『飼育少女』というタイトル、首に鎖が繋がれた表紙。
初めから、性的なニュアンスを誤解させるように作られている本作には、どうしようもなく性的な空気が漂う。
いや、本作の内容は、表面的にはそのような部分は一片もないことになっている。
何しろ、1話ごとに女子高生と生物教師が、ヒドラ、クマムシ、フジツボなどといった奇妙な生物の飼育について熱く語っているという物語なのだから。『飼育少女』とは生物の飼育を楽しむことに目覚めた少女というほどの意味でしかない。
だけどぼくはやっぱりこの「飼育少女」たる女子高生・鯉住のぞみを性的な視線でずっと眺めている。
半分は、「飼育」に目覚める鯉住を愛でる生物教師・対馬と同じ目線で。対馬が語る生物ウンチクにいちいち目を輝かせ、新鮮な反応をくり出す鯉住は、ぼくの目から見ても「かわいい」。
この「かわいい」とは、自分の得意なことに好意的で大仰な反応を寄せてくれる相手に対する感情で、そこに性的なニュアンスはないはずなのだが、性的な感覚が混ざっている。たとえばぼくが政治のことを語って目をキラキラさせる人がいたら、同じような気持ちになるのではないか。
なんだろう。
直接に性的なニュアンスではないのだが、相手に対する支配的・操作的な気持ちが起きるのだろうか。あるいは、「貝ってこんなに早く動けるんですね」とか「ウミグモが腸で呼吸していることが最近わかったばかりです!」とかそういうやりとり自体が気持ちを絡み合わせているというか、いやらしいというか、性的というか。
もう半分は、やっぱり鯉住のグラフィックとしての「かわいさ」だ。
はじめは、『よつばと!』の風香のようだと思っていたが、話が進むうちに『波よ聞いてくれ』の瑞穂に見えてきた。1巻後半のコマの緩やかな運び方やセリフの数量、手書きの組み合わせ方が『波よ聞いてくれ』っつうかギャグをやっているときの沙村広明の画面を彷彿とさせる。
自家薬籠中の物で相手(女子高生)を虜にしてしまう、というのは、ぼくのささやかな妄想にぴったり合う。このマンガに流れる性的なニュアンスはおそらくそれが根っこにある。
さて、そんな不健全な読み方はこっそり隠しておくとして、生物飼育の楽しさを描いた部分は、この作品のオモテ側の魅力である。
冒頭のヒドラの話の際に、ブラインシュリンプというちっちゃなエビの仲間みたいなやつを餌にするあたり、鯉住と似た感じでぼくもちょっと興奮した。後に出てくる他の生物でも餌として使われていて、それをヒドラが食べる様の「かわいさ」が、鯉住の観察姿の「かわいさ」と重ねられてとてもよく描けている。
ぼくもこの餌をスポイトでやっていれば、カブトエビをもっと上手に、楽しんで最後まで飼えたかもしれない。
谷本雄治『カブトエビの飼育と観察』『カブトエビは不死身の生きもの!?』 - 紙屋研究所