『君は放課後インソムニア』と『花野井くんと恋の病』

※ネタバレがあります。

 

『君は放課後インソムニア

 オジロマコト『君は放課後インソムニア』は、不眠症インソムニア)の男子高校生・中見丸太(なかみ・がんた)が、今は誰も使っていない学校の天体観測ドームで、やはり不眠症で同じクラスの女子高生・曲伊咲(まがり・いさき)に出逢い、天文部を再興する物語である。

 4巻のバス停のキスシーン(というかキスしているかどうかよくわからないシーン)があまりに良すぎて、なんでこんなに悶えるんだろうと思いつつ、最近の少女マンガのそれにはなんでそんなに悶えないんだろうと考えた。

 

 

 

 キス(疑惑)シーン自体ではなく、その直前、二人きりのバス停で、雨に濡れた曲(まがり)が中見に向かって、

あの日からずっと、

中見はわたしの特別なんだよ。

というコマがたまんなくて、何十回も見返しているのである。

 なんでこんなにいいんだろうということについて、いくつか仮説を立ててみる。

  1. 女子と2人きりの部活で、2人は「同病相憐れむ」的な心理を共有している。
  2. 恋人でもないのに「2人で一緒に寝る」「2人で夜に出かける」「2人で星を見て海で戯れる」…という体験を重ねていく。
  3. 「わたしのことも撮ってね。」「中見がいないとさ。眠れないから。」的な自分に向けられた女性のメッセージに「付き合ってないけど、それはきっとぼくのことが好きに違いない」という気持ちを引き起こさせて楽しい。
  4. 中見の外見(?)がぼくに近い=感情移入しやすい。

…あたりであろうか。

 恋愛の一番楽しい時間は、お互いの気持ちを確認し合う前、相手が自分に好意があるのではないかと確信する瞬間ではないか(個人の感想です)。2.と3.ということは、それが連続しているということなのだ。

 振り返って、最近の少女マンガにどうも自分がノレないのはなぜかを、まず一般論で考えてみる。

 いざ考えるとぼやっとしてしまって、ある程度読んでいるはずなのに、少女マンガのイメージがなかなか湧きづらい。気持ちが入っていないせいであろう。

 やっと考えたのは、上記4.の裏返しだけであった。

  • 男の側の外見がぼくと程遠いイケメンである。

 たぶんこれだけではないのか…。

 

『花野井くんと恋の病』

 というわけで、具体的にやはり考えてみたくなって、手元にあって2巻くらいで挫折してしまっていた、森野萌『花野井くんと恋の病』を読み進めてみた。

 

 

 

 

 まだ恋というものをしたことすらない日生(ひなせ)ほたるが、すっごいイケメンの花野井颯生(はなのい・さき)に彼女になってほしいといきなり告白され、恋愛を育んでいく物語である。

 1巻で抵抗感が大きかったのは、花野井のキャラが何を考えているのかわからない、むしろサイコっぽさが先に立ってしまい、「いねえよ、こんなやつ…」と思ってしまうからであった。2巻で、初詣に友達みんなと出かけているのに打ち解けようとしない花野井の様子に、キャラの面白みではなく、読者としていたたまれなささえ覚えた。それから1巻冒頭に出てくる「運命の人」というキーワードに、全然ついていけなさを感じた。

 何よりも花野井の造形。ぼくとなんの共通点もないイケメンなのである。

 感情移入などしようがなかった。

 

 しかしである。

 3巻以降を読んで、次第にのめり込んでいった。

 「ほたる以外には塩対応」という花野井の性格にも焦点が当てられ、人付き合いの苦手さとして描かれ、それを周囲が花野井の性格を変更させようとするのでもなく、花野井を花野井として受け入れたまま受容していこうとする。「弁当の会食」という高校生社交における花野井とほたる友人たちの努力、球技大会でほたるのためにバスケットで優勝したいという花野井の願いを叶えるために「友達にならなくてもいい」という花野井の前提を受け入れつつ事実上友達となっていくクラスの男子たちの計らいがそれである。

 「友達の中での2人」というのは少女マンガではとても大事なテーマ。これは『花野井くん』に限らず、少女マンガの良さであるなと思い直した。

 そしてキスシーン。

 1巻で押し倒したかのような形でキス寸前までいって以来、花野井は「もう、許可なくほたるちゃんには触り……ません」と誓う。絶対に触っていないかというとそんなことはないのだが、少なくとも花野井から(口への)キスはしない。

 4巻で花野井は、ほたるに、もしキスしてもよいという準備ができたら「合図」をしてほしいと頼む。

 そして5巻。雨の降る日に誰もいない特別教室でほたるは花野井の頭にキスをして、「合図」を送るのである。

 ほたるの中から(花野井が)かわいいのでもっと触れたいし、近づきたいという気持ちが自然に湧き起こってくる。その延長としてキスがあり、合意としての合図がある。「合意のある/合意のない性的な接触」というのはとても現代的なテーマだけど、なんとその「合意」が実に5巻もの時間をかけてゆっくりと花開いて実るのである。

 恋愛感情さえ知らなかったほたるが、自然に自分の中で高まってくるものを確認し、合図を送り、行動し、花野井を受け入れる描写がまことにかわいい。ほたるがキスの後に「ぷはっ」と息継ぎをするのは、単に息苦しいというよりも、ほたるの健気な精一杯さが伝わってくるのである。(だからこの本編のキス描写の後を描いた「番外編」で、何度も何度も花野井がほたるにキスをするシーンがさらによかった。)

 このキスシーンは素晴らしかった。

 その時、ぼくは決して花野井と自分を同一視をしてはいない。

 むしろこのイメケンとほたるのキスを、外側から眺めている感覚で読んでいる。そして、ほたるのかわいさに見とれているのである。

 

 とどのつまり、『君は放課後インソムニア』と『花野井くんと恋の病』は全然違った、という当たり前の結論に行き着くのである。