宮本常一『忘れられた日本人』

 宮本常一『忘れられた日本人』をZoom読書会でやるというので関連本を読む。

 

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 

 

 素人として、この本をどう扱ったらいいのかが少し戸惑ってしまう。

 解説の網野善彦の読み方は次のとおりである。

 

 ここでは、私自身の関心に即して思いつくことの二、三をのべ、読者の参考に供しておきたい。…

 「対馬にて」をはじめ「村の寄りあい」「名倉談義」などで、宮本氏は西日本の村の特質をさまざまな面から語っている。帳箱を大切に伝え、「講堂」や「辻」のような寄り合いの場を持ち、年齢階梯制によって組織される西日本の村の特質が、これらの文章を通じて、きわめて具体的に浮彫りにされてくる。それは昔話の伝承のあり方にまで及んでおり、「村の寄りあい」には、西日本では村全体に関することが多く伝承されるのに対し、東日本では家によってそれが伝承されるという注目すべき指摘がみられる。しかし東日本の実態については「文字を持つ伝承者」で、磐城の太鼓田を中国地方の大田植と比較し、後者が村中心であるのに、前者が大経営者中心であったとする程度にとどまり、内容的にはほとんどふれられていない。

 戦後、寄生地主制や家父長制が「封建的」として批判されたことが、農村のイメージをそれ一色にぬりつぶす傾向のあった点に対し、西日本に生れた宮本氏は強く批判的であり、それを東日本の特徴とみていた。この書にもそうした誤りを正そうとする意図がこめられていたことは明らかで、それは十分成功したといってよい。ただ逆に現在からみると、ここで語られた村のあり方が著しく西日本に片寄る結果になっている点も、見逃してはならぬであろう。

 女性の独自な世界がリアルに語られているのも同じ背景を持っているといってよい。「村の寄りあい」の「世話焼きばっば」、老女たちだけの「泣きごとの講」、自らつくった「おば捨山的な世界」や「女だけの寄り合い」、また「女の世間」に描かれた共同体の大きな紐帯をなしていた女性の役割、とくに女性たちの世間話の中から笑話の生れてくる過程など、まことに興味深い話が数多く紹介されているのは、家父長制一本槍の農村理解に対する宮本氏の批判的角度の意識的な強調であろう。(宮本『忘れられた日本人』岩波文庫、KindleNo.4751-4763、強調は引用者)

 

 ここでの整理は、網野の『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』(岩波現代文庫)の安丸良夫の解説でも紹介されている。

 

 

 『忘れられた日本人』全体を通して、宮本さんが主題にしていることが二つある、と網野さんはのべている。一つは女性・老人・子供・遍歴する人びとの問題で、これは従来の学問が対象にしてきたのが主として成人男性だったことへの反措定という意味をもつ。もう一つは日本列島の社会が一様でなく、東日本と西日本では大きな差異があり、それは発展段階の違いではなく、社会構造あるいは社会の質の違いの問題ではないかということ。戦後日本の歴史学や社会科学は、寄生地主制の解体を軸として戦後改革を捉え、そこから遡って、戦前の日本社会を、寄生地主制とそのもとでの村落共同体の強い規制力、男性中心の家父長制支配などとして捉えた。しかしそれは、東日本的通念をもとにした日本史像・日本社会像だと宮本さんは主張し、宮本さんはそうした日本像の転換を求めたのだという。(網野前傾p.240-241、強調は引用者)

 

 要するに、日本共産党を中心にしたマルクス主義歴史学の農村把握へのアンチテーゼとしての意義である。というか、単色のテーゼで社会を捉えるのではなく、その中に生き生きととした豊かな現実が織り込まれていることを見逃すべきではないと言いたかったのだろう。

 1950年代に、「国民的歴史学」の運動が勃興する。

 この話を今どこで読めるのかはわからないが、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』には1章が割かれている。ぼくもそこで知った。

www1.odn.ne.jp

 

 戦後、朝鮮戦争国共内戦などの冷戦の激化の中で、「アメリカ帝国主義との闘争」が大きな焦点となっていき、日本の革命運動では、日本の独占資本主義の支配の問題よりも、アメリカ帝国主義による日本支配の問題が大きくクローズアップされてくる。「反帝反独占」のうち、「反帝」の部分、民族独立の課題が革命運動の大きな比重になっていくのである。

 

 民族の強調を鼓舞するようにスターリンの民族論の転換が行われる。

 民族nationは近代=資本主義以降に形成されたものであるが、その母体となる民族体folkはそれ以前からあったものだとする見解である。歴史学者石母田正スターリン論文を弾きながら「大衆こそが民族」だと強調した。

 石母田は「村の歴史・工場の歴史」という論考を書いて、それは「国民的歴史学」運動のバイブルになった。民族の主体である民衆が自分たち自身の歴史を書く運動なのだ。こういう論建ては民族・民衆・革命が一体のものとなりやすい。

 

 

 この時期の左派の歴史学研究の次の様子を見ればびっくりする人もいるだろう。

 

この大会〔歴史学研究会の1951年度大会〕で物議をかもしたのは、藤間生大の「古代における民族の問題」という報告だった。藤間はこの報告で、「民族的なほこりを全民族に知らせて、わが民族が自信をもつ」ために、記紀神話に登場するヤマトタケルを「民族の英雄」として再評価することを唱えたのである。(小熊前掲p.332)

 

 この時代に「国民的歴史学」運動の学生として奔走したのが網野だった。

 

歴史学の革命」や「歴史学を国民のものに」というスローガンのもとで行われた国民的歴史学運動では、多くの若い歴史学者や学生が、大学を離れ工場や村にむかった。一九五五年の六全協による共産党の方針転換で瓦解したこの運動は、多くの人びとを傷つけ、歴史学においてはいわば封印された傷跡となった。(小熊p.307)

 

 宮本の本書は、木下順二らとともに作られた、しかしこの「国民的歴史学」運動の中の所産である「民話の会」で語ったことがもとになっている。

 確かに「国民的歴史学」運動は瓦解したのであるが、それは一切が不毛だったわけではなく、このような民衆の生活史についてのすぐれた作品を生み出した。

 同時に、そういう中で生まれた作品であるから、強烈に、正統派のマルクス主義歴史学への対抗意識・アンチテーゼとしての意識が働いているのである。

 

 ここまで書いておいてなんなのだが、ぼくは2020年の現代において本書をそういう意識では毛頭読まなかった。

 

しかしこうした読み方だけでなく、「土佐源氏」や「梶田富五郎翁」をはじめ、本書のすべてを文学作品とうけとることもできる。(網野の解説『忘れられた日本人』No.4802-4803)

 

 まさに、文学として読んだ。

 ぼくはいま父親の生い立ちを聞き取り、それを文字起こししようとしているが、戦争期から戦後になって彼がどうやって生業を確立していくのか、それが滅法面白かったのである。「読んで面白い」ということだ。

 父親が商売で成功する話などは、それ自体が成功譚として興味深いのだが、同時に失われた昭和の産業史の記録としての側面もある。これを書き留めようとすることは「ヨーロッパで民俗学的な関心が高まった背景には、近代化と都市化、あるいは資本主義化による急激な社会変化を前に、消えゆく伝統文化へのロマン主義的な憧憬や民族意識の高まりが存在する」(Wikipedia)という方向性と重なるような気がした。

 

 そして、研究と批評との関連としても。

 網野は、解説の中で

歴史学が、歴史を対象化して科学的に分析・探求する歴史科学と、その上に立って歴史の流れを生き生きと叙述する歴史叙述によって、その使命を果しうるのと同様、民俗学も民俗資料を広く蒐集し分析を加える科学的手法と、それをふまえつつ庶民の生活そのものを描き出す民俗誌、生活誌の叙述との総合によって、学問としての完成に達するものと素人流に私は考える。

(同前No.4826-4830)

 

と述べている。

 近年マンガを「研究」として客観的なデータや書誌文献のあとづけによって解明することが盛んだが、そういうものとは別に、作品から受ける印象の中からの「総合」によって作品を把握しようとする(印象)批評の役割はいよいよ重要だろうとぼくは思っている。宮本が客観的な民俗資料とは別に、人と話したりする中で把握しようとした「総合」の作業をマンガの批評としてやっていく、そういう意義についてもふと考えたのである。