映画「風立ちぬ」を批判する


 宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観た。お盆で帰省し、子どもを見てもらっている間に夫婦で。


 ちょっと長くなると思うので、最初に結論書いておこうか。

  1. 恋愛要素は男目線で気持ちがノッた。
  2. 飛行機にかける夢についてはロジックがまったく詰め切れられておらず、面白くなかった。
  3. 零戦をつくった責任について無邪気すぎるという点が最大の批判点。

 えーっとネタバレもありますから、読む人は承知して読んでほしい。
 あらすじを知らない人はここを読まないだろうけど、一応。零戦(零式戦闘機)の設計者として有名な堀越二郎という実在の人物の半生を描き、それに堀辰雄の小説『風立ちぬ』のラブストーリーをまじえ、菜穂子という少女との恋愛をからめて虚構化した作品。
 ジブリの公式のあらすじ解説はこちら。
http://kazetachinu.jp/story.html

恋愛要素は男目線で気持ちがノッた


 菜穂子との恋愛は、(;゚∀゚)=3ムッハー!! っていう感じ。
 なんでかというとですね、主人公・堀越二郎丸めがねだから。ほら、完全にぼく自身だから。声優である庵野秀明の訥訥とした語り口が、知的で内気っぽい、自分の理想的インテリ像をかぶせる上で絶好のオカズだった。
 菜穂子の造形も、「サナトリウム」とか……そういう昭和のインテリっぽい雰囲気が……もう……悶絶っぽくて。
 結婚式のシーンとか、そのあといろいろイチャイチャするのも、ごろごろ転がってしまいたくなった。


 つれあいは恋愛そのものの描き方は悪くないと思っているようだったが、声優=庵野がまったく受け付けられなかったらしい。


 「あの、口ごもった喋り方がひどかった。反知性さえ感じた。キムタクのときは最初違和感があったけどすぐに消えてのめり込めていけた。さすがプロと思ったが、庵野は全然ダメ。終わりまであの声のせいで現実に引き戻された。むしゃくしゃした。ついカッとなった」と最悪のコメント。そのために、恋愛要素全体がぶちこわしになったということである。


 つまり庵野という虚構の入口を通過できたかどうかが、明暗を分けたということだ。そして、昭和インテリの妄想を持つぼくは、この入口を通過できたのである。


風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫) ちなみに、堀辰雄の『風立ちぬ』自体についても、つれあいの評価は辛口。激辛。暴君ハバネロ
「なんだこりゃと思った。世迷いごと。小さい頃、読んだ記憶があるが、やっぱり『なんだこりゃ』と思ったのだろう。全然記憶に残っていない。まあ、サナトリウムでの悲恋、薄幸の少女っていう設定とか、草食系男子みたいな主人公っていうのは、当時はものすごく新鮮だったかも知らんけど、今読んで得る物は何もない。こちらからは以上です」


 ぼくも小説の『風立ちぬ』って初めて読んだけど、似たような感想である。あとがきの解説とか読んでも、女性ファンがけっこういたわけで、女子用メロドラマだったのではないかと愚考する次第です。


 ちなみに、堀辰雄の原作は男性が病身の女性に尽くす話であるが、宮崎映画の『風立ちぬ』は病身の女性が男性に尽くすという具合に書き換えられている。そのような非道い男権主義的逆転が、ぼくの男目線的欲望を刺激したに相違ない。

 

飛行機にかける夢についてはロジックがまったく詰め切れられておらず、面白くなかった


 さて、物語のもう一つの軸である、「飛行機にかける夢」は、「ロジックがまったく詰め切れられておらず、面白くなかった」というのがぼくの印象。
 ここでもつれあいにご登場願おう。


堀越二郎がどういう人か知らんけどさ、その凄さって映画の中でなーんも描けとらんよね。新妻との貴重な時間を潰してまで働く、その贅沢さによって、堀越の仕事の凄さを示しているとしか思えんかった。そして、その描写は(゜Д゜) ハア??っていう感じなわけ。中身がないんだもん」

零式戦闘機 (新潮文庫) 吉村昭『零式戦闘機』や堀越二郎零戦』を読むと、海軍側=戦争の現場のロジックがいかに無茶を設計側に強いてきたかがわかる。要請される能力が相互に矛盾しあうのである。

速度、上昇力、旋回性能、航続力、離着陸性能、それに兵装艤装など、すべての要求項目は、互いにその性能を減殺し合おうとする性格をもち、しかもそれらの項目の一つ一つは、日本はもとより外国の一流戦闘機の水準を越えたもので、それらをすべて小馬力の機に充たすことは至難だった。そしてその中の一項目をみたすだけでも容易ではないし、もしもその項目を強引に実現しようとすると、他の性能が水準以下に転落し、機の性能のもつ均衡もたちまちに崩壊してしまうのだ。(吉村『零式戦闘機』新潮文庫p.48)

 海軍側の要求にそえる方法を、具体的に考えれば考えるほど、その要求の苛酷さが身にしみてわかった。私は毎日、会社の机で呻吟した。昼休みにスチームのきいた部屋にみなで集まって歓談しているときも、若い技師たちは、よく、海軍のだれそれさんはこんなくせがあるなどと話して笑ったりしていたが、私の頭には、ときどきふっと、要求書の項目が現れては消えていった。
「この要求のうちのどれか一つでも引き下げてくれれば、ずっと楽になるのだが――。」
 そういう思いがときどき頭をよぎった。(堀越『零戦 その誕生と栄光の記録』角川文庫p.51)

 しかし、堀越はそれを見事に乗り切り、高性能の戦闘機を創りだす。
 『零式戦闘機』『零戦』の面白さは、この矛盾し合う要求を制御し、その水準を越えていくところにある。
 映画「風立ちぬ」はあえてこのロジックの凝縮を捨てた。どこかに出て来たかもしれないが、ぼくもつれあいも見過ごすほどにわずかなものだったに違いない。兵器オタクである宮崎がその「面白さ」を知らぬはずがない。あえて捨てたのである。
 しかし、その「あえて」が効いているとはとうてい思われぬほどに、物語はぼんやりしてしまった。その責任はあげて宮崎にある。*1


 「がんばりました」「才能があったそうです」というだけで誰が満足するんか。ゼロ戦開発の苦闘がロジカルに示せないのは、それを描けば次節で紹介する戦争との関係が生々しくなってしまうからだろう。「夢」として描くにはギトギトしすぎるからだ。


零戦をつくった責任について無邪気すぎるという点が最大の批判点

 というわけで、なぜゼロ戦開発、少なくとも九六式開発が描けないのかという問題に移ろう。結論からいえば、「零戦をつくった責任について無邪気すぎる」ためであり、ぼくのこの映画に対する最大の批判点はまさにその点にある。


 帰省先で映画を見た後、列車の中で終戦日の「赤旗」主張を読んでたまげた。

いま公開中の宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」は、戦争の悲惨さ、無意味さを静かに語りかけてくれます。映画のラストシーン近くでの、破壊され打ち捨てられた大量の軍用機と、それさえ埋め尽くす美しい緑の野原は、戦争の無残さと平和の大切さを伝えているのではないでしょうか。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-15/2013081501_05_1.html

 お前は本当に『風立ちぬ』を見たのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。お前、パヤオ改憲に反対してるよって言いたいだけちゃうんかと。
 宮崎は「しんぶん赤旗」日曜版2013年8月11日付に登場し、「平和憲法があったから」という見出しで平和への思いを語っている。9条改憲にも96条改憲にも反対する小冊子を出したことは「ネトウヨ」の憤激を買った。
http://military38.com/archives/29677893.html
http://sanachan.doorblog.jp/archives/29680599.html


 先の「主張」も宮崎が映画にこめた平和の思いを、改憲反対の基調とともに紹介している。

 「憲法を変えることについては、反対に決まっています」―映画を製作したスタジオジブリがこの夏発行した「憲法改正」をテーマにした雑誌で、宮崎監督はきっぱり言い切ります。二度と戦争の悲惨さを繰り返さないと決意した日本国憲法を踏まえてのものです。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-15/2013081501_05_1.html


 零(れい)式戦闘機、いわゆる「零(ゼロ)戦」は、太平洋戦争で米英に対して、絶大な力を発揮したことはよく知られているが、デビュー戦においては中国侵略の先兵となった歴史をもっていることは今の一般の人にはあまり知られていないことだろう。


 九六式艦上戦闘機〔堀越がゼロ戦の前に設計した戦闘機――引用者注〕の活躍は、依然としてめざましいものがあったが、重慶への長駆おもむく爆撃機には、その航続距離性能の点でついてゆくことができない。そのため爆撃機は、戦闘機の掩護もなく重慶爆撃をおこなっていたが、その都度むらがるような中国空軍の迎撃をうけてその被害が続出していた。
 中国大陸の現地航空部隊としては、九六式艦上戦闘機と同程度の空戦能力をもち、しかも爆撃機についてゆくほどの航続性能をもつ戦闘機の出現を渇望していた。(吉村前掲書p.121)

 零戦の登場で、この戦況は一変する。
 零戦の性能を実地で証明するために、重慶爆撃への掩護として零戦は投入されるのだが、中国空軍は姿をみせない。そのために実践で証明される機会がなく、この任務を命じられた横山保大尉は「苛立った」(吉村p.145)。
 中国空軍は、日本側による重慶爆撃が済んでから重慶上空に姿を現し、「中国空軍機は、日本航空隊に大損害を与え、追い払った」という宣伝をしているのだとわかった。そのために、横山隊は奇襲を考える。一度引き揚げた後に、再襲撃を行ない、「追い払い」の演出をする中国空軍を屠ろうとしたのである。
 このくだりは吉村の『零式戦闘機』における白眉で、日本軍側に身を置いて読む場合には、無上の爽快感を与える。引き返した後、中国空軍を発見するシーンをごく一部だけ紹介しよう。

 時計の針が、小刻みに動いてゆく。かれは、列機を誘導しながら、重慶近しと判断して一斉に戦闘隊形をとらせた。そして、東方向からひそかに重慶上空に接近していった。
「いてくれ、いてくれ」
 かれは、胸の中でねがいつづけた。そして、晴れた空に視線を走らせていたが、突然、かれの眼に、遠く点々と光る眩いものがはっきりととらえられた。
 その点状のものは、南西の方向から重慶上空にむかってゆっくりと移動している。
「いた」
 かれは、思わず叫んだ。(吉村前掲書p.152-153)


 吉村によれば、わずか10分の戦闘で中国空軍の部隊は壊滅し、零戦は一人の犠牲も出すことなく帰還した。まさに「劇的」な戦果である。


零戦 その誕生と栄光の記録 (角川文庫) 堀越自身は、この戦果について

私がこの空戦の模様をくわしく知ったのは、戦後しばらくしてからであった。そして、それは私たちが想像していた以上にみごとなものだった。(堀越前掲書p.148)


と「みごとなものだった」という評価を端的に与えている。

 〔重慶の戦闘の――引用者注〕二、三日後、感謝状の写真が届けられた。会社が私のためにわざわざ作ってくれたのである。その写真は、戦後もしばらくのあいだ、黄色くなって私の手もとに残っていた。取り出してみるたびに、これを設計室に回覧したときの、一人一人のうれしそうな表情が、目に浮かんできたものである。(同前)

 性能の発揮を「無邪気」に喜んでいる堀越と同僚たちの姿が浮かび上がる。


 重慶爆撃とはどのような爆撃であったのか。零戦のデビュー戦の日における爆撃が必ずしもそういう性格を担っていたかどうかはわからないが、重慶に対する爆撃全体を、たとえば「赤旗」自身はこう書いている。


 ナチスドイツのスペイン・ゲルニカ爆撃(37年4月26日、死者約1600人)とともに、重慶爆撃は、一般民衆をねらった最初の本格的な無差別都市爆撃でした。
 日本軍は37年12月、首都・南京を、38年10月には武漢を占領しますが、中国は降伏せず、蒋介石と国民党政権は武漢からさらに800キロも奥地にある重慶に遷都します。この手詰まりを打開しようとしたのが「飛行団ハ主力ヲ以テ重慶市街ヲ攻撃シ敵政権ノ上下ヲ震撼(しんかん)セントス」(陸軍の命令書)という“抗戦意思をくだく”目的の「無差別爆撃」だったのです。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-05-03/ftp20060503faq12_01_0.html

 堀越が三菱に属し、海軍のために造りだした戦闘機がこのようなことを担ったことについて、映画「風立ちぬ」では何か捉え返しがあるだろうか。
 無い、といわざるをえない。


 虚構をまじえた映画に、こうした批判をぶつけるのは野暮だという批判がある。
 うちのつれあいは、このような「戦争の道具をつくった人間の描き方」というポイントでの批判をまったくおこなわなかった。彼女はぼくのようにあらかじめ堀越の著作や堀越に関するルポをなにも読まずに、いわば先入観なしに観たからである。
 先入観なしに観た人が、その点に疑念を引き起こしていないなら、いいではないか――という主張もできそうだ。
 しかし、だからこそこのような手法で歴史上の実在の人物を描いたことの危険を指摘したい。
 映画のなかでは、堀越の同僚である本庄が「俺たちは武器商人ではない。いい飛行機を作りたいだけだ」というシーンや、堀越の憧れであるカプローニ伯爵が夢の中で「飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもない。それ自体が美しい夢なのだ」というシーンがある。
 技術は社会と切り離されて、「夢」ということで、その追求が無邪気に美化されているのだ。


 宮崎の次の発言を見てほしい。


 アニメは子供のためのものと思ってやってきた。武器を造った人物の映画を作っていいのかと葛藤があった。でも生きていると、何をしても無害のままでいることはできない。武器を造ったから犯罪者だと烙印(らくいん)を押すのもおかしい。


 戦争はだめだなんてことは初めから分かっていた。それでも日本人は戦争の道を選んだのだから、二郎に責任を背負わせても仕方ない。車は人をひくし、人を助けもする。そういうものが技術で、技術者は基本的にニュートラルなものだ。

http://www.sankeibiz.jp/express/news/130715/exf13071500300000-n2.htm


風立ちぬビジュアルガイド (アニメ関係単行本) なるほど、人間がつくりだすほとんどのものが二面性を抱えることについて、多くの人が「無実」ではいられないかもしれない。だが、大人である私たちは「だからそんな罪を問うても仕方がない」というような態度はとらない。車が凶器となる側面をどうにか取り除こうと、技術者や政治家は、日夜努力するのではないか。努力していないなら、しなければならない。しかし、そこから一足飛びに宮崎は次のような結論を下している。


 主人公の二郎には「自分の父親も混ざっている」と〔宮崎監督は――引用者注〕言います。父親は堀越二郎より11歳若く、関東大震災に遭い、戦争中は飛行機の部品をつくる軍需工場の役員でした。
 「彼らが無罪だなんて思っていません。しかし、人間はそれぞれの時代を、力を尽くして生きているんだと思う」(赤旗日曜版2013年8月11日号)

 しかし、「人間はそれぞれの時代を、力を尽くして生きている」などという言い草自体を抜き出せば、特攻隊員の心情を「これが当時のままのものだ。後世から小賢しく評価してはならない」などといって、美化して描く手法そのものではないか。
 「僕は10歳のころから戦記物を読んできた。ゼロ戦にまつわる話などはいいかげんなものも多く、やるならちゃんとやるべきだと思って60年も封印してきた」「僕には灰色としか思えない時代を、当時青年だったおやじは『いい時代だった』と言った。あの時代も人が生きていた。青空はやっぱり青空で、きれいだったに違いない。それが分かるまでに長い時間がかかった」などとあの宮崎駿が長い時間をかけてそうおっしゃるのだから、これぞ老境の諦観であろうと自分に言い聞かせたくなるのが人情だが、正直、老いぼれの思想的頽廃という他ない。一巡りめぐって、子どもっぽい夢に戻ってきてしまったようなナイーブさしかこの映画にはない。


 もう少し宮崎の言いたいことにつきあってみる。


 私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。
 自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。

http://kazetachinu.jp/message.html

 
 そこにある「狂気」や「毒」はほとんど映画では描かれず仕舞いだ。「美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある」という「罠」はちっとも映画からは浮かび上がってこない。
 「かつて、日本で戦争があった。」がこの映画の公式サイトにおけるあらすじ紹介の冒頭だ。この作品が「戦争」そのものに彩られていることを、宮崎は百も承知で描いたのだが、その「戦争」はどうにも映画のなかに効いてこない。「全体には美しい映画をつくろうと思う」という宮崎の狙い通りになっている。悪い意味で。


ゼロ戦は神話化されて、ぼくも子ども時代、さんざんそれにのせられた。でも戦記の戦果など事実誤認だらけ。やたらに誇りにしたり、これをネタに稼ぐ人がいたりして不愉快なんです。堀越二郎を神話から取り戻そうと思いました」(「しんぶん赤旗」日曜版前掲)

 零戦神話の解体だというわりには、解体された気配は、映画のどこにも感じられない。たとえば重慶爆撃の掩護にまつわる戦果が神話だというなら、「夢」を描くことでその解体などできないはずだ。当の堀越自身、自著『零戦』の中で「十三機で敵二十七機を屠る」と題してそのまま書いている。少なくとも堀越の内的真実としてはずっと重慶戦でのゼロ戦デビューは「戦果」報道のままなのである。
 何よりも、映画監督にとっては作品こそ全てであろう。
 映画が神話の解体に何か資するものであったかといえば、少なくともぼくにはまったくそういうふうには受け取られなかった。


 この映画を表した毎日新聞の二つの批評は実に的確なものだと感じた。
 はじめは、東大教授・藤原帰一のものだ。

 心の中に子どもがいるから描くことができる夢があります。『魔女の宅急便』や『千と千尋の神隠し』は大人が子どもに合わせて歌うのではなく、大人の中の子どもをそのままかたちにしたからこそ、胸を打つのでしょう。見ている大人の方も心の中には子どもが残っていますから、映画館に連れていった子どもばかりでなく、自分まで感動することになるわけです。
 とはいえ、子どものままでは未熟な大人に過ぎない。子どものまま大人になった人は、自分で向かい合い、学び、行動を選ばなければいけない現実から目を背けているからこそ、子どものままでいることができる。その子どもらしさは美しくありません。
 夢の飛行機をつくる人生もいいのですが、戦闘機の美しさは戦場の現実と裏表の関係にある。宮崎駿が戦争を賛美しているとは思いませんが、戦争の現実を切り離して飛行機の美しさだけに惑溺する姿には、還暦を迎えてもプラ模型を手放せない男のように子どもっぽい印象が残ります。
毎日新聞「日曜くらぶ」2013年7月21日付)

 作品は作者のものでも、読者(個人の内的な)ものでもない。世に放たれた以上、作者からも読者からも独立した客観的な存在である。宮崎がどのような思いを込めようとも、そこから離れて作品は独り歩きを必ずしていく。
 「宮崎駿が戦争を賛美しているとは思いませんが」というのは、まさにそのとおりだろう。しかし、作品は宮崎の思いや政治信条をこえて、独立していくのである。


 もう一つは、作家・古川薫の「風立ちぬ」評だ。


 ここで私事になり恐縮ですが、軍国少年のぼくは飛行機ファンで、飛行機作りの夢を抱き工業学校機械科を卒業して上京し、海軍管理工場の航空機会社に入社、企画手となり赤トンボ(海軍練習機)とゼロ戦の製造に関わりました。
 アニメの主人公堀越二郎は東大を出てゼロ戦を設計した異能の技術者ですから、それに肩をならべるつもりはありません。
 それでも今も飛行機ファンだった子供の魂を捨てきれないゼロ戦オタクではありますが、その機体がいかに美しくとも戦闘機として戦場の殺人に参加した兵器であるという後ろめたさから逃れようはないという覚悟だけは持ち合わせ、その後ろ暗さとふたりづれで映画館の闇の中で目をこらしました。
毎日新聞2013年8月4日付)

 このような決意で見たという古川は、サナトリウムで生きることを追い求める美女と海軍主力戦闘機の設計にあたる主人公との恋、およびそれをめぐる自然の美しさの描写にふれながら、こう指摘する。


ただ恋人の生への希求と殺人兵器製作との矛盾には触れていません。(同前)

 古川は、日本刀を例に次のような比喩を述べる。

ところで日本刀は美術品として扱われます。殺人の目的を捨象した現代では、それとして許されても、研ぎ澄ました刃が供える凶器の本性は生きているのです。(同前)

 これは前出の「車は人をひくし、人を助けもする。そういうものが技術で、技術者は基本的にニュートラルなものだ」という宮崎発言への痛烈な批判である。

終末、おびただしいゼロ戦が西の空に向かって飛翔する画面は感傷的かつ感動的で、山口誓子の「海出て木枯帰るところなし」の一句をかみしめました。アニメ『風立ちぬ』には反戦思想が象徴的に用意されているといわれますが、象徴というよりも省略されている気配があります。美しいものにくるめば、すべて美しいという安易さが感じられました。(同前)


 韓国でこの映画が「右翼映画」だと批判されたというが、さすがにこの映画をゼロ戦の賛美映画だとはとらえにくい。しかし、宮崎の意図とは離れて、この映画は反戦思想をまさに「省略」してしまった。


大正から昭和へ、1920年代の日本は、
不景気と貧乏、病気、そして大震災と、
まことに生きるのに辛い時代だった。

http://kazetachinu.jp/story.html


と公式サイトはうたう。たしかに堀越の乗った列車の線路を歩く失業者の群れが描かれている。しかし、堀越がその貧しさと交錯した様子は何もない。東大出のインテリは窓から彼らを別世界のもののように見下ろしただけである。*2そこでは困難な時代と格闘する「生きねば。」という主題など浮かび上がりようもないではないか。

サナトリウムで療養できる結核患者が戦前の日本にどれほどいたのか(藤原前掲)

という皮肉の利いた一文も、現実をモチーフにした宮崎につきつけられる。

 要するに、虚構をくぐって現実を描くことにより、現実は現実そのものよりも一層リアルになり、真実に近くなるはずだが、ここでは現実は中途半端にへし折られ、美しい虚構にすり替えられてしまっているのだ。

 

オッペンハイマーと比較する

 堀越のために弁明しておけば、堀越は前出の『零戦』の中で、重慶爆撃の掩護に成功した初陣の記述の最後にこう記している。

 しかし、そのいっぽうで私は、千何百年来文化を供給してくれた隣国の中国でそれが験されることに、胸の底に痛みをおぼえていた。(堀越前掲p.154)


 わずかに2行で示されているこの「葛藤」がどれほど真摯なものなのか、ぼくにはわからないが、このような葛藤を深め、描くことこそ、神話からの解放ではないのか。こういうテーマ設定がイデオロギッシュだというなら、イデオロギッシュでないように描くのが、宮崎という芸術家の務めのはずだ。


 韓国でこの映画に対する批判として、

「(『風立ちぬ』を公開するのなら)米国の原爆開発者ロバート・オッペンハイマーを主役に、『爆弾裂けぬ』なんてアニメを作って封切りすればいい。それなら見ものだ」

というものがあったと聞く。
私は世界の破壊者となった 原子爆弾の開発と投下 オッペンハイマーを中心とした原爆の開発を描いたコミック、ジョナサン・フェッター-ヴォーム『私は世界の破壊者となった 原子爆弾の開発と投下』を最近読んだこともあって、オッペンハイマーの描き方と堀越の描き方の比較には興味がある。


 『私は世界の破壊者となった』はオッペンハイマー伝ではない。原爆開発計画全体に焦点をあてたドキュメントである。
 ここでは、ナチスに先を越されまいとする「良心的」科学者の焦り、原子力を現実に設計するまでのていねいな解説、科学者の開かれた討論と秘密保持の両立の困難、爆弾として臨界を設計するための困難、などがロジカルに、わかりやすく描かれている。
 実験が成功し現実に原爆が投下されるまでに描かれた科学者たちの表情は、「人間はそれぞれの時代を、力を尽くして生きている」というニュートラルなものである。


 ヒロシマに落とされた原爆は、上から、すなわち戦略的爆撃をする側からの視点で描かれる。クールに爆弾の効果が説明される。投下の報を聞くオッペンハイマーもまたクールだ。


 はじめて原爆が「情緒的」に描かれるのは、長崎への投下からである。ここでは原爆は初めて「爆撃を受ける側」からの描写となり、日本人の若い青年2人の生活が原爆によって突如一変してしまう様を何の解説もまじえずに描いていく。


 ここから科学者たちの表情は曇り始める。
 科学技術として原爆という兵器が現実に「できるか・できないか」ばかり問うてきたのに、結果を知って初めて彼らは「やるべきだったのか?」という問いを迫られたのである。


 科学者だけではない。計画にかかわった現場の作業員たちを含めてその問いはつきつけられる。作業現場の作業員の家庭。夫が帰ると妻が新聞を読んで塞ぎ込んでいる。

たくさんの家庭の上に投下したのよ、スタン。
都市がまるごと消えてしまったわ。

 作業員夫婦は暗闇の中で記事を読む。そこにナレーション。

当時は戦時の建設作業であり
切望されていた働き口であり
ドイツとの戦争に協力するチャンスだったのに
いつのまにかまったくちがうものに変わっていた。

 オッペンハイマーは苦悩する。「科学者は罪を知ってしまった」「我々が作り出したものは我々が育った世界のいかなる基準に照らしても邪悪な存在です」という発言や、トルーマンと会見したさいの「大統領閣下、私は手が血で汚れている気がするのです」という発言は、彼の苦悩を物語っている。


オッペンハイマー―原爆の父はなぜ水爆開発に反対したか (中公新書) 中沢志保オッペンハイマー 原爆の父はなぜ水爆開発に反対したか』(中公新書)によれば、オッペンハイマーは原爆開発後、水爆の開発には反対し続けた。しかし、戦術核の製造は容認しつつ、水爆には反対するという、核兵器廃絶論者からすれば矛盾としか思えないような提案をしている。
 だが、水爆という、より強力な大量破壊兵器の開発を抑制し、米ソの果てしない軍拡競争の先に世界の破滅があるかもしれないと思ったオッペンハイマーは、米ソがお互いに手のうち見せ合って直接交渉をして国際管理をおこなっていくという、当時としては荒唐無稽としか思えない案にこだわり、「現実的」な政策とするために戦術核の容認をしていたのだといえる。
 この国際管理案は、同時期の科学者であるシラード(のちパグウォッシュ会議に参加)の原爆使用反対論からすると、いかにも妥協的にみえる。しかし、戦術核の容認が果たして現実主義的なのかどうかは別として、ここにはオッペンハイマーの誠実な苦悩を見て取ることができる。そしてNPTや米ソの核管理をみてわかるとおり、こうした国際管理案は、それ自体は不十分で不公平・不公正なものではあるが、核戦争を抑止する一つのシステムになっていることを評価することができる。
 澤田哲生は『私は世界の破壊者となった』の解説のなかで、パグウォッシュ会議を名指しして政治的なムーヴメントとしての核廃絶運動を罵倒している。原子核にエンジニアリングを持ち込んだのが核兵器原発の発端なのだから代替のエンジニアリングを考え出せば解決するじゃん、という、それこそ「ナイーブ」な発想を口にしている。
 世界が破壊されるかもしれないという戦後の危機は、シラードのような原理主義的な核兵器廃絶運動や、オッペンハイマーやボーアが主張した「現実主義的」国際管理論のような「政治的ムーヴメント」の合流によって救われてきたのではないか。朝鮮戦争キューバ危機、ベトナム戦争の際に、核が使われなかったのは、まさしく国際世論、「政治的ムーヴメント」の力である。


 言い換えれば、オッペンハイマーの苦悩は、無駄ではなく、実を結んだ。


 核兵器原発がなくならない、という状況を裏返して、そこから原理主義的な絶望を抱えて政治に悪罵を投げつけるのと同じように、宮崎駿は、「我々が生きている限り何か罪を負うのだから、それをいちいち断罪するのは馬鹿らしいことだ」というまことに子どもっぽい、裏返しの原理主義にたどりついたことは、宮崎の思想的な敗北というほかない。
 このことはすでに10年以上も前に書いた「ナウシカ論」で批判したことでもある。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/nausika.html
 「生きねば……」はコミック版『ナウシカ』のラストメッセージでもあり、「マルクス主義を捨てた」という宮崎の負の側面でもある。


予告編だけで十分

 数分の映画の予告編を、映画鑑賞後に偶然観たつれあいは、「もうこれだけ見れば充分じゃない? というか本編よりよくない?」と言っていたが、そのとおりである。


 美しい映画を見たいというのは、雰囲気さえ味わえばいいというのと同義のように思えてならなかった。反戦が「省略」されてしまったのなら、退屈な二時間に堪える必要は無い。

*1:映画の中では零戦の開発風景はほとんど出てこない。堀越が模型飛行機までつくり、作品中にくり返し出てくる逆ガル型の主翼を持つ飛行機は九試単座戦闘機で、後に九六式艦上戦闘機として採用される飛行機である。

*2:「シベリヤ」というパンを貧しい子どもたちに買い与えようとして受け入れられなかったことも、憐憫は連帯の第一歩とは言うものの、そのシーンのトータルな印象として言えば何とも高踏的な光景であった。