紙屋高雪×斎藤美奈子トークイベントの内容の一部を「じんぶん堂」で公開

 先日のぼくと斎藤美奈子さんのトークイベントの一部が、朝日新聞「好書好日」の特設サイト「じんぶん堂」で公開された。

book.asahi.com

 当日の様子は、ぼくのブログでも別の角度で紹介している。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 

 

 

宮崎市内の池(紙屋撮影、25年12月)


 若い頃、「批評とはどういうものだろう」と思って、平凡社の『改訂新版 世界大百科事典』を読んだことがある。その項目は加藤周一が執筆していた。

 批評(または批判)を意味するクリティークcritiqueの語源は、ギリシア語のクリノkrinō(判断する,裁く)に由来する。A.ラランドの《哲学辞典》によれば、批評とは,ある一つの原理または事実を評価するために検討することである。批評的精神とは、いかなる命題も、みずからその命題の価値を検討することなしにはけっして受け入れない精神である。

 これはぼくが本(『正典で殴る読書術』)で書いたこととも合致する。

 ヨーロッパ語では,批評という語の形容詞(たとえばフランス語のクリティークcritique)は、名詞と同じ意味のほかに、〈危機的〉という意味に用いられることが多い。この用例もまた日本語にはない。しかし、批評の機能と〈危機〉との間には事実上の関係がなくもない。〈批評的〉と〈危機的〉という日本語では二つの形容詞が、ヨーロッパ語の場合に1語によって代表されているという事実は、おそらく注意に値するであろう。要するに批評とは、(1)ある一つの原理、または事実。または命題などを検討することであり、(2)その検討は評価に関連するといえるだろう。したがって最も典型的には、(3)いったん樹立された価値の再検討としてあらわれる。そのような価値の再検討が大規模に行われる時代は、危機的時代である。

 日本共産党について、あるいは日本や世界の現代について、このような〈批評的〉=〈危機的〉という把握を、ぼくの本でも行っている。

 批評精神は、特定の価値の体系が危機に臨んだときに活動的となるから、批評精神の歴史とは、危機的時代の歴史であるということができる。…市民社会が世界大戦によって危機を自覚するまで、その根本的な原則に対する批評はなかった。根本的な批評は、第1次大戦とロシア革命以後に始まる。マルクスエンゲルスは19世紀の半ばに《共産党宣言》を書いたが、ヨーロッパがその意味を理解しはじめたのは20世紀に入ってからである。現在、市民社会の原理とその基本的な価値に対する批評は、社会主義(ことにマルクス主義)において最も徹底している。

 社会主義は近代の最も徹底した批判者であった。しかし加藤はその批評精神が「社会主義社会」、つまり旧ソ連・東欧、そして中国などで失われていると考えた。

 社会主義社会での批評精神の歴史については詳説できない。しかし、市民社会に対しては最も徹底的な批評立場であるマルクス主義が、社会主義社会では急速に教条化し固定したために、批評的機能を著しく失っているということはいえよう。

 しかし今や、その喪失は、資本主義(市民社会)のもとでの社会主義者共産主義者たちにまで及んでいないだろうか。そのことを拙著では問いかけた。

 

 〈批評的〉=〈危機的〉、「いったん樹立された価値の再検討」としてとらえ、渡部直己の『日本批評大全』を読んだ時にもそのような把握があったのを思い出した。

欧米語が広く共有するその多義性を活用変奏して、しばしば口にされるように、「批評」は、何事かの「危機」や「臨界」の異称として生起する。ひとつの社会や共同体や個人、しかじかの感覚や思考や表象の安定した秩序や規範が危機に陥り、ある臨界点に達しようとする。新たなもの、より良きものへむけて、その動揺の生気をこそ呼吸するもの、あるいは、進んで動揺をもたらすものが、「批評」と呼ばれる力なのだと、人はいう。その批評的=危機的(クリティカル)な力動。それがすべてとまでは断じぬにせよ、わたしもまた、久しくこの等式を重んじてきたし、いまも尊重している。したがって逆に、何事かの内閉的な安定にたいして和解的なものや、追従的・補完的なものは、別にどんな名をもとうが勝手だが、少なくとも「批評」の一語だけは無縁な代物である。(渡部前掲、河出書房新社p.637)

 

高市首相の「働いて働いて…」の流行語大賞受賞に思うこと

 今年の流行語大賞高市首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」に決まった。

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 「なぜこれが?」という思いがよぎるが、選定側は、まず「高市政権ができ、高支持率が続いている」ことが日本の「流行」をそのまま表しているという思いがよぎったのだろう。そうだとすれば高市にまつわるものならなんでも良かったのかもしれない。

 

 しかし「存立危機事態」を選ぶと、その受賞自身がかなり危険な意味合いを持ってしまうので、そこまで影響が大きくなく、ポジティブさとネガティブさを併せ持って、それなりに人口に膾炙したこの言葉選ばれたのだろう。

 



 ん?

 「そこまで影響が大きくなく」?

 「ポジティブさ」?

 自分で書いておいて、そうかなあと思う。

 

 高市は受賞のスピーチで、この言葉で働きすぎの奨励とか長時間労働を美徳とするような意図はないと言い訳した。しかし、自身が労働時間の上限規制の緩和について指示を出しておいて、さすがにその言い訳は厳しい。

toyokeizai.net

 しかも、最近、「最低賃金時給1500円」が政権の目標から姿を消した。物価高で少しでも手取りがほしいこのご時世で、賃金が上がらないのであれば「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」となるしかない。ここでも高市の言動は、ナイーブなものではいられないのだ。

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 そういう政治情勢と雰囲気の中であるから、流行語大賞に選ばれたから、あらためて市井で軽口のようにして使う人もいるだろう。

 帰れない職場で「いやあ『働いて働いて働いて働いて働いてまいります』だからな〜」とか。あるいは定時で帰る写真に「おい、もう少しやってけよ。『働いて働いて働いて働いて働いてまいります』とは言わんけど『働いて働いてまいります』くらいは」的な。そして、そうやって日常の中に長時間労働を許してしまう空気が小さく、少しずつ醸成されてしまうのではないか。

 受賞はそこに一役買ってしまうのである。

 

 だからこそ選定側にはっきりした批判的コメントがほしかった

 やくみつるや神田伯山のコメントが朝日新聞の記事で紹介されていたがそこがはっきりしない。

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 ぼくが2018年に上西充子法政大教授とともにトップテンを受賞した「ご飯論法」のときはさすがにご飯論法を使って悪いことをしてやろうという雰囲気を助長することはできなかった。当該の行為と言葉の性格上、そういう悪用が難しいのである。むしろ政治家がそのような狡猾なレトリックを使うことに名前を与え、注意喚起をする役割をいくばくかは果たせた。

 

 だが高市発言のような性格の言葉を流行語大賞に選定することは、それが皮肉な受賞であり、警告であると受け止められるなら、むしろ積極的な役割を果たすと思うけど、選定側がその明確な役割を与えて世に放たないと逆に有害な空気を醸成してしまう。だから現状のままでは、これは「長時間労働のススメ」でしかない。

原夏見『彼女たちの式典』

 先に紹介した『友達だった人』は、「友達」と呼ぶのがためらわれるようなSNS上だけのつながりを「友達」と呼ぶ話だった。

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 それに対してこの原夏見の作品『彼女たちの式典』は、冒頭に

何年も会ってない

会う必要もない

だから

“友達”

と言うには

難しいけれど

とある。「友達」という概念の湿っぽさや熱さから逃れたい…というか違和感のある関係だと考えたいのである。

 5人の女性は、高校時代の部活(バスケ)の同期で

それぞれ世界観違うっていうか…

部活やってなかったら

まぁ関わらないメンバーなんだよね

と自己規定したくなる関係なのだ。

 それがメンバーの一人の結婚式を契機に再び集まるというお話である。

 作品はオムニバス形式である。

 ぼくはそれらの中で、最も「美人」で「才能」があると周囲から思われている近江さくらの話が印象に残った。

 

近所の福岡市総合図書館(25年11月、神谷撮影)


 近江は、「『美人』で『才能』があると周囲から思われている」がゆえに、「美人」「才媛」というカテゴライズ・役割で扱われ、何よりも性的な存在として一方的に見なされ、その被害や抑圧に苦しんできた。

 そういう扱われ方に、場を壊しかねない形で違和感を表明したり異議を唱えたりする近江を、さりげなく緩衝材になったり、フォローしたりする派遣の「斎藤さん」という女性と、飲み会の後一緒に帰り、近江の自宅に泊まってもらうことになる。

 近江はその夜、自分が遭遇した様々な性被害に追い立てられる夢を見る。

 その悪夢から逃れようとして飛び込んだ夢のラストは、高校時代の部活で、ひらすら練習をした後に、近江が他の4人に尋ねるくだりが描かれる。

「みんなが 私に求めるものって何…?」

「……… ディフェンス?」

「パス」

「ドリブル」

「シュート」

 近江はそれを聞いて涙ぐむ。

 ここでは自分は、純粋に目の前の目的のための機能だけを求められている。自分に過剰な役割や不当な偏見を押し付けてこない、フラットな関係がそこにあったことを近江は懐かしく思い出し、大粒の涙を流す。

 そこで近江は目が覚め、横にいた斎藤に「大丈夫?」と心配そうに聞かれる。

 

「そ? ならよかった」

「近江さん 送る」

「辛(つら)いよね」

「ナイスファイト」

 

 斎藤がかけてくれた何気ない言葉が、なんとも近江に響いてしまい、出しぬけに近江は

私 斎藤さん めっちゃ好き

一緒に暮らさない?

 

と提案してしまうのである。

壱岐・黒崎砲台跡(神谷撮影、25年11月)

 自分が日々暮らしてきて、毎日うんざりしている抑圧的な視線を、一切持たない関係性というものは、実は難しいんじゃないかと思う。

 そこに加えて、自分の心が傷ついた時に、そのフラットな関係のまま、さりげなく一言でケアしてくれる人…というのは、そうそういるものではない。

 家族や同僚、「友達」=知り合いが必ずしもそういう存在にはならないことが多いのではないだろうか。

 例えば家族は、血縁者であるというだけでそのようなポジションを期待されているはずであるが、むしろそうならないことが実は多いのかもしれない。

 ぼくだって、一例をあげれば、じゃあ娘に対して過剰な「期待」とか、何らかの「役割」あるいは固定した見方をして、それを押し付けているのではないか、という疑いは拭えない。まあ別にそうだと決まったわけでもないが。

 むしろ家族という関係は、フラットな関係とは真逆で、いつまでも親は子どもを「子ども」扱いし、固定的な見方をしようとすることから逃れがたく、それをウェットに押し付けてくる厄介な存在なのかもしれない。

 

 そう考えると、近江がここで急に斎藤に、あまりに唐突に同居の提案をしてしまうのも、何となく頷けてしまうのである。

福岡市の今宿の海(25年11月、神谷撮影)

 ただ、斎藤のやっていることは、さりげないように見えて、最も勇気のいる、しかも実践が難しいケアだとも言える。

 職場の空気に逆らうようにして介入するということや、お節介と思われても「送る(一緒に帰る)」という行為をすることは、実はなかなかできるものではないからだ。

 斎藤はあまりにさりげないのだけれども、実は、なかなかいない、ある種の理想的すぎる非現実的存在なのかもしれない。

『友達だった人 絹田みや作品集』

 がんで身近な人が亡くなるという経験をこれまでいくつもしてきた。

 活動家仲間が早くに亡くなる、というのもそうだし、身内では義姉がそうであった。そのことはもう十数年以上も前にブログに書いたことがある。

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 今も身近にはがんを患っている人がいる。

 その人が平均寿命を周辺の世代ではなく、自分に近い世代の人だと、ステージがどのようなものであったとしても、どうしても「生存率」とか「余命」とかそういうことを考えてしまう。

 最近、「グエー死んだンゴ」が話題だが、この話も、自分にとってどうにも身近なことのように感じられてならなかった。

 そういう状況の中で読んだ短編作『友達だった人 絹田みや作品集』のうち、がんで亡くなった人との交流を描いた冒頭作「友達だった人」は特別な注意を引いた。

 

最も本質的な「友達」であり得たこと

 この短編では、主人公は、「友達」だったわけでもなく、それどころか一度も会ったことがなく、ただなんとなく気になっていたSNS(「ツイッター」と明示してある)上のアカウントががんを公表し、やがて亡くなって、そのリアルな葬式に出るまでを描いている。

 だから、実は「身近にがん患者がいる」というぼく自身の「特権性」を除外しても、この奇妙な縁のたどり方を作品として示したことによって読後も強く印象に残った。

 

 主人公にとって、がんで「余命1年」を宣告されたというその「ささみ」というニワトリイラストのアイコンのアカウントとのつながりは、相互フォローになっただけ。せいぜい「いいね」をつけるくらいの関係ではあった。それが「余命」宣告を公表してから、主人公がたまらずにレスをつけた後、「ささみ」からレスが返ってきたことがきっかけで簡単なやり取りをする間柄になる。

 

 主人公にとって、「ささみ」は同い年であるとか、絵文字を多用するとか、口が悪いとか、ツイッター上の記憶しかない。

 しかし、夜中にふと目覚めると「ささみ」がつぶやいている。

 そういうのを見るにつけ主人公は自分は孤独な存在なのではないと思わせてくれるのだと感じていた。

 そこに途中で、「ヘルニア」という名前のパンダイラストのアイコンアカウントがまざって、3者でなんとなくほのぼのした交流が続く。いつかオフ会をしたいと言いながら。

 

 ニワトリとパンダと主人公があたかも部屋や職場でなごみあっているかのようなコマがいくつも挿入される。「えっ怖い…」と言っているパンダがいかにもかわいくてほっこりする。

 バーチャルの人間関係がそんななごやかで、心穏やかそうなテンポなのに対して、「ささみ」の周辺のリアルな人間関係のは「よく分からん噂話で年がら年中盛り上がっているうちの職場」だったり「縁を切ったはずの父親が面会に来る」ことになったり、いかにも面倒そうである。

 

 リアルの人間関係の粘っこい鬱陶しさに対して、バーチャルな人間関係は淡白で部分的だからそういう「よさ」が目立つんだろうという気にもなるが、それがある種の理想的な人間関係のような気がしなくもない。「粘っこくて鬱陶しい人間関係」は今後どんどん批判され、駆逐され、整理され、あっさりした、部分的で、そして任意で自由な人間関係に置き換わっていくのだろうと思う。

 

 だが、本作が、大きなどんでん返しをするのは、ラストである。

 淡白であっさりして部分的だと思われた人間関係は、一転して、熱いものに変わる。リアルの、粘っこいほどに鬱陶しい人間関係、関わる時間が長いほど相手のことをよく知れるのかよという挑発のようにも見える。

 主人公と「ささみ」と「ヘルニア」が獲得した人間関係こそ、一番本質的な「友達」だったのではないのかと読者に提示して作品は終わる。

 そんなことはないだろうと思うが、いや実際にあり得そうなラストだからこそ、この理想が説得力を持つ気がする。

 

「指先に星」について

 最後に載っている短編「指先に星」は、世間的に割り当てられた役割や見立てに対して自由である女性(佐伯)を観察する主人公の話である。

 社員旅行でみんな観光に出かけているのにホテルでぐっすり寝る。

 これから豪華な旅先の夕食なのに「旅先で食べるカップラーメンがこの世で一番美味しいから」といってカップラーメンを食べ始める。

 佐伯はそんな人である。

 職場でも子どもの迎えやらなんやらで早退してしまう。

 

 ああいいな、なんとも自由だな、というのはカップラーメンや睡眠の挿話である。自分だったらあくせくして「元をとろう」としてしまうだろう。

 しかし、ふだん仕事と子育てで時間がないからぐっすり寝たいのだろう、そして、本当にカップラーメンが食べたいのだろう、と考えると、佐伯の自由さが伝わる。

 主人公の内語——「この人は誰よりも社員旅行を楽しんでいる」がその状況を端的に表していて、なるほどと思った。

 

 主人公はそれに触発されて、自分の人生を振り返りつつ、さらりと暴言を吐いた職場の主任にビールを引っ掛けたり、社員旅行の食事先を抜け出して佐伯と食事をしたりする。

 自分は自由になりたかったのだ、ここではない場所に行きたかったのだと自覚する。

 そう自覚した後も揺り戻しがあり、それでいいのだろうかと悩む。

 しかし、指の長さと美しさを誉めてくれる何気ない佐伯の言葉に、主人公は指先に見える星に思いを馳せて、自分には自由があることを再認識する。

 ぼくも今50代半ばで人生が激動しまくってしまっている。そして、今さら「誰にも何にも邪魔されない選択肢がたくさんある」などということはあるまい、という気持ちにもなる。

 が、こういう作品を読んで今から学び直して人生を再構築することこそ必要ではないかと思えた。

 まあ、この作品だけでなく、河合克行が獄中で本をべらぼうに読んだということや、ぼくの友人が日々たくさん本を読んでいるということも刺激になったのだが。

 変な取り合わせかもしれないが、そういうものの相乗作用で、ぼく自身の人生の自覚ができているのだと思った。

 

稲葉そーへー・本橋隆司『そばギャルとおじさん』1

 立ち食いそばをはじめとして、「早めに食べて出る」という前提のそばが苦手である。ぼくの食事信条に反するからである。

 したがって「味わう」という見方が全くできなかった食事の一つだ。

 時間がなくてやむを得ないなら入るけど、そうでもなければまず避けたい食事のスタイルと言って差し支えない。

 しかしこのマンガである。

 ぼくにとって完全に不透明だった領域の食事が急に「見える」ようになる。

 たぶん世の中では動画やテレビ番組をはじめ、いろんなところでこの領域は紹介されているのかもしれないが、なにぶん先ほど言ったような事情なので、初めて知ることばかりだった。

 立ち食いそばで並んだおっさんサラリーマン(あだ名が「アミーゴ」)が、たまたまそこで並んだギャル(じゅりな)と意気投合して以後、早食い系のそばを食い歩くようになるという設定だ。

 「おいしい」という以外に描きようがないのでは、こんなのが果たしてマンガになるのかよ、という不信感があったのだが、読んでみると想像以上にコマやセリフが、そばの食レポ——評論として成立している。

 第3話のコロッケそば。

 そもそもそば屋に入っても絶対にぼくはコロッケそばなど頼まないだろう。

 話の展開として、まず「富士そば」というありきたりのチェーンに入り、しかも特定の支店に特別に何かがあるというわけではなく、単に個人的な思い出があるというだけの理由でそこに入る。そして、ありがちな「コロッケそば」を頼む。ここまでに一切の「特別なグルメ」の要素はない。

 アミーゴは

正直かき揚げのような掛け算のうまさがないというか…

そのまんますぎてマリアージュに欠けるというか…

と心の中でつぶやく。低い期待値でコロッケそばを注文する。

 「つゆをたっぷり浸み込ませたコロッケ」をそのまま食べようとするアミーゴに対してじゅりなは制止する。ツユの底に沈めて一定程度そばを食べてから、コロッケをグジャグジャにするのである。アミーゴはこれを「ポタージュメソッド」と呼ぶ。

 うん。

 アミーゴが気持ち悪がって絶対にやろうとしないのもわかる。

 だって、気持ち悪いじゃん。

 やらねーよ。こんなの。自分からは。

 しかし、じゅりなに強制的に混ぜられて、本当にグジャグジャにされるのである。

 アミーゴが不安なままツユをすすると、

ジャガイモの甘味とツユの旨味が渾然一体!

で、めちゃくちゃうまいのだと…。

 そしてそこからさらに加工されるのだが、もはやそれはそばかどうかなどということは「問題ではない」という境地にまで達する。

 

 食において思い込みが否定されて革新されるという爽快感が、身近な「コロッケそば」という料理で、しかもどこのそば屋でも味わえる可能性として示される。

 あー。食ってみてえ。

 

 もともと「青年マンガ」としてギャルに性的な要素を配置したかったのかもしれないが、本作については個人的なことを言えばその要素はゼロ。おっさんの固定観念を破壊する他者としてよく機能している。

台湾有事答弁の「撤回」?

共産党の地方議員からの「抗議」

 数年前の話だが、ぼくが日本共産党を応援する演説例をつくったとき、対米従属の危険性を暴くくだりで、台湾をめぐりアメリカと中国が戦争になったら、日本がまきこまれる、という趣旨のことを書いたら、共産党の地方議員から抗議を受けたことがある。これは共産党の見解ではない、と。

 その議員は基地問題を熱心に取り組んでいる人で、地元の自衛隊基地が米軍の戦争準備に使われる危険があることを議会でも住民運動でもさかんに取り上げていた。

 しかし「米中戦争」とか「台湾有事」のようなことを左翼陣営の側が口にして煽るな、という意味でぼくに抗議したのだろうと思う。

 ただ、今の日本政府の軍事・外交対応は明らかにそうした事態を想定しているのではないか、それを暴露し、戦争の危険(先制攻撃戦争への加担の危険)を訴え、その根源にある日米安保条約(日米軍事同盟)の廃棄を迫るのが共産党のど真ん中の役割ではないのかとぼくは思っていたので、そういう「抗議」は釈然としなかった。

 けれども、選挙戦も近かったし、争っている場合でもないと思ったので、そこは折れた。 

対米従属の最大の危険とは何か

 ぼくは、日本における対米従属の最大の危険を「米軍の戦争にまきこまれる」という点で考えてきた。

 そのことは、このブログでも過去に繰り返し書いてきた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

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 拙著『正典で殴る読書術 「日本共産党独習指定文献」再読のすすめ』でもとりあげてきた。

 宮本顕治の『日本革命の展望』にみられたように、かつては革命の権力問題として、在日米軍の存在を考えてきたのが日本共産党だったのだが、「先進国の革命政権を米軍が武力で弾圧する」というシナリオがあまりリアリティを持たない今、対米従属を緊急に解消すべき目の前にある危険性は、朝鮮有事・台湾有事などの米軍の戦争、しかも先制攻撃がなされるかもしれない戦争にまきこまれることではないのか、と思ってその部分を書いた。

沖縄・普天間基地

共産党は“台湾有事を想定したものだ!”という暴露をしてきたのでは

 高市首相が台湾有事をめぐり「存立危機事態になりうる」と国会で答弁したことをめぐり中国との対立が深まるとともに、日本国内での世論が沸いている。

 日本共産党はこれに対して、国会で高市答弁の撤回を求める論戦を行なっている。

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 「撤回」…なんですかね、求めるものは。

 という違和感がどうしても残る。

 共産党は日本政府が進めている軍事的対応が台湾有事を想定したものではないかということをむしろ積極的に暴露しようとしてきたのではないかと思うからだ。

www.jcp.or.jp

www.jcp.or.jp

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 それなのに“答弁を撤回して台湾有事を想定したものではないということにせよ”という要求をするのは、なんだかなあと思うのである。

安保条約を結んだ当時の首相・吉田茂(神奈川の大磯山公園の銅像

安保法制廃止にとどまらず安保条約廃棄を訴えるべきでは?

 むしろこのような危険が浮き彫りになった以上、「撤回」を求めるのではなく、米軍の戦争に直接加担してしまう安保法制を廃止すべきであり、さらに、米中戦争の戦闘への直接の加担がないとしてもそもそも米中戦争に出撃拠点を事実上提供する日米安保条約=日米軍事同盟を廃棄すべきだと訴えるのが日本共産党の綱領から言えば筋ではないのだろうか。

 日本共産党綱領には次のような規定がある。

日米安保条約、一九六〇年に改定されたが、それは、日本の従属的な地位を改善するどころか、基地貸与条約という性格にくわえ、有事のさいに米軍と共同して戦う日米共同作戦条項や日米経済協力の条項などを新しい柱として盛り込み、日本をアメリカの戦争にまきこむ対米従属的な軍事同盟条約に改悪・強化したものであった。

 常識的に考えて、台湾をめぐって米中が戦争を始めて、それがなぜ日本にとって「存立危機事態」になるのか、説明がつかない。いきなりどこかの国が日本を攻めてくるわけではなく、わざわざ好きこのんで直接関係のない戦争に参加して当事者になりに行くので、どうかしているとしか思えない。

 日本にある在日米軍基地が、台湾をめぐる米中の戦争の出撃拠点に「事実上」なってしまうから、そこに中国は攻撃をしかけてくることになる。(もちろん、具体的にどのように戦争の拠点になっているか、攻撃の実態に即して考えられるべきだろうから、そのまま在日米軍基地の存在自体が単純に中国による日本の攻撃の「正当性」を付与するものではないではあろうが。)「米軍基地が日本にあって、米中戦争が始まればそれめがけて中国が攻撃してきて日本が火だるまになるから『存立危機事態』なんだYO!」という理屈なのだろうが、「なら米軍基地置くのをやめたら?」「台湾をめぐる戦争に手を貸さない方がいいと思うよ」というのが共産党綱領が説く道理のはずである。

 

 共産党は、田村質問の後に「根源は安保法制」というキャンペーンを始めた。

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 田村質問がそこをつかなかったことを問題視する党幹部まわりでの議論があった…かどうかはわからないが。でもまあ、これ自体はいいことであると思う。

 20日の田村委員長の記者会見で、「撤回」と並んで、安保法制廃止の強調が始まった。

 ただ、同じ20日参院の委員会での山添拓議員の質問は、安保法制廃止に言及しているものの、質問そのものでは求めていない。

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 立憲民主党など、他の党が「答弁撤回」を求めるのはわからないでもない。*1

 しかし、共産党綱領が求めているのは、安保法制にとどまらず、安保条約(日米軍事同盟)そのものの廃棄である。共産党はこの機会になぜその告発・暴露をしないのだろうか。

 台湾をめぐる米軍の武力行使に日本が手を貸さなくても(安保法制がなくても)、米中でドンパチが始まれば日本に米軍基地がある以上そこを攻撃される危険は去らない。「じゃあやっぱり基地貸与をやめます」というのが根本解決策だ。そしてそれをいうプレイヤーが政党では共産党しかいない。「存立危機事態になるぞ!」という脅しの前提(在日米軍基地の存在)を他の党は認めてしまっているので、日本の安全にとってラディカルな選択肢が出てこないのである。

 

 共産党が目指す政権は、安保条約容認政権ではなく、安保条約廃棄政権(民主連合政権)であり、これは原則的にはいかなる中間段階の政権も設けないはずの、直ちに行うべき課題のはずである。例外的に条件があるときだけ野党連合政権や暫定政権を求めるべきものであって、本来、中間段階を設けずにひとすじにこの安保条約の即時廃棄を求めるはずのものだ。*2

 

 これは反語ではない。

 純粋な疑問である。

 共産党の立場から言っても、外交の機微として、ぼくのような「しもじも」のものにはわからないこともあるのかもしれない。

 だけどそれは一体どういうことなのかをわかるように説明してほしい。

 そして、「撤回」ではなく、問題を積極的に暴露し、安保法制廃止や安保条約廃棄こそ必要だという論戦になぜならないのかもあわせて説明してほしい。

 いや、ホントにぼくはわからないので。繰り返すが純粋な疑問である。イキっているのではない。

*1:質問をした岡田克也議員は「今撤回したら中国に言われて撤回したことになってしまう」として単純に撤回は求めないようだが。

*2:そうだからこそ、「綱領のどこにも日米安保条約を段階的に解消するとの立場はない」「安保条約の段階的解消論――安保条約解消のためにはいくつかの中間的段階が必要だという立場では決してない」と大会で決定して松竹伸幸を「安保条約容認」のかどで、追放したはずであろう(ぼく自身は共産党のこの松竹に対する認識は間違っていると思っているが)。

有田光雄『未来に生きる 「老コミュニスト」の残し文』

 11月14日の東京堂書店における、ぼくと斎藤美奈子さんとのトーク&サイン会には、参議院議員衆議院議員*1有田芳生さんも来てくれていた。

 有田さんはもともと斎藤さんのファンでもある。同時に、最近読んだ拙著『正典で殴る読書術 「日本共産党独習指定文献」を再読する』をお読みいただき、「独習文献」を懐かしく思い出して、対談を聞きにくれたと伝えてくれた。

 有田さんは楽屋を訪ねて来られた。私とも斎藤さんとも初対面で丁寧な挨拶をいただいた上で、二人に、ご尊父・有田光雄さんの近著『未来に生きる 「老コミュニスト」の残し文』(花伝社)を献本してくれたのである。

 帰りの新幹線で一気に読んでしまった。

 目次は次のとおりである。

第一章 私のスターリン体験

第二章 草の根の共生

第三章 京都民主府政の歴史は不滅

第四章 「天王山」麓のW勝利を語る――小さな町の大きな快挙

第五章 政治対決の弁証法について

福岡市の今年(2025年)秋の紅葉

私のスターリン体験

 個人的にはこういう境遇なので、どうしても第一章が強く印象に残った。

 あの頃の党員たちがスターリンをどう受け止めていたかは、今しか聞けない。

 そして、恥ずかしながら高杉一郎の『極光のかげに』『わたしのスターリン体験』は読んでおり、『正典で殴る読書術』でも引用している。

 しかし『征きて還りし兵の記憶』は未読であった。

 『未来に生きる』には、高杉の『征きて還りし兵の記憶』の一文が引用されている。

 以下は有田光雄氏の『未来に生きる』p.18〜19の引用である。

 四年前シベリアに抑留され一九四九年八月に帰還した高杉一郎(1908〜2008年)は五〇年に『極光のかげに——シベリア俘虜記』(現在は岩波文庫)を書いた。

 高杉は、六年半ぶりに東京・駒込林町に旧知の宮本百合子(1899〜1951年)を訪ねた。

 彼女は私の『極光のかげに』をとりだしてきて、そこに書かれているシベリアのことをつぎつぎと訊きはじめた。驚いたことに、彼女が最後に口にしたことばは“やっぱり、こういうことはあるのねえ”というつぶやきだけだった。(…)階段を降りてくる足音が聞こえた。(…)戸口いっぱいに立っていたのは、宮本顕治だろうと思われた。(…)いきなり、“あの本は偉大な政治家スターリンをけがすものだ”と言い、間をおいて、“こんどだけは見逃してやるが”とつけ加えた。私は唖然とした。

高杉一郎『征きて還りし兵の記憶』188ページ、岩波書店、1996年)

 『未来に生きる』を読んだ後、有田芳生さんも何度かXにポストされていることに気づいた。

 『征きて還りし兵の記憶』は、博多に到着するなり本屋に行ったがなく、図書館で借りて読んだ。

 

「有田節」

 有田芳生さんではなく、有田光雄氏とはぼくとも多少の「縁」がある。

 大学が京都であったので、有田光雄氏は候補者としてよく演説・講演を聞いたのである。*2

 本書にも「有田節」(p.121)という言葉が出てくる。2018年の大山崎町での演説がそのまま載っているのである。

 「有田節」とはよく言ったもので、有田光雄氏の演説は学生の活動家の間でもよく口真似されていた。
 ちょうど天安門事件の頃、それを利用した自民党の議員が街頭で反共演説をするのだ。日本共産党中国共産党は同じだ、日本共産党の宣伝カーをみたら天安門を血で染めたあの戦車だと思え! と絶叫するのである。当時は消費税導入で大反対の世論が形成されていて、自民党は大逆風が吹いており、社会党共産党の候補への大変な追い風が吹いていたのである。

 しかし、そこに天安門事件が起きたので、自民党はこれ幸いとばかりに共産党を押さえ込むのに大いに利用した。「消費税取られても、命取られるよりはマシではありませんか!」と。

 それで有田光雄氏は共産党候補として、こうした自民党の演説を厳しく批判したわけだが、その自民党の演説を真似して街頭で批判するのである。「『「消費税取られても、命取られるよりはマシだろう』とばかりに…」とケレン味たっぷりに紹介したのを、学生活動家のうちで真似していたのをよく覚えている。真似の真似である。

 

全般的危機論の削除

 スターリンの情勢認識をベースにした「資本主義の全般的危機論」を日本共産党は第17回大会で綱領から削除したのだが、その時有田光雄氏の大会での発言も覚えている。本書にその発言が全文掲載されている。*3

 

オストロフスキー

 本書の冒頭にオストロフスキー『鋼鉄はいかに鍛えられたか』が掲げられている。同書はぼくが『正典で殴る読書術』でも紹介した一冊である。有田光雄氏は

わたし達の青春どまんなかで魂をつかんだ文学作品(p.1)

と書いている。

 解説でも有田芳生さんが結び的に言及している。

「はじめに」で引用されたオストロフスキーの『鋼鉄はいかに鍛えられたか』は、父の世代から私の世代までよく読まれ、励まされてきた。(p.154)

 それを見ても、この作品が日本共産党員だった人たちの精神にいかに深く影響を与えていたかも改めて感じたのである。

 

 有田芳生さんは最後までトークを聞いていってくれた。献本を含め、この機会にお礼を申し上げておきたい。

*1:有田芳生さんの指摘を受け訂正しました。大変失礼しました。

*2:はてなブックマークに、1989年には有田光雄氏はすでに候補者ではないのでは? というコメントがあった。候補者ではなく、府副委員長としてよく学習会などで呼んでいたから候補者ではない、という情報もいただいた。これが正しいのかもしれない。

*3:今日的に見ると「梅毒」の比喩の部分は到底いただけないものであるが。