5歳男児『女の子が鉄棒で回った時パンツが見えてエッチだった(笑)』この発言に親としては何と声をかけるべきなのか?→様々な意見が集まる - Togetter
一応頑張って、「そういう言い方するのは〇〇ちゃん本人は嫌だよ、見えちゃったのは仕方ないけど、そういう言い方は失礼だよ、笑い話にはしちゃダメ」的なことは言ったように思うんだけど、それで正解なのかどうかわからない……。
— はなびら葵 (@hollyhockpetal) 2018年5月26日
でもあんまり私が強く言うと、女の子のスカートの中が不意に見えてしまうことを過剰に罪悪感持っちゃうかもしれないし(そしたら気楽に遊べなくなるじゃん)、逆に親の見えないところで「親が怒るような『面白い』こと」にしてしまうかもしれないし、抑圧かけたくないけど野放しなのもダメだと思うし…。
— はなびら葵 (@hollyhockpetal) 2018年5月26日
この人(はなびら葵、@hollyhockpetal)は
- 性暴力・性支配的なコードについて注意を促す
- 性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけたくない
という2つの命題の間で苦しんでいる。
これはまっとうな悩みようである。
「はなびら葵」の悩みかたの範囲であれば、まさに状況による。この範囲なら悩んだ上で、その子にとって最善のものだと親が判断したことを与えればいい。
こちらも似た感じ。
5歳男児から「鉄棒のとき女の子のパンツが見えてエッチだった(恥笑)」と言われたらどう対応するか - 斗比主閲子の姑日記
まずは否定しないけれど、「へー、パンツ見えちゃったんだ。でもその子には言わないであげたんだよね。偉いね。パンツもおちんちんと同じで人が勝手に見ていいものじゃないもんね」と伝えると思います。
http://topisyu.hatenablog.com/entry/2018/05/27/174329
そして、斗比主閲子は次のように続ける。
子どもが思うこと自体は他人がどうのこうのできるもんじゃないですが、パンツを見られた女の子がどう思うかとか、その女の子じゃなく自分自身の性器や下着が見られたときに、それは防御される対象になること自体を学ぶのは、未就学児の性教育としては基本だと思います。
http://topisyu.hatenablog.com/entry/2018/05/27/174329
もちろん斗比主閲子の対応は「あり」だ。
否定的に言っていない分だけ、さらにいい対応だと思う。
ぼくの場合は
どちらの対応もアリだとは思う。
その上で、ぼくならどうするか。
ぼくには娘がいるが、息子はいない。
自分はかつて「元・男児」であったが、男の子を育てた経験はない。なので想像するしかないのだが、就学前の子どもとして学ぶべき性的倫理は、「自分のプライベートゾーンは大切にする。他人のプライベートゾーンは暴いたりもてあそんではいけない」ということだろう。いや、もちろんそれ以外のことも学びうる。だけど、親から子どもに注意として呼びかけるものは、これくらいのことなのではないか。
この倫理を確立するために、言葉で教えてもいいし、前にぼくが挙げたように絵本を使ってもいい。
例えばもし男の子が女の子のパンツを下げて中身をみようとしていたら、緊急にそれを停止させてそれがなぜダメなのかを教える必要がある。
だが、それ以外の点ではどうだろうか。「性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけたくない」し、親子の間でのこうした問題に関する自由な議論・感情が失われることは、ぼくはマイナスとしてヨリ大きいと思う。
この「はなびら葵」の息子=5歳の幼稚園男子は、羞恥をもって親に「パンツが見えたこと」を伝えているのであれば、「自分のプライベートゾーンは大切にする。他人のプライベートゾーンは暴いたりもてあそんではいけない」という倫理はすでに身につけていると考えられる。
そして、ひょっとしたら自分の性欲が喚起されてしまったのかもしれないし、あるいは性欲は惹き起こされなかったかもしれないが社会的にそれが「エッチ」であるという振る舞いを知っていて恥ずかしそうにしただけかもしれない。
そのどちらであるにしても、そこに立ち入って注意をするのは就学前の子どもには荷が重いのではないか。逆に言えば、就学前の子どもであれば「自分のプライベートゾーンは大切にする。他人のプライベートゾーンは暴いたりもてあそんではいけない」という倫理があるなら、とりあえずそれでよしとする。
ゆえに「性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけてしまう」「親子の間でのこうした問題に関する自由な議論・感情が失われる」恐れの方をぼくは重視する。だからぼくであれば、おそらくその部分(命題1.)はスルーする。
「へえ〜」とか言って終わり。
あくまで「就学前」の話ね。
いちいち性暴力・性支配的な考えが子どもの言動の中に顔を覗かせたときに、親はそれを細かく叩くことはできない(許されない大きなものは別にして)。
それよりも、小学校に上がってから以降で、
- 性教育に役立ちそうで面白そうなマンガや本を渡すこと。
- 親子でテレビを見たり同じマンガを読んだり雑談をしたりする中で自然に親の考えを述べること。
などをやった方がいいんじゃないかと思う。そうすることでワクチンをつくるっつうか、ヒドゥン・カリキュラムを叩くというか。
鉄棒でパンツが見えたこと以外にも子どもは世の中の性的支配コードを様々に学んでいる。それをいちいち容喙するかどうかにあまり悩まず、太いところで親としてできることを考えた方がいいんじゃなかろうか。
ただ、注意しても「性欲や性についての自由でポジティブな感情に抑圧をかけてしまう」ことがない場合も十分ありうるし、仮に「親はうるさいやつだな」と思ってもそこから学ぶこともあるかもしれない。また、本に書いてあることではなく実地で問いかけられる瞬間に注意したり議論したりすることの方が効果的ではある。
だから、「はなびら葵」や斗比主閲子の対応も、書いてある範囲であれば全然アリだとは思う。子どもや状況次第だし、あくまでぼくは命題1.よりも命題2.を重視する、というほどのもの。