『現代思想』2022年12月号の「特集=就職氷河期世代/ロスジェネの現在」で「変容期の新たな生き方を模索しようとした実験性――『ロスジェネ』マンガのスケッチ」を寄稿しました。
「『ロスジェネ』マンガ」という切り口、定義をなかなか苦労しました。
北村隆志『ロスジェネ文学論』(学習の友社)の定義づけを参考にさせてもらいました。
「ロスジェネ」世代というのは、新自由主義的なサバイバルの中で、とにかく生き抜くための生活を必死で構築してきた感があって、それゆえに、旧来的な家族像・職業観・ジェンダーを期せずして壊してきた実験性=革新性があります。(同時にこれが「ロスジェネ」が突きつけられた「自己責任」論の登場と克服とは近代の課題であり、「ロスジェネ」世代においてそれが先鋭化したという点にも触れています。)
取り上げたマンガは以下の通りです。
- 福満しげゆき『僕の小規模な失敗』
- 谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』
- 永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』
- 志村貴子『放浪息子』
- 平尾アウリ『押しが武道館いってくれたら死ぬ』
他方で、社会運動においても実験的な試みがあったのですが、マンガにはうまく反映していません。『セッちゃん』にわずかに触れました。そこがこの世代の課題であり、同時にぼくらの社会全体の課題でもあります。
というふうに「ロスジェネ」世代の社会運動を問題意識に感じていたところに、同特集の富永京子「運動としての『ロスジェネ』とマスメディア 『若者』が自ら語ることの社会運動論における意義」を読んでいたら、出し抜けにぼくの名前が出てきてびっくりしました。
『ロスジェネ』の編集委員、浅尾大輔氏や大澤信亮氏、紙屋高雪氏はその後も執筆・評論活動、社会運動を続けており、増山麗奈氏がアクティビストとして二〇一六年に社民党公認で立候補したことは記憶に新しい。(p.206)
その上で、次のように評してくれていることは、率直に言って嬉しかったです。
論壇がSNSの速さの中で顧みられていないかもしれず、論壇/運動インフルエンサー供給装置になってしまっているかもしれない今だからこそ、『ロスジェネ』や『フリーターズフリー』を自らの手で刊行し、無名の人々の言葉を集めようとした若者たちのすがたは印象に残る。(p.211)