共産党はマンガ・アニメの規制にカジを切ったのか

 日本共産党がアニメやマンガの表現規制に「方向転換」したのではないかと、ネットの一部で話題になっている。

togetter.com

 

 共産党は今回の総選挙政策

児童ポルノ規制」を名目にしたマンガ・アニメなどへの法的規制の動きに反対します。

と明確に言っている。それなのに、なぜこんな騒ぎになるのかといえば、ジェンダー分野で書かれている政策がこれと矛盾するのではないかという疑惑を招いているからである。

 

 結論を言っておくと、「表現の法的規制ではない」というのがぼくの受け止め。しかし、政策としての叙述の仕方として最悪のものだと思う。どこかの政権党っぽく言ってしまうと、見事に「誤解を招く」。書いた人のセンスを疑う。

 

 問題の、ジェンダー分野における共産党の該当政策はこの部分である。

―――児童ポルノは「性の商品化」の中でも最悪のものです。児童ポルノ禁止法(1999年成立。2004年、2014年改正)における児童ポルノの定義を、「児童性虐待・性的搾取描写物」と改め、性虐待・性的搾取という重大な人権侵害から、あらゆる子どもを守ることを立法趣旨として明確にし、実効性を高めることを求めます。

 

 現行法は、漫画やアニメ、ゲームなどのいわゆる「非実在児童ポルノ」については規制の対象としていませんが、日本は、極端に暴力的な子どもポルノを描いた漫画やアニメ、CG、ビデオ、オンライン・ゲーム等の主要な制作国として国際的にも名指しされており、これらを適切に規制するためのより踏み込んだ対策を国連人権理事会の特別報告者などから勧告されています(2016年)。非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります。「表現の自由」やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない社会的な合意をつくっていくために、幅広い関係者と力をあわせて取り組みます。

 この政策は2つの段落から成っているが、一見すると単に段落分けしているだけで同じ話題のように見える。

 

前段の「描写物」はアニメ・マンガの話ではない

 で、前半の段落にある、“児童ポルノの定義を「児童性虐待・性的搾取描写物」に改めろ”という政策のうち「描写物」という文言が、実写でなくアニメやマンガなどの虚構物を指すのではないかという心配を高めているのである。

 その説明がほとんどと言っていいほど、なんにもないもん。そりゃそういう心配を起こすよな、とぼくなど思ってしまう。

 共産党は、この「描写物」という文言を入れろとなぜ言っているのかと言えば、簡単に言えば、現在の児童ポルノ規制法における「児童ポルノ(もちろん実写)」の定義が「性欲を興奮させ刺激するもの」に限定されているんだけど、そうでないもの(性欲を興奮させ刺激するとは必ずしも言えないもの)も「児童ポルノ(もちろん実写)」の範囲に入れるべきだと主張しているのである。

 大騒ぎになって、共産党Q&Aを出したようだが、その中に

児童ポルノ」という言葉については、日本共産党は従来から、被害実態をより適切に表す「児童性虐待描写物」などに改めることを提起してきました(2014年6月17日、参院法務委員会議事録参照)。

と書いてある。けど、素っ気なく書いてあるので、わけがわからない。この政策を書いた人は説明したつもりだろうけど、「被害実態をより適切に表す『児童性虐待描写物』などに改めることを提起してきました」という文言は、よく事情を知らない人からすれば、「うん。ウチは前から児童ポルノに描写物=マンガ・アニメを入れるべきだと言ってきましたよ? 今更じゃないんですよ? だってアニメやマンガでも子どもが傷ついてるんだもん」と共産党が開き直っているように読めちゃうんだよ。そこがわかっていない書き方である。共産党に怒ってこのQ&Aを読みにきた人は、ますます怒り心頭になってしまう。

 しかし、そうではないのである。

 ここで参照されている2014年6月17日の参院法務委員会(共産党の仁比聡平参院議員)のやり取りを読めば、性欲の刺激をイメージさせる「児童ポルノ」から「児童性虐待描写物」に変え方がいいじゃねーの? と共産党が言っていた意図がすぐわかると思う。

 長いけど引用してみよう。

 大事なことなので。

 結論だけ辿りたいという人、面倒くさい人は飛ばしてもらって結構。「描写物」と共産党議員が言っているのは1箇所だ(赤字にしてある)。

 我らが「山田先生」も登場するよ!(笑)

○仁比聡平君 … そこで、本法案の保護法益についてまず確認をしたいと思うんですが、その前提として法務省刑事局長に、現行法にも定義をされています性欲を興奮させ又は刺激するものというこの法の要件は構成要件ということだと思いますが、先ほど来、これは一般人を基準に判断すべきという答弁が衆議院でもあったという紹介がありましたが、改めて、この性欲を興奮させ刺激するものという定義、そしてこれがどのように判断されるのかという基準についてお答えいただきたいと思います。

○政府参考人(林眞琴君) 今御指摘の性欲を興奮させ又は刺激するものというものでございますが、御指摘のとおり、これは一般人を基準に判断すべきものと解しております。
 その判断につきましては、個別具体的な事案の内容にはよるものの、一般論として申し上げれば、その判断要素といたしましては、性器等が描写されているか否か、あるいは動画等の場合にその児童の裸体等の描写が全体に占める割合、あるいはその児童の裸体等の描写方法、こういった諸般の事情を総合的に検討して、それを一般人に当てはめて、その基準で、性欲を興奮させ又は刺激するものに当たるかどうかを判断するものと解しております。

○仁比聡平君 そうしますと、先ほど山田議員始めとした方々の議論にもありましたけれども、一般人が性欲を興奮させ又は刺激されないものであれば、たとえそれが性的虐待あるいは性的搾取という観点から見たときに許されないものであったとしても、この構成要件には該当しないということになるわけでしょうか。

○政府参考人(林眞琴君) 性的搾取あるいは性的虐待、こういったものを防止するという法の趣旨があるわけでございますが、その中で個々具体的な刑罰を科す条文を見ますと、それぞれに例えば今の性欲を興奮させ又は刺激するというものが構成要件としてございます。したがいまして、これに当たらなければ刑罰は科せられないということになります。

○仁比聡平君 例えば、イングランドウェールズのこうした児童ポルノに関する事件の量刑について量刑諮問委員会というのがあるそうで、もちろん前提とする法制度が改正案のような趣旨かはいろいろ、国それぞれだと思いますけれども、この中でも参考とされている欧州におけるペドファイル情報ネットワークの闘いという、コパインスケールと言われている、児童ポルノと今のところ申し上げておきますけれども、この中身を分析している基準があります。この中で、例えば下着姿、水着姿などの子供を写したものだと、エロティックでも性的でもないというレベル一、暗示的なものに始まってレベル十まで、最も厳しいあるいは許し難い、そうした画像としてレベル十、こんなふうな定義が示されているわけです。子供が縛られ、拘束され、殴られ、むち打たれ、又は痛みを暗示するその他の行為を受けているところを写した写真、子供を対象とした何らかの形態の性的行為に動物が関与しているところを写した写真。これは、ウェールズにおいては、つまり量刑事情として重く見られなければならないという考え方かと思うんですけれども。
 先ほど山田議員の質問にもありましたけれども、私もこうした画像というのは吐き気がする思いだと思います。一般人がそうした画像によって性欲を興奮させ、刺激されるのかという基準でいうと、これはそれには当たらないということになりかねないわけですが、これ、一般人の性欲をということで基準とすると、そういうことになるのではありませんか。局長。

○政府参考人(林眞琴君) 今御指摘の外国のコパインスケールでございますか、こういったもので幾つかの分類があるわけでございます。これについては、詳細は承知していないわけでございますが、外国の研究者が児童ポルノをその虐待性の観点から幾つかの段階に分けた指標であろうかと思います。
 したがいまして、これがどういう形で日本の今回のこの児童ポルノ禁止法に当てはめになるのかというのは、具体的な詳細な対応関係というのはもちろんないわけでございまして、結局のところ、そういった各外国での分類のものがこの児童ポルノに該当するか否かにつきましては、こういった個別具体的な証拠関係に基づいて判断すべきでございまして、結局、そういった写真等が法の二条三項各号の要件を満たすかどうか、そういった場合には児童ポルノに該当することとなり、全ての場合にそれが児童ポルノに該当するわけではないというふうに理解しております。

○仁比聡平君 結局、性的虐待あるいは性的搾取による児童の自由や人格、あるいは身体、生命の安全が保護法益、それが保護されなければならない、ここに対する侵害を抑止しなければならない、そういう立法の意図が貫かれるのであれば、別の定め方が私は十分あり得ると思うんですね。
 御存じかどうか、インターネットアーカイブを参照しますと、インターポールが、この児童ポルノという今国際的に使われている名称はこれは不適切ではないのかと。実際に保護されるべき児童の虐待やあるいは性的搾取という、ここの実態を表していないのではないのかという批判がされています。既に二〇一一年の十月にそうした認識がインターポールのホームページに掲載をされておりまして、呼び方として、チャイルドアビューズ・イズ・ノット・ポルノグラフィー、ポルノではなく児童に対する虐待物と認識を一致させるべきではないかという趣旨が示されているわけです。
 本法をめぐっても、我が国でも児童性虐待描写物という表記を使ってはどうかという議論もあったように思うんですけれども、そうした考えを取らなかったというのはどうしてなんでしょうか。提案者。

衆議院議員遠山清彦君) 仁比委員にお答えを申し上げます。
 先ほども山田太郎委員から類似の御質問がございました。おっしゃるとおり、ポルノという言葉だけ考えますと、成人の場合はそれは認められているわけでございまして、それが対象が成人ではなくて児童になった場合に児童ポルノということでございますから、委員が御指摘のとおり、ポルノという言葉イコール性的虐待という含意がないのではないかという御指摘についてはそのとおりでございますし、恐らく、インターポールが、そういった意味でチャイルドポルノグラフィーという英語の中にはアビューズという、虐待という意義が必ずしも入っていないのではないかと、そういう趣旨からの御提言と私どもも理解をしております。
 他方で、今回、法律の名前を児童ポルノのまま、つまり十五年前の制定時のまま維持をするとした理由につきましては、既にこの児童買春と並びまして児童ポルノを、今回の本改正前にも提供罪等は既に処罰化の対象にしてきた、つまり犯罪化してきたわけでございまして、そういった意味で、児童ポルノという用語が、その字義の元々の意味を考えれば必ずしも虐待という意味を含んでいるとは言えなかったものの、この法律が制定されてから十五年間の間に社会で定着また浸透していく中で、今回の法律の三条の二にも明確に書かれておりますとおり、誰人も児童に対する性的搾取あるいは性的虐待に係る行為をしてはならないという精神の下にこの児童ポルノ禁止法が作られているという趣旨が社会に十分浸透しているという点に鑑みまして、実務者協議におきましても本法律の名前の変更は取らなかったと、こういうことでございます。

○仁比聡平君 今の御答弁にありますように、改正案三条の二において児童に対する性的搾取又は性的虐待に係る行為を禁ずるのだと、抑止するのだということが現行法も含めたこの法の趣旨であるということが明確にされるのだという御答弁なのであれば、今回の案ではないんですけれども、その趣旨を明確にするという法改正や、あるいは広報、周知も含めて検討をこれからすべきではないかと申し上げておきたいと思います。〔以下略〕

 

 アニメやマンガを規制しろと微塵も言っていないことはわかると思う(この質疑の後半でCGなどの話は出てくるが、それは実写をどこまで加工して曖昧にしていくかという線引きの問題)。

 仁比議員は「子供が縛られ、拘束され、殴られ、むち打たれ、又は痛みを暗示するその他の行為を受けているところを写した写真、子供を対象とした何らかの形態の性的行為に動物が関与しているところを写した写真」を例に出しているが、“そういうものは常人からすれば「性欲を刺激しない」けど明らかに「児童ポルノ(虐待された児童が写り込んだ、規制されるべき実写物)」だよね?”と問いただしているのである。

 

 今回の共産党の上記の引用政策のうち、前半部分、つまり第一段落は、児童ポルノ(もちろん実写)」という言い方は性欲を刺激するという狭い捉え方になってしまうので、「児童性虐待・性的搾取描写物」に変えろと言っているのである

 性欲を刺激するかどうか=性道徳を乱すかどうかという問題は、権力がわいせつ性を問題するから起きてくる定義の狭さであって、そういうことじゃねーんだよ、子どもの人権が侵されてるかどうかなんだよ! という立場から、この問題を結構重要な問題として共産党は提起しているのである。

 アニメやマンガという「描写物」を規制しろと言っているわけではない。

 

 …が、そんなことがわかるようには書いてない。「なんだろう?」とか「描写物ってマンガやアニメのことだろ?」とか思っても、不思議ではない。こんな雑な書き方すんじゃねえ! 選挙で躍進したくねーのかよ?

 

 しかも、そのすぐ下の段落にアニメやマンガの性描写が現実に影響を与えるという話が書いてある。しかも、政策や話題を変えた時の記号であるダッシュ(——)がない。どう考えても上の段落の続きに見える。

 これは誤解するわ

 誤解を誘導していると言ってよい。

 

後段は法的規制ではなく、社会合意=世論形成で悪影響を減らしたいということ

 そして下の段落の構成は、こうなっている。

 “アニメやマンガは基本的に虚構物だから、実在の直接の被害者はいない。だけど、「女性を性的なモノのように見ていい」みたいな影響を与えるから、率直に言って有害だと思う。だけど法的・行政的に上から表現規制すべきではないから、関係者でよく話し合って合意をつくっていきましょう”というものだ。

 これは共産党の伝統的(?)なやり方で、*1法的・行政的規制ではなく社会運動と世論形成によって、共産党として有害だと考えているものを抑えていきたいという一つの「知恵」である。

表現の自由」やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない社会的な合意をつくっていくために、幅広い関係者と力をあわせて取り組みます。

とはそういう意味だ。

 だから、同時に、このジェンダーの分野での政策と別に、文化の分野の政策のところに

児童ポルノ規制」を名目にしたマンガ・アニメなどへの法的規制の動きに反対します。

とうたっている政策とは両立するわけである。

 もしも。

 もしも共産党が、「社会合意ができたと思うので、ひどいマンガやアニメの法的規制に踏み切ります」もしくは「ひどいマンガやアニメの法的規制へ向け社会合意を目指します」と言い出したら、それは明らかに「方向転換」だと言える。しかし今回はそのような方向には言っていない。

 

 ただ、共産党としては、例えば子どもと大人がセックスするアニメやマンガは子どもの性的なモノ化を進ませる危険があると考えているのだろう。そう主張する運動家は少なくないし、なんらかの悪影響があるという点ではぼくも認めざるを得ない。しかしその影響の排除・削減を、表現の法的規制によって達成するのではなく、言論活動によって、つまり世論づくりによって達成したいというのが、表現・言論の自由を命がけで守ってきた共産党の編み出した「知恵」である。まあ、「苦肉の策」とみる人もいるだろうが、表現の自由を守りながら、高まるジェンダー平等の流れにもきちんと応えたいという、政党として節度を持ったやり方だと思える。

 

 運動団体が、ある性的な表現についての是非を言うことを問題視する意見がある。最近も話題になった。

 デリケートな問題だから単純ではない。だけど、いきなり表現の削除を求めず、自分たちとしてどういう悪影響があるかということをきちんと伝えるなら、「アリ」だとぼくは思っている。むしろ健全な言論活動だ。

 そういう社会合意をつくるのを始めよう、と共産党は言っているのだと考える。

 

それにしても叙述が乱暴すぎる

 それにしても。

 政策の叙述としては乱暴である。乱暴すぎる。

 およそ丁寧さが足りない。

 

 この政策は国連勧告が法的規制を求めていることは現状としてあげているだけで、「よく読めば」共産党としては、日本における法的規制を求めてはいない。しかし、そこはかとなく法的規制を求めているんではないのかなと思わせてしまう。

 そして、非実在である虚構物のポルノが「現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります」という書きぶりは、あんまりだと思う。

 繰り返すが、ぼくは、ポルノにそういう影響(この記述ほどはひどくはないが、女性や若い人=子どもをすぐ性的な対象としてとらえたりモノ化したりしがちであること)があることは否定しない。人ごとではなく、ぼく自身の中に侵入している観念である。だからこの政策を起草した人はそう書いたのだろう。悪い影響をなんとかしたいから、法規制に頼らないで社会合意で…と思ったに違いない。そこはわかる。

 しかし、創作物の評価を共産党が一律にこうとらえているように読めてしまう。もし本当に創作物全体をこう評価しているのだとすれば、表現に対するあまりにも貧しい捉え方だ。少なくとも表現というものを一面的に捉えているという印象は拭えない。

 子どもが性の対象として登場するポルノは全て「子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります」というのなら、なぜ「しんぶん赤旗」は『分校の人たち』で子どもたちのセックスを描きまくっていた山本直樹という素晴らしいエロ作家を一面にドーンと載せたのだろう。説明してほしい。

 この政策の書きぶりには想像や空想が人間を解放する側面、想像や空想が文化に果たす役割については一切記述はない。そこに思いを馳せた形跡もない。

 空想で人を殺したり、想像で暴力や戦争を起こしたりする物語を紡いだり、それを読んだり、そういうグラフィックを描き・見ることが、誰かを救うかもしれないことを考えてほしい。また、ヘテロセクシュアルエロマンガボーイズラブのようなマンガが、文化の壮大な揺籃の役割を果たしていることをこの政策の書き手は知らないのか。

 本気で社会合意をつくっていこうとするなら、なぜ創作物の描き手の側の気持ちを聞かないのか・書かないのか。それをまじめに文化として捉え、リスペクトした痕跡がどこにもないのだ。「ポルノ表現は子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つける悪いもの」という一面性からだけ問題に迫り、最初から反対の意見など聞かず、相手に自分の立場をできうる限り飲み込ませようというギラつきだけがひしひしと伝わる。本当の意味での社会合意をつくる気などさらさらないんだな、と思われても仕方がない。

 

 いや、そこまで言わなくてもいい。せめて。せめて、表現の価値には踏み込まずに、しかし現実の影響については心配しているという書き方ができないのか。

 デリケートな問題であるという自覚もなく、ぶっきらぼうな叙述。炎上するわ、そら。油をかけて自分から火に飛び込んでいくスタイル。

 表現の自由を傷つけるかもしれないという大きな問題だという自覚をもって、もっときちんと分量をとった政策提言としてまとめるべきだし、マンガやアニメの表現の自由という問題にも同じように分量を割くべきだろうと思う。

 

*1:例えば2003年前後に少年事件がマスコミをにぎわせたときの共産党の提言を見るといい。https://www.jcp.or.jp/web_policy/2003/09/post-202.html  ここでは「メディアやゲームの映像などにおける暴力や性のむきだしの表現が、子どもにたいして野放しにされていることにも、多くの国民が心を痛めているが、この分野の自己規律も、わが国は国際的にきわめておくれている」という認識を示しつつ(まあ、この認識の是非はあるんですけどね)、その結論は「この分野での日本社会の異常な立ち遅れを克服し、子どもの健全な成長を保障する社会の自己規律を確立することは、急務である」「社会的道義の問題は、モラルの問題という性格からいって、上からの管理、規制、統制、押しつけを強めるという立場では、解決できないどころか、有害な作用をおよぼすだけである」と述べている。