いやあ、面白い本だった。
スターリンの印象が覆る
率直に言ってスターリンの印象が覆った。
オビに「血まみれの暴君は『本の虫』でもあった」とあるんだけど、すっごい読んでいるんだわ。本を。もちろんぼくなど足元にも及ばない。どうもトロツキーやドイッチャーのスターリン観がぼくに忍び込んでいるので、“西欧的マルクス主義の伝統があったボルシェヴィキ第一世代、官僚実務になってしまいアジア的野蛮の代表格としてのスターリン以後の世代”的な印象が強かったんだな。
でも「レーニンは西欧知識人的、スターリンはただの実務官僚」というようなイメージは、訳者のあとがきの次の指摘を読むだけでも変わる。
スターリンの伝記を書いたサイモン・セバーグ・モンティフォーリによれば、レーニンでさえ「読書量に関して言えば、おそらくスターリンにはおよばなかっただろう」と言うのです。(p.391)
本書にはスターリンについて
権力のみならず真理を追究した優れた知識人(p.12)
二〇世紀で最も意識的に知識を蓄えた独裁者(p.13)
的な表現が頻出する。
ベリヤの息子・セルゴーの証言。
彼〔スターリン〕は側近を訪問すると、その書斎に入って書籍を開き、実際に読んでいるかどうかを確かめた。(本書p.137)
うわー…いやなやつ。(ぼくがやらかしそう)
それくらいの本好きである。
スターリンの蔵書研究は別にロバーツが最初ではなく1988年のユーリー・シャラーポフ以来たくさんあるようなのだが、多くの人がスターリンの蔵書研究の面白さや奥深さに魅了されている。
スターリン研究者であり、ソ連共産党を除名され、また復党したロイ・メドヴェージェフは、スターリン批判直後はその影響を受け「スターリンは知性も貧しかった」と自著(『共産主義とは何か』)で書いている。
しかし、ソ連崩壊後、
彼のスターリン観は大きく変わった。著作にはスターリンの恐怖支配に対する批判が残るが、スターリンの政治指導力、知的探求という肯定的な側面と均衡をとるようになった。(p.177)
として新たな自著(『知られざるスターリン』)で「高度の知性を備えていた」と書くようになった。こちらはソ連崩壊後のスターリン再評価が反映しているとロバーツは述べる。トロツキー的なスターリン評価からの転換である。
やはりスターリン研究者であるウォルコゴーノフについてはこう書いている。
ドミートリー・ウォルコゴーノフは一九八九年に評伝『スターリンの心』を出版した。その一章でスターリンについて「並外れた知性」と述べ、トロツキーのスターリン観を一蹴している。(p.169)
なぜ「知的な読書家」があんな暴政を?
しかし次のような疑問が当然起きる。
なぜ「知的な読書家」が無用な血を流したのか?
これは本書のオビに大書された問題設定である。
そして訳者(松島芳彦)はあとがきで率直にこう述べている。
実は本書を読了しても、まだ最も重大な疑問が氷解したとは言えません。これほどの知性を意識的に身に付けた人物が、国内において、なぜあれほど無用の血を流したのでしょうか? 著者〔ロバーツ〕は「人間の性を深く感得していたからこそ、人間がとる最悪の行動に思いを馳せ、裏切りや背反を数多くでっちあげたのだ」と書いています。(p.393)
しかしこの答えは十分ではないと思っているようで、だからこそ今後もスターリンの知的生活の部分への探求は尽きないのだという結論で終わっている。
ただ、知性というものについて、松島は、その少し前のところで、ロバーツの上記の見解もおそらく意識しながら、こう述べているのは一つのヒントだろう。
知性は「善」という立場をとれば、スターリンを最高の知性とみなすことに強い抵抗を感じるのは当然でしょう。しかし本書が論証しているように、スターリンにとって知性とは「善」ではなく「力」であったのです。あの胸が悪くなるような「見せもの裁判」の詳細なシナリオさえものが知の産物でした。(p.391)
それはマルクスの「理論もそれが大衆をつかむやいなや物質的な力となる」に根ざすものであり、共産党の事務所によく宮本顕治の書いた色紙が今でも貼ってあったりしてそこには「知は力」と大書されているのだが、それを彷彿とさせる。
ヤスパースの有名なトリレンマ、「三つの性質がある。知的・誠実・ナチス的だ。これらのうち、合わさるのは常に二つであって、決して三つ全部が合わさることはない。人は、知的で誠実であってナチス的でないか、あるいは、知的でナチス的であって誠実でないか、あるいは、誠実でナチス的であって知的でないなのかのいずれかなのだ」*1をも思い出させる。「知的でナチス的」であることはありうるのだ。
もちろん、知は必ず力に結びつくというわけではない。
読書の中で「いろんな立場があるんだな」と思ったり、「人生は多面的に物事を見るべきなんだろう」という気づきや諦観を得たりしていくことも多いはずだ。それは多様な人との共存という善性に結びついたりする。むしろ力とは逆のものだ。
文学はそうしたものに結びつきやすいとは思うのだが、一般的に文学をよく読んでいる人が必ずしもそうならないという事実と同様に、スターリンは熱心な文学の読み手であったが、それは善性へとは結びつかなかった。
スターリンの文学読書量についてのグロムイコ(ソ連の外相)の証言。
文学に関する彼の好みについてだが、読書量は大変なものだった。それは彼の演説にも見て取れる。ロシアの古典について博識だった。特にゴーゴリ、サルトゥイコフに詳しかった。また私が知る限り、シェイクスピア、ハイネ、バルザック、ユーゴーも読んでいたとりわけ、ギ・ド・モーパッサンが好きだった。ほかにも数多く、西ヨーロッパの作家を読んでいた。(本書p.310)
それはなぜか。
結局は社会の枠組みの中の一個人であったということではないか
反対者・競争者の存在は、一般的にはその人の思考の枠を広げ、度量を大きくし、その人の思想を豊かにしてくれる場合もあるが、逆にいよいよ狭量になって粗探しだけをするようになっていく場合もある。昨今のネットやSNSなどを見ればそれはよくわかる。
スターリンは、政敵であるトロツキーをよく読んだ。スターリンの蔵書には、マルクス主義者の著作が分類されているが、マルクス、エンゲルス、レーニン、カウツキー、プレハーノフの次の6番目で、それを「深く読み込」(p.193)んだ。
スターリンは疑いなく教条主義的なマルクス主義者だった。だが、自らのイデオロギーを盲信してはいなかった。マルクス主義の枠にとらわれずに、多様な著作や思想に接する度量があった。政敵を猛烈に憎悪しても、彼らの著作は注意深く読んだ。(p.39)
しかし、こうした競争はスターリンの知性を善や多様性への寛容へとは導かずに、抑圧・専制を強化する方向に作用した。
それはなぜか? という答えは、「スターリン体制だったから」という他ない。
スターリン個人の中だけにそれを探してもあまり意味はなく、まさにボルシェヴィキの一党独裁からスターリン体制の成立の中で、スターリンの知性はそれをどう維持し、支えるかということにしか使われなかったからである。スターリンを取り巻いていた社会環境が大きく作用したというべきで、そこを個人の中だけで原因探求することにあまり合理性はないだろう。
結局は社会の枠組みの中の一個人であったということではないだろうか。
だからこそ「読書してもスターリンみたいになるので無駄だ」という一般的結論を引き出すのも明白な誤りなのである。
余談
以下は余談的な感想。
本書の細部は無数に面白いことがあるが、それを全部紹介するわけにはいかないので、2つだけ。
一つは、大テロルをスターリンの頭の中での整理。
スターリンによる血塗られ大量弾圧が知的読書生活に反せずむしろその結果であったとしても、スターリンの頭の中で大量弾圧そのものはどう合理化されていたかという問題だ。
なんでもかんでも「トロツキストの陰謀」だの「トロツキー・ジノーヴィエフ合同センター」だのそことの「外国との結託」だの、そんなことを本当に真面目にスターリンが信じていたのだろうか。
かつてソヴィエトの政治を主導した人物たちが実際に罪を犯していた、とスターリンが信じていたとは思えない。強いられた自白の途方もない内容も信じてはいなかっただろう。…議論の余地は残るものの、スターリンは反ソヴィエトの陰謀が存在すると固く思い込んでいたのだろう。だが自白の細部を信じるかどうかは全く別の問題である。(p.212)
国内における一九三〇年代の残忍で大規模な弾圧は、ソヴィエト国家に対して切迫した脅威が存在するというスターリンの思い込みに由来した。(p.381)
ロバーツによれば、つまり「国内での反抗と外国の呼応によるソ連体制の転覆の危機」くらいの大ざっぱなストーリーはまじめに信じていた(思い込んでいた)が、そのストーリーを強化する細部はどうでもよかった、ということなのだろう。
体制への不満と、外国がそれを利用しようとしているということ自体は根拠のあることだろう。つまり一定の現実なのである。そこに過剰なアレルギーを発したということだ。
逆に言えば、スターリンは別の意図を隠して大量弾圧をしたとか、病気的な妄想だったとか、スターリンは操られていただけだとか、そういう議論ではないということである。
そのことの当否は即断できないけど、ありそうな話だなとは思った。
もう一つ。「善かれあしかれ党は党である」。
トロツキーの1924年の第13回党大会、つまりトロツキーがまだボルシェヴィキの正式な一員であった時の、次の言葉が本書では紹介されている。
同志諸君、党に反対する者は誰一人として、正義を願い正義を唱える資格はない。最後には党がいつも正しい。なぜなら党は労働者階級が手にした歴史的な手段であるからだ。……イギリスには、“善かれあしかれ祖国は祖国”ということわざがある。はるかに確かな正当性を以て我々は、こう言おう。“善かれあしかれ党は党である”。(p.205)
ロバーツは、この言葉を、ボルシェヴィキが真理を独占しようとする独善性の現れとして書いた。スターリンと彼が率いる多数派が政敵を悪魔化して描くのは、こうしたメンタリティの表出なのだと。
しかし、これは「いつも党は正しいことを言っている」、いわゆる無謬であり誤りを認めないという話とは違う。
党は時々に間違うけども、最終的にはそれを是正して正しい道に戻ってくる、そういうメカニズムを備えた機構なのである、という確信だ。「党に反対する者は…」というのは、党の多数派の意見に反対するという意味ではないだろう。
これは、党という是正機能をもつ機構(機械)を離れて、党そのものに反対するようになればその人は真理には到達できないよ、という意味だと思う。
トロツキーが追放された後の1930年代にソ連国内での大量弾圧とともに、ファシズムへの対応でスターリンや共産党が間違いまくり、トロツキーの「予言」はこわいくらいにピタリピタリと当たり、トロツキーの名声自体は上がっていった。しかしそれでも共産党・コミンテルンの隊列を離れる人はほとんどおらず、トロツキー派の組織は実体のない「影法師」(ドイッチャー)のような組織でしかなかった。
これは日本の共産党員の中にも少なからずある信念だ。特に古参ほどこの観念は強い。
50年問題のようなめちゃくちゃな誤りをしても最終的には是正される。ほら、同性愛について間違った発言も数十年の歳月を経て是正されたじゃん? のような。だから、今幹部がかなりひどい誤りを仮にしているなあと感じていたとしても、党そのものから離れることはなかなかない。そこから離れては、「正義を願い正義を唱える資格はない」と感じるからだろう。「最後には党がいつも正しい」からだ。
だが、本当にそうなるだろうか。
是正する装置が壊れていたらどうなるだろうか。
そのまま壊れて終わるのである。
ソ連は、トロツキーの「予言」の後、トロツキーが暗殺され、ナチス・ドイツに対するソ連の勝利という、もっとも劇的なスターリンの人生のクライマックスがその後にやってきて、トロツキーは間違っていたことが証明され、忘れ去られたかに見えたが、その後数十年かけてソ連共産党の破産(解散)とソ連崩壊によって「予言」は実現してしまった。
是正する装置が壊れていったのである。