鯨岡仁『安倍晋三と社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか』

 新年は「新資本主義」を掲げるの企業新聞広告のオンパレードだった。

 年頭の岸田首相のメッセージを受けて、投資家もどきみたいな人たちが集まっている「市況かぶ全力2階建」は大騒ぎである。

kabumatome.doorblog.jp

 「社会主義」だって?

 岸田が?

 岸田の年頭所感のどこが「社会主義」だというのか。

  • 目指すべきは、日本経済再生の要である、「新しい資本主義」の実現
  • 市場に過度に依存し過ぎたことで生じた、格差や貧困の拡大
  • 資本主義の弊害に対応し、持続可能な経済を作り上げていく
  • 国家資本主義とも呼べる経済体制からの強力な挑戦に対抗
  • 「新しい資本主義」においては、全てを、市場や競争に任せるのではなく、官と民が、今後の経済社会の変革の全体像を共有しながら、共に役割を果たすことが大切
  • 一度決まった方針であっても、国民のためになると思えば、前例にとらわれず、躊躇(ちゅうちょ)せずに、柔軟に対応する

というあたりらしい。

 びっくりである。

 びっくりだけど、こういうタイトルの本ができて(2020年1月刊行)、それをぼくも去年の秋口にリモート読書会で「それ面白そうだね!」と同意して読んだのだから、なおびっくりである。

 

 

 鯨岡の本書の趣旨は、安倍の手法は小泉流の新自由主義ではなく、企業の賃上げに介入し、無償化などの分配を積極的に行う左派的なものである、ということなのだ。

「国家は善」。そんな安倍の国家観から生まれた経済政策は、結果として「大きな政府」路線になっていった。市場は不安定・不完全だから、国家が介入し、適切な調整を行う。政府に経済運営で大きな役割を期待する姿勢は、世界的に見て「左派政策」に分類される。(鯨岡仁『安倍晋三社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか』朝日新聞出版Kindlepp.17-18)

 これは松竹伸幸が指摘する“安倍政権は左にウイングを伸ばしている”という指摘と重なる。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 安倍政権が左派的などとは信じられない、という向きもあろうが、まあ、とりあえず話を聞いてほしい。リモート読書会に参加したAさんは「はぁ!? アベがぁ!? 社会主義ぃぃぃ!?」と叫んだ。まあ、Aさんも喜んでこの本を読むことは受け入れたのだが。

 例えば最低賃金。時給1500円は必要、という立場から見ればまだまだ低い。しかし、歴代政権と比べてもハイペースで上がっていったことは間違いない。

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 あるいは「保育の無償化」。「大学の無償化」。

 「そんなものは消費税増税と引き換えだ」「大学の無償化などまやかしだ。1割の学生しか対象になっていない」という批判はよくわかる。が、相当に歪んだ形であっても、兎にも角にも始まったわけである。

 国民(の一部)が安倍政権をもし何か評価する点があるとすればこういうことなのかもしれない。つまり、得点を稼ぐポイントだったのである。

 本書では安倍の2013年1月号の「文藝春秋」に載せた言葉を紹介している。

「私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります」

 本書によればそのアイデアのベースは、起業家・原丈人の「公益資本主義」だという。

 岸田はこれがいいと思ったのであろう。岸田政権の「新しい資本主義」路線はまさにこれだ。「コロナにお困りの皆さんへ」といって給付金を配り始めたのはその一つである。菅政権がやらなかった持続化給付金の今日版・事業復活支援金もやった。

 

 いや、ぼくは「だから安倍政権は素晴らしいね!」とか「岸田政権サイコー!」とか全く思っていないし、そういうことが言いたいわけでもない。

 そこから、野党側、まあもっと言えば左翼陣営はどういう戦略を立てればいいのだろうか、ということを考えた。

 鯨岡の問題関心も実はそこにあったりするのではないかと思う。なぜなら本書は松尾匡を登場させ、「れいわ新選組」の話で終わるからだ。

 安倍政権を「見習って」、野党共闘が右へウイングを伸ばすことについては以前にも書いた。だからそこで書いたことはあまりここでは繰り返さない(安全保障など)。

 『安倍晋三社会主義』を読んで、ちょっと感心したのは、安倍が第一次安倍内閣退陣をした後に、わりとすぐ勉強会を始めていることである。

二〇〇七年秋、安倍が首相を退陣した直後のこと。第一次安倍政権で厚生労働相をつとめた柳澤伯夫は、東京・富ケ谷の自宅を訪ねていた。…

安倍があまりに何回も謝罪するので、柳澤は本当に気の毒だと同情していた。この日、柳澤が安倍を訪ねたのは、柳澤と親交が深かった評論家、西部邁の勉強会へのお誘いを伝えるためであった。…

その西部が柳澤に対し、「安倍さんは、まだ若い。このまま終わるのは惜しいんじゃないのか。絶対、やりなおすべきだ」と、安倍のために知識人をあつめて勉強会をやりたいと提案してきた。(鯨岡前掲書p.76-77)

 5回分の講師名が載っているのだが、経済分野については「グローバリズムに否定的で…『新自由主義』的な政策を批判する講師が多かった」(鯨岡)。

 この本を読むと、安倍は勉強会や知識人の人脈を生かしてせっせと知識の吸収をしている印象を受ける。

 負けた後でもすぐに勉強をしている。共産党や野党がそれをしていないとは思わないが、少なくともぼく自身は選挙後そういうことがあまりできていない。この本を読んで「俺は、安倍ほどには勉強していないなあ」と反省した次第だ。

 

 共産党の党首・志位和夫は、元旦の「しんぶん赤旗」で本田由紀と対談している。

www.jcp.or.jp

 その中で本田から

たとえば、30代、40代ぐらいの働き盛りの男性にとっては、賃金も上がらない、家族もいるなか、“とにかく食っていかなきゃいけない”“とにかくもうちょっと金を稼ぎたい”“とにかくもうちょっとゆとりがほしい”みたいな切実な思いがあります。

 ツイッターには、「野党は苦しい人たちには非常に優しいような政策を提言とかするけれども、そこまで苦しくはない自分たちに対して一体何をやってくれるんだ」みたいな声がありました。改めて総選挙の各党の政策を読み比べてみた時に、自民党は経済政策にたくさんの項目が挙げられていて、しかもなんかカタカナ用語みたいのをいっぱい使いながら、キラッキラな素晴らしい将来がすぐそこにあるかのような、マニフェストを掲げていました。「もう一度、力強い日本を」とか、「強い経済と素晴らしいテクノロジーを」とか、こうしたキラキラした雰囲気を渇望している有権者が、先ほど話した30代、40代の男性を中心にいると思います。

という問いかけを受けて、志位は、

いまおっしゃったこと、特に30代、40代の男性の働き手にも響くような訴えをどうやればできるかということは、本当に考えなければいけないなと思いました。

 そこで、こう考えてみました。新自由主義から転換しなくてはいけないというのは、本田さんも同じ立場だと思います。では、新自由主義から転換してどんな社会をつくるか。この社会を一言で言った場合、本田さんの言葉をそのまま使わせていただきますと、“やさしく強い経済”をつくろうというように訴えてみたらどうかと考えたのですが。

と答えた。

 その後、志位はその中身を紹介している。

 ぼくも、困窮者対策とか、社会保障の充実とか、非正規対策とか、そういうものが、「弱者救済」——経済の「やさしさ」としてアピールをするのではなくて、それを「強さ」として描くことが大事ではないかとは思う。

 もう少し言えば、それを「成長」として考えることである。

 志位和夫はこの対談掲載から3日後に「党旗びらき」で挨拶し、「やさしく強い経済」をさらに練り上げ、その核心について「一人当たりの賃金が上がらない、成長できない国になってしまった」という点にポイントを置いた。

www.jcp.or.jp

 これはまったく正しいと思う。政策的なフォーカスとして。

 

 同じように、「気候危機」や「ジェンダー」については選挙をやる上では、もっと「経済」特に「成長」として語ったらいいのに、と感じる。*1

 誤解のないようにいっておくが、気候危機やジェンダーは経済の問題ではくくれない課題は少なくない。そこだけに収斂させてしまうのは、矮小化になる。しかし、それは社会運動としての長期の課題であって、選挙がもう始まってしまい、その時にもしまだ社会意識が変わっていなかったとしたら、選挙運動期間は短いのだから、気候危機やジェンダーについては経済を軸にした訴えにすべきだと考える。

 例えばジェンダーの問題で共産党が総選挙において一番重視したのは、男女の賃金格差であった。もし非正規の最賃アップやケア労働の待遇改善によってこれを埋めるように訴えるなら、それは賃上げ政策であり、成長のための戦略であろう。

 

 気候危機についても同じである。

 実は、総選挙後、ぼくも安倍にならって(?)少しは政策の勉強会をやった。

 その時に、共産党の気候危機打開政策「2030戦略」にも登場する学者・明日香壽川の小論文を知り合いの左翼仲間で勉強したのである(明日香「グリーン・リカバリーとカーボン・ニュートラル実現へのエネルギー戦略」/「議会と自治体」誌2021年1月号所収)。

 明日香らは日本版グリーン・ニューディールの経済効果について試算をしている。家庭部門では「熱、主に断熱建築、ゼロエミッションハウス」で2030年までに15.2兆円の投資を見込んでいる(経済波及効果は41.8兆円/年、雇用創出数は267万人・年、投資額あたり雇用創出数は17.6人年/億円、2030年のCO2削減量*2は28Mt-CO2)。

 同論文では、グリーン・ニューディールとは究極的には省エネと再エネの拡大しかないのだが、と断りつつ、即効的で具体的な経済政策としてみた場合どうなるのかについて、

ただ、短期間で実施できて、かつ経済効果も大きいという意味では、今ある建築物の断熱工事による省エネが最も優れており、そのための補助金などの拡充は早急に検討されるべきである。(強調は原文)

としている。これは、住宅リフォーム助成として、共産党の地方議員や建設労働組合などが進めてきた運動そのものである。

 「ゼロカーボン」や「気候危機」というのはピンとこない人がいても、「断熱のための住宅リフォームによる助成で経済対策を」というふうに打ち出せば、印象はまるで違う。「正義」のための運動というよりも、具体的な中小企業を潤わせる地域の経済政策・成長政策として打ち出すことができる。共産党は確かにグリーン・リカバリーをやれば経済効果があるという話をしていたが、それをもっと具体的に語り、運動団体がイメージしやすいものに落とし込む努力が必要だった。その点で明日香のこの指摘は重要である。

 左翼は今回の「負けた」総選挙の後で、こういうふうに「安倍に学んで」、勉強会をやったらいいんじゃないかなあと思った。例えば、上記の住宅リフォームへの助成なんかは、中小業者の運動団体の人たちと一緒に、専門家を呼んでぜひ政策勉強会を始めたいくらいである。

 

 鯨岡の本では、人間安倍・人間麻生が登場する。

 気落ちしたり、勉強したり、竹中平蔵を排除したりうまく付き合おうとしたりする、そういう姿である。

 その姿を見て、繰り返すが、「安倍も人間味あるんだなあ」とかいう話をしたいのではない。*3

 自分も勉強しなきゃいけないなと思ったり(例えばあるマンガ編集者に揶揄されたのだが、ぼくは金融政策とか全然わからない。俺は雰囲気で経済政策をやっている)、立場の違う人とももっと踏み込んで付き合わないとダメだなと思ったりしたのである。安倍の姿から学ばされた一冊であった。

*1:本田は「前衛」2022年1月号のインタビューでは戦後日本型循環モデルという古い社会の仕組みのもとで、「国は経済を回してくれれば、人びとは収入を得て生きていける、経済こそが、国に期待することであり、自分にとっても重要なことだという発想が強いのです。それはとくに稼ぎ手であることを求められる男性の中で強い。正義であったり、平等というような、ポリティカル・コレクトネスといわれるような理念が、この国は全般的には希薄です」と厳しく批判している。しかし、そのすぐ後で、自民党の総選挙政策が「成長」「活力」などのフレーズを盛り込んでいることに注目し、「嘘でもその渇望にうまくアピールしている」と評価する。「ここは難しいところなのですが」と前置きして「政府に経済を回してほしいという発想が強すぎることは、長い間の日本の持病みたいなものだと思います。そこにおもねることだけではダメなのですが、手当が必要です。実際に人びとは持病にかかっているわけですから。それを無視して「こういう健康法がある」といわれても、試してみようという気にはなりにくいのではないか」としている。つまり、公正や正義が経済と切り離されて提起されてもダメで、そこは公正さと経済を統一する形で、うまく懐に飛び込んでやる必要があると本田は言っているのである。

*2:ここだけ公営住宅などの分と合わせて。

*3:安倍政権が民主主義の点において戦後最悪というべき汚点を残した内閣であったことはぼくにおいて揺るがない。