天沢アキ『ハマる男に蹴りたい女』

 ぼくが職場をクビになって放り出されたことを、ネットニュースで、しかも自分が作った会社の後継社長経由で知らされた父が、びっくりしてぼくに電話をかけてきた。

 電話で簡単に経過を説明すると、「そうか。わかった。お前のやることだから信じてる」と言って納得したふうで電話を切った。ぼくが何か不祥事をしでかしてクビになったのではなく、幹部ににらまれて追い出されたということを直感的に理解してくれたのである。

 保守的な父であるが、ぼくが成人式の代表を市によって一方的におろされたときも、市のやり方に憤懣やるかたないという態度を表明してくれたのが父だった。

 それでも近いうちに実家に帰ってちゃんと説明しようとは思ったが、その前に手紙を書いて出した。

 その手紙の中でぼくは経過を次のように書いた。

 去年の2月に、「組織内選挙でトップを選ぶべきだ」と主張する本を出したMさんが、組織トップの逆鱗に触れ、組織を追放されました。

 その直後に私は「Mさんの追放のやり方はおかしい」と組織の会議で意見を述べたために、同じく組織幹部の怒りを買い、「紙屋はルール違反をした」とありもしない罪を着せられ、「お前はMの仲間だろう」「Mと連絡を取ったのか」「本心ではMをどう思っているのか」などと厳しい尋問を受け、「反省文を書け」「謝れ」となんども迫られました。

 私は頑として拒否しました。まったく身に覚えがないからです。

 組織幹部は私を有罪にする証拠がなにも無いので困り果ててしまい、私のアラを探すためになんと1年半もかけて「調査」をしました。私が組織内で知り合った若い人たち数名と温泉に遊びに言ったことまで調べ上げて、その若い人たちを呼び出して「紙屋と温泉に行っただろう。何を話し合ったか洗いざらい言え」というひどいプライバシー侵害までやる有様でした。

 もちろん何も出てきません。1年半かけて「証拠」が全く出てこないのです。当然です。「ルール違反」になるようなことは、何もしていないのですから。そこで私を事あるごとにいじめて追い出そうとしました(いわゆるパワハラです)。

 しかし、それでも私が屈せず、まじめに仕事をしていたため、とうとうろくな証拠がないままに組織幹部は私を追放・解雇することにしたのです。

 私にはすでに応援してくれる人や弁護士の方々がついており、まだわかりませんが、おそらく裁判になると思います。組織の内外で私の追放を「おかしい」という人が、たくさんいるのです。 

 組織幹部の不正をきちんとただし、まだまだ世の中にとって意義が大きいこの組織を、私はしっかりメンテナンスしたいと思っています。

 以上の話は、誰にしていただいても差し支えありません。

 私が組織幹部の不正を見逃さず、長いものに巻かれないで信念をつらぬいた結果ですので、誰にも恥じるところはありません。むしろ誇りに思ってください。

 話が後になって本当に申し訳なかったのですが、心配をかけまいと思ってのことですので、どうぞご勘弁ください。

 父や母に話すために経過をまとめてみたのだが、自分でまとめたものを読み直して、改めて様々な企業や行政の中でいかにも起きそうな話だなあと思わずにはいられなかった。自分の特殊な経験の中に、思わず普遍性を見出したのである。自分の文章によってそれを再発見する不思議な気持ちになった。

 

 加えて、最近完結した(といっても4月に最終の単行本が出たのだが)天沢アキ『ハマる男に蹴りたい女』を最初から読み直していて、そう言えば主人公の一人である大手ビールの社員だった設楽紘一も、社内で大いに活躍していたのに、たった一つのしょうもない事件で役員(常務)からにらまれてリストラされたんだったと思い出した。

 

 本作はリストラされそうになり辞表を出した設楽が行き先がなくなり、もう一人の主人公でありWEB制作会社に勤める西島いつかの住む古いアパートの管理人になる話である。西島と設楽は、昔仕事で設楽が西島の仕事に対して非常に厳しい指摘をしたという因縁があった。しかし、管理人と住人の関係を続けるうちに、両者が惹かれあっていくのである。

 そういうわけで、本作は西島と設楽の恋愛がメインではあるのだが、ぼくの興味を引いたのは、それ以外に、設楽が管理人の仕事を終え、新しい仕事に飛び込んでいく様であった。

 設楽はひょんなことから、新潟のクラフトビールのスタートアップ企業の仕事を手伝う。

 その小さな新興企業の社長が自分のビールを説明するワクワク感を、直感的に感じ取るのである。

なんだか大事(おおごと)になってきたぞ

でも 感じたこのワクワクを

無視してしまったら

おれはまた沈んでしまうだろう

 そう考えて、社長のいる新潟についていってしまうのだ。

 設楽は元いた大手ビール会社の同僚に、地方の会社でいいのか、設楽ならもっと大手でも引きがあるんじゃないのかと揺さぶられてこう返す。

…まあ おれも

悩まなかったわけじゃないけど

当たり前に歩いてきた道を外れて

戻ろうとするんじゃなくて

その時その時の

選んだほうへ進んでいくのも

いいんじゃないかってな

 設楽が出した結論は、ぼくが出した結論とは真逆である。

 ぼくは、自分を不当に追い出した組織に戻ろうとしており、そのためにたたかおうとしている。

 だけど、それは一見正反対のように見えて、自分の中にある「ワクワク」…とまではいかないが、自分の気持ちに正直になってみるという点では、実は設楽と自分は似ているとも思う。

 ぼくの知り合いの中には「もうひどい目にあった過去は忘れて、まったく新しく前向きに人生を歩んだ方がいいよ」と善意で忠告してくれる人もいる。しかし、組織幹部の病巣をしっかり切除してその不正をただし、組織をメンテナンスすることの方が、自分には明らかに前向きになれる要素がある。繰り返すがそれを「ワクワク」とまでは呼ぶのはどうかと思うが、ある種の使命や躍動を感じずにはいられないのである。

 設楽が「商品を体験して広めていく」というそれまで自分がいた大手ビールとは大きく異なる手応えのようなものに新しさを感じたのと同様に、ぼくは今組織を追い出されたある種の自由さから、組織の問題点を指摘することができるようになった。

 それはそれで一つの道ではないかと思うのである。

 

いちゃいちゃしているところを読みたい

 まあ、それはそれとして、本作の大事なところは、他にもあって、やっぱりそれは、西島と設楽が不器用にいちゃいちゃするグラフィックだろう。

 6巻ある表紙が全部その系統なのは、まことに慶賀にたえない。

 

 

 

 5巻や6巻で部屋でいちゃいちゃしているのが特にいい。

 そこで設楽が

いま衝動のまま動くことにしたんだ

といっているように、この作品では衝動ということがテーマになっている。

 ここでいう衝動というのは、その時自分を突き動かすような根源的なものということだろう。仕事でも恋愛(性)でも。

 それは今ぼくのテーマでもあるから、この作品が噛み合うのだと思う。