水谷愛『ダメ恋みほん帖』1巻


ダメ恋みほん帖 1 (フラワーコミックススペシャル) ネタバレがあるけど、1話ごとに話がまとまっているから、そのうちの1話くらいネタバレしてもどーってことねーだろという人はそのまま読んでくれ。何が何でも反ネタバレ、ネタがバレるくらいならお前と刺し違えるという面倒な奴はどこかへ行ってほしい。


 本作は、女性漫画誌Cheese!」(小学館)掲載の作品で、タイトルのとおり、大学生である奈子(なこ)のダメ男遍歴を描いている。
 わざわざとりあげるのは、第2話「割引される女」で「ダメ男」扱いされる男性像が癇に障ったからである。


 バラまかれてしまった奈子の釣り銭を拾ってくれた男性会社員・富田は、「初デート」と位置づけた食事の後でクーポンを使った。
 舞い上がる奈子に対して、冷静なツッコミ役の友人・椎名は

初デートでクーポン使う男でしょー?
(しかも年上)
私は正直微妙かな〜

と冷めた顔で告げる。同じくツッコミ役である友人の荒木からも

初デートで小金をケチられる女

と言われる。奈子は、彼はケチではなく堅実なのだと反論する。
 さらに、富田は次の食事で奈子に割り勘を要求し、またしてもクーポンを使ったあげく、奈子の割り引かれた分を自分の財布に入れてしまう。ケチ=ダメ男などとカネの有る無しで男を判断したくない、と必死で言い訳する奈子に、椎名が現実主義全開の顔つきでこう述べる。

理想はそうでも現実は違うでしょ
奢ってくれたらポイントプラス
ケチられたらマイナス
なんて判断 皆してるんじゃないの?

 いつもいつも振り回されて定まらない奈子がケチ批判をするのはまだしも、ツッコミ役、すなわち冷静な理性たる荒木と椎名に、マジな感じで批判されるのは、本気でケチ批判されているようで、読んでいるこちらとしては腹立たしさがマックスに達する。
 冷静な理性=椎名=作者は、クーポンの割引分を自分の懐にいれたセコさを口実にして、「カネの有無で男を判断する」という価値観を忍び込ませるのだ。


 富田は次のデートも全国チェーン系の居酒屋でクーポン利用。その帰り道に富田はお年玉やお小遣いを貯金し、現在も毎月貯金していると、熱く語る。家を建て、子どもにしっかりした教育を受けさせ、低年金に対して老後にも備えると将来を展望するのである。
 これは真の堅実ではなかろうか! と、自分の目に狂いはなかったことを確信する奈子。勢いでラブホに入るが、富田はそのホテルで50ポイントたまった当該ラブホのポイントカードを受付に出すのだった。


 そのときの奈子の心のつっこみはこうだ。


  • 元カノとの行きつけかよ
  • それでためたポイント使うなよ
  • つかこんな時までケチるなんて…


 「やっぱりケチはいやなのよー」と絶叫しながらラブホを出る奈子。


 知ってる。デート割り勘をいかに蔑む男女が幅広く生息しているかということ自体は。

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 しかし、奈子は一度この観念を自己批判しているのである。
 ケチなのではなく、その蓄財は将来の(二人の)人生に投資されるのだから、トータルでは決して自分は「割り引かれる女」として扱われているわけではないのだ、と。いや、そんなこと奈子は直截に言ってないけど、スートリー展開としてはそういうことを語っているわけだよね。


 ところが、ラブホでセックスに及ぼうというデリケートな瞬間に、元カノの痕跡のあるポイントカードでラブホに入ることは「デリカシーなさすぎだよ」というわけである。別に元カノと二股しているわけではなく、ただそのポイントカードのこれまでの分が昔の元カノとホテルに来た分であったというだけの話なのに……。
 奈子の富田観は目まぐるしくかわる。「ケチ」がつきぬけて、「堅実」となり、それをまたつきぬけて「ただのケチ」、そしてさらにつきぬけて「真の堅実」へと見方を変えたものの、やはり「ケチ」であることは、決定的な場面で恋愛の重要な要素を破壊してしまうと結論づけて、奈子は富田を拒絶するのである。


 ここでは、富田という特殊なケチが批判されているのではなくケチ一般が厳しく弾劾されているとみてよい。やはりケチはダメなのだ、という結論である。なぜなら、奈子が最後に叫ぶのは

わあああーん
やっぱりケチはイヤなのよー
のよー のよー のよー

というわけだからである。「やっぱり」。やっぱりである。ケチという価値観はさまざまな検討を経た後、結局ラストで根源的な批判をうけている。
 「決定的な瞬間にはデリカシーをもってほしい(カネを出してほしい)」という要求には何の客観的基準もない。たかがセックスの場所代のために、教育費・住居費(家を買うという思想はどうかと思うが…)・老後資金を犠牲にするという基準を設けるなら、今後途方もない散財が待ち構えていることだろう。「極端すぎる」と笑いとばそうとするむきもあろうが、デートやラブホでクーポンを使ったから引かれるのでは、われわれは枕を高くして眠っておれないのである。


 先ほど事実上「カネの有無で男を判断」する価値観を肯定しようとした椎名への違和感を書いたが、実は椎名は「カネの有無で男を判断」しようとしているのではない。相手の異性が将来を託していけるだけの財力を果たしてもっているかを見極めようとしているのであれば、それは健全な判断基準であり、結婚における冷静な考慮ポイントである。富田が節約分を将来の不安や出費のために備えておくのだという人生設計を語ったことで、ますます富田の蓄財行動は堅実で根拠のあるものだということが明らかとなった。
 しかし、椎名が批判しているのは、こうした点ではない。
 女にお金を使わない、その男の甲斐性の無さを批判しているのである。


 この「女にかけるお金の額で男ぶりが決まる」という男権主義イデオロギーが倒錯して女性の側から発せられ、「ケチな男はダメ男」という観念に祭り上げられるのはもはや思想攻撃といってもいい。いいや、止めるな。言わせてくれ。「夫婦やカップルごとにそれぞれなりの形があってもいいよね」とかものわかりのいいことを絶対に俺は今言わんぞ。



 保険屋の勧誘をうけてみてつくづく思うことは、賃労働者にとって、倹約による貯蓄ほど堅実で確実な自己防衛策はないということだ。生活をダウンサイジングし、あらゆる固定費に斬り込み、余計な資産運用に惑わされず、ひたすら貯金する行動こそ、新自由主義の嵐の中を、教育費・住居費・老後と闘い、生きながらえる一つの道である。
 ケチを攻撃することは、この闘いにおいて、武装解除をするに等しいではないか。本書はブルジョアジーによるプロレタリアの隊列に対する悪質な思想攻撃の一著である。と言ってみるテスト。

 あと、最後にフォローを書いておくと、この作品をこうけなしたからと言って、作品としてクソつまらなかったという意味ではない。ひとを怒らせるほどには心に響いたということである。