「スペリオール」6月23日号掲載の木村きこり「その恋は、嘘。」を興味深く読む。
恋人がいない。寂しさや怒りが頂点に達した。そんな作者が女性用風俗を利用した。その体験記である。
男性向け雑誌に連載されている作品であるが、ヘテロセクシャルの男性の欲望を前提にしたような「エロい」感じがさらさらなく、本当にノンフィクション・ルポという客観視の印象が強い。
ディープキスも、乳首を舐めるのも、そして性器を触られるのも、作者にとってはどれも気持ちよくないと思っている感じが実によく伝わってくる。
といって相手の男性・Tさんが乱暴であったり、ガサツであったりというわけでもない。終わってから作者が「どこまでも優しい人だった」と思い返している通りである。
作者は「気持ちよくなれなかった」理由をあれこれ分析する。
Tさんと自分は気持ちはそれなりに通じていた。それなのにあまり気持ちよくなれなかったのは、
きっとセックスってかなり高度なコミュニケーションなんだろう。
と暫定的な結論を得るのである。
そうであろうか。
永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』を思い出す。
永田の場合も最初の体験では、性的な快楽は結局得られずじまいだった。
「性的な快楽は得られなかった」という1点において両者は似ている。
少なくない男性がほとんどなんの条件も設けずに、無条件に近い形で風俗で「気持ちよくなれる」のは、世の中の支配的な価値観に乗っかりながら、ただちに「安心」しきって気持ちを解放できるからなのだろう。
これに対して、作者・木村が気持ちよくなれなかったのは、「気持ちはそれなりに通じていた」としてもやはり知らない男性に対してすぐに心身を解放してリラックスできる社会環境がないことが大きいように思われた。
すなわちシンプルに、ジェンダーの問題ではなかろうか。
そもそも初回から気持ちよくなれるわけではないということだ。*1
一定数の女性にとって、いきなりディープキスとか、乳首を舐めるとか、性器をいじるとか、想像するだに高いハードルのような気がする。*2
木村はどうすればよかったのだろう。
木村はこの体験の後、
いつか私にも痛み〔破瓜の痛みなど〕や つらさを乗り越えてセックスしたいと思える相手が見つかるのかな
と総括したようだが、相手がいるかどうかというより、相手が心身を解放できる存在に変われるかどうか、つまり何回か会ってみてリラックスできるような関係になれるかどうかではないかと思った。(文字修正)
大きなお世話だろうが。