おづまりこ『ゆるりより道ひとり旅』

 40代女性のコミックエッセイである。表題の通りだ。

 本作では、京阪神の各所に出かけて食べ歩きをしている。

 この作者については、つれあいの方がよく知っていた。彼女がネットでよく見かけるからである。『わたしの1ヶ月1000円ごほうび』なども知っていた。つれあいは「食べ物がうまそうに描けているよね〜」という評価を持っていた。つまり、つれあいは、非常に素直にこの作品を、テーマどおりに読み、受け取り、楽しんでいるのであった。

 その差だと思うけど、ぼくは食自体にはそれほど執着がない。グルメではない、という意味で。だから、つれあいのように、「あっ、これ食べてみた〜い」というような感想ではなく、全く別のところに反応してしまった。

 

 例えば、作者は、まず京都で「パンづくし」のひとり旅をする。

 「パンづくし」…?

 「京都はパン消費量No.1」なのだそうで、そこで作者は京都(市)の「パン屋で思いっきり買いまくる」という旅を計画するのだ。

 ぼくもパンを食べるのは嫌いではない。だが、例えばぼくはつれあいとほぼ毎週のように日曜日に散歩をして、そのたびにつれあいはお気に入りのパン屋に行き、しこたまパンを買って帰るが、そこまでの執着はない。パンならなんでもいいのかといえば、近所のいくつかのパン屋はダメで、2キロほど離れたショッピングモールにあるパン屋で必ず買う。そういうこだわりがあるのだ。

 この作者はそれに輪をかけた感じで、京都で行きたいパン屋をリストアップして、買いまくるという旅に出る。

 「そんなに食べられるわけないだろう」というのが初手の感想。

 ところが、作者は期待値を上げるために旅行の1週間前から朝は好きなパン食にせず、グラノーラに替えて「パン断ち」をするほどなのだ。

 買いすぎてはならないと作者が自戒をするために、容量の決まった保冷バッグを持って「これがいっぱいになったらその日の買い物終了」というマイルールを定め、京都でパンを買う旅に出る。

 買ったパンは、どれもぼくからみて濃厚なのものばかり。

 それをどんどん買っていく。

 最終的に2日間の旅行で13個のパンをゲットするのだ。

 「え、それ全部一気に食べんの?」と思ったら、冷凍して小出しにして食べるのだそうである。冷凍してまで…!? というのが率直な驚き。

 しかし「小出し」にはならず、どんどん食べてしまい、1ヶ月後、体重が2キロ増えてしまったという。

 この第1章を読んで、すでにその旅行のありようが、想像を絶するものだった。「そう? これくらい当たり前では?」と作者ならずとも思う人もいるのかもしれないが、ぼくには考えられないパンとの距離感だった。

 

 むしろ京都の旅行という点では、本書第6章の「京都で懐かしおもいで旅」の方に親近感が湧いた。

 作者は京都で学生生活、しかも出町柳近辺で生活していたらしく、それを懐かしみながら(食べ)歩くという旅だったのだが、ぼくもよく知っている場所などが頻繁に出てきたのである。

 特に「出町ふたば」の「豆餅」。並んで買ったとあるが、あ〜あそこの豆餅うまいよね〜と思いながら読む。そして、下鴨神社、鴨川、一乗寺、自転車…懐かしい。

 ぼくも若い頃によく行った店が今どうなっているのか見てみたいし、そこで食べたものをもう一度食べてみたいという気持ちになった。本書で紹介されていた店に行きたい、という感想ではなく。

 「友楽菜館」とか「おらんじゅ」とか「セカンドハウス」とか「進々堂」とか「まどい」とか…。今あるかどうか知らないけど。

 

 第3章の最後にある「旅する前の情報収集」というコラム的なところで、「行きたい店リスト」を作るときに、ネットで探すとなかなか好みの店が見つからず、雑誌で目星をつけるという方式をとっていることに注目した。

 確かに「ネットで探す」というのは、本当にいい店なのかどうなのかわからないのである。作者は2年分くらいの雑誌のバックナンバーを揃えるという徹底ぶりなのだが、なるほどそのようにセレクトがかかったものの方が逆に効率がいいのだろうと思った。そのせいで作者は、かなりの数の古雑誌を抱えてしまうことになるのだが…。

 

 第5章では神戸に出かけている。

 ここで「バーに入る」というクエストをやっているのだが、ひとり旅のエッセイなんか描いているから、そういうところはひょいひょい入れるのだろうと思っていると、さにあらず。

 「ひとり飲み」にめちゃめちゃ緊張している。

 ぼくも、一人で飲み屋やバーに入ることはまずない。

 よく飲みにいく友人がいるのだが、その人は、ぼくと二人で飲んだ後、別れて一人で飲み屋にいく。あとで話を聞くと飲み屋やバーで一緒にいた人たちやマスターなどと話をして仲良くなっている。

 一体どうやってそんなことができるのだろうといつも不思議に思っていた。

 この章では、そのような「ぼく状態」であった作者が、酒の力を借りて、どうやって「ぼくの友人状態」のような社交性を発揮するのかが描かれている。そういうふうにすればいいのか…。

 

 まるでぼくとは嗜好が違うから、本書を果たして楽しめるだろうかと思ったものだが、なかなか楽しく読めた。