オノ・ナツメ『僕らが恋をしたのは』

 「大将」「キザ」「教授」「ドク」というあだ名の、それぞれに背景のある4人の「じじい」。人里離れた山奥の一角の土地の、独立した家屋とキャンピングカーにポツリポツリと集まってきて暮らしている。4人が顔を全て揃わせるのは週2回程度。それぞれ独立独歩だが緩やかに交流がある。

 ここは「じじいの楽園」である。

 その「じじいの楽園」に少しだけ年下の「美女」(「お嬢」)が突然やってくる、という物語だ。

 この話が読んでいて快楽なのは、まず何より、この集団・この空間が「楽園」のように思われるからである。

 前の記事で挙げた定年後の人生。年金というベーシックインカムを充実させ、住居費という経常経費が抜本的に軽減され、医療・介護の負担が「ない」と想定されたとすれば、それはすなわち共産主義的楽園をイメージしうる。

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 本作では、何よりも4人が悠々自適に生活している様が魅力的である。

 りんご畑。

 ガーデニング

 ログハウス。

 薪割り。

 石窯。

 料理。

 読書。

 散歩。

 酒を交えた会食。

 例えば教授の生活。日がな読書をして、散歩をし、何やら書き物をしている。ときどき、りんご畑や薪割りを手伝い、食事にも顔を出し、好きな焼酎を飲む。口数はきわめて少なく、他の人たちの驚くべき引き出しの多さや、賑やかな語り口に、一見無表情そうに耳を傾けている。

 うん、なんだか、仕事をしばらく休んでいる自分の姿が重なる。

 素っ気のない教授の言葉のやり取りや表情(下図参照)に憧れるけども、こんなにクールにはなれないな…。

 

オノ・ナツメ『僕らが恋したのは』2、講談社、kindle33/172

 「お嬢」が酔いながら腕に絡んでくるシーンがあるが、そんな時にもこの表情、このトーンを一切崩さない。ぼくなら、骨がらみでだらしなくなっちゃうだろうが。

 教授は福岡の居酒屋でたまたま隣になったドクと言葉を交わすうちに、この山奥にきたのだという。

「リタイア?」

「来年でね」

「リタイア後は何をして過ごすの?」

「何も」

「じゃ続けて働くとか?」

「…働くのはもういいな

 働く以外他になかったから」

「山に興味は?

 定年退職した知人が山暮らしをしていて 空き家もあるらしい

 予定がないなら」

「…予定はないけど

 山ね…」

 

 ただ、この4人の悠々自適な生活はどうやって成り立っているのかが一番気になる。例えばみんなで温泉に行って飲み食いするシーンがあるけども、年金や貯金は果たしてどれくらいあるのか、という気持ちが起きる。

 この4人の資産的な基盤は、この土地の所有者である大将が源泉だ。土地は大将が親からの資産を譲り受けたものだ。りんご園や薪売りは一定のビジネスとして成り立っているようだし、サウナ小屋やログハウスを作ってもらうようドクを雇う資力も大将にはある。ログハウスなどを人に貸し出してお金を得る投資ではあるのだが。

 キザは大将の土地の一部を買い、家を建て、ガーデニングをしている。大将と同僚であったというから、退職金と年金があるのだろう。

 ドクは、キャンピングカーで生活をし、ここでは木の伐採を手伝っている。雇ってくれたら少し居着くかも、と言っていることから察するに、世界中を渡り歩いて小金(ひょっとしたら大金?)を溜め込みながら、「小さな仕事」を請けて蓄えを減らさないようにしているのだろう。

 教授は、そのフォルムに似合わず、「日雇い」や「工事現場」を渡り歩いてきたという。「働くのはもういいな」と言い、「リタイア」を決めてここにきたというのだから、うん、まあ、お金を貯めているんだろうな、と想像できる。

 つまるところ、大将に譲られた財産があり、いま現に一定のビジネスからの収入がある。それを手間仕事などで分けてもらいつつ、退職金や貯金があり、年金で暮らしているのがこの4人の悠々自適——「楽園」の基盤になっているのだろうと考える。

 健診の話題も少し出てくるが、この4人にはどうやら医者や介護は今のところ必要ないようだ。つまり健康不安がほとんどない。りんご畑——農業にしても、体の自由が効く間の十数年に限定されたものであることは想像に難くない。「健康」ということもこの4人の楽園生活を支える重要なリソースだ。

 

 お嬢の登場で大将やキザが少々鼻の下をのばし、ごく小さな鞘当てまでする。あれあれ、これってサークルクラッシャー的な話になっていくのかな…と先行き不安に思うのだが、そこはやはり、初老の人たちの話。そんな脂ぎった、ハタチそこそこの若造たちのような展開にはならないのである。

 お嬢は確かに「オタサーの姫」的な存在にはなる。だけど、海千山千、酸いも甘いも噛み分けてきた4人は、色恋や性欲というものへの距離感を抜群によく知っている。ちょっと心の高揚剤として使って、自分の中で軽く飼い慣らして楽しんでしまうだけなのである。

 うわ〜いいな〜と思う。

 高齢期になったら適度に枯れろとか言われるけど、ぼくなど「そうかな」と懐疑が拭えない。中高年どころか、中高生のように性欲に振り回されているぼくの現状では、とても適切な距離などとれやしない。

 枯れるのでもなく、しっかり自分の中にある恋愛的な感情や性欲を大事にして、しかしそれをうまく制御しているあたりまで、なんというユートピアだと悶絶しそうになる。

 そう。

 「初老」とはもともと40歳ごろのことらしいが、まあ、現代では「定年」を迎える60前後のことであろう。それが視野に入ってきた今、このマンガの生活および人間関係、そして恋愛は、ぼくにとって「リアルなユートピア」、「手の届く共産主義社会」なのである。