高市首相の「働いて働いて…」の流行語大賞受賞に思うこと

 今年の流行語大賞高市首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」に決まった。

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 「なぜこれが?」という思いがよぎるが、選定側は、まず「高市政権ができ、高支持率が続いている」ことが日本の「流行」をそのまま表しているという思いがよぎったのだろう。そうだとすれば高市にまつわるものならなんでも良かったのかもしれない。

 

 しかし「存立危機事態」を選ぶと、その受賞自身がかなり危険な意味合いを持ってしまうので、そこまで影響が大きくなく、ポジティブさとネガティブさを併せ持って、それなりに人口に膾炙したこの言葉選ばれたのだろう。

 



 ん?

 「そこまで影響が大きくなく」?

 「ポジティブさ」?

 自分で書いておいて、そうかなあと思う。

 

 高市は受賞のスピーチで、この言葉で働きすぎの奨励とか長時間労働を美徳とするような意図はないと言い訳した。しかし、自身が労働時間の上限規制の緩和について指示を出しておいて、さすがにその言い訳は厳しい。

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 しかも、最近、「最低賃金時給1500円」が政権の目標から姿を消した。物価高で少しでも手取りがほしいこのご時世で、賃金が上がらないのであれば「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」となるしかない。ここでも高市の言動は、ナイーブなものではいられないのだ。

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 そういう政治情勢と雰囲気の中であるから、流行語大賞に選ばれたから、あらためて市井で軽口のようにして使う人もいるだろう。

 帰れない職場で「いやあ『働いて働いて働いて働いて働いてまいります』だからな〜」とか。あるいは定時で帰る写真に「おい、もう少しやってけよ。『働いて働いて働いて働いて働いてまいります』とは言わんけど『働いて働いてまいります』くらいは」的な。そして、そうやって日常の中に長時間労働を許してしまう空気が小さく、少しずつ醸成されてしまうのではないか。

 受賞はそこに一役買ってしまうのである。

 

 だからこそ選定側にはっきりした批判的コメントがほしかった

 やくみつるや神田伯山のコメントが朝日新聞の記事で紹介されていたがそこがはっきりしない。

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 ぼくが2018年に上西充子法政大教授とともにトップテンを受賞した「ご飯論法」のときはさすがにご飯論法を使って悪いことをしてやろうという雰囲気を助長することはできなかった。当該の行為と言葉の性格上、そういう悪用が難しいのである。むしろ政治家がそのような狡猾なレトリックを使うことに名前を与え、注意喚起をする役割をいくばくかは果たせた。

 

 だが高市発言のような性格の言葉を流行語大賞に選定することは、それが皮肉な受賞であり、警告であると受け止められるなら、むしろ積極的な役割を果たすと思うけど、選定側がその明確な役割を与えて世に放たないと逆に有害な空気を醸成してしまう。だから現状のままでは、これは「長時間労働のススメ」でしかない。