小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』

「藤間はこの報告で、『民族的なほこりを全民族に知らせて、わが民族が自信をもつ』ために、記紀神話に登場するヤマトタケルを『民族の英雄』として再評価することを唱えたのである」

 ここに登場する「藤間」とは、どのような政治的立場の人か、あなたは想像できるであろうか。

 藤間生大は、まぎれもない戦後のマルクス主義歴史学の代表者の一人である。


 土井たか子が辞任したとき、ネットには、「反日」という言葉があふれた。それは「戦後民主主義」的なるものを一括してそのようによぶ言辞である。2ちゃんねらーの一部からあふれている言葉でもある。
 直近の総選挙の終盤、共産党の不破が、みずからの党の歴史を称して「真の愛国の党、日本共産党」とのべたことを、この人々はどうみるであろうか。

 戦後民主主義が、愛国やナショナリズムを唾棄した、というのは、幼稚な妄想にすぎない。
 「だから教育基本法を改正して愛国心を教えよう」などという言辞にいたっては、嗤うべきイデオロギー操作というしかない。
 戦後において、もっとも「民族」を強調したのは、左翼である

 小熊の『〈民主〉と〈愛国〉』を読めば、そのことは一目瞭然である。
 いや、むしろ、戦後民主主義が立脚したのはナショナリズム愛国心であり、自らの責任に呆然として寄る辺をもたなかったのはむしろ保守の側であった。小熊は、こうした戦後思想史の歴史に無知なまま「市民」という用語を使っている、小林よしのり橋爪大三郎の混乱を微笑している。


 『〈民主〉と〈愛国〉』は、本年の各賞を総ナメした観がある。

 

 


 じっさい、1000ページちかくある大部でありながら、これほど興奮しながら読み進められた本は珍しい。終わりが近づくにつれ、名残りが惜しかった。
 3部16章構成の本書は、ほぼ1章ごとに保守/進歩の知識人の思想と生い立ちがとりあげられる。むろん、それらは小熊のフィルターがかかったもので、とうてい「客観的」とはいえない代物である。
 しかし。
 小熊が感じている戦後民主主義の限界、そのなかにある次世代へ受け継ぐべき萌芽、という情熱が読み取れるほどに、この本は面白くなる。大佛次郎賞を受賞した小熊が「朝日」で戦後思想の継承の必要性から本書を書いたというむねを語っていたが、風化し、忘れられていこうとする戦後の思想史の息吹を知ろうとするうえでは、おそらく、どんな「客観的記述」の事典よりも、生き生きとそれらを理解できるであろう。

 小熊が第4章でのべているように、日本の戦後の「平和」理念、そしてその集大成たる憲法9条は、ナショナリズムの基盤のうえにうちたてられたものである。

「大部分の戦後知識人たちは、敗戦で荒廃した日本を再建するために、新しいナショナル・アイデンティティを模索していた。そして、敗戦直後にまず掲げられたのが、『文化国家』や『平和国家』といったスローガンであった。……ここで注目すべきなのは、他国との安保条約を排除した非武装平和主義が、『自主独立』の思想として説かれていたことである」

「一九四六年においては、既成事実に順応する『現実主義者』と、理想を信じる『ほんとうの平和主義者』が、おなじく第九条を歓迎するという状況が成立していた。こうした状況のなかで、第九条が、新しいナショナリズムとモラルの基盤として語られていたのである」

 そして、丸山真男大塚久雄といった知識人の思想が、戦争体験、「総力戦体制の機能不全を目の当たりにして、新しいナショナリズムのあり方を構想したものであった」ということも、小熊によって指摘される。

 戦後の時代の本や政治的アピールを読むと、やたらと、新しい「国家建設」の呼びかけとして語られることが多い。それは70年以降に生まれ育ったぼくからすれば、なぜ「国家」という媒介を必要とするのか、という、ある種の奇異な感じをうける。

 また角川文庫の終わりのページを開くと、次のような「発刊の辞」に出会う。「第二次世界大戦は、軍事力の敗北であった以上に、私たち若い文化力の敗退であった。……私たちは徒らに百科全書的な知識のジレッタントを作ることを目的とせず、あくまで祖国の文化と秩序の再建への道を示し……」。

 ここには、ナショナリズムという思想を媒介にして、「国家の再建」という形で、戦後民主主義が存在したことが端的にしめされている。

 小熊は、こうしたナショナリズムと平和・民主主義――まさに「民主と愛国」――が戦争体験に依拠していたことを指摘する。「戦後思想の最大の強みであり、また弱点でもあったのは、それが戦争体験という『国民的』な経験に依拠していたことである」。「弱点」というのは、その体験の風化とともに、退潮をしていく運命にあったことだと、小熊は言う。「戦後思想の最大の弱点となったのは、言葉では語れない戦争体験を基盤としてたがために、戦争体験をもたない世代に共有されうる言葉を創れなかったことであった」「結果として戦後思想は、『近代』や『主体性』といった言葉の背景となっていた記憶を共有しない世代にたいしては、説得力を失っていった」。

 こうした小熊の指摘は基本的には正しいと思う。

 憲法のうたう「非武装」や「中立」の考え方は、保守が選びとった「軽武装」「対米同盟」という考えにまっこうから対立する。前者は健全なナショナリズムだとぼくは考えるが、後者は一種の植民地根性である。
 ただし、同盟・軽武装という路線のなかで、保守政治は基本的にナショナリズムを忘却して、独占資本がアメリカの覇権のなかで超過利潤を達成するしくみをつくりあげ、そのことにたいして、国民の中に一定の基盤が生まれたことも事実である。

 日本人のある部分がナショナリズムの精神を失っているとしたら、それはまさに保守政治そのものの結果にほかならない。憲法がうたった平和理念の国民の中でのゆるやかな後退は、むしろそのような保守政治を一つのリアリティだと考えたことにあるとぼくは思う。

 しかし。
 依然として、9条そのものへの支持は高く、たしかに北朝鮮脅威論の狂躁には国民がまきこまれた観はあるのだが、他方でイラク戦争イラク派兵にこれほど強い拒否感をしめすのは一体なぜか。それは小熊の言う戦争体験の風化だけでは説明できない問題だと思う。
 このような国民の意識状況が存在しつづけるのは、戦後から今にいたるまで「対米従属」という現実が日本に存在しつづけているからである。むろんそれは安保条約などによって法制化され、全土に軍事基地をはりめぐらされた日本の状態である。いま米軍のイラク占領終結が問題となっているが、米軍は、形式的な独立を来年あたりにさせて例外条約によって駐留を合法化するかまえでいる。日本はちょうどそれと同じことを半世紀前にされているのである。イラクの現政権が米のかいらい政権であり、その対米従属性が米軍の占領軍事力によって担保されているように、日本にはりめぐらされた軍事基地は、日本の対米重属性の根幹をなしている。
 高度成長期には保革ともに封印することができた「対米従属」の問題は、日米同盟のなかで日本がますます能動的な役割を求められ、それが極限――戦闘参加――にまでおよぶにあたって、ふたたび日本の正面の問題として浮上してきた。アメリカがしつように日本の戦争参加を求める限り、健全なナショナリズムとして憲法9条の精神はうかびあがらざるをえない

 保守政治は「愛国心」を今後売り物にしていくという。しかし、ナショナリストであるという、たとえば安倍晋三石原慎太郎が、もっとも卑屈な対米従属派であるという笑うべき矛盾がしめすように、対米従属の現実がある以上、強度の教育洗脳でもしないかぎり、道はそう単純でもない。
 学校での「日の丸」「君が代」の実施率を管理するなどという、まっとうな保守の論理からみてさえ愚かなやり方をどこまでもすすめても、ナショナリズムは育ちはしない。(いや、それ以前に、小熊が引用した辛淑玉のコメントのごとく、校長たちは「お上に忠誠を示して自分の老後の安定ブランドを維持するためにやる」のであり、「実施率一〇〇パーセントという数字は偽者教師の数」なのだ。)

 対米従属の現実の前に、国民は当惑し、その脱出口を模索する。

 そのとき用意されるべきものが、憲法9条ナショナリズムではないか、とぼくは思う。

 平和運動をすすめている人の中には、総選挙の結果をみて、「護憲派が退潮した=護憲意識が退潮した」という右派マスコミの読み替えにまんまとひっかかり(もしそれが事実なら、鮮明な改憲をとなえた保守新党の消滅は国民の改憲拒否の審判の表れと読むのが正しいことになる)、憲法9条改定の危機感に焦燥する人がいる。それは、「憲法9条は絶対非武装の思想であり、そのような人は絶対少数である」という不安を根本にかかえている。
 しかし、いまのべてきたように、憲法9条は、対米従属、米軍への戦争参加の抑止として、健全なナショナリズムのシンボルとなりうる。依然として9条への支持が高いことは、そのことを裏付けるものである。(むろん、その平和意識は保守政治によって総攻撃をうけており、安閑としている理由は何もないのだが)

 長々と書いてきたが、先ほど述べたように小熊は共有すべき戦争体験の風化によって、戦後民主主義の思想が退潮し、それにかわる新しい言葉をさがすことがどうしても必要だと訴えている。そして、小熊はナショナリズムの一定の役割は認めつつも、ナショナリズムという言葉の復建を拒否し(それにまつわるマイナスが大きすぎるから)、別の新しい言葉をさがそうとしている。

 だが、ぼくは、対米従属という問題が、日本の現実のど真ん中にあるとき、ナショナリズムをさけることはできないのではないかと思う。着地する地点は似たようなところになるだろうが、憲法9条のもつナショナリズムを新しい言葉で復権させる試みこそ、必要ではないだろうか。

 なお、ぼくが痛切な思いをもって読んだのは、第8章「国民的歴史学運動」――石母田正の章である。

 歴史学学生運動における「傷跡」として、もはや二度と語られることのない「恥部」であり、おそらく運動はここには二度と立ち返ることはない、とされている歴史だ。冒頭に引用した藤間の言葉が出てくるのはこの章である。

 ここには、知識人が陥る民衆観、組織感覚といったものがすべて顔を出している。
 すでに戦後の左翼はこのようなものとは決別したはずである。
 しかし、それは個々人の思考の間隙に、いつのまにか浸潤してくる無気味な粘液に似ていて、ひとり一人にとっては決して過去のものではない。石母田の苦闘の跡をぼくたちは凝視しなければならないと思う。