中北浩爾『日本共産党』

 中北浩爾『日本共産党 「革命」を夢見た100年』(中公新書)を読了。細かい評価は別にして「本としてどういう印象を持ったか」をざっくり書いておきたい。

 組織構造や政策などを論評するという「ヨコの軸」での本ではなく、100年の歴史を振り返ることで「日本共産党」という政党を論じる「タテの軸」での本である。

 日本共産党は世界的にみて資本主義国では共産党という名前の政党が極端に小さくなったり消滅する中で「かなりの踏ん張りをみせている」(p.24)という評価をしている。

 そのような「かなりの踏ん張り」はなにゆえ生じているかをみたときに、一言で言えばソ連や中国の影響を脱して、「宮本路線」、つまり1961年に現在の原型となる綱領を確定し、指導者であった宮本顕治が率いてきた自主独立の路線によるものだと、中北は考えているのである。くわえて中北は、武力闘争(暴力革命)路線を完全に捨てて、「平和革命路線」に変化したことをもう一つの重要な共産党の変化だとしている。自主独立と平和革命——この2点を資本主義国に適合した政党に変わる上での重要な変化だと見ているのである。

 現在の路線はこの「宮本路線」の延長であり、その遺産で食べていると見る。だから逆に言えば、この路線の延長ではさまざまな限界があるのだとも見ている。したがって中北は今後日本共産党が生き残って発展していくためにさらなる変化の方向を示している。それは2つの道なのであるが、どんな方向を用意しているかは本書を具体的に読むべきであろう。

 自主独立の「宮本路線」が生まれてくる前史として、戦前の未熟な活動、およびソ連・中国に振り回された戦後初期の歴史が対比される(1章と2章)。

 もちろん、日本共産党としてはこの部分はとりわけ反論したくなるものばかりに違いない。

 ただ、日本共産党の綱領においても例えば戦前の活動を

党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。

と叙述し、不破哲三でさえ、戦前の党史については

いまから見たら考えられないような間違いをおかした歴史もありました。(不破『日本共産党史を語る 上』p.34)

と述べており、中北の1章(戦前史)の叙述は、その部分を中北流に徹底的に拡大したものだとも言える。

 そして2章における、戦後当初のソ連や中国への「従属」ぶりについては、不破も体験的に次のように書いている。*1

ソ連覇権主義の問題は、私たちの現在の認識であって、当時の私たちは、ソ連スターリンにたいするその種の見方は、一かけらも持っていなかった、ということです。

 レーニンがつくった党で、その後継者であるスターリンが先頭にたち、世界大戦でヒトラー・ドイツを撃破して反ファシズムの戦線を勝利にみちびいた、その時、連合国の一員だったアメリカが反動の側に転じた時に——そのことは、日本の占領政策の変質で、私たちが日々身をもって体験していたことでした——、世界政治の舞台で平和と民主主義の陣営の大黒柱として頑張っている、これが、ソ連にたいする私の当時の見方で、おそらくこの点は、日本の共産党員の多くが共有していた見方だった、と思います。(不破前掲p.190)

全体としてスターリンへの信頼は絶大で、こういう人物が間違うはずはない、と本気で思っていたものです。(不破前掲p.191)

 1章・2章はこうした部分の中北による拡大辞であって、日本共産党としては反論したいことはいっぱいあろうが、まったくの「根も葉もないデタラメ」ではない。

 それにしても1章の戦前の未熟きわまる活動の叙述、2章のソ連・中国に振り回されついには武装闘争にのめり込んで壊滅的な打撃を受ける叙述は、それが深刻であればあるほど61年綱領を確定してからの自主独立路線がいよいよ光るとは思うのだが、1章・2章の「日本共産党ダメっぷり」の叙述は胸が悪くなるほどなので、熱烈な共産党ファンとか最近共産党に入ったばかりの人は耐えられないかもしれない。(逆に言えば3章3節以後は「ぼくらがよく知っている日本共産党」である。)

 

 まとめるけど、

  1. 日本共産党は自主独立・平和革命の「宮本路線」によって先進資本主義国の共産党として飛躍し、現在もその遺産で食べている。しかしそろそろその遺産は尽きつつつあり、生き残りと飛躍のためにはさらなる発展が必要だ。
  2. このような自主独立・平和革命の「宮本路線」が生まれるまで、戦前の未熟極まる活動と中ソに振り回されてついには暴力革命をふりまわすに至る苦い戦後史をもっている。

というのが中北が描く「共産党の100年」なわけだ。

 

 日本共産党としては公式にはこの本のあれこれにいろいろ反論はしたくなるとは思う。それは仕方がない。ただ、1.と2.のような骨格として本書をまとめてみれば、一つの見識、フェアな見方ではないかとぼくは思うのだがどうだろうか。

 2.の記述にイライラしてしまうかもしれないが、2.の酷さを脱却して、1.が非常に高く評価されているとみることもできるのだ。

 中北の言っていることの枝葉末節ではなく、その核心を取り出して耳を傾け、中北の主張のコアの部分と「対話」を行って、真摯な回答をしてみる——というような対応を日本共産党には期待したいところである。

 

 余談であるが、ここで書かれた歴史の中で、

  • 野坂参三ソ連のスパイではないよ。
  • 「人民的議会主義」方針の採用は、平和革命路線において、けっこう大事な発展じゃねーのか。

という2点は注目した。

 人民的議会主義は、議会の内部で全てを考えて完結させてしまう「ブルジョア議会主義」でもなく、かと言って議会を軽視する「暴力革命」路線でもない、共産党独自の議会に臨むスタンスである。国会・議会の外の社会運動と結びついて政治を動かす(改良と政権獲得)という点にエッセンスがあり、国会でも地方議会でも、日本共産党に寄せられている信頼の多くはこの方針に基づいているもので、ここへの着目は慧眼である。

 詳しくは別の機会に。

 

 

 

 

*1:ネットなどで、この時代の「アカハタ」とかの記事を貼って「ほうら日本共産党は実はソ連スターリン万歳だったんだぞ」と言っている人がいるが、まあなんと言おうか、別に日本共産党もそのことは公式に認めているのである。