ちばてつや『ひねもすのたり日記』

 前にも書いたかもしれないが、まもなく傘寿を迎える父の生い立ちの聞き取りをしている。これが滅法面白い。

 あまりにたくさんのエピソードがあってどれも興味深い話ばかりなのだ。

 戦後の食糧事情から、自分がどのように農家をやめ商人になっていったかという話などを聞く。

 三河地震についても聞いた。1945年1月に起きたマグニチュード6.8のこの大地震震度7と言われ、愛知県の三河地方南部周辺に大被害をもたらした(死者2306人)。

 

戦争に隠された「震度7」: 1944東南海地震・1945三河地震

戦争に隠された「震度7」: 1944東南海地震・1945三河地震

 

 

 「三河地震第二次世界大戦末期の報道管制下で発生したため、被害の詳細な調査や報道が困難だった」(木村玲欧『戦争に隠された『震度7吉川弘文館、p.20) 。したがって当事者がまだ生きている今でなければ証言は聞けない。

 

 ぼくの家には犠牲者は出なかった。それは不幸中の幸いであった。しかし家は壊れはしなかったものの、傾いてしまった。家には入れないので、藁を屋根にして「コンバリ」(おそらく「棍張り」=太い丸太ではないか)を組み、「仮設住宅」を作ったようで、それで1年ほど暮らしていたという。終戦詔勅もその家で聞いたらしい。

 家をどうやって直すのかといえば、昔は家を建て直すのではなく、「シャリキ」(おそらく「車力」=車を引くような力仕事をする人夫であろう)を呼んで、家を引っ張ってもらって直した。「家を引っ張る」だって!?  そんな、工作みたいな……。

 それだけではなく、「コンバリ」が家の内外に無数に掛けてあって、倒れないようにしているのだ。「コンバリの間で餅をついたりした」(父)。それが一本外れ、二本外れ、藁の「仮設住宅」から本宅に戻り、「コンバリ」の間で生活し、それが次第に外れていき、とうとう父が結婚する直前に全て外れたという。十数年かかっている。

 

 他にも、戦後になって農家を継いだ父だったが、どうも山っ気が抜けず、商売への憧れが強かった話なども印象的である。

 三河地方から、名古屋へ梨を車に積んで売りに行く。実家の周辺は梨をたくさん栽培していたのである。

 父によると名古屋に行くと、その地域のボス格の主婦を見つける。その主婦に「コマセ」をまくつもりで、傷んだ二級品の梨をたくさん無料で分けて味方につける。するとそのボス主婦がオルガナイザーになって、人をどんどん集めてきてくれるのである。梨は飛ぶように売れたのだが、堅実を絵に描いたような父の父、すなわちぼくの祖父は山師のようなこの父の商売に不安を感じたようで、祖父の反対に遭い、やめざるを得なかったという。

 

 目玉が飛び出るほど珍しいエピソードというわけではない。むしろ平凡な人生なのだろうが、戦争から四半世紀もたってから生まれたぼくのような人間からすると、その平凡な日常が興味深いのである。

 

 そして、最近、ちばてつやひねもすのたり日記』を読む。

 

 

 満州からの引き揚げはすでに別の作品で読んではいるのだが、やはり壮絶なものである。しかし、それ以外の戦後の日常を綴った部分も、率直にいって、やはり目玉が飛び出るほどの珍しさではない。平凡な日常の一コマなのである。しかし、そういう平凡な日常そのものが興味深いのである。

 

 例えば2巻では、ちばてつやが千葉に引き揚げ、その学校でいきなり九九の授業を受ける話が出てくる。

 

 

 スイカすら見たことのない文化ギャップを抱えていたちばは、自信のなさげな子どもであったように描かれている。日本の学校の授業とも大きなギャップがある。

 そこへきていきなり九九なわけだが、実は母親が内地に戻ったら九九ぐらいはできなくては、というので、引き揚げの最中にてつやに九九を唱えさせ続けたのである。

 したがって、まだ3の段しかやっていないクラスで、どうやら全部言えるらしいということで前に出されて全段を暗唱するように教師から促される。

 ちばは初めは自信がないのであるが、しかしやがて大きな声で全段を唱え終わると、クラス中の猛烈な賞賛を浴びるのだった。

 

勉強のことでほめられたのは、

生涯これが最初で最後でありました。

 

という謙遜の言葉とともに、この思い出の誇らしさが伝わってくる。

 どうということのない思い出には違いない。誰でもこの種の思い出は持っているはずなのだと思う。

 しかしそこに引き揚げの際の生活の匂い、女性教師の粗雑ながら温かい人柄、人生のごく小さな誇らしさの記憶が巧みに織り込まれている。

 ちばという一級の作家のなせる技とも思えるが、同時に、この種の「平凡な思い出」はどの人にも存在し、それを今のぼくらの世代が新鮮に受け止める素地があるんじゃなかろうかとも思う。

 だとすれば、今こそぼくらはこの世代に聞き取りをしたり、それを素材にマンガや創作の「ネタ」にすべきではなかろうか。人生史をつくればどんな人でもそれが1冊の本になるような気がする。まあ、それはよく言われるように「誰でも生涯に1冊は自分の人生を本として書くことができる」的な意味なのだろうけども。

上西充子『呪いの言葉の解きかた』

 昨年ぼくは「ご飯論法」の命名者の一人として流行語大賞をいただいた。「朝ごはんを食べましたか?」という問いに、米飯は食べていないがパンは食べたという事実を隠して「ご飯は食べておりません」と答弁する……このタイプのごまかしを安倍政権がやっているのではないか、という欺瞞の告発が形になったものが「ご飯論法」というネーミングであった。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 だがぼくの方の受賞はおまけみたいなもので、実際には、共同受賞した上西充子・法政大教授がこの手法を見抜き、暴いたことがまさに受賞の中心である。

 受賞の時に会場の近くのスタバで初めてお会いしたが、その時も、上西はこの論法が従来の霞ヶ関文学による単なる「ごまかし答弁」「あいまい答弁」とはどう違うかを厳密にぼくに語っていた。ぼくのツイッターのタイムラインに上西のツイートが流れてくるが、“リベラルっぽいツイート”に雰囲気で同調したりせず、言葉を緻密に分析する言語感覚の鋭さがある。

 まあ、「ご飯論法」という批判の実体を99.9%作った上で、命名だけの部分を律儀に区別して、ぼくに受賞の栄誉を浴させてくれるなんていうこと自体がその緻密さの現れだと思うけど。

 

 その言語感覚の鋭さを縦横に発揮したのが本書である。

 

 

呪いの言葉の解きかた

呪いの言葉の解きかた

 

 


 まるで魔法のおとぎ話のような題名だが、職場で、家庭で、政治の場でぼくらを一瞬して縛り、動けなくしてしまう「呪いの言葉」が本当にあるのだ。
 「嫌なら辞めれば?」「デモに行ったら就職できないよ」「母親なんだからしっかりしなきゃ」「野党はモリカケばっかり」……その「呪い」をどう解くのかを本書で考察する。

 


呪いが解ける瞬間

 ぼくが注目したのは、彼女自身が自民党議員から「捏造」にかかわる攻撃をされたくだりだ(p.156〜)。

 裁量労働制の実態をめぐり、安倍首相が“裁量労働制で働く人の方が一般労働者よりも「平均なかた」で比べれば労働時間が短い”という趣旨の答弁をしたものの、実はその「根拠」となったデータは政権の方向性に合わせて都合よくねじまげたものだったことが判明し、安倍は答弁を撤回した。

 しかし厚労省側はデータを撤回したものの、一番本質的な点では謝らずに、非常に瑣末的な部分についてのみ謝っていた。

 上西は、これに対して

この比較のデータが、うっかりミスで作れるようなものではないこと、これは政権の意図に合うように「捏造」されたものと考えられること、この比較のデータには、捏造と隠蔽の痕跡が多数認められること、そして同年二月の問題の表面化以降に政府が不誠実な対応を繰り返したことを、連載記事で示そうとした。(本書p.165)

 ところが、これに自民党橋本岳衆院議員がかみつく。

……ここまで「意図した捏造」と指摘するからには、「捏造を指示した連絡」などがそのうちきっと証拠として示されるものと期待してます。

 

このシリーズで上西教授が改めてとりあげている論点は、「その不適切な表の作成が、誰かの指示により意思を持って捏造されたものなのではないか」にあるのだと認識しています。ひらたく言ってしまえば、総理なり厚労相なりが指示して捏造したのではないか、と疑われているのでしょう。

 

 橋本は、上西が連載記事であたかも「指示」という言葉を使っていたかのように引用符(カギカッコ)を使って誤解させ、“捏造を指示した連絡が出てこなければお前=上西の言ったことはデマじゃねーの?”と言わんばかりの圧力をかける。

 ぼくだったら相手のロジックにハマって動けなくなっただろう。しかし上西は、相手が呼び込もうとしている土俵の欺瞞を見抜き、打ち砕く。

 上西は、相手が“捏造を指示した文書の有無”に土俵を持って行こうとしていることを見抜き、自分がそのようなことを書いてはいない正確に事を分ける。その正確さはまさに上西の面目躍如たるものがある。

 さらに弁護士らに相談し、記者会見を開くところまで準備を整える。

問題は単にやりすごすのではなく、不当な圧力に対してきちんと異議申し立てをすべきだと、この中原さん〔東京過労死を考える家族の会――引用者注〕の姿を見ていて私も思った。(本書p.171)

 橋本はあわてて表現の周辺を削除したり、修正したりする。

 しかし、上西は次のように判断する。

そうしている間に、カギ括弧内が引用ではない旨を追記したとの連絡が橋本議員からツイッターで入った。けれども、それが引用ではないことが追記されただけで、カギ括弧はつけられたままだった。その修正についても記録を保存したうえで、記者会見はそのまま開くことにした。削除や修正があっても、最初の投稿の事実が消えるものではないと、助言されたからだ。(本書p.171-172)

 ここも上西らしい厳格さだ。スタバで話を伺った時の上西を思い出す。

 そして記者会見で、同席弁護士からこれは政治家による「学問の自由」の侵害だという指摘を聞いて、それ自体が上西自身になかった観点だと気づく。

 相手の土俵を打ち砕く、まさに「呪い」が解かれる現場を見る思いがした。

 このエピソードには、本書で書かれている“呪いを解く”という点で重要な問題がいくつも詰まっている。

 

理論武装

 一つは、“呪い”を解くためには、理論武装、学ぶことが必要ではないかということだ。

 巻末に「呪いの言葉の解き方文例集」という“一口切り返し”が載っている。確かに「呪いの言葉」はまるで通り魔のように突然どこからともなくやってきて、ぼくらを傷つけ、支配する。自分が傷つかないようにするためには、とっさに切り返すことは結構大事なことだとは思う。

 しかし、根本的には、その呪いが持っている「実感」の強さ、「理論」的体裁の強度を打ち砕く知性がないと呪いは解けないことを、上西の本書は物語っている。

 例えば、本書のp.38からある、「そんなことをしたら店が回らなくなる!」的な呪い(経営側からの過剰な要求にも労働者は従う義務があるという呪い)については、上西はドラマ『ダンダリン!』の主人公・段田凛の言葉を紹介しながら、労働基準法をはじめとする労働法の精神を解いていく(労働条件を壊すような過剰な要求には従う必要がないし、労働者自身がそれを主体的に変えていける)。逆に言えば、労働法を知らなければ、この呪いは解けないのである。

 先ほどの裁量労働をめぐるエピソードでは、相手の土俵の欺瞞を見抜く論理の力、これが学問の自由への侵害だと認識する力、相手の“修正”に腰砕けになってしまわない戦略力などだ。そうした知恵がなければ呪いは解けない。

 

サポートの存在

 二つ目は、その知恵は、必ずしも一人ではなく、他人からのサポートや気づきがあって初めて得られるものも多いということだ。

 先ほどの裁量労働をめぐるエピソードを見ても、上西でさえ気づかなかったことは少なくない。記者会見でしっかり異議申し立てを行うこと、相手からの“修正”があっても最初の投稿の事実は消えないこと、これが学問の自由の侵害にあたることなどは、他人からの助言・指摘を受けて、初めて気づいている。

 一人で気づきを得ることは難しい。

 たとえ気づいたとしても本当にそれでいいのか、自信をもって主張し続けられるかはわからない。相当厳しいと思う。

 ぼくも、高校生の頃、全く組織とか仲間とかを持たずに、学校の校則押し付けに反対しようとしていた時、教師から一喝されて、泣きながら作ったビラを廃棄したことがある。自分のやっていることは間違っていないと思うだけに、誰からも肯定されないしサポートされない不安によって、ぼくは涙を流しながら自分の信念を破棄せねばならなかったのである。

 しかし、いったん組織(サヨ組織)を知り、知り合い・仲間ができたとき、自分の主張と行動にびっくりするような力強さが生まれた。同じことを主張していても、そこには理論の裏付けがあるし、自信がなくなりそうな部分をいろいろサポートしてくれる仲間ができたからである。

 

 ぼくは、この一つ目の部分は本書でいう自分の中から湧き上がってくる「湧き水の言葉」、二つ目の部分は他人から励まされたり気づかされたりする「灯火の言葉」に対応するのではないかと思って読んだ。

 

どうしたら「湧き水の言葉」を得られるか

 ただ、上西のいう「湧き水の言葉」はもっと奥深いもので、自分の生き方の肯定によって得られる確信を意味している。それを理論武装によって得られることもあるであろうが、上西が紹介しているのは、『カルテット』というドラマを題材にしたもので、「自分の生きかたを自分の言葉で肯定す、受け入れ合う」(p,253)という自己肯定である。このドラマに出てくる人たちは別に勉強して理論武装したわけではない。登場人物の4人が支えあうようにして生きかたを認めるのである。

 呪いというのは、ある種の生き方の否定であり抑圧なのだから、そのような呪いにかからない肯定感があれば、呪いはかけられないのだとも言える。たとえ反論できなくても、「何言ってんだコイツ? アホなの?」と思えれば、呪いにはかからない。

 アカネチャンのような態度。

www.youtube.com

 だが、それを方法論として示そうとすると存外難しい。この最後の「湧き水の言葉」は、結論としてはその通りなのだが、ではそのために自覚的にぼくらが何をやればいいのかと言えば、はたと困ってしまうのではないだろうか。

 ぼくはまず、学ぶこと、理論武装することから始めたらどうかと言ってみたい。それによって自分の生きかたを肯定し、呪いから抜け出せるのではないかと思うからだ。

 

 

 

 

萩原あさ美『娘の友達』1巻

 必死に出世街道を走っていたサラリーマンであると同時に、不登校になりかけた高校生の娘をもつシングルファーザーでもある主人公・市川晃介が、喫茶店でバイトをしていた娘の友達・如月古都と知り合い、二人きりのカラオケで抱きしめられたり、職場放棄して二人で新幹線で逃避行したりと、あたかも破滅をそそのかされるように、慰め・癒されるという物語である。

 

娘の友達(1) (モーニングコミックス)

娘の友達(1) (モーニングコミックス)

 

 

 「疲れませんか?」などと言って、上司であり父親であるという役割を全部捨てて、ただの「市川晃介」になってみてくださいと一体そんなことをいう女子高生がいるわけないじゃないか。おかしいだろ、これ。これはエロゲーの分岐画面なのか、セクサロイドなのか。

 ……などと賢しらに抗してみてもダメだな。何度でも読んじゃうんだよこの作品。こういうふうに癒されてみたいって思っちゃって、晃介目線で古都の顔とか体とかをじろじろみている自分がいる。

 

 逃避行へ誘われる前に、ここから逃げ出したいという心のつぶやきを口にしてしまう晃介に向ける古都の言葉、「おいで」ってなんだよ。素晴らしすぎるだろ。

 この瞬間、古都が実は女子高生ではないという錯覚を植え付けられてしまう。そう、これは女子高生じゃないんだよ。女子高生の姿をしただけの、すばらしい男性甘やかし機能を備えた別の何かなんだよ。

 

 連載の方がどうなっているのか知らないんだけど、1巻までのところは、キスしかない。しかし、晃介にとって、古都っていう癒しは、性的な存在でしかないんだから、別にこれからの展開においてキスで留めておく必然性はすでに全くないわけで、当然セックスまで進んでほしい。

 そして、晃介については、理性を取り戻して日常に戻るなんているヌルい流れにせず、できれば日常のしがらみを全て放棄して、どこかに流れ着いて、そこで古都と爛れた日常を送ってほしい。そして、破滅せず、漂着先で幸せになってほしい。そうなってこそ、理想的な癒しの妄想として完成する。頼むから、そうして……。

 

あいちトリエンナーレの話はどこが問題なのか

 あいちトリエンナーレで「表現の不自由展、その後」の展示が中止になった事件について、いろいろ対立や分断もあるようなので、整理するために、いまぼくが理解している範囲で以下書いてみる。

構図1:脅迫者―作家

 この事件のもとになっている構造は、図1である。

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 テロ予告や脅迫、嫌がらせ電話などをする人たち(A)が、作品展示をした作家(B)たちの表現の自由を妨害したのである。*1

 

構図2:脅迫者―展示実行委員会・作家

 しかし、ぼくはよく知らなかったのだが、作家たちの展示を束ねている人たちの存在を報道で知った。企画展「表現の不自由展・その後」の実行委員会(C)である。

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 たぶん、作家たちを束ねて、展示企画を代表するような人たちなのであろう(図2)。

 この人たちが、抗議声明を出した。

www.asahi.com

 この人たちがどういう意向を持っていて、誰に抗議しているのか、が大事である。

 「私たちは、あくまで本展を会期末まで継続することを強く希望します」と述べている通り、この人たち(BとC)は展示の続行を希望している。つまり暴力や脅迫に屈せず、表現を続けたいと考えているのである。表現の自由を行使したいというわけだ。

 そして、この人たちは、誰に抗議しているか?

 大村秀章知事と津田大介芸術監督が、「表現の不自由展・その後」を本日8月3日で展示中止と発表したことに対して、私たち「表現の不自由展・その後」実行委員会一同は強く反対し、抗議します。

 トリエンナーレ全体を仕切っているのは、トリエンナーレ実行委員会(下図3のD)である。その会長は大村・愛知県知事だ。これを仮に「トリエンナーレ実行委員会が中止を発表した」としておこう。

 

構図3:脅迫者―トリエンナーレ実行委員会―展示実行委員会・作家

 こうして図3のような構図となる。

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 トリエンナーレ実行委員会は「テロ予告や脅迫、嫌がらせがあったから中止した」という旨の発表をしている。

 一般的に「混乱が起きるから中止した」という言い訳で表現や集会を中止させてしまうことは、「敵対的聴衆の法理」というもので、結果的に反対者に加担してしまう=表現の自由を侵してしまうことになるとされる。

「敵対的聴衆の法理」とは、「主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、その集会の目的や主催者の思想、信条等に反対する者らが、これを実力で阻止し、妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことは、憲法21条の趣旨に反する」というものである。これは平穏な集会を暴力で妨害しようとする者の存在を理由に、集会の会場を不許可とすれば、会場管理者が結果として妨害者に加担することになってしまうことを問題とするものである。(木下智史・只野雅人『新・コンメンタール憲法日本評論社p.252)

 これは公の施設での集会についての法理だから、単純に今回のものに適用できるかどうかはわからない。

 ただ、そこから推測してみれば、表現の自由や集会の自由を保障すべき機関は開催させる努力を最後まで続けるべきであり、混乱を理由に直ちに中止をしてしまうことは結局憲法21条(表現の自由の保障など)の趣旨に反することになってしまう。つまり、表現の自由を侵す側に回ってしまう。

 公的機関(ここではトリエンナーレ実行委員会)は中止しないように努力する義務があると考えられる

 判例では公の施設の提供を中止するのは、「警察の警備等によってもなお混乱を防止することができないなど特別な事情がある場合に限られる」(1996年上尾市福祉会館事件最高裁判決)とされる。

 となれば、「今回のケースは、『警察の警備等によってもなお混乱を防止することができないなど特別な事情』だったのか?」という疑問が起きる。

 匿名のファックスや電話でのテロ予告だけで「もう無理」ということになれば、例えばオリンピックでも同じようなことが起きるだろうかと不思議に思う。別に会場でテロを起こさなくても、「日本のどこかで企業をいつか爆破する」みたいな匿名ファクスが入ったら、日本の全企業活動は無期限で停止されるのだろうか。

  要は、仮に中止するにしても「本当に努力を尽くした」という検証・説明が必要だということである。

 

 展示実行委員会(C)からは代替の提案ができそうなものである。

 例えば、シロート考えだが、中止期間を置くにしても、「表現の不自由展、その後」だけを別会場に移し、厳格なボディチェックのシステムを設けたうえで再開するようなやり方はできないのだろうか、みたいな。

 しかし、そのような検討を行い、当事者たちと協議した形跡はない。

 Cの展示実行委員会の声明も次のように述べている。

今回の中止決定は、私たちに向けて一方的に通告されたものです。疑義があれば誠実に協議して解決を図るという契約書の趣旨にも反する行為です。 

  いまのところ、「本当に努力を尽くした」という説得力にある証拠はトリエンナーレ実行委員会からは示されていないのである。だとすれば「トリエンナーレ実行委員会は責任を果たさず、安易に表現の自由の保障をなくした」と言わざるを得なくなる。

 

トリエンナーレ実行委員会とは誰か? 中止決定は誰がどのように下したのか?

 ここで、別の問題がある。

 図3のD、「トリエンナーレ実行委員会」とは誰なのか、という問題だ。

 会長は大村・愛知県知事である。これがDに入ることは間違いない。

 河村・名古屋市長もトリエンナーレ実行委員会の会長代行だから、彼が「トリエンナーレ実行委員会」に含まれていることも間違いあるまい。

 2018年3月時点で「トリエンナーレ実行委員会運営会議」の「委員」には「名古屋市観光文化交流局長」が入っているし、開幕の段階で展示の中身を実行委員の一人である名古屋市側が全く知らないでOKしたとは考え難い。もし「中身を知らなくてもOKを出せる」体制なら、それ自体が問題であろう。

 全体に責任を持つ立場の河村が何か被害者然として突如展示の一つを中止させるように言いだすのは異常としか言いようがない。

 

 では芸術監督である津田大介はどうか。

 ここは全くよくわからない。中止発表後、津田はインタビューに答えているが、中止に同意する立場を表明しているから、少なくとも実行委員会会長である知事の決定には逆らっていない。

 しかし、津田=監督は実行委員会なのか? 知事と同等に中止を決定できる立場にあるのか? あるいは単に同意したという立場なのか? 

 津田はおそらく県知事と一体のDのポジション、つまり「トリエンナーレ実行委員会」の一人なのであろう。もしそうだとすれば、津田は、知事と一体の立場で作家たちに「中止」を通告したことになる。事実、B・Cの人々はそのように受け取っているわけである。

 ただ、繰り返すけど、津田がDに対してどの位置にいるのかは、現時点ではぼくはよくわからない。

 加えて、もう一つ、よくわからないのは、中止決定の判断は、誰との間でどのような協議を経て決定されたのか、ということだ。ぼくが報道を追いきれていないせいかもしれないが、「会長(大村知事)の決定」なのか、「実行委員会の実行委員全体での協議の結果の決定」なのか。そこに河村は入っていたのか、津田はどうなのか。反対意見はあったのか、どれくらいの(安全上の)検証がされたのか、などである。

 

 

河村市長と大村知事

 河村市長と大村知事の「バトル」も問題になっている。

abematimes.com

 慰安婦像という表現の中身がけしからんという理由で中止させれば、これは憲法が禁じる検閲ではないかと大村知事が批判したわけである。

 大村知事も河村市長もともにD(トリエンナーレ実行委員会)の責任者であろう。

 DはB・C(表現をした作家)に対して展示の中止を通知した。

 しかし、その中止通知は、河村の理由(慰安婦像は日本への冒涜だからやめろ的な)によるものではなく、大村が述べたように安全上の理由によるものだ。河村的理由は採用されず、大村的理由で中止は決定された。

 ぼくからみて河村的理由は最悪の中止理由であるが、これが採用されなかったことは、一つの良識の勝利ではあろう。

 しかし、かと言って、大村的理由での中止が「やむをえない」ものだったとは簡単には言い切れない。「警察の警備等によってもなお混乱を防止することができないなど特別な事情がある場合に限られ」たものだったかどうかを示してほしいし、それを表現の当事者とよく協議したかどうかを示してほしいのである。

 

 大村知事が河村的なレベル(表現の自由への公然たる、露骨な侵害)としっかり闘争したことについては高く評価したい。かつて大村の、上半身裸で大声をあげている選挙用ポスターを見てきた元愛知県民としては、彼がここまで良識を発揮したことは想像以上であり、同時に今の悪い空気の中で、この点では本当に勇気のある行為だったと感じる。

 しかし、だからと言って大村知事がB・Cの人々の表現を奪ってしまった問題(中止決定を通知した問題)については決してあいまいにできない。安全上の検証と、当事者との合意・協議がしっかりなされたのかが、冷静に検証がされなくてはなるまい。もしそれが不十分なものであれば、やはり展示を復活させることが大村の義務だ。

 

官房長官の問題はどこに位置するのか

 そして、菅官房長官の問題である。

 企画展には従軍慰安婦を象徴する「平和の少女像」が展示されていた。菅氏は2日の会見で、芸術祭は文化庁の助成事業であると説明。補助金交付の可否決定に関し、「事実関係を確認、精査した上で適切に対応していきたい」と語っている。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019080500481&g=pol

 ここでの問題は、(1)菅が語ったことが中止に影響を与えたかどうかという問題と、(2)菅がこのように発言したこと自体が表現の自由を脅かしたのではないかという問題に分かれる。

 (1)は津田自身が否定している。

――河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官の発言は影響したのか。

 「一切関係ない。そういう状況がある中でこそ生きてくる企画だと思っていた。

https://www.asahi.com/articles/ASM8362Q8M83OIPE024.html%3Firef%3Dcomtop_8_02

 これはこれで議会・国会で検証されるべきだとは思うが、ぼくは(2)のほうが問題だと思っている。

 というのは、菅の発言は、「表現の内容次第で補助金を引き揚げる」という趣旨になっているからである。もっと言えば「補助金支給要件に合致しているかどうかではなく、表現の内容次第で補助金をやめる可能性がある」という趣旨の発言だからである。

 これはネット上でよくみる、「コイツらの表現はどこか好きなところで自費でやればいい。補助金をもらっているのだから、政府や自治体の意向に従うのは当然」という論理と同じだ。河村市長の発言もこの一味である。

 

 

 すでに、大村知事がこの論理を簡潔に批判している。

最近の論調として、税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだと、報道等でもそうことを言っておられるコメンテーターの方がいるが、ちょっと待てよと、違和感を覚える。全く真逆ではないか。公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思う。というか、そうじゃないですか?税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない。河村さんは胸を張ってカメラの前で発言しているが、いち私人が言うのとは違う。まさに公権力を行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか。裁判されたら直ちに負けると思う

https://abematimes.com/posts/7013626

  完全に正しい。

補助金を出したイベントでこそまさに「表現の自由」が問われる

 2001年に文化芸術振興基本法ができた際に、前文に「我が国の文化芸術の振興を図るためには、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重する」という一文が入った。

 審議では、共産党の議員(石井郁子)がさらに詳しく、補助金などの振興策を行う際に表現によって差別が起きないように、「行政の不介入」という原則を書き込んでほしいという質問を行い、提案者(中野寛成)が“おっしゃる通りでその趣旨は入れてあります”という趣旨の答弁をしている(2001年11月21日衆院文教科学委員会)。

石井 私は、当法案でも、行政の不介入の原則をやはり条文として立てる、明瞭にすべきだというふうに考えてきたところでございます。重ねてで恐縮ですけれども、伺います。

〔…中略…〕

中野 我々としては、芸術振興についての、文化振興についての積極的な姿勢をこの法律にいかに強く表現するかという気持ちでつくったことを申し上げましたが、そういう意味でも、前文、それから第一条の「目的」、第二条の「基本理念」等に、この芸術活動を行う者、文化活動を行う者の自主性を尊重する、また創造性を尊重するということを書くことによって、行政の不介入をむしろ明記した、その意味も含まれている、こういうふうに私どもは考えております。

  この趣旨をより具体化するために衆参の委員会で附帯決議がつけられている。

文化芸術の振興に関する施策を講ずるに当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性及び創造性を十分に尊重し、その活動内容に不当に干渉することないようにすること

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/shokan_horei/kihon/geijutsu_shinko/futaiketsugi_sangiin.html

 そして、2017年に同法が改正されて文化芸術基本法になった際に、先ほどあげた前文の箇所は

我が国の文化芸術の振興を図るためには、文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重する

と改められた。

 そして、同法は、2条でこの自主性の尊重を基本理念としてうたいなおし、それにのっとることを国と地方自治体に「責務」として定めている。

第三条 国は、前条の基本理念にのっとり、文化芸術の振興に関する施策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。

第四条 地方公共団体は、基本理念にのっとり、文化芸術の振興に関し、国との連携を図りつつ、自主的かつ主体的に、その地域の特性に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する。

  これらは「文化芸術の振興を図るためには」という前提がつけられている。つまり、ネット上でよく言われているように、「補助金を出しているんだから表現の自由などない」というのは明らかな間違いで、補助金などの振興策をやる際にも、やはり表現の自由を尊重して、その中身に行政が立ち入って補助金を左右するようなことをやってはいけない、自主性を尊重しないといけないよ、と述べているのである。

 菅が内容に関わって補助金を出す・出さないを問題にしたことは、明らかにこの文化芸術基本法の基本理念に反し、表現の自由を侵すものとなる。ついでに言えば、河村市長の発言はこの文化芸術基本法に反しているという角度から、表現の自由を踏みにじっていると考えることができる。*2

 ゆえに、ここでは構図はさらに次のようになる。

 

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 ①はすべての人が共通して反対すべき、「表現の自由」への卑劣な挑戦である。国・県・市・社会全体がテロ・脅迫などの犯罪許さない共通した世論を盛り上げるべきである。警察は犯人を一刻も早く捕まえるようにしてほしいし、市民社会の一員として協力したい。

 ②は国会議員が国会で追及してほしい。菅の言動は文化芸術基本法の精神に反し、表現の自由を奪うものではないかということである。河村発言の追及はぜひ名古屋市議会でやってもらいたい。こうした追及はただの「あらさがし」ではなく、「表現の自由を守って補助金を支給する」という原則の確立、行政の真の中立性の確立のための、議員の大事な仕事である。

 ③は今回の焦点であると考える。

 今現在、表現を奪われている人がいるのだから、それを再開させる努力をするのがトリエンナーレ実行委員会の役割である。

 もとの企画展示実行委員会(図2・3・4のC)の抗議には、表現者が表現を奪われていることの告発と、表現を欲しているという切実さがある。だからこそ③についてその人びとは批判するのであろう。

 あいちトリエンナーレ参加アーティストたちによるステートメント

私たちの作品を見守る関係者、そして観客の心身の安全が確保されることは絶対の条件になります。その上で『表現の不自由展・その後』の展示は継続されるべきであったと考えます

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20295

 としているのも、まさにその精神であろう。

 この場合、何よりも表現者の表現そのものが守られることが焦点でなくてはならないとぼくは思う。

 

 その点で、

  1. 展示の「中止」ではなく、 「一時中止」にして、テロや嫌がらせ対策案ができ、当事者と合意が得られるまで「凍結」とするよう実行委員会に働きかける・実行委員会に提起する。
  2. すべての手立てを尽くして、それでも無理であり、「警察の警備等によってもなお混乱を防止することができないなど特別な事情」があったとするなら、トリエンナーレ実行委員会はそれをていねいに示して説明する。

という2点が今からでも努力できるはずのことではないのか。特に津田は。*3

 その2点がないうちは、トリエンナーレ実行委員会の「中止決定通知」は表現の自由を奪った不当なものだと言われても仕方がない。ぼく自身は今の時点(8月6日)でその2点についてのトリエンナーレ実行委員会の努力を認識できないでいる。

 

自分がダメだと考えた表現に対して抗議することについて

 ついでに、この際、「自分がダメだと考えた表現に対する抗議」について述べておこう。

 ぼくの基本スタンスは、すでに書いている。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 ぼく自身はできるだけ、「抗議してやめさせる」のではなく、ダメな言論・表現に対しても、自由な言論と表現によってそれを批判していくという立場に立っているので、たとえそれが民族偏見的なものであっても障害者蔑視であってもギリギリまでは表現を止めさせる・規制させるという行動はとらないつもりでいる。*4

 しかし、「抗議する」「抗議して相手にやめてもらう」という考えは、一概に否定しない、意義のある場合もある、ということを上記の記事で概ね書いている。そして、必要ならその行動にぼく自身も加わったり協力したりすることもある。

 新日本婦人の会(他に文学者の団体など)が『はじめてのはたらくくるま』という子ども向け図鑑に抗議し、出版社がその増刷をやめた事件があった。

www.jcp.or.jp

 この事件は、対話的なやりとりの見本のようなもので、市民運動側が問題を提起し、出版社が冷静にそれを受け止め、増刷ではなく、改善させていく形で問題を引き取った。

 特に、分断や亀裂が入りがちな昨今、自らと違う立場のものにかくも知的に接せられるという出版社側の自省的な態度に深く感銘した。

 

 今回の事例でも、「慰安婦像は展示すべきではない」「昭和天皇の写真を焼くような作品は不快だ」「もっと幅広い立場の『不自由』を示す展示をすべきではないか」などの意見を出す自由はもちろん、表現者(作家)に対して抗議・要請することもありうる。あくまで、平穏に、そして作家がそれに応じる範囲に限定されるが。

 そのことによって対話的状況が示されたなら、むしろ大いに希望が持てる話ですらあるのだ。

 今からでも遅くはないので、「表現の不自由展示・その後」を安全な形で復活し、作家が対話的に応じられる環境を取り戻す努力をすべきではなかろうか。

*1:「嫌がらせ電話をする人」というのは、例えば「慰安婦像などの展示をやめるべきではないか」という意見を述べる人や、それを電話で伝えようとした人は相当しない。職員の名前をさらしてわざと業務を妨害するような人のことをいう。

*2:これは「文化芸術」への振興策問題ではないが、福岡市では、市民が開くイベントに「市が後援」する際の条件をめぐって「国論を二分する問題は扱わない」というルールを設けているために、市側が“胡散臭い”と思ったイベントについては展示物や配布物をねちねちと調べ上げて「ここに原発反対という言葉がある」とか「ここに憲法9条を守れと書いてある」などという「表現狩り」「思想調査」をやることが横行している。「市後援」と言っても、そういう名義が借りられて、チラシが公共施設に置けるというほどの便宜しか図られておらず、いわば単なる「振興」策に過ぎないのだが。このように、振興策を与えるために、その内容にまで立ち入ってチェックを始めてしまうと、まさにそのような「思想チェック」状態になるのだ。ぼくは福岡市でこの状況をいやというほど見てきた。これを避けるには、イベントが右であろうが左であろうが市民の自主的な活動であれば「後援」するという、本当の意味での行政の中立性を確立すべきである。

*3:もちろん、ぼくは今「安楽」な立場からこのブログを書いている。当事者である津田が深刻な重圧を背負っている立場にあることはよくわかる。おそらく自分がその立場にいたら、もうとっくにグロッキーしているかもしれない。布団をかぶって寝ているかもしれないのである。そういう意味でこの注文が安穏としたものでないことは承知しているつもりである。いわば「がんばってほしい」と思う。

*4:ヘイトスピーチも本来は権力が規制すべきものではないと思う。権力が乗り出して言論の規制に及ぶことは本当に危険なことであって、本来は健全な市民の言論の力で反撃し封じ込めるべきものだ。しかし、ぼくは最近『戦争は女の顔をしていない』を読んだ時、ロシアの少なからぬ人びとが個々のドイツ兵ではなく「ドイツ人」を憎むように憎悪を掻き立てられるなかで、戦争末期に「見よ、これが憎むべきドイツだ」という立て札ととともにドイツに進攻し、ドイツ市民に暴虐の限りをつくしたように「民族」という括りでの偏見煽動がいかに危険なものかを改めて感じた。だとすれば、本当に緊急避難的な意味でやむをえないものに限ってのみ「違法」とされることはありうるとは思う。だが、本当にその発動は徹底して抑制的でなければならない。

スターリンは意気消沈していたのか問題

 大木毅『独ソ戦』には独ソ開戦時のスターリンの様子については何も書かれていない。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 独ソ開戦時に“スターリンが意気消沈していた”説について、不破哲三は『スターリン秘史』で批判をしようと企てていた。

 

 

 

 『スターリン秘史』4、p.88、「スターリン“意気消沈”説(フルシチョフ)の誤り」という節である。

 不破が自著で批判した“スターリン意気消沈”説とは、ここに「(フルシチョフ)」とあるように、基本的にはフルシチョフが秘密報告や回顧録で述べているもので、ドイツの侵攻に対して意気消沈し、

スターリンは長いあいだ実際に軍事活動を指導せず、一般に活動をやめてしまいました。(『フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」』講談社学術文庫、p.85)

というものである。不破はメドヴェージェフも『共産主義とは何か』(1968)でこの説を補強しているとしている。*1

 

共産主義とは何か〈下〉 (1974年)

共産主義とは何か〈下〉 (1974年)

 

 

 メドヴェージェフ的な定義で言えば、「六月二三日から七月はじめまでの数日のあいだ、国家と党の首長としての任務についていなかった」(メドヴェージェフ前掲書下巻、p.364-365)という部分であろう。

 

 後日自分の立場を改めたロイ・メドヴェージェフとその兄ジョセフ・メドヴェージェフによる共著『知られざるスターリン』(現代思潮社、原著2001)では、このフルシチョフの説に影響されている人々のリストがある。

 

知られざるスターリン

知られざるスターリン

  • 作者: ジョレスメドヴェージェフ,ロイメドヴェージェフ,久保英雄
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 ジョナサン・ルイスフィリップ・ホワイト、アラン・ブロック、『オックスフォード第二次世界大戦百科事典』などである。

 すなわちフルシチョフによるスターリン“意気消沈”説は相当大きな影響力を持っているというわけだ。

しんぶん赤旗」(2015年10月19日付)紙上で、不破と鼎談している山口富男は次のように不破の連載の意図を語っている。

 山口 話を独ソ戦に進めましょう(第17章)。独ソ戦をめぐっては、スターリンが開戦時に“意気消沈していた”とか“戦争指導では無能だった”とかいう説が影響力を持ってきました。今度の研究で不破さんは、こういう俗論を打ち破ることに力を入れています。そうしないと、スターリン覇権主義の実相をつかみ出せないという問題意識が強くあったのではないでしょうか。

 

 つまり、スターリン“意気消沈”説への反論は、独ソ戦の中心の解明点の一つだと不破らは考えているようである。

 

 ただ、フルシチョフの回想録がろくでもない誇張や誤りを含んでおり、歴史の根拠資料としては使えない、ということはすでに専門家の間でも広く合意がある。

 例えば山崎雅弘は『新版 独ソ戦史』の「あとがき」でもこう述べている。

 

[新版]独ソ戦史 ヒトラーvs.スターリン、死闘1416日の全貌 (朝日文庫)

[新版]独ソ戦史 ヒトラーvs.スターリン、死闘1416日の全貌 (朝日文庫)

 

 

 

 独ソ戦史の研究では長い間、ドイツ軍の侵攻にショックを受けたスターリンが呆然自失の状態となり、丸々一週間近くも指導部の実務から離れていたと信じられてきた。これは、スターリンの政治的後継者であるフルシチョフが「スターリン批判」の文脈で述べた説明を、多くの歴史家がそのまま鵜吞みにした結果だったが、ソ連崩壊後に進んだ研究により、そのような説明は全く事実に反するものであることが確認された。

 例えば、パヴェル・スドプラトフ、アナトーリー・スドプラトフ『KGB衝撃の秘密工作』の巻末には、一九四一年六月二十一日から二十八日のクレムリンへの要人来訪を記した公式記録が収録されているが、スターリンは独ソ開戦の六月二十二日以降も、なぜか表舞台には出ないよう配慮しながら、党要人や軍の最高幹部に応対し、各方面からの報告を受けるなどの実務をこなしていたことが確認できる。

 六月二十九日にスターリンが国防人民委員部に乗り込み、ティモシェンコジューコフ相手に罵声を浴びせるくだりは、ConstantinePleshakovStalin'sFolly:TheTragicFirstTenDaysofWWIIontheEasternFrontや斎藤勉・産経新聞スターリン秘録』を参考にした(後者は当時のソ連政府要人ミコヤンの回想録などに基づいている)。(山崎雅弘『新版 独ソ戦史 ヒトラーvs.スターリン、死闘1416日の全貌』Kindle 位置No.4203-4214)

 不破が反論に使っているのは、主に次の3つだ。

  1. ジューコフの回想録
  2. ディミトロフの日記
  3. 1990年代に明らかになったスターリンクレムリン執務室の訪問記録

 このうち1.と3.はメドヴェージェフ兄弟の『知られざるスターリン』(現代思潮社、原著2001)で詳述されている。2.は不破が手に入れてこの問題と関連づけて論じたものである。ロイ・メドヴェージェフはこの2001年の『知られざるスターリン』で1968年の自著『共産主義とは何か』の記述を事実上否定したのである。

 不破の反論は、要するに開戦から6月28日までスターリンは旺盛に指示を出し人と会っていて、およそ意気消沈などしていないというのである。

 そして、29日と30日にはクレムリンには出ていない。執務室の訪問記録にも訪問者名がないのである。

 しかし、ジューコフの回想では、29日にスターリンは国防人民委員部・最高総司令部を訪れ、ジューコフとやりあっている。この点では不破と山崎は一致している。

 そして30日夜については、不破は「別の文書で確認」と典拠を明らかにしていないが、郊外の別荘でモロトフ・ベリヤ・ミコヤンら党幹部と会い、国家防衛委員会の立ち上げを決めている。この「別の文書」とは、他の歴史家が典拠にしているのを考えるとおそらくミコヤンの回想メモであろう。

 この30日の状況は、ぼくが手にした『知られざるスターリン』、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち 下』(白水社)でも出てくる。これらはミコヤンの回想が根拠になっていると思われる。

 

スターリン―赤い皇帝と廷臣たち〈下〉

スターリン―赤い皇帝と廷臣たち〈下〉

 

 

 

 こう考えてくると、次の2つのことが見えてくる。

  1. フルシチョフを根拠にして「スターリンは開戦後1週間は“意気消沈”して公務を放棄していた」という説が誤りであることは、ほぼ決着がついた。
  2. しかし、6月29日と30日の「クレムリン不在」については事実であるが、その解釈は分かれており、そのために6月30日まではスターリンは不安定であり不安だったのではないかと考える人がいる。

 先ほど挙げた不破との鼎談者の一人である石川康宏は、その鼎談で、前述の山口の発言に続いてこう述べている。

 

 石川 昨年、“スターリンの実像に迫る”という新書本が出版されましたが、それもスターリン“意気消沈”説でしたね。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-10-19/2015101907_01_0.html

 

 石川が指摘する「昨年、“スターリンの実像に迫る”という新書本が出版」というのは、横手慎二『スターリン』(中公新書)のことであろう。

 これについて、直接不破が何かコメントはしていない。

 

 

スターリン - 「非道の独裁者」の実像 (中公新書)

スターリン - 「非道の独裁者」の実像 (中公新書)

 

 

 横手本には、このくだりはp.220-221に少し書かれているだけだが、こうある(強調は引用者)。

……開戦が事実だと確認されると、彼はショックを受け、しばらく陣頭指揮を取ろうとしなかった。そうではなかったと主張するロシアの歴史家もいるが……スターリンが立ち直り始めたのは六月三〇日のことで……

 横手が反証として持ち出しているのは、開戦の事実を伝える国民への演説をスターリン自身がせずにモロトフにやらせたことだ。「肝心なときに国民に訴える任務を回避したのである。この事実こそ、このときのスターリンの姿を示している」(同p.221)。

 言葉足らずなので、ぼくが解釈してやる必要はないが、横手はフルシチョフの回想録があてにならないことも知っており、そのことをめぐる論争も承知しているのではないかと思う。

 その上で、6月30日まではスターリンはショックを受けており、不安な中にいたのではないかと横手は推察しているのだろう。モロトフの代理演説は横手があげる根拠の一つであるが、もう一つ上げているのは、6月30日に党幹部が郊外の別荘を訪ねてきた時にスターリンは「自分は逮捕されるのではないか」と怯えている様子のエピソードである。

 これは先も述べたとおりミコヤンの回想が根拠となっており、ぼくが読んだほとんどの本で紹介されている。

 しかし、不破だけは紹介していない。根拠がはっきりしていないと考えたのか、それとも、スターリン“意気消沈”説批判には都合が悪いからだろうか。

 

 これらの情報を織り込んで、整合的な説明をしていると思われたのは、山崎である。

 山崎は、スターリンは戦況に怒りながらも初めの1週間は「クレムリンで通常どおりの執務」をしていた。

 しかし、

彼はまだ、ドイツ軍とソ連赤軍の間に存在する圧倒的な戦闘能力の差を認識しておらず、先の図上演習で見られたように、やがて赤軍の反撃が始まり、戦場は西へと移動してゆくだろうと予想していたのである。(山崎前掲書Kindle 位置No.1053-1055)

 それが6月28日の西部方面軍の壊滅、ベラルーシ制圧によって大ショックを受け、「激昂して『わしは指導部から手を引く』と言い残して、クレムリンを出てモスクワ郊外の別荘へと帰ってしまう」。29日にジューコフに会いに行くのも、報告は求めつつも、最終的にはわめき散らして帰ってくるのだ。そして車の中で党幹部らに「レーニンの遺産を台無しにしてしまった…」と弱音を吐く。

 こうして30日への流れとなる。

 クレムリンに出てこないスターリンモロトフ、ベリヤ、ミコヤンら幹部が訪問し、スターリンは初め自分が逮捕されるんじゃないかと怯えていたというのである。*2

 

 結局、今の時点でのぼくの結論はどうなのか。結論から言えば「6月30日は意気消沈していた」と言えるんじゃなかろうか。

  1. 当時モスクワにさえいなかったフルシチョフがひどく単純化したスターリン“意気消沈”説は明確な誤りである。
  2. しかし、開戦から28日までは「陣頭指揮」は取らずに様々な指示を出したものの、6月28日のドイツ軍のベラルーシ制圧でスターリンは大ショック。翌29日には状況を確認するけど悪化するだけで、国防人民委員部に出かけてジューコフらに話を聞きに行ったというか、怒鳴りつけに行った。そして、帰りの車で「もうわしゃ引退する」「レーニンの遺産、全部パー(ソ連は終わり)」と泣き言。30日は別荘で引きこもり。幹部らたちが国家防衛委員会による合議体制を提案しに行った……というところではないか。
  3. 国家防衛委員会は、スターリンを排除するのではなく、逆にスターリンがトップであることを確認するものだ。しかしスターリンが今回のようにショックを受けて引きこもってしまい決裁しないと何も進まない体制ではヤバいと感じ、もしスターリンが機能しなくなってもなんとか決裁は出せる仕組みを作ったのである。「国家防衛委員会はスターリンが一人で物事を決めることを妨げはしないが、その結果に対する責任は分かち合った」(『知られざるスターリン』p.405)。
  4. つまり28-30日についてはスターリンは意気消沈していたっぽく、30日はかなり深刻だったと言える。マジで逮捕・失脚の可能性も感じていたんじゃないかと思う。だから、ミコヤンやベリヤの証言が「意気消沈」的なもので一致するのである。*3

 

 

*1:なお、不破が『スターリン秘史』4(初版)でこの著作を「メドヴェージェフ兄弟」の著作としているが、正しくは双子の弟であるロイ・メドヴェージェフの方ではないだろうか。また、原タイトルも不破は『スターリン主義の起源と終結』としているが、「Let History Judge: the Origins and Consequences of Stalinism」での「Consequences」は「終結」よりも石堂清倫の訳通り「帰結」もしくは「結果」とした方がいいのではないだろうか。つうか「歴史の審判」「歴史に裁かせよ」がメインタイトルでは?

*2:横手が根拠の一つとしているモロトフの代理演説については、『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』によればモロトフの回想的発言が紹介され、スターリンが演説を繰り返し拒否したのは事態の全容が明らかになってからするのがスターリン流だからだ、という趣旨の発言をモロトフがしている。

*3:ただ、モンテフィオーリはそれさえもスターリンの演技の可能性があったことをほのめかしているのだが。

拙著『マンガの「超」リアリズム』が大東文化大学の一般入試に

 拙著『マンガの「超」リアリズム』(花伝社)の『この世界の片隅に』評が大東文化大学の2019年度一般入試「国語」の問題文として出題されました。私の町内会系新書はこれまでも入試・模試などに使われたことがありましたが、マンガ評からは初めてです。

https://www.daito.ac.jp/cross/admissions/pasttest/file/exam_general_0206.pdf

 

www.daito.ac.jp

 これは呉市立美術館での講演を出発点にして、「ユリイカ 詩と批評」(青土社)2016年11月号で発展させて書いた文章を加筆・補正したものです。

 

マンガの「超」リアリズム

マンガの「超」リアリズム

 

 

 そう言えば、「しんぶん赤旗」7月25日付のコラム「潮流」は、

はずかしい話ですが受験から数十年たっても、入学試験の夢を見ることがあります。

 で書き出しされていた。

 ぼくも、中学・高校卒業、受験から数十年たっても、いまだに「数学の課題ができていない」「入試の数学に何も備えていない」という夢をくり返しくり返し見る。どんだけ苦しめられてたんだよ、と思う。

 

大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』

 専門家でもない、当該問題のシロートであるぼくは何を期待してこの本を手にしたのか。

 

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

 

 

 

シロートであるぼくが本書に期待した3つのこと

 一つは、独ソ戦の概略が知りたかったという理由である。いわば独ソ戦入門書としての役割だ。

 本書は新しい研究の到達がどうなっているかに目配せした記述が多い。だが、シロートのぼくにはそのようなことは二の次の話であって、とにかく「ざっくり独ソ戦が知りたい」と思っていた。

 ふだんはそういう際に、まず戦史を扱ったビデオとかDVDを探してそれを観て大雑把な地理感覚を得るのだが、あいにくそのような適当なビデオ(動画)がない。

 そこで本を探したのである。

 その点で、本書に入門書としての期待を込めた。

 

 二つ目は、ぼく独自の問題意識に応えてくれているかどうかであった。

 例えば「スターリンは開戦期に意気消沈したのかどうか」という問題だ。これは不破哲三スターリン秘史』を読んで、それとドイッチャー、横手慎二、そして山崎雅弘がどうそれぞれを記述していたのかをみてきたので、たまたま興味を持った問題だったからである。

 

 あるいは、「ソ連はなぜ独ソ戦初期にあれだけ派手にやられたのに、体制が崩壊せず、しかも勝利できたのか」という問題である。これは「スターリンおよびスターリン体制は国内で支持されていたのか」という問題にもつながってくる。

 もうひとつあげれば、「スターリンはドイツの侵攻になぜ備えられなかったのか」という問題である。これは論者によって様々な意見があるので、これも期待を持っていた。

 他にもいくつかあるが、このような問題に応えてくれるかどうかという期待をもって本書を手にした。もちろんこのような「期待」はぼくの勝手な期待でしかない。

 

 三つ目は、本書を読み始めて気づいた、本書の独特の問題意識への期待である。

 本書の問題意識は、ソ連側の死者2700万人、ドイツ側の死者、戦闘員444〜531万、民間人150〜300万人*1とされる犠牲を出した「人類史上最大の惨戦」(本書ⅳ)となったのは、「戦闘のみならず、ジェノサイド、収奪、捕虜虐殺が繰り広げられた」(同前)からであり、「こうした悲惨をもたらしたものはなんであったか」(同前)ということで貫かれている。

 この点で、著者・大木毅はドイツ側がこの戦争を「世界観戦争」とみなしたこと、そして世界観戦争とは「『みな殺しの闘争』、すなわち絶滅戦争」を意味したからであるという指摘している(本書ⅴ)。また、対するソ連側が「大祖国戦争」という位置付けをして、その報復感情を正当化したこともあわせて指摘している。

両軍の残虐行為は、合わせ鏡に憎悪を映した蚊のように拡大され、現代の野蛮ともいうべき凄惨な様相を呈していったのである。(本書ⅵ)

 この点をどのように論証していくのかについて興味を持った。

 そして、読み終えてみてこれら3つの、いわばぼくの勝手な期待がどうなったかを書いてみる。

 

 (1)独ソ戦の入門書としてはどうか

 まずひとつめの、独ソ戦の入門書としての役割である。

 ビデオがないので、本を探した。

 最初に見つかったのは、山崎雅弘『新版 独ソ戦史』(朝日文庫、2016)である。

 

[新版]独ソ戦史 ヒトラーvs.スターリン、死闘1416日の全貌 (朝日文庫)

[新版]独ソ戦史 ヒトラーvs.スターリン、死闘1416日の全貌 (朝日文庫)

 

  山崎の本には、最新の到達がどこまで反映されているのかを別として、この「入門」という目的に照らして大変参考になったが、それでもまだ山崎の記述は現地の地理に多少とも心得がないと、両軍の動きが把握しにくい。

 ぼくが本書(大木本)より前に山崎の本を読み始めた段階で、独ソ戦において重要な地名となる「クルスク」「ハリコフ」「スターリングラード」「レニングラード」「キエフ」「スモレンスク」「モスクワ」の位置関係すらよくわかっていないかった。

 分厚い独ソ戦の本を手に取ると、地図もないままこうした地名と部隊の名前が大量に書かれていて全く読める気がしなかったのである。開くなり「無理!」と思ってしまうものが多かった。

 山崎の本は、地図がかなり加えられていて、だいぶ助かったのだが、それでも本文の記述と地名を照合させるのが一苦労で、照合していない部分(書いていない部分)もあって、地理を知らない者には煩雑だったことは否めない。

   この点で、本書(大木本)はどうだったか。

 大木本では、山崎のような詳細な地名や部隊の動きが大胆に省略されている。

 この点だけでも、「入門書」としてはありがたかった。

 そんなことがと笑われるかもしれないが、初心者にとっては至極重要なことで、初学者がこのテーマに近づく上では欠かせないことだった。

 本書(大木本)のアマゾンのレビューには次のようなものがある。

 

スターリングラード攻防戦」や「クルスク戦車戦」等の個々の戦役や、アウシュビッツ等の絶滅戦争の側面を詳細に記した高価な(研究)書籍は存在する一方で、「第二次世界大戦史」のタイプの書籍では数ページしか記述がなく、価格を含めて手軽なテキストが存在せず不満でした。中間を埋める事に成功している書籍です。〔強調は引用者〕

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R39VP8LDF4UT0L/

 

 ああ、これこれ、と思った。「中間を埋め」てくれたわけですよ!

 

 

 (2)ぼくのいろんな疑問に答えてくれるものか

 二つ目の「ぼく独自の問題意識に応えてくれているかどうか」について。つまりぼくのいろんな疑問に答えてくれるものかどうかということ。いわばぼくの一方的で勝手な期待である。

 まず、「スターリンは開戦期に意気消沈したのかどうか」。これは全く記述がなかった。まあ、しょうがない。

 次に「ソ連はなぜ独ソ戦初期にあれだけ派手にやられたのに、体制が崩壊せず、しかも勝利できたのか」問題。

 これは第3章第四節からの記述が対応している。

 本書にも書かれているが、ヒトラーが「ソ連軍など鎧袖一触で撃滅できる」(本書p.32)と考えており、「純軍事的に考えても、ずさんきわまりない計画」(同前)を立ててしまったように、スターリン支配のもとで国はボロボロだろうと思われていたわけである。

 ところが、頑強に抵抗し、ついにはドイツを倒してしまった。

 この点では、本書は、「おおかたの西側研究者が同意するところ」(p.114)としてスターリニズムへの拒否意識があったがゆえに緒戦では数百万の捕虜を出したが、ドイツ側の残虐が明らかになるにつれ民衆も反ドイツになっていたという紹介をまずしている。しかし、これは大木がツッコミを入れているように、多くの人がドイツとの戦争に志願している実態と合わない。

 ぼくも、本書「文献解題」で「一読の価値がある」として紹介されているスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(岩波書店)を読んだ時、ソ連の女性兵士たちがどのような経過で志願していくのかを注意深く読んだ。彼女たちはドイツ軍の蛮行を目の当たりにするよりも前に、開戦と同時に志願している場合が多い。共産主義的な動機もあれば、祖国防衛というナショナリズムの感情もあるし、家族を守りたいという素朴な感情もある。しかし、総じて、今の日常と体制を支持している感情から、熱烈な志願を行なっているように読めた。

 

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

 

 

 本書(大木本)では、アメリカのソ連研究者、ロジャー・R・リースの説明を紹介して、内的要因(「内発的要因」というべきだろうか)と外的要因(「外在的要因」というべきだろうか)に分け、前者について、

自らの利害、個人的な経験から引き起こされたドイツ人への憎悪、スターリン体制の利点に対する評価、先天的な祖国愛(p.116、強調は引用者)

 と書いている。

 「大祖国戦争」という命名に象徴される「ナショナリズム共産主義体制の擁護が融合された上に、対独戦の正当性が付与」(p.117)という規定を大木は行なっている。

 「大祖国戦争」という形でナショナリズムに訴えた宣伝が功を奏したことはぼくから見ても間違いないとは思うのだが、ぼくが気になっているのは、リースがあげている「スターリン体制の利点に対する評価」という点なのである。

 スターリン体制によって成し遂げられた工業化はベースのところでソ連国民によって支持されていたのではないか? と思うのだ。前述の『戦争は女の顔をしていない』で出てくるインタビューには、露骨な体制支持やイデオロギー支持はそれほど多くないが、守るべきものとしての日常、例えばそれは夢のある進路のようなものも含まれるが、そういう日常を支持している庶民が、志願をしている。つまりそれは「スターリン体制の利点に対する評価」があったのではないかと推測できるのである。

 加えて、ソ連側が初期にあれほどの打撃を受けているのに、なぜ次々と戦車や弾薬を補給できたのかは極めて大事な問題だ。それはスターリン体制が工業化を達成したことと不可分の話ではないだろうか。

 さらに加えておけば、本書はそもそも「ソ連の人的・物的優位」は「勝利の一因」として認めつつも、「作戦術にもとづく戦略次元の優位」(p.224)という原因を提示している。本書の新たな「意義」という側面からすれば、この点の指摘の方が実は重要なのだが(ぼくにとってはそれほど関心を持てない点でもあった)。

 何れにせよ、この「ソ連はなぜ独ソ戦初期にあれだけ派手にやられたのに、体制が崩壊せず、しかも勝利できたのか」問題については、対応する記述が本書にはある。その点をどう評価するかは、読む人がそれぞれ判断すればいい。

 

 そして「スターリンはドイツの侵攻になぜ備えられなかったのか」問題。

 ドイツが攻めてくるぞという情報が山のように寄せられていたのに、なぜスターリンは準備をしなかったのか、という問題である。

 これは歴史上大変有名な問題なので、諸説ある。

  これについても、本書(大木ほん)は第1章第1節「スターリンの逃避」で書いている。7ページにその結論ともいうべき部分を書いているのだが、ぼくは全然納得できない。これはまあ、どんな結論が書いてあるかはここでは明かさないので、それを含めて本書を読んで、皆さんが考えてみてほしい。

 ちなみに先に紹介した山崎本ではこの問題は「独ソ戦史における最大の謎」(Kindle 位置No.694)とされている。山崎のいう一つの「可能性」の指摘はこうである。

謀略に長けたスターリンが、実体のよくわからない一連の政治的事件や、諜報機関から寄せられる情報を「深読み」しすぎた結果、事態を必要以上に複雑に解釈してしまい、その結果として史実のような不可解で非合理的な振る舞いを見せたという可能性は、きわめて低いにせよ完全に否定することはできない。(山崎前掲書、Kindle 位置No.749-752)

 「待てあわてるな これは孔明の罠だ」状態。

 不破哲三の場合は、スターリン覇権主義的な本質ゆえに、ヒトラーの「4国(独ソ日伊)による世界再分割」構想に惑わされ続けた結果、というものである。

 

(3)なぜ独ソ戦はこれほどの惨禍をもたらしたのか問題を考える

 三つ目。本書を読み始めて気づいた、本書の独特の問題意識への期待。つまりなぜ独ソ戦は地上戦としての最大の惨禍をもたらしたのか、ということだ。

 本書はこの理由について世界観戦争=絶滅戦争という性格を持っていたからだという説明をする。

 本書はこの角度からドイツ側がソ連軍・ソ連住民に対して行った絶滅戦争・収奪戦争の性格を明らかにする。それが本書第3章だ。また、それが戦争の終盤になってどのように変化したかを第5章でも追っている。

 特に第3章は「なぜ独ソ戦は地上戦としての最大の惨禍をもたらしたのか」の回答として、入門者としては学ぶことが多かった。

 なお、戦争の末期に世界観戦争(絶滅戦争)・収奪戦争・通常戦争という3要素のうち、通常戦争の要素が後退して「絶対戦争」化するという大木の規定については、問題の理解をかえって難しくしてしまっているのではないかと感じた。

 というのは、相手を絶滅させるという戦争の仕方が実はクラウゼヴィッツの「絶対戦争」のカテゴリーに当てはまっていると規定した大木の本書での提案よりも、要は通常戦争ができなくなり、絶滅戦争・収奪戦争としての性格だけが残ったと考えた方が理解しやすいからである。ヒトラーの戦争中盤以降の軍事的非合理な戦争指導は絶滅戦争への固執ゆえに起きたとする大木の論述にはあまり説得力を感じなかった。

 シロート考えで言わせてもらえば、ヒトラーの戦争指導の非合理化というのは、ドイツの支配層の意思でもなく、ナチの意思でもなく、ただヒトラー個人が非合理になったという話ではないのだろうか。つまり戦争の性格から説明されるべきものではなく、個人の誤りとして説明されるべきだということ。

 本書にも記述があるように、ドイツ軍周辺でヒトラーの暗殺計画が繰り返し企てられていることは、通常戦争を戦おうとする意思がドイツ軍やその周辺にあり、ヒトラーの無謀な戦争指導への反抗・反逆の力が働いていたと見るべきだ。つまり戦争中盤以降ヒトラーの個人的な戦争指導の誤りが累積していき、それに反抗する運動はあったが、是正(暗殺)が間に合わなかった、ということである。

 大木は、こうした軍周辺の反ヒトラーの動きとは別に、絶望的な戦況になってもドイツ全体が抗戦を続けた理由を「近年の研究」(p.211)の成果として第5章で書いている。一言で言えば、ドイツの占領・併合地からの収奪によって特権的な経済水準を得ていたドイツ国民全体がナチ体制の「共犯」であったがゆえに敗北必至となっても戦争以外に選択肢がなかったというのである。

 しかし、大木自身が、ドイツ国民がその共犯性について「意識していたかどうかは必ずしも明白ではないが」(p.212)と留保をつけているのに、その結論はおかしくないだろうか。しかもそれが「今日の一般的な解釈」(p.212)なのかいなとちょっと驚いた。いや本当にそういうものが通説なのかもしれないけど、そこの理屈は残念ながらよく見えなかった。

 「なぜこんなに(ドイツ側)犠牲者を増やしてしまったのか」という点についての、ソ連側に関する説明もやはり3章と5章で行なっている。一言で言えば、イデオロギーナショナリズムを融合させることで、無制限の暴力を発動させたからだ(p.211〜212)。特に報復感情をそのままナショナリズム、というかショービニズムに結合させて、憎悪を煽った手法を指摘している。

 作家イリア・エレンブルグの扇動文は本書(大木本)で2度も引用されている。前述の『戦争は女の顔をしていない』でもエレンブルグの文章については「誰もが読んでいた。暗記したものさ」という女性兵士の証言が載っている(同書p.175)。ついでに言えば、ドイツに攻め入ったソ連軍の女性兵士は「見よ、これが憎むべきドイツだ!」という札があちこちに立てられているのを見たという複数の証言が『戦争は女の顔をしていない』の中で登場する。ソ連軍が憎悪を掻き立てるために意図的に行ったのではないか。

 まあ、いろいろ書いてきたのだが、「なぜこんなに史上類を見ない惨禍をもたらしてしまったのか?」ということについて、ドイツ側については「絶滅戦争」という観点から、ソ連側はイデオロギーナショナリズムを融合させた報復感情の正当化という観点から説明する。

 これは批判するにせよ賛同するにせよ、ぼくのような独ソ戦についての入門者・初学者にとっては大事な出発点になりうる。

 

 以上、シロートであるぼくの勝手な三つの観点からの本書の感想である。

 関連してであるが、最近ある新書についてその記述の正誤が取りざたされ、それで評価を著しく下げるという話が世の中で出ている(もちろん本書の話ではない)。一般論として、専門家の目から見るとそうなのかもしれないが、ぼくのような初学者からすると、新書に期待していることは「問題の骨格」がわかることであって、その骨格を得れば、それに新しい研究成果などを付け加えたり組み替えたりしていけばいいのだから、「細かい正誤」というものはあまり気にならない。あえて語弊があるように言えば「多少間違っていても、わかりやすく骨格が理解できる方がいい」程度の思いがある。だから最新研究の反映かどうかも、あまり強い関心はない。いやまあ、わかりやすくて、なおかつ正確で、さらに最新研究が反映されていれば言うことなしですけどね!

 本書について言えば、上記でいろいろ異論や納得できない点を書いたけども、それはある意味「細かい話」であって(むろん「間違っている」という指摘をぼくのような初学者ができるわけはない)、初めてこのテーマを学ぶ人が骨格を得るためにはとても役に立つ本だと感じた。

*1:本書ⅳ、ただしドイツ側は他の戦線も含む。