元旦の「しんぶん赤旗」に志位和夫とマルチェロ・ムストの対談が載っていたので興味深く読む。
www.jcp.or.jp
最初にいきなり余談。
この手の対談で共産党員や議員がSNSで反応する場合に、ただリポストするだけか、「ワクワクする中身」「目を見開かされた」とか、内容そのものに触れないことが少なくない。あるいは、共産党にとってわかりきった命題の部分に反応して「感動した」式のポスト。
こういう対談を読み合わせして党支部で「議論」する様子がなんとなく見えてきてもの悲しい気持ちになる。

志賀海神社(26年1月紙屋撮影)
北米リベラル派からのマルクス攻撃について志位は答えているか?
さて、本題。
言葉はていねいであるけど、ムストのつっこんだ質問に対して、志位の回答はあまり本質的なことを答えていない印象を受けた。
ぼくなりに要約してみると、次のようなやりとりになっている。
志位 日本共産党はスターリンによるゆがんだマルクス理解から脱却してきたんだぜ。
ムスト スターリン主義批判? まあ大事っちゃ大事だけど、もっと大事なことがあんだろ。今、北米系のリベラル派からのマルクス攻撃の方が大変だぜ。「マルクスは資本と労働の話ばかり」「ヨーロッパ限定の理論」「男性の工場労働者の話しかしてない」とか。マルクスの有効性は狭いと思われてるけど、もっと幅広いものだ。
志位 その3つの意見は全部ダメだと俺も思う。マルクスは『資本論』1部13章の中でジェンダーの話はしてるよね。それから環境や民族差別の話は『資本論』でしてるよね。
(引用ではなく要約)
もちろん、ここで「日本共産党幹部が党内で異論派を排除・弾圧していることはスターリン主義ではないのか?」というツッコミがムストには欲しかったところだが、それはひとまずおいておこう。
スターリン主義批判を誇る志位に対して、ムストは今さらそこかよという感じでそこにはあまり関心を示さず、新しいマルクス攻撃の焦点に話を移している。
「マルクスの理論は幅広い」という程度の「一致」はしているけども、ムストの提示した「北米リベラル派由来のマルクス攻撃」の3点については、断定的に「ダメ」評価を下している印象だ。ジェンダーでわずかに言及している以外に、志位からは正面きった具体的回答は出ていない。
「マルクスの射程が広い」ということを、いろいろ言及していますよ、という話で反論するのではなく、資本について解明したことがなぜ近代全体の様々な現象の根底を説明するのか、というタイプの言論で明らかにすべきであった。
ムストのCPIMとベネズエラについての質問
ムストは、政党の自主独立性についても語っている。
一応自主独立性を「生存権」という言葉で語っているので、それなりに重要だとは思っているようではある。
ただ、日本共産党とヨーロッパの違いの話をしている時、わざわざ「ハンガリー介入」で「どの共産党も批判しなかった」という例を挙げているのは、その文脈が今ひとつわからないところではある。皮肉を言ったんかい、とか思ってしまう(日本共産党も1956年のソ連によるハンガリー侵攻を支持している)。
ムストは、日本共産党がソ連解体を歓迎したことに「全面的に賛成」だとは述べる。
しかし、ソ連という偽の社会主義が解体したことで、もっとひどいものが湧き出てないか? という疑問を持っている。
そして、インドの西ベンガル州でインド共産党(マルクス主義)=CPIMが政権を失ってかなりひどい政権ができたこと、ベネズエラでひどい政権ができているがそれを改革せずに壊したらどうなるんだということ——この2例を挙げて志位に質問する。
私が聞きたいのは、私たちは共産主義の諸党の複雑な経験というものをどういうふうに見るべきなのか、その終焉を支持すべきなのか、あるいは、それを守り、改革すべきなのか。これは私にとって非常に本質的な問題です。
私は本当に心の底から真剣にお尋ねしているのですが、どうするのが正しい方針なのか、偽の社会主義の経験の終焉を歓迎するのか、あるいは、その内部的な改革を希望するのか、なぜなら、その経験が終わってしまうと、その際は悲惨な状況となるということがあるためです。
この通りムストにとってはかなり切実そうな質問なのである。
ムストは西ベンガルとベネズエラの2例をまとめて
いま、成熟した活動家として考えるのですが、この古い社会主義の経験、これは決して良い経験ではありませんでしたが、しかし、それが終わった後、政治状況はさらに悪化したという状況もあります。
と述べている。ベネズエラだけでなく、西ベンガル州の左翼政権(あるいはCPIM)も「古い社会主義」「偽の社会主義」と思っているのだろうか。ムストはこの話題の冒頭にCPIMが「自主独立」だと述べており、受け取り方によっては「自主独立? CPIMだってかなりひどい政権ですよね?」と言っているようにも聞こえる。
これに対して志位は、いやその後にどういうものができるかという話はあるけど、ソ連ってかなりひどい体制でしたよ、ということをまず確認している。これは正しいと思う。
その上で、まず西ベンガルについては“いや、西ベンガルの左翼政権は偽の社会主義じゃねーよ。けっこういい政権だったよ”という趣旨のことをいい、ベネズエラについては“チェベスのときは良かったけどマドゥロはダメだよ”という旨のことを述べる。要するに志位は西ベンガルとベネズエラを一緒にすんなと言っているのだろう。
そして西ベンガルをどうみるかは、他国のことだから言いにくいと言う。
他方、ベネズエラについては、どういう政権でも今アメリカが攻撃しようとしているのは絶対ダメだよね、という話をする(質問とは違う話だけど、この情勢下では、その話はするしかないわなと思う)。
ムストはベネズエラの話は同意したけど、西ベンガルの話は同意しなかった。
何より、もともとのムストの問いについて、志位は答えていないのである。ムストの問題設定を拒否したと言ってもいい。
結局最後は“ソ連のような自由のない社会主義はアカンってことで”というところでまとめている。
ぼくにはムストが“ダメな左派でもそれを打倒するのがいいのか、内部改革するのがいいのか”と問うているように聞こえた。スターリン体制から追放されたトロツキーが第四インターを立ち上げるまでに悩んだ問いでもあり、いま日本共産党が党幹部のひどい運営によってガタガタになっている現状を皮肉っているようにも感じられた。

志賀海神社(26年1月紙屋撮影)
ムストのサンダースやDSA批判
志位がDSA(アメリカ民主的社会主義)やニューヨーク市長に就任した左派のマムダニの話を持ち出すと、ムストは“それって社会主義っていえるんかね”と疑問を呈する。
米国でバーニー・サンダース氏、あるいはDSA(アメリカ民主的社会主義)のような政治運動がおこる。人々はそれをみて、それが社会主義だと思うわけです。しかし、社会主義、マルクス主義は、サンダース氏のような穏健的な考えと比べて、もっと豊かな伝統を持っているのです。
ムストは欧州やラテンアメリカではマルクス主義の影響が弱く、むしろ北米でマルクス主義の知的な「ヘゲモニー」があるために、北米での経験を「社会主義」だと見做すようになっていないか心配をしている。
それを聞いて、ぼくなどは「そんなことってあるんかいな?」と不思議に思う。
ムストは、そうした北米の潮流の中にある「政党否定」の傾向に疑問を持っている。
こういう人々は、政治組織というものの理解に至っていない。たとえば日本共産党のような政党というものの理解に至っていない。彼らは、政党は民主的でないという。スターリニズムや政治的抑圧を批判することはもっともですが、すべての政党が悪だと主張するのは、また別の問題です。
志位は「政党否定」は良くないね、という点については敏感に反応するが、DSAは「模索の状態」じゃないのかなあ、ベルギー労働党についても研究しているみたいだしまあ一概に政党否定かどうかまではその…みたいな感じになっている。
“とにかくさあ、外国の運動に対して「あれはダメ、これはいい」とか言えないわけ。一致点で共同するし、学べることは学ぶ(学べないことは学ばない)くらいなんだよ。言えることは”というのが志位のスタンスである。
サンダースやDSAについて限界があるという見方を示すムストと、その限界性についての言及は介入になるので避ける志位との対比が浮き彫りになった。
なおムストの
なぜ政党組織がきわめて重要なのか。それは、ジェンダー、人種差別反対、マイノリティー差別反対、こういうことはすべて孤立してあるのではなく、すべてこうしたものを総合していく、これができるのが政党なのです。
は、レーニンの『なにをなすべきか?』の
社会民主主義者(共産主義者のこと)の理想は、労働組合の書記ではなくて、どこでおこなわれたものであろうと、またどういう層または階級にかかわるものであろうと、ありとあらゆる専横と抑圧の現れに反応することができ、これらすべての現われを、警察の暴力と資本主義的搾取とについて一つの絵図にまとめあげることができ、一つひとつの瑣事を利用して、自分の社会主義的信念と自分の民主主義的諸要求を万人の前で叙述し、プロレタリアートの解放闘争の世界史的意義を万人に説明することのできる人民の護民官でなければならないということは、どんなに力説しても力説し足りない。(『レーニン選集』2巻p.82)
を思い出す。拙著『正典で殴る読書術』でも紹介したところである。
ムストはマルクスの何に注目したか
志位はムストに対して「あなたは、(マルクスの最後の)30年間のどこに一番大きな変化を見いだしていますか」「私が聞きたいのは、ムストさんがこういう共産主義論を、マルクスのどういうテキストを読み解いて導いたかについてです」と2度質問している。
これに対してムストは
- 「初期の重要著作では、『1844年の経済学・哲学草稿』、『ドイツ・イデオロギー』(1845~46年)」
- 「『資本論』をはじめとする経済的著作、『資本論』の準備草稿をはじめとする諸草稿」
- 「マルクスのノートブック」
の3種類を答えている(1は明らかに「最後の30年」のものではない)。
志位は「『資本論』の準備草稿」という答えが欲しいのだろう。自分の著作(赤本・青本)との共通性が欲しいからである。
だから、ムストが3種類挙げているのに
『資本論草稿集』を重視したということですね
というちょっと強引なまとめ方をしている。
そして、よく聞けばムストはその中でも
『経済学批判要綱』(『1857~58年草稿』)ではより社会経済的な関係を論じています
と述べていて、この『1857~58年草稿』は志位の「自由な時間論研究」の中では「『自由に処分できる時間と未来社会論』の最初の表現」と述べているように、『1861〜63年草稿』の「本格的発展」という評価に比べると相対的に位置付けが低いものである*1。
ムストはその後「その通りです。まさにお金だけでなく、『自由な時間』こそが富であるということです。私が言ったのは、社会主義はこういうものだということだけでなく、社会主義はここから始まるのだということです」と志位の発言への賛辞を述べているものの、具体的にマルクスの『1857~58年草稿』のどこで「一番大きな変化を見いだしてい」たかについての言及はないのである。
ちなみに、ムストの
同時に、この発見からなにか新しいドラマをつくろうとするような学者の話には私は同意しません。たとえば、ほらこれが新しいマルクスのページだ、これこそがマルクスであり、かつてのマルクス像はまちがいだといった調子のものです。こうした調子で「知られていないマルクス」を論じることはできません。
は、初期マルクスに注目したいわゆるフランクフルト学派批判のようにも聞こえるが、マルクスのノートから「マルクスは脱成長コミュニズムに到達していた」と主張する斎藤幸平批判のようにも聞こえる。
このムストと志位のやり取りにおいて、「マルクスが、あれこれのきっかけで全く違った思想家になってしまったという議論」と「彼の思想と理論は、つねに発展のなかにあり、そのプロセスを捉えることは大切」(いずれも志位)の違いが今ひとつ不分明である。

志賀島から見た福岡市街(26年1月紙屋撮影)
今「経済的な平等」を強調する時期では
ところでムストが提起した
左翼のなかにも、経済的な平等のことだけで、自由の問題に触れない傾向があります。これは非常によくない。同時に、個人的自由の問題ばかりを優先する新しい理論があります。この立場は、階級闘争や社会正義を語りません。われわれの仕事はこの中間にあり、かつ、とても困難です。
は日本共産党にとって実践的にかなり重大な問題のはずである。
日本共産党は6中総決議で、
選挙後、候補者や党員のみなさんから、「排外主義とのたたかいは大事だった。ただ党の『メイン』の訴え――消費税、賃上げ、社会保障、大軍拡と平和などの訴えが弱くなってしまったのではないか。もっと訴えたかった」などの感想が共通して寄せられた。
という総括をしている。
ぼくは常々、物価高に国民が苦しんでいる今の情勢下で、左翼は経済要求・生活要求を前面に出して、そこに思い切った重点をおくべきだと述べてきた。
どんな事情があるにせよ、日本共産党は「経済的な平等」の訴えの比重を小さくしている。代わりに「時短」をはじめ他の問題の比重を大きくしてしまっており、そんな中で経済要求・生活要求を前面に大きく掲げる他の党に支持を持っていかれている。
せっかくこういう提起があったのに、志位はこれに対応する回答をしていない。
6中総でもこの点についてちゃんと総括できなかった弱点がここに表れてしまっている。
ぼんやりした対談
志位とムストの対談を読み終えてみて、二人が意気投合しあったことは事実だろうが、それはかなり「幅広い」というか「ぼんやり」したものだった。
理論的あるいは政治的な領域に踏み込んでの話になると、違いがあらわになり、お互いが持論を述べた後で、それをかなりふわっとした一致点でまとめているという印象を受けた。
いろいろ話し合っているように見えて、それはお互いが思ったことを言っているだけで、よく読むとぼんやりした対談だった、という印象である。
不破哲三だったら受け答えももっと違った角度から入っていけたかな…という気がしないでもないが、まあそれはないものねだりかな。