桜田『桜田の××ルポ』

 以下は、性的な内容が含まれる記事なのであらかじめ注意して読んでください。

 

 下記のエントリを読んで思ったことを書く。

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 セックスをしたとき、一方が他方をイカせられず、そのことを気に病む。そうした問題が生じたとき、パートナーが、もしくは第三者が、「イクとかイカないとか、そんなこと気にしなくていいんだよ」という言葉によって呪いを解こうとする。以下「イカなくてもいいよテーゼ」と記そう。

 だけど、「イカなくてもいいよテーゼ」は「イカなくてもいいよ」というロジックになっている通り、「イッてもイカなくてもいいが、本当はイク方がいい。まあ、イケないのならそれはそれでもガマンできる」という価値観が忍び込んでいる。

 イク > イカない

 男女のカップルの場合は、男性の方がイキやすく、イク行為が具体的で、しかも女性側が「イッたフリ」をするという社会的に広く行われているジェンダー的な偽装のせいで問題が表面化しにくいのだろう。ただ、それでも「イカない」問題は、EDの現象とか心配事の存在とか、シリアスな問題によって「イクという素晴らしい行為ができない」問題として扱われる。

 女性用風俗のマンガや、女性同士の恋愛(セックス)のマンガを読むと、ヘテロ恋愛以上に「イカない」という事実(事件)が登場する。女性同士でイクことには一定の技術が必要で、そこへのジェンダー上のこだわりの小ささも影響しているのだろう。

 女性用風俗のマンガを読むと、風俗営業従事者の男性(セラピスト)が「自分はテクニックがある」と勘違いをする、あるいは女性が「あまり気持ちよくない…」と言い出せずに、気持ちよくない施術をずっとされてしまうというエピソードにしばしばお目にかかる。

 マンガ以外のセラピストのエッセイなどもいくつか読んだけど、「中イキ」「外イキ」で全然違う上に、女性が完全にリラックスしてエロい気持ちになるまでかなりデリケートな対応と、相当な時間がかかり、最初のうちは女性側に「イク」という行為への一種の集中が必要になるようだから、イクにはものすごくハードルが高いんだなと驚くしかない。

 

 それでも女性がイクことは、やっぱり気持ちが良くて素晴らしいことだというのは、いろんな作品で感じ取れる。

 桜田の『桜田の××ルポ』は、いろんなセックスの快楽を体当たり的に試してみる体験コミックで、この中で女性同士でどうやったらイクかという開発話も出てくる。それを読むと素直に「イクことで気持ちよくなるのは素晴らしいことだな」としか思えない。

 むろんそのことは桜田の体験ルポコミックの欠陥ではない。むしろセックスをはじめとして自分の身体をこれほどまでに積極的に開発して快楽の鉱脈を探り当てようとするこの作品の意図に感動するし、そのような開発の意志を知ることは自分の人生における発見ですらあった。

 ただ、やはりこうした作品は「イカなくてもいいよテーゼ」を乗り越えられず、むしろそれを補強する。

 

 上記のAV作品をぼくは見ていないが、AVの圧倒的多数は「イクという目的のために全てを収斂させるイデオロギー」の権化みたいなもんじゃないのか。そうだとすれば、いくら女優(末広純)が

「別に今日はイかせたいわけじゃなかったの。わかるでしょ? 別に私はどうしてもイかせたいとかじゃなくて」
「はいっ!」
「女の子って可愛いんだよとか」
「はいっ!」
「触ってて気持ちいいんだよとか」
「はいっ!」
「セックスって楽しいんだよってことを伝えたかっただけだから」
「はいっ!」
「無理してイこうとしなくていいんだよ。ぜんぜん、私はそんなんで傷つかないから」

って伝えようとしても、難しいだろうな、としか思えないのである。

 

 イクという自己目的をむしろ避けて、イカないでセックスするというコミュニケーションを楽しむとこんなに自由になれて、快楽も大きい……みたいなイメージのモデルになるような創作、すなわち「イカなくてもいいよテーゼ」をくつがえすような作品はないものだろうか。ひょっとしたらあるのかもしれないが、ぼくの世間が狭すぎてぼくはまったく見たことがないのである。