前回「偶数と偶数の和は偶数である」にちなんだ問題を、うまく教えられないという記事を書いたところ、ブログのコメント欄、ブックマークコメント、ツイッター、トラックバック、転載ブログ(ブロゴスなど)のコメント欄でたくさんの反響をいただいた。
すべて読んだ。
辛口の意見もふくめて、深く感謝したい。
こういうとき、インターネットはとてもありがたいものだ。
さて、この問題、リベンジする機会があった。
毎週無料塾をやっているからである。
この中学生を仮にRくんと呼ぼう。
「要素の分解を」「具体的な数でイメージを」
Rくんへの教え方について、ネットでは
- 一つひとつ要素を分解してつまずきを発見しろ。
- 具体的な数でイメージを確立しろ。
という意見がかなり多かった。
前回の記事では端折っていたのだが、ぼくなりにやっていたつもりだった。しかし、ブコメなどを読んで分解の仕方、一つひとつの確かめ方が甘過ぎた、という反省をした。それを今回やっていったのである。
偶数はどう表せる?
まず「偶数ってなんだと思う?」と聞いた。
そうするとRくんは即座に返したのである。
「2の倍数です」
おお、これは……。予想外の反応だった。「2できれいに割れる数」みたいな言葉になるかなと思っていたら、いきなり定義めいて返ってきたからである。
そうそう、そのとおり、といって次にすすんだ。
そうすると、偶数というのは、
2×□
の形で書けるよね、とぼくは言った。Rくんはうなずく。
たとえば8や14が偶数であることを示そうと思ったら、
8は2×4
14は2×7
と表せるよね、と言った。また、Rくんはうなずく。
じゃあ、4はどうかな、と聞いた。
Rくんはしばらく考えて、
4=4×1
と書いたのである!
うおお……これは一体……どうしたらいいのか。
「えーっと…偶数っていうのは2の倍数だってRくんは言ったよね?(うなずく)だったら、
2×□
の形になるんじゃないかな?」
と再度聞くと、困った顔をしている。
そしてRくんが次に書いたのは、
4=4×□
であった。
な、なんだってー!?
そうきたか……。
「えーと、2の倍数、つまり2×□だから、2×2だよ」
というと、あっそうか、という顔をした。
以後、
10は? 10=2×5
26は? 26=2×13
50は? 50=2×25
64は? 64=2×32
とこれはスラスラ解いていった。
「和」がわかっていなかった!
さて、ここで、「偶数と偶数の和は偶数である」ということを具体的な数字で確認する作業に入ろうと思った。が、念のため「偶数と偶数の和」ってわかる? と聞いてみた。
すると、
「……」
おおっと…。ぼくのノートにでっかく「和」と書いた。
「和」ってどういう意味かわかる?
Rくんはしばらく考え、
「割り算の答え……?」
とつぶやいた。
ああ。ごめんよ。本当にごめん。
ちんぷんかんぷんの中に君は放置されていたんだね。
本当に申し訳なかった。
「残念。ちょっとちがうな。それはショウ(商)っていうんだよ。和っていうのは足し算の答え。だから『偶数と偶数の和は偶数である』っていうのは、『どんな偶数とどんな偶数を足しても、その足し算の答えは必ず偶数になるっていう意味なんだよ」とぼくは言った。
偶数+偶数を2×□の形でくり返す
ここでぼくはちょっと焦った。1時間で別の予定のためにいったん抜けないといけなかったからである。
「4=2×2 8=2×4だよね。
どちらも偶数だ」
Rくんはうなずく。
「4と8を足したらその答えが偶数になるよっていうことを示すときに、
4+8=(2×2)+(2×4)
=2×(2+4)
というのはわかるかな」
ブコメでぼくが「しゃべり過ぎ」と批判されているゆえんかもしれない。果たしてRくんは「わかりません」と言った。
うむむむ……。
実は、この問題をとく前に、かなりたくさんの量の文字式をRくんは解いていた。
「2a+2b、これをカッコをつけてまとめなおしてくれる?」
と聞くと、
2a+2b=2(a+b)
と解いた。そうそう、そうだね。正解。
こっちの方がRくんにとってはよくわかるのである。aやbが具体的な数字になると逆にこのことが忘れられてしまう、というか結びつかなくなるのである。
これってさ、
2a+2b=(2×a)+(2×b)=2×(a+b)
っていうことだよね。Rくんはうなずく。
さっきの式でいえば、a=2 b=4になっただけだよね?
もう一度さっきの式に戻ってもらう。
4+8=(2×2)+(2×4)
=2×(2+4)
これ、わかる? こんどはRくんもうなずいてくれた。
2×□が偶数だから、(2×2)も、(2×4)も、2×(2+4)も偶数だよね、と確認すると、Rくんはうなずいた。
じゃあ、6と10を同じようにして、偶数であるということを示してくれないかな、と聞く。
6=2×3
10=2×5
6+10=(2×3)+(2×5)=2(3+5)
とスラスラ書いた。……(1)
次は10と34はどうか。……(2)
10=2×5
34=2×17
10+34=(2×5)+(2×17)=2(5+17)
100と26はどうか。……(3)
100=2×50
26=2×13
100+26=(2×50)+(2×13)=2(50+13)
12と12はどうか。……(4)
12=2×6
12=2×6
12+12=(2×6)+(2×6)=2(6+6)
ここまではRくんはスラスラ解いた。最後の式の形に×を用いないのもRくんの書き方をそのまま再現したものである。
ぼくは(1)〜(4)に赤ペンで印をつけ、
偶数と偶数をたすと、
2○+2△
で表せることを確かめた。(1)〜(4)の式の最後もすべて2×□の形になった偶数であることも確認した。
いよいよ「正さん」の主張にとりかかるが…
さて、問題文では、正さんというヤツが、「偶数と偶数の和は偶数である」という説明として、mを整数として、2m+2m=4m、だから偶数だ、という説明をしていて、それが誤っているかどうか、理由を示して説明しろとしている。ちなみに「証明」ではなく、「理由を示して説明しなさい」が問題である。*1
で、Rくんに、正さんの主張を読み直してもらう。
「どう? 説明できる?」と聞くが、しばらく考えても返事がない。首をひねった。
「正さんは正しいと思う? 間違ってないと思う? これはこれでアリなんじゃないかなって思う?」と聞く。
最後のところでコクリとうなずく。
もう一度確認する。
「えーっと、この説明でもいいような気がするってこと?」
Rくんはうなずく。
「そうだね。これでもいいよね。実際にハメてみようか。mは整数だから、6を入れてみよう。そうすると……(やってもらう)
2m+2m=(2×6)+(2×6)=2×(6+6)
たしかに、偶数になったね」
「ただ、ここで、大事なルールがあるんだけど、たとえばmって文字をおくでしょ。それで別のところでもmっておいたら、そのmとこのmは必ず同じ数字をいれないといけないんだよ。だから2m+2mで最初のmを6にしたら、次も必ず6を入れないといけないんだ」
そうすると、どうなるだろうか。って考えてもらった。
しばらく考えてもらったが「……」と無言のままである。
つまり○と△が同じ数字、つまり同じ偶数を足したものしか表せないってことになるよね。と言う。Rくんはうなずく。「(1)〜(4)ではどれだと思う?」と聞くと、(4)だと答えた。
そうそう、その通り。
(1)〜(3)を表すためには、○をmにしたら、△をちがう文字にしないといけない。xでもいいし、yでもいいし、nでもいいし、aでもいいんだ。まあ、yにしようか。だから、偶数と偶数を足すということを表すと、
2m+2y
これなら、(1)(2)(3)は表せるよね!
あっ、でも(4)は表せないかな。mとyって違うもんね。
でもね、ここでルールがあって、mとyは同じでもいいってことになってるんだよ。mとmにしちゃったら、絶対に同じ数字を入れないといけないんだけど、mとyにして、たまたまmとyが同じ数字でもオッケーなんだよね。だから(1)〜(3)だけでなく、(4)もぜんぶ表せるんだよ。
ここは自分でも弱いなと思った。文字に置き換える、一般化する、ということをもっと丁寧にしないといけない、と思ったが、時間がなくてそうしてしまった。今は反省している。
2m+2y=2(m+y)
これは2×□の形になっているから、これならどんなときでも偶数だって言えるよね、と言った。Rくんはふーんというような顔をしている。
「結局、正さんの説明ってどうだったと思う?」
もう一度聞くが、うーんという顔をしたまま、答えない。
解答に至らない
「正さんの説明だと、同じ偶数と偶数を足したときの和しか表せない。だから間違いというか、不十分だよね」
Rくんは、うなずく。
「じゃあ、答を自分なりに書けるかな」
そういってうながしてみるが、しばらくしても考え込んでいる。
「ぼくの説明だとわからなかった?」
と聞いてみたが、返答に困っているようだった。そこで、
「だいたいわかったけど、どう書いていいかわからない感じ?」
と聞くと、うなずいた。やはり「理由を示して説明せよ」という問題の出し方がRくんには難しいようだった。確かにぼくもどう答えていいか戸惑う。*2
「じゃあ、『正さんの説明だと、同じ偶数と偶数を足したときの和しか表せない。だから正さんの説明では不十分』って書いてよ」
と言った。Rくんはそのとおりに書いた。ここまでで約1時間。リベンジ戦は敗北というべきだろうか。
連立方程式はどんどん解いていく
ぼくのそのあと、自分の用事(学童保育の総会)に行って、戻ってきたのだが、Rくんは次の単元である連立方程式へ進んでいた。すると、そこではぐんぐん先に進んでいるのである。スラスラ解いているのである。
実は、こうした光景はこれまでもRくんについて見られた。
Rくんは、たとえばぼくが宿題を見た当初、
5xy−4xy=1
などと書いていた(むろん正解はxyである)。
このとき、xyのような文字は加減(足し算・引き算)では、消えないことを教えただけだった。すると、以後スラスラと解いていったのである。
しかし、いま考えてみると、なぜそうなのかが全然理解できていなかったのではないかと思う。つまり、Rくんは、ある手順にしたがって機械的に式を解いていくことはできるけども、なぜそうなのかという理解がかなり崩れているのではないかということである。だから連立方程式を解くのは手順にしたがって「簡単に」できるけども、文章題のようなもの、とくに「理由を示して説明しなさい」などというものに出会うと、どうしていいかわからなくなってしまうのだろうと思った。*3
同じようにRくんがつまずいた問題で、下記のようなものがあった。
(問い) 高さh、底辺の半径がrの円柱がある。高さはそのままで底辺の半径を倍にしたものを円柱A、底辺の半径はそのままで高さを倍にしたものを円柱Bとする。Aの体積はBの何倍か、答えなさい。
Rくんはいきなり式も何も書かずに「同じ」と解答欄に書いた。
なぜそう思ったのか聞くと、
「Aは半径が倍になったかわりにBは高さが倍になっているから」と答えた。そしてそれは一切の説明ぬきで解答をしてしまうのである。
「きちんと体積を求めて比べてみようか」
と促すと、ちょっと手間取ったけども、円柱の体積は底面積×高さなので、
Aは高さh、半径は2rだから
Bは高さ2h、半径はrだから
Aの体積はBの体積の2倍
ということをきちんと導けたのである。
思うに、この問題をちょっとした誘導で答まで出せるのは、手順がかなり定まっていて、最後の説明が難しくないからであろう。
というわけで、ぼくはRくんの課題を、
- 一つひとつの概念を確認してあやしいものはつぶしていく。
- 具体的な数字を積み重ね、簡単な文字を使う操作に慣れてもらいながら、一般化するということを肌身で知ってもらう。
- 「証明」のような形ではなく、理屈で説明してもらうことを、簡単な問題でいくつも慣れていってもらう。
などではないかと推察した。
いろいろご意見はあると思うが、以上がぼくが達した暫定的結論。
無料塾について
ところで、コメントで無料塾について賛否の意見があった。
いろんな形態やレベルがあるので、あまりぼくの体験しているところを一般化しないでほしいが、ぼくが参加している塾は、基本は宿題をめいめいが勝手にやって、わからないところを「先生」に聞くというもの。体系的に講義はしていない。「家だとサボってしまうので、ここに来て宿題をやる会」みたいなもんだと思ってほしい。
子どもたちは塾には自発的に来ている。
いやになれば来なくなるだけだ。「月謝を払ったからいやいや来ている」という惰性は働かないし、仮に塾には来ても、説明が抑圧的なら質疑応答を拒否するだろう。塾に来て質問している、というのは、一応ぼくをはじめ「先生」たちの説明を受け入れているという遠回しの証明になっている。
お金がないから、彼らは他の社会資源を利用できない。無料塾がなければ放置されるしかないのだ。
もちろん、学校(公教育)で落ちこぼれないような体制をつくる、そのために予算を充当するのが本筋である。プロでないぼくらがやらざるをえないのは、あくまで緊急避難にすぎないことは承知している。