あなたは以前のように共産党や左翼、社会主義についての未来を信じられるんですか、と聞かれることがある。
うんそうだね、以前のようにはもはやいかないね、と答えざるを得ない。
以前ももちろん自分なりに距離はとってきたつもりではいる。
批判的に見るべき点は見てきたつもりなのだ。
それでも大もとのところでの信頼はあった。時間はかかっても、いろんな間違いをただして前に進めることができるのではないかという根本的な信頼感である。
ところが、そうではなさそうであることが、我が身に降りかかってきてようやく自分の根幹を揺るがすような感覚でとらえられるようになった。「おせーよ」という向きもあるのかもしれないが、正直に言えばそういうことだ。
そして、ぼくが追放された後の様々な騒動を見ても、ぼくが受けた仕打ちが単なる「外れ値」とか「例外」だったのではなく、組織全体をとらえながらますますひどい方向で進んでしまっていることを強く感じざるをえない。
それでも、組織や事業が立ち直ることを信じて、もう少し頑張ってみようとは思う。
そんなときに、本書を読んで、次の一節に出会った。
『動物農場』や『一九八四年』で有名なジョージ・オーウェルについて書いた本『ジョージ・オーウェル——「人間らしさ」への讃歌』(川端康雄、岩波新書)である。
オーウェルが親しくしていた作家アーサー・ケストラーとの関係を書いた箇所である。ケストラーはオーウェルと同様にスペイン内戦に参戦し危うく死刑になりかけ、1938年に共産党を離党している。
ケストラーとオーウェルはスペイン内戦への参戦、そこで死にかけたこと、そしてスターリン主義への幻滅などが、よく似ている。それゆえに親しくなったのだと、著者の川端は解説している。
オーウェルによればケストラーは相矛盾するふたつの未来像をもっている。過去の多くの革命家が夢見てきた「地上の楽園」が実現する遠い未来、そしてそれとは逆に「血塗られた暴政と搾取」が迫る近未来である。ロシア革命が起きた当初は理想社会の到来が期待されたが、もはやその夢は潰えた。だがケストラーには当初の革命の目的が忘れられない。大粛清や大量追放の現実を直に知っているので「短期的悲観論者」と自称せざるをえない。根が楽観主義者なので地上の楽園を依然として夢見ているが、その実現はありえない。「人が迫られている選択はつねに複数の悪からどれかを選ぶと言うことなのではないか」とオーウェルは問う。「社会主義の目標でさえ、世界を完璧にすることではなく、ましなものにすることなのではないか。革命というものはおしなべて失敗であるにしても、全部がおなじ失敗というわけではない」。これを認められないために、ケストラーは精神的な袋小路に陥り、最新作『到着と出発』(一九四三)が以前の作品よりも浅薄になっているという結びは、オーウェル自身の現実的な政治観の表明ともなっている。(p.206)
もちろん、日本で共産党が政権を取ったら「血塗られた暴政と搾取」になる、という単純な思いを今ぼくが抱いているわけではない。
しかし、幻滅する他ない組織の現状を体験させられた今となっては、もはや単純な楽観主義者ではいられないし、自分が展望する社会主義であってもそれは「よりましな悪を選ぶ」というくらいの気持ちでいくべきなのだという思いに強くとらわれているということなのだ。
考えようによってはそれくらいの現実感覚のほうが、批判者の意見を素直に受け入れられるようになり、かえっていいような気もする。だから、すでに1944年にこの境地に達していたオーウェルはとても先駆的であり、なおかつ現代的である。
本書は、ぼくが参加している読書会で、次回オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』を読むことになったので、その準備の一環として読んだものだ。
オーウェルの生涯と思想を簡潔にまとめた本はないかなと思って、図書館や本屋に行ってたまたま手に取ったということである。
オーウェルという作家については「なんとなく」知っていたが、その「なんとなく」のうろ覚えさがどれくらい正確な知識なのか、自分でもよくわからなかった。
- 20世紀初頭に生まれ、二つの大戦を生きて冷戦が始まる頃に死んだイギリス人である。
- 上流の端っこに生まれ、一定の教育を受け、植民地であるインド・ミャンマー(ビルマ)の警官となったが、作家になる夢を追って、報酬のいい公務員職を捨てる。
- 反帝国主義者、反ファシズムで社会主義者。
- 独立労働党にも正式入党。
- 共産党にも特に悪感情は持っていなかったが、スペイン内戦で独立左派系のグループ(POUM)で参戦したために「トロツキスト」とみなされ、逮捕され殺されそうになる危険に遭う。このためスターリン主義に強く批判的になる。
- 「トロツキスト」と言われ自身もスターリン体制の暗殺に怯えた。
- ルポ、エッセイ、評論などのライター稼業で食いつなぎ、やがて小説家として認められる。
- ルポの仕事で最初に出したのが貧民街に潜入した(自分も実際にカネがなかった)『パリ・ロンドン放浪記』。
- ジョージ・オーウェルは本名ではなく、ペンネーム。本名はエリック・アーサー・ブレア(墓碑銘も本名)。最初の出版(『パリ・ロンドン放浪記』)でどん底生活をしていることを親にあまり知られたくなかったからつけた。
- 終戦直後に出した『動物農場』でベストセラー作家となり、冷戦開始期にだした最後の小説『一九八四年』が最大のヒット作。
- 妻がいたが第二次大戦終結の頃に急死し、本人の死の間際に15歳年下の編集者と再婚。養子を育てている。
というあたりの知識を得た。
ジョージ・オーウェルといえば全体主義の暗い未来を予言したということで、「オーウェル的」という言葉に見られるように、シニカルや無気力をイメージしてしまう。
しかし本書は「『人間らしさ』への讃歌」とサブタイトルにつけているように、オールウェルが求めた「人間らしさ」(ディーセンシー)に焦点を当てた略伝、オーウェル論である。読後、ぼくもそのような印象を持った。
本書を読んだ後に、『一九八四年』の新訳『1984』を買った(田内志文訳、2021年、角川文庫)。
解説を内田樹が書いていて、その最後に
と綴っている。日本やアメリカで進む監視社会の予言に戦慄しているわけだが、その前にぼく自身はオーウェルが直接想定した全体主義に直面することになってしまった。
もし自分のアイデンティティーを放棄できるのであれば、もし党と融合できるほどに専心できるなら、全能かつ不滅になるのだよ。(前述、田内訳p.406)
自分で思考せずに、党との「融合」感をもとにして現場で異端者の追放にいそしむ人々や、やはり「自分のアイデンティティーを放棄」し、追放された人々をいじめて楽しむ人々が「全能・不滅」感に酔う様を目の前で繰り返し見せられた。
また、「査問・予備調査などというものは存在しない」と堂々と準備書面に書いて、一般名詞および世の中の辞書という辞書を否定することで、「ニュー・スピーク」*1を作り出そうとする共産党幹部たちの姿も見せられることになった。
まさか1周遅れで、スターリン主義の亡霊そのものの「恐怖」を味わおうハメになるとは思いもよらなかった。

