年上の高齢男性から告白されるということについて

 妻子があって60代である、ゼミの男性教授から電話で「告白」された女子大生の話。

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 まず、これが教員と学生の非対称的な関係を利用した、強制性のあるものだとすれば、セクハラである。許されることではない。その女子大生にも、告発をするよう強く勧める。

 

 ただ本稿では、いったんそのような関係ではない仮定する。少なくとも上記では女子大生は自分と教授の関係性をそうは書いていないからだ。*1

 また、男性に妻子がいるということについても、それは不倫ということになるが、ぼくは不倫というのは、1対1の関係を約束したパートナー同士の信頼(契約)を裏切るものであるから、基本的にそのパートナーの間のものだと考える。今のところ他人がどうこう言えることではないようにぼくは考えている。故にここでは問題にしない。

 

 つまり、本稿はフラットな2人の関係、高齢の男性から若い女性への告白ということだけに話をしぼる。

 

告白する権利について

 この増田*2に対する反論記事がある。

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 どんなに歳が離れていたって、あるいはどんなにキモくたって、告白する権利はあるだろう? というわけだ。

 だが、これは後者の増田にはあまり分はない。確かに男性側が「好き」と告白する権利はあるけども、それを受けた女性側が手ひどく振る権利もあるからだ。

 前者の増田は

俺には好きな女と恋する権利すらないのかって?
ないよ?

と言っているが、「恋する」を「片想いする」だとすればその権利は男性にあるだろうが、「恋を成就させる」だとすればその権利はないことになる。

 というわけでこれは簡単に片付きそうな話なのだが、例えば職場でのセクハラという問題を考えたときに「告白する権利」について考えることはとても大事だと思う。

 セクハラについてのコードが厳格になっている昨今、職場は仕事をする場所であって、「性の話をするところではない」ことになっている。つまり、職員が自分の「性的な存在として自分」を職場に持ち込むことは厳しく規制されつつあるのである。それはご近所であっても、大学のゼミであっても同じだ。「性的な存在として自分」を見せたり、持ち込んではいけないという空気は強くなっている。

 「窮屈になったなあ」という、ぼくのようなオヤジのボヤキが聞こえてきそうだが、無自覚でナイーブに性的な指向を自分に向けられ、性的に扱われ、時には強制的な力関係のもとにそれを押し付けられることに苦しんできた人がいる歴史を考えると、そうした規制の強化はやむをえないことだ。

 これじゃあ職場恋愛はできないってことだなという批判に対して、弁護士の社会学者の牟田和恵は、そんなことはない、きちんと手順を踏めばできるとしている。

 

(追記)2021年6月21日9:42

 牟田は同書で「職場恋愛三カ条」として

  1. 仕事にかこつけて誘わない
  2. しつこく誘わずスマートに
  3. 腹いせに仕返しをしない

をあげ、「これらのルールをしっかりと守るならば、職場恋愛もできないと心配する必要はありません」(p.144)と述べている。

(追記終了)

 「告白する」というのは、性的な存在であることをお互いが隠しあっていた職場や地域で、突如性的な存在である自分をカミングアウトし、誰にそれを放射しているかを明らかにする行為だ。唐突感が否めない。もちろん、本当にお互いが「いい雰囲気だった」というのはあるかもしれないが、告白者にあらかじめ「いい雰囲気」を形成する法的義務はないから、唐突に告白されることはある程度避けられない。

 手順を踏めば、告白する権利はある。

 しかし、その唐突感——突然「性的な自分」が職場とかご近所という空間に出現する違和感は今後一層強くなっていくだろう。

 だが、逆に言えばどんなに唐突であろうと、手順を踏めば、告白はできる。告白は権利なのである。

 

 告白に対して、告白を拒否する権利がある。

 どのように告白を拒否することもまた自由である。

 手ひどい振られ方をしないために「いい雰囲気」をあらかじめ醸成する努力が必要だし、「いい雰囲気ができている」と正確に感受するセンサーが必要になる。

 その際に、一番ありがちな誤解と、その真意が増田に書いてある。

あなたに愛想よく振る舞うのは、丁度あなたが上司とか目上の人に礼儀正しくするのと全く同じでそれ以上でもそれ以下でもないです。
その優しさは人と人との関係上の優しさであって、あなたのことを異性として求めているからではありません。
自分の都合の良いように解釈しないでください。
社交辞令と愛を履き違えないでください。
間違えても勘違いして告白とかしないでください。
あなたは恋愛の土俵に立ったら、一気にただの激キモ勘違い老人に降格です。絶縁です。
今まで縋り付くことのできていた最低限の優しさすら享受できなくなりますよ。

 普遍的な対人配慮や礼儀を、特定の個人への好意と勘違いすること。これである。

 ここで「あなたに愛想よく振る舞うのは、丁度あなたが上司とか目上の人に礼儀正しくするのと全く同じでそれ以上でもそれ以下でもないです」と書いているのだが、ぼくを含めて、それがわからない男が少なくないのだと思う。

 「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」と言われるが、「誰かにやさしくする」ということを「特定の人に向ける好意」としてやっている男性は少なくないのだろう。

 ある種の男性にとっては、上司に礼儀正しくすることと、誰かにやさしくするのとは全く違うのだ。上司に礼儀正しくするのは「お世話になっております」という電話の定形句と同じで、「いやー、ホントに〇〇さんにはお世話になって…」と思っているわけではない。これに対して、自分の残業となる仕事の一つを引き受けてくれて愛想のいい言葉でもかけられたら、そこに特別性を感じ、「自分は好感を持たれているのだな」と思い、「好感」はやがて「好意」に勝手に置き換えられていくのである。

 これが男女という差で引き起こされているかどうかは検証するしかないが、何らかの集団の間での文化の違いのような気がする。

 だから、勘違いしがちなぼくのような輩は、この言葉を壁紙にして貼っておかねばならないと思う。

 

高齢者差別なのか

 もう一つ。

 これは高齢者差別、エイジング・ハラスメントではないのか、というような批判だ。

 ある意味で当たっているが、個人の恋愛や性愛において差別は「当たり前」だ。ぼくがAさんを好きになったとして、Aさんだけを特別扱いしてAさんとだけセックスをしてAさんとだけ結婚するとすれば、Aさん以外を差別していることになる。もちろん大杉栄のように一度に3人の女と恋愛しているとなったとしても事情は変わらない。大杉は3人以外を差別しているのである。

 よしながふみ『愛すべき娘たち』に出てくる莢子という女性は、マルクス主義者であった祖父から「分け隔てなく人に接しなさい」「差別をしてはいけない」と言われて育てられたが、障害者である男性を好きになってしまう。しかし、恋愛とは究極的な意味で「分け隔て」をすることであり、差別をすることだと思いあたる。莢子が突き抜けた当惑とも言える表情を浮かべているのを見て欲しい。

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よしながふみ『愛すべき娘たち』白泉社p.131

 恋愛という差別を誰でもカジュアルにやっているわけである。

 好きなったAさん以外、例えば世間で若くて美しいと評判のBさんとの恋愛やセックスを考えることは「気持ち悪い」と思うのはぼくの権利であるし、そう表明することは権利でもあろう(もちろん、「Bさんは私の恋愛対象にはなりません」というか「Bさんと恋愛することを想像すると気持ち悪い」というかの違いはあり、後者を批判する自由ももちろんある)。

 性的な嗜好(ここでは「嗜好」でも「指向」でも同じものだと考える)は少しズレるだけで、もう全く噛み合わないことがある。同世代の人であっても、あるいは自分より若い人であっても全然アンテナに引っかからず、「性的存在としては気持ち悪い」と思うことは十分にありうるし、そう思うことは決して不当ではない。

 仮にBさんが同性愛者であったとしても事情は同じだ。「同性愛者は自分の性愛の対象ではない」という意味において、同性愛者を嫌うことは自由である。その意味で高齢者を嫌うことも自由だし、同僚の異性を嫌うことも自由である。性的指向/嗜好はとてもピンポイントだし、個人は対象を差別するのだ。

 

 最近元プロ野球選手の上原浩治の「容姿」を問題にしたコラムが批判されたが、ルッキズムについても、それを社会的評価や他のことの評価につなげるから問題になるのであって、容姿を特定個人の恋愛、性的嗜好/指向の「理由」にすることはその人の自由である。*3

 仕事における評価をルッキズムで行えば/絡めれば、それはまさに「不当な差別取扱い」となる。

 

今までは教授と学生の関係とか同じ趣味をもつ人間同士の付き合いだったけど、これからは自分のこと恋愛対象として見てほしいってことで、恋愛の土俵に立ちたいってことでおk?
ならあなたのこと人間でなく恋愛対象として評価させてもらいますけど。
あなたの愛には、誠意には、一円の価値もないです。むしろマイナス!きっっっしょ。
!!ここ重要!!
あなたが若くて美しい肉体込みで私を好きになったのと同じように、私も若くて美しい肉体を持つ異性が好きなんです。
!!!!

ひどいって?
俺には好きな女と恋する権利すらないのかって?
ないよ?
どうして自分だけ若さとか見た目の土俵に上がらないで恋愛に参加できると思ってるの?
加齢臭を放つ垂れ下がった皮膚のどこを愛せというの?俺は見た目とかじゃない?知識?経験?
じょあ私よりもずっと知識も経験もある6◯歳年相応の女と恋愛すればいいじゃん。
そういうのが自慢なんでしょ?笑
もし、あなたが20歳だった頃、6◯歳の女に告白されたらどうしてた?
セックスできた?デートできた?
嘘でも僕も好きです////とか言えた?
気持ち悪い。誰がお前なんかと!って思うくない?
どうしてパパ活とかキャバクラとか風俗が成り立ってるか知ってる?
お金を払わない限り若い女とはセックスどころか話すことすらできないくらい、恋愛対象として利用者が価値のない存在だからです。
現実と鏡を見てください。

 

 これはある種のルッキズムを含んだ高齢者差別である。

 しかし、それは、自分が誰を恋愛対象とするか、という問題に関しては根拠として成り立つし、口に出す権利があるということをこのケースは示している。

 年の差婚というのが現実にはある。しかしそれは「たまたま」そういう指向/嗜好の人がいたという、ただそれだけの話。高齢者が恋愛対象として嫌いというのも、「たまたま」そういう指向/嗜好の人がいたという、ただそれだけの話。同じである。

 

 この部分もまた印刷して壁に貼っておきたい。

 なんだか高齢化していく自分への「呪い」の言葉のようにも思えるけど、必要な自戒であり客観視だと考えた方が、いまのところはいいと思っている。

*1:もちろん書いていないからといって本人がそのような強制に苦しんでいないという決定的な証拠にはならない。

*2:匿名日記=アノニマス・ダイアリーのこと。「マス・ダ」の部分をとった隠語。

*3:「口に出すからいけない」という批判もあるが、「Cさんの顔が嫌いなので私の恋愛対象にはならない」という自由はある。むろん「失礼だ」とCさんが不愉快さを反撃する自由もあるし、無前提にそのような発言をしたとすれば配慮や品位に欠けるものだとは思うが。