動かない共産党——トロツキー三部作を読む2

 前も書いた通り、ドイッチャーのトロツキー伝(トロツキー三部作)を読み直している。

 『追放された予言者』にはトロツキーソ連を追われてから暗殺されるまでが描かれている。

 

正確な予言、明白な決着

 彼は追放された身でありながら、共産党諸党(コミンテルン)に激しい警鐘を乱打する。

 というのも、ドイツ・ナチズムの勝利、ヒトラーの政権掌握が迫っているのに、共産党は「社会ファシズム論」を唱え、政治的共同に全くのりださず、結果としてナチズムの台頭を軽んじていたからである。その結果、共産党は一網打尽にされ、壊滅的な打撃を受ける。

 トロツキーの警告は、例えばこうだ。

ヒットラーがいったん権力をにぎり、すすんでドイツ労働者の前衛を粉砕し、今後何年にもわたって全プロレタリアートをこっぱみじんにし、士気沮喪させるなら、ファシスト政府はソ連にたいして戦争を決行することのできる唯一の政府となるであろう。(トロツキー「ドイツ——国際情勢の鍵」/ドイッチャー『追放された予言者』p.172)

 悲劇的すぎるほどの、スターリンおよび共産党の戦略の破綻であり、トロツキーの恐ろしいまでの正確な警告だった。

 トロツキースターリン(というかコミンテルン)は、ソ連の国内問題でもなく中国などのアジア問題でもなく、コミンテルンの活動家たちが注目を寄せるヨーロッパの主要国・ドイツをめぐる熱い論争を行い、目の前の現実によって明らかな決着がついたのである。

かれ〔トロツキー〕も、コミンテルンも、ともに見解の相違が事態によってテストされる最後の瞬間まで、公然と、全力をあげて、論争をつづけた。テストの結果は、明々白々であった。賛否はすべてのひとの心に生々しかったし、もしくは生々しいはずであった。(ドイッチャー前掲書p.230)

事実このとき、亡命中のかれ〔トロツキー〕の政治的影響力は最高水位にたっしたのだった。(同前p.231)

 トロツキー共産党に対し「このままヒトラーを放置していたら共産党は消えて無くなってしまうよ! めちゃくちゃにされるよ!」「他の左翼と手を組むんだ!」と厳しく警告していた。しかし、共産党は「んなわけないよ」「他の左翼なんかナチと同じだ」とそれを全く聞く耳を持たなかった。

 そうしたら、ヒトラーが政権を取り、共産党は国会議事堂に放火させられたというでっち上げをされてナチ政権により壊滅されてしまう。

 もうこれでもかというくらいはっきりとトロツキーが言ってきたことの正しさが浮き彫りになってしまったのだ。

 

 共産党内部から「指導部は間違っていた!」「スターリンはおかしい!」という叫びが次々に上がってもいいはずだった。

 にもかかわらず、共産党内はまったく反応しなかった。

コミンテルンの執行委員会は、ヒットラーの勝利後の最初の会議で、ドイツ共産党の戦略と戦術は、最初から終わりまで、完全無欠であったと主張した。そして、どの共産党も、この問題について討論をはじめることをいっさい禁止した。この禁止令をあえて無視した党は、ただのひとつもなかった。(同前p.222)

 

ヒットラーの勝利したいま、全世界の共産党は、コミンテルンの自己弁護と自己満悦を、無感覚に、黙々としてうけいれた。これらの全共産党のうちには、知性と、国際的団結心と、責任感は、一点の痕跡ものこされてはいないのか? トロツキーは、くりかえし、くりかえし、自問した。(同前p.227-228)

 トロツキーが呼びかけた共産党内の政治的覚醒は起きない。

かれ〔トロツキー〕は一九三二年のはじめ、ソボレヴィシウスにあてた手紙で、トロツキスト反対派はドイツで「十名のドイツ本国の工場労働者」すら獲得することができなかった、(そして、ほんの少数のインテリゲンチャと移民を獲得しただけである)、と書いているからである。(同前p.227)

 共産党内の共産主義者たちが、古い指導者のもとで動かなかったその心情を、ドイッチャーは

河の中流で馬をのりかえてはならないとおもった(同前p.233)

と記している。

どんなに不安を感じたにせよ、ナチズムとファシズムが自分たちに浴びせている打撃の雨のもとで、新しい指導と新しい闘争手段を探しもとめることを拒否した。かれらは新しい旗、その背後に巨人的ではあるが、しかし謎めいた、もしくは疑わしい旗手の姿しか見えない、新しい旗のもとに結集するよりも、むしろいままでどおりの、見慣れた旗のもとで、敗北に敗北を重ねる覚悟をしていた。(同前)

 コミンテルンは実際、その10年後に解散してしまう。

 

 かつてロシア革命の英雄として名を馳せたトロツキーは、鋭敏な政治的洞察をいかんなく発揮するが、その政治的影響力はまったく小さなものでしかなかった。

 しかし、まさにこの時期にトロツキー

著述家としての名声の絶頂に達した。(同前p.243)

 ドイッチャーは『追放された予言者』の中で「歴史家としての革命家」という章を設け、トロツキーの歴史叙述の魅力を異常な分量を割いて、あますところなく描き出している。

 

バーナード・ショーによる文筆家としてのトロツキー

 トロツキーはそもそも文筆家としても、能力を発揮した。トロツキー三部作の第1巻に当たる『武装せる予言者』のドイッチャーの序文には、文筆家としてのトロツキー評価をバーナード・ショーに語らせている。

 

 最後に、わたしは文筆家、パンフレット作者、軍事評論家、ジャーナリストとしてのトロツキーに特に注意をはらった。トロツキーの文学的著作の大部分は今では忘却にのみこまれており、一般の読者には手にいれがたい。それにしても、彼は、貧弱な翻訳からトロツキーの文学的資質を判断するしかなかったはずのバーナード・ショーが、「ジューニアスやバークよりも優秀である」と評したほどの、文筆家なのである。

 ショーのトロツキーの文体の評価はふるっている。 

ショーはトロツキーについて次のように書いている。「彼は、論敵の首をはねた場合、その首をさし上げて、中に脳みそが全然つまっていないことを示す。だが、相手の私的な性格にふれない。彼は〔相手に〕ぼろぎれほどの政治上の信用も残してやらないが、相手の名誉は無疵なままに残しておく」*1

 SNSを見慣れた昨今、論争するにしても、こんなふうな文章を書きたいものだとため息が出るばかりであった。

*1:原注 一九二二年一月七日のロンドン「ネーション」紙による。