないのではないか

 ぼくは、兵十の素材をもとに、加助が中心となってストーリーを作り出したと思う。

 「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さまのしわざだぞ」「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、神さまが、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」のような込み入ったストーリーの組み立てができるのはやはり加助ではなかろうか兵十は「えっ?」とか「そうかなあ」とかいうだけで、およそストーリーを組み立てる能力がなさそうなのである。

 

 ということは、たぶんキツネを射殺した直後、兵十は実際には

「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」

という有名なセリフを現場で言ってない可能性が高い。

 それは加助がストーリーに仕立て上げて、解釈を施した結果であり、民話として成立したのちに加えられたのであろう。

 

独り身をあわれむ

 神様があわれんでクリやマツタケを届けてくれたというよりも、同じ独り身であるキツネが同情してくれた、という展開の方が、身にしみる。ウナギを盗んで台無しにしてしまい、今際の際の母親の願いを絶ってしまった贖罪の意味が込められれば、なおさらである。

 兵十は今まで、おっ母と二人ふたりきりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。
「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」
 こちらの物置ものおきの後うしろから見ていたごんは、そう思いました。

  「ごん狐」において胸を締め付けられる箇所は、ラスト以上に、このような、ごんが兵十に対して抱く同情心の描写である。その同情は村人たちの同情そのものである。

 加助が仕上げたストーリーは、家族や縁者の相互扶助が一切期待できず、誰にも頼ることができない「ひとりもの」に対する染み入るような同情、そして連帯の気持ちから、村(共同体)において急速に広がり、継承されていったに違いない。

 

「ごん狐」が書かれた時代

 「ごん狐」が書かれたのは、福祉制度も社会保障もほとんどない1937年である。

 昭和恐慌、満州事変、日中戦争が日本の農村に打撃を与えた中で、この童話は書かれた。

 貧困対策法であった「恤救規則」では貧困層を全く救えずにこの体制が破綻。内務省の諮問機関が、対象を広げ、国・地方公共団体の公的扶助義務を明確にした「救護法」を答申するが、実現が頓挫しかかる。そこに、民生委員の原型である「方面委員」が運動を起こすのである。

1930年、全国の方面委員らが中心となって実施期成同盟会が結成され、議会への実施要望の陳情などの活動を展開し、天皇への上奏までを決意した。その甲斐もあって1932年1月から実施された。…地域において直接生活困窮者と接していた方面委員が組織的に活動を継続し、ついに政府を動かしたことは画期的なことであった。(井上圭壯・藤原正範『日本社会福祉史』p.8-9)

 「ごん狐」は

むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。

という封建領主がいた時代の物語である。むろん社会福祉などは一片も存在しない時代だ。 

 相互扶助さえ受けられぬ住民への憐憫・同情・連帯が、加助の作成したストーリーを広く村に伝え継承させた原動力になり、それを昭和恐慌に苦しむ辺境に住んでいた新美が民話として完成したのであろう。

 それが

これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。

と冒頭につけている理由である。どっとはらい

日米韓首脳会議の合意文書の中に解決の答えがある

 日本共産党志位和夫委員長の談話が、産経新聞の記事で切り取られて紹介され、ネットの一部で叩かれている。

b.hatena.ne.jp

 志位談話の全文は次のリンクを見てほしい。

www.jcp.or.jp

 

軍事ブロック強化、核威嚇、先制攻撃への組込みは正しくない

 中国が台湾への武力威嚇・武力行使をチラつかせ、北朝鮮がミサイル開発を進めることに反対するのは当然だが、それに対して軍事ブロックを強化し、米国の先制攻撃戦略への組込みの深化核兵器の威嚇・使用などで対抗するのは正しいだろうか。

 ぼくは正しいとは思えない。

 まさに、ロシアに対するNATO強化のような軍事同盟的対応が大破綻を招いた同じ轍を踏もうとしているように見える。まさに非常に危険な道なのである。

第5回中央委員会総会「参議院選挙必勝 全国決起集会」/志位委員長の幹部会報告

 ここで強調しておきたいのは、この構想は、ヨーロッパの教訓を真に生かす道でもあるということです。

 ヨーロッパでは、ソ連崩壊後、欧州安全保障協力機構(OSCE)というロシアを含めてヨーロッパのすべての国ぐにが参加する包摂的な枠組みが発展し、1999年には、欧州安全保障憲章をつくり、OSCEを「紛争の平和的解決のための主要な機関」と定めました。ところがOSCEの機能は生かされず、NATO北大西洋条約機構)諸国もロシアも軍事力によって相手の攻撃を「抑止」するという戦略を進め、「力対力」に陥っていきました。こうした外交の失敗が戦争という結果になったのであります。

 日本共産党が一貫して批判してきたように、今回の侵略の責任は、あげて国連憲章をじゅうりんしたロシア・プーチン政権にあり、軍事同盟の問題はロシアの侵略の免責には決してなりません。そのうえで、戦争という結果になった背景には、「力対力」に陥った外交の失敗があったことを指摘しなくてはなりません。この失敗を東アジアで繰り返してはなりません。排他的な枠組みによる「力対力」に陥るのではなく、地域のすべての国を包み込む包摂的な平和の枠組みをつくり、それを安全保障の第一に位置づけて発展させることこそ、ヨーロッパから引き出すべき最大の教訓があります。

 ぼくが指摘した「軍事ブロック強化」というのは、日米韓首脳会談のうち「日米間首脳共同声明」で打ち出された「日米同盟と米韓同盟の間の戦略的連携を強化し、日米韓の安全保障協力を新たな高みへと引き上げる」という部分である。

 ぼくが指摘した「米国の先制攻撃戦略への組込みの深化」というのは、やはり日米韓首脳共同声明のうちの新型迎撃ミサイルの共同開発に言及している部分である。18日の日米会談において滑空段階迎撃用誘導弾(GPI)の共同開発への日本参加が合意され、防衛省は「GPIは、我が国の統合防空ミサイル防衛能力の向上に資する」との見解を出した(18日)。

 「統合防空ミサイル防衛」(IAMD)はアメリカの先制攻撃を前提とした攻撃システムである。

www.jcp.or.jp

 そして、ぼくの指摘した「核兵器の威嚇・使用などで対抗」というのは、やはりこれも日米韓首脳共同声明における「米国は、日本と韓国の防衛に関する拡大抑止は強固であり、米国のあらゆる種類の能力によって裏打ちされていることを再確認した」という部分における「拡大抑止」=核抑止に言及した部分を指している。核抑止は核兵器の威嚇はもとよりその使用を前提とした戦略である。

 「軍事ブロック強化」「米国の先制攻撃戦略への組込みの深化」「核兵器の威嚇・使用などで対抗」——この3点は、志位談話でも強調されている。ゆえに、ぼくはこの件について志位談話の方向を基本的に支持するのだ。

  1. 「軍事ブロック強化」
  2. 「米国の先制攻撃戦略への組込みの深化」
  3. 核兵器の威嚇・使用などで対抗」

 中国や北朝鮮のやり方が危険であるとしても、日本が米韓とともにこの方向に踏み出すことが正しいと言えるだろうか?

 およそぼくには正しいとは思われない。

 志位が述べたように、ウクライナ戦争からまさしく誤った教訓を導き出して、誤った方向にひた走っているように強く感じる。

 ここで注意しておきたいのは、このような方向は一般的な「軍事対応」とは区別される、ということなのである

 産経新聞日本共産党があたかも一般的な「軍事対決」批判、つまり絶対平和主義の立場から批判しているかのように書いて、ミスリードを誘っているように思われる。ソーシャルブックマークに並ぶコメントはそのミスリードにまんまと乗っかっているのである。

 他方で、「しんぶん赤旗」の記事にも、一般的な軍事対応として問題を描いているような表現(「軍事対軍事」「軍事対決」)が見受けられる。志位談話の中にもあるが、上記のような方向性とセットで使うならありえなくもないが、同党は、自らの批判が「絶対平和主義からの批判」(つまりどんなことがあっても、たとえ防衛のためでも、軍事力使用には絶対に反対するかのような立場)と受け取られないように気をつけるべきだと思う。

 

対案としての包括アプローチ

 共産党の示している対案については、なかなか興味深い。

 ここでも一般的に「対話での解決を」というのではなく、なんと日本共産党は、日米韓首脳会議における合意文書の中にその答えがあるというのである。

 18日に日米韓首脳が発表した「キャンプ・デービッド原則」は、AOIPの主流化支持を打ち出した。

この地域への我々のコミットメントは、ASEAN中心性・一体性及びASEAN主導の地域的アーキテクチャーへの揺るぎない支持を含む。我々は「インド太平洋に関するASEANアウトルック(AOIP)」の実施及び主流化を進めるため、ASEANと緊密に連携することにコミットしている。

 志位談話はこの方向こそ解決の道筋であるとしている。その上で、このAOIPの方向と、日米韓による軍事ブロック化の方向が「矛盾」すると指摘するのだ。

3カ国の首脳は、東南アジア諸国連合ASEAN)の取り組みとその「インド太平洋構想」(AOIP)への支持をあらためて確認した。AOIPは地域のすべての関係国を包摂する平和の枠組みの提唱であり、排他的なブロック的対応の強化とは根本的に矛盾するものである。

 排他的なブロック的対応を強めるのではなく、対話を強め、地域のすべての国を包摂する安全保障の枠組みを推進することこそ、求められている。

 ASEANのようなやり方——すべての国を当事者にして合意をじっくり形成していくという方式は、正直言って「即効性」がない。じれったい。問題国をつけあがらせ、のさばらせているかのように思える「のろまさ」がある。

 南シナ海をめぐる中国と東南アジア諸国との紛争は、ようやく「南シナ海行動宣言」(2002年)に結実したかと思えば、それでは実効性が薄く、さらに「行動規範」への昇格をさせる動きを強めているが、なかなか合意に達しない。その方向が見えたのは今年の7月になってからである。

インドネシア外務省は13日、東南アジア諸国連合ASEAN)と中国が南シナ海における行動規範(COC)を策定するための指針について合意したと発表した。(日経2023年7月13日)

 それでも「策定するための指針についての合意」でしかないのだが…。

 しかし、NATO・ロシア間のように侵略戦争といった劇的な破綻の形をとることはない。外科手術のようなはっきりとした解決は望めない代わりに、漢方薬のようにジワジワ効く程度であることを「我慢」するしかないのである。

 

 中国をめぐる、日米韓同盟やFOIPのような「ブロック政治」と、ASEANが示したAOIPのような「包括的アプローチ」の関係は、ちょうどロシアをめぐる、軍事ブロック強化の方向=「NATO」重視と、ロシアを含めた包括的なアプローチ=「欧州安全保障協力機構(OSCE)」重視の関係に似ている。どちらの契機もあったのに、ロシア・欧州関係においては、軍事ブロックを重視する方向に傾いていってしまったために、劇的な破綻を遂げてしまったというわけだ。アジアにおける中国へのアプローチは、まさにこの過ちを繰り返そうとしているかのように見えるのである。

 日米韓首脳会議の合意文書の中には、この2つの契機がどちらも存在している

 しかし、自公政権が重きをおいているのは、圧倒的にブロック政治強化の方向なのだ。

 日本共産党包括的アプローチの方を強化せよ、と主張しているのである。

 

 包括的アプローチ強化のためにAOIPをどうすればいいかという踏み込みがさらに日本共産党には求められるであろうが、今の日本の方向はその前の段階。まずブロック政治強化の方向を根本的に改めろ、と志位談話は呼びかけており、それは正しいとぼくも思う。

 

 ましてや拡大抑止=核抑止の強化や、米軍の先制攻撃システムへの加担は、日本の政策選択として支持する余地は全くない。被爆国失格であり、売国的政策とさえ言えるのである。