「自己責任の教科書のような言葉が出てきて…」

 首都圏青年ユニオンニュースレター262(2023年2月28日)号を読む。

 この号もまた面白かったし、どの記事も興味深かったが、特に2つ。

 一つは「スーパーのレジへのイス設置を求める店舗前行動 Vol.2」。

 スーパーを展開する企業ベイシアの店(埼玉県深谷市)の前での行動、具体的にはシール投票(シールでのアンケート)なのだが、「レジの店員がイスに座っているのはあり? なし?」を聞いたもの。

 100人に聞いて、99人がイスに座ることに「賛成」。1人だけが「反対」。

反対した方に理由を聞いたところ、「いやなら転職すればいい」という自己責任の教科書のような言葉が出てきて、その方は土木作業員のような服装をしている40代男性でしたが、新自由主義の呪縛から早く解き放たれてほしいと願いました。

のコメントが可笑しかった。このコメントに「他者を切断せずもっと対話を…」とかウエメセの横柄なツッコミをしたくなるが、そもそもこの行動自体がものすごくアクティブな対話の試みで、敬意を抱くしかないほどの素晴らしさである。

 その上で記事では「勇気づけられた言葉」を紹介。

70代女性「もちろんOKですよ、当たり前です」

60代男性「レジ打ちに支障がなければ全然いいですよ」

70代女性「(イスが)あった方がいいですよね、海外だと多いしね」

60代男性「(スーパーを選ぶのに)座ってるかなんて関係ないよ!商品の価格と品質だよ」

20代女性「座るのでよくね?」

70代男性「人間大事にしない会社なんてダメだよ」

 

 シール投票に応じてくれた一番多い年齢層は70代以上とのことである。

若い男性の一人の客には、声をかけた瞬間に目をそらし、説明を聞いてくれない方が複数名いました。

 最初の「自己責任の教科書」の男性の例もそうなのだが、行動中に出遭うネガティブな反応についても共有してしまっているのがいい。短期的には解毒的な作用があるし、中長期的には「なんでそうなるのかなあ」とか「自分の行動や表現に課題があるのかなあ」と思う対話的なきっかけにもなる。

 

 もう一つは、「コロナ禍を経て、厚みを増す『社会的発信』」。

 首都圏青年ユニオンのような「組織的裏付け」がない労組が「社会的発信」をすることの意義や効果を論じている記事だ。「社会的発信」というのは労組が行う労組固有の仕事としての団交や争議そのものではなくて、そうしたことを記者会見したりSNSなどで社会に広げる行為のことだろう。 

www.jcp.or.jp

 ユニオンとしては以前から社会的発信はしてきたというが、

コロナ以前はこれをきっかけに相談の誘発に成功したことはありませんでした。

という。これはちょっと驚きだし、ぼくの認識が少し変わった。

「社会的な問題として位置付けてたたかい、記者会見を打って成果を広げる」。こうした「社会化」が相談を誘発し、交渉を経て制度改善につながり、さらに交渉力を上げることにつながっていく。そこで得た成果を1つの争議にとどめず、全体の交渉力につなげる。こうした好循環が、コロナになりワンランク上昇したイメージでいます。

「問題告発」に「たたかい」がなければ、何も変えられません。「たたかって勝ち取るものだ」という姿勢を可視化するため、ユニオンとしては当事者もエンパワメントしつつ、たたかう姿を発信することを意識しています。

 要求運動を「宣伝」のレベルだけでとらえてしまう人、「街頭でビラを撒いているだけで要求運動だと思ってしまう人」が、高齢化したベテランの左翼活動家の向きに少しあるのが気になっていた。やっぱり「本気で変える」っていう姿勢がない運動はまずいですよね、ということをぼんやり思った。

 あわせて、問題の社会化にあたって、記者との関係を書いた、次のような一文も注目した。

やっぱり記者会見を打つことです。ただ記者会見を打つのではなく、世論を味方にして、流れを変えるような「取り上げられ方」も大事です。「記者が食いつくようなプレスを出す」「会見前に、記者のところへ行って事前に知りたいことを聞いておく」など、気をまわした上で取り組んでいます。

 同じことをプレスリリースする、情報発信するのでも、そのパッケージを変えるだけで受け取り方が全然違うことはよくあることである。まあ、ビラなんかもそうなんだけど、その研究をしておけということ。

news.yahoo.co.jp