勝敗の明暗を残酷な形で示すスポーツというものは、どうしても「格下」と相手を見る意識が生まれるものなんだろう。
データにもとづく徹底した科学的な分析で高校野球でジャイアント・キリングを起こそうとする西餅の『僕はまだ野球を知らない』は第4巻で強豪チームの露骨な差別意識が描かれている。
「ま 何にせよ せこい変則P(ピッチャー)には変わりない
格下相手にこんなしょぼい点差で終わったら俺らBチーム
監督にアピールできねえよなー
あの四番手 あいつがたぶんエースなんだろ
あいつボコって一気に突き放そうぜ」
「こういうピッチャーって
ほんと意味わかんね
能力ないのに なんで投手にしがみつくんだろう」
中学時代に軟式テニスの前衛をやっていて3年生最後の試合で、よその中学と対戦した時、ぼくが穴だとすぐ見抜かれ、どんどん横を抜かれて、あっさり負けた。「はっ、こいつが穴じゃん」と思われたわけである。
いや全くその通りなんだよ。
そしてそれがスポーツなんだよ。
弱点を徹底して攻める。残酷なまでに。
それで勝敗を決めるというのがまさにスポーツなわけだ。
でも本当にムカつく。
どうしたらいいんだかわからない。
圧倒的な差があってその間を埋められない。そのために何もできない。
そしてスポーツにおいて能力がある人間は、どうやらそうでない人間を「格下」に見ていいようなことになっている(面と向かって言ってはいけないとしても)。
つまりスポーツの場面では、ただ自分は「格下」であり続けるしかない。
その圧倒的な差の壁の前で絶望するしかないのである。
その壁を少しずつでも崩していこう、一矢報いようではないか、というのがこのマンガの面白さだとみた。データとそれに基づく科学で説得的にそれをやろうというのである。