『めざそう! ホワイト企業 経営者のための労務管理改善マニュアル』

 「今の日本では労働者は解雇できない」という意見に対して「きちんと手続きを踏めば労働者は解雇できる」と答えたら、あたかも解雇指南をしているかのようである。

 いや実際「解雇テクニック」としてそういう「手続き」を教える場合もある。

www.jcp.or.jp

 しかし、経営者として労働者の能力向上や技術習得に必要な手立てがどういうものかを定めて、それに力を尽くしたかどうか、その判断基準とするのであれば、ここでいう「手続き」はまるで正反対の意味を持ってくる。

 それでは、どのような場合に解雇が正当であるとされるのでしょうか。……一言でそれを述べれば、「解雇の通知の前に、経営者としてやるべきことをやったのかどうか」ということになります。

 その「やるべきことをやったのかどうか」は、たとえば「仕事ができない」「業務命令に従わない」と判断した労働者に対して、経営者が「どれだけ仕事ができるように可能な手を尽くしたのか」「どれだけ業務命令に従うように可能な手を尽くしたのか」ということが問われるのです。

 この「手を尽くしたのか」に関する経営者の自覚と覚悟のもとでの具体的実践があって、「そのように手を尽くしたにもかかわらず、労働者が変わらなかった」「だから止むを得ず解雇に至った」ということであれば、解雇は正当であるとされるのです。(ホワイト弁護団『めざそう! ホワイト企業 経営者のための労務管理改善マニュアル』旬報社、p.46-47)

  よく経営者の中で「日本の労働法制は解雇が事実上できないようになっている」という向きがあるけども、それは誤解である、と本書は主張する。「多くの裁判で『解雇』が認められないのは、法律上必要とされる手続きを踏んでいないだけなのです」(同前p.46)。多くの解雇が労働契約法16条に定められた「客観的に合理的な理由を欠き」「社会上相当と認められない場合」なので「経営者が勝てないだけ」(同前)なのだという。

経営者が、自ら行なった解雇について、これらを充たす手順(「正当化」手順)を踏んでいないことを棚に上げて法律・裁判を批判することは、とんでもない勘違いだと言わざるをえません。(同前、強調は引用者) 

 一番わかりやすいのが、試用期間中の労働者に対してだ。

 試用期間の終わりに「必要な水準に達しませんでしたね。はいさようなら」ではなく、あらかじめ必要な水準やスキルを明示すること、そしてそのための研修・教育の機会を設けること、途中で本人への注意喚起や改善の手立てを取ること、どうしてもダメな場合は配置転換などを検討すること……など本書は説いている。

 経営者が「優秀な労働者」を採ろうとするのは勘違いであって、採用基準は、「普通の労働者」であるべきで、「それなりの教育制度があり、それなりの担当者がいて、それに経営者の覚悟が加われば、よほどの専門的分野でない限り、『普通』の社員でもそれなりに『優秀』になるのではないでしょうか」(p.39)とする。

 「だらだらと残業している」「まともに仕事もしない」と経営者は労働者をくさす前に、「お前は経営者として具体的に『残業しないで済む手立て』『まともに仕事をする措置』をどうとったんだ?」ということが問われるのである。裁判にでもなれば、必ずそのことが争われる、と本書は言う。

 本書はこのような義務を使用者(経営者)が負っている理由を、労使関係の法的意味から説いている。

 

【経営者ブック】めざそうホワイト企業 経営者のための労務管理改善マニュアル

【経営者ブック】めざそうホワイト企業 経営者のための労務管理改善マニュアル

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 旬報社
  • 発売日: 2017/11/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 労働契約法では雇用関係にある労働者に対して使用者は指示が出せるし、その指示に従った仕事をさせることができ、労働者はそれを拒めない(使用従属関係)という、圧倒的優位を使用者に認めている。そして、そのような契約が売買のように一瞬ではなく継続される。

 こんなに強い権限を持っている使用者だからこそ、「効率的業務」のためにどういう具体的措置をとったのかが問われるのである。労働者に「自分で考えろ!」「ちゃんとやったのか!?」と言い放って終わりで済む話ではないのだ。

 

 この『めざそう! ホワイト企業 経営者のための労務管理改善マニュアル』は題名のとおり、労働ルールを破壊し労働者を使い捨てにする「ブラック企業」の反対、ルールを守る企業をめざし、経営側の改善を求める本である。

 労務管理を“短期的に利益をあげるために労働者を厳しく統制するもの”と考えるのではなく、ルールを守るようにさせる。

 しかし、一見すると、それは労働者の利益だけになって、経営者にとっては何もいいことがない、ただ利潤を削られるだけではないかと思うかもしれない。

 そうではない、と本書は言う。

ホワイト企業をめざす」ということは、それ自体が目的ではなく、それによって企業(法人)の中長期的な発展をめざすということにその目的があります。(前掲p.125、強調は引用者)

  なぜホワイト企業になることが「中長期的発展」と言えるのか、いろいろ本書には書いてあるのだが、ぼくなりに読み取ったことをまとめれば、結局コンプライアンス、ルールを守らない企業は市場から退場を求められるように、かなり世の中が厳しくなってきたということである。

 昔は、ルール無視で短期利益をあげることが問題視されず「やったもん勝ち」だったので、ルールを守っている方が「アホ」だったのだが、行政の監督的にも、また、社会の目線的にも、それでは済まなくなってきたということである。「売り手市場」において生き残れない(本書p.72)。

 

 本書では労働組合も「会社の中長期的な発展に貢献すべき役割が期待されています」(p.54)としている。

 

 本書は

勘違いしていただきたくないのは、たとえば、残業のある会社あるいは解雇をする会社は、イコール即「ブラック企業」ということではないということです。(p.30)

としている。

 「労働法の精神通りやる」≠「杓子定規なルール」ということが言いたいのだろう。

 ぼくなりの解釈を示せばこうなる。

 解雇をするさいに、労働法の精神通りにやるなら、労働者と経営でどんなスキルが必要なのかをはじめにしっかり確認し合う。そして、研修や教育を用意して努力する。メンターをつける。途中で注意をしたり、再教育をする。面接をする。それでもダメなら他の職種に変えてみる。

 そういうルールと手続きがきちんとふまれれば、解雇はやむを得ないという結論もあるというわけだ。

 あるいは、残業をするには36協定(労働基準法第36条にもとづく協定)を結ぶ必要がある。

 この協定は経営者が労働者の知らないところで勝手に押し付けてはいけない。

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/dl/36kyotei.pdf

 

 労働組合、それがないところは、労働者の代表と結ばないといけない。

 この代表は経営側が勝手に選んではいけない。「親睦会」のようなものがあるからといってその代表者を勝手に当ててもいけない。

 つまり、労基法の精神をきちんと踏まえるなら、経営側の干渉を排して、労働者の中で残業していいかどうか、残業するならどれくらいを上限とするかをきちんと話し合って経営側と協定に臨まなければいけないのである。

 そういうふうにしたほうが、労働者にとっても納得がいくし、経営者にとってもいいのではないかというのが本書の提起である。

 逆に言えば“解雇してもいいし、残業してもいいが、ぜんぶルール通りにして、お互いに可視化してやろうよ”――これがホワイト企業だということになる。

 

 ルールや手順を踏もうとしない企業・事業所が多すぎるのだ。

 それをコストとしか見ていない。

 それが中長期的な利益になるとどうして信じられないのだろうか。

 解雇にしたって、残業にしたって、そういう手順を踏む方のがはるかにいいのではないかというのがぼくの率直な疑問である。

 

 本書の良さは、労働契約の本質からホワイト企業論を起こしている点にある。

「風呂なし3万円」は「最高の育て方」か

 この記事、はてなブックマークでは評判が悪いな。肯定的にコメントしている人も少なくないけど。

president.jp

 要は、“特段の援助もせずに実家から放り出してみろ”というススメであり、そうすれば自活能力がつくし、条件を改善していく体験を得られるし、大変になれば実家に戻ればいいし、いいことづくめだよ、という意見である。

 昭和生まれ、昭和育ちとして、この意見は体感的にうなずける部分がある

 しかし、多くのブコメ同様、どうもモヤモヤする。うなずけない部分もあるからだ。

 

都内の風呂なし3万円木賃アパートで十数年住んだ昭和世代のぼくは

 ぼくは万博前後に生まれた世代で、18歳で実家を出てからは、35歳でつれあいと同居するまで、風呂なしアパート以外に住んだことはない(1年間を除いて)。そのうち十数年は都内(中野区)である。

 中野の木賃アパートは家賃3万円で相当に古く、屋根裏ではネズミが走り回り、ぼくの部屋にダニが大量発生したこともある。ガスもなし(ぼくの部屋に引いていない)。トイレも共同。

 クーラーもない。網戸もなしに窓を開けて寝る生活で、夏は朝日が差し込んで、ぼくの体を炙るようにして起されていた。汗だくになるので、時々コインランドリーについていた100円コインシャワーにいくのがぜいたくな楽しみである。

 ちなみにこの期間、自活能力は全く育たなかった。自炊は一切せず、パンを買ったりお菓子を食べたり、外食したり、朝・昼抜いたりとデタラメな食生活を送っていた。

 洗濯も溜まりに溜まった挙句にしていた。

 掃除については、化学的・生物的に汚くなる(要するにモノが腐るような状態)のは片時も耐えられない性分なので、食べたものなどはマメに捨てた。しかし、他方で物理的に乱雑なのはあまり気にしないので、掃除機も滅多にかけず、本・マンガが大量にあってホコリはひどかった。

 フロは銭湯中心で330円〜400円ぐらいだった。歩いて数分のところ。しかし、これでは毎日入れないのでどうしたかといえば、職場に風呂があったので勝手に入っていた。毎日めちゃくちゃに遅刻して、夜中まで仕事をして勝手に帰るというひどい生活をしていて、風呂なども誰にも断るわけでなく沸かして入ったのである。

 さらに、東京にいた終わり頃は新宿のジムに深夜行っていたので、そこでジャグジーに入って風呂がわりにしていた。つまり風呂の代わりになるにお金を出したり、他人の財産(職場)に寄生していたりしたのである。

 こんな生活で自活能力がついたとはとても思えなかったが、何がよかったかといえば貯金ができたことだろうか。結果としてみれば、それが最大の収穫で、というか、それしか明確な成果物はない(あとで述べる抽象的な1点をのぞいて)。本を買うのと飲み屋にいく以外は、ほとんどお金を使わないので、薄給でも住居費の安さが効いてお金がたまっていった。

 料理・掃除・洗濯をきちんとするようになったのは、結婚して共同生活をするようになってからである。むしろあの条件での一人暮らしは、体を壊しかねない危ない橋を渡っていたと言える。

 そして、ブコメにもあったが、ぼくの下宿は神田川近くで川崖の上にあって、あんなボロアパート、大地震がきたら崩れ落ちて普通に死んでいると思う。

 「誰でもかんばれば、その条件でも健康で文化的な最低限度の生活はできますよ」とは、とてもおすすめして言えない

 

 ただ、この人、柳沢幸雄が言っていることのうち、

親元を離れた生活を、そういった環境からスタートさせれば「自分はどこでも生活できる」という自信をつけることもできます。

という点、「自分はどこでも生活できるという自信」というのは確かにできたな、とは思う。実際にはいろんなものに支えられているんだけど、精神の上では「自分の力でどこでも生活できる」という感覚が生じ、親や援助を前提にしない思考をするようになる。それを「自立心」と言っていいのかどうかわからないけど。

 だから、できれば娘にも家から出て生活することを、体験として持ってほしいと思っている。そういう気持ちがベースにあるだけに、一人暮らしの提案としては柳沢の話は魅力的に映るのである。

 ただし、それは「3万円、風呂なし」などという条件を設けるものではない。

 ご覧の通り、「健康で文化的な最低限度の生活」ラインを切る可能性が高い(というか、すでに「6畳1間」=約10㎡であれば国の定める単身者の最低居住面積水準25㎡を確実に割る)のだから、お勧めできないのである。

  それでも、「そういう生活をして貯金をしたい」とか「まずはそこから始めたい」というのであれば、止めはしない。「長い人生のスパイス」(岩田正美)としての一時的な困窮なら「体験」としてはありうるからだ。そもそも親という安全装置がその後ろに控えているわけだし。

 

 それゆえに、柳沢の提案の大事なところをすくいだせば、「18歳になってから条件があるなら、一人暮らしをさせてみるのが、本人の自立心を養う上ではいいのではないか」というほどのものだろう。その一人暮らしの準備はフツーの住宅でいい。

 フツーの住居に住むほどの資金がない、賃金がない、というのであれば無理をする必要はない。

 

昭和の臭いがする部分はイラネ

 それにしても、柳沢の提案に反発が出てしまうのは、その昭和テイストだろう。

 一番ツッコミが多いのは「シチューを作って待っていてくれる彼女」だ。

そんなとき、シチューをつくって待っていてくれる彼女がいたら、「このまま一緒にいようか」となります。結婚が早くなるのです。

 昭和・平成のぼくでさえ、先ほど述べたような状況だったから、「彼女」(現つれあい)もいたが遠距離だったし、そのオンボロ下宿に「彼女」がたまに来てもシチューを作って待っていてくれたことはなかった。だいたいガスがないからシチューなど作れない。「彼女」が来ているときに仕事から戻ると、「彼女」は部屋にあったマンガを布団に入って読んでいるのが相場だった。特にシチューを食べるような冬場は、部屋にロクな暖房器具がなく(電気こたつのみ)、部屋の温度は氷点下近くに下がるために、布団に入っているのが一番暖かかったのである。

なぜなら母親が自分のためにつくってくれる食事が、一番いいに決まっているからです。

 いやいやいやいや。

 20代のあの頃、家の食事から解放されてせいせいしていた。朝食や夕食を決まった時間に、一方的なメニューと量で食わせられて、本を読みながら食べていると叱られた――というのが(罰当たりながら)あの頃の「母親が自分のためにつくってくれる食事」のイメージであり、そういうものから逃れて一人暮らしになり、夕食なのにポテトチップスとワインだけで、こたつでマンガを読みながら食べられるようになった。「一人暮らしサイコー!」だったのである。

 それは不遜ではあるけども、何か独立不羈のような心を自分の中に作った。

脱ぎ捨てたパンツも、いつの間にかキレイに洗濯されて“自然に”タンスに入っているし、トイレットペーパーも“自然に”補充されている(笑)。誰かがそれをしている、ということに思い至ることはありません。

しかし、1人暮らしでパンツを脱ぎ捨てて出かけたら、帰るとそのままの形で部屋にぽつんと残っている。イヤですよね。

  「イヤ」じゃねーよ。 

 うちの娘は、脱ぎ捨てたくつ下を洗濯機に入れるよう厳しく言われている(いた)が、もし彼女が独り立ちすれば、それをうるさくいう人はいない。ヒャッハーなのである。

 童謡の「赤とんぼ」に歌われているように、15でねえやは嫁に行きましたし、最初の東京オリンピックの頃、集団就職列車に乗っていたのは中学を卒業した15歳の少年少女でした。数十年前までは、中学を卒業すると独り立ちをしていたのです。それが今は18歳。決して早いということはありません。

ところが日本の若者の場合、「落ちるかもしれない」という不安があるために満足感が低い。生活水準とその満足度は、必ずしも一致するわけではありません。むしろ大切なのは、「自分の力で生活水準が上がっている」という実感です。階段を上っていることを感じられれば、何かをやろうという気持ちも生まれます。

  おかしいですね、内閣府の「国民生活に関する世論調査」(2019年6月)では、「現在の生活に対する満足度」は若者(18-29歳)は「満足」「まあ満足」あわせると85.8%もいるのに、「集団就職列車」に乗って行ったとおぼしき70歳以上では71.3%しかないのですが……。

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 全体的に柳沢の話には、こうした昭和テイストがつきまとう。

 「母親の食事」とか「シチューを作る彼女」とか「男の子には特に響く」とか、性別役割分担が前提になっている。

 

都心にも、風呂なし、トイレ共同といった物件はたくさんありますし、そういった物件は「バストイレ付き物件」と比べると、たいてい3~5万円ほど安く借りることができます。

  まあ、これはブコメにも多いのであるが、どんどん減ってきている。

 かつてこのような古い木賃アパートは貧困な単身高齢者の住宅の受け皿になった。しかし取り壊しが進み、次々に消えている。ぼくが住んでいたアパートもすでに今はない。(さっき、東京都内で「風呂なし」、5万円以下で検索したら59件ヒットした。まあ「多くはないが、なくはない」といえるだろうか。)

「結婚できるか」を悩むなら、家から出した方がいい

 これは最近も「子供部屋おじさん」問題で話題になったテーマだが、「『未婚継続』と貧困には強い結びつきがある」と社会福祉学者の岩田正美はいう。

たとえば20代男性は年収500万円を超えると、30代男性は年収300万円を超えると、既婚率が50%を超える。つまり近年の晩婚化・非婚化は、結婚したくない男性が増えたために生じたというよりは、フリーターや無業者が増える中で、結婚したくてもできない人が増えたために生じたと言えるのではないだろうか。(岩田『現代の貧困』ちくま新書、2007年、p.147) 

 岩田は貧困と未婚継続の結びつきの原因について、貧困だから結婚できないという問題と、未婚のまま親元から独立するとかえってお金がかかってしまい、貧しくなるという問題の2つを挙げている。

 後者について、岩田は次のように述べている。

 貧困の「抵抗力」としての家族の役割を考えるとき、視野に入ってこざるをえないのが単身世帯の「不利」な状況である。一人で暮らすより二人で暮らす方が家計の節約になるとか、二人で働けば収入が増えるということは言うまでもない。バブルが崩壊してリストラが増大する中で、妻が再び仕事をするようになった世帯も少なくないだろう。

 また、都市部で特に高額となる家賃も、家族で暮らせば1人当たりの負担率は小さくなる。公共料金も節約できるし、家族を対象とする所得税控除も見逃せない。一定の年齢になれば子どもが親元から独立するのが普通だといわれるヨーロッパでも、不況になると子どもが実家に戻ってくることがあるという。これなども、家族による家計の節約例ということになろう。こうしてみると単身世帯は本来、経済的な豊かさがないと成立し得ないものなのかもしれない。(岩田前掲p.156、強調は引用者)

  一人暮らしをさせることは、家族の支えがあるなら「ぜいたくな実験」であるのが本来の姿だろう。

 そのへんの事情を考慮しないで「説教」をしてしまうと反発を生んでしまうのではないだろうか。

堀和恵『「この世界の片隅」を生きる〜広島の女たち〜』

 被爆や戦争の体験をどう語るのか、あるいはどう継承するのか、ということで広島をめぐる5人の女性が紹介されている。

 

『この世界の片隅』を生きる ~広島の女たち~

『この世界の片隅』を生きる ~広島の女たち~

  • 作者:堀 和恵
  • 出版社/メーカー: 郁朋社
  • 発売日: 2019/07/24
  • メディア: 単行本
 

 

 山代巴、大田洋子、こうの史代、早志百合子、保田麻友だ。

 山代巴は『この世界の片隅で』の編著者であり、大田洋子は『桜の国』『夕凪の街と人と』の著者である。そのタイトルからわかる通り、この2人の著作のタイトルは、こうの史代のマンガ作品に織り込まれていく。

 

山代巴

 山代を大田との対比で語ればいわば「実践の人」である。文学(書いたもの)と政治をストレートに結びつける。こうの史代が山代に「大きな敬意を抱いていて」としながらもその手法について「私に許されるやり方とはちょっと違う気もしています」(本書p.133)と述べているのはおそらくこうした点であろう。*1

 

 ぼくが山代の章の中で一番印象に残ったのは、山代の代表作となる『荷車の歌』のモデルとなった日野イシと婦人会で出会ったときのエピソードである。

 集会で山代の話が終わると、イシは硬い空気の中で立ち上がった。「婦人会を本音の言える集まりにするためなら、わしも役立ちたい」。そして今まで誰にも話したことのない、夫が連れ込んだ老女と同居した屈辱の生活を語った。山代は七〇歳を超えた女性が自分の話を受け止めてくれたことに感激した。イシは「原水禁百万人署名」の用紙に一番に自分の名前を書き、近所を歩いて署名集めをしてくれた。

 山代はそれから何度もイシの家を訪ねた。また山代は、聞き取ったイシの話を誰だかわからないようにして、あちこちの集会で話した。するとみんな、自分のことのように聞き入った。そして自分の人生を語り始めた。そこにはたくさんのイシがいた。山代は平和署名を集めながら、この語り部の旅を続けた。(p.30-31)

 一つは、婦人会が本音の言える場所ではなかったということ。建前でない、本当の生活の話をする場所なのに、それが避けられてしまうことは、昨今のPTAや町内会のようでもある。

 もう一つは、そのタテマエ性を突き破ってイシが「本当の生活」について語り出し、それに多くの人が呼応して、自分の「本当の生活」を語り出したということ。これは昨今のジェンダー平等の学習会を見るような気がした。『82年生まれ、キム・ジヨン』のように自分の生活史の中にあった苦労、差別を解きほぐしていく光景に似ている。

 そういう場所が運動の中でも本当は必要なんだけど、タテマエだけになっているんじゃないか。「本当はそういうことが話したかった」と言える場づくりについて思いをいたした。

 

 そのほかにも山代の生涯を描いたこの章にはいくつもの印象的な箇所がある。断片的に記そう。

 高等女学校の担任の渡辺先生からコップの描き方を褒められるシーン。教師が人を褒める、その褒め方で、人の生涯を決めてしまうという例のやつ。教師はこれを狙ってはいけないと言われるが、しかし思いもかけずにそうした言葉に出会う感動が記されている。

 「日記に嘘を書くよりは、絵を書け」という渡辺先生の言葉。これはヤマシタトモコが『違国日記』で書いていたこととは逆のことだなあ。

 夫となった山代吉宗の獄死。「遺体を引き取りに行った弟の宜策は、二八キロにまでやせ衰えた吉宗の落ちくぼんだ眼窩に、粉雪の降りかかるのを絶叫したい思いで胸に刻んだという」(p.26)。山代巴が獄中で受けた仕打ちとあわせ、戦前の天皇制権力というのは「非国民」とレッテルをはればいかに酷く殺すのかとあらためて思い至る。

 共産党との距離感。体質に絶望して最後は離党してしまう。いやー、左翼の一人として、ぼくも心すべきこととして読んだ。

 『この世界の片隅で』についての世間の評価。「哲学者の久野収は、『二〇年後の戦争記念におくられるもっとも大きな記念碑である。戦後のゆがみの大きさを事実によってこれほど深く指摘した記録は、絶無だといってよい』と評した」(p.47)。この「大きな記念碑」が忘れ去られてしまい、こうのがその題名を自作に入れたことでようやく思い出されたものの、著作自体はほとんど読まれておらず、それはそれで寂しいことだ。

 

この世界の片隅で (岩波新書 青版 566)

この世界の片隅で (岩波新書 青版 566)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/03/23
  • メディア: 単行本
 

 

 最後に、山代は2004年まで日野市の団地で生きていたのか……という事実。歴史上の人物のような気がしているので、その気になれば会いにいけたのかと思うと遠い気持ちになる。

 

大田洋子

 先ほども述べたとおり、山代との比較で言えば「行動がない」(p.89)のである。

大田も一時期、山代たちのグループに接近するかにみえた。だが結局は、大田自身から離れていったのだ。文学に政治的なねらいを持たせることに、大田はなじめなかった。また、山代と違い、大田はあくまでも書斎の人であったのだ。(p.88-89)

 大田の章でもっとも印象に残ったのは、「原爆作家」という「非難」への大田の反応だ。

広島の文壇だけでなく、中央の文壇からも大田は批判を受けた。大田は、原爆作家だといわれた。いつのまにか貼られたレッテルである。それは一九五〇年頃から始まって死ぬまではがされることはなかった。最初の頃は、賞賛の意味があった。だが時を経るにつれて、原爆作家の意味が変質してきた。原爆しか書けないんじゃないか、ほかに書くことはないのか、という非難の意味合いを持ってきた。非難の次にきたのは、「原爆文学はもう終わりだ」という声であった。(p.89-90)

  作家・江口渙の大田批判はこうだ。

『屍の街』『人間襤褸』とつぎつぎに力作をかいたせいか、さすがの原爆小説の本家本元もそうとう種ぎれのていと見える。もう一度広島にかえってもっといい種を仕入れてくるんだな。

  この時代特有の、あるいは「文」の「芸」としての、「軽口」かもしれないが、なかなかにひどい。

 ただ、逆に言えば、原爆をどう語るかはすでに戦後期に相当くりかえし考えられ、議論されてきたことだということをも意味する。戦後世代がその上に立って原爆や戦争の体験をどう継承するかを考えるべきだ。いや、ぼくは全然「その上に立って」いないけど。これから勉強すべきフィールドがそこにあるということ。

 

屍の街 (平和文庫)

屍の街 (平和文庫)

  • 作者:大田 洋子
  • 出版社/メーカー: 日本ブックエース
  • 発売日: 2010/07/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

保田麻友

 1985年の広島市生まれの女性である。

 被爆体験の伝承者だ。

 ぼくは90年代半ばに「これから被爆した世代が亡くなっていくので、師匠が弟子をとるみたいにしてその継承者を作ったらいいのではないか?」と思ったことがあるが、当然なんの行動にも移さなかったためにそのアイデアはそれぎりとなった。

 そして最近になってから広島市長崎市でそのようなプロジェクトがあることを知った。

 しかし、この本を読んで、その伝承はなかなか厳しいものなのだなという思いを持った。

 一年目は、二三名の証言者のお話を聞いた。一人二時間あたりを、ただひたすら聴き続けた。その他にも、大学教授などの有識者の講義を全員で聞いて、原爆の実相を学んだ。

 そして、自分が誰の被爆体験を語り継いでいくかを決める。その後、証言者とのマッチングが終わると、二年目となる。(p.192)

  うん、ここまでなら想像はできる。

 それでもかなり大変だなとは思うけど。


市っトクながさき「次世代へ-語り継ぐ被爆体験(家族・交流証言)推進事業-」2017年5月12日

 えっ、これは厳しい……と思ったのは次のくだりである。

証言者の方の言葉を、そのままコピーしてはダメだ、と保田はいう。講和の前段と後段だけ自分の言葉で、後はパコッと証言者の言葉をはめてはダメだという。証言者の方の体験や感じたことを、自分自身の言葉に置き換えていく、という作業が難しいという。(p.195)

 伝承する人である被爆者の「新井さん」は、新聞インタビューでこう語る。

「証言者のミニチュアになるのではなく、自分の言葉を紡いでほしい」(p.195)

  そうやってテストをくぐって伝承者となれた人は130人中50人。相当な脱落者が出たということだ。

 それに対して「新井さん」はこう述べる。

「本人の私が絶句するような原稿ができている。広島を伝えなきゃならん、今がラストチャンスという皆の思いが結実している」(同前)

  そういう喩えをしていいかどうかわからないけど、たとえば落語で師匠の口真似をしてもダメなのと似ていると思った。「自分のものにする」というプロセスがそこに入らなければならないということだ。

 そこまで求めるのか、という気持ちになった。

 こうの史代はどうしたら戦後世代が被爆体験の継承者になれるのかという問題意識で作品を描いたはずであるが、同じ問題意識がクリエイターでもない、いわば市井の若者にも流れている。

 片渕須直の映画は戦前の「冷凍保存」のような正確さがあると前に書いたが、すなわち事実を正確に・徹底的に知ること、その上で戦後世代なりに体験世代の体験を受け止めて咀嚼するという作業がこれからは必要になっていく。

 そういうことを本書で学んだ。

 

 このことは、別に被爆体験に限らない。

 福岡市では引揚体験の継承が同じように問題になっているし、もっと広く戦争体験の継承全体が問題になっていくだろう。

www.nishinippon.co.jp

 その際に、どんな方法や問題意識が必要になっていくのかを本書から学ぶことができるかもしれない。

*1:このこうのの発言はネットのファン掲示板。

「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を観て

 「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を観た。


『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』予告編

 広島から呉に嫁に行き、呉の空襲に遭った女性・北條すずの生活を描いた映画「この世界の片隅に」の、いわば新版である。

 

まずは「長尺版」ととらえていいのでは

 この映画の公式サイトには、

この映画は、大ヒット映画『この世界の片隅に』の単なる長尺版ではない。250カットを超える新エピソードによって、これまで目にしていたシーンや人物像が、まったく異なる印象で息づきはじめる。『この世界の片隅に』を知る人も、知らない人も1本の‟新作“として体感することになるだろう。

という解説があるのだが、まずは「元の映画版に、原作にある遊女・リンのエピソードを加えた長尺版」ととらえていい。

 もちろん、それ以外に加えられた部分もある。例えば序盤にすずの尋常小学校時代では節約して使っていた鉛筆を級友・水原によって穴に落とされてしまうエピソードが、あるいは、戦争が終わったあと、「ひと月遅れの神風」がやってきて一家で大笑いするシーンなどが加えられている。

 何よりも、前のバージョンでは、「だれでもこの世界で居場所はそうそうなくなりゃせんのよ」と述べたリンのセリフをすずが突然思い出す唐突さが、今度のバージョンによってロジカルな展開の中で登場するようになった。

 

リンの「ゼイタクな事」というセリフ

 ぼくは前に映画のレビューを書いた時、原作においてもっとも重要な3つのセリフが欠落していたり、改変されていたりして、映画と原作(マンガ)は別個の作品だという意見を述べたことがある。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 この3つのセリフのうちの一つ、二河公園の花見でリンがすずに会って

人が死んだら記憶も消えて無うなる
秘密は無かったことになる
それはそれでゼイタクな事かも知れんよ

 とのべる原作のセリフは、映画の最初のバージョンでは全く存在しなかった。

 それが今回、

死んだら心の底の秘密も

なーんも消えてなかったことになる

それはそれでゼイタクな事なんかも知れんよ

 という形で、いわば「改変」されて挿入されている。

 

「記憶」でなく純粋な「恋の秘密」として

 原作におけるこのセリフは、テルの死に言寄せて「リンと周作の過去の秘密」について言っているようでもあるが、こうの史代が『夕凪の街 桜の国』以来描いてきた「記憶」の問題を語っている。

 

この世界の片隅に コミック 全3巻完結セット (アクションコミックス)

この世界の片隅に コミック 全3巻完結セット (アクションコミックス)

 

 

 原作ですずは、戦争が終わって隣家の刈谷さんと食糧調達と潮汲みに出かけた時に、爆弾で殺された姪の晴美について次のような会話を交わす。

生きとろうが 死んどろうが

もう会えん人が居って ものがあって

うちしか持っとらん それの記憶がある

うちはその記憶の器として

この世界に在り続けるしかないんですよね

晴美さんとは一緒に笑うた記憶しかない

じゃけえ 笑うたびに思い出します

たぶんずっと 何十年経っても

 

 

 晴美が死んだことのつらさゆえに、晴美の死を「忘れてしまう」ということもできる。「記憶は消え」「秘密は無くなる」のである。戦争の「記憶」を無くしてしまうことにそれはつながっている。

 しかし、それは他方で、晴美との思い出を全て消してしまうことをも意味する。笑ったり楽しかったりした豊かな思い出を全て消去するのだ。

 それはなんという「ゼイタクな事」であろうか。

 一種の批判としてそれは読める。

 原作が、なんどもなんども読み返したくなるような戦時の日常の「楽しさ」を描いていることにもそれは重なる。

 身体に染み込んだ「記憶」は消去できない。

 すずは原作において、このセリフにかぶせて次のような独白をしている。

わたしのこの世界で出会ったすべては

わたしの笑うまなじりに

涙する鼻の奥に

寄せる眉間に

ふり仰ぐ頸に

宿っている

  戦争のつらさを記憶することと戦時であってもそこに「楽しい」生活があったことを記憶することは一体のものである。

 

 しかし、映画では、リンのセリフからは「記憶」という言葉は消えているし、すずのセリフからもやはり「記憶」(「記憶の器」ではなく「笑顔の器」となっている)という言葉は消えている。

 「記憶」という言葉が日常的な言葉ではないと監督の片渕須直が実務的に判断したのかもしれないが、ぼくは映画では「記憶」をテーマにした原作の意図が後景に退き、リンのエピソードは純粋に恋物語として機能しているという印象を受けた。

 やはり、原作マンガとアニメは別々の作品なのである、という結論に再び到達せざるを得ない。

 

遊郭という「片隅」

 その代わり、ぼくは映画のタイトルが「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」とされ、主にリンのエピソードが加わったことによって、遊郭の「片隅」性が強調されたように思う。

 こうの史代は否定しているが、もともと『この世界の片隅に』は山代巴『この世界の片隅で』にヒントを得ていると思われる。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 当然監督の片渕もそのことを承知しているはずだ。

 山代は「片隅」という言葉に次のような意味を込めている。

この本の名を、『この世界の片隅で』ときめました。それは福島町の人々の、長年にわたる片隅での闘いの積み重ねや、被爆者たちの間でひそやかに培われている同じような闘いの芽生えが、この小篇をまとめさせてくれたという感動によるものであります。(山代前掲)

 すなわち、広島の被爆者の中でもさらにスラム、さらに「部落」、さらに孤児……という「片隅」性である。

 すずの戦時生活は、遊郭に売られたリンのような人生や生活との比較において「まだましな」ものを感じさせてしまう。しかし、その「まだまし」さ加減は、今回のバージョンで加えられたリンとすずの「出産問答」(結婚して男子を出産することが義務であるとすずが主張するが、リンの素朴な疑問によって次々にその虚構性が暴かれてしまう)によって相対化させられてしまう。

 結局、生きられなかったテルの人生や、おそらく空襲で殺されてしまったであろうリンの人生が新たに視野に入ってくる。

 ぼくらはリンの人生を決して悲惨なものとしてのみ思いおこすのではなく、すずとの美しい、楽しいエピソードとともに思いおこす。江波の家でスイカを食べたであろうことや、遊郭の前で絵を描いたこと、花見で会話したことなどである。それはこの原作や映画の虚構の力である。

 

現実の呉の遊郭 『聞書き 遊郭成駒屋』より

 しかし、ぼくらが無数の「すず」を探すために現実にアクセスし、その証言を聞いたり、話を読んだりしたように、無数の現実の「リン」にアクセスする必要があるのではなかろうか。

 神崎宣武の名著『聞書き 遊郭成駒屋』(ちくま文庫)には、神崎の母の友人で、呉の遊郭で働いていた「ニセ医者」・尾島克己(仮名)が証言している。

聞書き 遊廓成駒屋 (ちくま文庫)

聞書き 遊廓成駒屋 (ちくま文庫)

 

  神崎は「私は、本稿をまとめるにあたって、いわゆる『遊郭残酷物語』にしたくない、という強い気持ちを持っている」(神崎p.170)として「私は、未知の世界を、わずかに残存する道具類や当事者を頼りに探ってみたいのである。そのとき、娼妓への同情からだけでものをいいたくはない。その時代の事実を記録することが先決だ」(同前)と述べている。

 しかし、その神崎が尾島から聞き取った中身は、なかなか凄絶なものであった。

 例えば、性病検査をパスするために陽性反応を出さないよう「高熱」を出させる。尾島はそのために薬の過剰投与をしたとしている。神崎はマラリアを感染させたりしたこともあるのではないかと疑っている。テルの「高熱」をどうしてもぼくは思い出してしまった。

 また、妊娠してしまう遊女も少なくない。いちいち掻爬などしていたら体がもたないので、ホオズキを使う。そのアルカロイドで胎児を腐らせて堕胎させるのだと尾島は言う。

 『聞書き 遊郭成駒屋』は、名古屋の一角の古い遊郭を取り壊す現場に偶然出会った民俗学者が、解体業者に無理を行ってそこの民具一式を買い取らせてもらうというなんとも印象的なシーンから始まる。

 その中に、遊女たちの食器がある。

それにしても、娼妓の部屋にはこまごまと食器が多い。(神崎p.118)

 神崎は、 

 たとえば、湯呑茶碗は、おしなべて夫婦茶碗なのである。

 二つならんだ大小の湯呑茶碗は、娼妓たちのまだみはてぬ結婚生活へのあこがれを表したものなのか、あるいは客を主人として扱うことで客の自尊心をくすぐろうとしたものなのか。それは、知るよしもない。たぶん、両方の気持ちが微妙に交錯してのことだったのだろう。(神崎p.119-120)

と推察する。

 映画の中で、周作がリンにリンドウ柄の茶碗を贈ろうとしていたのは、果たして結婚の後でのプレゼントのつもりだったのか、それともまだ遊郭にいるうちに贈ろうとしていたものなのかわからないのだが、ぼくはなんだか後者のような気がして映画をみていたのである。

 

まとめ

 今回のバージョンでは、周作とリンのいきさつ、すずを選んだ経緯について、ややロジカルな説明が挿入されている。それは好みの問題かもしれないが、少々説明っぽくなってぼくには余計なことのように思われた。

 しかし、ぼくによって今回の収穫は、なんといってもリンのエピソードが太く挿入されたことによって、戦時生活の中での遊郭という「片隅」がクローズアップされたことであり、そのことによって現実の歴史の中での遊郭の女性たちに目が行くことになったという点だ。そして、もう一つは、「だれでもこの世界で居場所はそうそうなくなりゃせんのよ」というセリフが完全なものになったという点である。

高松美咲『スキップとローファー』

 ぼくは地元の自治体の高校には行かず、電車で片道1時間半もかけるような、となりの大きな市の進学校に行ったので、自分と同じ中学から来ている生徒は同学年に1人もいなかった。

 そこで生まれて初めて「誰も知り合いがいない」という状態を体験した。

 生まれてからずっと友だちに囲まれ、しかもその中で「文化的リーダー」であると自負していたから、いつもコミュニティの中心にいるような気持ちが中学校まではずっとあった。

 そこへ来ていきなりの孤立である。

 「友だちを作る」などという、これまでに経験したことのないミッションをこなさねばならず、しかもぼく程度の成績の「優等生」は掃いて捨てるほどおり、ぼくは誰からも注目されない、誰からも話しかけられない、透明人間のような存在となった。

 

 「街」の奴らの会話やノリにはついていけず、かと行って同じような田舎臭い人たちと話していても別に楽しくもない。自分は一体どういう人間関係の距離をとればいいのか初めて悶え苦しむことになった。

 

 本作『スキップとローファー』は、石川県から東京の進学校にやってきた岩倉美津未(いわくらみつみ)は別にそのような悶絶を経験するわけではない。

 

スキップとローファー(1) (アフタヌーンコミックス)

スキップとローファー(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 

 しかし、田舎から独特の気負いを持って乗り込み、都会の洗練された人間たち(江頭ミカのような)からいろんなジャッジを受けてしまう様を見ると、あの頃の自分を思い出してしまい、どうにも身もだえしてしまう。

 だが、みつみは志摩聡介というチャラそうなイケメン、そして、村重結月(ゆづき)という謎めいた美少女という、2人からなぜか興味と好意を持たれてしまうことによって、むしろその純朴なまっすぐさを救済される。

 都会的なコミュニティの上位に位置する人間に庇護される形で、「みつみらしさ」を失うことなく活躍できるわけで、ぼくから見て、ユートピアというほかない。

 

スキップとローファー(2) (アフタヌーンコミックス)

スキップとローファー(2) (アフタヌーンコミックス)

 

 

 

 この作品でぼくが好きな瞬間は、聡介や結月から庇われ、みつみへの攻撃を彼・彼女が暴きたて、ミカのような存在が逆にその虚偽の部分を失って「まっとう」になっていく、そのあたりのシーンである。

 あの頃、こんな友だちがいたら……! という羨望の気持ちで読む。

 

 『このマンガがすごい! 2020』にて番外の「オトコ編」作品として選ばせてもらった。オトコ編7位に入って嬉しい。

konomanga.jp

 

『このマンガがすごい! 2020』に「オンナ編」のアンケート選者として参加

 『このマンガがすごい! 2020』(宝島社)に「オンナ編」のアンケート選者として参加しています。

ebookjapan.yahoo.co.jp

 

konomanga.jp

 

 ぼくとしては、自分の選んだものがオンナ編の3位にランクインしたのと、特別に選んだオトコ編の作品が、7位で入っていたのが嬉しかったです。

ケン・ローチ監督「家族を想うとき」(映画)

何の救いもない映画

 エンドロールが出てきたとき、「あっ、ここで終わるのかよ…」という絶望感を隠せなかった。

 ケン・ローチ監督の映画「家族を想うとき」は、すばらしく何の救いもない映画である。

longride.jp

  個人事業主という形で配達の仕事を請け負うことになった主人公・リッキーとその家族を描いた作品である。クソ高いレンタル料を選ぶか、長期のリスクを背負うローンでの買取かという博打のような選択で自家用の配達車を買い、分単位で管理される過酷な配達ノルマをこなす。

 

アントレプレナーシップ」と「ソサエティ5.0」の本当の姿

 そういえば、2006年、今から13年も前に、ぼくは「30年後の日本」を予想する企画を自分のホームページでやったことがある。あの時、野村総研の『2010年の日本』を紹介したけど、かの財界シンクタンクはその本で「雇用社会から起業社会へ」と題した最終章を用意していた。

「自分が自分のボスになる」という言い方があるが、会社に勤めていても新しい事業を始める、あるいは、組織の変革をすすめるという主体的な人が増える社会……起業家精神アントレプレナーシップ)がより発揮される社会(p.204)

  そして、その時ぼくは、財界のいう「起業家」とは単に労働法の保護を失った労働者に過ぎないことを指摘した。

 資本の立場から国民にむけて「起業家精神」を吹き込むことには、資本にとっては意味がある。

 たとえば「個人請負」。
 2003年に名古屋で「軽急便」ビル爆破事件がおきたことことを覚えているだろうか。
 本来、「輸送労働者」として雇われ、「車」という生産手段も、会社が所有するものを使い、労働者はそこから労賃をうけとるというのが資本主義システムである。そのかわり、労働者は労働時間、労賃、解雇規制、社会保険など労働法によってさまざまな権利を保障され、保護されている。

 しかし、「個人請負」は、労働者に法外な金を出させて生産手段を使う「権利」を背負い込ませ、あらゆる労働者保護を解除する。労働者は「起業家」となり小さな資本家となる。ゆえに賃金を払ったり、労働時間を気にしたり、社会保険料をおさめる義務は会社にはいっさいなくなるのだ。もちろん「小さな資本家」になった「労働者」にとって、「もうけは自分のもの」のはずだが、そのような対価を得られる保障はどこにもない。

  まさにリッキーの姿は、財界が望んだ「起業家」そのものの姿である。

 ぼくが住む福岡市では小学生にまで「アントレプレナーシップ教育」をやっているけども、労働法に保護される「サル」(野村総研)になるのではなく、立派な起業家になってくれよ! というわけである。めざせリッキー。

http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/48921/1/shiryou7.pdf?20190925151247

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 そして、AIやICTといった技術革新による「社会問題の解決」。財界が望む「ソサエティ5.0」を安倍政権、そして福岡市の髙島市政が旗振りしている。先日も市長の話を直接拝聴する機会があったが、彼は自動運転車やドローンの例を上げて、技術革新がいかに社会問題を解決するかを熱心に語っておられた。

 しかし、鬼監督・リッキーがGPSを備えた「銃」(手元で集中管理をするハンディターミナルの「愛称」)でリッキーたち配達人を精密に管理するように、明らかにその技術は、猛威を振るう資本の権力である。

 何の保障もない、徹底した自己責任の起業家たちの集まりなのに、『蟹工船』の現場監督・浅川らしきものがいるんだぜ?

 

 「アントレプレナーシップ」とは労働法の保護を失った労働者であり、「ソサエティ5.0」とは技術による資本の専制権力の確立である――この映画をみてそう思わずにはいられなかった。

 

家族はリスクに

 映画では、リッキーの息子・セブは学校に行かない。万引きをしたり、「落書き」(ストリート・アート)をしたりしている。

 配達を休むわけにいかないときに、息子が警察に捕まったと連絡が来る。息子に前科がついてしまわないように、リッキーは悩んだ挙句に警察に出向く。マロニーは電話の向こうで怒鳴りながら莫大な制裁金を覚悟しておけと脅す。

 セブだけではない。

 他の家族の行動も、リッキーの労働には「リスク」として現れる。

 リッキーは配達を時間通りにこなす「優秀な配達人」だった。リッキーが奪うことになったコースは、「いつもトラブルずくしで時間通りに配達できない配達人」のものだった。その配達人は不要とされ、マロニーにあっさり切り捨てられた。いわば「ダメ配達人」だったわけだが、リッキーは家族の「リスク」に巻き込まれてあっという間に「ダメ配達人」にされてしまう。

 子どもたちが成長の過程で右往左往し、そのために必要な時間を過ごすことはリッキーの労働には予定されていない。おそらくリッキーが病気になること、怪我をすることもその労働にはうまく予定されていない。そのたびにペナルティが課せられる(いくらか保険で賄われるにせよ)。

 このようにリッキー的な「起業」とは、家族と向き合う時間、事故や病気、そうしたものがほとんど予定されていない。「順調に」仕事だけをこなしていけば、確かになにがしかの報酬が約束されているわけだが、生活をもつ人間、家族をもつ人間にとって、実はそのような「順調」さは極めて成り立ちにくい条件なのだと思い知る。

 なるほど家族は「贅沢品」になってしまう。

gendai.ismedia.jp

  家族がリスクになったり贅沢品になるのは、むろん家族のせいではない。

 社会の制度設計が間違っているのである。

 

救いがないということ

 かつて労働運動や教育問題を報じていたジャーナリストの斎藤茂男が、“自分の描くルポルタージュは展望が見えないと批判される”と自嘲していた。組合とか政党とか、社会変革の力が見えないから、という批判である。

 今にして思えばそのような「安易」な展望を描くことが作品に必要なのかという思いさえよぎる。

 この映画を見た人は、絶望して布団をかぶって震えて寝てしまうのではなく、むしろ社会に何かを感じ、行動を促されるのではなかろうか。

 「救いがない」ことはこの映画の美点である。

 救いがないのだけども、介護労働者でリッキーの妻であるアビーが、怪我をしたリッキーのもとにかかってくるマロニーからの電話に向かって啖呵を切るシーンは、涙なしには見られない。資本の専制に対する痛烈な告発である。この映画の白眉だ。

 

タイトル(邦題)のこと

 町田智浩はこの映画の邦題について批判していた。

miyearnzzlabo.com

 

というような、恐ろしい映画がこの『家族を想うとき』で。でも『家族を想うとき』じゃあ伝わらないよ!っていう。

 これはぼくも同感で、原題「Sorry We Missed You」はイギリスの宅配の不在連絡票に書いてあるいわばおきまりの文句のようである。

赤江珠緒)ねえ。原題の『残念ながらご不在でした』の方が伝わるけども。

  ま、「残念ながらご不在でした」で伝わんのかよ……とは思うけど。

 『家族を想うとき』がハートフルすぎるというのはその通りで、例えば「ご不在連絡票」とかの方が、不気味でいいんじゃないかな。