佐久間薫『カバーいらないですよね』

 中1の娘がどんな大人になるのか知らない。どうせ子どもの「65%は、大学卒業時、今は存在していない職に就く」んだから、あれこれ悩んでもしょうがない。

 佐久間薫『カバーいらないですよね』は書店で働く主人公の「書店員あるある」を描いたコミックだ。

 

 ぼくはこれを読んで「あー、娘もこんなふうに書店で働けたらいいな」と思った。

 「あのなー、書店労働ってどんだけ大変だかわかってんの?」という声が聞こえてきそうだけど、確かに他の書店員マンガってそのあたりの大変さ・過酷さが描かれている。どんなにお気楽そうに、あるいはギャグを交えた作品であっても。

 ところが、この作品が、書店労働の「ゆるさ」しか流れてこない。書店労働でありがちな大変さとしてはこの作品では返品の本を縛る労働の話が出てくるけども、それさえも途中で職務を放り出して腕相撲をし始めてしまう「ゆるさ」がある。

 この書店の中で一番厳しそうなのは主人公の先輩にあたるメガネをかけた男性の「泉氏」であるが、その泉氏のイライラやオラオラでさえ、愛すべきキャラの一つでしかなく、たぶんぼくは彼と一緒に働きたいと感じている。

 客から問い合わせられた「アズミノ」の所在地も漢字もわからない主人公は、「でも私高卒なんで」と言い訳をしようとするが、泉氏から「十分だ」と批判されて漢字を勉強するよう指導される。主人公は律儀にも漢字ドリルを(おそらく自費で)買って帰るのだが、自宅で少しやり始めたかなと思ったらすぐに飽きてテレビを見始めてしまう。「それ、まんま、うちの娘やん…」と思わずにはいられなかった。

 「ゆるさ」を伝える作品は、そのまま現代では「楽しさ」に結びつくことが多い。そこでは労働は「やりがい」や「社会的意義」「自己実現」よりも、「ゆるさ」があって「楽しい」ことの方が大事だ。

 この書店では、労働そのものではなくて、労働を通じて働いている人たちとキャッキャッと戯れている感じがモチーフになっている。彼女(娘)が高卒で社会に出て、もしこんな職場があれば、それは幸せなのではないかという思いを抱いた。そして「さらに働きながら、自分が描いたマンガをこんなふうに刊行できたらいいな」とも思った。

 そういう意味ではこれはまあ一種のユートピアなのかもしれない。ユートピア文学。