ワタナベ・コウ『漫画 伊藤千代子の青春』

 戦前の官憲による弾圧で命を落とした共産党の若い活動家たちのことを知ったのは、1990年ごろだったと思う。その一人に伊藤千代子がいた。あの当時、伊藤千代子について書いた「赤旗」の記事やら簡単な伝記的紹介を読んだと思ったのだが、ほとんど忘れていた。

 日本共産党のサイトでは伊藤の死について次のように書かれている。

市ケ谷刑務所で栄養失調になり、病院に転送後亡くなりました。

 ある意味、簡略である。

 党幹部の演説で触れている場合も同じで、例えば不破哲三は、

こういう旗印をかかげて活動したために、日本共産党は、天皇制政府から、最も憎むべき犯罪者として激しい迫害をくわえられ、多くの犠牲者を出しました。〔中略〕ここに、その中の一人の女性の死についてうたった短歌があります。/こころざしつつ たふれし少女よ 新しき光の中に置きて思はむ/これはアララギ派歌人である土屋文明さんが、自分の教え子だった伊藤千代子さんの二十四歳の若さでの死を悼んで、あの時代に雑誌『アララギ』に発表した歌であります。

として「二十四歳の若さでの死」「激しい迫害をくわえられ、多くの犠牲者を出しました」としか書かれていない。

 志位和夫も、

伊藤千代子、高島満兎、田中サガヨ、飯島喜美など、弾圧の中で節をまげず命を落とした若い女性――この4人の同志はそろって24歳の若さで亡くなったわけですが――など無数の人々のたたかいも、私たちの胸を打ってやまないものがあります。

として「弾圧の中で節をまげず命を落とした」「24歳の若さで亡くなった」としているだけである。

 なので、あまりよくわかっていなかったのだが、今回ワタナベ・コウの『漫画 伊藤千代子の青春』(新日本出版社)を読み、その最期の悲惨さに重い気持ちになった。

 

 伊藤は獄中で拘禁性の精神疾患となり、精神科の専門病院へ移送される。当時の病院の治療方針で硫黄のお湯に入れられ、裸のまま寝かされた。やがて急性肺炎になって伊藤は亡くなる。本作はその過程を描いていて、ワタナベの筆致は簡潔であるため、かえってその客観的事実としての性格が淡々と読むものに迫ってくる。

 伊藤の夫が獄中で「転向」(変節)したことがおそらく伊藤の精神の変調に大きな影響を与えたのであろうが、調べてみると、福本イズムにかぶれ共産党の戦前の活動家だった夫・浅野晃は戦後を生き延び、右翼国文学者となってしまい、三島由紀夫の自決に際しては追想の詩を書いたりしている。

 また、ワタナベは、共産党に入党した伊藤が「赤旗」の編集事務に携わったときに、水野成夫から指示を受けるシーンを選んで、「女で入党している者は少ないから光栄でしょう?」といういかにもジェンダーへの無理解をあらわす高慢さを描いている。水野成夫とは、言わずもがな、あの水野成夫である。獄中で「転向」し、浅野らの「転向」まで引き出し、戦後はフジ・サンケイグループの土台を築いた右派文化人の一人である。

 ワタナベは伊藤の生い立ちに関わった2人のその後について書いていて、一人は同窓だった平林たい子だ。若い頃の伊藤との交流はあたたかく描かれているが、伊藤の死後以降については、ワタナベは平林について「プロレタリア作家として出発したが戦後は離反した」「千代子についてはついに深く触れなかった」と記され、いかにも冷たい。

 もう一人は、伊藤に進歩的価値観を教え、親密になった教師・上條茂だ。上條は伊藤に結婚を押し付けようとし、自分が教壇で話したこととは逆に「女子の社会への恩返しは早く結婚することだ」と伊藤に説教した。信濃教育会の中枢に身を置き、やがて青少年を「満蒙」へ送り出す尖兵となった。「上條は戦後も反省ないまま再び長野県教育界の中心にかえりざいた」とやはりここでも冷淡に書かれている。

 

 正直暗い気持ちになる。

 しかし、それは作品が暗いのではなく、天皇制権力がふるった仕打ちそのものが客観的に暗いのである。そのような政治体制の陰惨さを読者に精確に伝えているという意味において、本作は「暗黒時代の青春を描く」という役割を誠実に果たしていると言える。

 

 伊藤千代子もそうなのだが、戦前の革命家の伝記を読むと革命家としての全体性に改めて思いを致す。

 理論への関心を持って貪欲に学び、大衆運動を積極的に組織し、組織建設を追求する。これらがバラバラになっていないのである。

 組織が大きくなるとやむを得ないことなのかもしれないが、左翼運動の中でこうした全体性が見失われ、部門化し、官僚化し、携わる活動家は「部分労働者」化してしまうことがある。大衆運動に人が集まり、その高揚の中で組織が大きくなるという循環が消え、運動と切り離され数字を追うだけの「組織拡大」や、逆に組織建設とは縁のない「大衆運動」、そしてこれらを結びつけ行動の指針となるという切実な意味での理論の役割が消え、ただの「教養」「ドグマ」になってしまう形式的な「理論」。それをそれぞれの部門の人たちがタコツボ的に追求しているだけではそれはマルクス主義の全体性の死であると言って良い。

 理論、組織建設、大衆運動は本当に一体のものとしてとらえられる必要がある。

 伊藤千代子を読むとき、ぼくはそうした戦前の活動家の全体性をこそ学ぶべきだと思う。