『シジュウカラ』は、売れなくなった40歳の女性マンガ家(佐々木忍)がアシスタントに来た22歳の男性(橘千秋)に恋をしてしまうという物語である。
…と書くと「あー、ハイハイ」と言われてしまいそうだが。
忍はいったん千秋への恋心を断念する。つまり、「自分の息子にさえ近いであろう年齢の仕事仲間を性的な目で見ない」と決心するわけである。
見境なく恋に落ちればいいというわけではなく、そもそも忍は、夫がいて息子がいるという「家庭持ち」な上に、分別があるとされている40歳なのだから、そういう断念をするのは自然ではある。うむうむ、常識的なオトナじゃないか。
しかし。
そんなに単純に割り切れるなら話は早いが、そうではないのがアラフォーの(心の中の)リアルだ。
執筆のための職場で二人きりになったり、食事や旅行に行ったり、スキンシップを重ねているうちに、結局その都度振り回されてしまうのである。
他方で、夫とのセックスには嫌悪感を催させるような描写が続く。ジャージ姿で家でくつろいでいる格好がちょうどぼくのようで、客観的に見たら俺ってまさにこの夫ではと思い凹む。
そして再び忍は千秋への恋心を断念する。
マンガ家としてそこそこ売れるように復調してきた5年後、高校時代の元カレで、マンガの編集をしている男性と出会い、セックスをする関係になってしまう。
なんと言えばいいのか、とてもみっともないのである。忍が。
40代として分別のあるような顔をしておいて、結局何度もふた回りも若い男性への恋に千々に乱れ、体を悪くした夫との落ち着いた生活に戻るのかと思いきや、ズブッズブの不倫関係に入っていき、その関係を「ラクだ」と感じてしまう。
そもそも忍のグラフィックと行動の中途半端さが革命的である。
例えば口の横にほうれい線を入れたりするわけではないので、忍は少女や若い女性と見えなくもない。しかし、忍の裸を描くときは肉がついた40代のリアルな体なのである。少女のようでもあるが中年でもあるという心象がそのままカタチになっていて、それがものすごくみっともない。
若い男と二人で勝手に温泉まで行って一泊しておきながら、カラダはどうかと思うのキスまでなのよ(しかも舌を入れるめっちゃエロい感じのやつ)というその態度は一体なんだ。良識あるオトナなのか、恋にのぼせるオンナなのか、ハッキリせんかい。
だけどそのようにみっともなく、もがいている40代の姿こそが、40代自身が感じている動揺であり、この作品の最大の魅力なのであって、これをどちらかに寄せて描いてしまったらこの作品は根源的にダメになってしまう。素晴らしい混乱のバランスで描かれているのである。