いくえみ綾『私・空・あなた・私』

私・空・あなた・私 (1) (バーズコミックス スピカコレクション) 読み始めてすぐに、吉田秋生の『海街Diary』を思い浮かべたのは、ぼくだけではあるまい。「既存作品のアンチテーゼだとか、そんなつまらない動機からこの私が書くわけないじゃありませんか」といくえみ綾が言ったかどうか知らんけど、発表された作品はもはや作者のものではない。社会のものである。というわけで、このいくえみの『私・空・あなた・私』は『海街Diary』を意識しているに違いない。そうに決まった。


 全然関係ないけど、大西巨人は『神聖喜劇』を『真空地帯』のアンチテーゼ扱いされてインタビューの中でキレていたな。そういうものなのかな。いや、でも、ぼくが「これはある大物作家Aのあの作品にたいするアンチテーゼだよね」的な指摘をした書評を書いたマンガ作品があるんだけど、それについて、その作品を書いたマンガ家は「そうなんだよ。よくわかったな。それを指摘したのはお前が初めてだ」と言っていたと編集者を通じて伝えられたことがあった。今思い出しても「うへへへ」と体がよじれる思い出である。だから柳の下に二匹目の泥鰌がいるんじゃないかと思って、このように書いているわけではない。たぶん。


 『海街Diary』では3姉妹の中に腹違いの中学生の妹が放り込まれるのであるが、本作では一瞬3姉妹かとまごうばかりの女3人の家(実は母親と2人の姉妹)に腹違いの妹がやってくる。舞台となる安達家の母親は胡桃、社会人の長女は林檎、大学生の次女は杏、そしてやってきた中学生は「れもん」である。
 腹違いの子どもを引き取るという決断をする胡桃の「侠気」はすごい。だかられもん自身がまず「胡桃さんはすごい」と心の底から思うのである。林檎も杏もれもんもよく馴染む。『海街Diary』のようにうまく家族は融和するのである。


 この作品は少なくとも1巻では悪い人はいない。
 いや、悪い人がいないどころか、悪人にならないように、かなり気をつけて瑕疵をつくらないようにしていると思える。
 安達家にたまたま植木屋としてやってきた職人のイズミが、れもんを車に乗せて出かけたとき、胡桃はれもんにも怒るし、イズミにも怒る。そしてイズミのような大人の男には気をつけなければいけないということをきつくれもんに諭すし、一歩間違えば誘拐だとイズミにも怒鳴る。「母親」としてこう怒るのは当然のことだし、むしろその怒りはいかに健全であり、れもんのことを深く思っているかを示す行動に違いない。
 でも、れもんを育ててくれた「ばーちゃん」の夢をみて、ボケてしまい施設に入れられた「ばーちゃん」に会いたくなっての衝動である、というれもんの気持ちはそこでは何一つふれられない。
 ふれられないから胡桃の怒りという行動は悪かったということにはならない。
 そして、自分を無条件で愛してくれていた「ばーちゃん」に会ったとき、もはや「ばーちゃん」にはれもんの姿は見えていないかのように、昔の憎悪をたたきつけてくるだけの存在になっていた、その姿をみたときの、れもんの気持ちが描かれる。
 その気持ちをだれかに聞いてほしいと選んだのが、

「ちょっと知ってるけど知らないからべんりなんだよっ」

というイズミだったのだ。
 いくえみのイズミの描き方は絶妙である。
 どんな動機であったとしても、女子中学生とメールや携帯をやりとりし、夜中に会っている大人の男にいやらしさが出ないはずがない。しかし、いくえみはそれを出ないように描く。かといって、さわやかすぎて非現実的にもしない。何か言いやすそうな気さくさと、多少のミステリアスな感じを残したイズミは、もしぼくの友人にいたら、たしかに気を遣わない、沈黙があっても安心できそうな感覚がある。

 そのことをまた胡桃に責められたり、林檎や杏に心配されたりするれもんであるが、

誰も
あたしが
どんな気持ちで
いたか


聞かない

と暗然とする。
 しかし。
 胡桃たちが心配するのはあまりにも当然なのだ。角度を変えてみると、だれもあたしの気持ちを聞いてくれない! という不満は、子どもっぽい言い分に思える。だけど、それは親としての見方であって、もう一度15歳の視線でこの事態を見つめ直すと、やはり自分の気持ちが置き去りにされている寂しさが実によくとらえられているのである。


 『海街Diary』にはこうした陰影がとぼしい。「テーマがちがうんだから比較にならない」という批判を承知で続けたいのだが、『海街Diary』は、居場所がなくなりかけていた女の子を新しい家族の一人として守ろうとする話とか、足の病気のためにサッカーという夢を断念する同級生の話とか、シリアスな問題を正論で描き、それを硬直した正論ではなく、ある美しさの中において描こうとする。その点ですぐれた作品であることは間違いないが、その正論に息が詰まるようなものをおぼえる瞬間もある。
 いくえみの、どこかすっとぼけた調子で描かれる陰影のほうが、どちらかといえば、ぼくは愛着が持てる。

 酔っぱらった林檎が眠りにつきながら杏に言うセリフ、

「ねえ 杏
れもんて
いい子だよねえ」
「そうだね」
「いい子すぎて
ちょっと
気味わるいねえ
うちにもスルって
なじんじゃったし
そんなもん?
中学生…
妹…
腹ちがいの…
こんなもんか…」
「何よ
もっとドロドロしたかったの?」
「まは(さ)か〜(ケラケラ)
いい子らよ
すくすくと
いい女に
育つよろし…」
「おやすみー
よっぱらい」


 これがどうしても『海街Diary』を意識した一節に思えるぼくは、きっと頭がどうかしたのだろうと思います。