ちばてつや『ひねもすのたり日記』

 前にも書いたかもしれないが、まもなく傘寿を迎える父の生い立ちの聞き取りをしている。これが滅法面白い。

 あまりにたくさんのエピソードがあってどれも興味深い話ばかりなのだ。

 戦後の食糧事情から、自分がどのように農家をやめ商人になっていったかという話などを聞く。

 三河地震についても聞いた。1945年1月に起きたマグニチュード6.8のこの大地震震度7と言われ、愛知県の三河地方南部周辺に大被害をもたらした(死者2306人)。

 

戦争に隠された「震度7」: 1944東南海地震・1945三河地震

戦争に隠された「震度7」: 1944東南海地震・1945三河地震

 

 

 「三河地震第二次世界大戦末期の報道管制下で発生したため、被害の詳細な調査や報道が困難だった」(木村玲欧『戦争に隠された『震度7吉川弘文館、p.20) 。したがって当事者がまだ生きている今でなければ証言は聞けない。

 

 ぼくの家には犠牲者は出なかった。それは不幸中の幸いであった。しかし家は壊れはしなかったものの、傾いてしまった。家には入れないので、藁を屋根にして「コンバリ」(おそらく「棍張り」=太い丸太ではないか)を組み、「仮設住宅」を作ったようで、それで1年ほど暮らしていたという。終戦詔勅もその家で聞いたらしい。

 家をどうやって直すのかといえば、昔は家を建て直すのではなく、「シャリキ」(おそらく「車力」=車を引くような力仕事をする人夫であろう)を呼んで、家を引っ張ってもらって直した。「家を引っ張る」だって!?  そんな、工作みたいな……。

 それだけではなく、「コンバリ」が家の内外に無数に掛けてあって、倒れないようにしているのだ。「コンバリの間で餅をついたりした」(父)。それが一本外れ、二本外れ、藁の「仮設住宅」から本宅に戻り、「コンバリ」の間で生活し、それが次第に外れていき、とうとう父が結婚する直前に全て外れたという。十数年かかっている。

 

 他にも、戦後になって農家を継いだ父だったが、どうも山っ気が抜けず、商売への憧れが強かった話なども印象的である。

 三河地方から、名古屋へ梨を車に積んで売りに行く。実家の周辺は梨をたくさん栽培していたのである。

 父によると名古屋に行くと、その地域のボス格の主婦を見つける。その主婦に「コマセ」をまくつもりで、傷んだ二級品の梨をたくさん無料で分けて味方につける。するとそのボス主婦がオルガナイザーになって、人をどんどん集めてきてくれるのである。梨は飛ぶように売れたのだが、堅実を絵に描いたような父の父、すなわちぼくの祖父は山師のようなこの父の商売に不安を感じたようで、祖父の反対に遭い、やめざるを得なかったという。

 

 目玉が飛び出るほど珍しいエピソードというわけではない。むしろ平凡な人生なのだろうが、戦争から四半世紀もたってから生まれたぼくのような人間からすると、その平凡な日常が興味深いのである。

 

 そして、最近、ちばてつやひねもすのたり日記』を読む。

 

 

 満州からの引き揚げはすでに別の作品で読んではいるのだが、やはり壮絶なものである。しかし、それ以外の戦後の日常を綴った部分も、率直にいって、やはり目玉が飛び出るほどの珍しさではない。平凡な日常の一コマなのである。しかし、そういう平凡な日常そのものが興味深いのである。

 

 例えば2巻では、ちばてつやが千葉に引き揚げ、その学校でいきなり九九の授業を受ける話が出てくる。

 

 

 スイカすら見たことのない文化ギャップを抱えていたちばは、自信のなさげな子どもであったように描かれている。日本の学校の授業とも大きなギャップがある。

 そこへきていきなり九九なわけだが、実は母親が内地に戻ったら九九ぐらいはできなくては、というので、引き揚げの最中にてつやに九九を唱えさせ続けたのである。

 したがって、まだ3の段しかやっていないクラスで、どうやら全部言えるらしいということで前に出されて全段を暗唱するように教師から促される。

 ちばは初めは自信がないのであるが、しかしやがて大きな声で全段を唱え終わると、クラス中の猛烈な賞賛を浴びるのだった。

 

勉強のことでほめられたのは、

生涯これが最初で最後でありました。

 

という謙遜の言葉とともに、この思い出の誇らしさが伝わってくる。

 どうということのない思い出には違いない。誰でもこの種の思い出は持っているはずなのだと思う。

 しかしそこに引き揚げの際の生活の匂い、女性教師の粗雑ながら温かい人柄、人生のごく小さな誇らしさの記憶が巧みに織り込まれている。

 ちばという一級の作家のなせる技とも思えるが、同時に、この種の「平凡な思い出」はどの人にも存在し、それを今のぼくらの世代が新鮮に受け止める素地があるんじゃなかろうかとも思う。

 だとすれば、今こそぼくらはこの世代に聞き取りをしたり、それを素材にマンガや創作の「ネタ」にすべきではなかろうか。人生史をつくればどんな人でもそれが1冊の本になるような気がする。まあ、それはよく言われるように「誰でも生涯に1冊は自分の人生を本として書くことができる」的な意味なのだろうけども。