「PTAはどう変わるべきか」:雑誌「教育」に書きました

 教育科学研究会編集の雑誌「教育」(旬報社)2022年6月号に「PTAはどう変わるべきか」というタイトルで執筆しました。

 この文章は「保護者の願い、学校の現在」という特集の中の一文です。

 編集後記に次のようにあります。

保護者が学校という場で他の保護者とつながったり、子どもと教育について教師と語り合ったりする機会がコロナ禍によって少なくなった。いやコロナ禍前からそんなつながりはなく、PTAは不要だという声もある。保護者にとって学校はどういう場になり得るのか、特集1で考えた。

 

 西郷南海子「わたしたちのPTAが生まれるまで」、今関明子「ようやく見えてきた保護者の役割」の二つの文章とともに、拙稿を含め、合計で体験的文章が3本載っています。これに一橋大学の教員である山田哲也の「『知識基盤社会』像をどう編み直すか」という巻頭論文が組み合わさっています(これ以外にもリレートークや論文がありますが)。

 前述の編集後記は続いています。3つの体験的文章をまとめつつ、そこに共通するテーマを次のように描き出しています。

西郷さんは、学校での不十分な性教育が学習指導要領の縛りによるのならPTAでやろうと保護者と子ども対象の2段階で学習会を行なった。今関さんはの共著者『PTAのトリセツ』には管理職と一緒に学校運営に参加するPTA改革が報告されている。木川南小学校の保護者たちは数字で成果を求める大阪の教育改革ではなく、一人ひとりの子どもに寄り添う久保校長の教育を支持している。紙屋さんは教育の共同の組織になっていないからPTAに加入していない。ここに共通している願いは、学校の下請けではなく、「知識基盤社会」像を揺さぶるような、教育のあり方を問いつつ学校を教師とともに創っていく親の学校参加である。

 

 PTAに加入していないことを知ってのぼくへの依頼でしたので、ぼくは最初、任意加入問題を中心に退会の経緯などを書いたほうがいいのかと思いながら第一稿を渡しました。

 しかし、編集の方からは意見があって、メールでのやり取りを読みながら、保護者と学校の共同のあり方を軸にしたものを求められているのだと思い直し、二度ほど書き直しました。

 したがって、今回の原稿は任意加入問題というより、教育要求に対応する組織としてぼくがPTAに感じている「失望」を書く形になりました。

 簡単に言えば、PTAで話されることは形式的な議論に流れてしまい、自分が本当に聞きたい、あるいは共同の中で検証され批判されたい教育上の悩みには応えてくれない、という不満です。

 例えば、受験に代表されるように「自分の子ども」という視点からだけ孤立して捉えられがちな親の教育要求があります。親が学校や教育に感じている不満や要求は大事だけど、それはそのままの形でいいのか、ということです。その要求は他の保護者との対話の中で批判されたり、検証されたりして、見つめ直されるべきだし、もっと言えば専門家である教師からの意見で批判されたいという気持ちがあるのです。

 そういう深い議論がなかなかできないという悩みです。

 巻頭の山田論文に次のようにあります。

不安をベースに「自分の子どもだけはサバイバルして欲しい」とよりよい子育て・教育を求めると、社会的な分断が生じ、「子育ての罠」*1に陥ってしまう。それを回避するためにも、利他主義をわが子だけに適用するのではないかたちで、知識の習得・産出の別ような道筋を模索しなければならない。

 

 そして、そういう議論は、保育園の時はあったなあと思ったし、それはそもそも戦後の教育改革がPTAに求めていたことではなかったかと思いました。

 他方で、そんなふうにPTAが変わるとは思えない(特に役員にならずに「いち会員」という立場のままでは)という不信も書きました。

 その迷いのまま、文章を閉じています。

 

 

 

 機会があればぜひお読みください。

*1:高等教育へのアクセスがより良い雇用条件になっていき保護者がそのための教育を求めると政策介入なしには格差が一層拡大するテコになってしまうこと。