ホテルに泊まるのは好きだ。
別に旅先でなくてもいい。
家から近くにあるホテル(・旅館)であっても泊まりたい。まだそういうことをやったことはないけど。
我が家(マンション)の中に、快適に寝そべって、しかも独りで静かに(静謐に)いられる空間が、微妙に存在しないのだ。
家族の物置・クローゼットを兼ねた「書斎」のようなものはあるんだけど、その部屋は、夏は暑くて、冬は寒い。寝っ転がってダラダラするという空間ではないのである。
寝室はどうかといえば、こちらには空調や布団があるものの、「体を持たれかけて本とかPCを眺められない」のである。若くないので、肘で支えて本を読んでいると疲れてしまうし、何かに寄り掛かろうと思うと木の柱か襖に寄りかからねばならない。「人間をダメにするクッション」ことYOGIBOのクッションを購入したいのだが、つれあいは「部屋が狭くなる」と言って頑強に反対している。
居間にはコタツがあるのだが、座椅子でそこに座っている。ここにこそ上記クッションを導入したいのだが、やはり許されていない。
そして、何より静謐ではない。娘はネットを見て笑い声を立てているし、つれあいもYouTube動画を音量を上げて流している。小さくしてもらっても人の気配があることには変わりない。まあ、かくいうぼくも風呂で声を出して『神聖喜劇』だの英文記事だのを読んでいるわけだが。
それに比べると、ホテルは空調も効いていて、しかも人の気配がない。
快適で自由だ。
そこに独りで宿泊することの魅力は染み透るように理解できる。
そこで本作である。
ホテルを作る会社で働く4人の男女が登場する。いいホテルに泊まって研究する、という大義名分があるが、みんな独りでホテルに泊まるのが好きなのである。
紹介されるのは、オシャレなホテルが多い。
調度、造り、景色、ルームサービス、アート、照明。
ぼくのような山出しには、あまりにもまぶしすぎるものが多い。
が、たまには「ハトヤホテル」のようなホテルも出てくる。
あるいは、ホテル自体よりも、ホテルの周辺を町歩きするような話も出てくる。
どちらかといえば、そうした楽しみ方のほうがぼくには理解できる。
自転車で北部九州を回った時も、ボロボロの旅館に泊まったりしたものだが、「ひとりになれる」ということがぼくにとっては大事だった。だから、安宿でコンビニ飯と安酒を食しながら、好き放題をやる、というような時間・空間が、リアルでは好きなのだろう。
本作のような宿に実際に行ってみたいと思うかというと少し微妙だ。
だけど、自分が行かないような非日常空間として「へえそんなところもあるんだ」と眺めるにはむしろ適しているのかもしれない。