岡田索雲『ようきなやつら』

 短編集である。

 この中の『追燈』は、関東大震災における朝鮮人虐殺を描いた短編だ。

 「あとがき」で岡田自身が

関東大震災の発生から今年で99年になりますが、その際、起きた朝鮮人虐殺に焦点を置いて描いた漫画作品を自分が調べた限りでは見つけることができませんでした(歴史の学習まんがで多少ふれられているものはあった)。

とした上で

朝鮮人虐殺に目を向けた初めての漫画

かもしれないと書いている。

 ぼくも特に知識があるわけではないので、管見の限りでは他に読んだことはない。つまり初めて朝鮮人虐殺をテーマとして描いた日本における画期的なマンガなのだ。

 本作でも参照されている藤野裕子『民衆暴力』の感想で、ぼくは同書を読んだ際に関東大震災における朝鮮人虐殺のイメージが覆ったことをぼくはかつて書いた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 まず、殺害は東京だけなのかと思っていたら関東一円で広範囲に起きていて、東京では軍隊が川などに連れて行って20人とか30人を機関銃で撃つ、収容所の営庭で斬る、というような殺し方をしている目撃証言が紹介されているのだ。(日にちが遅い埼玉では官憲側が民衆を制止している。)

荒川駅の南の土手に、連れてきた朝鮮人を川のほうに向かせて並べ、兵隊が機関銃で打ちました。…あとで石油をかけて焼いて埋めたんです。(p.171)

 それまでのぼくのイメージは、朝鮮人への恐怖感がデマによる扇動で高まり、東京の町内で自警団ごとに、例えば1カ所で2人、3人、とかいう殺害をされてそれが集積されて「数千人」…というようなものだった。

 それがひっくり返ったのである。

 軍隊・警察自体が手を下して各地で大量の殺人が行われていたのだ。

https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2020/10/12/090000

 本作では、そのイメージがマンガとして再現されている。

 そして、それはごく一部の「映像化」に過ぎないことを、作者が叫ぶようにして、これでもかと虐殺の事実をフキダシにして綴っていく。

 岡田には逡巡、というか葛藤があった。「あとがき」にこうある。

もし『追燈』が朝鮮人虐殺に目を向けた初めての漫画であるならば、“妖怪もの”として描いてよいものだろうかという葛藤もあったので、今作に関しては妖怪の存在を極力、曖昧にして描きました。

 フィクションという体裁ではまだノンフィクションを超えられないと思ったのであろう。しかし、この事実を伝えたいという圧倒的な岡田の思いが10ページにもわたる証言からの抜き書きという形式を採用させたに違いない。

 読んでみて、やはりマンガにするということのインパクトの大きさを感じた。人々がこの事実を胸に刻む上で、今回の試みは本当に画期的だ。なぜこの歴史がマンガにならなかったのか、そのことが不思議だ。単行本にした編集や出版社の英断も称えたい。

 岡田の後にも多くの人たちがこれをマンガにしていくことを期待したい。