磯前順一『石母田正 暗黒のなかで眼をみひらき』

 石母田正を知らない人のために、言っておけば、有名なマルクス主義歴史学者である。

 以前に小熊英二の本の感想の中で彼について触れたことがある。 

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 しかし、本書についてはどうにもぼくが石母田正について前提となる知識や読書体験がほとんどないせいであろうが、本書をうまく読めなかった。

 ただ、本書で自分なりに思うことがあった箇所はあるので、メモがわりに抜き書きと感想を記しておきたい。

 見逃してならないのは、この論文の題名〔歴史科学と唯物論〕にあるように石母田は歴史学を「歴史科学」と呼んでいることである。石母田は歴史科学という言葉を掲げることで、「動かすことのできない客観的真理であるところの歴史的事実のうえに構築されている」のが、客観的な科学としての歴史学だと主張した。こうした世俗主義的な合理主義は、マルクス主義無神論的な立場に依拠する。

 科学としての歴史学は、主体の立場に応じて多様な解釈の生じえる精神科学とは異なって、どのような立場をとる主体であれ、客観的な手続きを徹底化させるならば、同じ事実の認識のもとに合致しうる。そうした普遍主義的な実体としての真理を、彼は議論の根底に措定していた。この客観性のもとに、実証主義マルクス主義的な唯物論が重なり合って「歴史科学」を支えるべきであると考えていた。

歴史学におけるいわゆる実証主義……と呼ばれるものは、歴史的事実の探求によってのみ真実があきらかにされるという立場であると、大づかみにいってよいとおもう。これは端的にいえば、歴史学における唯物論的な立場である。認識するものの意識や主観から独立に存在する客観的世界を認め、その真実を認識し得るものとすることは、唯物論にほかならないからである。(「歴史科学と唯物論」)〉

 実証主義とは「史料……の発見・読解と断片的な事実の連結との技術」(黒田俊雄)にほかならぬがゆえに、それは一方では石母田が言うように「個々の歴史的事実の相互の連関、その発展を全体的に認識する点、いいかえれば対象の法則=本質を認識する点などにおいて不十分」にならざるをえない。それをもって、実証主義を「不徹底な唯物論」であると石母田は呼んだ。(p.214-215) 

 唯物史観実証主義はどのようにマルクス主義歴史学者たちの間で整理をつけるのだろうか、と思っていたのだが、まあこういうことだろうとぼくも思った。

 しかし、そこには一つの落とし穴もある。

 こうみたとき、石母田の論文「歴史科学と唯物論」は、黒田俊雄の指摘するように、社会主義運動が衰退した一九五〇年代後半以降の、戦後歴史学一般の動向を示すものとなっている。マルクス主義が主体の主観性の問題を放逐する一方で、実証主義と手を携える事で新たな科学的客観主義を唱える。そして、歴史学が表立って社会運動や自己変革の問題を学問と連動させて扱うことはなくなっていく。

 日本のマルクス主義歴史学は、「肝要な問題は、世界を変革することである」というマルクスのテーゼを放棄する。それと引き換えに、社会構成体の分析手段に落ちつくことで、文献の批判的読解の技術である実証主義と結びつくことが可能となる。それで客観主義的な装いのもと、戦後歴史学のなかに独自の立場を確保していく。さらに、石母田の『日本の古代国家』以降は、石母田自身に当てはまらないにせよ、「階級支配論」をも脱落させた、「国制史」という国家論をもたない制度史へと頽落していく。それは、「実証主義も客観主義も、不徹底な唯物論であり、あるいは半身だけの唯物論である」とする石母田の意図に反して、実証主義によってマルクス主義が換骨奪胎されたことを示す事態にほかならなかった。(p.217-218) 

 客観的…というか、傍観者的というか。

 「歴史学が表立って社会運動や自己変革の問題を学問と連動させて扱うことはなくなっていく」というのは、当たり前じゃん、と今の人たちなら思うだろうか。そんな学問のあり方は不正常であり、偏っておるのだ、と。しかし、著者・磯前のいうように「実証主義によってマルクス主義が換骨奪胎された」ということにはならないだろうか、という思いがぼくにはある。

 

 そして、こういう客観主義の姿をまとった歴史学は、別の方面から批判を受ける。データの集積のようになった無味乾燥さから、そこには人間が描かれないのだ、と。「転向」した元マルキストである亀井勝一郎は次のような批判をしているのだと、磯前は紹介している。

 亀井〔勝一郎〕は、遠山茂樹らによって唯物史観の立場から書かれた『昭和史』(一九五五年一一月刊)にたいして、「型にはまつた砂をかむやうな無味乾燥な史書」であり、「人間」不在の歴史であると文学者の立場から厳しく批判した。遠山は、言うまでもなく石母田の東大国史の同級生であり、古くから同じマルクス主義の立場に立つ研究仲間である。実際の歴史に見出されるのは「動揺した国民層のすがた」であり、「『階級闘争』といふ抽象観念による類型化」された「国民の総意」とはおおよそ懸け離れたものだと亀井は主張する。

 そして、「歴史に入りこむことは、様々な人間や事件と翻弄の関係に入ることである」以上、「歴史家は『断言』と『懐疑』とのあひだの迷ひや苦痛を味つてゐる筈」であり、「彼自身の内的葛藤、その不安定こそ歴史家の主体性といふもの」になる。亀井にとって、歴史家とは「史上の人物の自分にのしかゝつてくる重量感」を身をもって体験するがゆえに、主体と主体がぶつかり合うさいに生ずる不安や葛藤に向かい合わざるをえない存在なのである(亀井「現代歴史家への疑問」・「歴史家の主体性について」・「日本近代化の悲劇」)。(p.227-228) 

 

 学問の客観性についての磯前の総括。

 学問の客観性とは、自らの歴史性、主観的制約を引き受けたときに、その対象化の過程で確保されるものであろう。自らの主観や感情を排除したところで唱えられるような客観性は、研究者自身の身体性を含めた日常の生活世界の外部に自分が立っているかのような幻想のうえに成り立っているものにすぎない。書き手は自らの身体性や主観性を引き受けることで、はじめて歴史家あるいは知識人として生活世界を対象化して語りうる資格をもちえるのである。(p.232)

 ぼくの中で全然なにがしかの結論を得ていない。まさにメモとしてここに放置しておく。