三島由紀夫『金閣寺』

 リモート読書会で三島由紀夫金閣寺』を読んだ。

 ストーリーは有名だが一応言っておくと、国宝だった金閣を青年僧が放火した実話にもとづく物語であるが、主人公をはじめ登場人物の名前は変えられ、三島が自身の作品世界を構築するために再構成したフィクションである。

 

 

文体がいい

 一読、文体がいい、と感じた。

 漱石の『猫』についても文体に惚れたが、昔の文豪はやっぱりすごいと思う。

 作家の平野啓一郎はムックで『金閣寺』について書いているが、平野もまったく同じ感想を持ったようだった。

読んで、非常に感動しました。まず魅了されたのが文体です。きらびやかで、レトリックが華麗です。その人工性が好きになれないという読者もいるようですが、僕は強く惹かれました。(『NHK100分de名著 三島由紀夫金閣寺」」p.5)

 「有名作家と同じとは生意気ではないか」と思う輩がいると思うが、この感想は中学2年生の平野のものだ。ぼくが読んだのはアラフィフのおっさんになってからのことである。

 語彙が豊富だよね。

 どこでもいいけど、例えば第八章の冒頭(新潮文庫版p.244-245)。

駅前の自動車道路は人かげもまばらで、ここが夏の殷賑をたよりに、なりわいを立てている土地だと知れる。

玄関の磨硝子をあけて、案内を乞うたが答(いら)えはなかった。

菊のすがれている素朴な小庭がある。

やや離れて、宿の主人の家族の住むらしい小さな家がある。閉(た)てきった硝子戸がラジオの音を洩らしている。その徒(いたず)らに高い音はうつろにきこえ、却(かえ)って人がいそうに思えなかった。果たしてそこでも、私は二三足の下駄の散らかった玄関で、ラジオの音の隙々(ひまひま)に声をかけては空しく待った。

 ごく短い文章の中に、収まりよくこれらの言葉が配置されている。お前がものを知らないだけだと言われるだけかもしれないが。

 

 平野は、例えば三島の次の表現に「とても感動」(平野p.26)したという。

 主人公・溝口の少年期に、有為子(ういこ)という女性が近所に住んでいた。有為子は脱走兵と恋仲になり、それをかくまっていた。以下は有為子が憲兵の追及を受けつつも潜伏場所を教えろという憲兵の要求を拒絶するシーンである。

私は息を詰めてそれに見入った。歴史はそこで中断され、未来へ向かっても過去へ向かっても、何一つ語りかけない顔。そういうふしぎな顔を、われわれは、今伐り倒されたばかりの切株の上に見ることがある。新鮮で、みずみずしい色を帯びていても、成長はそこで途絶え、浴びるべき筈のなかった風と日光を浴び、本来自分のものではない世界に突如として曝されたその断面に、美しい木目が描いたふしぎな顔。ただ拒むために、こちらの世界へさし出されている顔。……(新潮p.19-20)

 平野は「三島は好んで比喩表現を用いる作家でしたが、彼が書いた比喩の中でもこれは最も優れたものの一つではないかと思います」(同p.27)と高い評価を与えている。

 

 「歴史はそこで中断され、未来へ向かっても過去へ向かっても、何一つ語りかけない顔」とは何か。特にそうは書いてないが、ぼくはこれを「1945年8月15日」のように感じた。三島にとっての敗戦・終戦である。

 宮本百合子の『播州平野』の有名な一節を思い出す。

そのときになってひろ子は、周囲の寂寞におどろいた。大気は八月の真昼の炎暑に燃え、耕地も山も無限の熱気につつまれている。が、村じゅうは、物音一つしなかった。寂として声なし。全身に、ひろ子はそれを感じた。八月十五日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった。東北の小さい田舎町までも、暑さとともに凝固させた深い沈黙は、これ迄ひろ子個人の生活にも苦しかったひどい歴史の悶絶の瞬間でなくて、何であったろう。ひろ子は、身内が顫えるようになって来るのを制しかねた。

 歴史が悶絶している沈黙の瞬間は、三島にとっても宮本百合子にとっても、重く・不思議な・時間停止のごとき「断面」であったが、それでも宮本百合子のような戦後民主主義派あるいは左派にとってはやがて新しい時代をもたらす躍動の画期であったに違いない。しかし、のちに戦争支持と断罪された日本浪曼派の系譜の末流に位置づけられた三島にとっては、それは「歴史はそこで中断され、未来へ向かっても過去へ向かっても、何一つ語りかけない顔」に見えたのであろう。

 

「どう読んでいいかわからん」というAさん

 読書会の参加者であるAさんは、「この作品をどう読んだらいいのかわからん」とボヤいていた。Aさんには、「せっかく貧苦から抜け出す方途を保証されながら使い込んだり学業不良になったりするしょうもない奴が、あれこれ心で言い訳をしながら、自堕落を責められ、最後は自暴自棄で国宝に火をつけるというとんでもないことをやってしまった話」としか読めなかったのである。

 

 正直に言えば、ぼくもどう読んでいいかは迷った。

 迷ったので、平野の解説を手に取ったのである。他にも、水上勉金閣炎上』(一部を拾い読み)、水上と三島を比較した酒井順子金閣寺の燃やし方』を読んだ。どちらも参考になったが、全体の補助線として平野の解説は大変役に立ったので、ぼくもその線で一旦読んでみた。

 

 

 

 ちょっと余談であるが、読書会参加のAさんとBさんはこの種の「解説書」を使うこと——少なくとも初手からそれに頼るやり方には批判的である。これに対して、ぼくとCさんはあまり躊躇なく解説書を始めから使う。

 閑話休題

 平野の解説は、『金閣寺』のテーマを、三島が創作メモに書きつけた「絶対性を滅ぼす」という点に見出した。そして、金閣を戦前は絶対性のもとにとらえられた天皇の比喩として解釈を施している。ぼくはそれを導きの糸にした。

 ぼくもこの小説を実際に読むまでは、金閣寺にありえない美をみた若い僧侶がその美を永遠のものにするために金閣と心中しようとした話…みたいに思っていたのだが*1、主人公の中で金閣の美しさは動揺しまくるし(最終的には金閣は「虚無」となる)、確かに金閣の美しさというより主人公の中に途方もなく大きくなった金閣からどう抜け出すかということの方がテーマっぽい気がした。

 主人公・溝口は、自分の中にある金閣を、2つに分ける。当初父から「金閣ほど美しいものはない」として教え込まれた「心象としての金閣」、やがて戦争が終わり戦争とともに消滅すると思われていた金閣が無傷で残り、自分の中でそれに囚われ続ける存在、「観念としての金閣」を区別する。

 

「戦後」とどう付き合っていいのか

 平野は、三島の個人史を参照している。

 三島は戦前に文壇デビューし、紹介者の系譜から行って日本浪曼派のヴァリアントの中に位置づけられた。しかしほどなく戦争が終わり、日本浪曼派は戦争支持の芸術グループとして断罪され、他方で戦後文学は全く刷新された顔で次々と新しい書き手がデビューしていく。三島はすっかり色あせ、居場所を失ってしまうのである。

 そして、誤診から「肺浸潤」とされて戦争に行かず、生き残ってしまった。それは三島にとってのコンプレックスになったという。

 三島は「戦後」とどう向き合っていいかわからなくなった、というのが平野の解釈と読んだ。戦前的なものをあまりにも簡単に「清算」してしまい、無節操に新しい時代を謳歌する「戦後」への不信である。

 

三島は晩年になるほど文壇の悪口をたくさん言うようになるのですが、戦後派作家の何が嫌だったかというと、敗戦と共に突然我が世の春が来たかのように解放されて、一気に大きな顔をし出したところだ、それがとにかく許せなかった、ということを言っています。戦争というあれだけ大きな体験をした後に、人間はそんなにすぐ変われるはずはない。三島の中にはその思いがあったのです。(平野p.97)

 

 そう考えれば、三島が戦後民主主義の「左」からの批判者であった全共闘の集会に出て行ったのも宜なるかなと思えるのである。

 なんだ、自分のポジションへのこだわりかよ、と思ってしまうが、出発点がそういうところにあって社会への見方を形成するということの方がリアルに思えるのも事実である。

戦争が終った時の、不幸。それは戦争末期、「間もなく、確実に日本は滅びるのだから、それまでは全速力でつっ走ろう」とゴールに向かっていたつもりであったのが、一億玉砕すること無き敗戦によって、ゴールテープが消えてなくなってしまったという不幸でしょう。死というゴールがなくなり、急に「ではこのトラックを、ずっと走っていてください」と、延々と周回しなくてはならないことになった瞬間のうんざりした気持を、三島は「不幸」としたのです。敗戦は三島にとって解放ではなく、人生というトラックの中に閉じこめられるような気持にさせるものだったのではないか。(酒井前掲、KindleNo.1206-1212)

 

 三島は、戦前のような絶対性が消え、なんでも相対化してしまう「戦後」という社会の捉えどころのなさを、『金閣寺』の作中で、主人公の「老師」(金閣の住職)に仮託している。「老師」は主人公の非行や逸脱を大声で責めることはしない。緩やかに、教え諭すように主人公に接している。戦争直後という時代を差し引いて、現代的な教育の視点から見るとある種の理想と言えなくもないほどである。

 他方で、「老師」は金を蓄えているようだ。そして、芸者遊びのような放蕩を、陰でやっている。主人公はそれを見てしまい、「老師」にそのことをほのめかすが、「老師」が怒ったり、ひどく動揺を見せたりする気配はない。

 もちろん、「老師」は不動の心の持ち主ではなく、女といるところに何度も出くわしたとき、

「馬鹿者(ばかもん)! わしを追跡(つ)ける気か」

と「顔色を変え」て叱咤するほどには俗物である。

 

 水上勉の『金閣炎上』は、三島の『金閣寺』とは全く違い、一種の事件ルポである。水上は金閣寺に放火した僧侶(林養賢)にわずかながら面識があり、しかも禅寺での居場所のなさを感じて逸脱をしてしまう点でも他人事とは思えなかったらしく、事件を事実としてていねいに追っているのである。

 他方で、三島の『金閣寺』はあくまでフィクションであり、三島が自分の文学を展開する上で、都合のいい事実を抽出し、再構成したものに他ならない。

 林養賢の師匠である金閣寺の住職・慈海は、『金閣炎上』でその人物が描かれているが、「女道楽」で住職の地位を失った銀閣寺の住職と対比されているように、「老師」に重要な要素を持っていない。

 この点でぼくは最初、何かで読んだ記事をもとに、憶測で「老師と実際の師匠・慈海は同じような人物」と読書会で述べたのだが、Bさんから「違うのでは?」と指摘され改めて調べなおして、まさにBさんのいう通りであったと反省した。

 ということは、三島は創作のために「老師」のキャラを作り込んだわけであり、その作り込みは、かえって物語における重要性を浮かび上がらせたとも言える。「老師」を「戦後」的な捉えどころのない、無基準な・鵺的存在として描こうとしたのである。

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再建された現在の金閣寺



 こう書いてくると「金閣天皇なのか? 戦後はもう絶対性なんか全然どこにもなかったじゃないか」という反論が来そうである。

 単純に、心の中に天皇の絶対性が残っていたわけではないと思う。

 しかし日本社会は戦後の刷新があったものの、依然として社会にも政治にも、戦前との連続性が存在していた。そしてそのことへの本当の清算なくして「戦後」には向き合えないはずであるという観念もまた正当なものだろう。

 「戦後」にどう対応していいかわからないという懊悩を、三島は駐屯地での割腹自殺という、劇的な破滅によって解決してしまった、とぼくは思った。それは「金閣を焼かなければならぬ」という想念に取り憑かれ、金閣寺を焼いてしまった主人公・溝口とあまりに相似形を成している。

 ちなみに読書会でぼくがその一致を指摘すると、「どう読んでいいかわからない」と言っていたAさんはものすごく「納得」したようだった。それは胸に落ちたというより、金閣を焼いた理解不能な行動と割腹自殺という理解不能な行動の「完全一致」に思いが至り、Aさんはこの作品全体を「どう読んでいいかわからない」という当惑レベルから、「完璧に理解不能なもの」という彼方へ押しやってしまったようだった。(見ていて可笑しかった。)

 また、溝口が金閣寺囚われている描写として、溝口が女を抱こうとすると乳房が金閣寺変わってしまい、情交が果たせないというくだりがある。

 私には美は遅く来る。一人よりも遅く、人が美と官能とを同時に見出すところよりも、はるかに後から来る。みるみる乳房は全体との聯関を取戻し、……肉を乗り越え、……不感のしかし不朽の物質になり、永遠につながるものになった。

 私の言おうとしていることを察してもらいたい。又そこに金閣が出現した。というよりは、乳房が金閣に変貌したのである。(p.193)

 読書会でCさんがこの箇所を指して議論した時、くっくと笑っていて、ぼくもイメージしてみてあまりに可笑しかったので思わずゲラゲラ笑ってしまった。

 

ぼくにとってのマルクス主義マルクス主義的組織

 さて最後に、「絶対性を滅ぼす」というテーマを改めて振り返った時、「お前にとってそのテーマはどういう意味があるのか?」ということになる。

 それはすなわち、ぼくの中にある「逃れがたい絶対性」とは、マルクス主義であり、マルクス主義に基づく政治組織である。

 それはお前を押さえつけるスターリン主義のことか、というとそういう話ではない。

 まあ、組織の決定が自分にとって大きな矛盾として迫ることはないとは言えないが、そこよりもむしろマルクス主義の全体性の美しさが逃れがたいのである。

 マルクス主義は、世界を丸ごと解釈する、体系だった思想である。それゆえに、実に抗い難い魅力がそこにある。

 しかし、まるで恋人のように虜になった20代半ばくらいまでとは今は違う。かと言って、「冷めたから別れる」というような過激カップルでもない。いろいろ酸いもあまいも噛み分けたベテラン夫婦のような付き合いであろうか。

 絶対性とは「いつも自分の中で強く影響を及ぼしているもの」と考えてみてはどうか。それを「滅ぼす」のか、「距離を取る」のか、「仲良く溶け合う」のか、その付き合い方である。三島の場合、それを滅ぼそうとしてしまったのである。

 

 三島は、破滅的に主人公に辿らせることで自分の代わりを生きさせた。『金閣寺』によって戦後社会との折り合いのつけ方に一旦の決着をつけたのである。

三島は作中の人物を殺すことによって作者は生き残ることができる、という小説の効果について語っています。自分の中の何か苦しいものを、登場人物が自分に替わって引き受け、苦悩しながら死んでいってくれる。そのおかげで、読者や作者は生きていくことができるというわけです。確かに、それは小説の大きな機能だと言えるでしょう。(平野p.89)

 しかし、三島は『金閣寺』執筆から10年をへて再び迷走をし、急激に右翼的思想に傾斜していく。結局戦後社会との付き合い方にまた迷いだすのである。

 ノンフィクション作家である保阪正康は三島の自裁について次のように語る(2020年11月24日「東京新聞」)。

「彼は『戦後社会に鼻をつまんで生きてきた』と語った。戦後の空間を全否定し、激しい嫌悪感を持って事件を起こした。『(自分の気持ちを世間に)分かってほしくない』と彼の方から線引き(自決)をしたんだと思う。事件を肯定するのは難しい。私たちは冷徹に見ていいんだと思う」

 平野の言葉を裏返してしまうなら、三島は溝口を生かしてしまったために自分の代わりを引き受けさせられず、結局死なねばならなくなった、とも言える。だが、平野は、そこは優しく結論づけている。小説の人物と自分の思想を一致させるという思いが三島には他方で存在し、それゆえに、ここで溝口を生かした時には、三島は確かに戦後社会を生きようとしていたのだと平野は考えたのである。

 また、酒井順子も次のように述べている。

 三島の死もまた、彼の小説に出てくるかのような物語です。生の途中で死ぬことによって、彼の生は「完成」しました。その死が劇的なものとなり得る最後の年齢において、最も自分好みのキンキラキンの死を、彼は選んだということができましょう。

 そう考えるならば、金閣に放火してその只中で死ぬ、という死に方も、十分に三島好みの派手さです。悲劇的で、英雄的でもある。

 だというのになぜ、三島は溝口を殺さなかったのかと考えてみますと、その時の三島自身が、「生きる」という方向を向いていたからなのではないかと思うのです。酒井前掲KindleNo.2070-2075)

 

 

*1:「作者・三島が、金閣寺のことを美しいと思っていたわけではありません」(酒井順子金閣寺の燃やし方』講談社、Kindle1932-1933)。