たまたま目についたこの話題(すでに4月のエントリだが)。
自重の筋トレを初めて7年目になる。
効果があるかどうかは別にして、続けていることは間違いないから「なぜ続いているか」について少しくらい書いてもいいだろう。
といっても、実は1年目でもうドヤ顔して書いていた。
同じことを書いてもアレなので、今回はそれとは違うことを少し。(といってもスモールステップの変奏なのだが)
ぼくのマインドセットとして、例えばある日の筋トレの総量、
- プッシュアップ(腕立て伏せ)15回×4セット
- クリンチ(腹筋)15回×4セット
を思い浮かべると気が重くなる。
しかし、「まず5回だけ」とやってみる。
やっている最中に5回を超えたら、次は10回のことをイメージしてみる。
5回目と10回目の間に8回目が入って来るが、8回目も「ようし、半分を超えた」という節になる。8回から10回はすぐだ。そして10回になると2ケタの到達感が味わえて、15回はすぐそばにある感覚になる。
すると15回は終わっている。
1分インターバルの時も2セット目の最初の5回のことしか考えない。
同じようにして10回、15回で2セット目が終了。
これを4セット目まで繰り返す。
総量をイメージするな。
目の前の小さな目標のことだけに没頭しろ。
そうすると苦痛が明らかに減るのである!
…うん。書いていて、落語の「愛宕山」に出てくる太鼓持ちの一八(いっぱち)のようだなと思わざるをえなかった。
一八は旦那に“愛宕山に登ることなんか全然きつくない”とうそぶいて、でたらめな「コツ」を周りにしゃべるのである。
こんなものは「これから一生懸命、山に登るんだ!」なんて気負っちゃいけませんよ。ねえ。で、上みちゃいけないよ。上みちゃ。ね。こうね、ずっと目(ま)の当たりを見てなさい。ねえ。そうすると地べたがどんどんどんどん下へ流れていくだろ。ねえ。地べたが消えたところ、なくなったところがてっぺんだ。それが理屈だ。ねえ。どってことはない。こんなものは。ねえ。
(なお、こう豪語している一八は、登山早々、音を上げてしまう。)
ぼくの話を読んでアホみたいな自己啓発のように思ったかもしれない。まあ、おおむねアホみたいな、一八みたいな話なのだ。しかしあえて言わせてもらえば、これはおそらくぼくの思考のクセなのだ。例えばある地域にビラを配る時も配布部数が多いとうんざりするので、とりあえず目の前の小さな区画に配ることしか考えない。目先のセットをやって、そうして次のセットにいく。気がつけば終わっている。
これは娘もそうなのだが、その日にやらなければならない勉強量の総量を思い描いて、憂鬱になっていることが多い。全体のことを考えちゃダメだ。やる気が失せる。目の前の小さなことに没頭しろ。
同じような思考のクセを持つ人がいたら、多少は効くかもしれない…。
そういえば、もう随分前のことであるが、ある団体が膨大な量の販売拡大目標をどうやって達成するかを指南する指導文書に、こういう「小目標への分解」という話が真顔で書いてあって、ぼくはそのとき「愛宕山」を思い出し、“それは物事の一つの側面や、現場での心の持ちようのティップスのようなものであって、そんなことを組織方針で書いたらダメだろ”とびっくりしたことがある。