NHK番組「ドキュメント『シン・仮面ライダー』~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~」を視る。
——殺陣=段取りじゃなくて、殺し合いをやってほしい。
——意外性を見せてほしい。
…という庵野秀明の注文。まあ、そういう注文もわかる。
わかるんだけど。
横山旬『午後9時15分の演劇論』で主人公・古謝は締め切りのどん詰まりになって他人から投げ捨てられた劇の脚本を押し付けられ、青息吐息で作り上げた芝居で、友人・宮本が「感動した」と素直に告白するシーンがある。
芝居の中で、脚本である古謝がワンシーンだけ出演する箇所がある。自分の出番を忘れていて出来が悪いまま当日を迎えたことをあれこれ考えていたその時に、出番がやってきてしまい、即興で、最近若くして転落死した友人に当てて電話をかけるという想定で、アドリブのセリフを叩き込む。下図を視てもらえば、何かわけのわからない迫力が生まれていることが分かるであろう。それが観客から期せずして拍手をもらうのである。
もちろん、そのシーンだけではないのだが、「中身のない」舞台に、それぞれの役者が奇妙な合成力を働かせ、何だか異常な迫力が出てしまう。
宮本が芝居の後で、古謝をねぎらうセリフ。
わかってないよオマエ “感動”てのはさ
本当の“感動”っていうのは
なんかわけわかんないもんじゃねーかな?
脚本だー演出だーで
人の心の“感動スイッチ”ポチポチ押そうってのは…
所詮は下劣な行為だと思うぜ
そうじゃなくって…
なんもかもわけのわからん中から
“本当のこと”を引っぱり出そう出そうと必死で格闘する
瞬間瞬間のギラつきだけが…
結局は本当の感動なんじゃないかな
だから…元に戻る。
『シン・仮面ライダー』の撮影現場ドキュメントの話に戻るけど、庵野が伝えたいことはわかる。段取りすんなと。ハプニングもない、予定調和じゃ面白くねーだろと。わかる。わかるわ。
わかるけど、現場の雰囲気は最悪になる。実際なったし。ブチ切れ寸前になる現場全体。特にアクション関係。
たらちねジョン『海が走るエンドロール』4で、主人公の一人・海が監督になって自主映画を撮るのだが、現場の雰囲気を悪くしてうまくいかなくなる。その直後に、海は有名な監督に「監督に必要なことってなんだと思いますか」を尋ねるシーンがある。(この話自体は、前にも紹介したけど…)
その有名監督は「うーん」と少し考えた後に、
「めちゃくちゃ気を遣えること」
というシンプルな教えを伝える。
「まず怖い監督の下で最高のパフォーマンス出せなくない?」というのだ。監督の周りは「なんか夢がないなぁ…」と呆れ気味。「監督に必要なことってなんだと思いますか」という問いなら、もっと「それっぽい映画論」を語るべきだと思ったのだろう。
しかし、海は、天啓のようにその言葉を受け止める。
『午後9時15分の演劇論』の1巻で、古謝は自分が目指す芝居のために、現場をぶち壊してでも持論を通そうとするが、ギリギリでそれをやめて「オッケー!オッケー!」と全てを許してしまい、激しく後悔する。
しかし芝居は逆に全ての人のパフォーマンスを引き出して、周囲から絶賛されてしまうのである。
いやー。庵野は正しくなかったのではないか。
などとは思ってみるが、じゃあ、『シン・仮面ライダー』は面白くなかったのかといえば、面白かったのである。世の中、わからない。