前回のエントリの続きというか、補足。
「生産的労働と教育の結合」は戦後の民主的(わかりやすくいうと左派的な)教育学・教育運動の一つの命題であった。そのもともとの命題は、前回見たとおり、マルクスにあるのだ。
マルクスはもともとどう考えていたのか
マルクスは『資本論』の第一部の「機械と大工業」(13章)だけでなく、マルクスが中心となって活動したインタナショナルでも教育の中心課題として取り上げている。
男女の児童と年少者を社会的生産の大事業に協力させる近代工業の傾向は、資本のもとでは歪められていまわしいかたちをとっているとはいえ、進歩的で、健全で、正当な傾向であるとわれわれは考える。合理的な社会状態のもとでは、九歳以上のすべての児童は、生産的労働者とならなければならない。…
われわれは、労働が教育と結合されないかぎり、両親や企業家に年少者の労働の使用を許してはならないと主張する。…
知育、体育および技術教育の課程は、年少労働者の年齢階級におうじて、しだいに程度を高めていかなければならない。…有給の生産的労働、知育、肉体の鍛錬および総合技術教育の結合は、労働者階級を上流階級や中流階級の水準をはるかにこえた水準に高めるであろう。(マルクス「個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示——ジュネーヴでの第一回大会——」/マルクス『インタナショナル』所収、新日本出版社p.52-54、下線は原文の強調、赤字は引用者の強調)
ブルジョアが怠けて、労働者階級が死ぬまでこき使われるんじゃなくて、子どももふくめて、社会のみんなが生産労働に参加する姿は、未来の社会の姿だ!*1
そして、そこに教育を適切に組み合わせることで、「ひょっとして、こういう労働とセットになった教育は、役に立ちもしないつめこみ座学で頭がいっぱいの金持ちの子弟たちよりすぐれた人間を育てるんじゃね?」と期待したのである。
マルクスは、『資本論』の第一部13章で、“学校しか行ってないブルジョアのボンボン”と“工場で働きながら学校で勉強している労働者の子ども”を比較する、当時の工場監督官のレポートを嬉々として紹介する。
ことは簡単である。ただ半日しか学校にいない生徒たちは、つねに溌剌としており、ほとんどいつでも授業を受け入れる力があるし、またその気もある。半労半学の制度、二つの仕事のそれぞれ一方を他方の休養と気晴らしにするものであり、したがって児童にとっては、二つのうちの一つを絶え間なく続けるよりはるかに適切なのである。朝早くから学校に出ている少年は、とくに暑い天候のときには、自分の仕事を終えて溌剌として来る少年とは、とうてい競争できない。(マルクス『資本論 3』新日本出版社、p.844)
マルクスはこの後ごていねいにも、ブルジョア経済学者のシーニアの講演まで紹介して、この観察を別の事例で裏付けている。
ここにあるのは、単純に、「1日の半分は労働、1日の半分は勉強(学校)」という、一日中労働にしばりつけられた過酷な現実から解放された、子どもたちの喜びであろう。その喜びのうちに、勉強する楽しさもあったかもしれない。ただ、それ以上に、深い現実のレポートやそこからの考察はない。
『資本論』では、子どもたちのレポートはここで終わり、すぐ機械中心の大工業によって、労働者が一つの仕事にしばりつけられず、次々に仕事や職を変わるために、「靴屋は一生靴を作っている」というような一面性をまぬかれて、全面的に能力を発達させる可能性を見出す。
「いろんな職をやるうちに、いろんなことができる人間が生まれるんじゃね?」と思ったのである。「非正規で短期でクビを切られるために何も身につかない」と嘆く現代の労働者の姿からすればいささか楽観がすぎると思うかもしれない。*2
いずれにせよマルクスは、この様子から「一つの社会的な細部機能の単なる担い手にすぎない部分個人」(一つの狭いことしかできない人間)から、「さまざまな社会的機能をかわるがわる行うような活動様式をもった、全体的に発達した個人」が生まれてくるとみた。
世の中がかわるきっかけになるかも! とワクワクドキドキしたのである。
大工業を基礎として自然発生的に発展したこの変革過程の一契機は、総合技術および農学の学校であり、もう一つの契機は、労働者の子供たちが技術学とさまざまな生産用具の実際的な取り扱いとについてある程度の授業を受ける「“職業学校”」である。工場立法が、資本からやっともぎ取った最初の譲歩として、初等教育を工場労働と結びつけるにすぎないとすれば、労働者階級による政治権力の不可避的な獲得は、理論的および実践的な技術学的教育の占めるべき席を、労働者学校のなかに獲得することになることは疑う余地がない。(マルクス『資本論』前掲、p.850-851)
最終的には、社会主義になったさいに、生産の技術を体系的に学ぶことでこの「全体的に発達した個人」になることを完成させていこうじゃないと理想を描いたのだ。
——目の前で、労働と教育が結びつけられ、子どもたちがイキイキしている!
——一つの職にしばりつけられず、転々と職をかわる中で、いろんなことができるようになるかもしれない!
——社会主義になって、みんなが働くし、働きながら体系的に科学技術を学ぶことができるようになれば、ジェネラリストが生まれるんじゃないか!?
マルクスや当時の労働運動の興奮が伝わってくるではないか。
そして、それはある程度正しかったのである。
マルクスは晩年に書いた『ゴータ綱領批判』でも
児童労働の全般的な禁止を実行するということは——もし可能であるとしても——反動的であろう。というのは、いろいろの年齢段階に応じて労働時間を厳格に規制し、また児童の保護のためにその他の予防措置をするなら、生産的労働と教育を結合することは、こんにちの社会を変革するもっとも強力な手段の一つだからである。(マルクス「ゴータ綱領批判」/マルクス・エンゲルス『ゴータ綱領批判 エルフルト綱領批判』新日本出版社、p.49)
と、天まで持ち上げている。
もちろん、「ヲイヲイ児童労働を推奨してるやーん」と現代の目線でバカにするのではなく、当時としてはまさにこういう感覚だったのだろう。そこに社会進歩の積極面を見たことはむしろ慧眼だったと言える。
これがマルクスが描いた人間の全面発達へとつながる「生産労働と教育の結合」命題である。
これだけ読んでも、「人間の全面発達はいいけど、『生産労働と教育の結合』っていう命題は今考えるとちょっと使えないかなあ」とシロートでも予感できるはずだ。
ソ連や戦後教育はどう扱ったか
ソ連や、日本の戦後の民主的な教育学・教育運動は、この命題をテコにしようとした。
ソ連ではレーニンやそのパートナーであったクルプスカヤがマルクスの命題の中にあった「総合技術教育」をめざそうとした。しかしなかなかうまくいかず、結局根付かなかった。
「子ども時代は学校に行く」ということ、つまり学校文化が当たり前になりつつあり、子どもを生産労働に参加させながら、教育と結びつける、ということをそのままやろうとすることが時代に合わなくなってくるのである。
そこで、日本の戦後の民主的な教育学・教育運動は、この「生産的労働」を「生活」に読み替えるようになった。「座学と生活実感」の差。「詰め込み教育と、納得してわかることの差」である。
簡単にいうと、ひたすらなんの実感もないことを暗記してつめこむようなやり方と、勉強していることが自分の生活している世界につながっていて一つ一つのことが実感があるようなそういうやり方との違いである。
算数のかけ算が自分の生活と結びついていないというアレ。
「人権」の勉強はするけど、それは抽象的な自分とはカンケーない話であるとか、どこか遠くの発展途上国の「ヒサン」な子どもたちの話であるとかいうふうにとらえて、今自分の目の前で校則で自分がしばられていること、お金がないために大学にいけないこと、わからない授業を詰め込まれていること、そういう問題を解決する道具として「人権」をとらえないというアレである。
いやー、この前、高校生の娘と一緒に地理の勉強やったけどさ、もう南北アメリカの山脈名とか河川名とか都市名を丸暗記なんだよね! 例えばニューオーリンズがどのあたりにあって、ジャズで有名とか、『BLUE GIANT EXPLORER』でも出てきたよねとか、そんなの一切ない! ひたすら暗記。
学校で勉強する「概念」には自分の経験が伴わない。
これは「経験と概念の分離」という近代一般の課題である。
戦後教育学はその克服をめざすとともに、独占資本主義下での上から植えつけられる「偏差値や受験のためのつめこみ教育」に対して、生活の実態から一人一人がわかる・理解できる教育を目指し、そこから現実を批判する目を育て、社会変革へとつながる教育を対置しようとした。
戦前の「生活綴り方運動」などもこの流れに位置づけて、そこから全面的な発達へとつなげようとしたのである。
これはこれで大いに意味のあることではあった。
でも。
それって、マルクスの元の命題(生産的労働と教育の結合)の意味を遠く離れているいるんじゃね?
…っていうのがぼくの素朴な感想である。
戦後教育学はそれをマルクスの元の概念と整合的に捉えようとして無駄に複雑化し難しくなっていった。目の前の子どもの現実ではなくマルクスの命題を基礎にしようとしたことが生んだ悲劇であるように思う。
例えばその一人である川合章などを読むと、彼は社会主義になれば「総合技術教育」をやるんだと張り切っているのであるが、そこへどう接合するか四苦八苦している。
全面的に発達した個人を生み出すということは、今日でも通用する、そして教育の目的にすべきすばらしい命題とは思うが、それを「生産的労働と教育の結合」という命題を媒介にしてしまうと、いろんな無理が入ってくるのである。
だから、志位和夫は教育を語る際に、今さらこの命題を引き合いに出す必要はないのである。
誰かなんとか言ってやれよ
関係ないが、志位和夫は、自分が学んだであろう1970-80年代あたりの学問命題を無批判に持ち込みすぎるきらいがあるように思う。この「生産的労働と教育の結合」もその一つだ。
2022年に志位が民青同盟に入った学生たちを相手にやった『科学的社会主義Q&A 学生オンラインゼミで語る』のなかで「物質の階層性」を持ち出したときには、ちょっと呆れてしまった。
これは新入生として入ってきた学生たちを相手に科学的社会主義とはどういうものかを語るゼミだったのだが、そこでいきなり志位は「物質の階層性」を語り出したのである。
ミクロの方にいっても、マクロの方にいっても、果てがない。無限に続く。これが「物質の階層性」という自然観なのです。
そしてそれぞれの段階では、物質の運動は、それぞれ固有の運動法則によって支配されている。…この階層は互いに独立したバラバラなものではありません。ここでいう「物体」というのは「分子」で説明できますよね。「分子」というのは「原子」で説明できます。「原子」は「素粒子」で説明できる。このようにお互いに依存しあい、関連しあっています。相互に移行もします。そういう豊かな関係をもっているわけです。これが「物質の階層性」という弁証法的な自然観なのです。(志位前掲書p.58-59)
そして物理学における坂田昌一とハイゼンベルク論争について紹介しだすのだ。
これを長々としゃべるのである。
気候変動だの貧困・格差だのを関心を持って民青に入ってきた学生はびっくりした。びっくりといってもいい意味でかどうかは甚だ不明である。素粒子がとかクォークがとか言われて、なんのことやらわからない。今日なんの話を聞きにきたんだっけ。
ぼくは福岡県の民青の幹部だった人に話を聞いてみたのだが「もう本当にびっくりしました。こっちは新入生を必死で呼んできて、さあ科学的社会主義っていうのがわかるよってみんなで視聴し始めたら全然わからない。ポカーンとしてみんな聞いてる。次第に眠っていく人もいる。そりゃ、勉強のできる大学の人とかは面白いかもしれませんけど、こっちではホントに苦痛でした」と言っていた。
当時ぼくの身近にいた地方議員も「寝た」といっていた。
本当に学生たちに向けてどういう話が必要なのか、リサーチしたり補正したりすることができないんだろうか。
志位は何か、難しいことをしゃべろうと気負いすぎていないだろうか。わかりやすいことは根本的なことであり、ラジカルなことである、という基本に立ち返ってほしい。科学的社会主義を語るというのはそういうことのはずだ。
「草稿」を使ったり、聞き慣れないテーゼを口にしたりすることではない。
誰かなんとか言ってやるべきだろう。
*1:もちろん、19世紀の資本主義下での過酷な児童労働があまりにひどい歪みであり即刻是正されるべきものであることは、マルクスは正しく告発している。
*2:今日、この視点が生きるとすれば、生涯学習やリスキリングの経験だろう。「終身雇用」が大きく動揺して、一定期間で転職するのが次第に当たり前になりつつある中で、たえずアップデートされた労働力であることが求められる。「学び」は高校や大学までの「若い頃の学校」の中だけでは終わらず、成人してからも絶え間なく求められる。しかしそれが資本主義の歪みはあっても、「新しい自分」、全面発達に向けた一歩を踏み出していることもまた事実である。ぼくの知っている民青の専従職員は、活動で心身を壊し、薄給にも耐えかねて専従をやめた。その人は職業訓練校に通い、プログラミングを学んで今は「全く新しい自分」を獲得している。思いもよらない自分の一面を開発したのだ。だが、そういうことは社会主義の中でも生産的労働と結びついて行われるのかどうかはわからない。