『ブハーリン裁判』『共産主義とは何か』

 『夫ブハーリンの想い出』のブログ記事のところで述べたことを、もう少し詳しく書いておきたい。

 無実の罪によって銃殺されるブハーリンは、さぞや自分の裁判で、自分は冤罪であることを力説しているであろう、と思って、その裁判記録である『ブハーリン裁判』を読むのだが、いきなりブハーリン自身が自分の有罪を認めてしまうので、読んでいるぼくとしては本当にたまげてしまう。

 これはブハーリンの妻であったラーリナがブハーリンの裁判記録を読んだときに感じた衝撃とたぶん似ているのであろう。

 『ブハーリン裁判』では、ブハーリンに対してスターリニスト中のスターリニストである検事ヴィシンスキーが訊問を行なっている。例えばそのやりとりの冒頭の一部分は、次の通りなのだ。

ヴィシンスキー 許しを頂いて被告ブハーリンへの訊問を始める。あなたが有罪であると弁論するものが正確に何に対してであるのか、簡潔にそして系統立てて説明しなさい。

ブハーリン 第一に、反革命的『右翼的=トロツキー派連合」に属していたことに対してです。

ヴィシンスキー 何年からですか。

ブハーリン その連合が結成された時からです。いやもっと以前でさえ、私は「右翼派」の反革命組織に所属していた、そのことによって有罪なのです。

ヴィシンスキー 何年からなのですか。

ブハーリン 一九二八年頃からです。私はこの「右翼派=トロツキー派連合」の中心的な指導者の一人であったことにより有罪です。従って私はこの事実から直接に結果する全てのことに関して、この反革命的組織が犯した総体に対し、る特定の行動について私が知っていたかどうかに関係なく、また私が直接それに関与したかどうかにも関係なく、有罪であることを認めます。何故なら私はこの反革命的組織の歯車の一つとしてではなく、指導者の一人として責任があるのですから。(同書p.11-12)

 この通りなのである。

 

ブハーリンの独特の裁判戦術

 しかし、これはブハーリンの独特の裁判戦術だった。

 その解説を不破哲三が『スターリン秘史』1の中で行なっているので紹介しよう。スターリン秘史』は言うまでもなく、日本共産党志位和夫委員長が先ごろ(2023年9月15日)の党創立101周年記念講演で、その功績を高く評価した文献だ

しかし、この裁判でブハーリンの供述は、それまでの他の被告のように、与えられた筋書き通りのものではなく、独特の構成を持ったものでした。彼は、反革命的な「右翼=トロツキー派連合」の存在を認め、その中心的な指導者の一人であった自分が、この「連合」が犯した犯罪の総体にたいして「有罪」であることを認めます。しかし、彼は、自分が認めるのは、「ある特定の行動について私が知っていたかどうかに関係なく、また私が直接それに関与したかどうかにも関係なく」、指導者としての責任という意味での「罪」だとの説明を、最初から最後まで押し通しました。共同の被告たちは、各種の犯罪行為にブハーリンが直接関与したという証言を彼の目の前で繰りかえしおこないましたが、ブハーリンは、最後までその立場を貫いたのです。最終陳述では、とくにキーロフなどの暗殺、諸外国の諜報機関との通謀、一九一八年のブレスト講和の時期におけるレーニンの暗殺の企てなどとの自分の関係は、強い言葉できっぱりと否定しました。(不破p.251-252)

 

 つまりこのように読める。

 “自分(ブハーリン)はソ連の政治指導者の一人として、反革命・反ソ活動というものがもし起きてしまったのだとしたら、そういうものを起こしてしまったという非常に大きな意味で、政治家としては責任があるんだろうね。だけど、そういうものの陰謀や謀議には自分は具体的には全く関わっていないんだけど?”

 現代日本で言えば、こういうロジックだろうか。

 安倍元首相が暗殺された。岸田首相はその陰謀に加担していたのか? という問いを立てた時、“そのようなテロを結局は許してしまった政治土壌を生んだという点において、政治指導者の一人として責任を感じる。もちろん、テロの陰謀などには具体的に私は関わっていない”…的なものだろうか。

 具体的な関与を否定するブハーリンの様子を、例を挙げて紹介しておこう。

 党内外で人気がありスターリンに次ぐ党幹部であったキーロフの暗殺について、その具体的な指示を下したかどうかを問い詰めるヴィシンスキーに対して、ブハーリンは以下のように否定する。

ヴィシンスキー そしてセルゲイ・ミロノヴィチ・キーロフ暗殺に対するあなたの関係はどんなだったのですか。この暗殺もまた「右翼派=トロツキー派連合」が承知の上で、またその指示の下に遂行されたものですか。

ブハーリン それは私の知るところではありません。

ヴィシンスキー 私が尋ねているのは、この暗殺は「右翼派=トロツキー派連合」が承知の上で、またその指示の下で遂行されたのかどうか、ということなのだが。

ブハーリン それなら私も繰返すだけです。私は知りません、市民検事。

 こんな具合。

 で、裁判長だったウリリッヒはその戦術に気づいてしまうので、苛立つわけである。

 不破も『スターリン秘史』の中で参考文献としてあげている(1巻p.310)メドヴェージェフ『共産主義とは何か』でも、次のように書かれている。

あるとき裁判長ウリリッヒは、がまんできなくなり、ブハーリンにむかって断言した。「これまで君はまわりくどいことばかり言って、犯罪のことは何も言っていないではないか」。(同書上巻p.289)

 そして検事だったヴィシンスキーも気づく。ブハーリンが事件への具体的な関与を認めず、政治・哲学論争などを始めようとするので激怒するのである。

ブハーリンの言動に、ある戦術が存在していることにヴィシンスキーも気がついた。彼は言った。

…君は明らかにある戦術をまもっていて、真実を述べようとしない。言葉の洪水にかくれ、小理窟をこね、政治や哲学や理論や何かの領域に後退している。そんなものはきっぱりと忘れる必要がある。君はスパイ活動を告発されており、すべての審理事実によると、明らかにある諜報部のスパイである。だから小理窟をこねるのはやめたまえ。

(同前p.289-290)

 ソ連政府の機関紙「イズヴェスチヤ」もこの戦術を指摘し、裁判を目撃した外国の大使もそこに気づいた。

 ブハーリンの独特の戦術のことは、当時の新聞も書いている。「イズヴェスチヤ」は次のように書いた。「それは方式であり戦術である。ブハーリンのすべての答弁は、この戦術を基調としてすすめられている。すこしも直接に答えず、対審においても、反対尋問によっても、証人の供述によっても、これまでのところ、彼がもっとも凶悪で卑劣な犯罪者であることを立証することができず、自白を迫ることができない。この戦術の目的は、何も言わないことである。うわべは学問的な文句で告発を混乱させ、真実をぼやかすのである。自分を救うことであり、自分はすべてのことに責任があると大仰に宣言して、すべて具体的な告発をかわすことである」。〔…中略…〕

 ブハーリンの供述と法廷での態度での分析から出発して、現代の若干の研究者(イー・アー・エリ——)は、ブハーリンは検事との正面衝突に入りこまないで、それにもかかわらず、裁判の司法的側面に一撃を加え、この裁判の不法性と被告の供述における虚偽を指摘しようと、まったく意識的に努めたものと考えている(この裁判の目撃者であるモスクワ駐在イギリス大使館員エフ・マクリーン准将も、その著書で、これと同じ見地を展開した)。(同前p.290)

 そこに出てくる「裁判の司法的側面」とは、物証などを積み重ねず、被告の自白だけを根拠に有罪を決めるというやり方のことだ。ブハーリンは最終弁論でそれを厳しく批判した。

被告の自白は本質的なものではありません。被告の自白は法制の中世的原理であります。(『ブハーリン裁判』p.176)

 この考えは例えば現代の日本国憲法(第38条)にも具体化されている。 

何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

 ブハーリンは裁判ではスターリンスターリン体制そのものを否定しなかった。それは後世からみて弱点ではあった。しかし、その限界内においても、彼は戦術を駆使して、裁判の虚偽を明らかにしたのである。ブハーリンは有罪とされ銃殺されたという意味においてスターリンの「勝利」ではある。しかし、その「勝利」の意味を不破は次のように書いた。

スターリンがかちとった勝利も、ブハーリンの抵抗を完全に封殺するまでには至らず、法廷記録そのものに後世に生きる疑惑を残したという点では、傷だらけの勝利だったと言わねばならないでしょう。(不破p.252)

 

なぜ彼らは裁判で「すべてでっち上げだ」と言わなかったのか

 現代の我々から見ると、「裁判の場で、『そんなものは全部でっち上げだ!』と言えばいいじゃないか?」と思うかもしれない。たとえ拷問で「自白」を強制されたとしても、なぜ裁判の場で1ミリもありもしない罪を認め続けてしまうのか? 全くわけがわからないだろう。

 メドヴェージェフの本には、どのようにしてこうした「証言」が法廷で生まれるのかを、いくつかの例で明らかにしている。

 例えば、ブハーリン裁判ではないが、その少し前、1928-31年の「全国ビューロー」事件というものがある。ボルシェヴィキと対立していたメンシェヴィキの「全国ビューロー(事務所)」というものが作られソ連体制の転覆を図っていたとされる事件であり、もちろんスターリン体制下ででっち上げられた事件である。

 そのでっち上げ事件に巻き込まれたエム・ペー・ヤクーボヴィチが生き残り、のちに上申書(1967年)を書いて、なぜ彼が虚偽の自白をして、法廷でそれを繰り返してしまったかという事情が書いてある。

 裁判の前に被告たちが集められ、何度も「予行演習」をさせられる。

 そうした中でヤクーボヴィチは次のように逡巡するのである。

 私は当惑しました。法廷でどのように振舞うべきか? 審理での供述を否認するか? 訴訟のぶちこわしを図るか? 世界的な大騒ぎをおこすか? それが何の足しになるのか? それはソヴエト権力を中傷することになりはしないだろうか? 共産党を? 〔…中略…〕オー・ゲー・ペー・ウー機関〔ソ連の治安機関——引用者注〕がどんな犯罪をおかしたにせよ、私は党と国家を裏切ってはならないのです。私は、ちがった考えをしたことも隠しません。もしこれまでの審理の供述を否認したら、あの残忍な取調官は私をどうするだろうか? それは思っても恐ろしいことでした。死ねさえしたら。私は死を欲しました。私は死のうと思い、それを試みました。しかし彼らは死なせようとはしません。彼らはゆっくりと、はてしなくながいあいだ私を拷問しようというのです。死にいたるまで眠らせようとしません。不眠のため死がやってくるとしたら、たぶんその前に気が狂うでしょう。どうしてその決心がつくでしょう? 何のために? もし私が共産党とソヴエト国家の敵であったなら、それを憎む勇気の道徳的な支えを見いだすことができたかもしれません。しかし私は敵ではありません。どうして法廷でこうした絶望的な振舞ができるでしょうか?(メドヴェージェフ前掲上巻p.211-212)

 共産党と革命が生み出した社会体制への熱い信頼があったこの頃、その事業に誠実に人生を捧げてきた共産党員ほど、いかに自分の罪をでっち上げられようとも、もはや冤罪からの脱出が絶望的とわかると、「共産党や革命の事業を傷つけまい」と思い、「諦めて」しまう。

 加えて、そのあとに続くであろうと予想される自分や家族に対する言語に絶する暴力や迫害も、その「冤罪」を認めさせてしまう構造になっているのである。

 

 ヤクーボヴィチと監獄で引き合わされたティテルバウムの場合は、“外国の貿易会社からの収賄”の罪をでっち上げられ、「自白」をさせられるのだが、ティテルバウムは「収賄」という破廉恥罪で死ぬよりは、政治犯として死にたいという欲求に駆られてしまう。

私〔ティテルバウム——引用者注〕はながいあいだ投獄されている。彼らは私が外国で資本家貿易会社から収賄したと自白することを要求して殴打した。私は拷問に堪えられなくて「自白」した。おそろしいことだ、こんなに恥をかいて生死するのはおそろしいことだ。取調官のアプレシャンは、突然言うのだ。「多分君は自白を変更して、反革命メンシェヴィキの全国ビューローに参加したことを自白したいのだろう? そうすれば君は普通犯でなく政治犯になるわけだ」。私は答えた。「そうしたいです。どうすればいいのですか?」アプレシャンは言った。「すぐヤクーボヴィチを呼ぼう。君は彼を知っているかね?」「知っています」。そこで君〔ヤクーボヴィチ——引用者注〕を呼んだ。同志ヤクーボヴィチ、お願いだから僕を全国ビューローにいれてくれたまえ。僕は堕落した悪漢としてよりは、むしろ反革命派として死にたいのだ。(同前p.211)

 死ぬことはもはや逃れられない前提であれば、「収賄で死ぬ」か「反革命で死ぬ」かどちらかを選ぶしかないという「究極の選択」をさせられるのである。

 

 この「全国ビューロー」事件では、経済学者イー・イー・ルービンがどのように、全く身に覚えのない「罪」を「自白」をさせられたのか、ルービンが流罪になった後で、妹(ルービナ)が聞き取った覚書が紹介されている。

 当初、ルービンは自分の「罪」を聞いたときにびっくりする。

一九三〇年一二月二三日に逮捕されたとき、彼〔ルービン——引用者注〕は「メンシェヴィキ全国委員会」の一員であることが告発された。この告発はひどくばかげたことに思われたので、彼はただちに、彼の考えではこうした告発がありえないことを説得できるにちがいないように、自己の見解を述べた上申書を提出した。予審判事はこの上申を一読するとその場で破りすてた。(同前p.215-216)

 ここで、前述のヤクーボヴィチが登場する。ヤクーボヴィチもやはり「自白」させられ、検察当局の筋書き通りにするよう強要されていた。ヤクーボヴィチは対審したルービンに対して、「イサーク・イリイッチ君〔ルービンのこと——引用者注〕、われわれはいっしょに『全国ビューロー』の会議に出席したではありませんか」とウソの言葉かけをせざるをえなかったのである。

 しかし、ルービンは素早く「その会議はどこで開かれたのですか」という実に素朴な、しかし本質的な、鋭すぎる質問をしてしまう。その「会議」の詳細なイメージをでっち上げることを忘れていた検察当局はそこで狼狽してしまうのである。

この質問は尋問の進行に大きな混乱をひきおこしたので、取調官はその場で尋問を中断し、「なるほど君も法律家だったな、イサーク・イリイッチ!」と言った。(同前p.216)

 「ルービンは全国ビューローの一員」という筋書きがこうして崩れてしまった。当局側はその後、移送の車の中でルービンに考え直せ、48時間を与えよう、などの脅しをしたが、ルービンは考えを変えなかった。

 そして「彼の意志を挫くために、ありとあらゆる策が講じられた」「取調官が〔…中略…〕一分間たりとも眠らせず、呼びさまし、あらゆる尋問で責めたて、彼の精神力を嘲弄し、彼のことを『メンシェヴィキのイエス』と呼んだ」(同前p.217)というほどに拷問を仕掛けられた。しかしルービンは屈しない。

 でっち上げの罪をいきなり突きつけられ、本質的な反論を返すと、相手は狼狽し、答えられなくなり、どこかにお伺いをたてにあわてて尋問を中断。その後、「考え直せ」「罪を認めろ」「自己批判しろ」としつこく問い詰め、ついには精神や身体に不条理な抑圧を加える……ああ、このくだり、とても他人事とは思えない

 しかしルービンは屈してしまう。

 どのような責め道具によってであろうか?

 〔…前略…〕一月二八日から二九日にかけての夜、彼は地下牢に入れられた。そこにはいろいろの獄吏とヴァシレフスキーとかいう囚人が一人いた。……彼らは兄〔ルービンのこと——引用者注〕の面前でこの男にむかって「ルービンが自白しなければ、いますぐお前を銃殺する」と言った。ヴァシレフスキーはひざまずいて「イサーク・イリイッチ〔ルービンのこと——引用者注〕、自白しても何でもないでしょうが」と懇願した。しかし兄は、ヴァシレフスキーがその場で銃殺されても気丈におちついていた。内心で正しいという感情がきわめて強かったので、この恐ろしい試練にたえるのを助けた。その翌日の一月二九日から三〇日にかけての夜間、兄はふたたび地下牢に入れられた。こんどは、学生らしい青年がそこにいたが、兄はこの男を知らなかった。彼らがこの学生に「ルービンが自白しなから、お前は銃殺されるだろう」と言うと、学生は胸のシャツを破り「ファシストめ、憲兵め、射て!」と言った。彼はすぐさま銃殺された。この学生の名はドロードノフといった。

 ドロードノフ銃殺は私の兄に強烈な印象をあたえた。そして監房に戻ってから、彼は考えこんだ。どうすべきか? 兄は取調官と話し合うことを決心した。(同前p.217)

 

共産主義とは何であってはならないか

 ここで紹介した『共産主義とは何か』は、1967年に出版された本である。原題が「歴史の裁きのまえに」(Перед судом истории)、英題は「Let History Judge」(歴史をして裁かしめよ)である。サブタイトルは「スターリン主義の起源と帰結」。

 日本では1973年に三一書房から出版されている。訳者は石堂清倫で、日本共産党員だったが1961年に除名されている。だから不破がこれを石堂の名前もちゃんとあげて参考文献として『スターリン秘史』で紹介したときには、ちょっとした驚きがあった。

 メドヴェージェフ自身も本書を理由にソ連共産党を除名された(1989年に復党)。

 

 「共産主義とは何か」というタイトルで、スターリン体制のもとでの犯罪が描かれているので、「共産主義ってこんなに恐ろしいんだよ!」という意味でつけられたタイトルのように思える。

 しかし、学生時代、本書をぼくに教えてくれた人は、左翼活動家の先輩で、同じ下宿に住んでいたのだが、その古い下宿先で彼がぼくの部屋にきて話し込み、こう話してくれたものである。

「このタイトルは『共産主義とは何か』なんやけど、そこに込められてる意味は、『共産主義とは何であってはならないか』ってことなんやな」

 つまりこのようなスターリン主義であってはならない、という意味が込められているのだと教えてもらった。

 1980年代が終わり90年代にさしかかったころ、まだぼくのまわりの左翼はトロツキー反革命的な人物だという評価であり、彼の著作を読んでいると「ほう、まず敵を知るために読んでいるわけですか」などと声をかけられた。

 そんな中で、その先輩は、スターリンやその体制のまちがいだけでなく、トロツキーの面白さ、市場を否定した一元的計画経済の無理、そしてレーニンのさまざまな蛮行についても教えてくれたものだった。

 

 あの頃、ぼくは本書『共産主義とは何か』をただの「歴史の知識」として読んだに過ぎないが、今まさに自分に関わる切実な問題として本書を読むことになった。そんなことにはなりたくはなかったのだが。

花輪和一『刑務所の中』

 リモート読書会で花輪和一刑務所の中』を読む。

 ぼくがファシリテーターを務めたので、最初に報告した一文を紹介しておく。

 なお、ぼくは花輪についてほとんど詳しくはない。なので、最初は、花輪について書かれたウィキペディア(2023年9月26日)を使わせてもらった(そこには不正確なこともあるかもしれないのだが)。その部分は省略しておく。

 

 本作を読む場合の注意としてあげておきたいのは、本作が発表されてからの刑事施設の処遇の変化である。

 『刑務所の中』(2000年)が刊行されヒットした。

 そして崔洋一監督、山崎努主演で映画化(2002年)もされた。ぼくもファシリテーターをやるに際して、同作を鑑賞した。松重豊なども出てきて楽しく見られた。本作に忠実ではあるのだが、どこを取捨選択しているかで崔とぼくの注目ポイントが違うなあと感じた(後述)。

 花輪は、この経験をもとに、安部譲二とともに、受刑者の処遇改善などを話し合う法務省行刑改革会議(2003年)などにも呼ばれている。これは刑務行政職員が受刑者を暴行して死に至らしめた「名古屋事件」をきっかけにしている。

https://www.moj.go.jp/shingi1/kanbou_gyokei_kaigi_gaiyou03.html

(1) 我が国行刑の実情について、安部譲二氏及び花輪和一氏から以下のとおり説明がなされた。
〔…中略…〕

イ 花輪氏の説明
・ 銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反により、平成7年から同9年までの間、服役した。
・ 刑務所生活に不満はなかった。刑務所は、厳しければ厳しいほどいいと思う。
・ 作業賞与金の額が少ないと言えば少ない。

ウ 安部氏、花輪氏に対し,以下のとおり質疑応答がなされた。
・ 刑務作業は,社会復帰に役立ったか。
(回答:〔…中略…〕
 花輪氏 鎌倉彫を木工所でやっていたが、社会に出てからは、オリジナリティがないので、なかなか役立てることは難しい。)
・ 「刑務所の中」という作品はとてもよくできているが、本を書く上で、何かを持ち出したりしたのか。
(回答:花輪氏 畳の敷き方等については、分からないように紙に書いて持ち出した。)
〔…中略…〕

・ 名古屋事件の原因はどこにあると思うか。
(回答:〔…中略…〕花輪氏 原因は分からない。)

 刑務所の処遇について花輪は「刑務所は、厳しければ厳しいほどいいと思う」と述べており、本作でも花輪が(刑務所ではなく)拘置所内で食事をしながら「悪事をはたらいたのにこんないい生活していいのかな」と考えるシーンが出てくる。

 また、花輪は「不正連絡」で懲罰房に入れられるのだが、この会議で正直に「畳の敷き方等については、分からないように紙に書いて持ち出した」と述べているのが可笑しい。

 本書の「口絵」にあたる見開きなどを見た読書会参加者はその精緻さに驚いていたが、ぼくもこのようなスケッチは、自分の房内はともかく作業施設についてはなかなかできないのだから、後日取材したのだろうか? と思っていたのだが、そういうことをしたのかと少し合点がいった。

 そして、この後2005年に「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」が改正され、監獄法も100年ぶりに改正された。

 ただ、入管問題にあるように、法務行政・刑務行政の抑圧性は本質的には改善されたとは言えない。

 しかし、2005年の改正で処遇の上で一定の改善・変化があったことは事実で、それは承知して読む必要がある。

 例えば本作のp.229は「1級・2級…」という名札の色の説明が出てくる。これは受刑者の処遇の等級を表すものだが、この「累進処遇制度」は廃止され、現在は新しい制度になっている。

 また、p.260から始まる「軽屏禁(けいへいきん)」という懲罰はもうない。

…などの改善点があるので、ここで描かれた刑務所の実態がそのまま現在も続いているわけではない。そのことは承知して読む必要がある。

 

 本作を読んでぼくが面白かった点 は何か。

 一言でまとめれば、自分の罪・罪悪などにも、あるいは刑罰の抑圧にもフォーカスせず、ひたすら事実を詳細に描き出し、それを独特の画力と人間観察が支えるという視点が、花輪ならではの高い客観性を与えていることだ。

 特に畳や古い木造の建造物の雰囲気を描き出すのに、画風が合っている。

 その上で4点ほど述べたい。

 

(1)何と言っても食事の描写が秀逸

 特に、p.185の「日本崩壊食」で描かれるマーガリンと甘味の描写だ。

 脳が溶けてしまうほどに甘味を欲して、食事時間が終わった昼休みの時間なのに、隠れて食べている受刑者の描写は心に残る。

 映画では、この小豆にマーガリンを混ぜて食べるところ、子供の頃のいかなる思い出よりもうまい体験として描かれる部分は強調されるが、受刑者が隠れて食べているシーンは描かれない。ぼくと崔洋一のセンスとはだいぶ違うんだなと思った。

 作品全体に、受刑者が甘味に対する飢餓感を感じている描写が多く、一つのテーマにさえなっている。自分なら「羊羹」「みどり豆」などが出てきても遠慮するように思うが、それは刑務所に入っていないからかもしれない。

 土山しげる極道めし』は、刑務所に入っている受刑者たちがお互いにシャバの時代に美味しかったものを語り合う物語だが、刑務所というのは、やはり食に対する飢餓感・喪失感が相当強い場所だという印象を受ける。

 この点は読書会参加者からも口々に同様の感想が出された。

 花輪が独房で人に会わない作業に没頭していることを受けて、ひょっとしたら一生ここに入っていてもいいかもしれないと錯覚するシーンなどを見て、一定の規制・縛りの中で独特の「幸福」というものが生じる瞬間について交流した。

 何かの制約や「縛り」をかけるというある種簡単な手続きを施すことで、急に、忽然と、そこい突飛な「幸福」が生まれてしまうのは、現代でもテレビのバラエティでの古典的な企画の一つとしてよく行われてきた。YouTubeなどにはそのような「古典」のわかりやすさが現代的に蘇っているのだと感じる。

www.youtube.com

 

(2)自分の犯した罪に対する罪悪感のドライさ

 p.125「うれしいお正月」も食事に関するものだが、それよりも受刑者たちの自分の犯した罪に対する罪悪感の乾燥ぶり(ドライさ)が印象的だ。

 p.139-140あたり。あいつ殺すからみんなこいや、っていう犯罪シーン。タバコ吸いながら殺している。

いやあ もう殺してくれってゆう目をしてたよ

 怖い感じもあるのだが、あとがきのエッセイで野口さとこが

この作品はどうしてこんなに開放感があるのだろう、と思っていたが、その答えを貰ったように思う。花輪さんは全てを断ち切っているのだ、最初から。そんな花輪さんの目を通して見るから、ムショの世界が面白く見えてくるのではないか。

と書いてる、その視点につながる。

 

(3)刑務所内の自由と抑圧

 刑務所の雑居房・独房、独房の中でも懲罰が始まるまでの房、懲罰を受ける房、そして拘置所などの違いが細かくわかるのが興味深かった。

 刑務所の雑居房は、「優良」とされる房であれば、テレビも毎日見られて、エロ小説も読めて、マスターベーションもできる、というのが意外だった。

 ただし、どこでも刑務官・看守たちの絶望的なまでに強力な権力は強く感じた。

 もみあげ、尻の穴など、身体の隅々までが管理され尽くしている。自分が不当な扱いを受けた時に、これに抵抗する手段はほとんどないであろうという恐ろしさを感じた。

 日弁連が受刑者向けに2022年に出したマニュアルを読んだ。

https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/jfba_info/publication/pamphlet/jyukeisha_jp_kai1.pdf

 そこには抗議する手法・手続きはいろいろ書いてあるのだが、受刑者は自分が受けた不当な扱いについて弁護士もつけられない。本当に行政内部で処理が終わってしまうために、勝てない。絶望的な気分になった。

 

(4)p.161の「夏は来ぬ」の言葉遊びのイメージ

 「鵜の鼻 仁王 柿根に ホトトギス ハヤ(オイカワ)も来 泣きて 忍び 寝漏らす 夏は絹」——もうあの曲を聞くたびにこのイメージが頭に出てきてしまうほどこびりついてしまっている。 

 

 それ以外にも本作には感じることがたくさんあった。とてもここには書ききれないので、また別の機会に書くことにしよう。

 次回のリモート読書会のテキストは古谷経衡『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』である。

桜田『桜田の××ルポ』

 以下は、性的な内容が含まれる記事なのであらかじめ注意して読んでください。

 

 下記のエントリを読んで思ったことを書く。

note.com

 セックスをしたとき、一方が他方をイカせられず、そのことを気に病む。そうした問題が生じたとき、パートナーが、もしくは第三者が、「イクとかイカないとか、そんなこと気にしなくていいんだよ」という言葉によって呪いを解こうとする。以下「イカなくてもいいよテーゼ」と記そう。

 だけど、「イカなくてもいいよテーゼ」は「イカなくてもいいよ」というロジックになっている通り、「イッてもイカなくてもいいが、本当はイク方がいい。まあ、イケないのならそれはそれでもガマンできる」という価値観が忍び込んでいる。

 イク > イカない

 男女のカップルの場合は、男性の方がイキやすく、イク行為が具体的で、しかも女性側が「イッたフリ」をするという社会的に広く行われているジェンダー的な偽装のせいで問題が表面化しにくいのだろう。ただ、それでも「イカない」問題は、EDの現象とか心配事の存在とか、シリアスな問題によって「イクという素晴らしい行為ができない」問題として扱われる。

 女性用風俗のマンガや、女性同士の恋愛(セックス)のマンガを読むと、ヘテロ恋愛以上に「イカない」という事実(事件)が登場する。女性同士でイクことには一定の技術が必要で、そこへのジェンダー上のこだわりの小ささも影響しているのだろう。

 女性用風俗のマンガを読むと、風俗営業従事者の男性(セラピスト)が「自分はテクニックがある」と勘違いをする、あるいは女性が「あまり気持ちよくない…」と言い出せずに、気持ちよくない施術をずっとされてしまうというエピソードにしばしばお目にかかる。

 マンガ以外のセラピストのエッセイなどもいくつか読んだけど、「中イキ」「外イキ」で全然違う上に、女性が完全にリラックスしてエロい気持ちになるまでかなりデリケートな対応と、相当な時間がかかり、最初のうちは女性側に「イク」という行為への一種の集中が必要になるようだから、イクにはものすごくハードルが高いんだなと驚くしかない。

 

 それでも女性がイクことは、やっぱり気持ちが良くて素晴らしいことだというのは、いろんな作品で感じ取れる。

 桜田の『桜田の××ルポ』は、いろんなセックスの快楽を体当たり的に試してみる体験コミックで、この中で女性同士でどうやったらイクかという開発話も出てくる。それを読むと素直に「イクことで気持ちよくなるのは素晴らしいことだな」としか思えない。

 むろんそのことは桜田の体験ルポコミックの欠陥ではない。むしろセックスをはじめとして自分の身体をこれほどまでに積極的に開発して快楽の鉱脈を探り当てようとするこの作品の意図に感動するし、そのような開発の意志を知ることは自分の人生における発見ですらあった。

 ただ、やはりこうした作品は「イカなくてもいいよテーゼ」を乗り越えられず、むしろそれを補強する。

 

 上記のAV作品をぼくは見ていないが、AVの圧倒的多数は「イクという目的のために全てを収斂させるイデオロギー」の権化みたいなもんじゃないのか。そうだとすれば、いくら女優(末広純)が

「別に今日はイかせたいわけじゃなかったの。わかるでしょ? 別に私はどうしてもイかせたいとかじゃなくて」
「はいっ!」
「女の子って可愛いんだよとか」
「はいっ!」
「触ってて気持ちいいんだよとか」
「はいっ!」
「セックスって楽しいんだよってことを伝えたかっただけだから」
「はいっ!」
「無理してイこうとしなくていいんだよ。ぜんぜん、私はそんなんで傷つかないから」

って伝えようとしても、難しいだろうな、としか思えないのである。

 

 イクという自己目的をむしろ避けて、イカないでセックスするというコミュニケーションを楽しむとこんなに自由になれて、快楽も大きい……みたいなイメージのモデルになるような創作、すなわち「イカなくてもいいよテーゼ」をくつがえすような作品はないものだろうか。ひょっとしたらあるのかもしれないが、ぼくの世間が狭すぎてぼくはまったく見たことがないのである。

「神社のお祭りはいつまで町内会に運営を押し付けられるか」

 「季刊 宗教問題」の2023年秋季号に、拙文「神社のお祭りはいつまで町内会に運営を押し付けられるか」を掲載していただいた。

 同号には山下祐介、木下斉、古川琢也、平沢勝栄などがインタビューもしくは執筆をしている。

 ぼくは以前以下のような記事をブログで書いた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

その質問・意見は、町内にある神社の行事を、季節の折々に、町内会として子どもたちなどを集めてやっているのだが、それはもう負担が限界に来ている、地域の大事な行事であり地域文化だが、それもリストラすべきだと思うのか、というものでした。

 上記のブログ記事の場合は、“宗教団体=神社側が担い手である信者(氏子)を増やす努力をするのが本道”との主張を展開した。

 今回「季刊 宗教問題」の原稿ではこのアプローチを取らずに、あくまで町内会としてこの問題にどう向き合うべきかを考えた。

 その際、「お祭り」といっても、いろんなものがごっちゃになって語られているので、まずそれを分別することが大事だと思った。

 なので、最初に

  1. 日本三大祭りのような非常に有名なお祭り
  2. そこそこ有名だが地域以外ではあまり知られていないお祭り
  3. 地域の人しか知らない小さな祭り

という3つの区分けをして、1.は除外し、2.と3.について論じるという整理を行った。町内会問題として論じる場合は、この整理は非常に有効だったと感じている。

 というのは、他の論者が、「祭の維持」について、例えば祭における動物愛護/虐待問題として論じていたり、全国的に有名なお祭りの高額観覧席問題として論じていたり、あるいは地域衰退/「地域再生」問題として論じていたりしていたので、2.や3.の問題として切り分けて町内会問題としてフォーカスしたことは、ぼく自身の独自論点を押し出す形になったからである。

 

 また、この問題を論じる上で、最近復刊が話題になっている中川剛『町内会』(中公新書)の分析がかなり役立った。

 どの部分かといえば「現代の祭祀」として、神社行事がコミュニティの精神紐帯のとしての本来的意義が極めて衰微している現在、何がその代替になるかを考察している部分である。これはぼくの町内会長経験の実感とも合っていたし、新書を執筆する際に取材した体験からも合致していた。

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 新しい祭祀を定義し、そのイメージが共有できるようになれば、自ずと解法は見えてくる。そこを明らかにした一文になったという自負がある。

 「お祭りの継承・担い手不足」でお悩みのかたは、ぜひご一読を。

 

 雑誌の中の論文間の突き合わせとしては、山下祐介「『地方消滅』は本当に存在する危機なのか」と、木下斉「寺社だからできる地域再生の取り組み」などを比較して読むと面白いのではないかと思った。両者とも「寺でカフェ」のようなアプローチを批判しながらも、「稼ぐ寺社」というモデルを批判するか、発展させるかで対立しているからである。ぼくの一文と、山本哲也「どんどん消えているお祭りを令和以後にどう残すか」も比較して読んでもらうと楽しいだろう。

 

てんてこ祭と乱婚オルギー祭

 この文を書く中で、自分の郷里の「奇祭」である「てんてこ祭」を紹介できたのも、個人的にはよかったなと思っている。男根を模した大根をつけて町内を練り歩くのだから「奇祭」という名にふさわしい。

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 学生時代に、エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』を「現代的に補強する」ものとして読んだことのある、セミョーノフ『人類社会の形成』に「乱婚オルギー祭」*1という規定が出てきて、次のような一節があり「これ、てんてこ祭のことじゃん!」と心踊った記憶が蘇った。

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民族学データが示しているように、大半の諸族のもとでオルギー祭の最中に行なわれた無規律な性交渉は、動物の繁殖と植物の繁殖の繁茂を呪術的に促し、隠して獲物もしくは収穫の豊かさを保障すると言うのがその本質とされていた。〔…中略…〕そこで祭の最中の無規律な性交渉の制限、さらについではその完全な禁止はこれら性交渉を代行し、自然に対して同じく呪術的影響を及ぼすことをめざす各種の儀礼行為の出現を招来せざるを得なかった。無規律な性関係は一定の時期に、〔…中略…〕性交渉に取って代わりうるものとしては、ときには露骨かつ乱暴に、また時には穏やかな形で模倣される性行為、あるいは同行為を暗示する行動(半裸もしくは全裸、体の一部を露出することなど)、エロチックな色彩を帯びた各種のみだらな所作や身振り、遊戯や踊り、祭りの行列に際して性器をかたどったものを持ち運ぶ風習、猥談などがあげられる〔…中略…〕。これらの行動はその大半が、かつて乱婚的性格を帯びていた祭の最中にも、または個々の呪術儀礼として、とりわけ農耕呪術儀礼として、祭以外のときにも行なわれていた。

〔…中略…〕

 この種の行動や儀礼の存在は、オルギー乱婚祭がかつて存在していたことを示している。またこの種の行動や儀礼は、膨大な数の諸族のもとで祭にさいしても、また祭以外のときにも行われており、それは殊に古代エジプト古代ギリシア古代ローマエトルリア、ドイツ、ロシア、ウクライナセルビア、チェック、グルジヤ、スヴァン、アディゲイ、カバルト、モルドヴァ、エヴィンク、チット、ナナイ、満州日本カリマンタンのカイヤノ、ジャワとモルッカ諸島マオリエヴァブッシュマン、バフアナ、エスキモー、ピピリ、マンダン、アラパホ、ズニ、その他多数で顕著である(セミョーノフ前掲書、下巻p.67-68)

 「てんてこ祭」は五穀豊穣を祈念すると言われているけど、さらにさかのぼって、「国家発生以前における、乱婚オルギー祭の一種」だということになれば、乱婚オルギー祭を「地域の伝統」として再現するってことになっちゃうわけだ…。

 

 

*1:乱婚オルギー祭:生産に支障をきたさない時期に、性的な関係が完全に解放され、ヒャッハーなセックス、すなわち誰とでも自由な性交が許された、徹底した無制限で濃密・凶暴なセックス祭。

アンナ・ラーリナ『夫ブハーリンの想い出』

 長い休みの間、不破哲三スターリン秘史』を読み直し、スターリンの大テロルについて関連の本をあれこれ読んでいる。

 不破の本の中で紹介されているのが、本書である。

 ぼくは身近にいる、ある左翼活動家の女性に「ブハーリンって知ってますか?」と聞いたのだが「いえ、知りません」と言われた。ぼくと同じくらいの年代で、ぼくと同じくらいの活動歴がある、のに。そっかー。

 ニコライ・イヴァノヴィチ・ブハーリンは、ロシア革命の指導者の一人で、理論家肌のボルシェヴィークである。スターリンの大テロルの犠牲となり、無実の罪を着せられて1937年に銃殺される。フルシチョフスターリン批判の際にも名誉回復がなされず、ゴルバチョフペレストロイカのもとで1989年にようやく名誉回復がなされた。もっともその2年後にソ連共産党は解体してしまうのだが。

 

 本書を書いたアンナ・ミハイロヴナ・ラーリナは、タイトルからもわかるようにブハーリンの妻であった。ブハーリン45歳のときにアンナ・ラーリナは20歳でまだ大学生だった(以下「ラーリナ」と記す)。有名な活動家の娘で、そこに出入りしていたブハーリンは幼い頃からラーリナを知っていた。

 ブハーリンは、レーニンが遺言の中で名前をあげて評するほどの高い理論水準をもった指導者の一人で、トロツキースターリンが対立したときにはスターリン側に立って、トロツキーを批判した。しかし、その後の農業集団化の問題では今度はスターリンのやり方を批判し、政治的な要職から次々解任される。ラーリナはブハーリンがいったん失脚していた1934年に結婚している。

 そして、結婚したその年にまさにブハーリンソ連政府の機関紙「イズヴェスチヤ」の編集長となり、政治的に復活を遂げる。

 ところがその年の終わりに党幹部だったキーロフの暗殺事件が起こり、1938年まで続くスターリンによる大量弾圧=大テロルが始まっていく。ブハーリンは、突如全く身に覚えのない「反ソ活動」の告発を受け、不当な裁判にかけられて、銃殺刑にされる(1937年)。

 

 スターリンの大テロルをジャーナリスティックに、あるいは研究解析ふうに読みたいなら別の本の方が適当だろう。本書は、大テロルで犠牲になった指導者の身近にいた家族の証言として、冤罪であった指導者がどういう表情・振る舞いだったのか、とか、市民や多くの党員、他の幹部はどう反応していたのか、とか、そういう概説書ではわからない空気感を知るために読んだ。そしてそれは想定以上だった。

 

銃殺の瞬間に「スターリン万歳!」と叫ぶ幹部たち

 まず意外と思われるのは、スターリンの弾圧になった犠牲者たちの多くが、スターリンを呪詛するのではなく、むしろ銃殺の瞬間に「スターリン万歳!」と言ったり、最後の言葉としてスターリン指導・統治を讃えたりすることだった。

ブハーリンと同じ裁判で裁かれたア・ぺ・ローゼンゴリツは、奇怪な犯罪を認めるとともに、最終陳述をこう結んでいる。「私は言いたい。一つの勝利から次の勝利に進んでいく偉大な、強力な、すばらしいソヴエト社会主義共和国連邦は健在であり、花開き、強化されると。……スターリンの指導の下で平和であるかぎり、熱狂、英雄的行為、自己犠牲の最高の伝統をもつボリシェヴィキ党は健在であると」(上p.228)

ブハーリンにしても人びとへの最後の声明で同じことを言った。「スターリンによって保障されている国の賢明なる指導は万人に明らかである。そうした意識をもって私は判決を待っている。問題は悔悟した敵の個人的体験にあるのではなく、ソ連邦の繁栄、その国際的意義にある」と。

 エヌ・イ〔ブハーリンのこと——引用者注〕は私〔ラーリナのこと——引用者注〕に別れを告げた時にも、つまり私から永久に去っていった時にも同じことを言った。「腹を立てないで見るんだ、アニュートカ〔ラーリナのこと——引用者注〕、歴史にはいまいましい誤植がよくあるんだからね」と。

 さらに、光栄ある司令官イ・エ・ヤキールは銃殺の瞬間に(二十回大会の結語でエヌ・エス・フルシチョーフが述べたことから判断すれば)、「党万歳、スターリン万歳」と叫んだ。(上p.229)

 

古参幹部はスターリンへの根本批判がなぜできないのか

 なぜだろうか。

 伝記『スターリン』を書いたアイザック・ドイッチャーは、古参の党幹部たちがなぜスターリンに屈服したのかという心情について次のように書いている

彼らのなまぬるい態度は、スターリンのなし遂げた変革はその手段についての判断はともかくとして革命を傷つけることなしには逆転不可能であるという認識とともに生まれてきたのである。スターリンのとった手段は彼らを恐怖で充したにもかかわらず、彼らはスターリン主義者、反スターリン主義者をとわず、すべて同じボートに身を託しているものと感じた。自己卑下はこのボートの指導者に彼らが支払った身代金であった。従って、彼らの自説撤回は全面的な誠実でもなければ、全面的な虚偽でもなかった。(ドイッチャー『スターリン』下p.44)

 ぼくは以前このことについて次のように説明した。

――スターリンにラディカルに反対する、すなわちスターリンを「除く」ことは、スターリン体制であるところのソ連体制、つまり革命によって生まれた体制を傷つけてしまいかねないという気持ちがあったってことですか。
 そういうことだね。ドイッチャーによれば、決してスターリンに屈しなかったトロツキーでさえ、「反革命の危険に対してスターリンと協力する用意があると提案した」(下p.45)らしいよ。
 〔…中略…〕

ソ連という体制は間違いはたくさんあったけど、それを根底から否定することは、自分が人生をかけてきたものを否定するような感情があった。

 実際、本書『夫ブハーリンの想い出』の中で、ブハーリンは、外国で亡命メンシェヴィキの一人に会った際に、次のように語っていたことが紹介されている。

 「いまのロシアは見違えるようです」とニコライ・イワーノヴィチ〔ブハーリンのこと——引用者注〕は結論して言った。〔…中略…〕

 「だが、集団化はどうですか、集団化は、ニコライ・イワーノヴィチ」と彼〔亡命メンシェヴィキであるニコラエフスキー——引用者注〕は質問した。

 「集団化はすでに通り過ぎました。大変な段階でしたが、しかし通り過ぎたのです。意見の不一致は時が除去してくれました。テーブルがすでに作られたのに、どんな材料でテーブルの脚を作ったらいいのか、論争するのは無意味でしょう。わが国では、私は集団化に反対していると書かれています。しかし、これは安っぽい宣伝屋だけが使っている手だ。私が提案したのは、別の道、もっと複雑で、あまり急激ではないが、究極的にはやはり生産協同組合に達する道で、あんなに犠牲を伴わずに、集団化の自発性を保障する道なのです。しかし、迫りつつあるファシズムに直面しているいまとなっては、『スターリンは勝利した』と私は言いますねソ連邦に来てください、ボリース・イワーノヴィチ〔ニコラエフスキー——引用者注〕、あなた自身、自分の目で見てください。ロシアがどんなになったか。私がスターリンを通じてこうした旅行を組織するお力添えをしましょうか」

「結構、結構」とニコラエフスキーは手を振った。(下p.109)

 あるいは、ブハーリンスターリンを「プロレタリアの総帥」と呼んだ感覚についての次のような記述。

十七回党大会は当時、全体としてひどく重苦しい印象を与えた。大会代議員たち、つまり勝利者たち——未来のスターリンの犠牲者たち——はスターリンを熱狂的に礼賛した。まさに彼ら、大会代議員たちは、労働者階級、あるいは当時の言い方でいえばプロレタリアートも農民も、工業化と集団化の重みを自分の肩に担いだのである。窮乏は過去のものとなり、先には輝かしい未来があるかのように思われた。それは自由な、平等な、豊かな未来であり、その社会は新しい生産力と別の生産関係を持つ社会主義的人間の社会であった。夢の中で考えられ、ツァーリの監獄や徒刑地、亡命地で、革命前の崩壊の中で、内戦の銃弾の下で夢想されたものが実現するのだと思われた。パトスは心底からほんものであり、これを理解しない者は歴史感覚を喪失した者であった。ブハーリンもまったく同じ理由から、スターリンを「プロレタリアの総帥」と呼んだ。(上p.156-157)

 “スターリン体制の転覆はもはや不可能であり、そんなことをやれば抑圧しかもたらさない。それよりは党の結束を大事にして、ソ連が達成した成果を育てることの方が現実的だ”という思いがブハーリンにあった。それはおそらく古参幹部共通の思いだったのではないか。

 リューチンという幹部が反スターリンの政綱を作って体制転覆を企てようとした事件にもブハーリンが関与していたとされた件について、ラーリナはそれがいかに馬鹿げたでっち上げかを書いている中で上記の趣旨のことを述べている。

ニコライ・イワーノヴィチの観点からすれば、一九三二年のスターリンに対する陰謀行動は、悲しいことに、もはや抑圧以外には何も国にもたらさなかったのである。最も影響力のある三人の政治局員——ブハーリン、ルイコフそれにトムスキー——が一九二八—一九二九年に行なったスターリンの政策に反対する公然たる行動も、リューチンよりははるかに権威があり、人気があった人物たちであったのに、成功しなかった。スターリンの圧力の下で党は、ブハーリンの経済的コンセプトを拒否して、別の道を進んでいたのである。出来上がった状況の中で、ブハーリン党の隊列の結束以上に有益なことは何もないと見ていた。集団化の時期の暗い姿だけを見、それと並んで建設における人民の偉大な熱狂を認めないことは、彼の観点からすれば、歴史において何も見ず、何も理解しないことを意味した。(下p.119-120)

 こうした立場——問題はあってもスターリンの指導を認め、ソ連体制を擁護する立場からすると、例えばブハーリントロツキーは同じ「スターリン弾圧の犠牲者」というふうに考えられなくなってしまう。トロツキーとの闘争が終わり、トロツキーが国外に追放され、彼が国外からソ連スターリン体制を厳しく批判していることは、「党外から党を攻撃し、国外から反ソ活動をしている破壊・撹乱分子」のようにしか見えなかったということである。それがトロツキー追放後のソ連党幹部・党員たちの多くの心情だった。

 例えばラデックという、やはりスターリンの大テロルの犠牲になった古参党幹部も、かつてはトロツキーと組んだが、後になってトロツキーとは絶縁していることを繰り返し強調する。 

ラデックはブハーリンに、トロツキーとはずっと前に手を切っており、トロツキストの秘密組織(まさにこう彼は表現した)の摘発とは関係がないと断言した(まるでその時トロツキーの見解に同調している秘密の陰謀組織が存在していたかのような口ぶりであった)。(下p.195)

 トロツキーは、スターリンの犠牲になったブハーリンにとってさえ、「党外から党を攻撃し、国外から反ソ活動をしている破壊・撹乱分子」という忌むべき存在として扱われ、その名前と結びつけられるだけで、震え上がるような絶望感を味わされる相手だったことがわかる。

 現代から歴史を眺めているぼくにとっては、こうしたブハーリンたちの態度のなんともどかしいことか。

 トロツキーは「敵」あるいは「外から党を破壊し撹乱する分子」ではなく、むしろソ連体制の病根をえぐり出しているまっとうな論者の一人であり、本来対話し共闘すべき相手ではなかったのか、どうして見抜けなかったのか、とつい言いたくなる。

 

「『良きもの』の中での性被害」を思い出す

 ソ連の体制そのものを批判することは、革命=ソ連の成果を台無しにしてしまうから、いうべきではない。結束をまずは大事にすべきだ、というメンタリティは、「『良きもの』の中での性被害」を思い出す。

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 良きもの=進歩的組織の中で性被害の声をあげてももみ消されてしまう。あまり大きな声にならない。どうしてそうなるのだろうかと書いてる中に次のような一節がある。

たぶん多くの「良識ある仲間たち」は、「良きもの」が無くなって欲しくない、汚れてほしくないと思うんでしょうね。「正義の味方」は当然正義でなくちゃいけない、と。そんな意識が、不正の告発を思いとどまらせているんじゃないでしょうか。

あるいは

そもそも被害者は個人としての尊厳を傷つけられたんだから、「もっと人の尊厳を大切にする世の中になってほしい」と切実に感じているわけです。でも「良きもの」のなかの被害者は、自分の個の尊厳を取り戻す行為が、逆に、尊厳を大切にしていこうとする社会の流れを断ち切ってしまうんじゃないかという心配をしてしまう。そう心配せざるを得ない状況に置かれてしまう、ということだと思います。

というあたり。

 「自分の告発が、あるいは告発の強調が、進歩的な組織の大義を傷つけるようなことになってはいけない」という心の中のブレーキが作動してしまうということだ。

 

スターリン体制へ向かない批判

 そうした視点としての限界、あるいは弱点は、裁判でスターリン体制を根本から批判し、自分への不当な扱い・でっち上げを正面から反撃することをしないという、常識では考えられないような形で現れたのである。

 ラーリナはブハーリンが屈服的な陳述を行なっている新聞記事を収容所で読み、信じられない思いだった。

ニコライ・イワーノヴィチは、ずっとあとになって彼の裁判記録と最終陳述を読んだ時よりは、はるかに屈服的だと私の目には映った。トムスクの収容所で私は、あれはほんとうにブハーリンだったのだろうか、ブハーリンに似た顔の替え玉ではなかったかという疑いさえ持った。彼の自供は、もし二人きりのところで彼がそう私に言ったとしたら、気が狂ったと判断したにちがいないほど荒唐無稽なものに私には思われた。(上p.49-50)

 和田春樹は、本書の解説でこう書いている。

ハンストで憔悴しきったブハーリンは、罵倒を浴びながら、中央委員会も内務人民委員部も傷つけるつもりはないという弁解を繰り返している。彼はついに党に対して自分の正しさを対置することはしなかった。(下p.301)

 不破は、これらの人々の精神構造をごく簡単に

犠牲になった人々のなかには、NKVD〔内務人民委員部。ソ連政府の治安・公安組織——引用者注〕がスターリンと党中央委員会をだましているのだと、最後まで信じていた人が多くいました。(不破『スターリン秘史1』p.228)

と説明している。これはブハーリンにも言えて、ブハーリンが妻ラーリナに暗記させた『党の指導者の未来の世代へ』という遺言的文書は、この立場で書かれている。

 無実のブハーリンを銃殺に追い込んだのは、スターリンその人である。

 そのことをなかなか見抜けなかったブハーリンは、自分の死刑執行人であるスターリンに救いを求めてしまったほどである。

エヌ・イが救いを求めたのは、自分の死刑執行人だったのだ! おそらく、その当時、つまり悲劇の瞬間ではなく、いまだからこのことは明白なのだと思われる。エヌ・イはそのことを理解していなかったばかりか、むしろ最初の頃には、信じがたいことであるが、恥ずべきカーメネフ=ジノーヴィエフ裁判も、スターリンが望まなければ、行われなかったとは考えもしなかったのである。この時までジノーヴィエフ、カーメネフ、その他のボリシェヴィキを十字架にかけたばかりか、彼らの口から自己告発と自分たちの同志たちを陥れる中傷を言わせたのは、他ならぬスターリンであったことが彼にはわからないはずはなかったのに、自己保存の本能がこの考えを追い払ったのである。「中傷者」、カーメネフとジノーヴィエフに対する理解しがたい怒りがブハーリンを引き裂いたにもかかわらず、それは決してスターリンには向けられたものではなかった。これら二人の政治家、とくにカーメネフに対する反感は深い根をもっていた。(下p.170-171)

 目の前で拷問や恐怖のために偽証をさせられている人たち(カーメネフジノヴィエフ)あるいはラスボスの手先(エジョフ)にどうしてもブハーリンは目を奪われてしまった。本当の自分の死刑執行人はその後ろにいたのに。

 

「党を撹乱・破壊する者との同調・結託者」というでっち上げ

 “党を外部から撹乱・破壊する分子と結びついてる内部のスパイ・同調者”という無理にもほどがあるシナリオを書き、意に沿わない人間の抹殺を最初から意図したのは、目の前の知り合いの幹部たちでもなく、党機構における小役人たちでもなく、狂気の道を歩みつつあった党の最高指導者そのものだったということ——ブハーリンはそこに対して、正確に反撃をすべきであった。

 “党を外部から撹乱・破壊する分子と結びついてる内部のスパイ・同調者”という無理にもほどがあるシナリオがブハーリンに結び付けられた。ラーリナは次のように皮肉を込めて書いている。

 〔…中略…〕ところが、裁判の告発の無恥さと荒唐無稽さは私〔ラーリナ——引用者注〕の予想を完全に凌駕していた。この裁判の創造者(残りの者たちは実行者であった)の犯罪的幻想は極致に達していた。いかなる犯人といえども、このような量の犯罪は生涯のうちになしうるはずがなかった。というのは、命が足りなかったばかりではなく、かならず最初のいくつかで失敗するに決まっていたからである。

 スパイ活動と破壊活動。ソヴエト連邦の分割と富農反乱の組織。ドイツ・ファシストのグループ、ドイツ諜報部、日本諜報部との結びつき。未遂に終わったスターリン殺害のテロルの企て。キーロフの暗殺。右派エスエル女性党員カプランによって行われたどころか、カプランの手はブハーリンの手であったという一九一八年のレーニンに対するテロ行為。病気で以前から仕事をすることもできなくなっていたメンジーンスキー、クーイブイシェフ、ゴーリキーの殺害。さらにはエジョーフ毒殺の試み(上p.47-48)

 誰が読んでもおかしいと思うかもしれないが、次々と「証言」が上がってきてしまうのである。もちろんある人は弾圧の恐怖から、また別の人は激しい拷問による自白からだ。あるいは、押収した家宅から全くのでっち上げの「文書」が見つかることもある。

 あるいは「自己批判しろ。自分が間違いだったと認めろ。そうすれば死罪だけは免れるぞ」「罪は軽減してやるぞ」という取調官の取引に応じてしまうこともある。

 被疑者は短い審理の場では一度には否定できないほどの無数の「証言」「証拠」に固められてしまう。

 あらかじめ周囲への工作を徹底して行い、固められ出来上がった「罪状」は、「党破壊・撹乱分子」との「同調・結託」という荒唐無稽と思われるようなシナリオ。

 そして、「自己批判すれば、罪を軽くしてやるぞ」という甘い誘い。*1

 

被疑者を罠にハメようとするスターリンの術策

 中央委員会総会でスターリン自身が、“除名なんかさせないさ”という甘いささやきに乗せてブハーリンに「自分の誤りを認めろ」とささやくように話す描写も紹介されている。ブハーリンは自分の生命を賭して抗議のハンストを始める。しかし、自分の「反ソ活動」だけでなく、ハンストまでが党への反抗として問題視され、中央委員会総会の新たな議題とされてしまう。

 会場に入ると、エヌ・イは立っていられず、目がくらんで倒れ、議長団席に通ずる通路の床に座り込んだ。スターリンが彼のところにやって来て、言った。

 「君は誰に対してハンストを宣言したんだ、ニコライ〔ブハーリンのこと——引用者注〕、党中央委員会に対してかい? 見てみろよ、君は誰かに似てきたぞ、まったく痩せてしまって。総会でハンストのことを詫びたまえ」

 「どうしてその必要があるんだ」とブハーリンスターリンに訊いた。「もし君が私を党から除名しようとしているんだったらね」

 生きながらえるだけのために、「遠僻の地」へ行く覚悟が生まれる時もあったが、エヌ・イは党からの除名を最悪の罰だとみなしていた。

 「誰も君を党から除名する者はいないだろう」とスターリンは答えた。付近に座っていた中央委員には気兼ねせずに、このように彼は相変わらず嘘をついたスターリンの言葉は確実に彼らまで聞こえた。きっと彼らはスターリンの言うことを真に受けたことだろう。「歩くんだ、歩くんだ、ニコライ、総会に許しを請うんだ、まずい振る舞いをした、と」

 偽善者というものは、誰もが自分の意思に服従することをどんなに愛することか! これらの言葉はブハーリンが逮捕される四日前に言われたものである。その時には、疑いなく「主人」は、彼の逮捕どころか、彼の銃殺までも、あらかじめ決めていたのに。

 ところが、ニコライはふたたびコーバ〔スターリン——引用者注〕を信じてしまった。そんなにやすやすと嘘がつけるとは考えられなかったのである。(下p.258-259)

 そして、ブハーリンは、自身のハンストを「謝ってしまう」のである。

 他にもある。

 ブハーリン(とルイコフ)を死刑にする、という古参党員がなかなか賛成できないような提案(エジョフの提案)を飲ませるために、スターリン自身がこの問題を話し合う小委員会に出て、「飲ませやすい修正案」を提案し、通してしまうエピソードが、和田春樹によって解説されている。

三十五人の委員のうち二十人が発言している。まずエジョーフが二人を中央委員候補から解任し、党から除名して、軍法会議にかけ、銃殺刑も適用すると提案した。するとポーストゥイシェフが解任除名し、裁判にかけるが、銃殺刑は適用しないと提案した。これは二人の死刑に反対するという勇気のある提案である。スターリンはこのポーストゥイシェフ提案に賛成が集まるのを恐れた。そこで、ブジョンヌイがエジョーフに賛成したあと、発言を求めて、解任除名するが、裁判にかけず、追放すると提案した。人々は混乱した。マヌイリスキーが銃殺賛成論を述べたあと、シキリャートフ、アンチーポフ、フルシチョーフ、ニコラーエワが銃殺反対のポーストゥイシェフに同調した。だがレーニンの妹で、『プラウダ』編集時代のブハーリンの代理であったマリヤ・ウリヤーノワはスターリン案に賛成した。これはスターリンの罠に落ちたのである。シヴェールニクが銃殺賛成論を述べたあと、コシオール、ペトロフスキー、リトヴィーノフがポーストゥイシェフ案に賛成した。そこでふたたびレーニン未亡人クルプスカヤがスターリン案に賛成する。コーサレフが銃殺案に賛成した後、ヤキールも「同上」だと書かれている。これがブハーリン未亡人が強く疑問を呈しているところである。最後はワレイキス、モロトフ、ヴォロシーロフがスターリン案に賛成した。

 こうしてエジョーフ案は六人、ポーストゥイシェフ案は八人、スターリン案は六人と分かれたのである。だが結論は、スターリン案を修正したもの、つまり、解任除名するが、裁判にはかけず、二人の事件を内務人民委員部に送ることになったのである。これは全員一致で決まったとある。こうしてスターリンブハーリン、ルイコフの死刑反対の気分を巧妙に抑え込んだのである原案の追放案の印象にかぶせて修正案をみなに呑ませたのである。修正スターリン案がエジョーフ一任案であり、実質的にはエジョーフ案であるのは明らかである。(下p.302)

 最も厳しい処分案では通りにくいので、みんなが「まあそれなら…」と思える処分案にしてしまい、「飲みやすくする」。そう油断させて、衆目が去った後で、こっそりと一番やりたかった措置をやってしまう。このようなスターリニストの奸計は、おそらくソ連だけでなく、現代でもいかにもありそうなことである。

 もちろん、スターリンブハーリンを陥れるために周到に仕組んだ罠としては、本書で紹介されている「マルクス・エンゲルスのアルヒーフ購入交渉事件」だろう。不破の本でも簡単に紹介されているが、本書では、ラーリナがこの交渉に直接同行したこともあって、そのでっち上げを暴くくだりがまことに見事である。

 

「道理なんかいらんのだよ、撃滅あるのみだ!」

 さて、本書でそれ以外にぼくが注目した部分についていくつか挙げておく。

乗客たちは猛烈な勢いで「裏切り者」に対する憎しみをぶちまけていた。

「なにも裁判なんかしなくていいんだ!」

「道理なんかいらんのだよ、撃滅あるのみだ!」

道理なんか唾を引っかけて、つまみ出すだけでいいのだというわけである。(上p.36)

 「犯罪者」の家族として移送されるラーリナが、他の「犯罪者」家族とともに、その列車の中で聞く声である。

 少なくない人にとっては裁判の細かい立証・弁論などは聴く機会がない。一方的に流される情報だけで鵜呑みにしてしまう。自分がどんなに弁論を用意し、どう考えても自分にしか道理がないと思われていても、それを聞いてくれない、「当局」の言っていることを信じてそれに身を委ねておけば間違いない、という世界があるのだとすれば、それはぼくにとってまことに戦慄すべき世界である。

 

弾圧者3人の人物評

 スターリンの大テロルを直接指揮した幹部(内務人民委員=内務大臣)は3人いる。

 ヤゴダ、エジョフ、ベリヤである。

 最終的には3人とも「粛清」、つまり銃殺されてしまう(うちベリヤだけはスターリン存命中には処刑されず、政争に敗れる形で殺される)。

 まさに「狡兎死して走狗烹らる」である。不破はこれをスターリンの「秘密主義」の現れとして紹介し、大テロルの全貌が明らかになるのを半世紀も遅らせた第一の原因として数え上げている。

 本書では、この弾圧執行責任者3人の評が載っていて興味深い。

 オーゲーベーウー=内務人民委員部の先頭に立った三人の人民委員(ヤーゴダ、エジョーフ、ベリヤ)のうち、エジョーフは労働組合官僚、際限のない熱狂者で、盲目的にスターリンを信じ、絶対的に服従した。彼は、レーニン世代のボリシェヴィキ有機的に結びつきを持たなかった。私が聞いたところでは、エジョーフは活動の最後の頃には、〈エジョフチシーナ〔一九三六—三八年のエジョーフの下での大量テロルをさす〕〉を堅持していなかったということであるが、すべてはすでにレールの上に行くように転がって行った。

 ベリヤは暗い経歴に持ち主であり、背信的真理の点でスターリンの仲間であった。

 ヤーゴダは彼らとは違って、職業革命家であり、一九〇七年以来のボリシェヴィキ党員であった。したがって、出世主義的魂胆で党に入ったのではなかった。それなのに、まさにめぐり合わせで党の同志たちを撲滅する基礎を置く役まわりになってしまった。彼にとってこの役目は、それほどたやすいものではなかった。ところが、強力なスターリン官僚主義的機構は不可抗力の龍巻となって彼を呑み込んでしまったのである。このためにヤーゴダは、とくに明瞭に人格の堕落、精神的変質の例となっている。

 それでも私は、ヤーゴダは悲劇的な精神的ドラマを体験した人物だという壁の向こうの隣人の考えに同感だった。彼は内部で抵抗しながら、徐々に堕落して行った。スターリンにとって彼は余計な人物となったが、それは自分の犯罪の証人であり、加担者であったからばかりでなく(ヤーゴダの抹殺はもっと遅らせることも出来ただろう)、彼がさらなるスターリンの巨大な犯罪計画にとって不適当になったからでもあった。スターリンはヤーゴダを通して、どのような犯罪を行ったのか、彼には内緒でどのような犯罪を行ったのか、いま区分けをすることは難しい。疑いのないことは、エジョーフとベリヤとの方がスターリンには組みやすかったということである。(上p.109-110)

 それぞれ、ヤゴダのようなやつ、エジョフのようなやつ、ベリヤのようなやつ、というのは現代のぼくにも思い浮かべることができる。

 有名なヤスパースの命題——「三つの性質がある。知的・誠実・ナチス的だ。これらのうち、合わさるのは常に二つであって、決して三つ全部が合わさることはない。人は、知的で誠実であってナチス的でないか、あるいは、知的でナチス的であって誠実でないか、あるいは、誠実でナチス的であって知的でないなのかのいずれかなのだ」*2がある。「ナチス的」は「スターリニスト的」と言い換えてもいいだろう。狂信的イデオロギーの虜というほどの意味だ。「知的でナチス的」なのはベリヤ、「誠実でナチス的」なのはヤゴダだろう。エジョフは「知的でナチス的」っぽく振る舞おうとしたが、「誠実でナチス的」だったということだろうか。

 

「僕と君はヒマラヤだ」

スターリンは、この時点ではまだ完全に自分の勝利を確信出来なかった。そこでブハーリンの機嫌をとろうとして、彼を自分のところに呼んで、こう言った。「ニコライ、僕と君はヒマラヤだ。残りの者(政治局員のこと——ラーリナ)はかすだ」と。政治局の定例会議で論争が続いた際に、スターリンに腹を立てたエヌ・イは、彼の偽善ぶりを明らかにしようと決心して、この言葉を暴露してしまった。激昂したスターリンは、ブハーリンに向かって叫びはじめた。「嘘だ、嘘だ、嘘だ!」と彼は怒鳴った。「政治局員を私に逆らわせようと仕向けているんだ」(上p.144)

 あー、俺、こういうこと言われたことあるなー。「僕と君はヒマヤラだよね! 他の奴らはクズだよね!」的な。何も返事しなかったけど。そいつは今コーバ……いや…もっと小物感ある…そう、ニコライ・イワーノヴィチ(←本書でいうとブハーリンじゃない、もう一人の方)みたいなことやっている。

 

有罪が確定していないのに、有罪確定扱いにするやつ

「ところがですね、あなたが流刑を忌避したいということであれば、『背水の陣を敷か』なくてはなりません」とフリノフスキー〔エジョーフの代理人——引用者注〕がつけ足した。

「何を言いたいんですか」と私〔ラーリナ——引用者注〕は警戒した。

「人民の敵としてのブハーリンとは絶縁すると新聞に発表するんですね」

「私に卑劣な提案をしてるんですね、私を侮辱するんですか」と私は叫んだ。

〔…中略…〕

「でも、取調べ中なら、取調べと裁判が終わるまでは、彼を人民の敵だと言う権利はないじゃありませんか」と私は言い返した。

 二人〔フリノフスキーと内務人民委員部の課長・マトゥーソフ——引用者注〕は黙り込んだ。(上p.249)

 有罪が確定していないのに有罪確定扱いして、ベラベラ言いふらす。

 そういう奴、いるなあ…としんみりお茶を飲みながら思ったものです。

 

いつまでも結論を出さない

一九三六年九月十日、新聞紙上にソ連邦検察庁の声明が現れた。ところが、それはエヌ・イが望んでいたものとは若干違った内容のものであった。そこでは、犯罪構成要件がなかったからではなく、刑事上の責任をとらせるための法律的証拠がないので、ブハーリンとルイコフ事件の取調べは中止されたと述べられており、このことはブハーリンの理解では、捕まらなければ、泥棒でない! ということを意味した。しかし、ともかくも立件中止と発表されたので、気が楽になった。ソコーリニコフとの対審のこのような結末がスターリンの判断であったことはもちろんである。事件のその後の展開は、それが「客観的な」取調べを誇示するための「主人」の戦略的ステップであったことを示している。(下p.192)

 いったん「ぬか喜び」のような「中止」の知らせ。

 しかしその後にブハーリンには逮捕・銃殺という地獄が待っていたのである。

 なんのためなのかわからないが、スターリンはこのような「ぬか喜び」のプロセスを踏ませているとしか思えないやり方をする。

 不破はディミトロフの日記から『スターリン秘史』を描いているが、スターリンブハーリン裁判で小委員会を設けてやる手口を「結論の慎重な出し方」の演出として解説し、それがディミトロフに「大きな感銘」を与え「スターリンが進めている『反革命陰謀』との闘争への信頼を深めたことは間違いありません」としている。

 ディミトロフは2月23日の日記に

ブハーリンの発言(むかつくような、哀れな光景!)

と書きつけ、中央委員会総会の締めくくりの日(3月4日)には

——討議。

——スターリンの結語(計り知れないほど貴重な助言)。

——総会の終結

 (本当に歴史的な総会だった!)

(不破『スターリン秘史1』p.275)

と「感動」を赤裸々に綴っている。いや、本当に「感動」したんだろうな。

 ディミトロフという大物も、すっかりスターリンの詐術にハマり、ブハーリンを犯罪者とみなし、スターリンの「細やかで丁寧な配慮」を賞賛しているのである。「計り知れないほど貴重な助言」? 「本当に歴史的な総会だった!」? はっはっはっ! そういうセリフ、どこかでよく聞くよ。かわいそうなディミトロフ!

 

 「結論に時間をかけている」というのは、何か政治的打撃があって遅れているのでなければ、より悲惨な結末に向かって、「丁寧さ」を演出するためのものでしかない。

 そして、何も知らされずに待たされる被疑者の精神的苦痛。

 それをこのラーリナの本書から痛いほど読み取る。

十月革命記念日のあと一カ月ほどは比較的静かに過ぎていった。彼〔ブハーリン——引用者注〕はふたたび編集局で「落ち着いて仕事をする」こともありうると考えていた。ところが、編集局からも中央委員会からも仕事のことは何に一つ連絡がなかった。エヌ・イは仕事をしようと試みた。パリへ行く途中にベルリンで買い求めたドイツ語の本を読み、抜き書きを作った。それらはファシズムの理論家たちの著書であった。彼はファシズムのイデオローグたちに反対する大作を描きたいと考えていたのである。それらのに、注目すべき十一月七日から日が経てば経つほど、ますます大きな動揺が彼を襲った。十一月末には彼の神経の緊張は、仕事がまったく手につかないほど大きくなった。(下p.200-201)

 この最後の一カ月は最もつらかった。しかしながら、エヌ・イが生きる希望を持っていた、相対的に心の晴れる瞬間があった。彼ら(ブハーリンとルイコフ)の「事件」はあまりにも延ばされ、逮捕はやはりのびのびになっていた。

 「どうかね、もし僕が遠僻の地に追放されたら、君は僕と一緒に行くかい、アニュートカ」と子供のような無邪気さで彼は訊いた。「ほんとうにコーバは全世界を前にして第三の〔「合同」本部裁判、「平行」本部裁判につづいて〕中世裁判をやるだろうか。僕には党除名だけは耐えがたい、生きながらえることは難しくなるものな。だが、仕事ならどこにだって見つかるさ、自然科学をやってもいいし、詩だっていい、経験したことを小説に書いたっていい、隣には愛する妻もいるし、息子は大きくなっていくだろう……。この状況下で僕はいったい何をまだ夢想してるんだ!」

 「遠僻の地だって私はあなたと行くわ、でもそれは虹みたいな夢想にすぎないんじゃないかしら」私はエヌ・イを落ち着かせられなかった。

 オプティミズムの閃光は長くは続かなかった。見通しはきわめてはっきりとしていたのである。

 エヌ・イは罠にかかったように自分の部屋で座っていた。最後の頃には風呂に入るのさえやっとの思いだった。(下p.230-231)

 でっち上げ裁判とはいえ、いつまでも結論が出ない。

 その間に待つ身は地獄である。精神をすり減らしていく。それ自体が拷問である。

 十分な審理をしているなら話はわかる。「ああ十分な審理や調査をしているな」というプロセスが目に見えて分かれば、逆に安心の材料になる。でっち上げの不当性が今に解明されるであろうという希望が可視化されるからだ。

 しかし、何も伝えられない。何を聞いても返答しない。

 そういう暗黒の中で隔絶されて、ただただ結論を待つ身というのは、本当に精神に悪い。一日として心から日々を楽しめる時はない。精神の拷問である。

*1:その誘いに乗って証言だけ取られて死刑になった人は少なくない。

*2:Spiegelの1965年11月号に掲載。加藤和哉によった。

カール・ローズ『WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』

 本書のメインタイトルであるWoke Capitalismは、簡単に言えば環境保護、人権、ジェンダー平等、人種差別反対などといった社会問題を解決したり、対処したりする「Woke」(目覚めた)な資本主義・企業活動を指す。サブタイトルではそれを「『意識高い系』資本主義」だと訳している(いい訳だと思う。ぼくはこの訳がなければ本書を手に取り、読もうという気にはならなかっただろう)。

 日本で言えば、岸田政権の掲げる「新しい資本主義」はその一つだろう。

www.cas.go.jp

 個々の企業で言えば、日本ではどんなものがあるか。

 まあ、例に挙げて申し訳ないが、例えばこういうものだ。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 この本をどう読むべきなのか。

 社会問題・社会課題に対処しようとする企業活動のあり方に対して、3つの評価の仕方があるのだと筆者(カール・ローズ)は考えている。

  1. 企業の進歩的な方向での変化
  2. 利潤追求という企業本来の目的を歪める左派への譲歩 
  3. 企業が経済領域を超え政治的民主主義を乗っ取ろうとする危険な兆候

 この3つである。

本質的には、2つの対立する立場がある。ひとつは、エリザベス・ウォーレンのような左派リベラルの立場から、企業は株主のことだけを考えるのではなく、社会の幅広い利益を純粋に、誠実に支援すべきだという意見に同意する立場である。もうひとつは、伝統的な右派の立場から、企業は純粋に経済的実体であるべきで、社会的・政治的問題に直接干渉すべきではないと考える立場だ。本書は第三の立場をとっている。すなわち、表面上はどうであれ、企業の進歩的政治への関与は民主主義を害し、実際には進歩を妨げているという見方だ。つまり、ウォーク資本主義に批判的であるということは、進歩的な政治を否定する必要があるということだ。

(カール・ローズ『WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』東洋経済新報社、p.337、強調は引用者)

 この3つに当てはまらないと思えるものがあるかもしれない。

 例えば「企業が社会の評判を上げるためにみせるポーズ・ごまかしだが、実際には社会問題の解決には役立たず、儲けを増やすだけのもの」というものである。

 3.に入る、もしくは3.の前触れとも言えるが、本書では1.の見解のなかに入っているといえよう(先ほどぼくが例に挙げたファミマの実践をめぐる評価は、どういう方向であっても1.に収まっている)。

 1.と3.は根本的に違う。そして根本的に違うことを警告しようとしているのが本書なのだと言ってもよい。

 企業のウォークな活動を、「ごまかしだ」とか笑い飛ばしたりとか、そういう所作自身が逆効果なのだとまでいう。社会や環境にやさしい企業活動のありようは「民主主義を害する」とはっきり警告しろよ、と本書はいう。

 企業が経済領域という企業本来のテリトリーを超えて、本来解決のできないはずの政治的民主主義の分野に入り込もうとするとき、民主主義が害されているのだ。

ウォーク資本主義は民主的な根拠に基づいて反対され、抵抗される必要がある。それは、公共の政治的利益がグローバル資本の私的利益によって、ますます支配されるようになってしまうからだ。この場合、企業資源の相当な部分が公共道徳を利用するために充当されるなかで、民主主義に問題が生じることになる。わたしたちの道徳性が企業資源として捕らえられ、搾取されるようになるため、企業の私利私欲を間近で見ることになる。(本書p.33)

 だけど…。

 あのー、ちょっと根本的な疑問を言うようだし、お前が読み取れていないんだろ、と言われるかもしれないのだが、これほど多くの文字やページを費やしながら、本書にはそのこと——企業のウォークな活動が民主主義を害してしまう、という例とロジックがあまり見当たらないのである。驚くべきことに。

 例えば、このようなケースでぼくがすぐ頭に思い浮かべるのは、「水道の民営化」の話である。

www.jcp.or.jp

 ところがそういう例はあんまり出てこない。

 むしろさっきあげた中途半端な例——「企業が社会の評判を上げるためにみせるポーズ・ごまかしだが、実際には社会問題の解決には役立たず、儲けを増やすだけのもの」みたいな話がたくさん出てくるのである。

 ロジックや論証についても、ウォークな企業活動が、「ごまかし」にとどまらず、どうして政治的な公共圏を乗っ取って、民主主義を害するほどまでになるのかという「論理」は、あまり本書では展開されていない。

 

 ぼくはむしろ、自分の身近なところで思い当たることが多い。

 例えば、福岡市では採算の取れないような地域でのバス路線の減便・撤退が相次いでいるのだが、それを埋めると称して、「オンデマンド交通」に民間事業を参入させている。

https://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/95133/1/chiikimukechirasi.pdf?20220329100526

 「えー? いいことなんじゃない?」と思う向きもあるだろう。

 ただ、住民の生存権=生活の足を確保するという国や自治体としての公的責任、あるいは、その付託を受けている公共交通事業者としての公的な責任は、それまで政治的公共圏の問題であり政治的な民主主義の領域の問題であった。だから、議会で審議されるし、法律でコントロールできるし、採算を度外視して公益のためにそれを改良することができた。

 ところが民間主体の「オンデマンド交通」になることで、採算性が重視され、住民=利用者の私的負担が大きくなり、公的な責任が大幅に後退する。採算が取れなければ住民負担が上がるか、最終的に撤退してしまうのだ。今の福岡市の「オンデマンド交通」にはそれでもまだ住民の意見を反映する仕組みが一定残っているが、個々の住民の生存権を保障するための政治的裁量は小さく、もし、さらにライドシェアのような「ウォークな企業活動」になってしまえば、もはや公的なコントロールの余地は極小になってしまうだろう。

jidounten-lab.com

 あるいは、福岡市にある九州大学の跡地を、企業活動の実験地にしてしまおうという構想(スマートイースト構想)などは、政府のスーパーシティー構想と揆を一にしていて、まちづくりの公共性を売り渡して、企業活動の食い物にしてしまうものだ。

globe.asahi.com

 

 …とかいう話を本書ですればいいじゃないかと思うんだが、本書にはその種の話は登場してこない。

 ナイキが人種差別反対を看板にしているけど実際には格差是正に何にもしてないんだぜ、とか、アマゾンは気候変動対策にカネ出しているとか言っているけど労働者の人権はメタメタだぜ、とか、「企業が社会の評判を上げるためにみせるポーズ・ごまかしだが、実際には社会問題の解決には役立たず、儲けを増やすだけのもの」タイプの話に終始している。

 いや…。「企業が社会の評判を上げるためにみせるポーズ・ごまかしだが、実際には社会問題の解決には役立たず、儲けを増やすだけのもの」的なエピソードを集めた本として読めば、たくさんのエピソードを知ることができる本だという評価もできるだろう。でもそれは本書の趣旨じゃないんじゃないかな。

 

 筆者のローズは、「ウォークな資本主義」が「企業が経済領域を超え政治的民主主義を乗っ取ろうとする危険な兆候」だと主張するために、1980年代のサッチャーレーガンの時代の新自由主義のころに広がった「企業の社会的責任」の欺瞞性を指摘する。

 企業の社会的責任やステークホルダー資本主義はそれ以前からあるが、新自由主義台頭下では全く変質してしまうのだと言う。それまでのコーポレートガバナンス論は、経営の民主化を視野に入れたものだったが、サッチャーの頃に株主価値を最重視する「株主第一主義」が席巻して変わったのだとする。

 ここには重要な分岐がある。

 「企業の社会的責任」、あるいは「ステークホルダー資本主義」、あるいは「コーポレートガバナンス」論などは、マルクス主義的に言えば、資本主義の中で育ってくる企業への労働者の参加、住民の関与、社会のコントロールの第一歩なのである。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 そういう意味では、例えばSDGsをめぐるブームを斎藤幸平は「現代版『大衆のアヘン』」などとメチャクチャ臭していたが、それさえ、進歩の一契機だとぼくは考えている。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 確かに、企業が「ウォーク」なフリをして政治の中に入り込み、政治的公共圏・民主主義を乗っ取ってしまうことがある。

 その意味で本書の、

ウォーク資本主義の現実に気づくということは、資本主義的企業が追求することを望む、あるいは追求することができる主要な利益に対して、ウォーク資本主義が根本的な真の変化を示していると信じ込まないことである。(前傾pp.337-338)

という警告は全く正しい

 しかし他方で、ウォーク資本主義が示す、社会の進歩的方向への萌芽については決して軽視すべきではなく、その中に新しい社会(社会主義)の萌芽があると見る視点も必要なのではないかと思う。

 

 

堀和恵『評伝 伊藤野枝 〜あらしのように生きて〜』

 今年は伊藤野枝が官憲に虐殺されて100年である。そのメモリアルのイベントも福岡市で行われる。

 

 伊藤野枝に関する本というものは、山のようにある。

 本書(堀和恵『評伝 伊藤野枝 〜あらしのように生きて〜』)は出版社(郁朋社)の賞である「第23回歴史浪漫文学賞(創作部門特別賞)」を受賞した。同賞のサイトのトップには「郁朋社は、より本格的に、新しい視点で歴史を解釈した作品を選考しています」とあるが、正直なところ本書が山のようにある類書の中でどのように「より本格的に、新しい視点で歴史を解釈した」のかは、シロウトのぼくにはよくわからない。

 だが、わからないシロウトであるがゆえに、本書の「どこが新しいか」についてはあまり考えることなく、伊藤野枝をほとんど知らない人間が読む伊藤野枝の評伝としての感想を少しだけ綴ってみたい。

 

 本書の末尾には、女性史研究者の鈴木裕子の一文が載っていて、本書の意義を次のように説明している。

本書は、実際にお会いした方がた、あるいは書籍・資料類で馴染みのある女性たちを著者の堀和恵さんが丹念にその足跡を追ってこられた点に特徴があると思う。「第五章 野枝の遺したもの」に収録された遺児たちの行方と人生についての記述は特筆されるべきである。(p.226

とある。実際に、辻まこと辻潤との間の息子)、伊藤ルイ(大杉栄との間の四女)やそのほかの子どもたちの足跡は興味深かった。子どもたちだけでなく、甘粕正彦(伊藤の虐殺者)の足跡も綴られている。

 辻まことに出会ったのは高校生の時で、「ユーモラスな現代」という詩であった(下図参照)。つけてある辻の絵の奇妙さもさることながら、韻文の形式で現代を風刺するというスタイルは遭遇しそうで遭遇してこなかったので、新鮮だったのである。

『高校生のための批評入門』筑摩書房、p,64

 二行目の「街道をはずれると化け物に食われる」以外は何を指しているかはわかるが、この二行目だけは具体的なものが想定されていない。解説にも「多様な解釈の可能性を残している。この一行は読者にまかされていると言ってもいい」とある。

 高校生のときはそれを読んで必死に「当てはまるもの」を考えたものだが、50を超えた今の自分になら本当に砂に水が染みこむように自分の中に入ってくる。

 今まさにぼくは「街道をはずれると化け物に食われる」状況にあるのだ。

 

 本書(『評伝 伊藤野枝』)では辻まことについて、こう書いている。

まことにとって大切なのは、「画家」になることではなかった。彼にとって大切なのは、〈自由に生きること〉〈自由に物を見ること〉であった。画家はそのための手段であったのだ。これは野枝も目指したものであった。野枝とまことは同じ方向を向いていたのだ。/まことは、彼独自の表現方法で〈自由〉を目指したのだ。(p.197)

 縊死によって自裁する辻まことの最期について、母親・野枝が官憲に絞め殺されて最期を迎えたことや、このような自由を求めた生き方に重ねて、「お母さん」と思ったに違いないと堀は想像している。

 その真偽はともかくとしても、伊藤野枝の生涯のテーマが〈自由〉だったのではないか、というのが堀の伊藤観である。女性解放——フェミニズムの先駆者としての伊藤は、自分という女性が自由に生きるためにはどうしたらいいかという模索だったのだと捉える。子どもたちにもその影響が少なからず残った、という意味でこの部分を書いているのだ。

 

 本書を通じて、伊藤の生き方や辻の生き方をみて「自由」についていろいろ考えた。

 高校で校則問題を考え、運動をしてきた頃から、ぼくの生涯の政治的テーマとして「自由」がある。日の丸・君が代の強制を拒否して成人式代表を下ろされたり、町内会の連合体の無理強いを拒否したためにいじめられたり、PTAに入らなかったり…はたから見ればとんだトラブルメーカーのように見えるかもしれない。

 このような「強制や抑圧からの自由」だけでなく、社会に対する無力さ=不自由さを克服し、自分の運命に自分から積極的に関与できるように、つまり自由をより拡大するために、自分としては組織に入り、組織を使い、社会というものに働きかけてきた。しかし、そうした組織が誤作動し、操作していた人間を傷つけたり、時には死に追いやってしまうこともあるのだと知る。

 他方で、人間関係、例えば家族や恋愛のようなものの自由についても考えることが多い。「性風俗やアダルトビデオに関与する労働者は、必ず性暴力・性的強制の犠牲者か?」とか「セックスレスになったときに一夫一婦制はどう機能させ続けるのが正解か?」とかね。

 

 そのような「自由」を求めた同志として、伊藤の生き方を、本書で読む。

 伊藤は自分の子どもにもその名前をつけたことからもわかるように、アナキストであるエマ・ゴールドマンの強い影響を受けている。堀はゴールドマンは伊藤にとって「人生の一大転機をもたらす人物」(p.62)だと評している。伊藤はゴールドマンの「結婚と恋愛」に基づいて、結婚による家庭にとらわれない男女関係について構想した。その核心的な概念が「フレンドシップ」である。

『フレンドシップ』には、当然ながら主従関係はない。契約だって必要ない。野枝はここから広がって、人間の集団に対する理想も考える。(p.149)

 そして野枝は、「友情とは中心のない機械」であるという。互いの個性を尊重しあえる友情こそが大事なのだ。夫、妻という役割を持つのではなく、互いの力を高めあっていくことこそが大切だという。

 ここまできてわかるのは、これが野枝の恋愛論であり、友情論であり、運動論でもある。労働組合の全国組織を作るとしても、そこに支配関係を作らせない。(p.150)

 「母性」についても、野枝は固定した伝統的な観念を超えて、より自由なかたちを模索している。そしてエマ・ゴールドマンの「自由母権」という言葉から自身の考えを深めていく。

 野枝は母となることは女の自由選択によるものであって、恋愛のよろこびの結果でなければならないとしている。もしその自由な母を貶めるものであれば、結婚は悪であり、女自身を売ることになる。妻という光栄よりも、母という光栄を私はとる、ということを野枝は主張している。(p.151)

 伊藤はフレンドシップ=友情を一つの人間関係の自由なモデルと考えたのだろう。昨今の若い人たちが「友だち」の間の人間関係に悩んでいるのを見ると、現代の人たちがこのモデルをすんなりと受け入れるだろうかとは思わなくはない。

 しかし、現代でも、例えばフェミニズムの立場から、創作物を見たり読んだりする際に、作品に描かれた「シスターフッド」(女性同士の同じ志を持つ形での連帯)を高く評価するのに出会うことがある。これはおそらく伊藤が理想としたモデルに近い関係に思える。

 家父長的な夫・妻の役割分担、組織体が持つ上級者・下級者の関係はもとより、男女の恋人同士——ヘテロ恋愛で前提となる男性の性的な欲望やそれに伴う偏見・確執・支配といったものからも自由であるような関係が「フレンドシップ」であり、現代なら「シスターフッド」という概念を採用したかもしれない。

 

 最近高松美咲『スキップとローファー』9を読んでいて、「人間・恋人」論争があったのを思い出した。

 

 

 主人公のみつみと聡介は付き合っていたが、別れてしまう。別れる時に「恋人」ではなく「人」としてどんな時でもつながっていられる関係になりたいといって別れた。その話を打ち明けられた迎井に、聡介は次のように言う。

なんでそこ恋愛に結び付けなきゃなんないのかな

オレはさぁ みつみちゃんのこと 人としてすごい好きなわけ

みつみちゃんがそうしたいなら「恋人」もできるかなと思ったけど

 迎井は聡介との間に「前提」が共有されていないようだと感じて解説を行う。

 聡介の考えている「好き」の「スゴイ」は 人>友達>恋人 の順である。

 迎井の考えている「好き」の「スゴイ」は 恋人>友達>人 の順である。

 迎井にとっては人として尊敬できることはまずベースにあり、その中でも特別性が「友だち」→「恋人」と上がっていく。

 聡介は、「恋人って性的な魅力があればジャッジが甘くなるでしょ」という。性欲が混じる段階でその関係を不純というか、動物的というか、価値のより低いものとしてみなすのである。

 現実の歴史の中では、性的な感情は欲望・打算・支配・抑圧・偏見などをしばしばセットにしてきた。だから、聡介が現実の恋人に一種の不潔さを感じるのはわからなくもない。「人」という抽象化を果たすことで、その不潔さから解消されるように思える。

 「あなたのことをオンナとして好きなんじゃない。人として好きなんだよ」という方が、確かに無数のジェンダーに縛られたこの現実社会では、貴重な告白のように見えないだろうか?

 伊藤が現実の夫婦・家族・恋愛に辟易した結果、「フレンドシップ」に真の自由を求めたことは、故なきことではない。

 ただ、「そんなふうに仕分けができるものかな」という思いも残っている。ぼくの中では性の匂いを消してしまった解決のような気がして釈然としない思いが残っている。

 

 このように伊藤を読むことは、伊藤の生き方を現代的な問題の先駆としてとらえることでもある。

 このような問題は他にもある。

 本書には紹介されていないが、伊藤の「無政府の事実」は相互扶助の町内会の良さを活写したものだ。

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 本書の中でも他に様々あるが、例えば廃娼論争はその一つであろう。

 現代でも「性売買は性暴力だ」「セックスワーカーの労働条件改善運動をすべきか」などの問題として取り上げられる。

 この問題で伊藤が青山菊栄と激しい論争をしたのである。

 論争そのものは感情的な文章になってしまった伊藤の負けだと世間的には認識される。それに対して、堀は伊藤を次のように擁護する。

この「廃娼論争」は一方的に率的な菊栄の勝ちとされているが、はたしてそうであろうか。野枝の発言は、売春をしなければ生きられない貧困層の人びとに、あまりに共感しすぎて論理的には破綻してしまった、ともいえるのではないだろうか。また、どう見ても惨敗としか見えない「論争」をあえて誌上にさらけだしたところに、野枝の率直さがあるのでは、と思える。(p.79)

 いずれにせよ、伊藤野枝についてはその書いたものや言ったことがそのまま現代でも通用するという角度ではなく、著作やその生き方も含めて、今の時代の先駆としてとらえて、現代の問題を考えるヒントにするという立場で接する。

 

 有名な日蔭茶屋事件もそうである。

 伊藤野枝大杉栄と関係を持つにいたるが、大杉は長年連れ添った堀保子と、やはり深間となった神近市子との多重関係に陥って、「自由恋愛三か条」なるものと打ち立てる。

一 お互いに経済上独立すること

二 同棲しないで別居の生活を送ること

三 お互いの自由(性的にも)を尊重すること(堀p.97)

 しかし評伝の筆者(堀和恵)からは

この三条件は、大杉の驚くほど無知な、男性中心主義のエゴイズムが丸出しである、といえる。また、多角関係に陥った大杉の、苦しまぎれの空論ともいえよう。(同)

と酷評されている。実際、この多角関係はいわゆる「日蔭茶屋事件」として神近による大杉への刃傷沙汰となって劇的に破綻する。

 この大杉の想定は大体近代においては強く批判されてきた。男の身勝手を体良く彩っているだけだからだということで。

 しかし、このような自由恋愛は、現代では構想し得ないものなのだろうか? あるいは条件付けをすることで成り立つのか(ポリアモリーやオープンマリッジのように)? などの問題として考えるきっかけにすることはできずはずだ。

 夫婦が合意の上で性的な自由を行使する「オープンマリッジ」って、大杉の構想に近くないだろうか。下図は多田基生『SとX  〜セラピスト霜鳥壱人の告白〜』3巻(講談社)からの抜粋だが、オープンマリッジを語る登場人物の口調・表情が穏やかで、作者がこの方式に高い肯定感を持っていることがわかる。

多田前掲書、kindle61/189

 

 伊藤野枝の中には完成された答えはない。

 自由を求める中で、現代の課題を先駆的に取り上げた人間として接し、本書をそのガイドとして使うのがいいのではなかろうか。つまり、上記のような論争を、現代でも行ってみる討議資料・テキストにするのである。