強制や義務から解放された知

 娘の大学受験が終わった。

 もっと大きなつまずきがあって元気がなくなってしまう、という人生のルートもありえるかなあと思ってきたので、とりあえず、いまこの地点に「船」を着けられたのは親としてホッとしている。

 試験の最終結果はまだ出ていない。

 本当にどんな学校・進路でもいいとは思っているし、浪人も選択できるとは伝えているのだが、本人はかなり迷ったあげく「浪人はしない」と決めたようだった。

 

 試験が全て終わった後に、受験科目として日本史を選択していた彼女は、なぜか世界史の本が読みたいと言い出したので、それなら、といくつか提案しようとしたら本人は「山川の教科書が読みたい」と頑として決め、ネットで中古品を買い、届いて、いま声に出して読んでいる。独り言のように感想を言って、時々ぼくに議論をふっかける・疑問を出すスタイルが可笑しい。ぼくは思いつきのような答えを返すだけで、別に上手く答えられるわけではないが。

 あともう一つ、彼女が受験が終わったらやりたかったのは、「鎌倉殿の13人」を観ることだった。それは受験中からずっと言っていたし、終わってからもしつこく言われたので、アマプラに入り直して、今一緒に観ている。

 これが「強制や義務から解放された知」というやつだろうか。

 ああいいな〜 これだよこれ とか思いながら眺める。

 日本史の出題を時々手伝っていたけど、覚えることがぼくらの頃よりも本当に多いな、と強く感じる。いや、数字的な比較はしていないけど。暗記中心ではなく「探究」という形になったはずだが、まず事実を覚えることに苦労していた。

www.youtube.com

 他方で思うこともある。

 受験期にそういう知的好奇心をうまく活用して成績につなげてしまう子もいるのだろうが、娘はそこはあまり得手ではなかったようだ。

 「学ぶことは何歳からでもできる」とは言われるものの、「十代で、しかも受験と上手に接合できたらボーナスポイントがえぐい」と今更ながらに実感する。「五十代後半で芽生える知的好奇心」をぼく自身も体験しているが、ほとんどは実利的にはどこにもつながっていかない。知ること自身の楽しみを楽しみとして受け取るだけだ。

 いやもちろんいろんな資格は今からでも取れるのだろうが、たまたまその分野に知的好奇心が素直に芽生えるのは相当にレアなことだ(例えば今からでも司法試験は受けられるだろうし、今ぼくは裁判に切実な関心はあるものの、司法試験全体をカバーするような知的好奇心はまるでない)。

 それ以外の娘は今腑抜けたようになっていて、目の前で机の奥にしまっていた昔の「たまごっち」を無心にやっている。

稲垣公雄+三菱総合研究所「食と農のミライ」研究チーム『日本人は日本のコメを食べ続けられるか』

 1月11日付の「しんぶん赤旗」に小松泰信の書評が載っていたのをみて、ぜひ読んでみたいと思った。

 

 

 小松の書評は、本書が考える「コメ政策の課題とあるべき方向性」について

  • 農地の集積と農業生産基盤の整備
  • 経営体や人材の育成
  • データ基盤の整備
  • イノベーション実装の加速

をあげた上で

疑問点もあるが説得力ある展開で本書の目的は達成されたと予想した。

と書いた。まあそんなもんなのかと思ったのだが、書評はすぐ次のようにつなげた。

ところが途中の「日本の農村で、いま何が起こっているか」以降、世界が一気に変わることになった。

 おやおやと思って書評を読み進めると、

“日本のコメ農業は、一人ではできない”やコメ農業への参入は“コミュニティを背負うこととセット”というフレーズで、コメ農業と地域コミュニティの切っても切れない関係性を表し、「コメを作る農村の問題」はコメ供給の維持という問題以上に出口が難しいテーマと、正直に吐露する。正直なのは好感が持てるが、そこを入り口にして欲しかった。

と続く。つまりそここそもっと展開してほしかったと小松は思ったのであろう。

 なぜなら三菱総研は、「『農業の多面的機能の貨幣評価の試算結果』を世に出し、多大な貢献を果たした」(小松)そうだから、農業がコミュニティとの関係で経済や社会にどう影響を与えるのか、をまさに真正面から論じて農業の社会的な意義を明らかにしたという歴史を持っており、その真価を今こそ発揮すべきだろ? と言いたいわけである。

 そしてそういうアプローチをしないと「本書のタイトルは成就できない」、つまり謎解きの答えを出せない、と結んでいる。

 じゃあ、この本は失敗だね、とはぼくは思わず、むしろどんな本なのか興味をそそられ購入に至ったのである。

麦作に転用されている水田(福岡市)



第Ⅰ部:「令和のコメ騒動」を読み解く

 本書は3部構成である。

 第Ⅰ部は「『令和のコメ騒動』は、こうして発生した」というタイトルで、「令和のコメ騒動」がどういう問題だったのかを分かりやすく解説しようとする。

 「分かりやすく」というのは、「真犯人はこいつだ」という単純な決めつけができないことを、数字をひもといて説明する、という意味である。

 結論としては

今回のコメ価格高騰の原因は、単純に「需要に対して、供給が不足した」という理由以外には考えられない。(p.30)

とする。

 そしてこれは本書を読んでのぼくの理解であるが、

  • 2024(令和6)年8月の南海トラフ臨時情報(巨大地震注意)をきっけかに
  • 買い溜める行為が増え
  • それを「店頭にコメがない」という報道が増えることで
  • 「なくなって買う」から「なくなる前に買う」という家庭在庫が積み増しされ
  • 価格弾力性が低い=少しの供給減少が、急激な価格上昇をもたらすという特性を持つコメという商品のために

価格高騰が長引くことになった、というのが直接的な引き金だった。

 さて、これは「需要が供給を上回った」ことによって引き起こされたパターンである。

 他方で、2022・2023(令和4・5)年には「生産量減少」が起きていたとして、「政府が提示している需要量から28万トンも少ない量しかコメ生産が計画できていなかった」(p.61)ことを著者は示す。その具体的な計算は本書を見てほしい。

 …1960年代から続くこれまでのコメの生産調整政策の歴史の中で、農業関係者はすべからく「コメの生産を政策的に抑えている」と考えてきた。しかし、令和4・5年産については、政府が示す「これぐらい作ったらいいのではないか」という数量を、農家は「作ろうとしなくなっていた」「作れなくなっていた」と考えるべきではないだろうか。

 今回の需給ギャップ拡大が白日の下にさらされたきっかけは、酷暑などの気候変動問題だろう。しかしながら、その背景には、気候変動に対応しきれなくなったことも含めて、農家の基礎的な生産力・地力の低下があるのではないか。

 高齢化などより、その傾向はじわじわと強まっていたが、令和4年(2022年)あでのコメ価格の低下と生産コストの上昇という環境の中、酷暑が2年続いたことで、農家が頑張れる臨界点を超えてしまった。それが令和5年産の状況であり、その後の令和6年(2024年)のコメ騒動につながっていった。(p.62)

 小松の書評でもこの指摘を抜粋しており、本書としてコメ不足の背景を説明した箇所として考えられている。

 ただ、2023年には大幅なコメの価格の上昇は起きていないように思えるし(少し上昇しているが)、翌年の計算にこの部分がどう持ち越されたのかは、ぼくの読み落としだろうか、本書を読んでもよくわからないので、「それが令和5年産の状況であり、その後の令和6年(2024年)のコメ騒動につながっていった」という説明が今ひとつしっくりこないのである。

 あえてぼくなりに理解すればこうなる。本書を読めば2024(令和6)年8月以降のコメ騒動がもたらされた構造はそれなりに理解できる。ぼく流の言い方をすれば南海トラフ地震の臨時情報をきっかけにしたメディアの過熱報道で需要が過熱し、供給不足に陥った、ということだ。だけど、じゃあ一過性のものかと言えば、前年の供給不足で起きたことを見ると、コメ価格の急騰こそ起きなかったものの、もはや農家のコメを作る基礎体力は限界にきている、いつでもこの需給ギャップの拡大によるコメ騒動の再来は起こりうる…ということではないだろうか。

 本書のこの部分の記述は、農家の限界という話の部分はともかく、「流通業者が隠匿して大儲けした」などの世俗の議論に丁寧に付き合っている点がとてもわかりやすかった。

 また、基本的な事実であるが、ごはん1膳とパン1枚は同じカロリーであり、値段はコメ(28円→62円)よりパンの方(42円→48円)が安くなってしまったということも初めて知った。つれあいに言ったら「えっ…同じカロリー…? ああ、4枚切りっていう前提なのね」と言っていたが。

 

 また、農家が作った680万トンはだいたい半分がJA(農協系)、半分が農協系以外にまわり、JAに流れたコメがJA系の卸に行く以外は、JAを経て非農協系の卸・中間流通に行くのだということも知った。

第Ⅱ部:日本の戦後農業史の解像度を上げる

 第Ⅱ部はコメ生産・コメ政策の歴史と現状である。

 ここは手軽にそれを知れるものだ。

 例えば水田面積がどれくらいあって、ピークからどれくらい減少しているか。

 人口が増えてきたのにそんなに減ったら大変だろうと思うが、それなのに大丈夫なのは、1人あたりの消費量が減っているからである。

 次に農業政策・コメ政策の歴史を追っている。

 ぼくにとって意外だったのは、農業とは農業基本法(1961年)以後は農業人口も減り衰退の一途なのだろうと思っていたのがそうではないことだった。

 農業人口の減少はその通りだが、

しかし1985年頃まで、じつは名目ベースの農業総生産額は、一貫して増加し続けいた(p.81-82)

この時期、農業の現場で起こっていたのは、産業としての農業の衰退ではない(p.83-84)

のである。

 

コメ農家の生産性向上は、1ha程度であれば、土日だけでも十分、営農できる状況をつくった。結果的に、コメ農家を中心に日本の農業の担い手が、建業農家にほぼ固定化されていくことにつながった。(p.85)

 本書によれば化学肥料・農薬、農業機械、品種改良の普及などによる農業の生産性の向上、「緑の革命」が日本の農村にもあった。

 ぼくは父の生い立ちを聞き取りしているが、父が結婚したばかりの60年代初頭は例えば肥料をどう工面するかに相当悩んでいる。海からイシコ(ナマコの仲間)をとってきてそれを干して畑にまいたり、集落の草を争って刈って肥料にしたりしているのだ。

 父は事実上苗木の流通業者になったのだが、苗木(園芸作物)の生産者として「農家」でもあった。彼のビジネスは1970年代から上向きになり、80年代から90年代に隆盛を迎えた。ヤクザなどが取り仕切っていた縁日の苗木の時代が終わり、流通と小売が整えられていった。父の証言と

1970年代から90年代にかけての小売流通構造の変化、全国展開するスーパーの登場などを通じて、野菜などの園芸商品が全国流通になり、各地で園芸作物の産地形成が進んでいくことになった。(p.85)

という本書の記述は見事に付合した。

 

 7章の「GATTウルグアイ・ラウンド以降の日本の農業」はぼく自身が知りたいと思っていたことだった。

 一部の左翼の農業史観だとどうしても「日本の農業は輸入で衰退の一途」というだけになってしまうのだが、先ほど見たように、農業生産額もそうだし、生産総量も増加している。他方で、「1990〜2005年は土地生産性・労働生産性とも、はっきりと減少」(p.93)しつつ2005年から現在まで再び増加に転じているのである。

 特にWTOで日本の農業は一体どうなるんだ、輸入品に負けて壊滅するのではと言われていたけど、あれはどうなったんだろうという思いがずっとあったのである。

 本書のこの部分では、GATTウルグアイ・ラウンドやWTOがどのような国際交渉であったのかを端的に、わかりやすく教えてくれる。WTOが頓挫してしまい、そこに向けて準備していた日本政府の論戦の態勢、食料自給率論、農業の多面的機能論が「ある意味、無駄な準備・努力に終わった」(p.96)というのが本書の把握である。

国内政策的に見ると、流通自由化は進んだ一方で、生産側の政策はそれ以前のグローバル化前の政策を引きずったままであった。(p.95)

 これに賛同しない人も多かろうが、問題をとらえる一つの方法だと思った。

 著者は基本的に大規模化の推進論者である。多様な担い手という方向性ではない。したがって、戸別所得補償はこうした構造改革を妨げるものとして批判している(「かならずしも否定されるべきではない」ということも述べているが)。

 8章以降に、コメ政策が説明される。

 数字や仕組みなど詳しくは本書を読んでほしいが、生産量がどうやって決まるのかというその意思決定をざっくりと示している。

 ついぼくらは政府が上から目標をかぶせて、それで生産量が決まると思いがちである。しかし、

農家からすれば、国や都道府県の生産目標など、どうでもいい話かもしれない。結局は、「何をどう作れば、いちばん儲かるか」という話である。(p.122)

という。政府としては補助金のメニューをいろいろ用意し、水田で作る作物を転換したり休ませたりということも含め、農家がそこは選んで、その結果として生産量が決まるのだという。

 が、そう言いつつ、本書は提言をしている終わりの部分で「日本のコメ農業における地域コミュニティの重要性」(p.210)について触れている。

 自分だけ有機農業をやりたい、自分の会社だけの判断でこうしたい、と言っても簡単に通る話ではない、ということが書かれている。

 だとすればやっぱり、コミュニティとしての「圧力」で生産総量や分担も決まり、一人一人の自主性はなんとなくそれに引っ張られているのではないか、と思ってしまう。町内会の「圧力」を通じて、行政の意思を貫徹させてしまうようなものだ。

 小松の書評がこの問題に注目して、そこをもっと抉ってほしかったという趣旨の注文をつけているのは、慧眼である。

 

福岡市内の田んぼ



第Ⅲ部:食糧安保としてどれだけの水田を維持すればいいか

 第Ⅲ部では解決方向が提言される。

 これも詳しくは本書を読んでほしいが、著者は食料自給率論をあまり意味がない政策目標として批判する。

 だからと言って海外から買いつけろという立場でもない。「コメだけは『100%自給』すべき理由」を著者は説く。その上で、食糧安保として2050年時点で350万ha(うち水田100万ha)の耕地面積の維持を計算して主張する。

 そこにあわせて政策提言を行なっている。

 そうした提言そのものにぼくは賛同しているわけではない。

 しかし、そこに至るまでに著者が論じてきた材料は、農業を考える一つの切り口として、ぼくのような素人には役に立つことばかりだった。

 農業問題の入門書として、またコメの生産や流通の構造を簡単に知るガイドとして、さらに手軽なデータブックとして本書は活用できる。

江原慶『資本主義はなぜ限界なのか——脱成長の経済学』

 なんでこの本を買ったのか、を記しておくことは、たぶんちくまの編集者や営業の方にとって有益かもしれないので書いておく。

 まず『資本主義はなぜ限界なのか』というタイトルが問題意識に噛み合ったが、それを「脱成長の経済学」という斎藤幸平的な問題意識で塗り、さらにオビに「斎藤幸平氏絶賛!」「脱成長が不可能だって? 反証がある。この本だ」と煽っているので、うむ、そこまでいうなら読んでみようではないかという思いで手に取った。

 そして、著者が1987年生まれ、つまりまだ30代であるというのも気になったので、買ったのである。

 

「脱成長の経済学」=過渡としての「脱成長市場経済

 本書でいう「脱成長の経済学」というのは、斎藤幸平が「脱成長コミュニズム」だとすれば、それに至る過渡=「脱成長市場経済」を論じている。「脱成長コミュニズム」と「脱成長市場経済」は区別されているが、対立するものではなく、「脱成長コミュニズム」へ至るまでの橋頭堡なのである。

 

 「脱成長コミュニズム」は資本主義的な生産関係そのものを変えてしまうものだが、「脱成長市場経済」は資本主義の枠内にとどまり、資本主義のもとで生まれる「剰余」をどう「利他」として使うのかという範囲のものだ、と著者の江原は述べる。

 前にも書いたことだが、ぼくは搾取を廃絶するとはどういうことかを論じた際に、剰余の処分について、資本家階級がその使い道の決定を独占するのではなく、かつては排除された労働者階級をはじめ社会のすべての階級が参加して、その処分の方法を決めるようになれば、それは搾取が廃絶されたと言えるのではないか、と思っている。

 そうなると、その社会イメージは、江原が提唱する「脱成長市場経済」とほぼ重なっている。それが資本主義の枠内のものであるか、資本主義を脱したものであるかは、議論のあるところであろうが*1、まずそうした社会を目指すという点では、著者とぼくは一致していると思った。

利潤と蓄積(成長)の区別

 江原がマルクスを使って整理していることのポイントをあげれば、上記のこと以外に、「利潤(獲得)」と「成長」と「蓄積」の概念の整理である。脱成長は、利潤を上げることの否定のように思われているが、そうではなく、利潤を獲得する行為と、それを資本蓄積に回す行為は別のものであるとして、前者だけでは成長をしないことを江原は示す。資本蓄積が成長なのである。

 脱成長はそれを自己目的にしないことであり、

脱成長とは、単なるゼロ成長やマイナス成長のことではなく、資本主義経済における資本蓄積の抑制です。(p.124)

 このポイント(整理)を押さえた上で、本書が脱成長の具体的方法を示しているかといえば、必ずしもそうとは思わないし、そもそも新書で示せることでもない。

 ただ、斎藤幸平の「脱成長コミュニズム」では市場は果たして存在するのか、とか、利潤追求をする企業は存在できるのか、とかそういう疑問が湧いたのであるが、江原の本書が示す剰余の社会的決定という方向は、まさにぼくが示していた社会主義(搾取の廃絶)の方向だし、江原自身が

今の日本社会は、すでに剰余の少ない部分を、少子高齢化対策に振り向けているのです。…今の社会でも、剰余を社会の維持のために使う、利他的なしくみが動いていることにもっと意識的になってよいでしょう。(p.220-221)

と指摘している部分は、社会主義のパーツが資本主義の中に具体的に育っていることを示すものであり、次の社会が企業体や市場と共存しながら生まれ育っていることを明示している。この意味において斎藤とは違って現実的なのである。

 

 同時に、具体的な施策として興味を持ったのは、一つは資本主義経済における廃棄制約を再生産の中に組み込んでいくという試みである。

廃棄物処理過程を拡充していくことは、すでに見たように、価値の創出となり、したがって経済成長のプラス要因になります。経済成長を否定する立場をとる場合でも、このような廃棄物処理サービスの成長は認められるべきでしょう。(p.122-123)

 もう一つは、環境・社会貢献・企業ガバナンスを投資に織り込んだESG投資からさらに進んで、それを積極的に株価に織り込む「ESGインテグレーション」が紹介されていることだった。それをさらに進めて金融の活動を前提とした「脱成長インテグレーション」を構想できるのではないかという主張を江原はしている。

 

 このように、具体的なイメージをいくつか伴いながら、市場・企業・金融などの活動を前提にして現在の資本主義ではない経済を構想している。これは前述の通り、ぼくから見れば社会主義である。これならぼくも一定の賛同をすることができる。

 

本書の他の長所・欠点

 そのほかの、本書の書籍としての魅力、欠点をいくつか述べておきたい。

 長所の一つ目は、戦後経済史と経済学説史を簡単にふりかえるハンドブックになっていることだ。これはわかりやすい。

 二つ目は、その際にマルクスマルクス経済学)の有効性を確認していることである。また、戦後の日本におけるマルクス主義の発展を概観しているのも役に立った。

 欠点としては、途中に入る数式は、あまり必然性もなく、難しい印象を残してしまう。「マルクスの基本定理」として数式で搾取が証明されているというのだが、それは前提にすでに搾取を含んでいるからではないのか? あと、「企業経営者だって価値を想像しているのでは?」という著者自身が掲げた疑問に数式としては答えていないように思われる。

 まあ、飛ばしてもいいよ、というので、飛ばしたのだが。

 なお、以前書評したジェイソン・ヒッケル『資本主義の次に来る未来』でヒッケルが提示した整理、つまりトータルの成長を自己目的化せず、必要な分野のみの成長(蓄積)を選択的に目指すという整理は参考になるだろう。

経済成長を追い求め、それが魔法のように人々の生活を向上することに期待するのではなく、まず人々の生活の向上を目標にしなければならない。そのために成長が必要とされるか、必然的に成長を伴うのであれば、それはそれでよい。経済は人間と生態系の要求を中心に組み立てるべきであり、その逆ではないのだ。

 

*1:ぼくは「市場経済≠資本主義」という立場だ。

冬川智子『45歳の線香花火』

 最近の自分のマンガの読み方…と言っても意図的にそういう手法を選んでいるわけではないけど、結果的にそうなってしまう読み方として、「マンガで描かれている、登場人物の、ごく部分的な行動・決意・セリフに感じ入ってしまう・突き動かされてしまう・それを糸口に妄想を広げていってしまう」というのがある。

 もちろんそういう読みはよくあるし、自分も昔からしてきたことの一つだが、最近の女性マンガ*1を読んでいるとかなりそういうコマ・セリフ・シーンに出くわす。

 最近のぼくが読む女性マンガが、とみに女性としての人生を問い直すものが多く、そこには人生を刷新させるような、しかし、自分の行動や考えを変えることでそれを成し遂げていこうとするものが多いので、影響を受けやすいのだと思う。

 冬川智子『45歳の線香花火』はその一つである。

 東京のデザイン専門学校時代に仲の良かった3人がふとしたきっかけで会わなくなり、隔たっている間に募らせた思いが関係をこじらせ、再び邂逅したときにそのわだかまりは溶けるが、すぐにこじれた思いの報いが跳ね返る。しかし45歳になった3人は重ねた年齢と思索の中でそれをほどいていくのである。

 

 主人公・華子は45歳になって田舎で夫と子どもを持つ「平凡な主婦」になっている。華子は、専門学校時代に親しかったうららが小説家になって華々しい活躍をしているのをテレビ画面越しに見ている。何者にもなれなかったという自分を悔いているのである。

 華子はうららの小説にひどいレビューを書き込んでしまう。

 

 

 卒業以来久しぶりに会った3人は、嫌な気持ちで別れてしまった在学時の頃を乗り越えるように楽しくおしゃべりをしてプチ旅行をする。

 うららが「ひどいレビュー」に凹んでいることを愚痴るときに、それを見た華子は衝撃を受けるのだが、それは自分が書いたのだということを言い出せずにいた。別れ際にそれを書いたのは自分だ、傷つけてごめんなさいと謝るのだが、うららは怒り口をきいてくれなくなる。

 一転して奈落に突き落とされた華子だが、布団から起き上がって、自分のダメさを振り返り、なにか底をついたように「自分を変えたい」と思う。

 その後、華子は、直ちに行動を始める。

一個ずつ 自分のダメなところと 向き合っていこう

と決意するのである。

 いやあ…この「一個ずつ 自分のダメなところと 向き合っていこう」と言って、決然と車を走らせている華子の横顔を見ながら、自分に迫るものがあった。

 まず、華子が向かったのは母親のところだった。

 母親の自分の育て方に強い不満を持っていた華子だったが、「『母親』である自分を認めてあげるには自分の母親を認めることをしないと」と思ったのである。この思考方法は、わからないではないが、それ自体はぼくにはしっくりくりものではなかった。ただ、「母親」という役割をつまらないものだと思っている自分を「変える」ことを始めようとしたのだから、華子にとっては大きな「向き合い」だったに違いない。

 華子は母親に感謝の言葉を述べる。

 それが華子にとって「一個ずつ 自分のダメなところと 向き合っていこう」という行為だったのである。

 考えたことの中身は必ずしも共感できるものではない。

 しかし、自分にとって「一個ずつ 自分のダメなところと 向き合」おうと直ちに行動を起こした姿に強く共感した。

 

 ここ1週間ほど、なんだか自分を取り巻くいろんなことがうまくいっていないような気がしていて、それらがもつれ合った糸のように自分を取り巻いて、気分を重くしている。

 そういう時に「一個ずつ 自分のダメなところと 向き合っていこう」という言葉と行動が自分には実に腑に落ちたのである。なんだそんなことかと思うかもしれないが、ぼくは、そうだな、一個ずつほどいていくしかないような、という当たり前だけど大事な励ましをもらった気分である。

 

*1:女性の生き方を対象にした、たいてい女性が描いていることが多いマンガをなんとなく自分はこう呼んでいる。

高妍『隙間』

 『隙間』は、台湾の学生が沖縄の芸術系大学に短期の交換留学をしたことを描いたフィクションである。

 

 主人公は楊洋(ヤンヤン)という女性だ。社会運動の中で台湾についての歴史を学ぶうちに、台湾独立の主張や、国民党政権時代に弾圧された民衆の歴史にふれ、それらを知らないまま生きてきた自分の台湾人としてのアイディンティティが揺らぎ出す。また、同性婚をめぐる国民投票で世論が分裂するのを見て、やはり「台湾人」という括りが動揺する。
 これらを台湾のすぐ隣に位置し、よく似た境遇の島としての沖縄で生活する中で、「似ているところ」と「違うところ」を強く意識するようになり、その境目を行き来することによっていっそう激しい自己同一性の揺らぎを感じるようになる。

 しかし、これらは、自分とは別の何か「社会」を学んでそうなったのではない。
 楊は仲が良く敬愛していた祖母と一緒に暮らしていた。
 祖母は留学の前に亡くなってしまう。病気でやつれていった祖母の姿や祖母の不在は、台湾にいても自分自身がいるべき場所を失ったような痛みを楊は感じていた。
 同時に、楊は高校でいじめに遭っていた。
 学校は何もしれくれないどころか、いじめる生徒たちの側をむしろかばっていたのである。「抑圧される被害者」としての自分が、かつて弾圧され虐殺された民衆に重なる。
 このように、楊自身の「居場所」「抑圧」が、台湾の歴史と重なりながら、物語は進行していくのである。「台湾人としてのアイディンティティ」とは、楊にとっては自分史なのである。

 

暴力と尊厳

 だから、ぼくが本作を読んで一番印象に残ったのは、同級生たちからのいじめに突如暴力によって抵抗するシーンだった。([05]煙草を吸えない日々、第2巻)
 識字できない祖母を侮辱され、楊は同級生を押し倒し、鼻血を流させ、首を締め上げる。
 社会運動や社会変革において暴力はよくない、というのは全くその通りで、ぼく自身の信条でもあるし、本作でも事件の後に祖母に「忘れないで 怒りじゃ何も解決できないわ」という言い方で諭される。現実社会においてはぼくは全く祖母の味方である。
 しかし、物語におけるこの暴力の爽快感はどうだろう。
 追い詰められ虐げられた者の爆発が暴力として噴出し、加虐してきた権力の息の根をまさに止めようとしているシーンに、快哉を叫び、興奮をする。
 「追い詰められ虐げられた者」は「弱々しい無力な被害者」ではないのだ!
 抵抗し、相手と闘うことのできる尊厳に満ちた存在なのだ!

 台湾に逃げてきた国民党が樹立した政権下で、あまりの暴政に台湾の民衆は立ち上がり、最終的に弾圧された事件=二二八事件がある。二二八事件はそもそも長く「なかったこと」にされ、歴史叙述が始まっても、闇タバコをめぐるささいな事件が偶発的に暴発につながったかのように見なされ、「かわいそうな被害者」として描かれてきた。楊が参加した社会運動は、その事件を民衆の抵抗史として捉え直そうとしていた。
 この二二八事件の歴史認識と、楊の暴力は重なる。

 ぼくは、自分が受けたひどい暴力(ハラスメント)を思い出すときに、加害した相手に対して、想像の中で相当に凄惨で攻撃的な暴力を解放させることがある。「なかったこと」にされ、無力で尊厳を奪われた存在にされた自分が否定されるのだ。もちろんそれは一瞬だけだ。その妄想の一瞬の後に、虚脱や悔恨が襲う。

 

 

Jという存在

 この物語の中で、「J」の存在は特別である。
 Jは、初めて社会運動の現場に出かけた楊を案内し、楊をやさしく啓蒙した。「J」は運動におけるその男性のニックネームである。
 楊がやがてJに惹かれ、深間になる。
 Jには恋人がいる。しかし、Jがそのことを告げて楊を拒むことはない。Jは都合よく楊を利用しているようにも見える。楊はそのことを知りながら、Jと親密になり、沖縄に行っている間も、Jのことが頭から離れない。
 「Jには恋人がいるのに楊とつきあう」という点以外、Jは全く非の打ちどころがないほど爽やかな存在である。台湾や沖縄の歴史を語るJ。投票動向に激しく動揺する楊を落ち着かせるJ。高圧的だったり高慢だったりすることが一切ない。身近にJがいれば、きっとぼくでも強い好感を抱いたことだろう。
 Jを忘れるべきだと思って楊はJへの思いを必死で断ち切ろうとする。
 しかし、結局それはできなかった。
 Jを尊敬し、憧れ、惹かれたという歴史を消す必要はないのだ。だが、はたからみればなんともスッキリしない距離感のようにも思える。Jは糾弾もされないし、懲罰も受けないし、否定もされないからである。
 祖母の良かった頃を思い出すのと同じように、Jの良かったことを思い出として抱えていくというのはそんなに悪い選択肢だろうか、と楊は考えるに至る。
 それは複雑な気持ちで、複雑な歴史を受け入れることに似ている。

 こうして作品を眺めてきたにも関わらず、ぼくは楊のような不安定さに、不安を覚える。おそらくかつては自分もそういう誠実な不安のうちにいたはずなのだが、年をとって、早めに諦念や見切りをしてしまっているような気がする。だから、楊が沖縄で出会った友達とシスターフッドのようなものを育むシークエンスにもあまり共感できなかった。楊の定まらなさに、なんとなく苛立ちを感じてしまうのである。
 沖縄でできた楊の友達が岡崎京子リバーズ・エッジ』を持ち出しながら、この作品に救われた、と語ることへの想像のできなさと同じである。
 友達が楊に

人の不安ってね 時には“未来”からやってくるんだよ……

でも みんな“今”の方は見落としがちなんだよね

未来のことはまだ起こってないことなんだから

悩んだってしょうがない

けど私たちはこの毎日を精一杯生きていける……!

とつぶやくのは、全くその通りだと感じるが、そのことに深く共感したり教えられたりするのは、もう少し若い頃だったかもしれないと思ったりする。
 受験の絶壁の前でいたずらに遥か遠くの将来への不安を掻き立てている高校生の娘を見ていると、なぜそんな未来を見て不安を抱くのか? 今、目の前のことに集中することだろ? と苛立つのに似ている。

 

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

「大陸」と「中国」

 ところで、楊が台湾の高校で「大陸」と呼んではいけない(テストでそう書いてはいけない)、「中国」と呼べ、と指導される意味が初めはわからなかった。
 ぼくは初め、台湾政府は、正式名称は「中華民国」なのだから、「大陸」の方も実は自分の国の領土だと思っているのではないのか? それなのに、なぜ「中国」など公式に呼ばせるのか? と不思議に思ったのである。
 しかし、一番大きな錯誤は、現在では台湾政府は影には独立志向があり、自分たちを「中国」というより「台湾」だと認識しているからだということに気づいた。そして、本作の別のところで別の教師が指摘しているように、「大陸」というのは、ContinentではなくMainlandの意味であり、日本語で言えば「本土」のようなものであることに気づいた。その場合、本体が大陸側にあるということになってしまう。
 この独立した地域としての台湾という認識が、沖縄にいるときに、楊が「琉球独立」論に触れる足場にもなっている。
 社会・経済的な入り口ではなく、アイデンティティの角度から考えると台湾独立論、琉球独立論がここで登場するのはわかるし、しっくりくる。Jや祖母から離れる自分の独立と重ねているのである。

 最後に、片倉佳史『観光コースでない台湾』(高文研、2005年)で挙げられている台湾住民の「中国」、「台湾」という語の使い分けを引用しておこう。

 なおここで出てくる「ホーロー人」はもともと台湾に住んでいた人(本省人・ほんしょうじん)のうち、全体の73%を占める「福佬人」のことである。「客家(ハッカ)人」も本省人のいちグループで、「福佬人」の後に台湾にきた人々だ。また「外省人(がいしょうじん)」は、国共内戦を契機に中国大陸から台湾に移住してきた人々のことである。

 

 次に、きわめて一般的に使用されている「中国」や「中国人」、「台湾」といった語について、台湾の人々は、どのような使い分けをしているのだろうか。その例を、以下に挙げてみよう。

 

▼中高年世代のホーロー人の使い分け

 台湾——自らの祖国。そして、本来あるべき「国名」。

 中華民国——現実に台湾を統治している政府の名前。反感を持っていることが多い。

 中国——単純に中国大陸のこと。感覚的に異国であるというニュアンスも強い。

 台湾人——先祖が福建省南部出身であり、主に清国統治時代に渡ってきた人々の子孫。外省人は含まない。少数派である客家人や先住民は含まない場合があるが、これは近年変わりつつある。

 中国人——終戦後に中国大陸から台湾に移住して来た人々(=外省人)とその子孫。外省人一世に対しては「シナ人」という呼称を用いることが多い。また、現在の中国大陸に居住する人々も示す。なお、高年齢の本省人が自らを中国人と名乗ることはほとんどない。

 

▼中高年世代の外省人の使い分け

 台湾——中華民国の一省。現実性は低いが大陸奪還の拠点。

 中華民国——祖国。中国大陸から渡ってきた際、軍人や教員、公務員といった人々が多く、しかも長年少数派を強いられたために結束が強い。中華民国への愛国心は強い。

 中国——北京政府の存在は認めないが、その土地は祖国である。出身地が中国大陸にあるため、望郷の念は強い。ただし、統一(大陸奪還)の実現は難しいことを理解していることが多い。

 台湾人——中華民国政府の行政下にある台湾地区の住民。ただし、自身は含まないことが多い。

 中国人——中国大陸に居住する人々。台湾にいる外省人とその子孫。そして、自らを含め「中国」を祖国と信じる人々。台湾人も含まれる。

 

▼中年と若年世代がよく用いる関連語句の使い分け

 台湾——自国名。中華民国に一致。ただし、「中華民国」という名称に疑念を抱く若者は増えている。

 中国——中国大陸。または広い意味での中華文化圏(台湾を含むこともある)。中華人民共和国のことは台湾と区別しており、「大陸」と呼ぶことが多い。

 台湾人——現在、台湾に住んでいる全住民。ここでは本省人外省人の区別が曖昧で、また、客家人や先住民の人々についても含まれるが多い。

 中国人——中華人民共和国のこと。自らここに含むことはほとんどない。ただ、時には同じ文化圏に属するという意味で台湾住民を中国人と呼ぶことがある。また、中年世代は国民教育の影響を受け、「中国人」を名乗ることがある。(p.46)

 ただ、これは2005年、今からもう20年も前の記述である。

 2018年に書かれた水野俊平『台湾の若者を知りたい』(岩波ジュニア新書)の記述も載せておこう。本作2巻の楊・陳・李の3人の対立の理解にも役立つだろう。

「中国人」と見られることを嫌がる台湾人も多く、「中国人ですか」と尋ねると、「いいえ、台湾人です」という答えが返ってくることもよくあります。台湾人がこのような反応を示す背景にはとても複雑な事情があります。

 現在、台湾に住んでいる人々は、「原住民」を除けば、明・清の時代に中国大陸から渡って来たり、大陸の国共内戦(後述)の前後に中国大陸から渡って来たりした人が大部分です。前者は数百年前の話、後者は70年前の話です。しかも、現在、台湾に住んでいる人々の大部分は台湾生まれ・台湾育ちです。こうした人々が中国大陸に郷愁や愛着を持つことはありません。しかも、中国大陸を統治しているのは共産党であり、この共産党による一党独裁という体制は、台湾の人々には到底受け入れがたいものです。(p.15)

 しかし、もともと台湾に住んでいた人々からしてみれば、「中華民国」や「国旗」「国歌」などは大陸から中国国民党によって持ち込まれたものであって、自ら選択したものではありません。確かに日本の敗戦後に大陸から台湾に移住してきた人々にとっては、「中華民国」は自らの国家体制で、心のよりどころでした。ただし、時代の流れとともにこうした意識は薄れつつあり、現在では自らを「中国人」ではなく「台湾人」と認識する人々が多数派を占めています。しかし、現在でも「中華民国」という政治体制をめぐって、台湾人の中には微妙な対立があります。中国大陸をどう認識するか、「中華民国」を否定して「台湾」として独立すべきかどうかについては人によって大きく意見が分かれます。これは、若い世代でも例外ではありません。(p.17-18)

 また、二二八事件が、本作で出てくる意味が少しわかりにくいかもしれないのだが、この事件は台湾が大陸的なものへの反抗をした事件、つまり台湾独立運動の起源として考えられているのである。

 井尻秀憲『激流に立つ台湾政治外交史』(ミネルヴァ書房、2013年)を少し紹介しておく。

 台湾の住民はその後の中華民国時代への編入に期待した。しかしながら、「犬(日本人)を追い出したかと思うと、やって来たのは豚(中国人)」だったという言葉があるように、大陸から来たみすぼらしい軍人は、蒋介石が派遣した外省人として、台湾人に圧力を加える「野蛮人」であった。台湾住民の期待と希望は、まったく裏切られたのである。

 ここで、台湾独立運動の起源となった一九四七年の二・二八事件に触れてみよう。…李登輝によると、二・二八事件は国民党政権による台湾人弾圧であった。(p.2)

 

 本作は、ぼくから見ると主人公の若さ・青さにあてられた感じになった。

 ただ、台湾のこと、台湾と沖縄・日本のことを考えさせるきっかけになった作品であることは間違いない。

 

もりぐちあきら『やめろ好きになってしまう』

 それほどイケてない男子高校生(松浦)に、からんでくる女子(厳木・きゅうらぎ)の言動の一つひとつが、実は自分に対する好意ではないかということを確信させられていくマンガが本作である。

 類書はいろいろある。

 距離がだんだん縮まってくる、というのがセオリーだと思うのだが、本作で厳木が縮めてくる距離は本当に「一気」であって、もうそれは「好き」って言ってないだけだろというほどに近い。

 1巻では

  • 一緒に帰ろうと言って一緒に帰る
  • 抱き合っているラインスタンプで「友だち」になる
  • 1時間40分夜に電話する
  • マフラーを巻き合う

という具合。

 「は? あなたのことそんなふうに全然思ってないんだけど?」と言われないようにするための心の防御線を明らかに踏み越えている好意の寄せ方をされ、これはもう93〜97%(当社比)の確率で好きだろ、と言わざるを得ない、まさに「やめろ好きになってしまう」アクションの連続をされる。

 ふつうそのような好意を向けられる理由を作者は描きたがるものであるが、少なくとも現時点でそうした必然性は一切展開されない。クラスの陽キャ女子がなぜか自分に好意を向けてくれているのであるが、不思議なのは読者たるぼくらはその理由開示を求めようともせず、このような物語を唯々諾々と受け入れているということである。

 こんなに一気に距離を縮めて物語にしても大丈夫なんだ…と我ながら読者としてびっくりする。

 そして、今のところ、少女マンガの展開によくある、ライバルや困難イベントはほとんど発生していない。読者のツッコミにあるように、むしろ作者や編集がそういう障害を持ち込もうとするのを極力警戒しているほどである。

 

 この作品の良さは、一つは画力。画力はご覧の通りで「洗練」されていない。

もりぐちあきら『やめろ好きになってしまう』1、集英社、p.136Kindle

 そしてもう一つはイベント。二人の間に起こるイベントは、ありきたりでイモくさい。

 だけどその「洗練されない画力」と「ありきたりでイモくさいイベント」の雰囲気が高校生(というかどちらかといえば中学生)時代を思い起こさせる。作り込んでいないのだ。高校・中学時代の感覚のまま物語を見せられているような気になるのである。

 

 …って五十超えたおっさんが夜中に必死でブログに書いてるのはたいがいヤベーな。

 

否定疑問文と『アーロン収容所』

 森沢洋介『スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング』をやっていると、否定疑問文の例文がほぼ毎回出てくる。

 

Isn't this book difficult for you?

(この本はあなたにとって難しくないのですか?)

No, it isn't.

(はい、難しくないです。)

 

Don't you like animals?

(あなたは動物が好きではないのですか?)

Yes, I do.

(いいえ、好きですよ。)

 

 日本人だとつい「Yes/No」を逆に答えてしまいたくなるやつ。

 そんなの、昔英語の勉強でやったなあと思い出しつつ答える。

 何度もやることで、体に覚えさせようというのだろうが、数ある例文の中でも実にしつこく登場する。確かに覚えてしまう。

 最近東京に行く機会があって、久しぶりに神田の古本屋街をめぐった。

 その時、店先で100円で売られていた会田雄次『アーロン収容所』の中公文庫版を買った。

神保町(26年1月紙屋撮影)

 

 ビルマ終戦となり、武装解除を受けてイギリス軍に抑留された記録である。

 過酷な状況なのに、文章全体に諧謔みがある。

 この中に否定疑問文ではないが、Yes・Noが逆になるのを間違えてえらい目に遭う話が出てくる。

 イギリス軍の食糧を、イギリス兵自身がちょろまかしにくる。捕虜となった日本兵が食糧の集積場所の門衛をしているのだが、イギリス兵は「Not keep out(何も記入するな)」と日本兵に命令して持ち出していってしまうのである。

あるときイギリス兵が自動車に乗ったまま「記入するな」と怒鳴った。それに対して私たちの(日本の)小隊長は「イエス」と答えてしまった。すると奴さんは驚いてとんで来て帳面を見ている。「ノー」と言うべきだったのだ。小隊長はそれに気付いたが慌てていただので「イエス、ノー、ノー」と言った。しかしこの省略日本英語は通じない。納得させるまで大分かかってしまった。(p.104)

 ちょうど勉強している話だなあと思いながら読んだ。