鯨岡仁『安倍晋三と社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか』

 新年は「新資本主義」を掲げるの企業新聞広告のオンパレードだった。

 年頭の岸田首相のメッセージを受けて、投資家もどきみたいな人たちが集まっている「市況かぶ全力2階建」は大騒ぎである。

kabumatome.doorblog.jp

 「社会主義」だって?

 岸田が?

 岸田の年頭所感のどこが「社会主義」だというのか。

  • 目指すべきは、日本経済再生の要である、「新しい資本主義」の実現
  • 市場に過度に依存し過ぎたことで生じた、格差や貧困の拡大
  • 資本主義の弊害に対応し、持続可能な経済を作り上げていく
  • 国家資本主義とも呼べる経済体制からの強力な挑戦に対抗
  • 「新しい資本主義」においては、全てを、市場や競争に任せるのではなく、官と民が、今後の経済社会の変革の全体像を共有しながら、共に役割を果たすことが大切
  • 一度決まった方針であっても、国民のためになると思えば、前例にとらわれず、躊躇(ちゅうちょ)せずに、柔軟に対応する

というあたりらしい。

 びっくりである。

 びっくりだけど、こういうタイトルの本ができて(2020年1月刊行)、それをぼくも去年の秋口にリモート読書会で「それ面白そうだね!」と同意して読んだのだから、なおびっくりである。

 

 

 鯨岡の本書の趣旨は、安倍の手法は小泉流の新自由主義ではなく、企業の賃上げに介入し、無償化などの分配を積極的に行う左派的なものである、ということなのだ。

「国家は善」。そんな安倍の国家観から生まれた経済政策は、結果として「大きな政府」路線になっていった。市場は不安定・不完全だから、国家が介入し、適切な調整を行う。政府に経済運営で大きな役割を期待する姿勢は、世界的に見て「左派政策」に分類される。(鯨岡仁『安倍晋三社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか』朝日新聞出版Kindlepp.17-18)

 これは松竹伸幸が指摘する“安倍政権は左にウイングを伸ばしている”という指摘と重なる。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 安倍政権が左派的などとは信じられない、という向きもあろうが、まあ、とりあえず話を聞いてほしい。リモート読書会に参加したAさんは「はぁ!? アベがぁ!? 社会主義ぃぃぃ!?」と叫んだ。まあ、Aさんも喜んでこの本を読むことは受け入れたのだが。

 例えば最低賃金。時給1500円は必要、という立場から見ればまだまだ低い。しかし、歴代政権と比べてもハイペースで上がっていったことは間違いない。

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 あるいは「保育の無償化」。「大学の無償化」。

 「そんなものは消費税増税と引き換えだ」「大学の無償化などまやかしだ。1割の学生しか対象になっていない」という批判はよくわかる。が、相当に歪んだ形であっても、兎にも角にも始まったわけである。

 国民(の一部)が安倍政権をもし何か評価する点があるとすればこういうことなのかもしれない。つまり、得点を稼ぐポイントだったのである。

 本書では安倍の2013年1月号の「文藝春秋」に載せた言葉を紹介している。

「私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります」

 本書によればそのアイデアのベースは、起業家・原丈人の「公益資本主義」だという。

 岸田はこれがいいと思ったのであろう。岸田政権の「新しい資本主義」路線はまさにこれだ。「コロナにお困りの皆さんへ」といって給付金を配り始めたのはその一つである。菅政権がやらなかった持続化給付金の今日版・事業復活支援金もやった。

 

 いや、ぼくは「だから安倍政権は素晴らしいね!」とか「岸田政権サイコー!」とか全く思っていないし、そういうことが言いたいわけでもない。

 そこから、野党側、まあもっと言えば左翼陣営はどういう戦略を立てればいいのだろうか、ということを考えた。

 鯨岡の問題関心も実はそこにあったりするのではないかと思う。なぜなら本書は松尾匡を登場させ、「れいわ新選組」の話で終わるからだ。

 安倍政権を「見習って」、野党共闘が右へウイングを伸ばすことについては以前にも書いた。だからそこで書いたことはあまりここでは繰り返さない(安全保障など)。

 『安倍晋三社会主義』を読んで、ちょっと感心したのは、安倍が第一次安倍内閣退陣をした後に、わりとすぐ勉強会を始めていることである。

二〇〇七年秋、安倍が首相を退陣した直後のこと。第一次安倍政権で厚生労働相をつとめた柳澤伯夫は、東京・富ケ谷の自宅を訪ねていた。…

安倍があまりに何回も謝罪するので、柳澤は本当に気の毒だと同情していた。この日、柳澤が安倍を訪ねたのは、柳澤と親交が深かった評論家、西部邁の勉強会へのお誘いを伝えるためであった。…

その西部が柳澤に対し、「安倍さんは、まだ若い。このまま終わるのは惜しいんじゃないのか。絶対、やりなおすべきだ」と、安倍のために知識人をあつめて勉強会をやりたいと提案してきた。(鯨岡前掲書p.76-77)

 5回分の講師名が載っているのだが、経済分野については「グローバリズムに否定的で…『新自由主義』的な政策を批判する講師が多かった」(鯨岡)。

 この本を読むと、安倍は勉強会や知識人の人脈を生かしてせっせと知識の吸収をしている印象を受ける。

 負けた後でもすぐに勉強をしている。共産党や野党がそれをしていないとは思わないが、少なくともぼく自身は選挙後そういうことがあまりできていない。この本を読んで「俺は、安倍ほどには勉強していないなあ」と反省した次第だ。

 

 共産党の党首・志位和夫は、元旦の「しんぶん赤旗」で本田由紀と対談している。

www.jcp.or.jp

 その中で本田から

たとえば、30代、40代ぐらいの働き盛りの男性にとっては、賃金も上がらない、家族もいるなか、“とにかく食っていかなきゃいけない”“とにかくもうちょっと金を稼ぎたい”“とにかくもうちょっとゆとりがほしい”みたいな切実な思いがあります。

 ツイッターには、「野党は苦しい人たちには非常に優しいような政策を提言とかするけれども、そこまで苦しくはない自分たちに対して一体何をやってくれるんだ」みたいな声がありました。改めて総選挙の各党の政策を読み比べてみた時に、自民党は経済政策にたくさんの項目が挙げられていて、しかもなんかカタカナ用語みたいのをいっぱい使いながら、キラッキラな素晴らしい将来がすぐそこにあるかのような、マニフェストを掲げていました。「もう一度、力強い日本を」とか、「強い経済と素晴らしいテクノロジーを」とか、こうしたキラキラした雰囲気を渇望している有権者が、先ほど話した30代、40代の男性を中心にいると思います。

という問いかけを受けて、志位は、

いまおっしゃったこと、特に30代、40代の男性の働き手にも響くような訴えをどうやればできるかということは、本当に考えなければいけないなと思いました。

 そこで、こう考えてみました。新自由主義から転換しなくてはいけないというのは、本田さんも同じ立場だと思います。では、新自由主義から転換してどんな社会をつくるか。この社会を一言で言った場合、本田さんの言葉をそのまま使わせていただきますと、“やさしく強い経済”をつくろうというように訴えてみたらどうかと考えたのですが。

と答えた。

 その後、志位はその中身を紹介している。

 ぼくも、困窮者対策とか、社会保障の充実とか、非正規対策とか、そういうものが、「弱者救済」——経済の「やさしさ」としてアピールをするのではなくて、それを「強さ」として描くことが大事ではないかとは思う。

 もう少し言えば、それを「成長」として考えることである。

 志位和夫はこの対談掲載から3日後に「党旗びらき」で挨拶し、「やさしく強い経済」をさらに練り上げ、その核心について「一人当たりの賃金が上がらない、成長できない国になってしまった」という点にポイントを置いた。

www.jcp.or.jp

 これはまったく正しいと思う。政策的なフォーカスとして。

 

 同じように、「気候危機」や「ジェンダー」については選挙をやる上では、もっと「経済」特に「成長」として語ったらいいのに、と感じる。*1

 誤解のないようにいっておくが、気候危機やジェンダーは経済の問題ではくくれない課題は少なくない。そこだけに収斂させてしまうのは、矮小化になる。しかし、それは社会運動としての長期の課題であって、選挙がもう始まってしまい、その時にもしまだ社会意識が変わっていなかったとしたら、選挙運動期間は短いのだから、気候危機やジェンダーについては経済を軸にした訴えにすべきだと考える。

 例えばジェンダーの問題で共産党が総選挙において一番重視したのは、男女の賃金格差であった。もし非正規の最賃アップやケア労働の待遇改善によってこれを埋めるように訴えるなら、それは賃上げ政策であり、成長のための戦略であろう。

 

 気候危機についても同じである。

 実は、総選挙後、ぼくも安倍にならって(?)少しは政策の勉強会をやった。

 その時に、共産党の気候危機打開政策「2030戦略」にも登場する学者・明日香壽川の小論文を知り合いの左翼仲間で勉強したのである(明日香「グリーン・リカバリーとカーボン・ニュートラル実現へのエネルギー戦略」/「議会と自治体」誌2021年1月号所収)。

 明日香らは日本版グリーン・ニューディールの経済効果について試算をしている。家庭部門では「熱、主に断熱建築、ゼロエミッションハウス」で2030年までに15.2兆円の投資を見込んでいる(経済波及効果は41.8兆円/年、雇用創出数は267万人・年、投資額あたり雇用創出数は17.6人年/億円、2030年のCO2削減量*2は28Mt-CO2)。

 同論文では、グリーン・ニューディールとは究極的には省エネと再エネの拡大しかないのだが、と断りつつ、即効的で具体的な経済政策としてみた場合どうなるのかについて、

ただ、短期間で実施できて、かつ経済効果も大きいという意味では、今ある建築物の断熱工事による省エネが最も優れており、そのための補助金などの拡充は早急に検討されるべきである。(強調は原文)

としている。これは、住宅リフォーム助成として、共産党の地方議員や建設労働組合などが進めてきた運動そのものである。

 「ゼロカーボン」や「気候危機」というのはピンとこない人がいても、「断熱のための住宅リフォームによる助成で経済対策を」というふうに打ち出せば、印象はまるで違う。「正義」のための運動というよりも、具体的な中小企業を潤わせる地域の経済政策・成長政策として打ち出すことができる。共産党は確かにグリーン・リカバリーをやれば経済効果があるという話をしていたが、それをもっと具体的に語り、運動団体がイメージしやすいものに落とし込む努力が必要だった。その点で明日香のこの指摘は重要である。

 左翼は今回の「負けた」総選挙の後で、こういうふうに「安倍に学んで」、勉強会をやったらいいんじゃないかなあと思った。例えば、上記の住宅リフォームへの助成なんかは、中小業者の運動団体の人たちと一緒に、専門家を呼んでぜひ政策勉強会を始めたいくらいである。

 

 鯨岡の本では、人間安倍・人間麻生が登場する。

 気落ちしたり、勉強したり、竹中平蔵を排除したりうまく付き合おうとしたりする、そういう姿である。

 その姿を見て、繰り返すが、「安倍も人間味あるんだなあ」とかいう話をしたいのではない。*3

 自分も勉強しなきゃいけないなと思ったり(例えばあるマンガ編集者に揶揄されたのだが、ぼくは金融政策とか全然わからない。俺は雰囲気で経済政策をやっている)、立場の違う人とももっと踏み込んで付き合わないとダメだなと思ったりしたのである。安倍の姿から学ばされた一冊であった。

*1:本田は「前衛」2022年1月号のインタビューでは戦後日本型循環モデルという古い社会の仕組みのもとで、「国は経済を回してくれれば、人びとは収入を得て生きていける、経済こそが、国に期待することであり、自分にとっても重要なことだという発想が強いのです。それはとくに稼ぎ手であることを求められる男性の中で強い。正義であったり、平等というような、ポリティカル・コレクトネスといわれるような理念が、この国は全般的には希薄です」と厳しく批判している。しかし、そのすぐ後で、自民党の総選挙政策が「成長」「活力」などのフレーズを盛り込んでいることに注目し、「嘘でもその渇望にうまくアピールしている」と評価する。「ここは難しいところなのですが」と前置きして「政府に経済を回してほしいという発想が強すぎることは、長い間の日本の持病みたいなものだと思います。そこにおもねることだけではダメなのですが、手当が必要です。実際に人びとは持病にかかっているわけですから。それを無視して「こういう健康法がある」といわれても、試してみようという気にはなりにくいのではないか」としている。つまり、公正や正義が経済と切り離されて提起されてもダメで、そこは公正さと経済を統一する形で、うまく懐に飛び込んでやる必要があると本田は言っているのである。

*2:ここだけ公営住宅などの分と合わせて。

*3:安倍政権が民主主義の点において戦後最悪というべき汚点を残した内閣であったことはぼくにおいて揺るがない。

『このマンガがすごい! 2022』で回答&『明日、私は誰かのカノジョ』

 『このマンガがすごい! 2022』(宝島社)で今年も「総勢43名 各界のマンガ好きが選ぶ このマンガがすごい! オンナ編」に回答させていただいた。

 

 今回はぼくが選んだものは1つも20位に入らなかったなあ。

 前にも書いたが、ランクインしない作品を選んだ場合、「人が紹介しないマイナーなものを世の中に紹介できてよかった」という満足感と、「まったく世の中の感覚からズレてしまったのでは」という不安が交錯する。この二つの感情は解決しようのない矛盾ですが、必要な矛盾なので仕方がない。

 

 ぼくはオンナ編の選者でしたが、オトコ編の18位にランクインした、をのひなお『明日、私は誰かのカノジョ』はいい作品だ。

 

 

 いや、1巻からいい作品だとは思っていたが、連載3年目にしてランクイン。

 『このマンガがすごい! 2022』ではその原因をこう分析している(奈良崎コロスケ)。

連載3年目にして初のランクインだが、その要因は第4章の爆発的な盛り上がりにある。自分の容姿に自信のない女子大生・萌がホス狂の風俗嬢・ゆあてゃと出会ったことから、あっという間に歌舞伎〔町?〕の沼にズブズブと沈んでいく様が描かれるのだが、綿密な取材にもとづく圧巻のスケールと刺激的な展開で、更新のある金曜毎にSNSが感想合戦となるお祭り騒ぎが繰り広げられたのだ。(p.57)

 いやー、ツイッターはやってるが、そうなっていたとは知らんかったっす。

 

 そして、確かに4章の強い誘引力があって、ぼくもグイグイ引き込まれていったんが、世の中でもそういう形で確認されていたのか…と思った。

 

 ぼくとしては、その前のエピソードに出てくる、「彼女代行」の客、桧山の描かれ方が、なんと言うか、中年男としてのダメさ・いやらしさを満載していて、なんだか自分を露悪的に魅せられているようないたたまれなさがあって、クセになる。

 例えば最初に登場する、太った男・「正之」は全然感情移入しない。

 しかし、次に出てくる客で、気弱な細身の男・「辻壮太」はすごく自分みがあった。

 客としてお金を払いながら、恋愛感情を募らせ、女性の境遇に心底「同情」していくという感覚、およそ人ごとではない。読みながら、「この壮太の行動、なんか問題なんスか」と開き直っている自分がいる。

 そして桧山である。

 中年男のせいなのかどうかは知らないが、桧山のビジュアルで鼻の下の溝の線(人中)を作者が描いているのが、このキャラへの作者の扱いなのだと感じる。同じ中年でも、レンタル彼女を利用している富裕層の中年(飯田)にはこの人中を付けないからだ。さあ、この男のチープないやらしさを描き尽くしてやろうという作者の意気込みすら感じる。そしてそれは覿面である。

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をのひなお前掲2巻、小学館、KindleNo.77

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同前3巻、No.67

 「自分は結構イケてるのではないか?」という自負がありながら、実は安っぽくてみっともないというあたりが、もういけない。「ゴフッ……」と血を吐くレベル。

 

 

 

『資本論』にでてくるabstraction(続き)

 前のエントリIkimono-Nigiwaiさんから次のようなコメントがありました。

紙屋さんの論説を楽しく読ませていただいています。私は理系で社会科学には疎いので捨象するという日本語に馴染めません。
英語の
we make abstraction from the means of subsistence of the labourers during the process of production
はドイツ語では
von den Subsistenzmitteln der Arbeit während des Produktionsprozesses abstrahiert
abstrahiertは不定詞ではabstrahiren、プログレッシブ独和辞典では、(他)抽象化する、(自)度外視する。ですから、
"生産過程における労働の生計手段を無視すること"
という意味ですね。紙屋さんが矛盾を指摘されていますが、新版資本論の訳で良いように思います後半部分がマルクスの労働能力の定義だとすると、労働能力は売れなければ無なので、生計手段は考慮されないことになります

 新日本版の該当部分をもう一度見てみます。Ikimono-Nigiwaiさんに従って、「捨象」を「度外視」「無視」にしてみましょう。

 ことがらの本性から出てくるこのような労働力の価値規定を粗野だとして、たとえばロッシとともに次のように嘆くのは、きわめて安っぽい感傷である。すなわち——「労働能力を、生産過程中にある労働者の維持諸手段を無視して把握することは、幻想を把握するに等しい。労働と言う人、労働能力と言う人は、同時に労働者および生活維持諸手段のことを、労働者および労賃のことを言っているのである」と。労働能力と言う人が労働のことを言っているのではないのは、ちょうど、消化能力と言う人が消化のことを言っているのでないのと同じである。周知のように、消化過程にとっては、丈夫な胃袋よりも多くのものが必要である。労働能力と言う人は、労働能力の維持に必要な生活諸手段を無視するわけではない。むしろ、その生活諸手段の価値は労働能力価値で表現されているのである。労働能力が売れないならば、それは労働者にとってなんの役にも立たないのであり、彼は、自分の労働能力がその生産のために一定分量の生活維持諸手段を必要としたこと、そして労働能力の再生産のために絶えず繰り返し新たにそれらを必要とすることを、むしろ冷酷な自然必然事として感じるのである。そのとき労働者は、シスモンディとともに、「労働能力は……もしそれが売れなければ、無である」ことを発見する。(『新版 資本論2』p.302)

 ロッシの引用の中に「無視」の言葉がありますが、その後の地の文にも「労働能力と言う人は、労働能力の維持に必要な生活諸手段を無視するわけではない。」ともう一度「無視」という言葉が出てきます。これがIkimono-Nigiwaiさんの指摘する「後半部分」のことだと思います。

 Ikimono-Nigiwaiさんは「後半部分がマルクスの労働能力の定義」と考えているので、ここは「無視」以外には訳語としてはあり得ないというわけです。Ikimono-Nigiwaiさんの後半部分の解釈は“労働能力について本当に語ろうと思うなら、労働能力の維持に必要な生活諸手段を無視してはいけない。むしろ、その生活諸手段の価値は労働能力価値に表現されているからだ”という意味のことをマルクスが定義している、というものです。

 これは確かに一つの理屈です。

 

 ただ、Ikimono-Nigiwaiさんの解釈のうらみは、前半(ロッシの引用)がどうしても「無視」では意味が通じないことです。そうなると前半(ロッシの引用)の箇所にあるabstractionと後半(マルクスの地の文)のabstractを別々の意味で使うかな? という素朴な疑問が生じます。*1

 

 鍵になるのは、

(1)労働能力と言う人は、労働能力の維持に必要な生活諸手段を無視するわけではない。(2)むしろ、その生活諸手段の価値は労働能力価値に表現されているのである。

という2つの文をどう解釈するか、です。わかりやすくするため、文に番号を(1)(2)とつけておきます(以下同様に便宜上番号をふります)。

 

 Ikimono-Nigiwaiさんの解釈はすでに示しました。

(1)労働能力について本当に語ろうと思うなら、労働能力の維持に必要な生活諸手段を無視してはいけない。(2)むしろ、その生活諸手段の価値は労働能力価値に表現されているからだ

 ぼくの解釈については前掲のエントリを再掲しておきます。

 (1)ロッシの言うように(崇高な)「労働能力」なるものを語っている人は、労働能力の維持に必要な生活手段から抽出しているわけではない。

 (2)しかしむしろ、その生活手段の価値こそは労働能力価値を表現しているのである。

 (1)の文、「労働能力と言う人は、…」とは「ロッシのような誤った主張をしている人」のことなのか(紙屋解釈派)、それとも「労働能力について真実を語ろうと思う人」のことなのか(Ikimono-Nigiwaiさん解釈派)という解釈の違いがあると思います。そして、(2)の「むしろ、…」以降の文は、紙屋解釈派の場合、直前の文の意味を批判していると考えることになります。

 (1)から(2)に素直に流れるのか、それとも(1)を批判して(2)が来ているのかがIkimono-Nigiwaiさん解釈派と紙屋解釈派との分かれ目です。

 

 

 この部分は他の訳ではどうなっているかをみてみましょう。

 新日本版と同じ「捨象(無視・度外視)」で書いている大月版では次の通りです。ここでもIkimono-Nigiwaiさんの勧めに従って「捨象」を「無視」にしてみます。

(1)労働能力を語る人は、労働能力の維持にために必要な生活手段を無視するわけではない。(2)むしろ、生活手段の価値が労働能力の価値に表されているのである。(p.227)

 これは(1)と(2)がストレートに流れています。Ikimono-Nigiwaiさん解釈派ですね。

 

 これに対して、「抽象」で書いている岩波版、筑摩版を見てみます。

 まず岩波版です。(「出段」はおそらく「手段」の誤りだと思います)

(1)労働能力を語る者は、その生存のために必要な生活出段から抽象してはいない。(2)むしろその価値は労働能力の価値に表現されている。(岩波版Kindle No.5472-5473)

 (2)は(1)を批判しています。紙屋解釈派です。

 

 次に筑摩版です。

(1)労働能力について語ったからといって、労働能力を保持するために必要不可欠な生活手段からそれを抽象したことにはならない。(2)むしろ生活手段の価値こそが、労働能力の価値に表現されているのである。(p.257)

 これはかなりはっきりと(2)が(1)を批判しています。紙屋解釈派です。

 

 どうでしょうか。

 ぼくはやはりこの部分は筑摩訳が一番すっきりしていると思います。

 というのは、新日本版も大月版も岩波版も「労働能力を語る人は…」のように書いているんですが、これだと「労働能力を語る人」をマルクスが批判しているかどうかよくわからないからです。しかし、筑摩版では「労働能力について語ったからといって、労働能力を保持するために必要不可欠な生活手段からそれを抽象したことにはならない。」としていて、これだと、マルクスがその部分を批判していることがきちんとわかるようになっています。

*1:日本語でも両義性を持った言葉が一方だけのニュアンスで使われる使い方がないわけではありません。例えば「取捨選択」という言葉を取り上げてみます。リュックにいっぱい荷物を持った人が一緒に旅行する友達のところに現れたら、友達から「お前、バナナとか折りたたみ傘とかは取捨選択しろよ」と言われます。この時「取捨選択」は事実上「捨てる」という意味しかありません。

『資本論』にでてくるabstraction

 若い人たちマルクス資本論』の学習会をやっている。

 その話は詳しくはまた別の機会にすることもあるだろうけど、『資本論』の本文を頭から読み合わせしていく方式なので、文章の細かい点にどうしても目がいくことになる。

 

 その学習会が使っているのは日本共産党中央委員会社会科学研究所が監修している新日本出版社の『新版 資本論』である。

 

 

 最近では次の箇所が気になった。

 第1部第4章の「貨幣の資本への転化」のところで、“労働力の価値はその労働者の衣食住の費用、つまりその労働者にとって必要な生活手段の価値の総量で決まるんだよ”という話をしている箇所である。

 そこに、マルクスはロッシというイタリアの経済学者の話を持ち出す。

 あなたは読んでわかるだろうか。

 

 ことがらの本性から出てくるこのような労働力の価値規定を粗野だとして、たとえばロッシとともに次のように嘆くのは、きわめて安っぽい感傷である。すなわち——「労働能力を、生産過程中にある労働者の維持諸手段を捨象して把握することは、幻想を把握するに等しい。労働と言う人、労働能力と言う人は、同時に労働者および生活維持諸手段のことを、労働者および労賃のことを言っているのである」と。労働能力と言う人が労働のことを言っているのではないのは、ちょうど、消化能力と言う人が消化のことを言っているのでないのと同じである。周知のように、消化過程にとっては、丈夫な胃袋よりも多くのものが必要である。労働能力と言う人は、労働能力の維持に必要な生活諸手段を捨象するわけではない。むしろ、その生活諸手段の価値は労働能力価値で表現されているのである。労働能力が売れないならば、それは労働者にとってなんの役にも立たないのであり、彼は、自分の労働能力がその生産のために一定分量の生活維持諸手段を必要としたこと、そして労働能力の再生産のために絶えず繰り返し新たにそれらを必要とすることを、むしろ冷酷な自然必然事として感じるのである。そのとき労働者は、シスモンディとともに、「労働能力は……もしそれが売れなければ、無である」ことを発見する。(『新版 資本論2』p.302)

 そもそも改行がなくて読みづらいのだが、それはマルクスのせいである。それはまあ措いとこう。

 一番わかりにくいのは、ロッシがどういう主張をしているのか、そして、マルクスはそれをけなしているのか褒めているのかがはっきり読み取れないことである。

 この引用した最初の「」の冒頭をじっと眺める。

労働能力を、生産過程中にある労働者の維持諸手段を捨象して把握することは、幻想を把握するに等しい。

 これはロッシの主張である。

 このロッシの主張は、「労働する能力、つまり労働力のことなんだけどね。その『労働する能力』をもっている労働者が生きていくために必要な衣食住の費用があるでしょ。その衣食住の費用のことを全然考えないで『労働する能力』ってやつを理解しようとしたら、そいつはぬけがらをつかまされることになる。一番大事なところ抜かして、実体のない幽霊みたいなものをつかまえちまうのと同じことになるんだぜ?」って言っているように思えるよね?

 先ほどぼくは“労働力の価値はその労働者の衣食住の費用、つまりその労働者にとって必要な生活手段の価値の総量で決まるんだよ”というマルクスの命題を述べた。そうすると、このロッシの主張はマルクスの命題と同じことを言っているように読めないだろうか?

 

 これはおかしな話で、マルクスはロッシを批判するために持ち出してるはずである。なぜロッシはマルクスと同じ主張をしているのだろうか。

 それともマルクス一流の皮肉で自分と同じ見解を述べるロッシが世の中で理解されていないので、憐れんでいるのであろうか。混乱してしまう。

 

 岩波書店向坂逸郎訳を読んでみよう。

生産過程のあいだに、労働の生存手段から抽象しながら労働能力を解するなどということは、幻影を解するようなものである。

 筑摩書房今村仁司三島憲一・鈴木直の訳はどうか。

生産過程中の労働の維持手段から労働能力を抽出して、労働能力をとらえたと思っているのは、幻影をとらえたと思っているのと同じである。(『資本論 第一巻 上』筑摩書房、p.257)

 

 

 マルクスエンゲルス全集刊行委員会訳(大内兵衛・細川嘉六監訳。事実上、岡崎次郎の訳)である大月書店版はこのようになっている。

生産過程にあるあいだは労働の生活手段を捨象しながら労働能力(puissance de travail)を把握することは、一つの妄想(être de raison)を把握することである。(『資本論 第1巻 第1分冊』、大月書店p.226

 

 結論から言えば、筑摩訳がいちばんわかりやすい

 そこではロッシの主張はこうなるからだ。

「労働する能力、つまり労働力のことなんだけどね。その『労働する能力』をもっている労働者が生きていくために必要な衣食住の費用があるでしょ。その衣食住の費用の問題をわざわざ取り出して『労働する能力』ってやつを理解しようとしたら、そいつはぬけがらをつかまされることになる。一番大事なところ抜かして、実体のない幽霊みたいなものをつかまえちまうのと同じことになるんだぜ?」

 新日本版と正反対の理解になってしまうが、これならマルクスがロッシを批判した意味がわかる。ポイントは筑摩訳では「抽出」を使っている点である。

 お分かりだろうか。

 「捨象」「抽出」「抽象」という3つの訳があるのだ。

 しかしこの3者はだいぶ違う意味合いがある。

 「捨象」は必要でないものを捨て去っていることである。

 「抽出」は必要なものを取り出していることである。

 「抽象」は、必要でないものを捨てて、必要なものを取り出していることである。

 それでも「抽出」と「抽象」はよく似ている。しかし「捨象」は意味が違ってくる。

 つれあいに質問してみたが、つれあいは「抽象」と「捨象」は似ていると述べた。

 辞書(精選版 日本国語大辞典)には「捨象」についてこうある。

捨象 (読み)しゃしょう

物事の表象から、一つまたはいくつかの特徴を分けて取り出す抽象を行なう場合に、それ以外の特徴を捨て去ること。また、概念について抽象する場合、抽象すべき特性以外の特性を捨て去ること。抽象作用の否定的側面

 

 ぼくはドイツ語の『資本論』を持っていないし、ドイツ語の素養もない(大学でドイツ語の単位は取ったけど)。

 かわりに英語の『資本論』がある。ただぼくの持っているのは、単なる英訳であって(ネットにあったフリーのもの)、この英文が、サミュエル・ムアが訳してマルクスの『資本論』の序文にも載せられているいわゆる「英語版」と同じものなのかどうかはわからない。

 その前提で書くけども、ぼくの英文『資本論』では、

we make abstraction from the means of subsistence of the labouurers

となっている。abstractionなのだ。

 abstraction(その元になっている動詞abstract)は基本的に「抽象」「抽出」なのだが、「捨象」という意味もある。

 しかし、語源は「ラテン語abstractus(abs- 離れて + trahere 引く + -tus過去分詞語尾」(プログレッシブ英和中辞典)であり、基本的には、「〜から取り出す」「〜から抽出する」「〜を要約する」という意味であり、「全体の中から取り出す」というイメージだ。

 したがって、「捨象」の訳語をあてることは、ここでは間違いであり、「抽出」もしくは「抽象」がベストであるが、「抽象」はぼくらの日常イメージからすると「抽象絵画」みたいな「具体性を取り去ってあいまいでボヤ〜ッとする」感じになるので、やはり「抽出」がよい。

 ちなみに、青木書店から出されている『資本論辞典』では、この箇所のロッシの主張について次のように書いている。

資本論》第1巻第4章では、ロッシが、労働力の維持に必要な生活手段を度外視して労働と労働能力を云々することは幻想だと述べた文章を引用して、これは労働力の価値規定を理解しない‘非常に安価な感傷’、と酷評した(p.586)

 「辞典」でさえ、こういう理解なのである。これは学者が書いている。学者でもよくわからずに書いているのである。

 入門者が『資本論』の訳文(悪文)を「理解」できなくてもそれは入門者のせいではないのだ。

 

 

紙屋訳を考えてみた

 そのあとの箇所もわかりにくいので、新日本版をベースに、それを補足して、改行もした紙屋訳(超訳)を以下に書き記したい。

 ことがらの本性から出てくるこのような労働力の価値規定を粗雑だとして、たとえばロッシとともに次のように嘆くのは、きわめて安っぽい感傷である。

 すなわち、ロッシによればこうである。

「労働能力について、労働者の維持手段から抽出して把握することは、幻想を把握するに等しい。世の中で『労働』について語っている人、あるいは『労働能力』について語っている人は、たいていは崇高な意味での『労働能力』について語っているのではなく、実際には労働者および生活維持手段のことを、あるいは労働者および労賃のことを語っているに過ぎないのである」と。

 じゃあ、ロッシの言うような感じで「労働能力」について語ってい人が、ちゃんと「労働」のことを語っているかといえば、そうではないのは、ちょうど、「消化能力」について語っている人が実は「消化」全体のことを語ってはいないのと同じである。周知のように、消化過程にとっては、丈夫な胃袋だけじゃなくて、胃の活動を支えるいろんなものが実際には必要なのだから。

 ロッシの言うように(崇高な)「労働能力」なるものを語っている人は、労働能力の維持に必要な生活手段から抽出しているわけではない。

 しかしむしろ、その生活手段の価値こそは労働能力価値を表現しているのである。

 いくら崇高な労働能力があっても労働能力が売れないならば、それは労働者にとってなんの役にも立たないのであり、彼は、自分の労働能力がその生産のために一定分量の生活維持手段を必要としたこと、そして労働能力の再生産のために絶えず繰り返し新たにそれらを必要とすることを、むしろ冷酷な自然必然事として感じるのである。そのとき労働者は、シスモンディとともに、「労働能力は……もしそれが売れなければ、無である」ことを発見する。

 ロッシは、当時の「意識高い」系の人で、労働力について語るということは労働能力について語ることであり、労働能力について語るというのは、人間がいろんなことにチャレンジできるという、そういう話をしたがった人だったのだ。それなのに世の中の経済学者ときたら、賃金がどうの、衣食住がどうの、そんなことしか労働力について語っていないので、呆れていたのである。

 

 ちなみに訳文には「生活諸手段」のように「諸」がちょいちょい入ってくる。meansというように複数形の表現だし、「『生産諸力』のように、実はこれが重要なんだ」とどこかで誰かが言っていたような気がする。しかし、若い人たちとの学習会ではこの「諸」でいちいち立ち止まってしまうのである。日常的に「諸手段」などという言い回しはほとんど使わないからだ。ファシリテーターとしてぼくは「入門者はそのことは飛ばして読んでいいから」と言っている。

 

 

国際的大義を失う:吉田裕インタビューを読む

 「しんぶん赤旗」12月6日付の1面で吉田裕のインタビュー。

 非常に興味深く読んだ。

 日本が戦争にのめり込んで行った時、それが世界的大義を獲得できずに、その逆に、侵略戦争になっていった大きな流れが示されている。

 吉田は、当時国際社会で確立された二つの原則について指摘する。

 第1次世界大戦(1914〜18年)後の国際社会は新たな二つの原則を打ち立てました。

 一つは、国際紛争を解決するために戦争に訴えることを禁じる戦争の違法化、二つは民族自決権の一応の承認であり、その方向に大きく動き始めました。「一応の承認」というのは、列強が自国の植民地を放棄するところまではいかないという意味です。

 しかし、「原則を打ち立てた」というけど、これは実際にどんなものに法制化されたのだろうか? という疑問が起きる。吉田はそれを見越したように解説する。

 前者を象徴するのが、国際連盟規約(1919年)と不戦条約(28年)、後者が、中国の主権・独立の尊重を国際的に確認した「9カ国条約」(22年、日本も調印)でした。米国の対日政策は基本的にこの流れに沿ったものになっていました。日本はこうした国際的な両流に逆行して中国を侵略し領土を奪い、武力南進政策を続けました。「自衛」の戦争でも「アジア解放」の戦争でもなかったのです。

 アメリカの帝国主義的意図だけを突出して描き出すのは論外としても、「アメリカVS日本」を何の大義もない帝国主義的角遂とだけ見るのは、一面的である(しかし一面ではある)。すでに確立された「大義」を日本側は手にできず、外交上の敗北としてまず生じる。

 だからこそ、吉田は冒頭に次のように解説するのだ。

当時の日米交渉の最大の争点は、日本軍の中国からの撤兵問題でした。米国は、侵略戦争で日本が獲得した権益の放棄を要求し、それを日本が拒否、日米交渉は失敗に終わり戦争になりました。ここが大きなポイントです。

 国際的大義での敗北ということを日本は考えていなかった。戦闘で勝てば勝てると思っていたのである。

 これに対して、中国側はこの国際大義から事態を読み込んだ。

日米交渉の最大の争点が、日本の中国からの撤兵問題にあったように、対米戦は日中戦争の延長線上に生まれた、ということが重要です。

 軍事力で劣る中国は、欧米諸国の介入・支援という多国間の枠組みの中で日本の侵略を阻止しようとしました。連合国の有力な一員として中国が日本とたたかうという構図をつくりだしたという点でいえば、開戦は中国外交の勝利、日本外交の敗北でした。

 すでに自力では日中戦争を終えられないという段階に来ていて、日本が対米開戦に踏み切ったことは、まさに外交的敗北なのである。

 

 軍事力を過信し国際的な流れを読み誤る、というのは、例えば今日の核兵器禁止条約のものにも言えるだろうか。

三島由紀夫『金閣寺』

 リモート読書会で三島由紀夫金閣寺』を読んだ。

 ストーリーは有名だが一応言っておくと、国宝だった金閣を青年僧が放火した実話にもとづく物語であるが、主人公をはじめ登場人物の名前は変えられ、三島が自身の作品世界を構築するために再構成したフィクションである。

 

 

文体がいい

 一読、文体がいい、と感じた。

 漱石の『猫』についても文体に惚れたが、昔の文豪はやっぱりすごいと思う。

 作家の平野啓一郎はムックで『金閣寺』について書いているが、平野もまったく同じ感想を持ったようだった。

読んで、非常に感動しました。まず魅了されたのが文体です。きらびやかで、レトリックが華麗です。その人工性が好きになれないという読者もいるようですが、僕は強く惹かれました。(『NHK100分de名著 三島由紀夫金閣寺」」p.5)

 「有名作家と同じとは生意気ではないか」と思う輩がいると思うが、この感想は中学2年生の平野のものだ。ぼくが読んだのはアラフィフのおっさんになってからのことである。

 語彙が豊富だよね。

 どこでもいいけど、例えば第八章の冒頭(新潮文庫版p.244-245)。

駅前の自動車道路は人かげもまばらで、ここが夏の殷賑をたよりに、なりわいを立てている土地だと知れる。

玄関の磨硝子をあけて、案内を乞うたが答(いら)えはなかった。

菊のすがれている素朴な小庭がある。

やや離れて、宿の主人の家族の住むらしい小さな家がある。閉(た)てきった硝子戸がラジオの音を洩らしている。その徒(いたず)らに高い音はうつろにきこえ、却(かえ)って人がいそうに思えなかった。果たしてそこでも、私は二三足の下駄の散らかった玄関で、ラジオの音の隙々(ひまひま)に声をかけては空しく待った。

 ごく短い文章の中に、収まりよくこれらの言葉が配置されている。お前がものを知らないだけだと言われるだけかもしれないが。

 

 平野は、例えば三島の次の表現に「とても感動」(平野p.26)したという。

 主人公・溝口の少年期に、有為子(ういこ)という女性が近所に住んでいた。有為子は脱走兵と恋仲になり、それをかくまっていた。以下は有為子が憲兵の追及を受けつつも潜伏場所を教えろという憲兵の要求を拒絶するシーンである。

私は息を詰めてそれに見入った。歴史はそこで中断され、未来へ向かっても過去へ向かっても、何一つ語りかけない顔。そういうふしぎな顔を、われわれは、今伐り倒されたばかりの切株の上に見ることがある。新鮮で、みずみずしい色を帯びていても、成長はそこで途絶え、浴びるべき筈のなかった風と日光を浴び、本来自分のものではない世界に突如として曝されたその断面に、美しい木目が描いたふしぎな顔。ただ拒むために、こちらの世界へさし出されている顔。……(新潮p.19-20)

 平野は「三島は好んで比喩表現を用いる作家でしたが、彼が書いた比喩の中でもこれは最も優れたものの一つではないかと思います」(同p.27)と高い評価を与えている。

 

 「歴史はそこで中断され、未来へ向かっても過去へ向かっても、何一つ語りかけない顔」とは何か。特にそうは書いてないが、ぼくはこれを「1945年8月15日」のように感じた。三島にとっての敗戦・終戦である。

 宮本百合子の『播州平野』の有名な一節を思い出す。

そのときになってひろ子は、周囲の寂寞におどろいた。大気は八月の真昼の炎暑に燃え、耕地も山も無限の熱気につつまれている。が、村じゅうは、物音一つしなかった。寂として声なし。全身に、ひろ子はそれを感じた。八月十五日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった。東北の小さい田舎町までも、暑さとともに凝固させた深い沈黙は、これ迄ひろ子個人の生活にも苦しかったひどい歴史の悶絶の瞬間でなくて、何であったろう。ひろ子は、身内が顫えるようになって来るのを制しかねた。

 歴史が悶絶している沈黙の瞬間は、三島にとっても宮本百合子にとっても、重く・不思議な・時間停止のごとき「断面」であったが、それでも宮本百合子のような戦後民主主義派あるいは左派にとってはやがて新しい時代をもたらす躍動の画期であったに違いない。しかし、のちに戦争支持と断罪された日本浪曼派の系譜の末流に位置づけられた三島にとっては、それは「歴史はそこで中断され、未来へ向かっても過去へ向かっても、何一つ語りかけない顔」に見えたのであろう。

 

「どう読んでいいかわからん」というAさん

 読書会の参加者であるAさんは、「この作品をどう読んだらいいのかわからん」とボヤいていた。Aさんには、「せっかく貧苦から抜け出す方途を保証されながら使い込んだり学業不良になったりするしょうもない奴が、あれこれ心で言い訳をしながら、自堕落を責められ、最後は自暴自棄で国宝に火をつけるというとんでもないことをやってしまった話」としか読めなかったのである。

 

 正直に言えば、ぼくもどう読んでいいかは迷った。

 迷ったので、平野の解説を手に取ったのである。他にも、水上勉金閣炎上』(一部を拾い読み)、水上と三島を比較した酒井順子金閣寺の燃やし方』を読んだ。どちらも参考になったが、全体の補助線として平野の解説は大変役に立ったので、ぼくもその線で一旦読んでみた。

 

 

 

 ちょっと余談であるが、読書会参加のAさんとBさんはこの種の「解説書」を使うこと——少なくとも初手からそれに頼るやり方には批判的である。これに対して、ぼくとCさんはあまり躊躇なく解説書を始めから使う。

 閑話休題

 平野の解説は、『金閣寺』のテーマを、三島が創作メモに書きつけた「絶対性を滅ぼす」という点に見出した。そして、金閣を戦前は絶対性のもとにとらえられた天皇の比喩として解釈を施している。ぼくはそれを導きの糸にした。

 ぼくもこの小説を実際に読むまでは、金閣寺にありえない美をみた若い僧侶がその美を永遠のものにするために金閣と心中しようとした話…みたいに思っていたのだが*1、主人公の中で金閣の美しさは動揺しまくるし(最終的には金閣は「虚無」となる)、確かに金閣の美しさというより主人公の中に途方もなく大きくなった金閣からどう抜け出すかということの方がテーマっぽい気がした。

 主人公・溝口は、自分の中にある金閣を、2つに分ける。当初父から「金閣ほど美しいものはない」として教え込まれた「心象としての金閣」、やがて戦争が終わり戦争とともに消滅すると思われていた金閣が無傷で残り、自分の中でそれに囚われ続ける存在、「観念としての金閣」を区別する。

 

「戦後」とどう付き合っていいのか

 平野は、三島の個人史を参照している。

 三島は戦前に文壇デビューし、紹介者の系譜から行って日本浪曼派のヴァリアントの中に位置づけられた。しかしほどなく戦争が終わり、日本浪曼派は戦争支持の芸術グループとして断罪され、他方で戦後文学は全く刷新された顔で次々と新しい書き手がデビューしていく。三島はすっかり色あせ、居場所を失ってしまうのである。

 そして、誤診から「肺浸潤」とされて戦争に行かず、生き残ってしまった。それは三島にとってのコンプレックスになったという。

 三島は「戦後」とどう向き合っていいかわからなくなった、というのが平野の解釈と読んだ。戦前的なものをあまりにも簡単に「清算」してしまい、無節操に新しい時代を謳歌する「戦後」への不信である。

 

三島は晩年になるほど文壇の悪口をたくさん言うようになるのですが、戦後派作家の何が嫌だったかというと、敗戦と共に突然我が世の春が来たかのように解放されて、一気に大きな顔をし出したところだ、それがとにかく許せなかった、ということを言っています。戦争というあれだけ大きな体験をした後に、人間はそんなにすぐ変われるはずはない。三島の中にはその思いがあったのです。(平野p.97)

 

 そう考えれば、三島が戦後民主主義の「左」からの批判者であった全共闘の集会に出て行ったのも宜なるかなと思えるのである。

 なんだ、自分のポジションへのこだわりかよ、と思ってしまうが、出発点がそういうところにあって社会への見方を形成するということの方がリアルに思えるのも事実である。

戦争が終った時の、不幸。それは戦争末期、「間もなく、確実に日本は滅びるのだから、それまでは全速力でつっ走ろう」とゴールに向かっていたつもりであったのが、一億玉砕すること無き敗戦によって、ゴールテープが消えてなくなってしまったという不幸でしょう。死というゴールがなくなり、急に「ではこのトラックを、ずっと走っていてください」と、延々と周回しなくてはならないことになった瞬間のうんざりした気持を、三島は「不幸」としたのです。敗戦は三島にとって解放ではなく、人生というトラックの中に閉じこめられるような気持にさせるものだったのではないか。(酒井前掲、KindleNo.1206-1212)

 

 三島は、戦前のような絶対性が消え、なんでも相対化してしまう「戦後」という社会の捉えどころのなさを、『金閣寺』の作中で、主人公の「老師」(金閣の住職)に仮託している。「老師」は主人公の非行や逸脱を大声で責めることはしない。緩やかに、教え諭すように主人公に接している。戦争直後という時代を差し引いて、現代的な教育の視点から見るとある種の理想と言えなくもないほどである。

 他方で、「老師」は金を蓄えているようだ。そして、芸者遊びのような放蕩を、陰でやっている。主人公はそれを見てしまい、「老師」にそのことをほのめかすが、「老師」が怒ったり、ひどく動揺を見せたりする気配はない。

 もちろん、「老師」は不動の心の持ち主ではなく、女といるところに何度も出くわしたとき、

「馬鹿者(ばかもん)! わしを追跡(つ)ける気か」

と「顔色を変え」て叱咤するほどには俗物である。

 

 水上勉の『金閣炎上』は、三島の『金閣寺』とは全く違い、一種の事件ルポである。水上は金閣寺に放火した僧侶(林養賢)にわずかながら面識があり、しかも禅寺での居場所のなさを感じて逸脱をしてしまう点でも他人事とは思えなかったらしく、事件を事実としてていねいに追っているのである。

 他方で、三島の『金閣寺』はあくまでフィクションであり、三島が自分の文学を展開する上で、都合のいい事実を抽出し、再構成したものに他ならない。

 林養賢の師匠である金閣寺の住職・慈海は、『金閣炎上』でその人物が描かれているが、「女道楽」で住職の地位を失った銀閣寺の住職と対比されているように、「老師」に重要な要素を持っていない。

 この点でぼくは最初、何かで読んだ記事をもとに、憶測で「老師と実際の師匠・慈海は同じような人物」と読書会で述べたのだが、Bさんから「違うのでは?」と指摘され改めて調べなおして、まさにBさんのいう通りであったと反省した。

 ということは、三島は創作のために「老師」のキャラを作り込んだわけであり、その作り込みは、かえって物語における重要性を浮かび上がらせたとも言える。「老師」を「戦後」的な捉えどころのない、無基準な・鵺的存在として描こうとしたのである。

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再建された現在の金閣寺



 こう書いてくると「金閣天皇なのか? 戦後はもう絶対性なんか全然どこにもなかったじゃないか」という反論が来そうである。

 単純に、心の中に天皇の絶対性が残っていたわけではないと思う。

 しかし日本社会は戦後の刷新があったものの、依然として社会にも政治にも、戦前との連続性が存在していた。そしてそのことへの本当の清算なくして「戦後」には向き合えないはずであるという観念もまた正当なものだろう。

 「戦後」にどう対応していいかわからないという懊悩を、三島は駐屯地での割腹自殺という、劇的な破滅によって解決してしまった、とぼくは思った。それは「金閣を焼かなければならぬ」という想念に取り憑かれ、金閣寺を焼いてしまった主人公・溝口とあまりに相似形を成している。

 ちなみに読書会でぼくがその一致を指摘すると、「どう読んでいいかわからない」と言っていたAさんはものすごく「納得」したようだった。それは胸に落ちたというより、金閣を焼いた理解不能な行動と割腹自殺という理解不能な行動の「完全一致」に思いが至り、Aさんはこの作品全体を「どう読んでいいかわからない」という当惑レベルから、「完璧に理解不能なもの」という彼方へ押しやってしまったようだった。(見ていて可笑しかった。)

 また、溝口が金閣寺囚われている描写として、溝口が女を抱こうとすると乳房が金閣寺変わってしまい、情交が果たせないというくだりがある。

 私には美は遅く来る。一人よりも遅く、人が美と官能とを同時に見出すところよりも、はるかに後から来る。みるみる乳房は全体との聯関を取戻し、……肉を乗り越え、……不感のしかし不朽の物質になり、永遠につながるものになった。

 私の言おうとしていることを察してもらいたい。又そこに金閣が出現した。というよりは、乳房が金閣に変貌したのである。(p.193)

 読書会でCさんがこの箇所を指して議論した時、くっくと笑っていて、ぼくもイメージしてみてあまりに可笑しかったので思わずゲラゲラ笑ってしまった。

 

ぼくにとってのマルクス主義マルクス主義的組織

 さて最後に、「絶対性を滅ぼす」というテーマを改めて振り返った時、「お前にとってそのテーマはどういう意味があるのか?」ということになる。

 それはすなわち、ぼくの中にある「逃れがたい絶対性」とは、マルクス主義であり、マルクス主義に基づく政治組織である。

 それはお前を押さえつけるスターリン主義のことか、というとそういう話ではない。

 まあ、組織の決定が自分にとって大きな矛盾として迫ることはないとは言えないが、そこよりもむしろマルクス主義の全体性の美しさが逃れがたいのである。

 マルクス主義は、世界を丸ごと解釈する、体系だった思想である。それゆえに、実に抗い難い魅力がそこにある。

 しかし、まるで恋人のように虜になった20代半ばくらいまでとは今は違う。かと言って、「冷めたから別れる」というような過激カップルでもない。いろいろ酸いもあまいも噛み分けたベテラン夫婦のような付き合いであろうか。

 絶対性とは「いつも自分の中で強く影響を及ぼしているもの」と考えてみてはどうか。それを「滅ぼす」のか、「距離を取る」のか、「仲良く溶け合う」のか、その付き合い方である。三島の場合、それを滅ぼそうとしてしまったのである。

 

 三島は、破滅的に主人公に辿らせることで自分の代わりを生きさせた。『金閣寺』によって戦後社会との折り合いのつけ方に一旦の決着をつけたのである。

三島は作中の人物を殺すことによって作者は生き残ることができる、という小説の効果について語っています。自分の中の何か苦しいものを、登場人物が自分に替わって引き受け、苦悩しながら死んでいってくれる。そのおかげで、読者や作者は生きていくことができるというわけです。確かに、それは小説の大きな機能だと言えるでしょう。(平野p.89)

 しかし、三島は『金閣寺』執筆から10年をへて再び迷走をし、急激に右翼的思想に傾斜していく。結局戦後社会との付き合い方にまた迷いだすのである。

 ノンフィクション作家である保阪正康は三島の自裁について次のように語る(2020年11月24日「東京新聞」)。

「彼は『戦後社会に鼻をつまんで生きてきた』と語った。戦後の空間を全否定し、激しい嫌悪感を持って事件を起こした。『(自分の気持ちを世間に)分かってほしくない』と彼の方から線引き(自決)をしたんだと思う。事件を肯定するのは難しい。私たちは冷徹に見ていいんだと思う」

 平野の言葉を裏返してしまうなら、三島は溝口を生かしてしまったために自分の代わりを引き受けさせられず、結局死なねばならなくなった、とも言える。だが、平野は、そこは優しく結論づけている。小説の人物と自分の思想を一致させるという思いが三島には他方で存在し、それゆえに、ここで溝口を生かした時には、三島は確かに戦後社会を生きようとしていたのだと平野は考えたのである。

 また、酒井順子も次のように述べている。

 三島の死もまた、彼の小説に出てくるかのような物語です。生の途中で死ぬことによって、彼の生は「完成」しました。その死が劇的なものとなり得る最後の年齢において、最も自分好みのキンキラキンの死を、彼は選んだということができましょう。

 そう考えるならば、金閣に放火してその只中で死ぬ、という死に方も、十分に三島好みの派手さです。悲劇的で、英雄的でもある。

 だというのになぜ、三島は溝口を殺さなかったのかと考えてみますと、その時の三島自身が、「生きる」という方向を向いていたからなのではないかと思うのです。酒井前掲KindleNo.2070-2075)

 

 

*1:「作者・三島が、金閣寺のことを美しいと思っていたわけではありません」(酒井順子金閣寺の燃やし方』講談社、Kindle1932-1933)。

ワタナベ・コウ『漫画 伊藤千代子の青春』

 戦前の官憲による弾圧で命を落とした共産党の若い活動家たちのことを知ったのは、1990年ごろだったと思う。その一人に伊藤千代子がいた。あの当時、伊藤千代子について書いた「赤旗」の記事やら簡単な伝記的紹介を読んだと思ったのだが、ほとんど忘れていた。

 日本共産党のサイトでは伊藤の死について次のように書かれている。

市ケ谷刑務所で栄養失調になり、病院に転送後亡くなりました。

 ある意味、簡略である。

 党幹部の演説で触れている場合も同じで、例えば不破哲三は、

こういう旗印をかかげて活動したために、日本共産党は、天皇制政府から、最も憎むべき犯罪者として激しい迫害をくわえられ、多くの犠牲者を出しました。〔中略〕ここに、その中の一人の女性の死についてうたった短歌があります。/こころざしつつ たふれし少女よ 新しき光の中に置きて思はむ/これはアララギ派歌人である土屋文明さんが、自分の教え子だった伊藤千代子さんの二十四歳の若さでの死を悼んで、あの時代に雑誌『アララギ』に発表した歌であります。

として「二十四歳の若さでの死」「激しい迫害をくわえられ、多くの犠牲者を出しました」としか書かれていない。

 志位和夫も、

伊藤千代子、高島満兎、田中サガヨ、飯島喜美など、弾圧の中で節をまげず命を落とした若い女性――この4人の同志はそろって24歳の若さで亡くなったわけですが――など無数の人々のたたかいも、私たちの胸を打ってやまないものがあります。

として「弾圧の中で節をまげず命を落とした」「24歳の若さで亡くなった」としているだけである。

 なので、あまりよくわかっていなかったのだが、今回ワタナベ・コウの『漫画 伊藤千代子の青春』(新日本出版社)を読み、その最期の悲惨さに重い気持ちになった。

 

 伊藤は獄中で拘禁性の精神疾患となり、精神科の専門病院へ移送される。当時の病院の治療方針で硫黄のお湯に入れられ、裸のまま寝かされた。やがて急性肺炎になって伊藤は亡くなる。本作はその過程を描いていて、ワタナベの筆致は簡潔であるため、かえってその客観的事実としての性格が淡々と読むものに迫ってくる。

 伊藤の夫が獄中で「転向」(変節)したことがおそらく伊藤の精神の変調に大きな影響を与えたのであろうが、調べてみると、福本イズムにかぶれ共産党の戦前の活動家だった夫・浅野晃は戦後を生き延び、右翼国文学者となってしまい、三島由紀夫の自決に際しては追想の詩を書いたりしている。

 また、ワタナベは、共産党に入党した伊藤が「赤旗」の編集事務に携わったときに、水野成夫から指示を受けるシーンを選んで、「女で入党している者は少ないから光栄でしょう?」といういかにもジェンダーへの無理解をあらわす高慢さを描いている。水野成夫とは、言わずもがな、あの水野成夫である。獄中で「転向」し、浅野らの「転向」まで引き出し、戦後はフジ・サンケイグループの土台を築いた右派文化人の一人である。

 ワタナベは伊藤の生い立ちに関わった2人のその後について書いていて、一人は同窓だった平林たい子だ。若い頃の伊藤との交流はあたたかく描かれているが、伊藤の死後以降については、ワタナベは平林について「プロレタリア作家として出発したが戦後は離反した」「千代子についてはついに深く触れなかった」と記され、いかにも冷たい。

 もう一人は、伊藤に進歩的価値観を教え、親密になった教師・上條茂だ。上條は伊藤に結婚を押し付けようとし、自分が教壇で話したこととは逆に「女子の社会への恩返しは早く結婚することだ」と伊藤に説教した。信濃教育会の中枢に身を置き、やがて青少年を「満蒙」へ送り出す尖兵となった。「上條は戦後も反省ないまま再び長野県教育界の中心にかえりざいた」とやはりここでも冷淡に書かれている。

 

 正直暗い気持ちになる。

 しかし、それは作品が暗いのではなく、天皇制権力がふるった仕打ちそのものが客観的に暗いのである。そのような政治体制の陰惨さを読者に精確に伝えているという意味において、本作は「暗黒時代の青春を描く」という役割を誠実に果たしていると言える。

 

 伊藤千代子もそうなのだが、戦前の革命家の伝記を読むと革命家としての全体性に改めて思いを致す。

 理論への関心を持って貪欲に学び、大衆運動を積極的に組織し、組織建設を追求する。これらがバラバラになっていないのである。

 組織が大きくなるとやむを得ないことなのかもしれないが、左翼運動の中でこうした全体性が見失われ、部門化し、官僚化し、携わる活動家は「部分労働者」化してしまうことがある。大衆運動に人が集まり、その高揚の中で組織が大きくなるという循環が消え、運動と切り離され数字を追うだけの「組織拡大」や、逆に組織建設とは縁のない「大衆運動」、そしてこれらを結びつけ行動の指針となるという切実な意味での理論の役割が消え、ただの「教養」「ドグマ」になってしまう形式的な「理論」。それをそれぞれの部門の人たちがタコツボ的に追求しているだけではそれはマルクス主義の全体性の死であると言って良い。

 理論、組織建設、大衆運動は本当に一体のものとしてとらえられる必要がある。

 伊藤千代子を読むとき、ぼくはそうした戦前の活動家の全体性をこそ学ぶべきだと思う。