三浦佑之『金印偽造事件 「漢委奴國王」のまぼろし』

金印偽造事件―「漢委奴國王」のまぼろし 志賀島で発見された国宝・「漢委奴國王」の金印に偽造説が昔からあったということ自体を知らなかった。郷土史好きの同僚が「金印は亀井南冥が偽造した」と言っているのを聞いて、そんな説があるのかと最近知った。
 そんなおりに本書に出会ったので読んだわけである。
 本書はタイトルの通り金印偽造説を主張する。
 その偽造をめぐる中心にいる人物は、金印発見時に真贋判定にかかわった儒学者・亀井南冥だとする。


 ぼくの結論的な感想から言うと、あまり説得力は感じなかった。
 三浦は現代の篆刻家・水野恵の

すぐにバレるような造りはしいしまへんやろ。そんなヘマをするのは贋物造りやおへん……漢代の金印の彫り跡をすっかり調べ上げて、当時の癖とこの印の彫りとを比較して、合わなんだら贋物

という言葉を紹介しているが、「倭」の字を「委」にしたり、最後に「璽」とか「印」の言葉を入れなかったり、紐(ツマミ)を当時は漢代の紐としてはほとんど知られていない「蛇」にしたり、論争的なものをこんなに仕込まないんじゃないかと思う。

『金印国家群の時代』の著書がある高倉洋彰・西南学院大教授は「蛇鈕の金印は漢代の印制にない。わざわざ蛇鈕に造る必要があったのか。自ら偽物だと言っているようなものを作るはずがない」と反論する。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200703030225.html

 まったくその通りである。(本書でも紹介されているが、亀井南冥が死んで200年近く経ったのち、1957年に中国の雲南省で蛇鈕が発見され、真贋論争の判定に影響を及ぼす有力な証拠となった。三浦はこれに「再反論」している。)


 ちなみにもし贋作なら「倭」を「委」にしたのはなぜか? を三浦なりに反論している箇所が本書にはある(p.178-179)。
 簡単にいえば“完全に『後漢書』通りに作ると、逆に疑われる。実際「委」になっていることで現在偽造を疑う根拠にしている奴はいない”ということなのだが、こじつけにもほどがあるだろ


 金印の疑わしさを直感的に感じるのは、「田んぼの水路のあたりで出た」という発見譚で、そのあたりから全然遺構らしいものが他に出てこないという点だ。
 だがこの点も、三浦が「この論文の説得力を上回る金印論にはお目にかかっていない」(p.57)と絶賛する駒澤大学教務部課長だった田中弘之が論文で述べているように、もともとは他の場所で祀られていたものを盗んで何かのルートで入手したけどその経緯を正直に書くとヤバいので、田んぼのあたりで発見したことにした、という筋書きがしっくりくる。
 どこかで発見されたり保存されていたものを、盗難するプロセスをごまかすための無理な発見説明ではないのだろうか。


 あとは、まあ……状況証拠でしかない。
 三浦は、これまでの偽造説は直感やあやふやな説明で、しかもそうした個々の批判を総合的に説明できなかったので、俺がする、と冒頭に言っているのだが、ピースをつなげることはしたものの、そのつなげ方にすべて合理性があるかといえば、ない。「こういうふうにつなげるよ」と言っているにすぎない。


 だけど、本書の価値は、偽造そのものを証明するところにはない。
 この本が刊行されたころの2007年の福岡市教委文化財部部長(山崎純男)のコメントは本書の意義をよく表している。

「不明なところが多いのは事実だが、偽物とする根拠も薄い。諸説ある邪馬台国論争と同じだ。ただ、金印の長い論争を知ってもらうには有意義では」

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200703030225.html

 真贋論争にとどまらない。ぼくのような「金印シロウト」に、「金印は偽物だ」という心躍る入り口から入って、「どうやってニモセノだと証明するんだろ?」とワクワクさせながら、時代ごとの真贋論争を手際よく紹介し、気がつけば金印と周辺の歴史事情にちょっとばかり詳しくなっている……という効果を発揮させる本なのである。これがもし教科書風に金印のガイドとして書かれていたら、さぞやつまらない本になっていたに違いない。