仕事帰りに近所の田んぼを熱心にのぞきこんでいると「なんかおるとですか」と地元のばーちゃんが声をかけてきた。
「カブトエビがいるんですよ」
と答える。その田んぼだけに、カブトエビが大量にいるのである。
そのばーちゃんは、カブトエビを知らなかったらしく、カブトエビとは何か、どんな生態なのかいろいろと疑問を投げかけてきた。
- カブトガニに似ているが、まったく別の生きもので、カブトエビはミジンコに近い仲間であること。
- いる田んぼといない田んぼがあり、その理由は謎であること。
- トラクターのようにして泥をかきあげ、泥の中の微生物を食べているほか、浮いているワラくずや浮き草の根など、なんでも食べるということ。
- 50日くらいが寿命であること。
- カタツムリのように雌雄同体で、卵を産むこと。
- 田んぼが干上がるとカブトエビは死ぬが、卵は乾燥に強く、10年以上たっても卵はかえること。
- 産み落とした卵は水が干上がってから、またもう一度水がやってきたときにかえるけども、そのうち3分の1しかかえらない。他の3分の2はまた水が干上がり、もう一度水がやってきたときに(その3分の2うちのさらに3分の1が)かえる、ということ。
- カブトエビは3億年前から姿形がほとんど変わっていない「生きた化石」であるが、今言ったような適応戦略が非常に優れていて、早くに進化を完成させているのではないかということ。
などを疑問が出るたびにていねいに答えた。
「はー……」
と、ばーちゃんはひとしきり感心し、
「先生は、〇〇大学(この近所にある)の先生ですか」
とぼくに言った。ぼくはあわてて、
「は…? いえ、ちがいますよ。ただの聞きかじりのシロウトです」
と否定した。
(おばあちゃん、こんな話は、子ども向けの本に書いてある程度のことなんですよ…)と心の中でつぶやく。
こうした話は、すべて近くの市立図書館から借りてきた、子ども向けのカブトエビの本の受け売りである。谷本雄治『カブトエビの飼育と観察』(さ・え・ら書房)、谷本『カブトエビは不死身の生きもの!?』(ポプラ社)の2冊である。
著者の谷本は、新聞記者であるとともに在野の研究者でもある。
『カブトエビの飼育と観察』は1998年に刊行された本で、上記に述べた基本点がほとんど出てくる。付け加えると、カブトエビのうち、アジアカブトエビ(西日本に多い)はオスの個体、メスの個体がいるようである。
カブトエビについてそうした基本的なことがわかるとともに、後半で「飼い方」が載っているので借りてきたのである。
カブトエビは、ぼくの田舎(愛知)にもいたのだが、滅多に見なかった。小さい頃に実際に田んぼで見たのは、一度だけである。だから、「まぼろしの生きもの」感がぼくの中でハンパなく、これを見つけた時は、例えばミヤマクワガタを見つけた時の子どものように、胸が踊ってしまうのである。そして、何としても飼ってみたいという衝動に駆られていた。
そして、実際に田んぼですくってきて、4匹飼い始めてしまったのである。子どもの教育とかそんなんじゃなくて、純粋にぼくの興味で。ぼくの子どもの頃のノスタルジーで。
ぼくから見ると、動きがユーモラスで、いつまで見ていても飽きないのであるが、つれあいから見ると「ゴキブリのようだ。見ていてキモい」ということになる。
しかし、結局1週間経たずに全滅した。
寿命であったと見ることもできるが、飼い方が悪かった可能性も高い。
『カブトエビの飼育と観察』で示された飼い方に、いろんな点で背いた。
例えば、田んぼの泥を持ってくるという点。
これは以前ホウネンエビを飼った時もそうだったのだが、田んぼの泥を持ってくると、水槽全体が濁ってしまい、肝心のカブトエビがまったく見えないのである。他の本でも必ずしも泥を入れていない写真を見るので、ぼくは無視した。しかし、だいたいどの本でも「田んぼの泥をいっしょに」などと書いてあり、悩んだ。
水は指示通り「くみおき」を使った。
エサは、「いろいろ試してネ」として「メダカのえさ」(ミジンコを砕いたもの)、「ごはん」(ご飯粒)などが推奨されていたのでその2つをやった。
カブトエビは休まずに動いていて、ひっきりなしに何かを食べています。その時、どんなふうにしてくちに運ぶかを観察したところ、くちでけずるようにして食べたり、土にへばりつくようにしたり、背泳ぎのかっこうのまま、おしりの方から、からだの溝を通してえさを送り込むような食べ方などをみせてくれました。えさの種類によって食べ方もちがってきます。(『カブトエビの飼育と観察』p.58)
他に「土の中の小さな生き物をかき出して食べる」(同前)ともある。
メダカのエサを与えた時にはあわてて水面のエサの方に近づいてきて「背泳ぎのかっこうのまま、おしりの方から、からだの溝を通してえさを送り込むような食べ方」をした。ごはんつぶを落とした時には、その上に乗って「土の中の小さな生き物をかき出」すようにその上に乗っかり、「くちでけずるようにして食べたり」した。
そして「ひっきりなしに何かを食べています」というのは本当で、いつエサを与えても、それに飛びついた。したがって、どれくらいの間隔で与えていいのかがわからなくなってくる。また、浮き草を与えるといいと書いた本も多いし、本書でも浮き草を浮かべるように推奨しているのだが、田んぼには全く浮いておらず、どうしようもなかった。
〔エサを――引用者注〕いつまでも水の中に入れておくと、それらが腐って、カブトエビを死なせる原因になります。(同p.57)
とあるのだが、「休まずに動いていて、ひっきりなしに何かを食べています」ということと矛盾するのではないか、と思ったし、そもそも田んぼでは腐敗したものがいっぱいあるのではないか、などの疑問が頭に浮かび、解決されなかった。
また背泳ぎをしていることが多かったのだが、
暑い時にはおなかを上にする背泳ぎが多く見られました。おそらく水中の酸素が足りなくなったからだと思います(同前p.56)
だったのかもしれないとも思った。
結局1週間でカブトエビが全滅した理由は、
- 食べカスが腐ってしまった?
- 水中の酸素が足りなくなった?
- 家を空ける日などがあり、餓死した?
- 与えたエサは結局食べられなかった?
- 田んぼの土を入れなかった?
などが考えられるが、どれかよくわからなかった。
同じ谷本の『カブトエビは不死身の生きもの!?』の方も、やはりカブトエビの生態の概要と、飼い方が載っているのだが、後半から「紅カブトエビ」の話が載っていて、カブトエビと観察者たちの関わりや地元の関心などが書いてある。新聞記事的な読み物の性格が強い。
「それが、この近所の人たちはあんまり関心がないみたいなんですよ」(谷本『カブトエビは不死身の生きもの!?』p.72)
という農業者の声を書いているが、カブトエビは、近隣の人たちも、子どもたちも、そして田んぼの持ち主である農家も、関心が薄い場合がある。
ぼくの近くの学校で取り上げられることもないし、地元もあまり関心を寄せているという話を聞かない。こんなにおもしろい生きものはいないのに、と思うのだが。
「近所にカブトエビなんかいねえ」「そもそも田んぼなんかない」という手合いのためには、カブトエビは、実は卵付きの飼育キットが売られている。(Amazonのレビューを見ると、「卵が孵化しねえ」「1匹だけだった」という苦情も結構ある。そして先ほどのべたように卵の属性からいってそういうことはあるらしいのだが、それはどうも釈然としないというのも非常によく分かる)
泳ぐ姿もユーモラスなので、飼うと楽しいぞ。