山本直樹『田舎』

 「福岡民報」2021年6月号(No.1711)に「マンガから見えるジェンダー」という3回連載の第2回目が載った。山本直樹『田舎』を入り口にしながらエロマンガについて書いている。エロマンガというポルノが問題だと思う人はなぜそれが問題なのか答えられる(言語化できる)かどうかを書いた。

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 「民報」で書いた論点自身は拙著『不快な表現をやめさせたい!?』ですでに書いている。

 『田舎』について書いたというより、『田舎』を入り口にして、ジェンダーやポルノを語ったというものだ。

 『田舎』そのものについては作品自体の「楽しさ」をもう少し書きたかったが、とても紙幅が足りなかった。

 そこで、ここに少しメモ程度に『田舎』について記しておく。

 

 山本の前単行本にしてエロマンガである『分校の人たち』については以前に書いた。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 『分校の人たち』についてそこで書いた魅力は、『田舎』でも踏襲されている。

 永山薫が「ユリイカ」(No.728)の山本直樹特集で書いたことであるが、永山は

 『分校の人たち』は、いずことも知れぬ地方の分校を舞台に、生徒たちが延々とセックスを繰り返すだけの長編漫画である。…そこには成熟した、世知に長けた、欲望に貪婪な男女はいない。そこにあるのは性器というより泌尿器であり、即物的に反応する敏感な粘膜である。

 性器には最低限の修正しか施されていないが生々しさはなく、派手な反応もない。ただただ事は静かに進行する。(「ユリイカ」p.42)

と述べている。

 永山が言うところのポルノグラフィの根本原理、

過剰さの追求(前掲p.42)

を山本は少なくともこの『分校の人たち』では、しない。

 

 山本が、「森山塔」のペンネーム時代に培った原点について永山は、

森山塔は情熱的では無い。少なくとも情熱をむき出しに迫るようなことは描かない。森山塔のセックス描写は即物的で、まるで生物学者が、とある生物を冷静に観察しているように見える。(p.38)

…どんなアイデアを投入しようが、森山塔は登場人物の誰にも感情移入をしない。突き放して見ている。無情であり、非情でさえある。(p.39)

として、

山本直樹の『分校の人たち』を読んだ時、「ああ、森山塔が帰ってきた」と感じた。(p.40)

と評した。

 だけど、『分校の人たち』と『田舎』には違いはどこだろうか。

 『分校の人たち』に登場する男女3人の生徒がセックスにハマっていく。

 ハマっていく際に、3人は確かに「まるで生物学者が、とある生物を冷静に観察しているように」お互いの体を探り合い、開発を繰り返していく。

 そこには、「観察」や「突き放し」に徹しきれない、微妙な感情の交錯、貪婪さが見えてしまう。例えば、男女2人の生徒がセックスしている間にもう一人の女の生徒が感じるわずかな嫉妬心、あるいは好奇心のようなものである。

 「観察」や「突き放し」のレベルを極限まで高めていくことで、「ただただ事は静かに進行する」ものの、それゆえに、本当に微細な登場人物の感情の上下が電撃のように読むものの欲望を刺激する。

 下図は、学校のトイレで男女二人の生徒がセックスをしている間、ただの成り行きで疎外されてしまったもう一人の女の表情である。この女の生徒にこそ、『分校の人たち』の中では、読者の欲望を集中的に刺激する要素が詰め込まれている。

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山本直樹『分校の人たち』2、太田出版Kindle版No.111/195

 

 探求するかのような『分校の人たち』の男女3人に対して、『田舎』に出てくる、田舎の親戚に滞在する受験生(フーちゃん)と、滞在先の親戚の少女(キーちゃん)とのセックスには「観察」というニュアンスが退く。

 「観察」という行為の中にある、対象に淫する感情、対象にのめり込み所有し支配しようとする姿勢が薄くなっているのだ。

 『田舎』でのセックスはますます「即物的」となり、「突き放し」が徹底されていく。

 欲望的な感情については、微妙であっても揺れ出す瞬間はほとんどない。代わりに、「キーちゃんはひょっとして亡者ではないのか」とか「夏が終わってしまう」とか、そういう感傷ともいえる感情が揺り起こされるシーンが入っていて、むしろ全体としては抒情が漂う。

 ぼくからすると『田舎』は実験作のように見える。突き放そうという山本の態度を研ぎ澄まして、いくところまでいってしまった、とさえ見える。

 

 だから、ぼくにとって『田舎』と『分校の人たち』はどちらも十分にエロいのだけど、どっちがオカズ性が上かといえば後者の方なのである。

 

 山本は『田舎』で突進した徹底性に「気が済んだ」のかもしれない。最新作の連載では、また4人の少年少女たちによる性的な感情の交錯をテーマにしたものに戻っているからだ。