アーロン・バスターニ『ラグジュアリーコミュニズム』

 ぼくらが将来について話をするとき(ぼくら自身の将来でなくても子どもや孫たちの将来について話をするときでもいい)、たいていは「暗い」未来予想図で話す。

 あろうことか、革命(選挙による政権獲得)をめざしているぼくの周りの左翼でさえ、「はあ…20年後、この子たちはまともな職にありつけるのかね」とか「年金なんかもう出ないだろうね」「地球環境とかめちゃくちゃになってると思うよ」「世の中みんな年寄りばっかりになって…社会が維持できないような状態になってるよね」などと。おいおい、お前は自分が情熱を傾けているはずの社会変革の未来をあんまし信じてないのかよ?

 日本でのこのテの未来予想は経済・生活・家計にかかわるものが多い。だけど、ヨーロッパでは、特にヨーロッパの左派の中では、日本よりもはるかに環境に関わる未来予想とかが多いんだろうね(なんの根拠もなくて、あくまでぼくの想像に過ぎないけど)。

 日本でも斎藤幸平などは、

〔気候変動を本当に止めるための〕その際の変化の目安としてしばしばいわれるのは、生活の規模を一九七〇年代後半のレベルにまで落とすことである。〔…中略…〕もちろん、こうした生活レベルを落とす未来のビジョンが、なかなか魅力的な政治的選択肢にならないことは、百も承知だ。だが、困難であるからといって、その事実から目を背けて、選挙で勝つために、受け入れられやすい「緑の経済成長」という政策パッケージに固執することは、それがどれだけ善意に基づいていても、環境配慮を装うグリーン・ウォッシングと言わざるを得ない。(斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書、KindleNo.1019-1022、強調は引用者)

と言ってるわけだし。

 本書はその暗い未来予想図を打ち砕こうとする。 

 

 

 いま進んでいる技術革新は、完全自動化で労働の欠乏をおぎない、再エネなどでエネルギーの欠乏をおぎない、宇宙開発で資源の欠乏をおぎない、遺伝子をいじって老いと健康の欠乏をおぎない、新しいタンパク食の開発などで栄養の欠乏をおぎなう…などなど、まあ異論はあろうけど、おおむねバラ色の未来を開く。

 本書の多くの部分は技術革新のバラ色を描くことに割かれている(3部構成のうちの第2部)。

 じっさい、ぼく周りの左翼の中には、こういう技術革新の未来にあまり関心がなく、どちらかといえば、そういう技術革新が現在の社会に入り込んでくることへの警戒の方が強いという人が時々いる。

 いやまあ必要な警戒はしたらいいんだけどさ。

 例えばデジタル化によって監視国家や資本による全人格的把握が進行することには必要な警戒が払われるべきだとは思う。しかし、他方で、デジタル化がもたらす恩恵や社会変革については、それなりに認識がないと、口では「デジタル化自体は必要なことです」などと言いながら、思想の根本は本当に「反デジタル」みたいな態度になっちゃうからね。

 本書が紹介する技術革新の数々は、ぼくのような門外漢にとってはまことに興味が尽きぬもので、これだけでいろいろ酒飲みの場で肴にしてみんなで盛り上がれそうである。

 本書でこの第2部が読んでいて一番読み応えのある部分、心を躍らせて読む部分である。少なくともぼくの場合。だけどそれだけだったら、まるで技術革新の紹介本みたいなことになってしまう。ビジネス書でもそんなものはたくさんある。「コミュニズム」を冠する名前の本にはできないはずだ。すなわち本書の本当の意味での意義はこの部分ではない。

 

ハンドルを左に切れ!

 技術革新がもたらす莫大な恩恵。しかし、その恩恵は、そのままでは受け取れない。その受け取りは「避けがたい未来」として自然にやってくるものではないのだ。

 選ばなければならない。選び取る政治が必要だ。

 その政治が「完全自動のラグジュアリーコミュニズム」(FALC)だ。

 こうした技術革新を無邪気に喜んで、「すばらしい未来が待ってるよ!」だけというのは、「Society5.0」であり、ぼくのいる福岡市では高島宗一郎市長がいろんなところで吹聴しているし、また現にその考えてナイーブに進めている政治でもある。「社会システムとしては資本主義しかないんだから、資本主義で行こうよ、この方向を加速させるだけだ」という、本書で言うところの「資本主義リアリズム」であり、「加速主義」である。

 本書は、資本主義が進める技術革新の方向を喜ぶ。そこから逃れて・逸脱したりして、別の理想社会を構想したりしない。あるいはこの動きを壊したり反動したりしない。その意味では「加速主義」の一味である。

 しかしそうやって進んでいく技術革新のハンドルを左に切る。「このまま行こう。しかしハンドルは左に!」というわけである。

 どうやってハンドルを左に切るのか?

 ここが実は本書の変革方向部分のキモである…とぼくは考える(第9章)。

 それは次のようなものだ。

  1. 選挙・投票で変える。
  2. グローバリズムに対しては国民国家という装置を使ってコントロールに参加しろ。

ということである。

 「え…当たり前じゃない?」と思う人。それでいい。

 どうしてかといえば、左派の中には往々にして「選挙では変わらない」という考えがあり、選挙による政治変革を脇に置いてしまった上でのローカルな行動や実験・実践などに「のみ」走る傾向があるからだ。著者・バスターニは、いろいろ不十分でも選挙で世の中変えようぜ、とする。

 そして、グローバリズムへの対抗をインターナショナリズムにおく。つまり、国民国家という縛りを軽視しない。国民国家をコントロールし、そこから世界の問題に関与するのである。左派の中でありがちな、国民国家への侮蔑、それはもう役に立たなくなったガラクタだ、という偏見を乗り越える。

 もちろん、バスターニのこの見解の中には、実は政党という枠組みへの批判が入っているなど、ぼくから見てそいつはおかしいんじゃねえのか、政党という中間項を否定したら人民は無力になっちまうぜ、という要素も含まれているんだが、選挙と国民国家を抜き出して擁護したのはとても正しい。そこが狂うとダメだとぼくも思うからだ。

 第10章ではFALCの根本原理、第11章では資本主義国家の改革方向が示される。いや別にそんなに難しいもんじゃない。新自由主義への対抗を意識して、次の3点に要約される。

  1. 進歩的な調達と自治体による保護主義を通じた経済の再ローカル化
  2. 金融の社会化と地方銀行のネットワーク化
  3. ユニバーサル・ベーシック・サービス(UBS)の導入による国民経済の大部分の公有化

 この3つだ(p.283)。

 この3つをバラバラに見てしまうんじゃなくて、あるいは本書に書かれている個々の案についていちゃもんをつけるんじゃなくて、共通している思想方向を感じ取るのが大事だろう。この3つが言いたいことは、経済のコントロールをできるだけローカルなものにおろしてこようという態度である。そこはぼくも共有できる。

 えっと、別の言い方をしよう。本書を批判する際に、第3部のFALCの個々の対案を批判して「ゆえにFALCには同意できない」としてしまわないことが大事だと思う。

 FALCが提起している点で大事だと思うのは、以下の2点である。

  1. 資本主義が進めている技術革新の方向には明るい未来があり、左翼としてそこは大いに進めていこうぜ、とはしゃいでいいと思うのである。左派加速主義である。
  2. だけど、技術革新がいくら進んでも、政治が変わらないとその恩恵は巨大資本が独り占めをして、どうかすれば我々を丸ごと支配し抑圧する間違った方向に使われだけになるから、政治——選挙で国政を変える、そしてできるだけローカルなコントロールを取り戻す、そういう政治をつくろうぜ。

 こういうシンプルな視点を得ることが本書の醍醐味なのだ。ぼくは左翼として、技術革新のもたらす豊穣を学び、それを生かす政治の方向を示せた点に本書の最大の長所を見出す。

 

「訳者あとがき」にみる本書への3つの批判を考える

 なお、本書の「訳者あとがき」で翻訳者である橋本智弘が本書に対する批判点3点を紹介している。

  1. 技術革新の将来に楽観的過ぎない?
  2. 選挙を特別視し過ぎていて、階級闘争を忘れてない?
  3. 「贅沢な(ラグジュアリー)コミュニズム」っていうけどその「贅沢」が何を意味するか、あんまりハッキリしてないんじゃない?

 2.は斎藤幸平が行なっている批判だとも橋本は言っている。

 ぼくなりにそれらについて言っておけば、1.は「そうだね。ちゃんと(技術の反動的利用・資本主義的利用ではなく)技術自体が内包しているマイナス面もよく考えないとね」というくらい。だけど技術革新そのものを徹底的にポジティブに書くことのインパクトは本書の魅力なのだ。

 2.は、そんなふうに言う奴こそ、選挙の大事さを忘れてない? と言いたい。選挙を通じて革命をすることが現代では大道なのだ。

 3.は、技術革新でもたらされる余剰を余暇時間の増大に回し、自由時間を増やし、そのことで人間が全面的な発達を遂げる——これが共産主義がもたらす「贅沢」の本質じゃないか? と言いたい。

 

UBSかUBIか

 さて、本書における小さな点について、最後に触れておく。

 本書ではUBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)とUBS(ユニバーサル・ベーシック・サービス)の比較を行なっている。

 UBIは魅力的な選択肢には違いないが、この間、ベーシックインカム竹中平蔵や維新の会が持ち出して、いわば「福祉を削るための方便」「雀の涙の手切れ金」扱いになっていてどうにも評判が悪い。うんまあ、BIは新自由主義者も左翼もどちらも肩入れできるものだから、そうなるのはしょうがないんだけどね。

 だから本書では、UBIよりもUBSに軍配をあげる。

ただたしかなのは、それ〔UBI〕がどんな結果を生むのかは、導入される政治環境に左右されることだろうということだ。進歩的あるいは社会主義的な政府のもとでは、きっとUBIは一般庶民に力を与え、より高い賃金を求める能力を人々に授けてくれるだろう。反対にそれは、福祉国家の市場化を完遂するための有力な手段とも十分なりうる。——つまり、新自由主義への代替ではなく、完全な降伏である。UBIは、解放をもたらしうる一方で、サッチャリズムの強化版にもなりうるのだ。(p.304)

だからこそ、UBSのほうがより望ましいプログラムなのだ。(p.305)

 UBSとは、医療・教育・住居・食料などといった人間の生活に不可欠で基本的なサービスを公共体が提供する政策のことである。本書ではユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの世界繁栄研究所(IGP)の報告書を紹介する形で次のように書いている。

NHS〔イギリス政府が運営する国民保険サービス〕やイギリスの医療モデルに近い形へと再構成すべき公共財として、医療の他に六つを挙げている——教育、民主主義、司法サービス、住まい、食料、交通、情報の六つである。(p.291)

 この範囲は固定的・決まったものではない。何をベーシックなものとするかは、政策的判断による。日本では立憲民主党がその部分版を基本政策として打ち出している。

 バスターニは、これらを地域の労働者協同組合が運営するモデルを考えている。

地域の労働者協同組合が、住宅、病院、学校を建設し、食事の提供、整備、清掃、支援サービスなどを行うに際し、国家の役割は極めて重要になる。(p.294)

 げー、そんなものを国有化・公有化・協同組合化するつもりかよ、と思うかもしれない。まあ、ぼくもその形態・範囲については、いろいろ思うところはある。

 だけど、日本でもまず田舎で始める場合は、こういうのは全然アリじゃない?

 つまり自治体が「公社」になってこういうサービスを完全に引き受けてしまい、そこに地元民を大量に雇用するのである。まあ、協同組合化してもいい。税金も投入する。そうなれば田舎で生活するメドもたつんじゃないかと思うんだけど。そしてコントロールしやすいので、経済の循環、エネルギー・食料の地産地消も成り立ちやすいと思うが。どうかな。

『ペリリュー 楽園のゲルニカ』完結を受けて

 戦争に参加した兵士を主人公にした物語がフィクションだというのはいくらでもあることだ。

 にもかかわらず、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』がフィクションだという前提には、やはり驚かされてしまう。

 

 

34人の生還者からフィクションを抽出する勇気

 というのも、激戦地ペリリューで戦死した人はたくさんいるけども(日本兵で約1万人余)、『楽園のゲルニカ』が描いているのは、戦闘を生き抜き、戦後に投降・帰還した人であり、これと同じ境遇だった実際の日本兵は34人しかいないからである。

 戦闘参加者が1万人であれば、個別の体験の中に貫かれている普遍性をえぐり出して、フィクションを作り上げることはできるし、その方が個々の実体験を追うよりも、リアルな全体像に迫ることができるかもしれない。

 空襲被害体験であっても、例えば「呉」とか「名古屋」とかいう具合に都市を絞り込んだとしてそこには体験者が数多くいる。フィクションはその無数の現実の中から生まれてくる。「#あちこちのすずさん」という問題提起は、その表れである。

 しかし、学校の1クラスほどしかいない人たちの特殊な経験の場合はどうか。

 それらは「改変できない」と思ってしまうのが普通ではなかろうか。

 第一に、体験者に対して、一体自分はどんな資格でその体験をそのまま伝えずに、「わかったふうに」それを加工してしまうのか、という怯えというか躊躇というか、戦後世代であれば当然持ち合わせる謙虚さのようなものが、そう思わしめる。

 第二に、34人という数少ない体験者の体験の中から、どのように普遍性をつかみ出せば、果たして34人の実体験をそのまま伝えるよりも「リアルな戦場」を描き出せるのか、そこにもためらいが生じるはずである。

 このように考えた時、作者・武田一義が、なぜフィクションを選んだか、ということに関心を持たざるを得ない。

 

鳥瞰と虫瞰

 「ペリリュー」という歴史を描こうとするとき、そこで何を選んで何を選ばないのか、という視点がポイントだ。とりわけ体験者でない、戦後世代がそれを「物語」にしようとするとき、何をカットし、何をデフォルメするのかが作家にとって最も重要な選択になる。

 「ペリリュー」を戦記として描こうとすればその母数は戦闘に参加した「1万人余」となるだろう。実際、「戦記もの」として「ペリリュー」を描くことは珍しくない。ペリリューでの戦闘以前では水際での上陸阻止に全力を傾注しそこが破られると「バンザイ突撃」をしてあっけなく全滅していったが、ペリリューでは初めて組織化された徹底した抵抗が行われた。

当初の防禦・迎撃計画は、日本軍伝統の水際撃滅作戦だったが、サイパンとグアムの戦訓を採り入れ、成算のない一斉突撃などは厳に戒める作戦に変更した。すなわち、最後の一兵になるまで戦う「徹底抗戦」を唯一最大の戦術としたのである。(平塚柾緒『玉砕の島 ペリリュー 生還兵34人の証言』PHP、p.78)

 大本営首脳はもちろん、日本政府首脳のペリリュー守備隊に対する期待は大きなものがあった。それは絶対国防圏の要衝として大本営が「絶対に大丈夫」と自信を持っていたサイパングアム島が、意外にあっけなく占領されてしまったことに衝撃を受け、新たに発令した「島嶼守備要領」(昭和十九年八月十九日示達)に即した初めての防衛戦にもなるからだった。すなわち、それまでの水際撃滅主義を捨て、主抵抗線を「海岸カラ適宜後退シテ選定スル」ことにした最初の戦法でもあった。

 敵の上陸予想地の海岸線陣地に配備されている兵はあくまでも“消耗兵力”〔で〕あり、単に米軍の上陸を遅延させる目的の時間稼ぎ要員でしかない。後方の主抵抗陣地に布陣する決戦要員の負担を少しでも軽くするため、一人でも多く敵を倒す防波堤的役割ということである。(平塚柾緒『写真で見るペリリューの戦い山川出版社、p.26)

敵はかならずバンザイ突撃を仕掛けてくると、歴戦の古参兵が言い張るのをこの日も何度も聞かされていたのだが。〔…中略…〕ところがバンザイ突撃どころか、日本軍の反撃は戦車と歩兵が協同した、見事に組織化された逆襲だった。〔…中略…〕日本軍はペリリュー島ではこれまでとは異なる戦法をとってくるかもしれない——このときの日本軍の反撃は、われわれにそんな警告を与えてくれた。(ユージン・B・スレッジ『ペリリュー・沖縄戦記』講談社学術文庫、p.113)

 

 「戦記」としての「ペリリュー」に焦点を当てようとすれば、それは例えばいかに米軍を悩ませたか、という日本軍の司令官的目線になる。本作の原案協力者である平塚柾緒の『玉砕の島 ペリリュー』には「このペリリュー島戦まで負けを知らずにきた歴戦の〔米〕第1海兵隊も、ついにその部隊史に敗北の記録を載せなければならなくなったのである」(同p.141)的な記述が繰り返し出てくる(いささかうんざりする)が、例えばそのような視点である。

 どこに兵を配置し、どこで犠牲を出し、どこで決戦するか——そのような「鳥瞰・俯瞰」的な視点で戦争を眺めることになる。

 

司令官的存在の心情にも入り込む

 しかし、本作『ペリリュー 楽園のゲルニカ』の作者である武田一義が選んだのは、一人の兵士——もちろんその戦闘をかいくぐった一人ではあるけども、最後まで生き延びて生還を果たした兵士に照準を当てることだった。

 主人公の田丸は将校ではない。下士官ですらなく、一等兵、まさに一兵卒でしかない。

 田丸は戦闘の全局を知るよしもないし、また、それを知ろうとする意思もほとんどない。ただ起きている目の前の事態に対して必死で生きようとする視点、いわば虫瞰が徹底している。

 ぼくは戦争を体験として描こうとすれば、極端な話、虫瞰たらざるを得ないと考えている。戦争を一種の娯楽として描く場合には鳥瞰・俯瞰になる。*1もちろん、戦争・戦闘の概要を知るために一定の俯瞰を採り入れる。本作でも、ペリリューの戦いを指揮した守備隊長である「大佐」が登場し、そうした視点は入り込んでくる。

 しかし、この大佐は、「目的を遂行」し、「組織的戦闘を終結」させることを宣言し自決する。

 武田は、その際にも大佐の死を虫瞰で描く。生きている大佐のまわりにハエと思しき虫を飛ばせ、自決した瞬間のコマを見開きで見せてその心情をこう描いている。

幼き頃より

覚悟ある武人の死は

美しいものだと

思っていた

だが 今

間近に来て知る

死というものは

実に汚らしく

おぞましく

無残な悪臭を放つ——

ならば 言葉だけは美しく——

 そして「サクラ サクラ」という玉砕を伝える電報を打つ。

 現実の歴史における指揮者だった中川州男大佐がどのような心情で死んでいったのか、ぼくらは知るすべもない。*2しかし、武田はフィクションとして指揮者の大佐がどのような気持ちで死んでいったかを大胆に推察し、むごく汚らしい現実として描いたのである。

 

 そして、「これでこの物語も終わりかあ…」と思っていたのだが、全くそうではなかった。そこから後の物語の方がはるかに長いのだ。この自決が描かれるのは全11巻中3巻なのである。

 

 

 そして、ぼくは実はペリリューは「玉砕」というイメージが強かったので、戦争が終わってからもそのことがわからずに戦後2年間も戦闘と残留を続けていた兵士が34人もいたことを知らなかった。そのために、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』が「組織的戦闘終結後」に田丸たちがどう生き延びようとしたかをえんえんと描いているので、びっくりしてしまったのだ。

 作者の武田は、戦闘がいかにむごたらしいものだったかということはもちろんだが、むしろその後、田丸たちがどう必死で生き延びようとしたのか、そこに関心が強かったことが、この構成からもわかる。武田はおそらくそこにこそ戦後世代に届けるべき要素を見出したのではないかと思う。

 

3頭身のリアリティ

 戦後世代に届けるにはどうしたらいいか?

 まず、絵柄から。

 この点はぼくも以前書いたし、様々なところで指摘され、すでに武田自身も述べている。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

――「ペリリュー」に登場するキャラクターは全員3頭身です。どうしてこの絵柄になったのですか。
 作品には残酷な描写があるので、苦痛なく読んでもらえるようにと思っています。残酷さや恐怖心をあおる演出でみせたいわけではないんです。視覚的な衝撃はなるべくない方向で、でも起こっている事象への恐怖はしっかりと感じてもらえるようにこころがけています。一方で、人間らしいシーンもあります。たとえば、みんなで集まって猥談するとか(笑)。あとはみんな食べるものがなかったのに、缶詰とか米軍から奪ってきて状況が良くなってくると、それを賭け事に使ってしまったり、花札でばくちをして自分の食べ物がなくなっちゃったり、とっても人間臭いですよね。同時に、戦闘状態もずっと継続している。そういうのが一緒にあるというのが面白くて。(デビュー作の)「さよならタマちゃん」も病気の話で、読むのがしんどいこともあるから、なるべく絵柄で緩和させて、かわいい絵柄で読んでもらおうというのがありました。

https://book.asahi.com/article/12192519

 

 ゆうきまさみは武田との対談で次のように述べている。武田が「衝撃の緩和」に焦点を置いていることと異なり、むしろ「効果的」と踏み込んでいる。

ゆうき たぶん、Twitterで誰かが薦めていたのを見て知ったんだと思います。それで1巻の表紙を見て「へー、この絵でやるんだ」と興味を持ったんです。

──とてもかわいらしい絵柄ですよね。

ゆうき うん、「この絵は効果的だな」って思いましたよ。この絵で戦争モノをやられると……グッときちゃうね。この絵だから戦争の凄惨さが効果的に見えてくるんですよ。

https://natalie.mu/comic/pp/peleliu

 「もともとこんな画風なんだろ」と思う人もいるのかもしれないが、開発されたものであることをゆうきとの対談では武田が述べている。

武田 もともとこのタッチは、デビュー作の「さよならタマちゃん」というエッセイマンガ用に作りあげたものなんです。僕は奥浩哉先生のところでアシスタントをしていたので、「さよならタマちゃん」以前の絵柄は、奥先生に近いものでした。

ゆうき えーっ、そうなんだ! じゃあこの絵は作ったものなんだ。

https://natalie.mu/comic/pp/peleliu

 

 楳図かずおが1967年に描いた戦争マンガ「死者の行進」と比較してみよう。

 同じ残虐なシーン——どちらも南方で食料や行軍をめぐり日本軍内で殺し合いをするシーンを描いていても、確かに武田の言うように現代の読者にとっては「入り込む」ハードルが違ってくる。

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武田『ペリリュー 楽園のゲルニカ』4巻、白泉社、kindle39/210

 

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楳図「死者の行進」/『漫画家たちの戦争 戦場の現実と正体』金の星社所収、p.126

 ぼくは「緩和」ということに焦点をおく作者・武田とは少し違い、むしろゆうきの指摘に近い。

 楳図的な劇画は「現実」に近いように見えて、今日ではむしろ読者にとってリアリティが遠い。「エロ劇画」が衰退し、手塚治虫ミームを持った「萌え絵」的なものの方にこそ、リアリティがあるのはその一例で、「3頭身」の「かわいらしさ」には現代の日本のマンガ読者が様々な角度からリアルを感じる装置が仕込まれている。

 その「かわいらしさ」のリアリティこそが、現代の読者が違和感なくそのまま自身を物語世界へ導入していける入口となっている。*3

 

「ペリリュー」という史実のどこをチョイスし膨らませるのか

 次に、戦後世代に届けるという点で、「ペリリュー」という史実のどの部分をクローズアップさせれば読者に届くだろうかと考えたとき、次のようなポイントが頭に浮かぶ。

  1. 戦闘においては、どうやったら勝てるか・任務を遂行するかということではなく、自分の命が奪われないように、どうしたら生き延びられるかという視点。米兵を殺すにしても、それは任務ではなく、とにかく自分を殺しにくる存在を倒す、そうしないと自分が殺されるということでしかないという視点。
  2. 本格戦闘終了後においては、食料や水をどうやって確保するのかという視点。ここでもやはり関心は「自分が生き延びる」ということ。
  3. この状態に終止符を打つという点においては、すでに戦争は終わり降伏すべきであると薄々気づきながらそれを言い出せないし、言えば仲間から団結を乱す者として拘束され、殺されるという状況下で、自分がどのように行動するか、ということ。

 この3点である。そして、この3点はいずれも「自分の命をどうしたら永らえさせ、生き延び、死なないようにするか」という問題意識で貫かれている。戦後世代にとって「ペリリュー」とはその点に尽きるのではないかと思う。

 そしてこの3点および共通の問題意識は、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』に強烈に貫かれている。

 補足して言えば、田丸がずっとそういう執着の中にいるわけではない。田丸を通して、そのことを読者が感じながら本作を読むのだということである。

 例えば1.について一例を挙げれば、第28話「生存本能」でばったり出会った行軍中の米兵を殺戮するシーンなどはまさに「無我夢中」という他ないものである。

 まだ組織的戦闘が続いている時でも、重傷者を「処分」するため囮にして米軍の射撃を引き出し、それによって米軍の位置を確定させて日本側からの逆襲の契機にするという作戦が組まれる。田丸はその作戦の「コマ」でしかない。俯瞰的な視点はかけらもなく、作戦や運命に翻弄される虫の視点そのものである。

 あるいは2.についても一例をあげよう。4巻で、大量のコメを見つけたと喜んだのもつかの間、それが腐敗して糸を引いていることがわかった時の絶望などが描かれる。「それで何もなければ食うしかないのでは?」とぼくなどは思ってしまう。そしてやはり食う兵がいるのだ。だが、激しい下痢に見舞われて半日で死んでいく。

 

 しかし何と言っても、「ペリリュー」という史実においては3.が印象的である

 原案協力者である平塚の『玉砕の島 ペリリュー 生還兵34人の証言』を読んでぼくが一番印象に残ったのは、最後に投降をするまでの過程であった。

 戦争は終わっている、ということを集団の中で言い出せない。

 過酷な状況を過酷な結束で通過している集団にとって、その結束を壊すような懐疑は発議さえ許されず、口にした途端、制裁され殺される。「連合赤軍」もそうであったし、現代の「ブラック企業」もそうであるし、戦争末期の日本社会全体がそうであった。

 生きのびたいという希望を描き、そこへ向けての脱出の過程で仲間との共同と確執を描き、それを抑え込む指導者の葛藤を描くためには、心情描写の解像度をどうしても上げなければならない。それはおそらくノンフィクションの「証言」だけでは、不十分なのである

 

 例えば、田丸と終始運命をともにすることになった吉敷という仲間の存在が不可欠だった。田丸と吉敷の会話を想像し、その心情を考えなければ、この希望・確執・葛藤は見えてこない。

 同様に、脱走して投降しようとした田丸と吉敷を追いかけていく島田少尉の存在も本質的なものである。

 脱走により投降が成功し、生還を果たすことができた。

 ぼくらの常識からいえば、田丸と吉敷が企てたことは感謝されこそすれ、非難されることではない。しかし、結束して生き延びようとした組織の論理を戦後の視点から一方的に裁けるのかといえば、そこに難しさは残る。少なくとも当事者には言いたいこともあろう。だからこそ、島田という存在を最後まで島で生き残らせ、田丸と戦後再開しても何も語らせないのであろう。島田は本来田丸に感謝し、謝罪すべきところであるが、それをしない。田丸もまたそれを求めない。そのような史実が持っている重みを捉え、当事者の心の襞に入り込んで戦後世代が想像を及ばせるためには、フィクションでなければ不可能であっただろう。

 

水木的なものの継承者として

 水木しげるの作品に「白い旗」という短編がある(1968年)。

 

 これは硫黄島の戦いを描いたもので、日本軍が組織的抵抗を終結した後、生き残った兵士たちが降伏のための「白い旗」を掲げようとする葛藤を描いたものである。

 この水木の物語は、武田の描いた葛藤に比べると、兵士たちの心の細やかな動きを追えていない。しかし、それはむしろ今から半世紀も前にその葛藤の心情を描こうとした、先駆としての偉大さだと言える。

 水木こそ「生き延びる」という意識と倫理を強烈に内包させた作品を描き続け、彼の生涯と体験もまたそれに貫かれている。

 武田はこの水木的なリアリズムの今日的な継承者なのである。

 

平塚柾緒の著作

 なお、本作を読み解き、その予備知識を得る上で、本作の原案協力者である平塚柾緒の2著(『玉砕の島 ペリリュー』『写真で見るペリリューの戦い』)は大変役立った。

 ペリリュー戦を考える上で、なぜ日本軍はペリリューを戦略的に重視し、そこで徹底した抵抗戦を狙ったのか、また米軍はそこをなぜ無視できなかったのかということがわからなければならない。この点で、『玉砕の島 ペリリュー』には初心者向けの丁寧な解説が載っている。

 さらに、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』のどこまでが史実で、どこからが創作なのかを知る上ではスレッジ『ペリリュー・沖縄戦記』とあわせて参考になる。

 例えば米軍によってコンクリートで入口を塞がれて生き埋めにされてしまう部隊の話が『楽園のゲルニカ』には出てくるが、これは実際にあった話である。また、米軍の拠点に物資を盗みに出かけ、そこで野外上映されている映画を見るという話も実話ということだ。

 あるいは、日米両軍による死体の損壊については『ペリリュー・沖縄戦記』に詳述がある。

 そして何より、「奇跡の投降」をめぐる話は、ぼくが考える『楽園のゲルニカ』の中心問題であるだけに、実際に何が起きたのかを知る上では平塚の著作は不可欠だった。

*1:そういう創作物はけしからんと言っているのではない。戦争を「ゲーム」「娯楽」として描くものをぼくは楽しんで読んでいる。

*2:遺された電報類はあるが、それは心情=真情であったかどうかはわからない。

*3:もちろん楳図の作品は古典としての意味があるし、楳図的グラフィックは現代であっても条件を整えれば全く違った印象を持って使えるのかもしれない。そのことは実際に別の作品として提示された時におそらくわかることであろう。

「暴力革命」宣伝のスジの悪さ

 “日本共産党は現在も暴力革命を方針とする政党である”という宣伝は、現代では珍しいほどかけらも真実がない純然たるデマである。なんの根も葉もない。大昔は共産党はどうだったとか、何があったとか、そういうことを百歩譲って認めるとしても今現在共産党がそんななんのメリットもない意味不明の方針を1グラムもとっていないことはあまりにも明瞭だからである。

 もし本当に暴力革命をやるつもりでいるなら「最近どこかで武装訓練をしているのをみた」とか「あそこに大量の武器が隠してある」とか、そんな情報が、全国で100や200あっても良さそうなものだが、まるで聞こえてこない。当たり前である。そんな方針も活動も何もないからである。

 だから公安調査庁が60年もかかって日本共産党を「調べて」いるのに、いまだに破防法を適用できない。何も出てこないからである。3年成果が出なければ情け容赦なく事業が終了する世知辛いこの公務渡世で、60年も無成果の事業がよくも続くものである。公安調査庁毎年出している「内外情勢の回顧と展望」の「共産党」の項なんか、ひどいものだ。「しんぶん赤旗」の要約ですらない。公式ホームページを2、3ページ見てコピペするだけの簡単なお仕事です。共産党が暴力革命を企んでいるという「罪状」の証拠が逆さにしても鼻血も出ないので、こんな不良大学生のレポートもどきをつくって遊んでいるのである。そんな公安職員の人件費に多額の税金を長年投じていることの方が公安上の脅威だわ。

 だいたい、共産党員とか共産党議員とかいった存在はいかなる国民の身近にも一人か二人くらいいるものである。その人たちをボワワワワンと頭に思い浮かべた時、あるいはその人と向き合って話した時に、「ああ、こいつらはいかにも格闘技が強そうで、熊を倒しそうだ」とか思うことは微塵もない。どちらかといえば絵手紙教室にでもいそうな感じであるし、ともすればデイサービスやゲートボールが似合う人すら少なくない。

 共産党支部会議の様子を見てみるがいい。どれほど「恐るべき」ものか。

www.jcp-osaka.jp

「○○さんが公園でこけはった」「私らも気ぃつけんと」と、身近で切実な話題も。医療生協の活動をしているAさん(81)は、「捨てるうんこで拾ういのち」と大腸がん検診をみんなに勧めました。

 この人たちが…? 暴力で…? 革命する…? と想像するのは至難であり、無理やり想像すると笑いさえこみあげてくる。デマの中身が目の前の現実や日常の実感とかけ離れすぎているので、デマを流す側に立ってみても、まことにスジのよろしくない、二流、三流、四流、五流のデマである。

 あろうことか、佐藤優までが、なんの因果かこんな粗悪なデマに取り憑かれて、ベラベラとしゃべり散らかして、雑誌対談相手の公安にまでドン引きされる始末である。これのどこが「知の巨人」であろうかと惨状目を覆わしむる事態であった。観察力がゼロである。共産党員が「それを言われると痛い」と思うような攻撃なんかいくらでもあるのに、よりによってこれほどの隙だらけのポンコツデマに飛びついてそれを恥ずかしげもなく口にしてしまうのは、お金とか、脅迫とか、何かそういう「オトナの事情」がある以外には考えにくく、そうでないのに真剣にこのデマを口にしている人がいたら、それはただの「おばかさん」であろう。あまり人のことをそう決めつけたくはないが、事この問題に限ってだけは、そう呼ばせてもらいたい。

 

 繰り返すが、上記のことは現在の日本共産党についてである。

 「数十年前にはいろいろあったじゃないか」というのは、さっきも述べたとおり、共産党側が反論しているし、批判者は再反論もしている。そこはいろいろ議論したらいい。そこを争っているんじゃない。さっきも言った通り、百歩譲って仮に認めたとしようじゃないか。

 だけど、現在そういう方針はどこにもないことは本当に疑いようもないし、動かすことはできない。綱領にもなければ、決定にもないし、活動の実態にもないのだ。

 それなのに、「今でも暴力革命の方針をとっている」という無理筋の横車を押す人がいて、驚くべきことに政権党や政府までがそんなしょうもない理屈立てにどうして必死でしがみついているのかといえば、「立憲民主党はそんな恐ろしい政党と組むんですか!?」というクサビを打ち込みたいがためなのだが、もうちょっとマシなクサビを打ち込めよ、としか言いようがない。もっと合理的で開明的でスマートでリアルなクサビがあると思うんですよぉ。

 

「敵の出方」論

 だから、それでもうすっかりおしまいなのだが、それではあんまりなので、インターネッツにお住いの皆さんのための特別なプレミアムとして「敵の出方」論について書いておく。

 「敵の出方」論がどうだとかなんだとかわざわざそんな面倒くさい、クソ小難しいことなんか知らなくても、上述のとおり「どう考えてもこの人たちは暴力革命なんかしそうにないよね」程度で十分の話なのだが、ヒマなので書いておくだけだ。以下は、たぶん「ゼットンの火球の温度は1兆度」という知識の重要度と同じくらい、日常生活や政治生活にとってはどうでもいい話なのである。クソプレミアム。

 

 2021年9月16日現在のウィキペディアなどでは、「敵の出方論」という項目に、

革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない。

という共産党第8回大会の政治報告の一文が引用されたり、

わが党は革命への移行が最後的には敵の出方にかかるという立場をとっている。

という不破哲三の『人民的議会主義』の一文が引用されたりしている。

 今の感覚から考えると、「政権を獲得してそれをきちんと動かすためにはどうしたらいいか?」という問いが出たとしたら、その答えは「選挙で国会の多数をとれば政権が取れますし、ちゃんと作動させられます」で話は終わりなのだが、共産党が1950年代の混乱をようやく終えて新綱領を採択した1961年当時、これは「平和革命唯一論」などと呼ばれて、問題にする左翼が少なくなかった。議会だけしか見ていないような社会変革は、甘すぎるというのだ。

 「じゃあ、軍隊や官僚が反乱起こして、せっかくできた新しい政権の閣僚を拘束したり、殺したり、新政権の業務をサボタージュしたりし始めたらどうすんの?」「そういうことをなんも想定せずに、備えもせず、議会で多数とれば世の中変わるというのは能天気すぎない?」という批判が左翼陣営内から、カジュアルに出てきていた。

 それはいちゃもんじゃなくて、実際に東南アジア最大の党勢を誇り政権入りをしたインドネシア共産党が軍の大量虐殺によって一瞬で消滅したり、チリで政権を握った社会党共産党の連合政権がアメリカの後ろ盾を受けた軍のクーデターで政権を崩壊させられ、首相のアジェンデは殺害されるという事件などがフツーに起きていたからである。

 共産党は「あくまで平和的移行を貫きます」とするのだが、「でも軍隊がクーデターを起こすかもしれない危険性は見過ごすわけ?」としつこく言ってくる人がいたのである。

 そこで初めて共産党としては、「いや、そこまでいうなら確かに絶対にないわけじゃない。それは反乱を起こそうとする相手側の出方次第ではそうなることもあるよ」と認めるわけだ。これが「革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない」とか「革命への移行が最後的には敵の出方にかかる」とかの表現となる。

 ではそういう際に、軍隊のクーデターなどに備えて、「選挙で政権を取るオモテの顔」と「非合法の秘密の暴力部隊を育成するウラの顔」を使い分け、軍隊の反乱には自前の武装組織で戦う…というそんな方針を日本共産党が立てたのかといえば、そうしなかったのである。

 「そんときは、新政権として国民に団結を訴えるし、警察を使って取り締まったりしますよ」という答えを共産党はしたのである。

 

 だから、不破哲三は、ウィキペディアで引用されている部分に続いて、実はこう述べている。ウィキペディアの引用はわざとそこを落としているのだ。紹介する。

 

わが党が、革命への移行が最後的には「敵の出方」にかかるという立場をとっているウィキペディアの引用はここまで。そして原文にはない句点が打ってある〕のは、党と革命勢力が国会の多数を基礎に、人民の政府をつくり、革命への平和的、合法的な前進をめざして活動しても、その過程で、反動勢力が不法な暴力を行使する場合、そのかぎりで情勢の「非平和的な局面」がうまれる可能性をまったく否定してしまうわけにはゆかないからである。〔…中略…〕国民の多数の意思に挑戦するこの種の暴力に直面して、政府が国民とともに秩序維持のための必要な措置をとることは、国民主権と議会制民主主義をまもる当然の態度であって、だれも、民主主義の名においてこれを非難することは、できないであろう。(不破『人民的議会主義』新日本出版社、1970年、p.244、強調等は引用者による)

 

 これは政権を取った後の反乱への対処であるが、政権を取るの対処も付け加わえて、志位和夫は最近の講演でその二つをまとめてこう紹介している。

日本共産党は、社会変革の道すじにかかわって、過去の一時期に、「敵の出方」論という説明をしてきましたが、その内容は、(1)選挙で多数の支持を得て誕生した民主的政権に対して、反動勢力があれこれの不法な暴挙に出たさいには、国民とともに秩序維持のために必要な合法的措置をとる。(2)民主的政権ができる以前に反動勢力が民主主義を暴力的に破壊しようとした場合には、広範な国民世論を結集してこれを許さないというものです。それは、どんな場合でも、平和的・合法的に、社会変革の事業を進めるという日本共産党の一貫した立場を説明したものにほかなりません。

 ぼくが学生の頃「広範な国民世論を結集してこれを許さない」って何? って質問したことがあって、その時「デモとかストみたいなので世論に訴えかけるんだよ」と説明している共産党員の人がいた。世論が固まればそんな反乱はそうそうできない、という立場を言いたかったわけである。

 それが効果的かどうか、そんなの役に立つのかよ、はこれを読んだ皆さんが勝手に判断してもらえばいいんだけど、ここで大事なことは、要するにどこまでいっても日本共産党は、少なくとも1961年綱領の確定以後は、「秘密軍事組織を作って対抗する」なんていう「武力闘争」路線をやろうとしていなかったし、今もしていないということである。

 

 そして、今や「軍隊がクーデターを起こすかもしれない危険性は見過ごすわけ?」「ミャンマーみたいなことが日本でも起きると思うよ!?」と詰問してくるような左翼は(そして右翼も)いなくなった。だから、まあもう「敵の出方」論なんていう誤解受けかねない表現はもうやめますわ、と共産党は宣言したのである。そういう誤解の誤爆を引き起こすような、あまり現代では現実性のない仮定をくどくどいうのではなくストレートに「選挙で議会の多数を占めるという革命をやります」と素直に表現することにしたのである。

 

加藤聖文「日本にとって満洲支配とは何だったのか」

 「前衛」2021年10月号に載った加藤聖文へのインタビュー「日本にとって満洲*1支配とは何だったのか」が実に分かりやすかった。

 

 

 ぼくは、満洲に日本から次々移民が送り出されたことは知っていたが、その理由は、「国内の農民が貧しく、それを反動的に打開するために満洲へ送り出し、開拓はもとより現地人の土地を奪った」ほどの理解であった。そして、「満洲日本帝国主義による朝鮮支配の後の、中国侵略のための第一歩である」というくらいの解像度の認識であった。

 

満洲支配が持っていた矛盾

 加藤は、満洲支配がもともと持っていた矛盾を、おおむね次のように説明している。

――そもそも日本人が昔からいた土地でもなく、縁も薄いのに、日露戦争でさまざまな利権をロシアから奪い取ってしまい、経済活動が始まった。

日本にとって、必然性のないところを取ってしまったわけですから、そもそも日本にとって満洲は本当に必要だったのか。歴史的にどうしても必要なところだという議論はありません。(加藤聖文「日本にとって満洲支配とは何だったのか」/「前衛」2021年10月号p.165)

 

――しかし、もともとそこは中国なのだから、「返せ」と言われる。日本は「大変な犠牲を払ってロシアから手に入れたのに、なんで中国がクレームを入れるのか」となり、噛み合わない。初めは無視していた。しかし声が大きくなってくる。モヤモヤした状態。

――このモヤモヤした状態をスッキリさせる解決策が、満洲全土を占領して日本のものにしてしまうということだった。政党政治に不信が募る中で、こういうズバッと明快な解決策を関東軍が出して実行したのが「満洲事変」で、国民は「すごい」と支持をした。

 

 この「満洲全体を切り離す」という発想の「革命性」は、日本人の当時の意識は南満洲にしかなく、権益も満鉄をはじめ、南に集中していたことを考えればわかる。石橋湛山の「満洲放棄論」も“満鉄経営やってもあんまりもうからないから、満洲の企業に投資する方向に切り替えれば?”的な合理論であったが、これも満鉄=南満洲に意識が集中していたことを示している。そこに満洲全体の占領。このプランの立役者が関東軍の参謀だった石原莞爾だ。石原は日米決戦をみこして資源のある満洲の必要性を説く。

 

――しかし、満洲は日本領とならずに、いろんな経過で傀儡国家となった。

 

 それが次の矛盾となる。

 

――3000万人がいる満洲で日本人は1%しかない。もっと日本人を増やさないと支配できない。日本から経済活動にやってくるサラリーマンや技術者、あるいは役人のような人ではなく(すぐ帰ってしまうので)、何世代にもわたって土着する人が必要。それは農民。

――そこで20年後の満洲が5000万人として1割の500万人(100万世帯)を移住させる計画を立てる。

――日本政府は、満洲は中国の中でもフロンティアで土地はたくさん空いているからいくらでも入り込む余地がある、とふんで入植を進める。

 

 この時点では、日本政府はおおざっぱに問題を捉えていたが、現地人から無理やり土地を大量に奪うということは考えていなかった。しかし、それは「机上のプラン」にすぎなかった。

 

もともとの政策自体が、現地の実情をきちんと把握しないまま進められていたのです。そのため、実際にすすめていくと想定外のトラブルが起きます。(p.169)

 

――南部のいい土地はすでに誰かが耕している。北部も作物が作れそうなところは、すでに誰かが耕している。開墾さえできないような、つかいものにならない土地だけが持ち主がいない。

 

 これは当たり前の話だろう。「人口密度が低くて莫大な土地が余っている」というのは、「現地の人間がボサーッとして気づかない、怠けている」ということではなくて、どうやっても農作物なんかできっこない土地なので、そこにはいかないだけで、したがってまかなえる人口もそれにふさわしい規模でしか増えないから、土地の広さに比して人口が少なくなるのである。

 

――しかし入植はさせないといけない。そこで土地を買収をするが、満洲の土地制度が複雑で、権利関係が非常に入り組んでいる。地主と思った人の上にまた地主がいる、その地主は全然別の都会にいる、という構造が何層にも重なっていたりする。話がまとまらない。

――手続きをとって土地を買っても、そうなると現地で土地を耕していた人は突然職を失ってしまう。説明もない。セーフティネットもない。

 

日本側から見れば正当な手続きで契約を交わして、お金を払って買ったのだから、行政的には瑕疵がない。しかし、実際の現地の人たちの生活や心の問題は切り離されて考えられていて、日本に対する反発が生まれてしまったのです。(p.170)

 

――100万戸移住計画はほとんど修正されなかった。そのために、入植地が実際にはかなり限られているのに、無理やり計画通りに入植をするので、誰かが住んでいるところに結局強権を発動して計画を目標通り実行してしまう。

――無理に数字を合わせる。改ざんする。書類をいいかげんなものにする。不正が横行する。

 

そこから植民地というものの本質が出てくるのです。権力を持っている側が強権を発動してい、そこに住んでいる人たちを「いないこと」にしてしまう。強制立ち退きで、無理に入植地を広げていくことが頻発するようになってくる。(p.171)

 

日本的組織論としての「誰も止められない」問題

 現地や現場をよく調べもしないままの計画をつくり、始まってみると無理があるが、計画は無理にすすめられていく。しかしもしこれが国内であれば、反発が生じて政治はそれに対応しようとする。それが計画の修正やセーフティネットの用意などの形で、現れる。あるいは無理なやり方は取らないかもしれない。

 しかし植民地であるがゆえに、強権を発動して、無理が通ってしまう。

 民主的プロセスがなく、強引に押し切ってしまえるということは恐ろしいことである。

 そして、誰も止められなくなる。

こうして国の政策は一回歯車が動き出してしまったら、あとは誰も止められなくなっていきました。いくら政策を最初に立案した人であっても、それがスタートしてしまったら、機械が動き始めるのと同じで、誰もストップをかけられなくなってしまったのです。(p.172)

 ここは、植民地の問題というより、「日本の政治構造の問題点」(p.172)だと言えよう。

「私がやっているのはこの部分しかやっていませんから」「これはあの人の担当だ」と責任のなすりつけ合いになり、誰が責任者なのかわからないことになっていき、最後は誰もストップボタンを押す人が出てこなくなる。日本の場合、政策の柔軟性がもともとないので、一つの目標を目指す時は、ある部分強みを発揮するのですが、それが「ちょっとおかしいぞ」といったときに、軌道修正ができなくなる。(p.172)

 加藤はここで日本的組織論を問題にしている。

 そしてその問題の仕方は、「部分と全体の責任」という切り口である。これは組織論としてよくある話ではあるが、満洲問題の分析をここに持ってきているところに、加藤の議論のユニークさがある。

大きな話になっていくほどますます誰も部分的にしか関与しなくなり、挙げ句の果てに破綻するまでいってしまったのです。破綻してしまったあとも最初の人たちは「あなたが言ったからだ」と批判されても、「いや、私は最初はこういう意図だった。自分の意図とは違う方向に行ったのだ」「途中からこれはまずいと思ったのだが、言うことを聞いてもらえなかった」と責任のなすりつけ合いになる傾向が強い。日本の戦争そのものが、誰が何の目的で始めたのか曖昧になって、誰もが当事者意識がない、むしろ被害者意識を抱いています。みんな不本意な被害者意識で、責任の所在が曖昧になってしまっています。(p.172)

 

 この記述はまことに身にしみた。

 もちろんこれは今の日本の政治でもあれもそうだ、これもそうだと思い当たることばかりなのだが、それだけでなく、ぼく自身が関与しているものについても本当にこういう事態になっていると身震いしたのである。

 ちょっと脱線したふしがあるが、まあこれは「組織論」としてのぼくの感想。

 

 話を戻そう。

 満洲という問題にどのような矛盾が積み重なっていったのか、ということを概略的な論理の流れで見る、という本稿はぼくにとって新鮮だった。満洲という歴史問題について、個々の細々した歴史記述をした本はそれこそ山のようにある。しかし、そこにどんな太い歴史=論理の筋が通っていて、その論理=歴史の矛盾がどのように爆発したのかを加藤インタビューでは示している。

 日本人として満洲とはどういう場所であり、またどういう歴史問題であったかを、大きな枠で捉え、人に説明する上では、この加藤のような説明はとても貴重なものである。

 

被害者意識が中心という問題

 加藤は最後に「満洲引揚が問いかけていること」として、満洲問題は、満洲引揚問題として語られ、どうしても被害者としての意識・側面が中心になる点を批判的に指摘する。

 

そこで欠落している〔の?]が、よくよく考えてみるとなぜ彼らはそこにいたのか、どういう経緯でそこに渡っていたのかという問いです。(p.174)

戦後の社会でも、満洲からの引揚のインパクトが強すぎてしまい、どうしても被害者としての側面でしか語られてきませんでした。……たとえば、引揚者は、いろいろな回想録や手記を出していますが、そのほとんどは、ソ連が攻めてきてからの話です。それ以前に何をやっていたかはあまり書かれていなくて、いかに自分は大変な目に遭ったかが一人歩きしてしまっています。(p.175)

 かなり踏み込んだもののいいようである。

 「引揚が悲惨だった」「引揚で残された日本人はかわいそうだった」という事実を学ぶことはとても大切なことだが、これだけが切り離された体験というのはある意味で恐ろしいのではないかとぼくは思う。

 この意識は「だから戦争は二度と起こさないようにしよう」になることもあれば、「だから武装しよう」「だから〇〇人はひどいことをする奴らだと言える」というふうに転がることも十分にあるからだ。

 「なぜ彼らはそこにいたのか」という日本の侵略と膨張史という歴史文脈を学ぶ中で、初めて全体を理解した、批判的な歴史体験の継承が可能になる。

 

 今福岡市で、平和資料館を公設する運動が広がり、先日3万筆に近い署名が市議会に提出された。福岡市は実は日本最大の引揚港=博多がある都市で、引揚は立場の違いを超えた広い市民にとって重要な歴史問題である。

 ぼくらが引揚を学ぶ際には、加藤が提起しているような広い歴史文脈で引揚を捉えるようにしたい。

 

 

*1:加藤の文章では表記は全て「満州」でなく「満洲」になっており、ぼくも合わせる

かあいそうだたほれたってことよ

 英語の勉強のつもりで読んでいた一文

I believe that if Japan indeed had a few more infections in April to May, we could have seen widespread deaths, akin to what happened to our European friends.

というものがあった。

 前後の文章でだいたい「ヨーロッパの仲間たちに起きたように、死者の急拡大を見ることになるだろう」的な感じで読んだが、恥ずかしながらakin toがわからない。

 調べると「〔…と〕同種で,類似して 〔to〕」とあった。まあだいたいそれでよかったわけである。その時辞書には「Pity is akin to love.」という諺が書いてあったが、特に興味も引かれずにそのまま閉じた。

 

 

 ところで土日に、杉本亜未ファンタジウム』を読み返していて、「『可哀想だたぁ、惚れたって事よ』は夏目漱石先生だったろうか」という意味のセリフが出てきて、はてなんであったろうかと調べた。それはすぐわかった。『三四郎』である。

「その脚本のなかに有名な句がある。Pity's  akin  to  love という句だが……」それだけでまた哲学の煙をさかんに吹き出した。
「日本にもありそうな句ですな」と今度は三四郎が言った。ほかの者も、みんなありそうだと言いだした。けれどもだれにも思い出せない。ではひとつ訳してみたらよかろうということになって、四人がいろいろに試みたがいっこうにまとまらない。しまいに与次郎が、
「これは、どうしても俗謡でいかなくっちゃだめですよ。句の趣が俗謡だもの」と与次郎らしい意見を提出した。
 そこで三人がぜんぜん翻訳権を与次郎に委任することにした。与次郎はしばらく考えていたが、
「少しむりですがね、こういうなどうでしょう。かあいそうだたほれたってことよ
「いかん、いかん、下劣の極だ」と先生がたちまち苦い顔をした。その言い方がいかにも下劣らしいので、三四郎と美禰子は一度に笑い出した。

 あっ、これではないか! と驚いた。

 全然関係のないことがひょんなことで近くにあって、たまたま記憶のフックがあったせいで「これって、あれじゃん!」とコーフンし、結びついて覚えてしまう…というようなことがある。これである。

 

 

(下記は2008年の『ファンタジウム』1・2巻当時のぼくの感想。物語が完結した現時点ではこの感想からはかなり距離がありますが、参考までに。)

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

藤のよう『せんせいのお人形』についての続き

 昨日書いたことのうちの、二番目のこと。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 二つ目は、恋愛対象として。もっと言えば性的な対象として。

 ぼくが昭明の視点でスミカを性的に見るという視点について書いたわけだけど、この作品の4巻には、スミカの先輩で「天羽先輩」が、次のようにスミカを挑発するくだりがある。

 天羽先輩は、昭明と「恋人」になりたいのかとスミカに問われ「セックスができればそれでいいから」と思わせぶりに言った後、

あんなに魅力的な男性めったにいないでしょ

…いい身体してそーよね

私 前腕ががっちりしている人が好きなの

抱かれたくない? 

そうそう 手が大きいのに動きは繊細で

近づくといい香りするわよね

あの目つきも好きだな

冷たくて逆らえない感じ

あのひと

ぜったいエロいよ

 と舌なめずりせんばかりに告げる。

 スミカは動揺せずに切り返すが、家に帰ってから天羽先輩の言ったことが効いてきて、昭明を性的に見ることに悩まされてしまうのである。

 官能小説とかにそういう言い回しがあるのかどうか管見にして知らないのだが、

手が大きいのに動きは繊細で

に、ぼく自身は、どうにもやられてしまった。

 え……「手」?

 手が大きい?

 大きいのに繊細?

 それがエロい?

 意表に出られたわけである。

 そんなエロさがあるんだ、としみじみ噛み締めてしまい、手が大きいのに繊細、それだとどんなエロさがあるというんだ、と、スミカじゃねーけど、ずっとモヤモヤ想像してしまったのである。

 

 

 

藤のよう『せんせいのお人形』

 この作品をどんな気持ちで読むべきなのか。

 

 

 本当に正直なところを言えば、とても欲望的な気持ちで読んでいる。

 まともな保護者がおらず、あちこちの家を転々とさせられ、ネグレクトに近い状態の少女(高校生)・スミカを、遠縁の一人であり、名門女子高の教師をしている吉成昭明(しょうめい)が引き取る物語である。

 「欲望的」とはどんな?

 一つ目は、暗く、無知蒙昧な精神の牢獄に閉じ込められてきた少女に一つ一つ教育を施して、まるで砂に水が染み透るように少女がそれを受け入れて、人間になっていくプロセスがぼくにはクラクラするほど欲望的なのである。

 2巻で哲学と数学のことを調べていたスミカが、それらは神話を不要にするために同じものとして出発したことにたどり着くシーンがある。

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藤のよう『せんせいのお人形』2巻、comico、Kindle74/216

 コマはその解放感、爽快感に満ちている。

 学問をすることや知識を得ることの大きな喜びの一つは、バラバラだったものがつながり、世界が一つの図面として立ち現れる瞬間に出会えることで、自分が教えていた少女が、しかし自分でそこに到達するのを見るのは、教師冥利につきるというものではないか。

 これはぼくにとってとても欲望的なことである。

 ぼくは、誰かに「教えたい」という気持ちが強いのだ。特別に女性に対して、というわけではないが、たぶん「マンスプレイニング」的な要素も混ざりこんでいるのだと思う。

 

 

 

 二つ目は、恋愛対象として。もっと言えば性的な対象として。

 昭明とスミカは密かに、しかし互いに惹かれあってしまう。昭明は強い気持ちでそれを抑圧し続けることになる。

 ぼくは、そういう抑制のタガが外れた昭明バージョン、という気持ちでスミカを見ている。昭明にぼくは気持ちを投影する。昭明はぼくの「自画像」なのである。知的で、自己抑制心が強いという……おい、ここは笑うところじゃないぞ。まあ「自画像」だったらいいな、という単なる願望だ。微塵も似てはいない。

 自分の力添えで蒙を拓かれた少女に欲望するっていうのは、相当にいびつな感情だと思うのだが、そういう危うさに満ちているのである。

 だいたい、タイトルからして「せんせいのお人形」であり、1巻の頃の昭明の立ち位置、振る舞い方(上から被せるようにスミカに「俺は教育するよ きみを」と言ったりすること)は、そういう欲望を読者に「誤導」させる気満々だよね?

 それがたまらなく好きなのである。

 

 

 すでに本作は完結しているが、結末を描いた最終巻はまだぼくの手元にはない(2021年8月末時点)。

 本作がいかなる結末を迎えているのかは知る由もないが、少なくとも結末に至るここまでの間、ぼくは欲望的な気持ちで本作を読み続けてきた。