原爆の写真を子どもに見せるべきかどうかについての話題。
ジョージア駐日大使のティムラズ・レジャバさん(36)は2月末、家族で広島平和記念資料館(広島市)を訪れました。原爆で黒く焼け焦げた弁当箱を見つめる長女(当時4)の写真を、X(旧ツイッター)に投稿したところ、Xでは「子供にはまだ早いのでは。可哀想」とのコメントが寄せられました。子どもが平和や戦争について学ぶとき、残酷な事実は見せない方がいいのでしょうか?(前掲朝日)
私自身は40を過ぎて初めて資料館に行った。正直なところ、若いうちは受け止められないのが自分でわかっていたから、機会があっても遠慮してきた。
— 福嶋尚子to子どもが排除されない学校に (@to00556874) 2024年4月29日
でもうちの子はもっと早くに本人が望んで資料館に連れて行ってもらった。
何歳で行くかも大事だけど、その時の思いを誰と共有できるかも大事だと思う。 https://t.co/pgHZKsCoZf
“恐れ本”
先日リモート読書会で読んだ伊集院静の自伝的長編『海峡』に「恐れ本」の話が出てきていた。
一学期の終業式の日、真ちゃんが、
「英ちゃん、“恐れ本”があるぞ」
と休み時間に言って来た。
「恐れ本?」
「ああ、恐れ本じゃ。図書館にあるんじゃ」
「何それ?」
「ピカで死んだ者の本じゃ」
英雄は真ちゃんを見た。
「昼休みに見に行こう」
英雄は窓辺に頬杖をついているツネオを見た。ツネオはあの日以来、元気がなかった。
“恐れ本”は図書館の奥の棚の、それも最上段にあった。
高い書棚に囲まれた場所は、外からの陽差しが届かずひんやりとしていた。踏み台を運んで来た真ちゃんが、一番上に乗って、一冊の分厚い本を指先でようやく取り出すと、飛び降りた。
広島の隣県である山口県で、まだ戦争が終わってからそれほど経っていない時期に、被爆者差別とすぐ隣り合わせになる形で被爆の実態を伝える写真が「怖い本」という扱いを受けていた。
ただ、「被爆者や被爆の実相を写した写真集が恐ろしい」という感覚は、伊集院の世代よりも20年ほど後に生まれたぼくにとっても同じだった。ぼくはたぶん『少年朝日年鑑』だったと思うのだが、一度開いて見入ってしまい、その後、その本に近づきたくない、開きたくない、見たくないという感覚が強かった。身近に被爆者がいたという認識がないので、それがストレートな差別感情にはつながらなかったけども、「被爆の写真を見るのは怖い」という感覚は小学生の間は抜けなかった。
本自体に恐ろしさがあるというか、忌避感があって、伊集院の世代でそれを「恐れ本」と呼んでいたと知った時に、その感覚が蘇り、言い得て妙だと思った。もちろん、それは被爆者差別につながる表現でもあったのだろうが。
伝書鳩
『海峡』(幼年編)を読んだ時、ただちに五木寛之『青春の門』を思い出した。しかし、『海峡』の場合、主人公はまだ主人公が子どもであり、覚醒していないせいもあるのだろうが、主人公本人というよりも、その周りで起きている事件や登場人物に強い色彩があり、しかも彼らをめぐる事情はまるで子どもの心象風景のように、ぼんやりとしている。
鮮やかに描き出されるいくつかの事件の事実性だけが、読む者にも迫ってくる。
主人公が伝書鳩をうらやましく見に行く場面がある。
ぼくは、小学生の時、飯森広一『レース鳩0777』を読んでいて、どうしてもレース鳩が欲しくなり、遠くにいる父親の仕事先の知り合いから譲ってもらって飼っていたことがある。
結構まめに、かわいがって世話をしていたのだが、家族はおろか近くにレース鳩を飼っている人もおらず、ネットもない時代でどうやって鳩を訓練するのかわからず、一度家の近くで放したらそれっきり戻ってこなくなった。
間抜けなエピソードで、子供心に自分のやったことの愚かさを嘆き、大いに傷ついた。親にもあまり真相が言えずに逃げてしまったということにした。
隣の校区に行ってそこの子どもたちに追いかけられる
また、主人公が、バッタを捕まえるために岬の方に友達と出かけ、そこでその土地の子どもたちに取り囲まれるシーンがある。
「この木から先が岬になるぞ」
樫の木の下で真ちゃんが声をひそめて言った。二人とも岬の領分に入ることの怖さを年長者から聞いて知っていた。
そこはただの原っぱだが、その先をずっと行くと岬口と呼ばれるちいさな漁港になっていた。岬口の漁師は荒っぽいことで有名だった。…荒っぽいことは岬口の子どもたちも同じで、街の子供も岬口へ行くことは危険だと知っていた。この夏も古町の時計屋の兄弟が、岬口へ鰻を突きに出かけて、頭に大怪我をして戻って来たことがあった。(p.144)
ああ…ぼくも隣の校区に行って、そこの子どもたちに自転車で追い回されてめちゃくちゃ怖い目に遭ったことがあるなあ…と思い出した。自分たちの町内に戻って来たのに、「どこへ行った!」みたいに探されて…。
その時、うちの町内の、さらに年長の子どもたちがいて、その人たちに言いつけると今度は逆に隣の校区の子どもたちがシメられていた(暴力を振るわれたわけではない)。
そんなことをいろいろ思い出すエピソードが多い…と感想を言ったら、参加者の一人(Aさん)からびっくりされた。
「この小説を読み始めた時、最初は戦前が舞台なのかと思った。というのは、全然戦後民主主義の匂いがせず、時代設定や原爆の話を読んでようやく『え、これ戦後の話なの?』とわかったからだ」
とAさんは言った。
Aさんの親は教員で活動家だったし、都会であったこともあるのだろう。
逆に、ぼくなどは、周りにそうした知識人的な人間や左翼っぽい人がおらず、父親や母親から戦後民主主義的なものを感じたことはほとんどなかった。彼らはそうした理念ではなく、何事もリアルな感情で動いた。
本作で、在日コリアンたちが祖国から逃れて密航してくるのを主人公の父親たちが手引きするシーンがあるが、そういう感覚も何か運動やイデオロギーではなく、同胞的な感情とか同情心とかあるいは金銭とか、そういう要素で動いている感覚が伝わって来て、それはぼくが生まれた環境とよく似ているなと感じた。
初・伊集院
伊集院静の本はこれまで1冊も読んだことはなかった。
その1冊目がこれであった。初・伊集院。
28日付の読売には読者にとっての「思い出の伊集院」を語る特集まで組まれていて、「『人は悲しみを抱えて生きていくものだ』と教えてくれた」とか「哀切さの中に、凛とした生き方があったのではないでしょうか」とか「伊集院さんの言葉は、つらい時や迷いのある時の指南書」だの想像もできないような賛辞が並んでいた。
ピンとこないのである。だって1冊しか読んでないんだもの。
そもそも作詞家であったことさえよく知らなかった。どんだけ知らないんだよ。
「『ギンギラギンにさりげなく』は伊集院の作詞ですよ。最初に買ったシングルが『ブルージーンズメモリー』で映画まで観に行ったマッチファンの紙屋さんこそ伊集院に大きな影響を受けているんじゃないですか」
とAさんが宣う。
いや…「ギンギラギンにさりげなく」を処世にしたことはないし、むしろ「ギンギラギンにさりげなく」でニセ・マッチを演じた鶴太郎が出た「ひょうきん族」の回の方が、心に刻まれてるんだけど…。