FLOWERCHILD『イブのおくすり』

 このマンガを何度も読み返してしまうのは、興奮する中身だったから。しみじみ、今自分は百合にエロしか求めていないなと思った。

 

 特に中学生の衣舞と養護教諭とおぼしき由仁とのカップリング。

 最終話では、教師という指導的立場にあったはずの由仁と、ペット的な存在だった衣舞の力関係が、欲望を媒介にして完全に等価になってしまう。というか逆転してしまう。

 全体的にそうだけども、特に最終話のセックスシーンは、「気持ちいいと思う部位を探り合う」という描写にまみれていて、欲望とは愛情とまったく同じものだというテーゼが見事に立ち上がってくる。

 セックスをすること、快楽を与え合うことが愛情なんですよ、という世の中ではおよそ相手にされない、しかしぼくのような男性の中にあるファンタジーを刺激してやまない作り込み方、本当に好き。

 

 さらに、中学生の永南とその先輩・馨、そして志摩コーチの3者が絡むエピソードは、さらに歪んでいる。

 永南は自分が憧れていた馨が実は志摩コーチと恋仲、というか性的な玩具であることを知り、今目の前で自分が失恋しているにもかかわらず、性的快楽を与えられる機会に抗えずにその行為の中に誘われるままに入っていってしまう。

 お前は根っからの性的な存在なんだ、と思い知らされるわけである。

 「気持ち悪い!」と怒鳴りながら快楽に溺れたり、馨先輩がおもちゃにされてると嘆きながら自分がその流れに乗っかってしまったりする描写には、ある種のコミカルささえある。

 

 人間が性的な存在でだけあるはずがない……が、あたかも性的な存在としてのみ描いている。いやこの場合、「人間」のところは「女性」にしたほうがいい。とりわけ1グラムも性的な存在であってはならない、学校という空間で「性的存在」であることをさらけ出してほしい。そしてもちろんそれは妄想であり虚構であるが、説得力を持って成立するのが本当に素晴らしいと思う。