川村拓『事情を知らない転校生がグイグイくる。』

 小学校のクラスで「死神」とあだ名をつけられいじめられている西村さんを、「死神」なんて「クールでかっこいい」と思って「グイグイ」好意を寄せてくる転校生・高田くん。

 

 

 この話が面白いのは、高田くんがいじめを外在的に批判(「いじめは良くないよ」的な批判)するのではなく、いじめ側が使っているロジック(「死神」)をそのまま引き受けてしまって、価値の根本転倒(「死神ってかっこいい!」)をさせてしまうからだろう。しかも意図的・意識的にやるんじゃなくて、本気でそう思っている。

 

 いじめっ子たちが高田くんのそばにやってきて、西村なんかと遊ぶな、こっちに来いよと誘うと、高田くんは、君たちも面白そうだけど、ただの人間だからなあというと、いや西村だってただの人間じゃねーかといじめっ子たちは返す。

 高田くんはそれに不思議そうな顔でさらにこう言うのだ。

 

西村さんは 死神なんでしょ?

君たちがずっとそう言ってたじゃん(真顔)

 

 幼稚ないじめの言葉をわざわざ取り出して、さらけ出し、宝物のようにハシャギ回る高田くん。

 

 いじめをしている人たちだけでなく、くだらない相手を批判するときにもっとも痛快なのは、相手の内的な論理に飛び込んで、それを内側から批判するやり方だろう。ネットでも見るし、議会質問でもそういうのが優れていると思う(笑)。

 

 白い服を着てきた西村さんを、クラスの女子(笠原さん)が「白い服きてても死神」とからかうが、高田くんは、それは「かわいい(白い服)」上に「かっこいい(死神)」という最強のコンボでは? とある意味でロジカルに受け取る。自分(高田)は「かわいさ」にしか気づけなかったが、笠原は「かわいさ」と「かっこよさ」の二つの価値を発見できるなんてすごい! と無邪気に驚く。

 なんというロジカルな無邪気さ!

 高田くんは圧倒的に論理的である。その論理に我々は惚れ惚れとするのだろう。

 

 

 

 そして、西村さんの容姿。

 「死神」と言われるビジュアルだけあってなるほど多少クラくて陰がある。しかし、それは大人たるぼくの目から見れば、アホな「ガキ共同体」から一歩抜け出した知性を帯びたクールさなのだ。いや、まさに、高田くんの目線と同じように、ぼくらは西村さんに萌える。リアル小学生女子の父親(ぼく)が小学生女子キャラに萌えるなどどうかと思うが、しょうがねーだろ。

 「自分の価値を初めて見出してくれた男の子」という少女マンガ的なときめきを、男子として享受しながらぼくはこの物語を読む。「ムフっ! 君を理解しているのはぼくだけだからね!」みたいな。いや……それだと、フーゾクで嬢に「やさしい声」をかけるオヤジにむしろ近いのかも…。