「わが青春つきるとも」のトークイベントに出演しました

 映画「わが青春つきるとも 伊藤千代子の生涯」の神戸でのトークイベントに出演させていただきました。(伊藤千代子は戦前の共産党員で、天皇制権力の弾圧により若くして獄中で亡くなりました。その映画化です)

 

 声をかけてくださった民青同盟兵庫県委員会の皆さんに感謝します。なんかぼくが同人誌で書いた小説(ドリン・ドリン!)まで手に入れて読んで面白がっていただいて、感激しました。

 

 初対面であったワタナベ・コウさんと対談しました。

 会場からどう見えていたかわかりませんが、ぼくは「シロウト代表」として、この映画の感想・コメントとしてはけっこうチャレンジングなというか「異端」的な発言をして、制作にも深く関わってきたワタナベさんがそれを大きく包み込むように受けていただく感じで進行しました。だから、個人的には緊張感のあるトークになっていたと感じます。

 例えば、ぼくはこういうツイートをしていますが、これはそのまま話しました。

 「前半が粗いのでは」というのは挑発的な発言のようにも思えますし、後半についても、「伊藤千代子の不屈の意志こそが我々が受け継ぐべきものだし、そこに映画のポイントもある」というのがオーソドックスな解釈ではないかと思います。つまり前向きな光の部分です。

 しかし、ぼくはこの映画のポイントを暗黒の部分の方に力点を置いて感想として述べました。

 これに対するワタナベさんの返しはどうだったか——。

 

 また、会場で若い方4人と年配の方1人が感想を発言されましたが、若い人たちは総じて弾圧の激しさと、「自分はとても伊藤のようにできないのではないか」という「ためらい」を口にされていたように感じました。他方で年配の方は「不屈性」に着目しそこをまっすぐに称賛するコメントをされていました。

 聴きながら、やはり若い人と年配の方ではこの「不屈性」に対して受け止めが違うのではないかという一つの確信のようなもの得ました。

 確かに伊藤は不屈でした。

 しかし、伊藤があまり期間をおかずに獄死してしまった事情と、比較されているのはどうしても変節した夫の浅野晃ですが、そこだけで「不屈」さをはかっていいのか、はかれるのだろうか、という思いがぼくにはありました(例えば宮本顕治徳田球一のように長い間獄中非転向を貫いた人の場合には成り立つのではないかと思うのです)。そしてその「不屈」の強調が若い人たちには「とても私にはできない」という思いだけを与えないかという迷いもありました。

 そういうあたりを迷いも含めてコメントしました。

 それにワタナベさんはどういうコメントをされたでしょうか?

 

 ひるがえって、では伊藤千代子から何か学ぶべき点があるのか、ということについては、ぼくはすでにワタナベ・コウさんのマンガの感想のところで書いたように「全体性」について発言しました。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 この点はむしろ映画ではなく、マンガや藤田廣登『時代の証言者 伊藤千代子 増補新版』(学習の友社)などから得た思いでした。(いや、映画にもその一端はもちろん出てくるわけですが…。)

 

 最近読んだ中北浩爾『日本共産党』(中公新書)の中に戦前の共産党が大きな知的影響力があったことの解説に次のくだりがあります。

マルクス主義が持つ最大の魅力は、政治・経済・社会はもちろん、歴史や軍事や科学に至る理論的な体系性であり、明快な現状認識と将来に向けての実践的な指針を与えることにある。(中北p.98)

 丸山真男も戦前のマルクス主義の魅力を次のように書いています。

マルクス主義が社会科学を一手に代表したという事は…第一に日本の知識世界はこれによって初めて社会的な現実を、政治とか法律とか哲学とか経済とか個別的にとらえるだけでなく、それを相互に関連づけて綜合的に考察する方法を学び、また歴史による個別的な事実の確定あるいは指導的な人物の栄枯盛衰をとらえるだけではなくて、多様な歴史的事象の背後にあってこれを動かしていく基本的導因を追求するという課題を学んだ。こういう綜合社会科学や構造的な歴史学の観点は、…知的世界からいつか失われてしまったのである。マルクス主義の一つの大きな学問的魅力はここにあった。(丸山『日本の思想』p.55-56)

 つまりマルクス主義は世界を一つの体系に落とし込み、生きる方向や実践の指針までをそこから導くというトータルな世界観として示され、また、新しく起きてくる事実や課題をその体系=世界の中に位置付けていく(当然その場合に世界像そのものも修正されていく)という、人の心を鷲掴みにする全体性を備えています。

 不破哲三は、ソ連が崩壊したころに「あなたにとって共産主義とは」とインタビューで聞かれ「世界観です」と答えていますが、それは言い得て妙だと思います。

 

 伊藤の中で理論を学ぶことと、実践の距離が極めて近く、おそらくトータルな世界観として鍛え上げられていくプロセス、面白さを伊藤は(そして戦前の共産党員の多くは)味わっていたのではないかと推察しました。

 いまぼくのなかでは、こういうものがともすればバラバラになってしまいがちです。その全体性を備えている、生きた理論として伊藤が学んでいたという姿勢を、ぼくらはもう少し学び取った方がいいなと思っていたのです。

 これについてワタナベさんはどう答えたでしょう?

 

 さらに、映画の筋に絡めて言えば、

(1)学費を山本懸蔵の選挙に使うシーンで伊藤は泣き通しだったのか、それとも意志的に自分で選択して選挙費用に当てたのか

(2)拘禁性精神病になってからの伊藤が回復し、意志的な姿を一瞬でも取り戻したかどうか

などを質問的にワタナベさんの意見を求めました。

 

 弾圧の暗さ、不屈性、伊藤から何を学ぶか、学費問題、伊藤の最期…これらのぼくの身勝手な問いに、ワタナベさんがどう答えたか

 以上のぼくの問いに対するワタナベさんの意見については、この対談が動画として公開されるので、それを見ての「お楽しみ」にしてください。 

 

 ワタナベさんと意見が一致したものもたくさんあります。

 戦前の天皇制の評価をセリフとして挿入することで、現在の天皇制への評価と誤解されてしまわないか、という点などはその一つです。

 

 あと、会場からの発言で2人の人が「ロシアの革命記念日に獄中で『赤旗の歌』を歌ったが…」とおっしゃられました。

 ぼくは5月中旬に見ていたので細部を覚えていなかったのですが、トークの時にワタナベさんに「え? あれってロシア革命の記念日でしたっけ?」と尋ねました。弾圧を受けた3月15日を記念しての獄中での反抗イベントだったのでは? と思いましたが、これはどうだったのでしょう。

 

 聞けなかったこととしては、伊藤千代子関連の史料には「伊藤千代」という表現がいろんな人から出てきます。文部省史料でもそういう表現になっています。これは単なる誤記なのでしょうか。ひょっとして戸籍名は「伊藤千代」だったりしないでしょうか、という疑問があったのですが、あまりにマニアックすぎるし、ワタナベさんは歴史考証家ではないので聞くのも変だなと思い、これは聞きませんでした。*1

 

 というようなぼくの無茶な議論にも、ワタナベさんは粘り強く付き合っていただきました。感謝しかありません。ありがとうございます。

 

 なお、ワタナベさんのパートナーのツルシカズヒコさんも来場されて楽屋でお話ししました。福岡市出身の伊藤野枝についてあれこれ聞くことができました。この点ももう少しお話ししたかったなと思いました。

 

 

*1:橋本淳治・井藤伸比古『「子」のつく名前の誕生』を読むと「子」を「女史」的な敬称としてつける場合があった。