江原慶『資本主義はなぜ限界なのか——脱成長の経済学』

 なんでこの本を買ったのか、を記しておくことは、たぶんちくまの編集者や営業の方にとって有益かもしれないので書いておく。

 まず『資本主義はなぜ限界なのか』というタイトルが問題意識に噛み合ったが、それを「脱成長の経済学」という斎藤幸平的な問題意識で塗り、さらにオビに「斎藤幸平氏絶賛!」「脱成長が不可能だって? 反証がある。この本だ」と煽っているので、うむ、そこまでいうなら読んでみようではないかという思いで手に取った。

 そして、著者が1987年生まれ、つまりまだ30代であるというのも気になったので、買ったのである。

 

「脱成長の経済学」=過渡としての「脱成長市場経済

 本書でいう「脱成長の経済学」というのは、斎藤幸平が「脱成長コミュニズム」だとすれば、それに至る過渡=「脱成長市場経済」を論じている。「脱成長コミュニズム」と「脱成長市場経済」は区別されているが、対立するものではなく、「脱成長コミュニズム」へ至るまでの橋頭堡なのである。

 

 「脱成長コミュニズム」は資本主義的な生産関係そのものを変えてしまうものだが、「脱成長市場経済」は資本主義の枠内にとどまり、資本主義のもとで生まれる「剰余」をどう「利他」として使うのかという範囲のものだ、と著者の江原は述べる。

 前にも書いたことだが、ぼくは搾取を廃絶するとはどういうことかを論じた際に、剰余の処分について、資本家階級がその使い道の決定を独占するのではなく、かつては排除された労働者階級をはじめ社会のすべての階級が参加して、その処分の方法を決めるようになれば、それは搾取が廃絶されたと言えるのではないか、と思っている。

 そうなると、その社会イメージは、江原が提唱する「脱成長市場経済」とほぼ重なっている。それが資本主義の枠内のものであるか、資本主義を脱したものであるかは、議論のあるところであろうが*1、まずそうした社会を目指すという点では、著者とぼくは一致していると思った。

利潤と蓄積(成長)の区別

 江原がマルクスを使って整理していることのポイントをあげれば、上記のこと以外に、「利潤(獲得)」と「成長」と「蓄積」の概念の整理である。脱成長は、利潤を上げることの否定のように思われているが、そうではなく、利潤を獲得する行為と、それを資本蓄積に回す行為は別のものであるとして、前者だけでは成長をしないことを江原は示す。資本蓄積が成長なのである。

 脱成長はそれを自己目的にしないことであり、

脱成長とは、単なるゼロ成長やマイナス成長のことではなく、資本主義経済における資本蓄積の抑制です。(p.124)

 このポイント(整理)を押さえた上で、本書が脱成長の具体的方法を示しているかといえば、必ずしもそうとは思わないし、そもそも新書で示せることでもない。

 ただ、斎藤幸平の「脱成長コミュニズム」では市場は果たして存在するのか、とか、利潤追求をする企業は存在できるのか、とかそういう疑問が湧いたのであるが、江原の本書が示す剰余の社会的決定という方向は、まさにぼくが示していた社会主義(搾取の廃絶)の方向だし、江原自身が

今の日本社会は、すでに剰余の少ない部分を、少子高齢化対策に振り向けているのです。…今の社会でも、剰余を社会の維持のために使う、利他的なしくみが動いていることにもっと意識的になってよいでしょう。(p.220-221)

と指摘している部分は、社会主義のパーツが資本主義の中に具体的に育っていることを示すものであり、次の社会が企業体や市場と共存しながら生まれ育っていることを明示している。この意味において斎藤とは違って現実的なのである。

 

 同時に、具体的な施策として興味を持ったのは、一つは資本主義経済における廃棄制約を再生産の中に組み込んでいくという試みである。

廃棄物処理過程を拡充していくことは、すでに見たように、価値の創出となり、したがって経済成長のプラス要因になります。経済成長を否定する立場をとる場合でも、このような廃棄物処理サービスの成長は認められるべきでしょう。(p.122-123)

 もう一つは、環境・社会貢献・企業ガバナンスを投資に織り込んだESG投資からさらに進んで、それを積極的に株価に織り込む「ESGインテグレーション」が紹介されていることだった。それをさらに進めて金融の活動を前提とした「脱成長インテグレーション」を構想できるのではないかという主張を江原はしている。

 

 このように、具体的なイメージをいくつか伴いながら、市場・企業・金融などの活動を前提にして現在の資本主義ではない経済を構想している。これは前述の通り、ぼくから見れば社会主義である。これならぼくも一定の賛同をすることができる。

 

本書の他の長所・欠点

 そのほかの、本書の書籍としての魅力、欠点をいくつか述べておきたい。

 長所の一つ目は、戦後経済史と経済学説史を簡単にふりかえるハンドブックになっていることだ。これはわかりやすい。

 二つ目は、その際にマルクスマルクス経済学)の有効性を確認していることである。また、戦後の日本におけるマルクス主義の発展を概観しているのも役に立った。

 欠点としては、途中に入る数式は、あまり必然性もなく、難しい印象を残してしまう。「マルクスの基本定理」として数式で搾取が証明されているというのだが、それは前提にすでに搾取を含んでいるからではないのか? あと、「企業経営者だって価値を想像しているのでは?」という著者自身が掲げた疑問に数式としては答えていないように思われる。

 まあ、飛ばしてもいいよ、というので、飛ばしたのだが。

 なお、以前書評したジェイソン・ヒッケル『資本主義の次に来る未来』でヒッケルが提示した整理、つまりトータルの成長を自己目的化せず、必要な分野のみの成長(蓄積)を選択的に目指すという整理は参考になるだろう。

経済成長を追い求め、それが魔法のように人々の生活を向上することに期待するのではなく、まず人々の生活の向上を目標にしなければならない。そのために成長が必要とされるか、必然的に成長を伴うのであれば、それはそれでよい。経済は人間と生態系の要求を中心に組み立てるべきであり、その逆ではないのだ。

 

*1:ぼくは「市場経済≠資本主義」という立場だ。