ぼくのヒザ故障の経験
中学校の時、運動系の部活動をやっていて、生涯にあれほど運動した(させられた)経験は今後もう二度と訪れないであろう。
基礎をつくるトレーニングについては、教員はまともに指導していなかったし(最初の2年間に顧問だった教員はほとんど部活動には出てこなかった)、科学的なトレーニングが全然確立されていなかった。というか、あったのは先輩からの「しごき」だけ。前から引き継がれている「苦しみ」を順に下におろしただけなのである。
うさぎとびなども平気で行われていたし、部活動中に絶対に水を飲まないという規律もあった。
学校が備え付けていた器具に、腹筋運動をやる台があった(「腹筋台」と呼んでいた)。
この腹筋台で毎日30回×数本やらされていた。
腹筋が割れたのは、人生でこの時だけだろう。見事なシックスパックだった。
しかしこの腹筋台は、頭の方が下がっていて、足を引っ掛けるT字型のハンドルが付いていた。つまり、水平面でやるよりも負荷をかけて腹筋をするようにできているのである。
学校の設備なのに、こういうものは誰かが科学的な検証をして備えているのか? といまなら思うけども、当時は素直にそれに従ってやっていた。
しかし、やがて、膝が痛くなってきた。
どうにも痛いので、整形外科に見せにいった。
すると「これはオスグート・シュラッター病です」と診断された。「成長期に無理な運動とかで負荷をかけるとこうなるんです」。あまりに典型的で、学会で発表したいから写真を撮っていいかと尋ねられたことを覚えている。
膝の関節から下の「すね」の中心には脛骨(けいこつ)という太い骨があり、その膝関節近くに脛骨粗面という盛り上がった部分があります。ここは12歳前後に発達しますが、その過程で異常が生じることがあるのです。子どもの成長に伴ってよく見られる成長痛の一つです。骨の変形に加えて、骨の一部がはがれる「剥離骨折」が起こる場合もあります。……
https://tiryo.net/osugood.html
子供の骨は成長の過程で柔らかい骨から硬い骨へと変わっていきますが、 その間の骨はやや不安定な状態になり、運動などの刺激によって異常が生じるものと考えられています。
こうした不安定な状態は、骨の成長スピードに膝周辺の筋肉や腱の成長が追いつかず、アンバランスな筋骨格構造になることが主な要因です。こうした状態に過剰な運動による負荷が加わることでオスグット病の症状が現れます。
医者は無理な運動が原因だろうと言い、特に、その変な腹筋台がいけない、という旨のことを告げた。今でもぼくの膝は、骨のようなものが少し飛び出した状態になっていて、正座がしにくい。
ぼくが今愛読している野球マンガ『グラゼニ』も、『おおきく振りかぶって』も期せずして、スポーツのさいの故障の問題である。
結果に予断を持たせない
『グラゼニ 東京ドーム編』7巻の方は、肘を故障し、トミー・ジョン手術を受けた、主人公でプロ野球投手・凡田夏之介が、復帰戦に臨むという展開。「打ちごろの球を投げてしまう絶不調であるにもかかわらず、オープン戦で花を持たせて、開幕に引きずり出す」という古巣だった相手チーム(スパイダース)の計略にハマり、先発で登板するのである。
これ、話の運びとしては、つまり物語としては、すごくうまい、というか、面白いのな。どうしたらこんなふうに「手に汗握る」という展開にできるのか。そして、1回読んだだけでなく、後で何回読んでも面白い。見事である。
まず、夏之介が負けるのか、勝つのか、まったくわからない。「最後にどこかで逆転劇が来るんだろう」という予断が、いい意味で働くこともあるけど、それがない「ミステリーツアー」のような状態がもうたまらない。
そして、相手チームの投手は、かつて夏之介の憧れで、しかし、今や落ち目になりかけている元エース投手で、圧倒的な球威を依然として持っている投手であるにもかかわらず、復帰戦を戦う夏之介と奇妙にシンクロしてくる。
しかも、終わってみて、その1勝とか1敗とかが、本人の努力だけではどうしようもなく決まるのに、それが本人評価に大きな影響を与える決定的な意味を持つ結果だったとされる。プロ野球というスポーツの悲哀というか、不思議というか、矛盾というか、ドラマのようなものを、見せられるのである。
ここまで言い切っていいんかいな
もう一つは『おおきく振りかぶって』27巻。
こちらは、「テニス肘」に始まり、肘の筋肉や軟骨などの障害がかなりのページをとって、コーチ(モモカン父)の語りとして描かれる。
ぼくは野球で投手の肩や肘が壊れるというのは特別な負荷をかける、歪んだ競技だと思っていた。
つうか、ぼくは、スポーツというのは全体としては体の酷使をしており、部分的には様々な体の箇所に特別に無理な負荷をかけるもので、「スポーツは体にいい」というのは多くの場合、うそだろうと思っていた。
まあ、今でもそう思っているわけだけど。
ジュニアプレーヤーの2割が故障かかえてるスポーツなんて
どっかおかしいんだ
というコーチの言葉は、ぼくのそういう感じ方を裏付ける発言かと思った。
そのあと、選手たちは、コーチの投げかけに自問自答していくのだが、結論として「全体をバランスよく酷使するのではなく、ある部分だけを偏って酷使する使い方をしているから」というところに至る(ぼくのまとめ方ではあるが)。
したがって、コーチの故障予防策は、バランスよく体を使うことなのである。
投手が片方の肩や腕を使い込んだら、もう片方をロープひきの運動を加えることでバランスをとるのだという。
ええっ、ホントにそうなの!?
そしてブルペンでの練習をやりすぎたらダメじゃないのかという、選手(阿部)の疑問に対して、さっくりこう答える。
故障しないか?
250投げたってしないよ
練習は試合とは全然違う
ブルペンで何球投げたって
故障なんかしないよ
練習では腕パンパンになるまで
投げていい
むしろそうしなきゃ
試合でもたない!
あっけにとられる阿部。
うわーっここまで言い切っていいんかいな?
ぼくは野球のことを全く知らないので、この発言が常識なのか、度はずれた一知見を述べているにすぎないのかわからない。
ただ、例えば『グラゼニ 東京ドーム編』7巻でも、夏之介が練習では140km/h出せたのに、実戦では130km/hそこそこしか出せないことに苦しむのは、練習と実践の差なんだろうと『おお振り』27巻を頭に思い浮かべつつ読んだのであった。
ケガ・故障は、スポーツにおける矛盾の集約点である。
「ケガから不死鳥のように蘇る」という単純な筋立てでなく、その矛盾をどうやってアウフヘーベンさせるのかに、作家の力量が大きく現れるのだと2作品を読んで思った。